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…「カスカベボーイズ」に変身したしんのすけらは、自動車で列車に攻撃を仕掛けるジャスティス一味の撃退に成功する。だがジャスティスは部下の車を奪って逃走する。
名台詞 「皆さん、聞いて下さい。…封印された場所はもうすぐです。頑張って!」
(つばき)
名台詞度
★★★
 「カスカベボーイズ」に変身したしんのすけら「かすかべ防衛隊」の活躍により一度は撃退されたジャスティス一味であったが、今度はジャスティスが冒頭に出てきた巨大ロボを繰って列車に攻撃を掛ける。ジャスティス派「カスカベボーイズ」との戦いの中で、列車の中につばきの姿があるのに気付き、その巨大ロボの大きな腕でつばきを掴んで持ち上げる。一度は「カスカベボーイズ」がつばきを助けるものの、つばきは再度捕まってしまう。そしてジャスティスはつばきに「この先に行っても何もないと伝えろ、全ては自分がでっち上げたウソだと。さぁ言え、言わんと殺す」と迫る。これに対し「はい」と返事をしたつばきが、一呼吸置いてジャスティスの手から逃れられないと判断すると、列車の中の皆に向かって叫んだ言葉がこれである。
 もちろんこの台詞に列車に乗っている皆は歓声を上げ、ジャスティスは額の血管をぶち切らせながら怒りまくる(このジャスティスの「怒り」の演技も秀逸だが)。しかし何よりも世界を元に戻すため、春日部から来た人々を元の世界に帰すために立ち上がったつばきの決意がこの台詞から見えてくる。この決意はこの前のシーン(名場面欄)でつばきがしんのすけに告白されたところが大きいだろう。幼児とはいえ自分を好きだと言ってくれる男の子のために、そして自分に勇気を持たせてくれた男の子の行くべき道を開くために、彼女は自分の保護者であるジャスティスと袂を分かち自分が取るべき道を選択した瞬間である。
 このつばきの決断によって、ジャスティスが怒りに震えたこともあってここまで「カスカベボーイズ」優勢だったこの戦いの形勢は逆転、「カスカベボーイズ」は苦戦することになる。この台詞は次の名台詞欄に書く「カスカベボーイズ」のピンチの序曲でもあるのだ。
名場面 告白 名場面度
★★★★★
 ジャスティス一味は「カスカベボーイズ」に撃退され、ひとまず危機は去った。その危機が去った列車の座席にしんのすけとつばきが並んで腰掛けている。「ねぇねぇ、オラかっこよかった?」としんのすけはデレデレしながらつばきに問うと「うん!」と元気よく返事するつばき、さらに「どんくらいかっこよかった?」としののすけが問えば、「ものすごーくかっこよかった」と社交辞令的に返答するつばき。だがしんのすけの喜びは頂点に達し、青を赤らめながら喜ぶ。と思うとつばきに向き直り「つばきちゃん」と声を掛ける、つばきが「なぁに?」と問うがしんのすけは照れてしまってなかなか続きが出てこない。それでも絞り出すように「春日部に帰ったらケッコンを前提にオラと…」切り出すしんのすけに対し、頬を赤らめて驚くつばき。「つっつっつっ…」としんのすけはもうその先が言葉にならない。それに対しつばきは「私なんかでいいの?」と問う、だが何度も頷くしんのすけに「でもななこさんが…」と付け加えるとしんのすけは一瞬固まり、そして「えーとっ、えーとっ」と悩み始める。そんなしんのすけをつばきが笑顔で見下ろすと、しんのすけは照れてしまって思わず顔を背ける。
 見ての通り、しんのすけがヒロインであるつばきに告白してしまったシーンだ。実は私が知る限り、原作漫画でしんのすけが一人の女性に対しハッキリと告白したのはこれだけである(もちろん私が見た中での話だけだが)。原作漫画等でしんのすけの恋人役として出てくるななこに対しては、このような明確な形で告白していなかったはずだ。そのしんのすけが完全にこのつばきという少女に心を奪われ、本来なら「ストライクゾーン」を外しているはずの相手にこんな形で告白してしまった「クレヨンしんちゃん」異例のシーンである。
