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…その夜の就寝前、ひろしとみさえは夢の中でサキをどのように救い出すかをについて考えた挙げ句、子供になりきる事を思いつく。一方、夢彦はいつも通りにユメミーワールドを起動し、野原一家を迎え撃つ。
名台詞 「やめてパパ。私、バクを探しに行くの。ここから出して!」
(サキ)
名台詞度
★★
 夢の中でしんのすけとひまわりとシロが夢彦と対決する。ひまわりとシロは魚の外に吸い出されてしまうと、夢彦は「貴重なユメルギーだがやむを得ん」としんのすけの前に立ちはだかる。その時にサキが夢彦の後ろで叫んだ台詞がこれだ。
 これまで父親に従順だったサキが始めて逆らった台詞であることは言うまでもない。しんのすけを友と認め信頼し、共に悪夢という問題を誰も傷つけずに解決しようと立ち上がったサキはもう以前のサキではないということを強く印象付ける台詞だ。そしてこの台詞から物語は新たなステージ「夢の中でのバク探し」に流れてゆく。「夢を食べる」という伝説の生き物、バクをダシにした後半展開の主軸へと物語が転換するきっかけであろう。もちろんこの台詞に至るまで、ここでの解説では省略していたがサキが大事に持っているバクのぬいぐるみ、このぬいぐるみに込められた母の想いというのが伏線になっていたことも見落としてはならない。
名場面 旅立ち
名場面度
★★★★
 名台詞欄シーンを受けて、しんのすけが「お取り込み中ちょっと失礼」を声を上げるが、既に彼は夢の世界の動物たちに取り囲まれて万事休すだ。夢彦が「ふんっ、お前に出来ることはなにもない。サキを助けたいなら、黙ってユメルギーを吸わせろ!」と叫ぶと、しんのすけは「うん、いいよ」と返して足下の夢玉を放り投げる。動物たちはこれに釣られて行ってしまうと、しんのすけはサキの名を叫びながらサキの方へ飛んで行く。一方のサキも笑顔でこれに答え、しんのすけの元へ飛んで行く。空中で二人が手を釣り合う、「さあ、行こう!」「うん!」と二人の最小限の会話に続いて、夢彦がサキの名を叫びながら迫ってくる。だがしんのすけはサキの手を取ったまま「じゃ、そういうことでー」と語りながら、ひまわりやシロが吸われて魚の外に放り出されたパイプへと飛んで行く。二人に追いつけずにパイプの前で「くそ!」と叫ぶ夢彦。しんのすけとサキは魚の外に放り出され、手を繋いだまま回転させられ、そして悪夢の世界の地面へと墜ちて行く。そこを先にこちら側に来ていたひまわりに助けられる。
 本作の象徴的な名場面のひとつと言って良い。しんのすけがサキを救うべく夢の世界のサキの前に現れたことで、二人の信頼関係はさらに深くなって手を取り合って悪夢の世界へ旅立つ。この本作の場面展開をここではとても印象的に描いた。しんのすけとサキが手を取り合うところでは、このシーンを空中に描いたのはとても印象的で、「夢の世界」と割り切っていることで現実世界に縛られることのない自由な発想での描写に力が注がれたのは確かだ。空の上で二人が手を取り合ったことと、同時に空中シーンも背景が黄昏時のような空の色であることが、他の作品にはない不思議な空間として出来上がっている。
 そしてそれに続く、二人が手を繋いだまま魚の外に吸われ、悪夢の世界へと墜ちて行くシーンは「ここからは冒険の物語」である事を上手く示唆している。二人が手を繋いだまま回転させられたり、地面に墜ちて行くシーンはとても派手に描かれていて、視る者の不安と期待を上手く煽ってくる。
 いずれにしても、二人が空の上で手を取り合い、そして手を繋いだまま墜ちて行くシーンはアニメだからこそ出来るととても印象的なシーンで、私はとても気に入った。
研究 ・ 
 。

…悪夢に墜ちたしんのすけとサキは、先に悪夢に落ちていたひまわりに助けられる。ひろしやみさえと合流すると、しんのすけらはサキとバク探しの旅へ、野原夫婦は夢彦との戦いへと進む。
名台詞 「もう、何言ってんの? サキちゃんも防衛隊でしょ?」
(しんのすけ)
名台詞度
★★★
 野原夫婦は「巨大な魚」の中で夢彦の襲撃に成功し、魚のコントロールを奪ってこれを暴走させることに成功する。「巨大な魚」に追われる形だったしんのすけらは、スマートになったシロに乗って逃げていたが、これで当面の危機を脱する。「巨大な魚」が暴走して地面に突っ込んだのを見届けたサキは「しんちゃん…ありがとう、来てくれて」と語り出す。「当然でしょう、オラかすかべ防衛隊だもん」と返すしんのすけにサキは「そうだね、すごいねしんちゃんは」と続け、これに対するしんのすけの返事がこれだ。
 この短い台詞に、夢の中までサキを助けに来たしんのすけの思いが全部込められたと感心した台詞だ。しんのすけがサキを助けに来たのは、「かすかべ防衛隊」のメンバーであり自分の仲間だから。そしてその元を辿るとサキが「かすかべ防衛隊」のメンバーになったのは、「いつも一人でいて寂しそう」と手をさしのべたから。サキが出した「かすかべ防衛隊」に加入する条件は、「自分を嫌いにならないでほしい」というものであること。そしてそもそもの問題として「かすかべ防衛隊」とサキが出会ったのは、「同じようち園の同じクラスにやってきた」という運命的な出会いから…。
 しんのすけはここまでの物語の繋がりに忠実に動いて、サキを助けに来たのだ…サキが一人で寂しそうだから、サキを嫌いにならないと約束したから…だから一人にしてはいけないし困っていたら助けなきゃならない。たったこれだけの話だけど、ここまでの展開を見るとこれだけのことを守ることがどんなに困難かは他の「かすかべ防衛隊」のメンバー達が演じている裏でのこの台詞だ。その中で一人しんのすけが主人公らしく振る舞ったことでゲストヒロインが救われる展開へと進む、重要な一言なのだ。
 この台詞に対するサキの返答は、「私も? 防衛隊でいいの?」というもの。これはしんのすけのそこまでの思いを受け取った上で、「自分はその思いを裏切った」という自覚がある事を示している。だけどその後の会話で二人は、自分たちの共通点をうまく見つけて「友に戦える友」であることを認識するに至るのだ。
名場面 ピュアハートを取り戻せ 名場面度
★★
 子供になりきることで何とかユメミーワールドの「巨大な魚」内部に侵入できることが出来た野原夫妻だが、だがその内部の何処に夢彦がいるのか分からず、その会話から二人は口論を始めてしまう。口論となっている間に二人の夢玉はどんどんしぼんで行き、その上に乗る形であった二人はバランスを崩す。「ピュアハートを取り戻すのよ!」とみさえが叫び、「ピュアハートって、どうすりゃいいんだよ?」とひろしは狼狽える。するさみさえが手本とばかりに「キラキラパワーフルスロットル! 魔法少女ピュアピュアみさぴょん!」と自分がなりきっているキャラクターのポーズを決めると、夢玉が巨大化したと思うとこれが一輪車に変化する。「風が呼ぶ、人を呼ぶ、夢が呼ぶ! 正義の味方ひろし仮面参上!」とひろしが決めると、ひろしの夢玉は巨大化したと思うと三輪車に変化する。こうして「足」を手に入れた夫婦は、夢彦がいると思われる魚の頭を目指して疾走する。
