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…その夜の就寝前、ひろしとみさえは夢の中でサキをどのように救い出すかをについて考えた挙げ句、子供になりきる事を思いつく。一方、夢彦はいつも通りにユメミーワールドを起動し、野原一家を迎え撃つ。
名台詞 「やめてパパ。私、バクを探しに行くの。ここから出して!」
(サキ)
名台詞度
★★
 夢の中でしんのすけとひまわりとシロが夢彦と対決する。ひまわりとシロは魚の外に吸い出されてしまうと、夢彦は「貴重なユメルギーだがやむを得ん」としんのすけの前に立ちはだかる。その時にサキが夢彦の後ろで叫んだ台詞がこれだ。
 これまで父親に従順だったサキが始めて逆らった台詞であることは言うまでもない。しんのすけを友と認め信頼し、共に悪夢という問題を誰も傷つけずに解決しようと立ち上がったサキはもう以前のサキではないということを強く印象付ける台詞だ。そしてこの台詞から物語は新たなステージ「夢の中でのバク探し」に流れてゆく。「夢を食べる」という伝説の生き物、バクをダシにした後半展開の主軸へと物語が転換するきっかけであろう。もちろんこの台詞に至るまで、ここでの解説では省略していたがサキが大事に持っているバクのぬいぐるみ、このぬいぐるみに込められた母の想いというのが伏線になっていたことも見落としてはならない。
名場面 旅立ち
名場面度
★★★★
 名台詞欄シーンを受けて、しんのすけが「お取り込み中ちょっと失礼」を声を上げるが、既に彼は夢の世界の動物たちに取り囲まれて万事休すだ。夢彦が「ふんっ、お前に出来ることはなにもない。サキを助けたいなら、黙ってユメルギーを吸わせろ!」と叫ぶと、しんのすけは「うん、いいよ」と返して足下の夢玉を放り投げる。動物たちはこれに釣られて行ってしまうと、しんのすけはサキの名を叫びながらサキの方へ飛んで行く。一方のサキも笑顔でこれに答え、しんのすけの元へ飛んで行く。空中で二人が手を釣り合う、「さあ、行こう!」「うん!」と二人の最小限の会話に続いて、夢彦がサキの名を叫びながら迫ってくる。だがしんのすけはサキの手を取ったまま「じゃ、そういうことでー」と語りながら、ひまわりやシロが吸われて魚の外に放り出されたパイプへと飛んで行く。二人に追いつけずにパイプの前で「くそ!」と叫ぶ夢彦。しんのすけとサキは魚の外に放り出され、手を繋いだまま回転させられ、そして悪夢の世界の地面へと墜ちて行く。そこを先にこちら側に来ていたひまわりに助けられる。
 本作の象徴的な名場面のひとつと言って良い。しんのすけがサキを救うべく夢の世界のサキの前に現れたことで、二人の信頼関係はさらに深くなって手を取り合って悪夢の世界へ旅立つ。この本作の場面展開をここではとても印象的に描いた。しんのすけとサキが手を取り合うところでは、このシーンを空中に描いたのはとても印象的で、「夢の世界」と割り切っていることで現実世界に縛られることのない自由な発想での描写に力が注がれたのは確かだ。空の上で二人が手を取り合ったことと、同時に空中シーンも背景が黄昏時のような空の色であることが、他の作品にはない不思議な空間として出来上がっている。
 そしてそれに続く、二人が手を繋いだまま魚の外に吸われ、悪夢の世界へと墜ちて行くシーンは「ここからは冒険の物語」である事を上手く示唆している。二人が手を繋いだまま回転させられたり、地面に墜ちて行くシーンはとても派手に描かれていて、視る者の不安と期待を上手く煽ってくる。
 いずれにしても、二人が空の上で手を取り合い、そして手を繋いだまま墜ちて行くシーンはアニメだからこそ出来るととても印象的なシーンで、私はとても気に入った。
研究 ・ 
 。