 そして見ていて驚いたのは、つばきがこれを断っていない点。いや、「Yes」とも受け取れる反応を示した点だ。「私なんかでいいの?」という台詞はどう見ても「おことわり」ではないだろう。ここへ来てこの物語のもう一つの展開である「しんのすけとつばきの恋物語」という部分については、クライマックスを迎えたと言っても過言ではない。
 そして男の子からの告白というのは、ヒロインである少女に力を与えるというのはこの手の物語では「おやくそく」であろう。このシーンが次のシーン(名台詞欄参照)にしっかり繋がり、物語の本題部分にも大きな影響を与えている。
 とにかく、この映画でサブ路線である「しんのすけとつばきの恋物語」という部分で最も印象に残るシーンとなった。このシーンを見ていると、初めて付き合った女の子に告白した時の、あの独特の甘い気持ちを思い出すなぁ。もうそんな経験をすることはないだろうけど。
研究 ・ジャスティスロボ
 「カスカベボーイズ」に撃退され掛かったジャスティスは、部下の車を奪った上に部下を見捨てて逃走する。そして名台詞シーンを挟んで今度は巨大なロボってに乗って、皆が乗っている汽車に再度攻撃を仕掛けるのだ。このロボットは野原一家が映画の世界に紛れ込んだ時にも出てきており、物語冒頭の伏線がうまく回収されたかたちになっている。
 このロボットは木製である。武装は腕に隠された巨大な鞭と、目に仕込まれた機関銃、そして胸に仕込まれたダイナマイト(マジンガーZに出てきた女性型ロボットの「おっぱいミサイル」を思い出した…正式名称失念)である。これらの武装と強力な出力でもって、「カスカベボーイズ」を翻弄する。
 さらに汽車よりも速い速度で走る事が出来、尻に仕込まれたスラスターで短時間ながら飛ぶことすら可能である。だがこのロボットをよく見てみると、なんと木製。
 物語の展開が「映画の中の世界」である以上、本来ならこのロボットは特撮技術を駆使して別撮影されたものを合成しているってところだろう。それなら木製のロボットがどんな動きをしようと不思議ではない。だがそれで解決させるのも無粋な話ではないか。
 かといって木製と言うことを考えると、これが動くことを科学的に説明するのは不可能だろう。手足などの可動部分を動かすアクチュエーターなどは木では作れないし、何よりもそのようなものすら描かれていない。それよりもあんなでかいロボットを作る木材を何処から調達したのか、どんな材質の木材を使っているのか、こちらの方が気になるぞ。

…つばきの訴えによってジャスティスは本気で怒り形勢は逆転、「カスカベボーイズ」は劣勢となり、客車は破壊され汽車が転覆寸前に追い込まれる。オケガワが「おかしい、もっとパワーが出せるはずなのに…」と呟くが、「カスカベボーイズ」の力だけではどうにもならない絶体絶命のピンチに…。
名台詞 「しんちゃん。ありがとう、すっごくかっこいいよ!!」
(つばき)
名台詞度
★★★★★
 名場面シーンを受けてパワーアップし、飛行能力をも手に入れた「カスカベボーイズ」はたった一撃でジャスティスロボを転倒させてつばき救出に成功する。助けられたつばきはしんのすけに抱きかかえられ、汽車にいたクリスに「この娘を頼んだぞ」と託す。用心棒たちに「思う存分暴れてくれ」と見送られ再び敵に立ち向かうべく飛び去ろうとしたしんのすけを、つばきが呼び止めてこう言ったのだ。
 このシーンでつばきの役どころが「ヒーローに恋するヒロイン」として完成したと言ってもいいだろう。前回名場面欄のように社交辞令的に言うのでなく、心を込めて全身を使ってこの台詞を吐く辺り、ここに彼女のしんのすけを想う気持ちが良く表れている。つばきを演じる貧ちゃんもそんな思いを込めての名演技を見せており、つばきの台詞では最も印象に残っている。