 いよいよ野原夫婦による夢彦への反撃が始まるわけだが、この際に「巨大な魚」の中に入って夢彦に近付くには「子供になりきって夢のエネルギーを信じる」ことが重要だとして、彼らはその服装か子供になりきろうとする。そしてそれだけでなく、二人がそれぞれ「正義の味方」と「魔法少女」を本気で演じるのがとても面白くて印象に残ったシーンだ。このような長編作品では、登場人物が「何かに変装する」シーンでは短時間にいかにこれを印象付けるかはとても重要だ。この印象付けに失敗すると「そもそも彼らはなんで変装したのか」という問題になってしまい、物語が盛り上がらなくなる。この作品ではこのシーンの前提に「大人は子供になりきらないと話が進まない」という問題を据え、その上で二人にただ子供を演じさせるのでなく、徹底的に「子供が作り出したキャラクター」を演じさせるのだ。特にみさえについては、過去の劇場版作品で「魔法少女願望」がある設定がされていた(2001年作品「オトナ帝国の逆襲」や2005年作品「3分ポッキリ大進撃」等)ので、これをうまく活用したかたちだ。ひろしについては前時代的な「ヒーローになりきった子供」をお演じさせることで「らしさ」をうまく出したと思う。
 そしてここからひろしとみさえが劇中で演じる「子供」は、本来の子供の姿からちょっと外れていることで視ている者の笑いを引き出し、この物語を盛り上げる重要な要素になっている。その最初のシーンということでとても印象に残ったシーンなのだ。
研究 ・ユメミーワールド(その5)
 今回部分では「ユメミワールド」についてさらに新たな事が解る。それは夢の中の世界にある「巨大な魚」が、夢彦によって「操縦されている」という事実だ。つまりあの「巨大な魚」はサキが見ている悪夢世界に「正のユメルギーに満ちた空間」を構築すると同時に、悪夢世界の中を自由自在に移動して悪夢世界の各所にいる人々の元へ赴き、場合によっては「喰う」というかたちでその人を取り込み「正のユメルギー」を吸収するということだ。
 そしてこの「巨大な魚」=「正のユメルギーに満ちた空間」が移動するからこそ、誰かの意思で動くようにしてあるというのが正解だろう。これはサキが見ている悪夢の中でのことだから、さすがに夢彦がその操縦を専有するようには出来なかったのだと考えられる…つまりサキの夢である以上、サキの意思がどうしても介在してしまうということだ。だから「正のユメルギー空間」を「魚」の形でインストールする際、その空間を外部の誰かが自由意思で動かせるように操縦設備一式もプログラミングしたのだろう。こうすることでこの空間はサキの意思とは別に移動することは出来るようになったが、同時に操縦を乗っ取れば夢の中に入った人の誰もが操ることが出来るという欠点まで抱えてしまった訳だ。
 ちなみにこの空間が「巨大な魚」の形にされた理由は、1に以前話したように人々が「正のユメルギー」の空間に入るために「誰もが経験したことのない夢」として魚に喰われる(=死ぬ)夢にする必要があったこと、そしてもう一つは「誰もが知っている形」にする必要があったからである。悪夢世界の中を自由自在に動き、かつ「人々を喰う」という体験を来た人にさせるには、行き着く形は「生物のかたち」になる。そして「魚」であればどんな人でもその形はイメージ出来るはずだ。いくらユメミーワールドとはいえ、その世界に入り込んだ人が知らない形というのは「入り込んだ人」にとってはイメージできないので、万人がイメージできる形であることが必要なのだ。だから魚でも具体的な種類は特定しておらず、魚のイメージとしてこの空間の形を作ったのだ。

…その頃、「かすかべ防衛隊」の他メンバーは悪夢に苦しんでいた。
名台詞 「自分の…自分の娘を守るのに、きれい事など言ってられん。たとえ世界中が不幸になろうが、私は自分の娘を守る!」
(夢彦)
名台詞度
★★★★★
 野原夫妻は「巨大な魚」のコントロールを奪った後、なおも夢彦の行為を止めるべく彼を取り押さえていた。夢彦はその二人をふりほどいて「ふざけるな!」と怒鳴る。これに「あんたがふざけるなよ! あの娘の気持ち分かってんの?」とみさえが返すと、その返答として夢彦が力を込めて返した台詞がこれだ。
 夢彦がもつキャラクター性と「父性」がこの台詞に上手く込められている。研究一筋でそれ以外のことについては不器用な夢彦だが、この台詞から娘に対する気持ちはキチンと持っていてそれが人一倍強いことも上手く表現されている。その娘に対する気持ちの発露が、苦しんでいる娘を救うためなら他人を傷つけることを厭わない不器用かつ他の誰に寝真似が出来ない対処法として現れたのが、これらの一件なのだ。
 そしてこの台詞、娘を持つ父親なら誰でも理解できる台詞だと思う。ここまで多くの観覧者は「夢」を通じて関係ない人々を恐怖と混乱に陥れた夢彦の行為に疑問を持っていたはずだが、この台詞で少なくとも「娘がいる」という夢彦と共通点を持った人々は突然彼を理解するようになるだろう。娘のピンチには何が何でも守ってやらねばならない…これは「娘を持つ父」の誰もが持っている「父性」であり、これを書いている私も持ち合わせている嘘偽りのない思いだ。夢彦が起こしたこの事件はその結果であり、「やりすぎ」とは感じる向きはあってもその気持ちは理解できるようになるのだ。
 これは劇中のひろしやみさえについても同じだ。夫妻はこの台詞を聞いて一時狼狽えるが、これは彼らもその台詞が「自分たちも持っている思い」である事に気付いたのだと解釈するべきだ。だが二人はこの思いに気付いたところで夢を失いかけたので、「ピュアハート」で気持ちを切り替えて対処する。
 夢彦の行動理念は「娘を持つ父」であれば誰もが持っている普遍的なものであり、彼はあくまでも「夢に冠する知識や技術力がある」点以外は至って普通の人なのだ。その「普通の人」がこんな事件を起こしていることが明白になったと言う点でとても印象的な台詞だ。同時にこの台詞の気持ちは自分も持っているという点でも、印象に残った台詞なのは確かだ。
名場面 悪夢との戦い 名場面度
★★★★
 悪夢世界で「かすかべ防衛隊」のメンバーらと合流したしんのすけらは、悪夢世界でバクを探す旅に出る。しんのすけとサキは夢によってスマートになったシロに乗って、他のメンバーは夢によって巨大化したひまわりの背中に乗っての旅だ。だがすぐに悪夢がこれを阻止すべく反撃を開始する、最初は前時代的な暴走族が現れて追跡を受けるが、暴走族は巨大化したひまわりに車を破壊され、最後までしつこく追跡してきた1台はひまわりの屁によって爆破され撃退される。それも束の間、今度は一行を1人の男が追ってくる。この男は裸で「安心してくださーい」と叫んでいる…その男はゲストキャラの「とにかく明るい安村」だ。「は、穿いてるのよね?」とネネが突っ込むと、「とにかく明るい安村」は分身して大勢となり「穿いてませんよー」と例のポーズで迫ってくる。何十人にも分身して例のポースを取りながら迫る「とにかく明るい安村」の大群を見て、しんのすけが「最悪の悪夢だゾ!」と叫ぶ。そこでサキが前方に崖が迫っているのに気付く。「どうすんのよ!?」と「かすかべ防衛隊」一行はパニックだ。「ジャンプだ! シロ!」としんのすけが叫ぶ、シロが泣きながら首を振る、「安心してくださーい」と例のポーズで迫り来る「とにかく明るい安村」の大群…迫ってきた崖にシロは加速してジャンプ…シロはなんとか崖の下にある谷間を飛び越えて反対側の崖に取り付く。だが決心の付かなかったひまわりは崖の手前で急ブレーキ、そして「とにかく明るい安村」の大群に押されて「かすかべ防衛隊」のメンバーもろとも崖下に転落してしまう。「ひまーっ!」としんのすけが叫ぶが、ひまわりはすぐに反対側の崖を登ってくる。「かすかべ防衛隊」の面々も無事だ。
