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・「クレヨンしんちゃん(劇場版) 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」総評

・物語
 物語は大きく3編に分けられる。最初は物語が始まって主要登場人物達が映画の中に引き込まれ、引き込まれた世界で皆がどう変化して行くかまでを描いた部分。この中の前半は「かすかべ防衛隊」の面々や野原一家がどのように映画に取り込まれるかを、後半はこの世界にやってきた「かすかべ防衛隊」の皆がどのように変化してしまったか(風間のみは前半だったが)という展開を主軸としつつ、その取り込まれた世界がどのような場所なのかという事が少しずつ解ってゆくという二重の構造で物語が進む。特に一家が映画に取り込まれてすぐのシーンでは終盤へ向けての伏線をしっかりと描いて物語への期待度を高め、「かすかべ防衛隊」面々の変化については視聴者の不安を煽って物語を盛り上げるべき要素をキチンと取り込んでいる点が良い。また取り込まれた世界を少しずつ判明させつつ、今作品のみのゲストキャラを一人一人順番に出すという描写は推理小説的な緊張感があっていいだろう。とにかくこの部分では大きなヤマ場を作らず、物語を盛り上げるべき要素をしっかり植え付けることに力点を置いている。
 続いては野原一家が映画の中の世界に取り込まれてから35日目の展開、つまりみさえがジャスティスの屋敷に招待される部分であろう。ここでもみさえの変化とジャスティスに招待されて起きる「事件」という部分を主軸に、最初の部分にあった「映画の中の世界が少しずつ判明する」という展開を引きずるという二重構造をとる。さらにこの部分の後半からはこの作品自体のサブ展開である「しんのすけとつばきの恋物語」という展開が少しずつ幕を開く。ここでは他の劇場版「クレヨンしんちゃん」と同様に野原一家のピンチを描く訳だが、他作品との違いはそれが主展開ではないという点だ。従ってこの野原一家のピンチはあくまでも物語を盛り上げるための「ひとつのヤマ場」に過ぎず、これを乗り越えることは物語主軸の事件解決や謎解きとは全く無関係である。詳しく言えばこのみさえが起こした事件によって、この世界がジャスティス独裁による恐怖政治に支配されていることが判明し、問題をより一層深刻にして物語を盛り上げるという役割でしかない。またこの件はしんのすけとつばきが接近するきっかけであり、ここから二人の恋物語へとサブ展開が大きく舵を切る。
 そして最後の部分は野原一家が映画の中の世界に来てから725日が過ぎて以降の展開だ。この世界の謎が解けて物語は「ジャスティスとの戦い」という展開を通じて、「かすかべ防衛隊」の友情物語へと大きく舵を切る。この主展開のために「かすかべ防衛隊」の面々は、その元からのキャラクター性を活かしつつもまるで別人のような変化を演じてきた。ここから一同が自分を取り戻し、力を合わせることで5人の友情の絆を見る者に強く訴える。同時にしんのすけがつばきと大きく接近、告白シーンなどの甘い恋物語をサブ展開として進行する。これらは同時進行して「かすかべ防衛隊」の活躍で映画に取り込まれた人々を元に戻し、しんのすけとつばきの恋は「唐突の別れ」という悲恋で幕を閉じる。
 この物語のもう一つの特徴は、構図や設定という部分がとても複雑であることだろう。野原一家にしても「かすかべ防衛隊」の面々にしても、普段のそれぞれのキャラクターとは別に「映画の中の世界」ではこれまでと違う配役に従ったキャラクターとなる。この配役の多くが普段のキャラクター性を活かした上で、各々の理想をある程度実現して居心地の良いものとなっている点は注目どころだろう。みさえの「酒場の雇われ歌手」もそうだし、風間の「保安隊隊長」、ネネの「夫を尻に敷いて楽に生きる女」、マサオの「尻に敷かれつつも妻を守って生きる男」、ボーちゃんの「世界の謎を解き人々を導こうとする役」、どれもこれも普段のキャラクター性を活かしてのはまり役だ。そして皆がその居心地の良い配役にはまり込んでしまった描写は秀逸だし、この居心地の良さをあえて乗り越えるという選択肢を選ばない以上は元の世界に戻れないという要素とした。この要素によって元の世界に戻るために、「かすかべ防衛隊」5人の友情がうまく利用される展開となったわけである。この友情についても特に大袈裟に描く訳でなく、普段通りの言動と普段から使用している合い言葉、ほぼこれだけで乗り切ってしまった点は原作漫画やテレビアニメ版といった「素材」を上手く活用しており、展開に無理が無いという意味で感心した。
 つばきとの恋物語についても物語を盛り上げる要素として上手く描かれたと思う。特に他作品のヒロインのようにしんのすけが「幼児」だからと割り切って対応するのでなく、しんのすけの恋心に応えた言動を取る点でつばきというヒロインは特徴的だ。そして二人の仄かな恋物語でさんざん盛り上げた後の切ない別れは、「おやくそく」とはいえこの映画で感動できる要素なのかも知れない。最後のつばきが消えたことで拗ねるしんのすけを見て、少しだけ心が痛くなった人は多いことだろう。ここでしんのすけが「拗ねる」という幼児らしい行動を取ったことも、白けさせない大きな要因となったはずだ。
 このように多くの物語が詰め込まれているが、主展開とサブ展開の二重構造の部分が多いとは言えそれぞれの物語がキチンと区別されており、輻輳することなく整理されて画面上に出てくるのは分かり易くて良い。見ていると物語が多重的に進んでいることを忘れてしまうこともある程だ。100分ほどの上映時間を持つ物語であるが、このような展開によりこれより少し長く感じたが退屈感もなくて飽きることもなかった。そして最後のシーンでは大きな感動があり、さらに雰囲気良く物語の余韻に浸れるエンディングもあって、この映画は私にとって劇場版「クレヨンしんちゃん」の中でもかなり好印象の作品となった。