…悪夢に墜ちたしんのすけとサキは、先に悪夢に落ちていたひまわりに助けられる。ひろしやみさえと合流すると、しんのすけらはサキとバク探しの旅へ、野原夫婦は夢彦との戦いへと進む。
名台詞 「もう、何言ってんの? サキちゃんも防衛隊でしょ?」
(しんのすけ)
名台詞度
★★★
 野原夫婦は「巨大な魚」の中で夢彦の襲撃に成功し、魚のコントロールを奪ってこれを暴走させることに成功する。「巨大な魚」に追われる形だったしんのすけらは、スマートになったシロに乗って逃げていたが、これで当面の危機を脱する。「巨大な魚」が暴走して地面に突っ込んだのを見届けたサキは「しんちゃん…ありがとう、来てくれて」と語り出す。「当然でしょう、オラかすかべ防衛隊だもん」と返すしんのすけにサキは「そうだね、すごいねしんちゃんは」と続け、これに対するしんのすけの返事がこれだ。
 この短い台詞に、夢の中までサキを助けに来たしんのすけの思いが全部込められたと感心した台詞だ。しんのすけがサキを助けに来たのは、「かすかべ防衛隊」のメンバーであり自分の仲間だから。そしてその元を辿るとサキが「かすかべ防衛隊」のメンバーになったのは、「いつも一人でいて寂しそう」と手をさしのべたから。サキが出した「かすかべ防衛隊」に加入する条件は、「自分を嫌いにならないでほしい」というものであること。そしてそもそもの問題として「かすかべ防衛隊」とサキが出会ったのは、「同じようち園の同じクラスにやってきた」という運命的な出会いから…。
 しんのすけはここまでの物語の繋がりに忠実に動いて、サキを助けに来たのだ…サキが一人で寂しそうだから、サキを嫌いにならないと約束したから…だから一人にしてはいけないし困っていたら助けなきゃならない。たったこれだけの話だけど、ここまでの展開を見るとこれだけのことを守ることがどんなに困難かは他の「かすかべ防衛隊」のメンバー達が演じている裏でのこの台詞だ。その中で一人しんのすけが主人公らしく振る舞ったことでゲストヒロインが救われる展開へと進む、重要な一言なのだ。
 この台詞に対するサキの返答は、「私も? 防衛隊でいいの?」というもの。これはしんのすけのそこまでの思いを受け取った上で、「自分はその思いを裏切った」という自覚がある事を示している。だけどその後の会話で二人は、自分たちの共通点をうまく見つけて「友に戦える友」であることを認識するに至るのだ。
名場面 ピュアハートを取り戻せ 名場面度
★★
 子供になりきることで何とかユメミーワールドの「巨大な魚」内部に侵入できることが出来た野原夫妻だが、だがその内部の何処に夢彦がいるのか分からず、その会話から二人は口論を始めてしまう。口論となっている間に二人の夢玉はどんどんしぼんで行き、その上に乗る形であった二人はバランスを崩す。「ピュアハートを取り戻すのよ!」とみさえが叫び、「ピュアハートって、どうすりゃいいんだよ?」とひろしは狼狽える。するさみさえが手本とばかりに「キラキラパワーフルスロットル! 魔法少女ピュアピュアみさぴょん!」と自分がなりきっているキャラクターのポーズを決めると、夢玉が巨大化したと思うとこれが一輪車に変化する。「風が呼ぶ、人を呼ぶ、夢が呼ぶ! 正義の味方ひろし仮面参上!」とひろしが決めると、ひろしのゆる玉は巨大化したと思うと三輪車に変化する。こうして「足」を手に入れた夫婦は、夢彦がいると思われる魚の頭を目指して疾走する。