 物語が「冒険もの」に転換したここでは、主人公チームのピンチを描くことはとても重要だ。ピンチがあることで物語に緩急が生まれるし、視る者を物語に引き込む事になるからだ。そのセオリーに従って本作でもここで主人公チームがピンチに陥るが…このピンチを面白おかしく、かつ真剣なピンチとして上手く描いたと感心させられた。
 最初に出てくる「前時代的な暴走族」は、どちらかというと本作を子供と一緒に見に来た親たちに向けてピンチを示唆しているだろう。恐らく今の子供達があんな暴走族を見せられても「怖い」とは思わない。だから一緒に見ている親たちを不安がらせ、その表情を見た子供が不安がるという構図に持って行ったのだ。そしてこの解決過程は「クレヨンしんちゃん」らしい「ひまわりが屁をこいて解決」という、「クレヨンしんちゃん」らしい解決法にしたのは、本作がなんの映画か明確にするという意味もあったであろうし、続いてのギャグを通じてピンチを描くシーンへの説得力でもあると思う。
 そして「とにかく明るい安村」を使ったピンチでは、ギャグとピンチの両面をバランスを取りながら本当に上手く描いたと感心した。「とにかく明るい安村」という芸人の芸やそのキャラクター性をうまく「クレヨンしんちゃん」の中に落とし込み、本作の世界観を壊さずにゲストキャラを上手く使ったと感心するばかりだ。「とにかく明るい安村」の大群に追われるという展開は、「クレヨンしんちゃん」だからこそ「ギャグ」でもあり「ピンチ」でもある面白いシーンに仕上がるのだ。正直「クレヨンしんちゃん」でお笑い芸人をゲストキャラで使うケースでは「これは失敗」「物語展開上邪魔でしかない」と思うケースの方が多いが、本作の「とにかく明るい安村」起用については大成功だと、このシーンを見て心から思った。何よりも彼の起用に際して、彼の芸を見せるシーンでキチンと専用BGMを使っているのが大きいと思う。
 「クレヨンしんちゃん」の映画では、スポンサーやテレビ局の都合で時の流行の芸人を使わねばならない「オトナの事情」があるのは重々承知だ。だからこそ今後もそのような場合、このシーンを参考に彼ら芸人を上手く使って欲しいと願わずにいられないシーンだ。
研究 ・ 
 。

…なんとかピンチを乗り切った「かすかべ防衛隊」一行は、さらにバクを探す旅を続けるが、ひまわりとシロが疲労によって夢を見続けられなくなって、歩いて移動するしかなくなる。一方、ひろしとみさえは夢彦との戦いを続けている。
名台詞 「ごめん……………ごめんなさい。」
(サキ)
名台詞度
★★
 悪夢に襲われるピンチで、ひまわりの夢が途切れていつものサイズに戻ってしまったため、今度は風間の夢に出てくる選挙カーをスマートになったシロに牽かせての旅になった。だが何処まで行ってもバクが見つからない不安と苛立ちで、一同は無言のまま選挙カーの演台上で周囲を見つめている。そして遂に苛立ちを募らせたネネがサキのところへ言って、「また黙りなの?」とサキを問い詰める。サキは驚いた表情を見せた後で神妙な表情に変化し、たった一言謝罪のこの台詞を吐く。
 しんのすけによって心を開かされたサキの「変化」というのを、たった一言で再現したと感心してしまった。これまでのサキなら謝ることはしないだろうし、自分の正当性を訴えるために色々並び立てたに違いない。だけど今のサキにあるのは、結果的に仲間を裏切り傷つけてしまった反省だけだ。そんな裏切った仲間をまたこんな宛のない旅に誘い出して困らせ続けている…サキは「バクを見つけ出さねばならない」という気持ちと同時にこんな思いを持っていたはずなのだ。ネネが苛立ちを募らせればもう言うことはひとつしか無い、そんなサキの思いが上手く再現されている。
 そしてこのような謝罪の言葉を言うときの気持ちが、この台詞を言う際の「間」としてうまく再現されている。ネネが問い詰めてからサキが最初に「ごめん」というまでの間、サキの一度目の「ごめん」と二度目の「ごめんなさい」のいう間の間、ここにしんのすけ以外の「かすかべ防衛隊」メンバーの反応を挟むことで、この台詞をきっかけにサキは再び「かすかべ防衛隊」の仲間達に受け入れられることに説得力を持たせていると思う。余計な言葉はなくサキの「反省」と「覚悟」が皆に伝わり、なんとかサキを救おうと一致団結を始める。この台詞を含むシーンがなければそこへ至る説得力はなくなって本作は駄作になっただろう。
名場面 身も心もピュアピュア! 名場面度
★★
 野原夫妻と夢彦の戦いにおいて、夢彦が「なぜ大人にこれほどのユメルギーが…」と呟く。するとみさえが「私たちだって子供のためなら何でも出来るわ」と叫び返したの続いて、「とくと見やがれ」さ叫んだひろしがズボンを下ろして夢彦に股間を見せる。「つるつるだと!?」と驚く夢彦に、「1本残らず剃り上げてやったぜ」とカミソリを掲げるひろしと、「身も心もピュアピュアなんだもん」とポースをつけるみさえ。
 ここが本作で一番笑ったところだ。陰毛を剃れば子供に戻るって…現実的にはあり得ないけど気持ちは分かるシーンだ。
 それにしても、私が本作を映画館で見ているとき。このシーンで近くにいた家族連れの男の子が「みさえは剃ってないの…?」って親に聞いていた。親は返事に困っていたけど…そのやりとりが聞こえた私は、さらなる笑いを堪えるのに必死だった。
研究 ・悪夢世界
 「かすかべ防衛隊」の一行はバクを探すべく、サキと共に悪夢の世界を旅している。ここではこれについて考察してみよう。
 この悪夢というのは本来サキが見ている夢のはずであることは、この研究考察をお読み頂いた方には理解できていることであろう。サキが見ている夢に様々な人々が入ってきているというのが、本作で描かれている悪夢世界であるはずだ。
 だからこの悪夢世界の背景に様々な物体が写っているが、これは全てサキの悪夢に「ユメミーワールド」によって取り込まれた人々が見た破片なのだ。「ユメミーワールド」に取り込まれて巨大な魚から吐き出された人々が、このサキの悪夢の世界で自分の悪夢を見た結果であり、たとえば名台詞シーンの少し前で出てくる墜落した飛行機の残随は、誰かが飛行機が墜落するという悪夢を見た結果だと解釈すれば良い。崩壊した都市風景のようなものは、自然災害や先妻の夢を見た人がいるということだろう。建物が全部ハリボテなのも、「何らかのストーリーで逃げ込んだ建物がハリボテだった」という夢を見た人がいるのかも知れない。