・登場人物
 今作品ではキャラクター面においても、普段の登場人物としてのキャラクターと取り込まれた「映画の中の世界」におけるキャラクターが並立するという異例の展開となっている。特に「かすかべ防衛隊」の面々やみさえは、元々のキャラクター性を活かした上で「映画の中の世界」では独自のキャラクター性を展開し、物語を大いに盛り上げる。
 それぞれがどのような配役を受け、どのようにキャラクター性を変えたかについては本文中で考察した。これらの変化は元々のキャラクター性を研究した上で、誰にどのような役を与えれば彼らの「望む世界」となって物語が盛り上がるかという点についてよく考えられていると私は感心した。みさえに関してはその上に「ジャイアンリサイタル」というおまけ設定もついてきて、ギャグアニメとして大いに笑える展開となった。ただこの世界に来ても大きく変わらなかった人間として、しんのすけとひろしの二人がいる。しんのすけには「映画の中の世界」で人々をジャスティスから救い出すヒーローという配役を受けている設定だし、なによりも「クレヨンしんちゃん」の主人公としてキャラクター性を変えられなかったという事情があろう。ひろしについては物語前半で謎解きガイドのような役割をさせたら、ここへ来てキャラクター性が変わるという演出そのものが不自然になってしまった可能性がある。
 今作品限りのキャラクターも見どころは多い。特につばき・マイク・ジャスティスの3人はこれまで私が見た劇場版「クレヨンしんちゃん」の中でも印象深いキャラクターに分類される。つばきはしんのすけと相思相愛の恋物語を演じる事に印象に残り、マイクは拷問されたり苦悩しているシーンからギャグまでオールマイティにこなした上にモデルとなった人物の特徴をよく掴んでいたことで印象に残った。ジャスティスは体罰や拷問という容赦のない悪役ぶりで、倒されるまではギャグを一切やらずしんのすけらにコケにされることもなく、純粋な悪役を演じるという点で他の劇場版「クレヨンしんちゃん」の悪役とは違った印象を残してくれた。
 その中でもつばきについては、しんのすけがどんな「女の子」(大人の女性ではなく)に惚れるかという部分について研究された上で性格や言動が設定されたと思う。その上でこの映画を見ている男性も「この少女になら惚れても仕方が無い」と思える人物でなきゃダメだ。それは優しさと純粋さのバランスであり、容姿が全てではない。美少女としてではなく、今日を一生懸命生きるそこいらにいそうな少女であり、だから見ているだけで助けてあげたくなってしまう少女として描かれたのだ。そして担当声優がわざとなのかそれとも元々そういう演技をする人なのか解らないが、敢えてちょっと崩した感じのしゃべり方をしたことでこの少女には「不器用」という印象も同時につく。その上、怖い人から匿ってやると言えば「臆病だから」と断る気の小ささ。こんな少女が身近にいたら、世の中の男共は確かに放っておけなくなるだろう。