 いよいよ野原夫婦による夢彦への反撃が始まるわけだが、この際に「巨大な魚」の中に入って夢彦に近付くには「子供になりきって夢のエネルギーを信じる」ことが重要だとして、彼らはその服装か子供になりきろうとする。そしてそれだけでなく、二人がそれぞれ「正義の味方」と「魔法少女」を本気で演じるのがとても面白くて印象に残ったシーンだ。このような長編作品では、登場人物が「何かに変装する」シーンでは短時間にいかにこれを印象付けるかはとても重要だ。この印象付けに失敗すると「そもそも彼らはなんで変装したのか」という問題になってしまい、物語が盛り上がらなくなる。この作品ではこのシーンの前提に「大人は子供になりきらないと話が進まない」という問題を据え、その上で二人にただ子供を演じさせるのでなく、徹底的に「子供が作り出したキャラクター」を演じさせるのだ。特にみさえについては、過去の劇場版作品で「魔法少女願望」がある設定がされていた(2001年作品「オトナ帝国の逆襲」や2005年作品「3分ポッキリ大進撃」等)ので、これをうまく活用したかたちだ。ひろしについては前時代的な「ヒーローになりきった子供」をお演じさせることで「らしさ」をうまく出したと思う。
 そしてここからひろしとみさえが劇中で演じる「子供」は、本来の子供の姿からちょっと外れていることで視ている者の笑いを引き出し、この物語を盛り上げる重要な要素になっている。その最初のシーンということでとても印象に残ったシーンなのだ。
研究 ・ユメミーワールド(その5)
 今回部分では「ユメミワールド」についてさらに新たな事が解る。それは夢の中の世界にある「巨大な魚」が、夢彦によって「操縦されている」という事実だ。つまりあの「巨大な魚」はサキが見ている悪夢世界に「正のユメルギーに満ちた空間」を構築すると同時に、悪夢世界の中を自由自在に移動して悪夢世界の各所にいる人々の元へ赴き、場合によっては「喰う」というかたちでその人を取り込み「正のユメルギー」を吸収するということだ。
 そしてこの「巨大な魚」=「正のユメルギーに満ちた空間」が移動するからこそ、誰かの意思で動くようにしてあるというのが正解だろう。これはサキが見ている悪夢の中でのことだから、さすがに夢彦がその操縦を専有するようには出来なかったのだと考えられる…つまりサキの夢である以上、サキの意思がどうしても介在してしまうということだ。だから「正のユメルギー空間」を「魚」の形でインストールする際、その空間を外部の誰かが自由意思で動かせるように操縦設備一式もプログラミングしたのだろう。こうすることでこの空間はサキの意思とは別に移動することは出来るようになったが、同時に操縦を乗っ取れば夢の中に入った人の誰もが操ることが出来るという欠点まで抱えてしまった訳だ。
 ちなみにこの空間が「巨大な魚」の形にされた理由は、1に以前話したように人々が「正のユメルギー」の空間に入るために「誰もが経験したことのない夢」として魚に喰われる(=死ぬ)夢にする必要があったこと、そしてもう一つは「誰もが知っている形」にする必要があったからである。悪夢世界の中を自由自在に動き、かつ「人々を喰う」という体験を来た人にさせるには、行き着く形は「生物のかたち」になる。そして「魚」であればどんな人でもその形はイメージ出来るはずだ。いくらユメミーワールドとはいえ、その世界に入り込んだ人が知らない形というのは「入り込んだ人」にとってはイメージできないので、万人がイメージできる形であることが必要なのだ。だから魚でも具体的な種類は特定しておらず、魚のイメージとしてこの空間の形を作ったのだ。

…その頃、「かすかべ防衛隊」の他メンバーは悪夢に苦しんでいた。
名台詞 「自分の…自分の娘を守るのに、きれい事など言ってられん。たとえ世界中が不幸になろうが、私は自分の娘を守る!」
(夢彦)
名台詞度
★★★★★
 野原夫妻は「巨大な魚」のコントロールを奪った後、なおも夢彦の行為を止めるべく彼を取り押さえていた。夢彦はその二人をふりほどいて「ふざけるな!」と怒鳴る。これに「あんたがふざけるなよ! あの娘の気持ち分かってんの?」とみさえが返すと、その返答として夢彦が力を込めて返した台詞がこれだ。