 そしてサキの夢に出てくるバケモノが、不定型な形でもって襲ってくることで人々が悪夢に陥りやすいように出来ていることだろう。たとえばこの悪夢世界で風間が母親に尻を叩かれている悪夢が再現されているが、この風間の母親は言うまでもなくバケモノが変身したものである。ネネを取り囲むアイドルヲタクも、マサオにむち打つ鬼雑誌編集者も同じであろう。物語を遡ると出てきていたミッチー&ヨシりんの悪夢に出てくるそれぞれのパートナーや、ひろしの悪夢に出てきた会社後輩の川口、みさえの悪夢に出てきた「ツケの請求をするカリスマホスト」も同じだ。
 こうやって他人にも悪夢を見せてしまうほど、サキの悪夢が持つ「ユメルギー」…つまり私の研究で言うところの「負のユメルギー」はとても強いのだ。恐らく医科学的に考えればこれはPTSDの一種として処理されるべきなんだろうけど…そういう病気が治せるのなら「ユメミーワールド」っていうのは夢のシステムなんだなーと、つくづく思う。

ついにシロの夢も途切れてしまったために歩くしかなくなってしまった「かすかべ防衛隊」一行に、元カリスマホスト城咲仁が現れる。「バクならあっちにいたぜ」と城咲が指さした方向へ行ってみると…。
名台詞 「僕、フアンです。サイン、お願いします!」
(ボーちゃん)
名台詞度
★★★
 「かすかべ防衛隊」一行は、墜落したヘリコプターの残骸から出てきた元カリスマホストの「バクならあっちにいたぜ」のアドバイスに従って歩く。しばらく歩くと突然ボーちゃんが「バクだ!」と叫ぶ、そこにはクイズ番組のスタジオセットのようなものの残骸があり、その中でうごめく人影が見える。「まさか?」と叫ぶ一行に「静かに」と制したボーちゃんは、忍び足でそのセットに近付く。他のメンバーもこれに倣ってセットに近付くと、突然男が現れて名台詞次点欄のように叫ぶ。ボーちゃんは緊張した表情でその男を見上げ、一同はただ驚く。風間が「あの…」と口を開きしんのすけが「おじさん、誰?」と続けると、男は「え? 私? バクだよ」と平然と答える。疑いの目で男を見上げる一行に、ボーちゃんが「バクはバクでも、大和田獏!」と嬉しそうな顔で説明する。ずっこける一行に大和田獏は「え? なになに? 知らないの? 大和田ファミリーの…俳優の…」と説明するが、それに構わずボーちゃんが色紙とサインペンを出しながら語った台詞がこれだ。
 今明かされたボーちゃんの新たなひみつ…それは「大和田獏のファン」だった事実だ。これは世の中に数多くいる「クレヨンしんちゃん」のファンの中でも、最もファン歴が長いひとりである私でも知らなかった事実だ。「クレヨンしんちゃん」がアニメになると、いつの頃からかボーちゃんには「渋い」というキャラクター設定が追加されていたが、大和田獏のファンにしてしまうとは恐れ入った。
 そしてそのひみつを告白したこの台詞は、実にボーちゃんらしいと感じた。何よりもこの台詞の最大のポイントは、ボーちゃんに「ファン」ではなく「フアン」と発音させた点だ。このたった一点でボーちゃんのこれまでのおっとりしたキャラクター性を崩さず、かつ大和田獏に出会えて感動して緊張している点を再現しつつ、自分が好きな有名人に出会えたらすぐサインをねだるというミーハーな反応をさせることに成功したと思う。この反応と行動の素早さは本来のボーちゃんから少し逸れているのだが、その時の台詞の口調ひとつでそれを感じさせない…これはボーちゃんを25年演じ続けた佐藤智恵さんの演技力のすばらしさにもよると感心した。
 (次点)「久美子ーーーーーーっ! 何処行ったーーーーーーっ! あーーーーーっ…」(大和田獏)
…本作の大和田獏初登場時の雄叫び。この叫び声は迫力があって良いけど、久美子って誰?
名場面 バケモノの正体 名場面度
★★★★
 ボーちゃんと大和田獏が楽しそうに歓談していたところへ、突然あの悪夢のバケモノが襲ってくる。「かすかべ防衛隊」一行に「あいつをやっつけて」「獏さんなら出来る、獏さんしか出来ない」とおだてられ、大和田獏は渋々バケモノと闘うことになる。そして大和田獏がバケモノに囓ったことがきっかけで、バケモノは巨大化して暴れ出す。バケモノは大和田獏は遠くに投げ飛ばすと、今度は「かすかべ防衛隊」一行に襲いかかるのだ。バケモノの触手が手になってサキを捕まえると、これを助けようとしんのすけがバケモノに飛びつく。するとバケモノに「顔」が現れるが、その顔を見たサキが「ママ」と呟く。その声を聞いて驚く「かすかべ防衛隊」一行をよそに、バケモノは「サキ」の名を繰り返しながら、サキと「かすかべ防衛隊」の全員をひと呑みにしてさらに巨大化して腕まで生えてくる。それは夢彦と闘っていたひろしとみさえからも見えていて、「バケモンだ!」「あれが悪夢?」と声を上げる。そしてこれを見た夢彦は「やめろ」と呟いて巨大な魚をバケモノに突っ込ませる。だがバケモノは巨大な魚を一掴みにする、夢彦が「サユリーっ!」と妻の名を叫ぶ、バケモノは魚に噛み付いて破壊すると…朝になって皆が夢から覚める。
 ここでひとつ「悪夢の正体」が提示される。それはこの「サキが見ている悪夢」出ているバケモノの正体がサキの母親だったという非情な展開だ、つまりサキは常に「母親に襲われる」という悪夢を見せられ恐怖していたという「サキの悪夢の現況」がここに提示されていたのである。これは物語の結末に向けての重要な要素だ。
 だがここで勘違いしてはいけないことがある。ここで判明したのはあくまでも「バケモノの正体がサキの母親」であり、悪夢そのものの正体ではないということだ。このバケモノは「悪夢」によって創り出された偶像であり、サキの中で母親がこの偶像に変化してしまっているということである。悪夢そのものの正体は別にあり、これも物語の中でキチンと判明するように出来ている…つまり「夢そのもの」と「夢に出てくる登場人物」の違いを明確にしているのだから、本作は奥が深いと思う。この辺りの「つくり」は子供の理解を超えていて、劇場版「クレヨンしんちゃん」が大人の視聴に耐える質の高い作品であると私が考える理由のひとつだ。
研究 ・ 
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…翌朝、悪夢の正体を知った野原家や「かすかべ防衛隊」の面々はサキの家を訪れる。そこには正気を失い、暴れるサキの姿があった。
名台詞 「違う! 変わったんじゃない。変えてくれたの。私、悪夢を見なくて済むなら何でも良かった。みんなの夢を吸い尽くして、引っ越して、また吸い尽くして…。でも何処へ行っても、寝ているときも、起きているときも、いつも独りぼっち。もうずっと、ずっと寂しかったの! 私の夢はね、友達を作ること。やっと叶った……だからパパ、お願い。もうみんなを巻き込まないで、私を独りにしないで…。」
(サキ)
名台詞度
★★★
 サキの家を訪れた野原一家と「かすかべ防衛隊」の面々は、悪夢から覚め、暴れて「ユメミーワールド」の装置を破壊しているサキの姿を目にする。一行が来たことに気付いた夢彦は「お前らのせいだ! これまで全て上手く行っていたのに、お前らのせいでサキが変わってしまった」と叫ぶ。これに対するサキの台詞がこれだ。