 また「しんのすけとつばきの恋物語」という視点で見ても、ここで二人の恋は成就したとみていいだろう。つばきは必死になって自分を助けてくれた男の子に、こういうかたちで最高の賛辞を送ることで自分の気持ちをしっかり表した。二人が明確な信頼関係で結ばれたことを上手く表現しており、そういう点でも印象に残った台詞であるのだ。
名場面 かすかべ防衛隊ファイヤー!! 名場面度
★★★★★
 怒り狂ったジャスティスの反撃により、汽車が転覆させられる。だが「カスカベボーイズ」が何とか汽車を支え、汽車は転覆寸前のまま片輪走行の状態となる。さらにつばきが再度ジャスティスに捕まり、「カスカベボーイズ」が支えて何とか片輪走行している汽車の上に、ジャスティスロボが載ることでさらに「カスカベボーイズ」への負担が増す。絶体絶命のピンチだ。
 汽車を支えながら走るしんのすけが、「かすかべ防衛隊が、最後の頑張りどころのところで叫ぶ合い言葉みたいなのなんだっけ?」と声を上げる。風間やネネもこれに「何だっけ?」と応えるが思い出せない。ここで皆が色々な言葉を言うが、マサオが間違えればネネが「ボケてる場合じゃないでしょ、しばくぞオニギリ!」と叫ぶのはおやくそくか。5人は代わる代わる色々な言葉を叫んでみるが、どれも違う(彼らがこの時叫んだ言葉はチョルス様の「クレヨンしんちゃん研究所」のこのページを参照…画面をスクロールして下の方「特別付録」をご覧下さい)。しかしそうしているうちに一同の限界が近付き、汽車の傾きがさらに増す。すると機関車の釜から火のついた薪木が落下し、これがマサオのところに落ちてマサオが着ている服に引火して炎上する。炎上しながら「熱い!」と手を離して走り回ってしまうマサオにネネが「サボってるんじゃないわよ、焼きオニギリ!」と叫ぶが、これを見てしんのすけがその一言をついに思い出す。
 そしてしんのすけが拳を突き上げながら叫ぶ。「かすかべ防衛隊ファイヤー!!」…他メンバーがこれに応えて「ファイヤー!!」と拳を突き上げる。すると一瞬の静寂を挟んで、「カスカベボーイズ」メンバーの背中から翼が現れる(同時に炎上していたマサオの服の火も消える)。その翼が皆の身体を持ち上げ、機関車を線路の上に戻し、ジャスティスロボを転倒させる程の力を皆に与えるのだ。「オラ達飛んでるぞ!」と言いながら大空を飛び回る「カスカベボーイズ」は、「ファイヤー!!」と叫びながら急降下して「とつげき&つばきちゃん救出」に向かう。
 この映画が始まってから、しんのすけがこの映画の中の世界に入り込んでからずっと壊れたままの「かすかべ防衛隊」の友情が完全復活した。特にアニメ版で多用される彼らの決め台詞、「かすかべ防衛隊ファイアー!!」をうまく利用したと思う。この一言で彼らが結束し、物事を解決したりしたシーンはいくつかある。その台詞を皆から忘れらせた設定とし、このような危機に時に結束してパワーアップするキーワードとする演出によって、この決め台詞がさらに印象深くなったことは間違いないだろう。5人は「かすかべ防衛隊」というキーワードで繋がっていたということである。
 さらにこのシーンは、戦いシーンを盛り上げる正義チームの危機一髪とそこからの逆転をうまく「クレヨンしんちゃん」らしくまとめたと思う。劇場版他作品ではこういう時こそ野原一家の結束が試されるシーンであったが、この作品ではその役が「かすかべ防衛隊」とされた。こうしてこの物語は劇場版「クレヨンしんちゃん」としては異例の展開である「かすかべ防衛隊」の友情物語として完成したと思う。ここからはこの5人の友情が、ここで復活しさらに結束力を増したことを踏まえての展開になって行くのだ。
研究 ・機関車の片輪走行は可能なのか?