 夢彦がもつキャラクター性と「父性」がこの台詞に上手く込められている。研究一筋でそれ以外のことについては不器用な夢彦だが、この台詞から娘に対する気持ちはキチンと持っていてそれが人一倍強いことも上手く表現されている。その娘に対する気持ちの発露が、苦しんでいる娘を救うためなら他人を傷つけることを厭わない不器用かつ他の誰に寝真似が出来ない対処法として現れたのが、これらの一件なのだ。
 そしてこの台詞、娘を持つ父親なら誰でも理解できる台詞だと思う。ここまで多くの観覧者は「夢」を通じて関係ない人々を恐怖と混乱に陥れた夢彦の行為に疑問を持っていたはずだが、この台詞で少なくとも「娘がいる」という夢彦と共通点を持った人々は突然彼を理解するようになるだろう。娘のピンチには何が何でも守ってやらねばならない…これは「娘を持つ父」の誰もが持っている「父性」であり、これを書いている私も持ち合わせている嘘偽りのない思いだ。夢彦が起こしたこの事件はその結果であり、「やりすぎ」とは感じる向きはあってもその気持ちは理解できるようになるのだ。
 これは劇中のひろしやみさえについても同じだ。夫妻はこの台詞を聞いて一時狼狽えるが、これは彼らもその台詞が「自分たちも持っている思い」である事に気付いたのだと解釈するべきだ。だが二人はこの思いに気付いたところで夢を失いかけたので、「ピュアハート」で気持ちを切り替えて対処する。
 夢彦の行動理念は「娘を持つ父」であれば誰もが持っている普遍的なものであり、彼はあくまでも「夢に冠する知識や技術力がある」点以外は至って普通の人なのだ。その「普通の人」がこんな事件を起こしていることが明白になったと言う点でとても印象的な台詞だ。同時にこの台詞の気持ちは自分も持っているという点でも、印象に残った台詞なのは確かだ。
名場面 悪夢との戦い 名場面度
★★★★
 悪夢世界で「かすかべ防衛隊」のメンバーらと合流したしんのすけらは、悪夢世界でバクを探す旅に出る。しんのすけとサキは夢によってスマートになったシロに乗って、他のメンバーは夢によって巨大化したひまわりの背中に乗っての旅だ。だがすぐに悪夢がこれを阻止すべく反撃を開始する、最初は前時代的な暴走族が現れて追跡を受けるが、暴走族は巨大化したひまわりに車を破壊され、最後までしつこく追跡してきた1台はひまわりの屁によって爆破され撃退される。それも束の間、今度は一行を1人の男が追ってくる。この男は裸で「安心してくださーい」と叫んでいる…その男はゲストキャラの「とにかく明るい安村」だ。「は、穿いてるのよね?」とネネが突っ込むと、「とにかく明るい安村」は分身して大勢となり「穿いてませんよー」と例のポーズで迫ってくる。何十人にも分身して例のポースを取りながら迫る「とにかく明るい安村」の大群を見て、しんのすけが「最悪の悪夢だゾ!」と叫ぶ。そこでサキが前方に崖が迫っているのに気付く。「どうすんのよ!?」と「かすかべ防衛隊」一行はパニックだ。「ジャンプだ! シロ!」としんのすけが叫ぶ、シロが泣きながら首を振る、「安心してくださーい」と例のポーズで迫り来る「とにかく明るい安村」の大群…迫ってきた崖にシロは加速してジャンプ…シロはなんとか崖の下にある谷間を飛び越えて反対側の崖に取り付く。だが決心の付かなかったひまわりは崖の手前で急ブレーキ、そして「とにかく明るい安村」の大群に押されて「かすかべ防衛隊」のメンバーもろとも崖下に転落してしまう。「ひまーっ!」としんのすけが叫ぶが、ひまわりはすぐに反対側の崖を登ってくる。「かすかべ防衛隊」の面々も無事だ。