 これがサキが今まで持っていた本心だ。自分がいると自分のためとはいえ、周囲の人々の「夢」が悪夢に変わってしまう…その周囲の人々はそれが自分のせいだとは思っていないにしても、サキはそうやって他人を傷つけていることに耐えきれなかったのだろう。だから彼女は、何処へ行っても周囲の人達から距離を置くことで対応するしかなく、結果いつも独りで事になってしまった。「ユメミーワールド」で父に守られている夢の中の世界だけでなく、現実世界においても。
 そんな自分のためだけに他人が傷つけられるのは、サキにとっても本望ではなかったのだ。そしていつも独りでいることから生じたサキの望み…それが「友を作る」という夢となったという設定は無理がない。そしてその夢を叶えてくれた「かすかべ防衛隊」の面々をこれ以上傷つけたくない、サキのそんな思いが伝わってくる台詞として上手く完成していると思う。
 やっと出てくるサキの本心…それが悪夢に心を侵されて正常心を失うところまで追いつめられてやっと出てきたという展開は、クライマックスへ向けての最大の盛り上がりどころと言っていいだろう。ゲストヒロインが最大のピンチに陥っている事実を示すと共に、主人公たちがこれをどう救うのかと映画館で見ている者達は座席から身を出して見る思いだ。こうして本作はこの台詞をきっかけに、最終局面へと物語が進んで行くのである。
名場面 おやすみなさーい 名場面度
★★★
 名台詞欄シーンで該当の台詞を吐くと、サキはそのまま倒れてしまう。「もう何も出来ることはない」という夢彦に対して、ネネが「サキちゃんの夢の中に入って悪夢をやっつけましょう」と反論、結果「かすかべ防衛隊」一行はサキの夢に入ることを決意する。「ユメミーワールドは消滅した」と反論する夢彦に対し「何かを訴える子供の眼差し攻撃」で反撃すると、一行は「かすかべ防衛隊ひみつきち」にしていた庭に敷物と枕と毛布を持ってきて寝床の用意を始める。捨ててあったソファに「かすかべ防衛隊ひみつきち」の看板を掲げ、夢彦が用意された寝床のひとつにサキを寝かせる。準備が出来るとしんのすけが「寝るゾ!」と高らかに宣言、それぞれが寝床について毛布を被るが…寝床に着いたしんのすけは隣の風間を見て頬を赤らめ、「お隣だね」と甘い声で語る。風間がこれにツッコミを入れると、ネネは隣で眠るサキに「待っててね」と声を掛ける。そして全員で「おやすみなさーい!」と声を上げると、一同は眠りにつく。
 これはこの手の映画で主人公勢力が決戦の地へ赴くシーンであるのだが…そのシーンが「枕と毛布を用意して眠りにつく」という光景で描かれている点に、妙なアンバランスを感じるところであろう。「眠る」といっても「かすかべ防衛隊」一行は真面目な決意に満ちた表情で統一されていて、「寝る支度」をしているシーンなのに不思議な緊張感があって面白い。その間にもキチンとしんのすけと風間が「クレヨンしんちゃん」らしいギャグを挟んでいて、「この映画がなんの作品なのか」は忘れないように作ってあるのも面白い。そして決戦の地に赴く合い言葉が「おやすみなさい」という就寝の挨拶なのは、「夢」をテーマにした本作らしくて印象的なところだ。
 しかし、皆が同じ場所で寝るだけなのにわざわざ屋外で寝る必要があるのか?なんて思う人は、皆が寝ている場所が「かすかべ防衛隊」のひみつきちであることを忘れているのだろう。ここはサキが「友を作る」という夢を叶えた地でもあり、「かすかべ防衛隊」とサキが友情を育んだ大切な場所なのだ。だからこそ彼らは屋外なのに、皆で寝る場所にここを選んだのだ。
研究 ・サユリの死亡事故
 ここではサキの母であるサユリが既に故人であることが明確になる。夢彦の回想としてサユリの最期が描かれているが、その内容は「事故死」という事になりそうだ。
 その事故は研究施設で「ユメルギー」の実験を行っている際に起きたようだ、何らかのかたちで集積した「ユメルギー」の制御に失敗し、「ユメルギー」を集積した装置が爆発事故を起こしたという理解で良いだろう。この際に装置が設置されている部屋にサキが無断で侵入した事に気付き、装置の爆発時にサユリがサキを庇ったために致命的な重傷を負って死去に至ったと考えて良いだろう。
 前述したように、この物語世界では「ユメルギー」というのは「夢の力」であると同時に、何らかの形で物理的な仕事をする「エネルギー」の一種であると考えられる。この前提に立ってサユリが事故死した時に何をしていたかと、どうして「爆発事故」に至ったのかを推測するのが今回の本欄の趣旨だ。
 夢彦がサキの悪夢を除去するために作った「ユメミーワールド」の存在から、夢彦とサユリの研究内容は「誰かの特定の夢を不特定多数が同時体験出来るシステム」の考案と作成だろう。その研究の目的として、テレビや映画に代わる新しいエンターテイメントとして「夢」で見せるコンテンツを開発することが目的であろうことが推測される。夢彦の研究室にあるのはそのための装置であり、これによって街の人々全員が「サキが見ている夢を見る」という形で夢を共通体験していると推測される。
 恐らくサユリの事故の段階では、このシステムの論理構築は既に終わっていて「試作品」も完成していて、その試作品を使った実験が行われている段階だったと推測できる。何らかの形で「ユメルギー」のこの試作品に注入し、これを安全確実に保管できるかどうかのテストをしていたのだろう。このテスト中に「ユメルギー」が暴走の結果膨張して、「ユメルギー」を注入した格納容器が破裂した…というのが本爆発事故の過程と見ていい。
 こうして見ると「ユメルギー」というのは特定の条件で「膨張」するのは確かだ。「ユメルギー」が物理的な仕事をさせる性質がある以上、体積と密度を持った「物質」の状態で保管されるのは確かだ。その材質はともかく、その「物質」が温度や湿度、あるいは他も含めてとにかく条件が揃えば急激に密度を下げようとする特性があるのだろう。密度を下げると体積が増やす「膨張」が発生するので、「膨張圧」という力が生まれる「物理的な仕事」をすることになる…これが劇中で描かれた「ユメルギー」の膨張で、事故時に夢彦が「ユメルギー値、Dプロセス」という「ユメルギー」が暴走した状態なのだろう。この「膨張圧」が「ユメルギー」の保管容器を内側から破壊したのだ。
 もちろん、このような事故が想定されていたことも該当回想シーンの夫婦の会話から解る。夢彦が「ユメルギー値、Dプロセス」と「ユメルギー」の暴走を宣言すると、サユリは(恐らくは「ユメルギー」注入の)停止操作をするが既に暴走状態は止められず、これによる爆発(正しくは格納容器の破裂)が予測された段階で「隔壁を降ろして」と叫んでいる。つまり爆発事故を想定した隔壁がこの格納容器が設置されている実験室に備わっていたのは確かだ。これで格納容器破裂による事故を食い止めるはずだったが、唐突なサキの侵入で隔壁を閉じることが出来なかったと考えられる。こうなってしまうとサキを助けるには誰かが身を挺してサキを守るしかない。