…無理。
 だけどこの2文字で終わらせたら、この映画のファンの人に袋叩きにされそうだ。だけど無理なものは無理。劇中では車輪についているフランジ(車輪のつば)がレールに引っかかって片輪走行している風に描かれていたが、鉄道の原理を追求すればするほどこれは無理である。本物の鉄道車両がこのような状況に陥れば、車輪はレールの上を真っ直ぐ走るのでなく、車輪のフランジへ向けての傾きによってレールの外側へと押し出されてしまいあっけなく転覆するはずだ。万一フランジが上手く引っかかって片輪走行で走れたとしても、全ての車輪が同じように引っかかることはあり得ないと考えられるし、なによりもサスペンションが効かないのでレールに少しでも凹凸があればすぐに脱線してしまうだろう。
 だからこのシーンも、ジャスティスロボ同様に「映画の中の世界」だから特撮などの技術で解決しているという解釈に行かざるを得ない。この世界では特撮やCGで再現可能なことなら、原理や仕掛けは一切無視して全て実行できてしまう世界だと考えるしかないのだ。
 ちなみに片輪走行時は機関車一両だった。これを「カスカベボーイズ」の5人が支えながら走ったのだが、これで機関車の重量がわかればパワーアップ前の「カスカベボーイズ」にどれくらいの力があるのか推理することが出来る。この機関車はアメリカ西部開拓時代の典型的な機関車であり、実は日本にもかなり近いタイプの機関車が北海道開拓時代に使われていたことがある。この機関車のうちの1両が1990年に大阪市で開かれた「国際花と緑の博覧会」にJR西日本が出展した蒸気機関車「義経号」である。この「義経号」の重量は14.2トン、それに蒸気機関車を動かすために積んでいる薪や水の重量を足せば16トンと言ったところだろう。このうち1トンがレールに掛かっていると仮定すれば、「カスカベボーイズ」一人当たり3トンの重量を腕で支えて走っていたことになる。途中でしんのすけ・ボーちゃん・マサオが抜けたシーンもあったので、彼らが一人で支えられる重量は4トン程度が限界と言うことだろう。
 パワーアップ後は、ジャスティスロボの重量の重量を考えると、6トン位の物を持ち上げて飛ぶことが出来ると考えられるだろう。

…パワーアップした「カスカベボーイズ」の活躍により、ジャスティスロボは撃破される。ところが皆が喜んでいる間に機関車は終点をオーバーランして脱線転覆、一同は走って封印された場所にたどりつく。ジャスティスは封印を守ろうとするが…。
名台詞 「カスカベ座だ……春日部に帰ってきましたよー!」
(マイク)
名台詞度
★★★
 名場面シーンが光に包まれて終わると、唐突に画面は何も映っていないスクリーンに切り替わる。そして映写機が止まるシーンが映し出されるの続き、カスカベ座の座席でこれまで映画の中にいた人々が辺りを見回しているシーンに変わる。やがてマイクの姿が映し出されると、マイクはここにいる皆に向かってこう宣言する。この言葉を聞いた皆が歓声を上げる。
 「映画の中の世界」から抜け出し春日部に戻ってきた人々の一番最初の台詞であり、かつ今度こそ本当にあの「映画」が完結したことを宣言する台詞である。この台詞でもって「未完成の映画を終わらせて春日部に戻る」というこの物語の基本ストーリーが終了したことが宣言され、物語はサブ展開終焉に向けての流れと、オチとしてしんのすけら「かすかべ防衛隊」が得た教訓と言う方向に展開して行く。
 その台詞を主人公のしんのすけや、家族のひろしやみさえ、そして「かすかべ防衛隊」の誰かに言わせるのでもなく、この作品のゲストキャラであるマイクに言わせたのがポイントだと思う。マイクというキャラがこの物語の「西部劇」という視点に対して生み出された、マイク水野をモデルとしたネタキャラであり、つばきとともにこの映画を象徴するキャラクターである。だからこそこの映画の本展開終了を宣言するのは彼が相応しい、彼はここで印象的に物語の終わりを宣言して「クレヨンしんちゃん」という物語から去っていくことになるのだ。
