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…物語はなぜか、ひろしの部下の川口が裸で取引先に謝罪しているところから始まる。これはひろしが見ていた夢なのだが…。
名台詞 「男のパンツは最後のフォーマルウェア、サラリーマンのなけなしのプライドを笑いものにしやがって…思い知れ、銀座のホステスの名刺手裏剣!」
(ひろし)
名台詞度
★★
…ひろしが見るこの夢の「くだらなさ」が大好き!
名場面 ユメミーワールド起動 名場面度
★★★★
 本作冒頭で野原一家(4人と1匹)が見ていた夢が、ひろし→みさえ→ひまわり→シロ→しんのすけの順で流される。そしてこれら全てが「巨大な魚に喰われる」という結末を迎えるのだが、最後のしんのすけだけは巨大な魚に喰われた後で暗闇の中に独り取り残されるかたちとなる。すると足下にカラフルな「玉」が発生して…背景が暗闇から黄昏を思わせる空の色に変わったと思うと、今度は野原一家だけでなく「かすかべ防衛隊」の面々や春日部の街の人々がしんのすけと同じように、足下に発生した玉に乗る形で宙に浮いている光景が広がる。画面の真ん中をボーちゃんが横切ったと思うと、そこに親子らしい男性と女児の後ろ姿が現れる。男性が「ユメミーワールド起動成功、もう安心だぞ」と娘らしい女児に語って手を取ると、このシーンが終わって画面に本作のタイトルが現れる。
 このオープニング前のプロローグシーンのラスト部分だが、このプロローグは全体を通じて上手く出来ていると感心した。特にこのラスト部分は、見る者に劇中世界の人々の「夢」に異変が起きていること、同時にその異変が人為的なものであることをうまく示唆している。つまりこれは「物語の発端」そのものを全部プロローグシーンに押し込んだのだが、これを回りくどい説明などなしに皆に起きている出来事を淡々と描いた上で、最後のこのシーンで「夢を誰かが操っている」ことだけを端的にまとめ、ものすごく解りやすくなっているのだ。
 またこのプロローグシーンでもう一つ、ここで流される野原一家が見る夢の順序が「起承転結」が上手く出来ているのが面白い。まずはひろしの夢をど派手に流すことで「夢の結末」(=魚に喰われる)を印象づける。そこへみさえの別の意味でど派手な夢…この内容は「魚に喰われる」というオチが先に解っているから面白い内容…とにかくこれで見る者をさらに引き込む。ひまわりとシロの夢がこれに続くと見る者は自然に「全員が同じ結末の夢を見ている」ことに気付くようになっていて、最後は満を持してしんのすけの夢だが、これはキチンと「ユメミーワールド起動」へと展開が進むように作ってある。本来はこのプロローグシーン全部を名場面に挙げたいほどだ。
研究 ・ユメミーワールド(その1)
 やはり本作研究で欠かせないのは、この「ユメミーワールド」の研究であろう。本作ではこのプロローグシーンで存在が示唆され、物語が進むとしんのすけのようち園に転入してきたサキの父である夢彦が作ったものだとだと判明する。
 このプロローグシーンで解るのは、この「ユメミーワールド」が起動するとまず全員が「同じ結末の夢」を見ることだ。見ていたのがどんな夢であれ、その夢は「巨大な魚に喰われる」という結末を迎え、その後に夢は「暗闇」となった後に「黄昏時の空の色」のような背景の世界に変わり、様々な人が同じ空間で玉に乗って宙に浮いている世界となることだ。
 ここまでが夢彦の言う「ユメミーワールド起動」なのだろう。彼が自宅にあるユメミーワールドのシステムを起動させると、その周囲にいる人が夢の中で前述したような体験をして最終的に同じ夢を見ることになる。「巨大な魚」は同じ夢に入るために、人々に夢の中で暗示を掛けているような状況なのだと考えられる。もちろん人々は「何かに喰われる」という体験がないため、「その後」を夢で見ることは出来ない。そうして生じた「暗闇」につけ込むような形で、人々に同じ夢を見せるというのが「ユメミーワールド起動」という段階なのだと推測される。