 ちなみに考えられるサユリの死因は、破裂した格納容器の破片が直撃したことによる外傷等だ。恐らく「ユメルギー」は物理的な仕事をしても、熱を持っていないと考えられるので火傷などではないと推測される。いずれにしても悲惨な死亡事故で、私が気になるのは夫婦にこの研究を託した誰か(大企業や大学、または政府などの様々な機関が考えられる)がこの事故の補償をしたのだろうか?という現実的な問題だ。恐らく労災認定はされたと思うけど…。

…かすかべ防衛隊の面々は無事にサキの夢の中に入る事が出来、悪夢に襲われているサキを助けようと戦い始める。一方サキとかすかべ防衛隊の寝姿を、野原夫妻と夢彦が見守っていた。
名台詞 「サキちゃんに、伝えなきゃいけないことがあるの。」
(みさえ)
名台詞度
★★★
 しんのすけら「かすかべ防衛隊」がサキの夢に入り、サキの悪夢と悪夢と闘っていた。だがその戦いは熾烈で、現実世界では皆夢にうなされている。これを見た夢彦が「しんじられん、本当に入ったのか?」といえばひろしが「悪夢を消せるといいが」と呟くが、これにみさえが「消えないわ」と返す。おぶっていたひまわりを降ろしながら「私も夢に入る」と続けるみさえに、「そんな簡単に…」「子供達には科学を超えた絆のようなものがあって…」とひろしと夢彦が返すと「サキちゃんの夢じゃないわ、しんのすけの夢に入るの」とみさえは続ける。これにひろしが「そうか、それなら…でも何するんだよ?」と聞き返した返事が、みさえのこの台詞だ。
 実は本作品は、ここからはみさえが独り舞台といって程の活躍を見せる。このサキの悪夢という物語最大の問題を解決に導くのはみさえで、この台詞でそのみさえの活躍の幕が切って落とされたといって良い。
 その内容は、みさえがサキの悪夢の内容を確認したことだ。サキの母親は身を挺してサキを守って生命を落とした…その事実をサキは「母親が自分を恨んでいる」と受け取ったことで苦悩が始まり、悪夢に苛まれるまでになったことをみさえが知ったのだ。そして自らも母親であるみさえが感じたのは、母親の「思い」をサキに伝えなきゃならないということだ。母親であるサユリがどんな思いでサキを育てたのか、どんな思いでサキの身を守ったのか…そんな母親の思いがこの娘に伝わっていない、みさえはそう感じたはずである。だからこの思いが伝わらないことには、サキの父親がどんな科学的手段を講じても、「かすかべ防衛隊」の仲間達がどんな友情でサキを救っても、問題は解決しないと感じたはずだ。
 だからその思いを伝えることが出来るのは、サユリと同じ「母親」である自分の役目だということにも目覚めたのだ。そして同時に、サキの夢の中で苦しんでいる息子を助けることもしなければならない…そのためなら息子の夢にはいる事が出来るはずだと、この母親は判断したのだ。
 そのみさえの決意と判断がこの台詞にはキチンと込められている。みさえを25年演じているならはしみきさんによる、みさえの「思い」をキチンと込めてこの台詞に魂を吹き込んだとも思える名演だ。だが本作のみさえの名演はこれが終わりではない、この台詞は始まりに過ぎないのだ。
名場面 本当の悪夢の正体 名場面度
★★★
 悪夢の中で、「かすかべ防衛隊」とサキの悪夢の戦いは熾烈であった。しんのすけはサキが持っていたバクのぬいぐるみに返信し、悪夢のバケモノをひたすら喰い続けるがバケモノは全く怯まない。そしてネネが好物のカニに、風間は政治家になった夢に出てくる新政府専用機に返信してバケモノの触手をぶった切るがやはり効かない。マサオは漫画家になってバケモノの一部となった鬼編集者と、ペンをビームサーベルにして闘うがこれも効き目がない。そこに小惑星イトカワに返信したボーちゃんがバケモノの上に墜落、大爆発を起こして悪夢世界には何もなくなる。その何もなくなった中を独り歩くサキ、彼女は倒れている(「犬神家の一族」のポーズ)しんのすけを見つけて助け出すと、しんのすけが「悪夢は?」と問う。「消えた…かも」とサキが答えると「本当、おバカね」との声が降ってくる。するとすっかり小さくなったバケモノと一緒に、1人の幼女がそこに立っていた。「あーあ、だいぶ弱っちゃった…また一杯増やしてあげるからね」とバケモノを見ながら語る幼女を見て「誰?」としんのすけが問う。サキが震えながら「私…昔の私」と返すと、幼女の姿をした黒サキが「ねぇ、なんで悪夢を消すの? あなたのせいでしょ? あなたがおバカなことをするからママが死んじゃったんだよ。なのに消しちゃうの? ママのこと忘れちゃうの?」とサキに問う。これを聞いたサキは震え続け、しんのすけは「サキちゃんはそんな子じゃないゾ」と口を挟む。だが黒サキはしんのすけを突き飛ばし、「とにかく明るい安村」の大増殖の悪夢を見せる。そして黒サキはサキに向かって続ける、「あんたはね、ずっと苦しまなきゃいけないの。あんたのせいだから、ママはあんたを恨んでいるから。あんたの悪夢は絶対消えないの」…すると悪夢のバケモノがまた成長し、触手を沢山出す。
 ここまで悪夢のバケモノの正体はサキの母親…ということで物語が進んでいたが、ここで本当の正体を現すという二段階の見せ方をしてきた。それは結局「悪夢の正体は自分自身」というものだ。自分の中にある影の部分と後悔の気持ち、これが「母親は自分を恨んでいる」とという思い込みになって自分を縛り付け、悪夢の原因となっている。こういう構図を劇中の人物と、映画を観ている者に突きつけている。その影の部分は黒サキとなって心の中を支配していて、「かすかべ防衛隊」の仲間達が退治してもしきれないという現実をも見せてくる。そして思い込みが、退治した悪夢をまた増殖させるという構図がうまく描かれていると感心したシーンだ。
 要はこの世界は、サキが見ている夢なのだから何をするにしてもサキに原因があると言うことだ。このシーンで描かれた中に、「かすかべ防衛隊」の力で悪夢のバケモノが一度小さくなったのも事実で、これは「かすかべ防衛隊」の面々の友情の力があってサキがこれを受け入れている事実だ。しかしサキが心の中に持つ影はそれをも覆い隠す強大なものなのだ。
 このシーンはそんなサキの心の中の状態を上手く再現していると思う。そしてその解決が困難であることも一度は見る者に訴える。だがこのシーンの直後、みさえが現れるとサキの心の中は一変する。そんなところまでこのシーンは上手く再現しているのだ。
研究 ・ 
 。

…黒サキの登場でまた悪夢のバケモノが成長して震えるサキと、「とにかく明るい安村」の大量発生という悪夢に苦しむしんのすけの前に、突如みさえが現れる。
名台詞 「なんで?じゃないわよ! 子供のピンチに駆けつけない親が、何処にいるっていうのよ! 親にとって子供っていうのは、自分以上なの! そこんところ分かってんの!? なのにあんたは歯磨きしたくないだの、野菜は食べたくないだの、我が儘言うんじゃなーいっ! 優しくしてくれるパパばっかりに甘えんなーっ! 好きで嫌われ役やってんじゃないわよ、嫌われたっていいから、自分の子供を守りたいだけ。あんたたち子供には、わかんないでしょうけどね。それが、母親ってものなの……あなたを憎む訳ない。」
(みさえ)
名台詞度
★★★★★