 もちろん「敗北」という形で物語から去ったジャスティスも、「悪役」という立場を考えると相応しい消え方だったかも知れない。映画の中で正義側陣営の協力者だったオケガワやクリスら用心棒も、目的を達するために十分に働いたからあのような消え方でもいいだろう。ただマイクというのは劇中でずっとひろしの協力者だった割には、最初に「映画の中の世界」の仕組みを一家に説明しただけで、あとはギャグのためのネタキャラ的な扱われ方でいいところがなかった。だから最後にこういう美味しい台詞が与えられたのだろうなと、ここまで見てよく分かった。
名場面 「封印」が解けた 名場面度
★★★★
 終点をオーバーランしてしまい脱線した機関車から、一行は息を切らせながら山を登り封印場所の前に到達する。すると撃破されたはずのジャスティスロボが現れ、「やめろ、だれも開けてはならんぞ」と叫びながら封印された鉄扉に立ちふさがる。「何が入ってるのかな?」「若いときに調子に乗って書いたラブレター?」と言いながら「カスカベボーイズ」がジャスティスロボの除去と鉄扉のこじ開けに掛かる。ところが鉄扉の中にある「何か」は彼らが手を掛けるまでもなく自らの意志で扉を突き破って外に出ようとしていた。しかも封印場所は3箇所、その3箇所が同時に扉が破かれようとしている。これを見たジャスティスは青ざめた顔で「第二・第三の封印が解ける…まさか」と呟く。すると遂に全ての封印の鉄扉は破かれ、中に閉じ込められた「何か」は金色に輝きながら空へと舞い上がる。緩やかな音楽に乗って、その光は悠然と空を飛ぶシーンが印象的だ。
 ジャスティスが塞いでいた扉の物は、ジャスティスが必死になって押さえつけようとするが「カスカベボーイズ」の力もあり、ジャスティスロボを粉砕して空へ舞い上がる。そして他のふたつの「何か」と合流、オケガワが「封印されていた物の正体はこれだったのか」と呟くと空中で封印されていた「何か」は正体を見せる(その正体が何であったか興味がおありの方はDVDを買うなり借りるなりしてご自分で確認して頂きたい)。
 これを見たひろしが「映画が終わったんだ」と語り、みさえが「これで帰れるのね」と返す。マイクとオケガワはがっちりと握手を交わし、ジャスティスは「まだ終わりたくない…」と泣き、ボーちゃんがこれをなだめる。しんのすけとつばきは並んでこの「何か」を見上げ、しんのすけはつばきに「一緒に帰れるね」と語る。だがつばきは悲しそうな表情でしんのすけを見下ろす。そして画面全体が光に包まれる。
 封印されていた「何か」が何だったのか、これはこのサイトではネタバレさせないこととするが、実際に見てみれば「なんだ、そういうことか」と納得のいく物だ。これでもって「この映画の中の世界」の謎が全て解け、春日部から来た人々は全て春日部に帰れると一瞬で理解できる上手いシーンに仕上がったと思う。またBGMが緩やかかつ壮大で、物語に結論がついて皆が元の場所に戻れるというシーンを上手く演出したと感心する。こうして本編部分がうまくまとまったと考えて良いだろう。
 だがこの時点でまたもうひとつの展開、「しんのすけとつばきの恋物語」という展開は終わっていない。それはこのシーンの最後のつばきの表情をみれば、どんなオチがつくのか多くの人は予想できるだろう。これについては次で考察するのでここでは軽く流しておこう。
研究 ・映画の中の世界10
 野原一家や「かすかべ防衛隊」などの活躍でジャスティスを倒し、無事に映画を「完結」させた人々は春日部に戻ってくる。前に考察した通り映画に取り込まれた人々は短時間のうちにこのカスカベ座にやってきた思われ、その幅はせいぜい映画1本分の時間と考えられる。そして彼らは映画終了の時間に一斉に戻って来たと考えて良いだろう、恐らく誰かが最初にカスカベ座で映画に取り込まれた時刻からせいぜい2時間か長くても2時間半という時刻に戻ってきたはずなのだ。