 つまり人々に「体験したことがなくその後どうなるか解らない」内容の夢を見せることが、「ユメミーワールド」起動に必要なことなのだ。その夢の内容は「死」を伴うものだろう、「巨大な魚に喰われる」という奇想天外かつ確実に「死」を迎える夢を、対象者が一斉に見ることが「ユメミーワールド起動」の条件と考えられる。恐らく夢の中で「死」を迎えるのであれば、そのかたちは「巨大な魚に喰われる」でなくてもいいはずなのだが、敢えて「巨大な魚」にこだわるのは別に理由があり、それは後で取り上げたい。
 そのために夢彦は人の夢に介入できる技術を持っていると言わざるを得ず、それが発展して人々を集団的にひとつの夢の中に集めるシステムが完成していて、それが「ユメミーワールド」なのだ。

・「クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃」のオープニング
「キミに100パーセント」 作詞/作曲/編曲・中田ヤスタカ 歌・きゃりーぱみゅぱみゅ
 このオープニングテーマも良いなぁ。「明日から本気出すから」って「クレヨンしんちゃん」らしくて良いけど、その歌詞とは裏腹に「いつも100%の力を出して頑張ろう」っていう気持ちが伝わってくる力強い歌だ。その力強い歌がきゃりーぱみゅぱみゅさんの歌声で可愛く歌われるアンバランスがまた面白い。いずれにしてもこの力強い歌詞は今どきの子供たちだけでなく、大人にもキチンと伝わって欲しいと感じる。
 背景画像は「劇場版クレヨンしんちゃん」恒例のねんどアニメ。今回は「しんのすけが見ている夢」でまとめられている。しんのすけが布団に入って寝ているシーンから始まったと思うと、かすかべ防衛隊のそれぞれの夢に介入したと思ったら、ぶりぶりざえもんの夢の中でアホなことをやっている。と思うとしんのすけが目を覚まして、野原一家の笑顔で終わるという内容だ。
 このねんどアニメはいつも質が高いが、今回はこの中で出てくる「マサオが夢の中でお菓子に囲まれている」シーンで出てきた大量のお菓子が大迫力だ。あのお菓子一つ一つを全部粘土で作ったと思うと「気が遠くなるような作業なんだろうな」と思わずにはいられない。しかもそのお菓子をしんのすけが壊してゆくんだから…ほんと、このねんどアニメを作る人達には脱帽です。毎年お疲れさまです。

…野原一家にいつもの朝がやってきた。
名台詞 「できんでしょうな。そういう子なもんで。では、忙しいので失礼する。」
(夢彦)
名台詞度
★★★
 しんのすけが幼稚園に行くと、サキという女の子が転入生として紹介される。サキは教室で夢を語るかすかべ防衛隊の面々に悪態をついてネネやしんのすけを突き飛ばすという、まさに最悪の態度で接していた。その頃、園長室では組長先生とサキの父親である夢彦がサキの転入手続きを終えていた。組長が「これで短気入園のお手続きは終了です。短い間ですが、お友達が沢山出来るといいですね」と笑顔で語った際に、夢彦が答えた台詞がこれだ。
 教室でのサキの態度、そしてこの台詞のふたつでもってこの親子の「初期のキャラクター性」があっという間に完成してしまった。転入したばかりのようち園でクラスメイトを「おバカ」と言い切る娘をしっかり見せつけた後で、父親のこの台詞だ。特に子供の「親」として見ている者はこの台詞とその時の夢彦の態度を見て、「なんつー親だ」と思ったことだろう。「お友達が沢山出来ると良いですね」に対して「できんでしょうな」と答えるまでは良い、だが普通の親ならその娘の性格を心配しているとか、仲間はずれにならないかと不安だとか、そういう感情を見せるべきところなのに、この親はその点についてなんも心配も無い…というか無関心に見えるのだ。こうして見ている者は「この親にしてあの娘あり」と完全に印象付いてしまう。
 さらに言うと、「親」として見ている者はこのやりとりを見れば「サキちゃんの母親は何処で何をしているんだ?」と思うはずだ。もちろんこの段階ではサキの母親が故人である設定は出てきていないが、勘の良い人はその設定に気付いていることだろう。
 この無関心そうな台詞を、夢彦を演じる安田顕さんの見事な演技で再現されているのもみものだ。なるべくならこの園長とも関わりたくない、そんな気持ちを演技に上手く込めた上で、本当は無関心なのではなく他人に語りたくないだけという本心を持った台詞であることを上手く演じたと私は思う。

