…翌朝、悪夢の正体を知った野原家や「かすかべ防衛隊」の面々はサキの家を訪れる。そこには正気を失い、暴れるサキの姿があった。 |
名台詞 |
「違う! 変わったんじゃない。変えてくれたの。私、悪夢を見なくて済むなら何でも良かった。みんなの夢を吸い尽くして、引っ越して、また吸い尽くして…。でも何処へ行っても、寝ているときも、起きているときも、いつも独りぼっち。もうずっと、ずっと寂しかったの!
私の夢はね、友達を作ること。やっと叶った……だからパパ、お願い。もうみんなを巻き込まないで、私を独りにしないで…。」
(サキ) |
名台詞度
★★★ |
サキの家を訪れた野原一家と「かすかべ防衛隊」の面々は、悪夢から覚め、暴れて「ユメミーワールド」の装置を破壊しているサキの姿を目にする。一行が来たことに気付いた夢彦は「お前らのせいだ!
これまで全て上手く行っていたのに、お前らのせいでサキが変わってしまった」と叫ぶ。これに対するサキの台詞がこれだ。
これがサキが今まで持っていた本心だ。自分がいると自分のためとはいえ、周囲の人々の「夢」が悪夢に変わってしまう…その周囲の人々はそれが自分のせいだとは思っていないにしても、サキはそうやって他人を傷つけていることに耐えきれなかったのだろう。だから彼女は、何処へ行っても周囲の人達から距離を置くことで対応するしかなく、結果いつも独りで事になってしまった。「ユメミーワールド」で父に守られている夢の中の世界だけでなく、現実世界においても。
そんな自分のためだけに他人が傷つけられるのは、サキにとっても本望ではなかったのだ。そしていつも独りでいることから生じたサキの望み…それが「友を作る」という夢となったという設定は無理がない。そしてその夢を叶えてくれた「かすかべ防衛隊」の面々をこれ以上傷つけたくない、サキのそんな思いが伝わってくる台詞として上手く完成していると思う。
やっと出てくるサキの本心…それが悪夢に心を侵されて正常心を失うところまで追いつめられてやっと出てきたという展開は、クライマックスへ向けての最大の盛り上がりどころと言っていいだろう。ゲストヒロインが最大のピンチに陥っている事実を示すと共に、主人公たちがこれをどう救うのかと映画館で見ている者達は座席から身を出して見る思いだ。こうして本作はこの台詞をきっかけに、最終局面へと物語が進んで行くのである。 |
名場面 |
おやすみなさーい |
名場面度
★★★ |
名台詞欄シーンで該当の台詞を吐くと、サキはそのまま倒れてしまう。「もう何も出来ることはない」という夢彦に対して、ネネが「サキちゃんの夢の中に入って悪夢をやっつけましょう」と反論、結果「かすかべ防衛隊」一行はサキの夢に入ることを決意する。「ユメミーワールドは消滅した」と反論する夢彦に対し「何かを訴える子供の眼差し攻撃」で反撃すると、一行は「かすかべ防衛隊ひみつきち」にしていた庭に敷物と枕と毛布を持ってきて寝床の用意を始める。捨ててあったソファに「かすかべ防衛隊ひみつきち」の看板を掲げ、夢彦が用意された寝床のひとつにサキを寝かせる。準備が出来るとしんのすけが「寝るゾ!」と高らかに宣言、それぞれが寝床について毛布を被るが…寝床に着いたしんのすけは隣の風間を見て頬を赤らめ、「お隣だね」と甘い声で語る。風間がこれにツッコミを入れると、ネネは隣で眠るサキに「待っててね」と声を掛ける。そして全員で「おやすみなさーい!」と声を上げると、一同は眠りにつく。
これはこの手の映画で主人公勢力が決戦の地へ赴くシーンであるのだが…そのシーンが「枕と毛布を用意して眠りにつく」という光景で描かれている点に、妙なアンバランスを感じるところであろう。「眠る」といっても「かすかべ防衛隊」一行は真面目な決意に満ちた表情で統一されていて、「寝る支度」をしているシーンなのに不思議な緊張感があって面白い。その間にもキチンとしんのすけと風間が「クレヨンしんちゃん」らしいギャグを挟んでいて、「この映画がなんの作品なのか」は忘れないように作ってあるのも面白い。そして決戦の地に赴く合い言葉が「おやすみなさい」という就寝の挨拶なのは、「夢」をテーマにした本作らしくて印象的なところだ。