 名台詞シーンを見ていると、中堅の映画館の客席がほぼ埋まる程度の人々がいたと考えられる。ラストシーンに「カスカベ座」の客席全体が出てくるが、ここで席数を数えるとこの映画館の定員は220名(横20席・縦11列)という事が分かる。席が埋まった率を7〜8割とすれば、150〜200人程度の人々が映画の中の世界に取り込まれたと考えて良いだろう。これだけの人数がほんの2時間程度の間に廃墟である「カスカベ座」に訪れ、映画に取り込まれたのだ。上映時間が2時間で取り込まれた人数が120人だと仮定すれば、1分に一人の割合で映画に取り込まれたことになる。しんのすけ以外の「かすかべ防衛隊」の4人、野原一家の4人、NO PLANの6人がそれぞれ同時に引き込まれている点や、他にもカップルや家族で引き込まれた人もあるようなので(名台詞シーンより考察)、実際の頻度は下がるとは言ってもやはり5〜6分に1件程度の割合で誰かがこの「カスカベ座」を訪れ、映画に引き込まれたことになる。
 もちろん野原一家は映画の中で700日以上も過ごしたわけだが(マイクはさらに625日)、これは映画の中の時間がほぼ停止していたので問題はない。それどころか映画の中で何日、いや何年過ごそうが、それを映画という形で見れば2時間とかで収まるのは当然である。例えば劇中で3年の映画があったら、それを上映するのも見るのも3年がかりなんてアホな話は何処にもないだろう。従って私のこの推理はかなり的を射ているのではないかと自画自賛している。

…帰って来た事を喜ぶ人々、だがしんのすけは「そうだ」とあることに気が付く。映画の世界で共に過ごしてきたつばきの姿が何処にもないのだ。しんのすけは必死になってつばきを探し始めるが…。
名台詞 「おーっ、シロ、久しぶり。そうかそうか、オラがいなくて寂しかったか。ごめんね。ようし、帰ったらすぐご飯あげるからな。」
(しんのすけ)
名台詞度
★★★
  下記名場面欄のシーンを受けて、「かすかべ防衛隊」の仲間達に脇を抱えられて生気を失った顔で出口へ向かうしんのすけ。そこにどこからともなく犬の鳴き声が聞こえる。すぐにしんのすけは「シロ?」と気が付き、出口の扉へと駆けて行く。そうすると扉が開いて飼い犬のシロがしんのすけに飛びついてくるのだ。そのシロと戯れながら、しんのすけはシロにこう言ったのだ。
 これは言うまでもなく物語の冒頭、野原一家が「カスカベ座」で行方不明になった「かすかべ防衛隊」の仲間達を探しに行くシーンの伏線回収だ。夕飯前に家を出て行くことになってしまったため、腹を空かせて飛びつくシロに「帰って来たらご飯あげるからな」と言い残して出てきている。そうして出かけていってなかなか帰らない飼い主を、シロは心配したのだろう。結局はこの映画館まで追いかけてきて、このラストシーンを演じることになった。
 そして冒頭のシーンとラストシーンをこの台詞によって上手くつなぎ合わせることで、実は映画の外ではたいして時間が経っていないという事実を見る者に印象付ける役割がこの台詞にはあるはずだ。「映画の中」ではしんのすけらは2年近い日々を過ごしていたが、まともにこれだけの時間が流れていればしんのすけは立派な小学生になっているはずだし、映画の外の人は野原一家を初めとする人々がいなくなって大騒ぎすることだろう。なによりも夕飯を後回しにして置いて行かれたシロが心配な視聴者も多く、もし空腹状態のシロが2年も置き去りにされたら、どうなるかは言うまでもない。だからここでシロが元気に登場することで、彼らが長きにわたって「映画の中の世界」にいた事実と、劇中での現実時間の誤差を埋めたのだろう。
 そしてしんのすけはシロの鳴き声で、この世界には残してきた者がいたことを思い出す。これはつばきに対してシロを心配する台詞を吐いた事に対する伏線回収だ。そのシロが置き去りにされつつも飼い主を追いかけ、ちゃんと愛情を示してくれたことでしんのすけはつばきとの別れのショックから立ち直り、元通りのしんのすけになれた。この台詞はしんのすけが元通りになったことを印象付ける役割も追わされているのだ。
 こうしてこの物語は無事に幕を閉じることが出来る。最後に皆が映画館から出て行き、「カスカベ座」の客席に誰もいなくなったところで、主題歌が流れ出すのだ。
名場面 かすかべ防衛隊 名場面度
★★★★
 しんのすけはカスカベ座の中につばきの姿がないことに気付き、館内を必死になって探し回る。これを見たひろしは「もしかして、つばきちゃん映画の中の人だったのか…」と呟き、風間が「僕らと違ってここにはいないんだ」と付け加える。その間もつばきを探すしんのすけの声が映画館に響く。
