…「20世紀博」がやってきた春日部の街には、70年代の車や流行が溢れていた。野原一家は帰宅してひろしとみさえが当時流行っていたヒーローものや魔法少女もののビデオを見ていたが、ふと「今夜20世紀博から大事なお知らせ」があることを思い出す。一方、「20世紀博」を主催していた「イエスタディ・ワンス・モア」のリーダー、ケンが「大事なお知らせ」放映30分前に部下達に訓辞を述べていた。 |
名台詞 |
「ここに来るとホッとする。」「ここには外の世界みたいに、余計なものがないからな。昔、外がこの街と同じ姿だった頃、人々は夢や希望に溢れていた。21世紀はあんなに輝いていたのに、今の日本に溢れているのは汚い金と、燃えないゴミぐらいだ。これが本当にあの21世紀なのか?」「外の人たちは心が空っぽだから、物で埋め合わせしているのよ。だからいらない物ばかり作って、世界はどんどん醜くなって行く。」「もう一度、やり直さなければいけない。日本人がこの街の住人達のように、まだ心を持って生きていたあの頃まで戻って。」「未来が信じられた、あの頃まで。」
(ケン・チャコ) |
名台詞度
★★ |
当サイトで数多くの名台詞を選び出してきたが、実は2人の登場人物でひとつの台詞を語っているという例を取り上げるのは今回が初めてとなる。
ケンが率いる「イエスタディ・ワンス・モア」が何を企んでいるのかはまだハッキリ分からない。いずれにせよ世の中を20世紀に戻してしまおうという壮大な計画を実行中なのは確かだ。20世紀博内部のコントロールルームで日本全国の同士に訓辞を述べ、いよいよ計画をスタートさせたケン。彼が恋人チャコとともに「自分達の街」に戻り、家路につく途中でこの台詞を語り合うのだ。ちなみにBGMはベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」(作詞
北山修・作曲 加藤和彦)で、二人が歩く背景には昭和40年代を細部まで再現した街と、そこに生きる人々が描かれている。
コントロールルームのシーンでは「20世紀博」というものが、単なるイベントではなく世の中そのものを20世紀に作り直してしまうべく存在していることが判明した。この台詞ではその主催者の企みの理由が語られている。彼らは20世紀という時代の懐古主義が強く、ついにやってきた21世紀という新しい時代を信じていないのだ。
私はこの二人の台詞を聞いて、子供の頃に読んだ図鑑に描かれていた「21世紀の風景」を思い出した。空には超音速旅客機が飛び、陸にはリニアモーターカーが走り、新幹線は日本全国に張り巡らされ、自動車も浮上走行していて、家事の多くは機械が自動的にやってくれて、鉄腕アトムのような人の心を持ったロボットが実用化して人間と同等に生活しているという、人々はテレビ電話で連絡を取り合い、人類は増えすぎた人口を海底都市を造って移民させているという、今考えると酔狂なあのイラストだ。その世界と比べたら現実の21世紀はどうだい?
少子高齢化と不況でお先真っ暗、テレビ電話は広がらなかった代わりにポケットサイズの携帯電話が実現したがその通話料の支払いに追われ、今や高速道路無料化などという新政権の公約によって新幹線の全国展開どころか鉄道業界がかつてない危機に直面している。「地球温暖化」という掴み所のない現象が人々に環境意識を持つことを強要し、都市近郊の緑はどんどん失われて赤字を大量生産するハコモノばかりが目立つ世の中…確かに実際の21世紀は、あの酔狂なイラストに比べたら夢のない世界になっている。
このように、この台詞を聞いた大人は自分が子供の頃に描いていた21世紀と、現実の21世紀のギャップを感じてケンとチャコが言っている事が正しいと感じてしまう。確かに現実の21世紀には夢がない、それじゃダメじゃんか…と。
だがこの台詞、20世紀を知らぬ子供の立場で聞くと印象は違うはずである。子供に言わせれば自分が生まれるより何十年も前の世界になるなんてまっぴらな話でしかなく、ここでのケンとチャコの思いも世の中を黒く染める悪人の台詞にしか感じないはずだ。子供の立場で考えれば、その頃は昔の話でしかなく、不便で古くさくて耐えられない世界なのだから。
こうしてまたも、物語は見ている大人と子供の切り離しにかかる。そうして次のシーンでは子供達を恐怖のどん底に突き落とし、大人達の目を覚まさせるという展開へ急変させるのだ。 |
名場面 |
「20世紀博からのお知らせ」(ホラー要素・僅かにギャグ要素) |
名場面度
★★★ |
よる8時、野原家のテレビが「20世紀博からの大事なお知らせ」を放映する。その内容はコンパニオンのおねいさんがでてきて、「明日の朝お迎えにあがります。皆さんご一緒に、愉快に過ごしましょう」と言うだけ。すぐにテレビは次の番組と思われる、青年が「ソースラーメン」(うげっ)を食べているシーンに切り替わる。
しんのすけが意味が分からず疑問の言葉を発したかと思うとすぐにテレビの電源が切られ、ひろしとみさえがゆっくり立ち上がる。無表情で「明日に備えて早く寝なきゃ」「そうね」と言ったかと思うと、まるで何かに操られているように歩き出す。「寝るの?