 ちなみに、私が「納谷六朗さんがこの世の人でないんだ」と最初に実感したのはこのシーン。園長先生の名前(高倉分太)の由来になった高倉健さんとと菅原文太さんと前後して他界してしまったの偶然としては悲しすぎる。森田順平さんが演じる新しい園長先生の演技に期待します。
名場面 新聞記事 名場面度
★★★
 朝の野原家、しんのすけがみさえにたたき起こされて朝食の食卓に着くと、ひろしが新聞を読んでいた。ひろしが新聞記事を見て「昨日、この辺で玉突き事故だってよ。負傷者8人」と言えば、しんのすけが「玉突き…8人?」と呟いてしんのすけなりの「8人が玉突き事故」を想像する。ひろしが「あらら、空港で100人が運行ストップで足止めだってよ」と言えば、しんのすけは立ち上がって「100人が、うんこストップ!?」と叫んで空港のトイレで大用禁止になっていて100人がパニックに陥っている光景を想像する。ひろしが「お、例の汚職事件、判決でたか」と言えば、しんのすけは「え? はんけつでおしょくじ…」と尻を出しながら言いかけたところでみさえの「げんこつ」を喰らい「おバカな想像ばかりしてないで早く食べいっ!」と叱られる。この光景をよそにひろしは紙面をめくって「おっ、これ収まったのか…」と呟く。みさえが「なに?」と返すと「隣の越谷市の集団悪夢シンドローム」と続ける。「怖い夢ばかり見るようになっちゃうんだって?」とみさえが返すと、ひろしが「子供らはパニックで学級閉鎖もあった」と記事の内容を続ける。この話題に続いてひろしが昨夜見た夢のことを語り出し、一家全員が「巨大な魚に食べられる」という結末の夢を見たことを語り合う。
 このシーンはギャグシーン(しんのすけの想像)としても面白いが、物語の取っ掛かりとしてとても重要なところでもある。ひろしとのしんのすけの新聞記事内容とそれに対する想像のギャグシーンは、その「取っ掛かり」の導入部分として上手く出来ている。いつもの「クレヨンしんちゃん」のように「日常生活でのおバカ」をキチンと演じて視る者を引き込んだところで、唐突感や無理もなく自然に「隣町で起きている夢に関わる事件」の存在を示唆する。この流れは自然にプロローグシーンでの各自の夢へと話題が繋がることで、野原一家がここで出てくる「集団悪夢シンドローム」というものに巻き込まれてゆくことと、同時にこれが本作の主展開であることをうまく示唆していると感心した。
 しかし、このシーンのしんのすけの想像はいつ見てもあまりにも下らないのが面白い。「8人が玉突き事故」てせ小笑いをして、「100人がうんこストップ」で大笑いだ。だいたい羽田空港のトイレで大用だけ禁止になるだけならまだしも、それで大パニックだなんて…想像しただけで下らなくて面白いのに、それをキチンとビジュアルで見せてくれるからこのシーンは大笑いなのだ。
研究 ・ 
 。

…その夜、春日部の人々の夢に明かな異変が起きる。
名台詞 「シンクロニシティ。人間の無意識は、深いところで繋がっている。」
(ボーちゃん)
名台詞度
★★★★
 サキが転入して来た日の夜、野原一家や「かすかべ防衛隊」の面々を含む春日部の住民が同じ夢を見て、同じ夢の中で意識を交わすこととなる。しんのすけら「かすかべ防衛隊」の面々が集まって、「本当にみんなが同じ夢を見ているみたいだね」「ウソみたい」等と語り合っていると、ボーちゃんが画面の下から現れながら語る台詞がこれだ。
 ボーちゃんらしくて好きな台詞だ。目の前で起きている現象を自分なりに理解しようとして、難しい言葉まで持ち出して自分の中で解決させるだけでなく皆に説明する。つまり全員が無意識のうちに「つながり」があるからこういうことになるのだと彼は説明しているのだが、実は物語が進むと「かすかべ防衛隊」のみんながこのように無意識で繋がっていることが重要になってくる。つまりこの台詞は物語のクライマックスへ向けた重要な伏線で後になってじわじわと来る台詞だ。
 「シンクロニシティ」の説明は研究欄に譲るが、その内容を見ると5歳児にはかなり難しい話だゾ。この用語について調べた人は皆「ボーちゃん恐るべし」と感じたことであろう。そういう意味でも後になって「じわじわとくる」台詞で印象深いのだ。