 物語が「冒険もの」に転換したここでは、主人公チームのピンチを描くことはとても重要だ。ピンチがあることで物語に緩急が生まれるし、視る者を物語に引き込む事になるからだ。そのセオリーに従って本作でもここで主人公チームがピンチに陥るが…このピンチを面白おかしく、かつ真剣なピンチとして上手く描いたと感心させられた。
 最初に出てくる「前時代的な暴走族」は、どちらかというと本作を子供と一緒に見に来た親たちに向けてピンチを示唆しているだろう。恐らく今の子供達があんな暴走族を見せられても「怖い」とは思わない。だから一緒に見ている親たちを不安がらせ、その表情を見た子供が不安がるという構図に持って行ったのだ。そしてこの解決過程は「クレヨンしんちゃん」らしい「ひまわりが屁をこいて解決」という、「クレヨンしんちゃん」らしい解決法にしたのは、本作がなんの映画か明確にするという意味もあったであろうし、続いてのギャグを通じてピンチを描くシーンへの説得力でもあると思う。
 そして「とにかく明るい安村」を使ったピンチでは、ギャグとピンチの両面をバランスを取りながら本当に上手く描いたと感心した。「とにかく明るい安村」という芸人の芸やそのキャラクター性をうまく「クレヨンしんちゃん」の中に落とし込み、本作の世界観を壊さずにゲストキャラを上手く使ったと感心するばかりだ。「とにかく明るい安村」の大群に追われるという展開は、「クレヨンしんちゃん」だからこそ「ギャグ」でもあり「ピンチ」でもある面白いシーンに仕上がるのだ。正直「クレヨンしんちゃん」でお笑い芸人をゲストキャラで使うケースでは「これは失敗」「物語展開上邪魔でしかない」と思うケースの方が多いが、本作の「とにかく明るい安村」起用については大成功だと、このシーンを見て心から思った。何よりも彼の起用に際して、彼の芸を見せるシーンでキチンと専用BGMを使っているのが大きいと思う。
 「クレヨンしんちゃん」の映画では、スポンサーやテレビ局の都合で時の流行の芸人を使わねばならない「オトナの事情」があるのは重々承知だ。だからこそ今後もそのような場合、このシーンを参考に彼ら芸人を上手く使って欲しいと願わずにいられないシーンだ。
研究 ・ 
 。

…なんとかピンチを乗り切った「かすかべ防衛隊」一行は、さらにバクを探す旅を続けるが、ひまわりとシロが疲労によって夢を見続けられなくなって、歩いて移動するしかなくなる。一方、ひろしとみさえは夢彦との戦いを続けている。
名台詞 「ごめん……………ごめんなさい。」
(サキ)
名台詞度
★★
 悪夢に襲われるピンチで、ひまわりの夢が途切れていつものサイズに戻ってしまったため、今度は風間の夢に出てくる選挙カーをスマートになったシロに牽かせての旅になった。だが何処まで行ってもバクが見つからない不安と苛立ちで、一同は無言のまま選挙カーの演台上で周囲を見つめている。そして遂に苛立ちを募らせたネネがサキのところへ言って、「また黙りなの?」とサキを問い詰める。サキは驚いた表情を見せた後で神妙な表情に変化し、たった一言謝罪のこの台詞を吐く。
 しんのすけによって心を開かされたサキの「変化」というのを、たった一言で再現したと感心してしまった。これまでのサキなら謝ることはしないだろうし、自分の正当性を訴えるために色々並び立てたに違いない。だけど今のサキにあるのは、結果的に仲間を裏切り傷つけてしまった反省だけだ。そんな裏切った仲間をまたこんな宛のない旅に誘い出して困らせ続けている…サキは「バクを見つけ出さねばならない」という気持ちと同時にこんな思いを持っていたはずなのだ。ネネが苛立ちを募らせればもう言うことはひとつしか無い、そんなサキの思いが上手く再現されている。