ごはん食べないの? ねえ母ちゃん、オラ腹減った」と訴えるしんのすけを無視して電気を消し、寝室へ向かう夫婦。途中みさえは冷蔵庫に立ち寄り、しんのすけのネギを1本渡す。「なにこれ」と問うしんのすけに「ネギ」とだけ言い残して、ひろしとみさえはすぐ布団に入って寝てしまう。そしてこの異変が野原家だけのものではないと示すべく、街の空撮になって家の灯りがひとつずつ消えて行くシーンが流される。この光景に多くの子供達がただならぬ異変を感じ、恐怖したことだろう。
ここまで若干の問題はあったものの、とにかく平穏に進んでいた物語が突如暗転した瞬間だ。ひろしとみさえは何かに取り憑かれたかのように表情を失い、見ている方は劇中のテレビに流れた「20世紀博からのお知らせ」が原因であることがすぐわかる。つまり大人達が「20世紀博」に夢中になっていたのでなく、毒されていたと分かる瞬間だ。そしてこの直前シーンのケンとチャコの会話…とにかく何かが始まったのだ、大人達を20世紀に引き戻してしまう何かが。
このシーンは恐怖感を煽るべく細かいところまで工夫されていると感心する。まず「20世紀博からのお知らせ」が本当に「20世紀博」というものになりきっている点、白黒画面に古くさい画面と音という演出は夫婦の変化を見る前では「凝ってるなぁ」と感心するが、それを見てしまうと「これも怖がらせるための効果だ」と感心する。劇中のテレビ画面が真に迫っているからこそ恐怖感は倍増されるのだ。そしてそのメッセージがたった一言であり、最後に「愉快に過ごしましょう」と付け加えたこともポイントが高い。そして夫婦の変化、立ち上がるときの動き一つとっても「取り憑かれちゃった感」がうまく再現されているし、無言で電気のスイッチを切るみさえの怖いこと怖いこと。
その中でもギャグを忘れていないのが、かえって恐怖感を煽っているかも知れない。みさえが「20世紀博」に取り憑かれつつも、本能的に子供に食事をさせようと考えるのだが、それがネギ1本というのは見ていて滑稽だが、見方によってはあの子供思いのみさえをそこまで変えてしまったというとらえ方もできてしまうだろう。
こうして物語が本格的に動きだす。ここまではいわば前置きみたいなものだ。 |
研究 |
・イエスタディ・ワンス・モア
ここでは「20世紀博」の主催団体、「イエスタディ・ワンス・モア」について考えてみよう。
「イエスタディ・ワンス・モア」は直訳すれば「昨日をもう一度」という意味になるが、元ネタは1973年に流行したカーペンターズの楽曲のようだ。この団体の主目的は世の中全体を20世紀に戻してしまうこと、それ向け人々を洗脳するために「20世紀博」を各地で開催していたようだ。
構成メンバーが何人ぐらいで、どのような機関がスポンサーなのかは分からないが、前回研究のように日本国内31都市(春日部本部含む)にネットワークを拡げているという事は財閥系企業並みの資金力と組織力を持っているのは確かのようだ。
劇中で描かれる建物は春日部の総本部と思われる、見たところ8階建ての時計台を持ったビルの上に東京タワーに似た自立鉄塔が建っているという外見だ。劇中で描かれた「20世紀博」の内容だけにしちゃ建物がでかすぎると思ったが、この建物の中にはケンとチャコが住む街であり、昭和40年代を精密に再現した「夕日町」がある。空の色などをきれいに再現するとなると、この建物の地下2階辺りから地上3階くらいまでをぶち抜いてこの町を作っているのだろう。ここではなんと、人々が昭和40年代の生活を再現しながら生活しているのだという。
ここに生活している人はこの段階では「イエスタディ・ワンス・モア」も構成員とその家族なのだろう、ケンによる世の中を20世紀に戻す作戦が始まっていない段階からこのような光景なので間違いないだろう。「イエスタディ・ワンス・モア」に加入すると、住居が与えられるようだが代わりに昭和40年代の生活を再現しなければならないということだ。そしてこの街は「20世紀の臭い」を採取するために作られた物であり、その臭いを散布することで人々の記憶を刺激して世の中を20世紀に戻してしまうという計画のようだ。その全段として「20世紀博」を開き、その観客に前もって臭いを嗅がせることで多くの人々を先行して洗脳したのだろう。
夕日町については物語が進んだ段階で、改めて考察しよう。 |