名場面 名場面度
★★★
 「かすかべ防衛隊」の一行はこれが本当に夢なのかを確認するため、マサオの身体を引っ張ったりつねったりするが、それでもマサオが「痛くない」(本当は痛そう)としたのでこれが夢だと確認する。身体を引っ張られたりつねったりされたマサオが「どうせ夢ならもっと良い夢見たいよ。例えば、漫画家になって…」と呟くと、足下にあった玉が回転したかと思うと、その上でマサオが売れっ子漫画家になった夢の再生が始まる。と思うと周囲にいる子供たちがマサオと同じように夢の再生が始まる。巨大なケーキ、恐竜、水中探検…これに続いて「かすかべ防衛隊」の面々も「見たい夢が見られるのね」と気付いて自分たちの夢の再生を始める、風間は選挙活動をしている夢(これが当選した後の夢じゃないのが面白い)、ネネはアイドル歌手になってヲタクに囲まれてコンサートをしている夢、ボーちゃんは自分が石になった夢…と再生されると、ひまわりが巨大化して両親をオモチャにしている夢や、シロがスマートになって野原を駆け回っている夢が再生される。満を持してしんのすけが「オラも、オラも」と叫んで、ななこおねいさんと抱き合っている夢を見る。
 もちろんここはいうまでも無い、子供たちの夢を楽しく明るく見せることで、その後に再生させる大人たちの夢と対比させる役割がある。同時に物語が進んで皆の夢が悪夢に切り替わったときにも対比させられるシーンとなるはずだ。彼らの夢は例外なく明るい色彩だけで描かれていて、悪夢なんか考えられないように上手く作られているところはこのシーンの見どころだ。
 もちろん、この後にはひろしとみさえの夢が再生されるが、それは明るい色彩で描かれてはいるもののとても小さくてその世界に入りきれない。既に物語の中には「悪夢」に転じることは示唆されていて、この明るい色彩の夢が楽しいだけでなく、今後の展開に不安と期待を抱かせる良いスパイスになっていると私は感じた。
研究 ・シンクロニシティ
 ここでは名台詞欄のボーちゃんの台詞にあった「シンクロニシティ」について研究しよう。
 シンクロニシティとは、日本語に訳すると「意味のある偶然の一致」、これは離れだ場所で同じ時刻に「意味やイメージが一致する出来事」が起きる現象だ。
 このシンクロニシティについてスイスの心理学者カール・ユングと論理物理学者のヴォルフ・バウリが、1932年にそれぞれの立場から論理的に解説した一説を下記に引用する。

「複数の人々の心にあるファンタズム(夢・ヴィジョン)と主観は同時的に起きているのであって、ファンタズムが起きている時には互いの心に(ファンタズムが)同時的に起きていることに気づいていないが、後になって客観的な出来事が、多かれ少なかれ同時的に、離れた場所ですら起きたと判明することになり、それについて(客観的な出来事が)シンクロ的に起きたのだと確信的に考えることになる」

 なんか難しく書いてあるが、要は本来は離れた場所で同時に起きた共通の出来事については単なる偶然ではなく、夢などのファンタズムでもって関係者が共に起こしているということだ。これが名台詞欄にあった「人間の無意識は深いところで繋がっている」という意味だ。
 いずれにしても、いわゆる「虫の知らせ」のような何かのきっかけのタイミングで離れた場所にいる複数が同じ体験をする。こんな出来事がシンクロニシティと考えて良い。
 この定義から考えると、夢彦が作った「ユメミーワールド」という機械装置を使っているとはいえ、それぞれの自宅で寝ているはずの人々が夢の中で一箇所に集まり、そこで会話をするなどの意識を交わすことは間違いなく「シンクロニシティ」だ。そしてこれは今後の考察で取り上げてゆくが、「ユメミーワールド」というものを機械装置して考えると、この「シンクロニシティ」による共通体験を人為的に発生させる装置だと言えるだろう。

…子供たちが楽しい夢を見ているので、大人たちがこれに続くと皆悪夢を見ることになる。こうして春日部でも「集団悪夢シンドローム」が発生する。
名台詞 「ふわぁ〜(欠伸)。父ちゃん、母ちゃん、おはようございます! いやー、すがすがしい朝ですなー。今日も1日、張り切って行きまっしょーい。」