 最後に名台詞欄一覧である。今作品で特徴的なのは前半は違うキャラが順番に名台詞欄に載ったことだろう。最初の10部分くらいは名台詞欄に取り上げられるキャラが毎回違い、同じキャラの繰り返しが無かった点は特筆である。
 それでもやはり登場回数はしんのすけが最も多い。続いてはこの作品独自キャラであるつばきとマイクが同率に付けている。途中まで悪役だった風間や、春日部に帰ることに注力したボーちゃん、徹底的に悪役を演じたジャスティスの3人がこれに続く。
 野原一家の中でも今回はひまわりだけは当欄に取り上げられなかった。今作品ではひまわりは親に抱かれているか寝ているかのシーンが多く、活躍の場が少なかったことが理由として大きいだろう。

名台詞登場頻度
順位 名前 回数 コメント
しんのすけ やはり主人公、圧倒的なパワーで物語を牽引し嵐を呼んでいるのは劇場版作品のどれも共通。今作品ではナレーターとしての台詞もあり、これまでにないしんのすけが見られる。その後の帰り方が解ってつばきに喜びを語る台詞は秀逸。
つばき この物語全体としても、劇中劇の映画の中でも主人公と相思相愛のヒロインを演じた。「相思相愛」が他の劇場版「クレヨンしんちゃん」のヒロインとの最大の相違点であろう。しんのすけに助けられた際の「すっごくかっこいいよ!」はこの映画で最も印象的。
マイク 今作品きってのネタキャラであり、また映画の中の世界についての謎解き役でもある。彼の最初の名台詞は、ギャグと自分が誰なのかを忘れかけた悩みを同時に演じた点がとても印象深い。
風間 普段はしんのすけの友人として物語を牽引する彼が、今作品では途中まで悪役として君臨する。二度の名台詞はその悪役としての彼を象徴するものだった。ここで普段の彼の設定が「悩めるエリート」であることが上手く活かされたかたちになった。
ボーちゃん 風間と対照的に彼は「春日部に戻ろう」とするしんのすけの理解者として物語を牽引した。それだけでなくマイクと共に世界の謎解き役となる場合もあり、配役が一定していなかった印象も。最も面白かったのは戦いシーンで毛ばかりを気にしていたことだけど。
ジャスティス この映画では救いのない徹底的な悪役を演じてくれた。特に2度目の名台詞で風間に迫る台詞は、彼の貫禄がよく出ていたので好印象。声に次元を選んだのも正解だったと思う。
ネネ だからその台詞、耳が痛いっつーの。
みさえ 意外な事に名台詞欄(次点除く)に初登場、「オトナ帝国の逆襲」では台詞に恵まれていなかった。彼女の台詞は劇場版「クレヨンしんちゃん」本来の路線を外れがちだということを、うまく警告していたと思う。
マサオ 彼の名台詞は「映画の中の世界」にどっぷりとはまり込んでしまった人の平均的な意見かも知れないが、充実した生活には何が必要かを切々と解いている。これも5歳児とは思えない思い台詞だ。
ひろし 今回、「良い台詞は沢山吐いているんだけどその前後において他の人がもっと良いことを言ってしまう人」という位置にいたのは間違いなく彼だろう。ひろしの名台詞は元の世界に戻るという最終目的が上手く明示されている。
オケガワ 名台詞は少なかったが、劇中ではとても大きな存在感を持っていた。前半はただ引きずられるだけの役だったのが名台詞に恵まれなかった理由だろう。そんな中でも彼はどうして研究を続けるのか解らないまま研究しているという点を強調した。