 前名場面欄シーンを受けて、黒サキによってまた増殖したバケモノは大量の「とにかく明るい安村」に変身してしんのすけを襲う。バケモノはしんのすけを取り囲んで「安心してください、穿いてませんよ!」としんのすけに迫るが、そこへ「パンツ穿けーっ!」と叫びながらみさえが現れる。みさえは「でやーっ!」と叫びながらハイジャンプ、尻で「とにかく明るい安村」に変身したバケモノのひとつを潰す。これを見たしんのすけが「母ちゃん、なんで?」と問うと、みさえはこの長い台詞の最初の方はバケモノを倒しながらしんのすけに向かって叫ぶように語り、最後の方はサキに向き合って優しく語りかけ、この台詞を言い切るとサキの母が作ったバクのぬいぐるみをサキに差し出す。
 正直、この映画で最も印象に残った台詞だ。悪夢に苦しむ息子を助けるために息子の夢に入り込み、その思い通りに息子を助ける母親の姿だ。この母親の姿に「母親の本音」を上手く重ね合わせて、みさえの行動と「思い」に説得力を持たせている。一生懸命子に愛情を注いでいるのに、それになかなか答えてくれない子供への不満。でもそれでも自分が信じたように子供を育てることが、子供に嫌われてもそれが子供のためだという信念、。どんなに子供に不満があっても、嫌われても、何をされても恨むはずがないという子供に対する愛情…これらは自分が親という立場になってみて始めて分かる、みさえの言葉を借りれば「子供達にはわかんない」親の「思い」だ。その子供達には分からない親の思いを、何包み隠さず一気に吐露するこの台詞は、父親であれ母親であれこの映画を観た「親」の心に突き刺さったと思うし、「その通り」「よくぞ言ってくれた」と思ったところだと思う。そして自分が子供だった頃に、親がここまでの気持ちで自分を育てていたのに、それに対して我が儘で返したことを恥ずかしい思いで思い出した人もいることだろう。
 だからこそこの台詞の最後で、みさえがサキに「あなたを憎む訳ない」と訴えることに無理はないし、その気持ちは伝わることに説得力がある。ここで小道具としてサキが持っていた「バクのぬいぐるみ」が出てくるのも、そのぬいぐるみがサユリの「母の思い」でそのものであってこれがみさえを通じて娘に手渡されたことを上手く示唆している。
 みさえのこの台詞によってまた悪夢のバケモノは縮小し、黒サキも後ずさりするほどだ。だがまだこれだけではサキの心は開かない、このあとみさえがもうひとつ名場面を演じることで事件はやっと解決するのだ。
名場面 母娘 名場面度
★★★★★
 名台詞欄シーンを受けて、みさえからバクのぬいぐるみを受け取ったサキだったが、サキはまだ「でも、私は…」と下を向いている。すると「あれぇー、おかしいなぁ」とみさえとは別の女性の声が聞こえる、サキが驚いて見上げると、サキの前に立っていたはずのみさえがサキの母サユリに変わっていたのだ。驚きの声を上げて母親の姿を見上げるサキに、サユリは「怖い夢は、そのバクが消してくれるはずなんだけどなぁ」と語りかける。「ママーっ」と叫んでサユリに抱きついたサキは「ごめんなさいママ、私のせいで、私がおバカなせいで…」と泣き出す。「サキのせいじゃない、おバカなのはママの方。こんなに悲しい顔をさせちゃうなんて」とサユリは優しく返すと、サキは「ママ、帰ってきて…」と泣きながら語る。サユリにそれに返答せず「あらあら、可愛い顔が台無し。ママはね、あなたの笑顔が大好きなの。どんなに疲れていても、嫌なことがあっても、あなたの笑顔が私を助けてくれた」とポケットからハンカチを出してサキの涙を拭きながら語る。「だから笑って、サキ」とサユリが続けると、サキは頷いて笑顔を作る。これを見たサユリは「ママはずっとあなたと一緒よ」と語りながらサキを抱きしめ、「あなたにはママの夢が一杯詰まっている。あなたは私の夢よ」と続けると、画面には母親の抱きしめられて満たされた表情のサキが一杯に映る。だが次のシーンではサキを抱きしめていたはずのサユリの姿はみさえになっていて、「わかった?」とサキに問う。サキはみさえに「うん」と笑顔で頷く。そして悪夢のバケモノは消え失せ、これを背後で見ていた黒サキが「ウソだ」と叫ぶ。「ママが許すわけない、あんたは悪い子なんだもん。友達だって一人もいない、あんたはずっと独りぼっちなの。あんたなんか…あんたなんか…」と続ける黒サキに、サキは無言で近付く。黒サキは力を落として「私、消えちゃうの?」と問うと、「ううん、消えなくていい。私の中にずっといていいよ…私はもう大丈夫だから」とサキは力強く返す。
 本作のハイライト、そして全ての問題解決のシーンだ。名台詞欄を受けてもまだ心が開かないサキに、みさえはサキの母親の姿に変身し、サユリになりきって「母の思い」を伝える。そしてみさえがサユリの姿になったことで、サキはやっと母親に事故について謝ることが出来たのだ。その上で母親が「悪いのは自分の方」とした上で、サキが自分の夢であると語って抱きしめたことでサキの心がやっと満たされる。サキが母親の愛情をしっかり受け止めて、「自分は恨まれてなんかない」ということをやっと知るに至る。これがみさえの言う「サキちゃんに伝えなきゃならないこと」であって、彼女はそれを上手く伝えたのだ。だからこそこのシーンは途中でサユリはみさえの姿に戻り、本当はこれはみさえが仕掛けたものである事を明確にする。こうすることによって故人であるサキの母親を無責任に蘇らせるストーリーにはせず、サユリはあくまでも過去の人となったストーリーにリアリティが増し、みさえの活躍が暴走的にまでならなかったのは確かだ。
 そして最後の総仕上げとして、サキと黒サキの直接対決をさせることだ。みさえをヒーローにして終わらせず、この問題をみさえから「母親の思い」を受け取ったサキが自分で幕を引いたことだ。サキが母親が死んだ事故については自分が悪いけど、それについて母親は恨んでいないということをキチンと理解したことで、黒サキを自分の一部として認めることが出来たことで悪夢を克服したのだ。
 こうして物語は、サキが悪夢という問題を「かすかべ防衛隊」の仲間とみさえの絶大な力を借りつつ、最終的には自分で解決するというオチにうまく落とし込んだと思う。このシーンでみさえがサユリに変身してサキに思いを伝えるくだりは、正直涙が出そうなほどの感動的シーンだ。かといってその前後でみさえに「やりすぎ」をさせずに、また繰り返すが無責任に故人を生き返らせるストーリーにもならず、物語を白けさせなかった点でこの映画はもっと評価か高くてもいいんじゃないかと私は思う。いずれにしても本映画で最も印象的なシーンだ。
研究 ・ 
 。

…悪夢との戦いを終えたサキの元に、「かすかべ防衛隊」の一行が駆けつける、いつの間にか黒サキの姿も、みさえの姿もなくなっていた。
名台詞 「防衛隊のみんな、お元気ですか? 私はやっとこっちにも慣れてきました。みんなといた楽しい毎日が、思い出すとまるで夢のようです。パパは夢で困っている人のために、大学でお仕事をしています。今はみんなと遠く離れているけど、またいつか夢で会えたら良いね…。」
(サキ)
名台詞度
★★
(研究欄参照)
名場面 かすかべ防衛隊ファイヤー! 名場面度
★★★
 うん、良いオチだ。話がうまくオチた。