(しんのすけ)
名台詞度
★★
 野原家に朝が来る。ひろしとみさえは悪夢にうなされて飛び起きて「集団悪夢シンドローム…」「春日部でも同じことが…」と疲れた様子で口に出す。一方しんのすけとひまわりは元気に飛び起き、その際に体操をしたり行進をしながらしんのすけが元気いっぱいに語った台詞がこれだ。
 もちろん、この台詞は「悪夢を見たひろしとみさえ」と「楽しい夢を一晩楽しんだしんのすけとひまわり」を対比させる役目があると言って良いだろう。悪夢で疲れ切ったひろしとみさえに対し、この台詞を語るしんのすけと隣にいるひまわりは寝覚めも良くて見ているだけで楽しそうだ。その楽しい夢を見てぐっすり眠れ、そのおかげで「目が覚めたら楽しい1日が待っている」というしんのすけの心情をオーバーに演じるからこそここは効果があるところ。それをその通りしんのすけ役の矢島晶子さんが元気いっぱいに演じていて、見ているこちらも楽しくなってしまう…悪夢で疲れたときにこれを聞かされたらたまらない、という感じまでうまく演じてくれているからとても印象的なのだ。
 しかしこの台詞に一点だけ不満があるのも事実。しんのすけがこの台詞を言うんだったら、「すがすがしい」のところは「がすがすしい」にして欲しかったなぁ、でもこのシーンじゃ「すがすがしいだろ」ってツッコむ役がいないか。
名場面 貫庭玉家の朝 名場面度
★★★★
 ひろしやみさえを筆頭に春日部の住民が悪夢でうなされた夜が明ける。なんらかの機械装置を操る夢彦とその装置の中にあるベッドで目を覚ますサキ。サキが父と、母の写真に「おはよう」と語りかけるシーンに続いて貫庭玉家の朝食の食卓が描かれる。夢彦が目玉焼きを作っているが、その台所はカップ麺が山積みになって整理されていない。サキはテーブルについて目玉焼きが出るのを待っているが、そのダイニングも食べ物の段ボールが山積みで居心地が悪そうだ。その食卓の上の朝食は…トーストは焦げていて、おかずにはポテチ、飲み物は缶入りトマトジュース…そこに出てきた目玉焼きは黄身が潰れて白身が焦げている、どう見ても「失敗作」だ。夢彦が目玉焼きを出しながら「よく眠れたか?」と問うと、「久しぶりにぐっすり眠れたよ」とサキが返す。「さあ、食べなさい」と夢彦が食卓に着くと、サキは無表情で焦げたトーストをサクサクという音を立てて食べ始める。夢彦が「おいしいか? サキ」と問うと、サキは「おいしいよ、パパ」と答えるが、二人とも無表情でなんか楽しそうでない空気が流れる。
 この貫庭玉家の食卓シーンは、「夢彦とサキ」のシーンで最も印象に残ったシーンだ。まずこのシーンで涙ぐましいのは料理などが不得意な夢彦が、それでも娘のためになんとか朝食を揃えて食べさせようという「頑張り」が伝わってくる点だ。これは子供がいる父親で「妻が留守の時に子供に慣れない料理をしてやった」経験がある人は身に覚えがあると思う。特に料理が趣味で無い限り、男性にとって「誰かに料理を作る」というのはとてもハードルが高い困難なことだからだ。
 そしてそうやって出来た「どう見ても失敗作」の料理を、それでも美味しそうに食べる子供の健気さ…。でも誤解しないで欲しいのは、この時のサキは「父が作った料理は不味い」とはこれっぽっちも思ってなくて、彼女が口に出したとおりで本当に「おいしい」のだ。子供にとって「親が作る料理」というのは、子供が持つ「親が出すものを食べなきゃ生命に関わる」という本能も手伝ってどんなものでも「美味しい」のだ。それが例え失敗作の料理でも、あり合わせの食糧でも…。
 これは私も離婚前、ある事情で当時の妻が料理が出来なくなって私が子供の食事(朝食・昼に持たせる弁当・夕食)を全部作っていた時期があるから心当たりがあるからこそ、「よく出来ているなぁ」と感じたシーンだ。
 そしてこのシーンでは、これらの要素を通じて二人にある「喪失感」をキチンと描いている。それはこの映画を視る者はこう感じたはずだ…「サキには母親はいないのか?」と。直前のサキの目覚めのシーンで、母親は額に入れた写真で初登場していることとこのシーンで「サキの母親はここにはいない」ことだけはハッキリするだろう。二人の無表情で楽しくなさそうな演出は、そんな「母不在」「妻不在」の父娘の様子をキチンと描き出しているのだ。