 そしてこのような謝罪の言葉を言うときの気持ちが、この台詞を言う際の「間」としてうまく再現されている。ネネが問い詰めてからサキが最初に「ごめん」というまでの間、サキの一度目の「ごめん」と二度目の「ごめんなさい」のいう間の間、ここにしんのすけ以外の「かすかべ防衛隊」メンバーの反応を挟むことで、この台詞をきっかけにサキは再び「かすかべ防衛隊」の仲間達に受け入れられることに説得力を持たせていると思う。余計な言葉はなくサキの「反省」と「覚悟」が皆に伝わり、なんとかサキを救おうと一致団結を始める。この台詞を含むシーンがなければそこへ至る説得力はなくなって本作は駄作になっただろう。
名場面 身も心もピュアピュア! 名場面度
★★
 野原夫妻と夢彦の戦いにおいて、夢彦が「なぜ大人にこれほどのユメルギーが…」と呟く。するとみさえが「私たちだって子供のためなら何でも出来るわ」と叫び返したの続いて、「とくと見やがれ」さ叫んだひろしがズボンを下ろして夢彦に股間を見せる。「つるつるだと!?」と驚く夢彦に、「1本残らず剃り上げてやったぜ」とカミソリを掲げるひろしと、「身も心もピュアピュアなんだもん」とポースをつけるみさえ。
 ここが本作で一番笑ったところだ。陰毛を剃れば子供に戻るって…現実的にはあり得ないけど気持ちは分かるシーンだ。
 それにしても、私が本作を映画館で見ているとき。このシーンで近くにいた家族連れの男の子が「みさえは剃ってないの…?」って親に聞いていた。親は返事に困っていたけど…そのやりとりが聞こえた私は、さらなる笑いを堪えるのに必死だった。
研究 ・悪夢世界
 「かすかべ防衛隊」の一行はバクを探すべく、サキと共に悪夢の世界を旅している。ここではこれについて考察してみよう。
 この悪夢というのは本来サキが見ている夢のはずであることは、この研究考察をお読み頂いた方には理解できていることであろう。サキが見ている夢に様々な人々が入ってきているというのが、本作で描かれている悪夢世界であるはずだ。
 だからこの悪夢世界の背景に様々な物体が写っているが、これは全てサキの悪夢に「ユメミーワールド」によって取り込まれた人々が見た破片なのだ。「ユメミーワールド」に取り込まれて巨大な魚から吐き出された人々が、このサキの悪夢の世界で自分の悪夢を見た結果であり、たとえば名台詞シーンの少し前で出てくる墜落した飛行機の残随は、誰かが飛行機が墜落するという悪夢を見た結果だと解釈すれば良い。崩壊した都市風景のようなものは、自然災害や先妻の夢を見た人がいるということだろう。建物が全部ハリボテなのも、「何らかのストーリーで逃げ込んだ建物がハリボテだった」という夢を見た人がいるのかも知れない。
 そしてサキの夢に出てくるバケモノが、不定型な形でもって襲ってくることで人々が悪夢に陥りやすいように出来ていることだろう。たとえばこの悪夢世界で風間が母親に尻を叩かれている悪夢が再現されているが、この風間の母親は言うまでもなくバケモノが変身したものである。ネネを取り囲むアイドルヲタクも、マサオにむち打つ鬼雑誌編集者も同じであろう。物語を遡ると出てきていたミッチー&ヨシりんの悪夢に出てくるそれぞれのパートナーや、ひろしの悪夢に出てきた会社後輩の川口、みさえの悪夢に出てきた「ツケの請求をするカリスマホスト」も同じだ。
 こうやって他人にも悪夢を見せてしまうほど、サキの悪夢が持つ「ユメルギー」…つまり私の研究で言うところの「負のユメルギー」はとても強いのだ。恐らく医科学的に考えればこれはPTSDの一種として処理されるべきなんだろうけど…そういう病気が治せるのなら「ユメミーワールド」っていうのは夢のシステムなんだなーと、つくづく思う。

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