 そのしんのすけに風間が後ろから近付き、「つばきさんは映画の中だけの存在だったんだ、だからここにはいないんだよ」と事実を告げる。しんのすけは「ウソだ、一緒に帰るって約束したんだもん」と反論する。「でもここにいないってことは、やっぱり映画の中の…」と風間が言いかければ、しんのすけは「だったらオラ、映画に帰る」と叫んで今や何も写っていないスクリーンに突進、そして倒れる。
 その間にカスカベ座からは人々が去り、マイクもひろしに挨拶すると帰ってしまい、館内は野原一家と「かすかべ防衛隊」だけになる。スクリーンの前で倒れているしんのすけ、それを見守る「かすかべ防衛隊」の仲間達。7秒の沈黙を挟んでまず風間が「帰ろう」と声を掛ける。しんのすけは拗ねて「やだ、オラあっちの世界がいい」と返すが、風間は負けずに「何言ってんだよ、さんざん僕らに帰ろう帰ろうって言ってたくせに」と言う。ネネも「こっちの世界の方が楽しいって教えてくれたでしょ」と付け加えると、しんのすけは「つばきちゃんがいない世界なんて楽しくない」とさらに拗ねる。それに反応して「代わりと言っちゃ難だけど、僕たちがいる」とボーちゃんが声を上げ、マサオが「うん、かすかべ防衛隊!」と声を掛ける。そして全員が「帰ろう」としんのすけに声を掛け、しんのすけは風間とネネに抱きかかえられて出口へ連れて行かれる。
 最後の最後でしんのすけの立場が逆転した。この物語の主展開として違う世界で他人を演じる風間・ネネ・マサオに帰ることを訴え続けていたしんのすけは、いざ戻ってみると帰って来た事を後悔し戻りたいと訴え始める。その理由は映画の世界で恋物語を演じてきたヒロインであるつばきがこちらの世界にいなかったこと。つばきはヒーローに対するヒロインとして立派にヒーローの恋人を演じ、そしてヒロインらしく最後にはヒーローとの別れまで演じてしまうことになったのだ。
 もちろんこの事実に対するしんのすけの落胆は理解できる、しんのすけから見ればキチンと告白して良い返事をもらえた相手だ。ストライクゾーンを外しているとはいえ可愛いおねいさんである以上、これはとても嬉しかったことに違いない。そんな相手と一緒に自分達の世界に帰り、今後もずっと付き合える、そんな未来が突然断ち切られたのだ。
 それに対し「かすかべ防衛隊」の皆がしんのすけを説得する。彼らは何があっても一貫して春日部に戻り友情を取り戻す事に力を注いだしんのすけに感謝しているのは確かだ。だからこそ恋人を失いショックに陥っているしんのすけを力づけようとする。映画の中で居心地のよい配役を与えられ、それに染まりきっていた自分達を救ってくれたしんのすけが、つばきの消滅により映画の世界からの呪縛から解けずにいるのだ。だからこそ自分達が帰してあげようと考えたのだろう。
 こうして最後の最後でしんのすけの役割を逆にし、それに対して「かすかべ防衛隊」の皆がしんのすけに精一杯の感謝と友情を見せたことで、この映画は劇場版「クレヨンしんちゃん」では異色の「かすかべ防衛隊の友情物語」として見事に完成した。こうしてこの映画はラストシーンを残すのみとなる。
研究 ・映画の中の人々
 物語の最後で、実はつばきも映画の登場人物だったことが判明する。従ってつばき・ジャスティス・オケガワ・ジャスティス一派の悪党全て・クリスと用心棒と言った面々が本来の映画の登場人物だったと言える。このキャストから考えると、映画の中に足りなかったのはヒーローであり、このヒーローを演じてくれる人を探すために映画自身が人々をその中に取り込んだと考えることが出来る。
 つばきの役割はもちろんヒーローに対するヒロインであり、ヒーローの恋人役だ。だからヒーローが告白すればそれを受け入れることが役付けられており、また最後は「おやくそく」としてヒーローと別れを演じる事も役付けられていたのだろう。それだけではなくヒーローになるべき人物が、ヒーローになるためにオケガワとを結ぶ役割も背負っていたはずだ。こうして見るとつばきの役どころがハッキリしてきて、彼女が登場人物の側の人間だった事にも頷ける。
 しんのすけらによって映画が完結させられ、「カスカベ座」に戻ってこなかった彼らはどうなったのか? そのまま消えてしまったのか、それとも他の帰るべき場所に帰ったのか?