・おまけ
・「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」予告編について
 本作予告編も劇中では出てこないシーンが多い上、キャラクターの台詞までも本編で使用されていないものが多用されている。この予告編を先に見てから本編を見たら、話が違うと思う人も多いのではないかと思う。
 特に予告編も特報編もしんのすけと西部の荒くれ者の戦いが描かれるのだが、これらのシーンではしんのすけによる「カンチョー」攻撃が印象深く描かれている。「カンチョー」による攻撃自体は本編にも描かれているが物語後半の汽車での戦いのシーンに限られており、予告編や特報編に出てくるような街中での戦いにおける「カンチョー」は使われていない。ただこの「カンチョー」攻撃はしんのすけのキャラクター性を上手く描いており、「クレヨンしんちゃん」らしい予告編に仕上がっている要素だと思う。
 また予告編冒頭が気が抜けるギャグで始まっていて、視聴者をずっこけさせるのは臼井作品らしい点でもあると思い私のような古くからのファンでも好感が持てる仕上がりだろう。また劇中に使っているシーンでは、風間がしんのすけに手加減無しの一撃を食らわすシーンは効果的に使用していて、見ている者に強い不安と期待を与える。悪役と言えばジャスティスの悪役度は予告ではさらに上を行っており、つばきの首を鞭で縛ったり、しんのすけを鞭で威嚇するなどの容赦のなさが描かれている。予告変更半の殆どが劇中で未使用のシーンで構成されており、ネネがマサオにプロレス技を仕掛けたり、しんのすけが巨大化したり、ひろし・みさえ・ひまわりがサボテンの着ぐるみを着て逃げ回ったりともうやりたい放題だ。その後に「カスカベボーイズ登場」の劇中シーンで「かすかべ防衛隊」がポーズを決めたと思うと、しんのすけが「カンチョー」で荒くれ者を倒すというシーン(劇中では未使用)で予告編が終わるという、本編とはかなり違う雰囲気の予告編となる。一致しているのは「ジャスティスは悪」という部分だけでは無かろうか。
 とにかく本編との比較という面においては目茶苦茶なこの予告編を見るために、DVDを購入してみる価値はあると思う。なお本作の予告編は次作「嵐を呼ぶ!3分ポッキリ大進撃」のDVDにも、版によっては宣伝として収録されているようだ(我が家のものには収録されている)。

・注意
 当考察では、一部の表現を臼井儀人作品の世界観に合わせるべく独特の言葉遣いを使用した。
 例えばしんのすけの台詞の語尾をカタカナの「ゾ」にする(原作表記に従ったがアニメ公式設定も同様、ただし日本語の使い方としてはどうかと思う)、しんのすけが両親を呼ぶときの表記を漢字と平仮名で「父ちゃん・母ちゃん」とする(アニメ公式では「とーちゃん・かーちゃん」らしいがここは原作設定に従った)、「幼稚園」を漢字ではなく「ようち園」と表記する(原作ではほぼこの表記に統一されている)等。
 なお今回名称が出てくることはなかったが、しんのすけが通う幼稚園名やひろしが勤務する会社名は、今後「クレヨンしんちゃん」を取り上げる場合にはアニメの設定に従いそれぞれ「ふたば幼稚園」「双葉商事」に統一するつもりである(原作では「アクションようち園」「アクション商事」)。

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