 全てが終わって「かすかべ防衛隊」のメンバーにサキが加わって、いつもの「かすかべ防衛隊ファイヤー!」をやるのだが、これをいつもの通りに主人公しんのすけに音頭を取らせたのでは話がうまくオチなかっただろう。しんのすけが音頭を取りかけたところでサキがこれを制し、サキが「かすかべ防衛隊…」と音頭を取るからこそである。これによってサキは一時あった「不信」をキチンと乗り越えて、名実共に「かすかべ防衛隊」のメンバーとなって、元からの面々と心が通じ合えたといううまいオチになったのだ。
 そしてこのオチこそが、この物語が訴えてきた主題が「友情」であることをうまく伝えたと思う。そして物語はこの後に後日談が描かれて終わるが、その後日談において「離れていても友情は変わらない」という展開がされたのはこのシーンがあったからこそ無理がないのだ。
 だからこのシーンで、この物語はうまくオチたのだ。
研究 ・サキと夢彦の「その後」
 本作では名場面欄シーンで「オチ」が演じられた後、最後に「後日談」が演じられて物語を終える。それはサキが「かすかべ防衛隊」のみんなに書いた手紙という形式で演じられている。
 このシーンでは名台詞欄に書いたサキの手紙に合わせ、サキが外国人と思われる子供達とようち園で遊ぶ姿や、父に連れられて帰宅する光景が描かれている。そして手紙の内容は父娘は春日部を離れ、遠い異国の地にいることを示唆している。なんでも夢彦は「大学でお仕事」をしているのだ。
 ではこの父娘に何が起きたのか。恐らくサキは父に着いていくという選択肢しかなかっただろうから、ここでは夢彦に何が起きたかを考えねばならない。
 劇中では「集団悪夢シンドローム」が春日部などで発生し、街がパニックに陥ったことが報道されている。このような報道がされているということは、恐らく世界中の精神科医やその学会などが注目していたことだろう。精神学の学者が春日部などに派遣されて原因の調査が行われたのは確かだろうし、精神科医が医師団を組んで集団で診療に当たるなどの対策が取られたはずだ。
 そして恐らくだが、本来は原因者である夢彦が「この現象を止めた張本人」として精神学の世界に認知されたのだと考えられる。恐らく「ユメミーワールド」の装置などの彼が持つ機材は、研究依頼者との契約などで極秘にされていて、夢彦は「装置のテスト」という名目でサキの悪夢を緩和するためにこれを使っていたと考えられる。夢彦は本来極秘である「ユメミーワールド」の装置を、研究依頼者の許可を得た上で「集団悪夢シンドローム」を除去した装置として論文を書いたのかも知れない。彼は間違いなく不特定多数に特定個人の夢を共有させる技術を持っているはずなので、その技術を使って「集団悪夢シンドローム」を解決したと論文をでっち上げることくらいは可能だ。
 そしてこれによって夢彦は、「ユメミーワールド」の研究開発が出来なくなったと判断して良いだろう。その理由は「ユメミーワールド」の研究依頼者との契約が切られたからと考えるべきだ。私の解釈では「ユメミーワールド」開発は「テレビや映画に代わって映像コンテンツを見せるための装置」の開発であり、この研究依頼者は映画会社やテレビ局の可能性が高い。ところが表向きは「ユメミーワールド」を「集団悪夢シンドローム」解決の手段に使ったことになってしまったため、研究依頼者は夢彦に開発を託せなくなったはずだ。
 という訳で夢彦は仕事を失ったわけだが、研究開発において依頼者から契約を切られたからと言ってその技術の知識までもが研究者から奪われるわけではない。いくら極秘研究とは言え、夢彦に協力していた技術者が何人かいるはずで、その協力者が様々な研究機関などに「夢彦が実際には何をしていたか」を耳打ちしたはずだ。ただ国内の研究機関だと夢彦の研究依頼者にバレるから、海外の機関ばかりにこのようなかたちで夢彦が紹介されたのだと考えられる。そのうちのいくつかの研究機関や大学が夢彦の獲得に名乗りを上げ、夢彦はその中で「研究の内容」や「条件」が希望に合うものを選べた可能性が高い。
 そしてサキの手紙の内容から想像するに夢彦は「大学でお仕事」とは言うけれど、それが「夢で困っている人のため」ということから見ると大学病院の精神科に招聘されたのだと考えられる。悪夢などで悩んでいる人にカウンセリングをして、場合によっては「ユメミーワールド」のような装置で相談に来た人の夢に入り込んで問題を解決されるなどの仕事をしていると私は解釈している。
 夢彦が行った国が何処なのかは、このシーンが上手く無国籍風に描かれているので分からない。その辺りは「遠い」ことが明確ならばそれで良いのであって、具体的な場所は映画を観た者1人1人が想像すれば良いことだと私は思う。

・「クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃」のエンディング
「友よ〜この先もずっと…」 作詞/歌・ケツメイシ 作曲/編曲・ケツメイシ 田尻知之 本澤尚之
 このところの劇場版「クレヨンしんちゃん」の主題歌は、良作が続いていて主題歌を聴いているだけでも「いいなぁ」と思えるものが多い。この曲もそんな曲のひとつだ。
 のんびりしつつもテンポの良い曲に載せて、友への思いと感謝をえまく歌い上げていて、本作の中心である「かすかべ防衛隊とサキの友情物語」の余韻に上手く浸れるよう作ってあって感心だ。「映画の内容と主題歌の関係」という面ではとても優れた関係だと私は感心している。
 背景画像も見ていて楽しい物だ。しんのすけが寝ながら「ユメミーワールド」の空を飛んでいる場面で始まり、まずは「かすかべ防衛隊」各人が持つ夢を「かすかべ防衛隊」とサキの姿を交えながら流してくる。その最初はしんのすけによる水上運動会、マサオが描いた漫画(なぜかサキが主人公)、日本庭園で石になりきっているボーちゃん・しんのすけ・風間・マサオとこれを和服姿で眺めるネネとサキ、総理大臣になった風間(なぜかサキが総理夫人)、ネネのコンサートの順である。続いて悪夢世界に作白い花と、これを見下ろす黒サキの姿が一瞬出たと思うと、花畑の中を愉しむ「かすかべ防衛隊」とサキのシーンに変わり…と思うとこれらの面々が昆虫になった別の花畑シーンに変わる(なぜかボーちゃんだけはひまわりの花になっている)。続いては主要登場人物の寝姿で、みさえ、ひろし、ひまわり、シロ、夢彦の順だ。夢彦の寝姿から、夢彦とサユリとサキの写真へとシーンが変わる。次は「ひみつきち」と大和田獏が出てきた時のスタジオセットで、なぜか車のボンネットからカンタムロボが飛び出したり、サキが持っていたバクのぬいぐるみが空を飛んでいたりする。そして最後は星空を飛びながら寝ているしんのすけが画面の端に消えると、大きな流れ星が飛んできてエンディングが終わるという流れだ。
 歌の内容も背景画像の内容も映画の余韻にうまく浸れるように作ってあって、私が2016年に見たA型の中では最も優れたエンディングだと自信を持って言える内容で、このエンディングがこの映画を引き立てているのは確かな秀作だ。

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