 私は後者だと考えている。彼らが映画の登場人物という事を考えれば、彼らも「俳優」という仕事を持った人間のはずだ。つまり彼らも何らかの形でこの映画の世界に取り込まれてしまったのだと思う、さらに彼らは取り込まれた時点で彼ら自身の記憶を全て失い、この映画で演じていた役にすっかり洗脳させられてしまったのだ。この点では春日部から「カスカベ座」を通じてきた人たちよりも悲惨だったのかも知れない。
 そして彼らはこの映画が完結させられて人々が「カスカベ座」に戻っていた頃、元の「俳優」に戻って他の映画の撮影に参加したり、はたまた私生活に戻ったりしていただけの話であると考えられる。
 ただこの映画の世界での記憶が残っているかどうかは…それは皆さんのご想像にお任せしたい。つばき役の少女だけはしんのすけとの仄かな恋を覚えていて欲しいなぁ、と私は思った。


・「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」の主題歌
「○(マル)あげよう」 作詞・内村光良とゆかいな仲間たち & 牧穂エミ 作曲/編曲・佐藤泰将 歌・NO PLAN
 正直言って「お笑い芸人の集まりユニットが歌っている」と知ったときはこの主題歌にあまり期待していなかったが、実際にこの映画が終わってこの曲がかかると実にいい雰囲気を出している。詩の内容が自分の現況と被っていることもあり、これがまた印象に残った点でもある。子供の頃の夢と現在の「平凡な人生」頑張っている自分を褒めてあげて、「○」をあげようという歌詞が今の自分にはぴったりはまった。「叶えるのが夢だけど 叶わなくても夢は夢さ」「人は変わって行くものだけど 人は変わらぬトコも良くて」なんて歌詞、最近の流行歌ではとんと聞かなくなったフレーズでもあり、久々にじーんと来た。
 曲の背景に流れる画像は、この曲のワルツ調のアレンジに合わせてしんのすけとつばきがワルツを踊っている光景が流されている。これもこの映画の余韻を味わうのにピッタリの内容で、劇中で演じられた二人の仄かな恋物語をうまく反芻できるようになっている。またこのしんのすけの表情がうまく再現されており、しんのすけの顔がこちらに向くと頬を赤らめつつも真面目な顔で踊っているのだが、斜め反対側を向くとあの臼井儀人作品独特の「斜め後ろを向いてニタァと笑う」表情に変化している。さらに踊っているときのつばきのちょっと恥ずかしそうな表情もよく、この映画での二人の関係を上手く再現していると思う。だからこそこの背景画でこの映画の余韻を味わい、内容を反芻することができるのだ。
 私がこれまで見た劇場版「クレヨンしんちゃん」の中では、「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」と並び最も素晴らしいエンディングだと思った。劇場版「クレヨンしんちゃん」は私が見た中での話ではあるが、エンディングの当たり外れの落差が大きいと感じている。ちなみに外れの方で印象に残っているのは「嵐を呼ぶ アッパレ戦国大合戦」のエンディングで、この映画は世間では評判が良いようだが、私にとってはエンディングの酷さだけでものすごく後味が悪くなって、劇場版「クレヨンしんちゃん」で最も印象が良くなかった作品となってしまった程だ(確かに本編の内容はとても良いのだが…)。

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