しかし、皆が同じ場所で寝るだけなのにわざわざ屋外で寝る必要があるのか?なんて思う人は、皆が寝ている場所が「かすかべ防衛隊」のひみつきちであることを忘れているのだろう。ここはサキが「友を作る」という夢を叶えた地でもあり、「かすかべ防衛隊」とサキが友情を育んだ大切な場所なのだ。だからこそ彼らは屋外なのに、皆で寝る場所にここを選んだのだ。 |
研究 |
・サユリの死亡事故 ここではサキの母であるサユリが既に故人であることが明確になる。夢彦の回想としてサユリの最期が描かれているが、その内容は「事故死」という事になりそうだ。
その事故は研究施設で「ユメルギー」の実験を行っている際に起きたようだ、何らかのかたちで集積した「ユメルギー」の制御に失敗し、「ユメルギー」を集積した装置が爆発事故を起こしたという理解で良いだろう。この際に装置が設置されている部屋にサキが無断で侵入した事に気付き、装置の爆発時にサユリがサキを庇ったために致命的な重傷を負って死去に至ったと考えて良いだろう。
前述したように、この物語世界では「ユメルギー」というのは「夢の力」であると同時に、何らかの形で物理的な仕事をする「エネルギー」の一種であると考えられる。この前提に立ってサユリが事故死した時に何をしていたかと、どうして「爆発事故」に至ったのかを推測するのが今回の本欄の趣旨だ。
夢彦がサキの悪夢を除去するために作った「ユメミーワールド」の存在から、夢彦とサユリの研究内容は「誰かの特定の夢を不特定多数が同時体験出来るシステム」の考案と作成だろう。その研究の目的として、テレビや映画に代わる新しいエンターテイメントとして「夢」で見せるコンテンツを開発することが目的であろうことが推測される。夢彦の研究室にあるのはそのための装置であり、これによって街の人々全員が「サキが見ている夢を見る」という形で夢を共通体験していると推測される。
恐らくサユリの事故の段階では、このシステムの論理構築は既に終わっていて「試作品」も完成していて、その試作品を使った実験が行われている段階だったと推測できる。何らかの形で「ユメルギー」のこの試作品に注入し、これを安全確実に保管できるかどうかのテストをしていたのだろう。このテスト中に「ユメルギー」が暴走の結果膨張して、「ユメルギー」を注入した格納容器が破裂した…というのが本爆発事故の過程と見ていい。
こうして見ると「ユメルギー」というのは特定の条件で「膨張」するのは確かだ。「ユメルギー」が物理的な仕事をさせる性質がある以上、体積と密度を持った「物質」の状態で保管されるのは確かだ。その材質はともかく、その「物質」が温度や湿度、あるいは他も含めてとにかく条件が揃えば急激に密度を下げようとする特性があるのだろう。密度を下げると体積が増やす「膨張」が発生するので、「膨張圧」という力が生まれる「物理的な仕事」をすることになる…これが劇中で描かれた「ユメルギー」の膨張で、事故時に夢彦が「ユメルギー値、Dプロセス」という「ユメルギー」が暴走した状態なのだろう。この「膨張圧」が「ユメルギー」の保管容器を内側から破壊したのだ。
もちろん、このような事故が想定されていたことも該当回想シーンの夫婦の会話から解る。夢彦が「ユメルギー値、Dプロセス」と「ユメルギー」の暴走を宣言すると、サユリは(恐らくは「ユメルギー」注入の)停止操作をするが既に暴走状態は止められず、これによる爆発(正しくは格納容器の破裂)が予測された段階で「隔壁を降ろして」と叫んでいる。つまり爆発事故を想定した隔壁がこの格納容器が設置されている実験室に備わっていたのは確かだ。これで格納容器破裂による事故を食い止めるはずだったが、唐突なサキの侵入で隔壁を閉じることが出来なかったと考えられる。こうなってしまうとサキを助けるには誰かが身を挺してサキを守るしかない。
ちなみに考えられるサユリの死因は、破裂した格納容器の破片が直撃したことによる外傷等だ。恐らく「ユメルギー」は物理的な仕事をしても、熱を持っていないと考えられるので火傷などではないと推測される。いずれにしても悲惨な死亡事故で、私が気になるのは夫婦にこの研究を託した誰か(大企業や大学、または政府などの様々な機関が考えられる)がこの事故の補償をしたのだろうか?という現実的な問題だ。恐らく労災認定はされたと思うけど…。 |