研究 ・ユメミーワールド(その2)
 今回のシーンでは、「ユメミーワールド」についてキーワードとなる台詞(というか用語)が出てくる。それはこの先、本劇中で何度か出てくる「夢玉」「ユメルギー」という言葉だ。
 ここではまず「ユメルギー」から研究してみたい。これは読んで字のごとく「夢のエネルギー」であり、「夢」と「エネルギー」の合成語であると考えて良いだろう。「エネルギー」である以上は、夢彦が夢を科学的に研究していた事実を考慮すると何らかの「物理的な仕事」をする能力があると考えられる。例えば飛んでいるボールには「運動エネルギー」があり、そのボールが木に当たって枝が折れれば「枝を折るという物理的な仕事」をしたことになる。「ユメルギー」にもそういう何らかの仕事ができるはずだということだ。
 だが本来、夢というのは人間か睡眠中に見る幻覚の一種であり、その幻覚によって現実の経験であるかのように感じる観念などのことをさすはずだ。つまり「物理科学」とは全く別次元の世界で起きている事象に対する「エネルギー」であるため、この「エネルギー」は「物理科学」的なものではない可能性もある。という観点で考えると「ユメルギー」は1人1人が持つ「夢の力」であって、夢彦はこれを各人から抽出して他の人の夢に作用させることに成功した科学者なのかも知れない。
 ただ物語が進むと描かれるサキの母の死亡事故では、明らかに「ユメルギー」が爆発した様子が描かれているため、やはり「ユメルギー」は「物理的な仕事」をさせる「エネルギー」のひとつであることは確かだ。やはり夢を「ユメルギー」として抽出、現実世界でこれを保存するには物理的エネルギーとして保管するということになるのだろう。この点についてはサキの母親の死亡事故のところで再度考察したい。
 そして「夢玉」は、各人が持つ「ユメルギー」量を「玉の大きさ」可視化したものだ。夢彦が「ユメミーワールド」で行っていることを考慮すると「ユメルギー」を何らかの形で可視化し、監視しなければならない。また他人の「ユメルギー」を抽出して保管または転用する以上、可視化は絶対に避けて通れないはずだ。恐らく夢彦の研究所では、測定器のメーターに表示させるなどの形で「ユメルギー量」の可視化は出来ると思うが、集団幻覚のひとつと考えられる「ユメミーワールド」内という環境にこのような測定器を持ち込むことは出来ない。
 だからこの「夢玉」は「ユメミーワールド」内において「ユメルギー量」を可視化するために夢彦が考案したもので、「ユメミーワールド」のシステムに組み込まれていると考えられる。この辺りの詳細はまた次回以降に…。

ようち園では、皆が昨夜の夢について楽しそうに語り合っている。同時に親たちが「怖い夢を見た」話でも一致するが、子供たちはこれを全く気に掛けない。
名台詞 「どうせすぐ嫌いになるよ…。何でもない。」
(サキ)
名台詞度
★★★
 ようち園でサキが「ばら組のチーター」ら悪ガキと喧嘩をする。ばら組の悪ガキ共に追われたサキは、しんのすけに助けられて難を逃れるが、そのしんのすけに礼を言うこともせずにその場を立ち去り、ようち園の片隅にある飼育小屋で独り佇んでいる。そこに怒り顔のネネが現れ「ごめんなさいだけじゃなくって、ありがとうも言えないの!?」とサキに詰め寄る。「あんなおバカに助けられるなんて、屈辱」と飼育小屋のうさぎと戯れながら返事を返すサキ見てネネは怒りで身体が震えた後、突然笑い出す。「あんたって筋金入りね、そこまで行くと嫌いじゃないわよ」と語るネネにサキが返した言葉がこれだ。この光景を見たボーちゃんが影でコッソリ「…青春」と呟く。
 ようち園に現れてから、父と一緒に誰にも心を開かない描写が続いたサキ。もちろん本作の主役チームであるかすかべ防衛隊は、劇中でサキを友とする行動を取るのが王道ってところだ。ここは物語がその方向に進み始める、マサオがサキに惚れて「友達になって」と告白してはフラれ、サキが「チーター」らと喧嘩になればしんのすけが主人公らしくこれを助ける。だがこれらに拒否の反応を示したサキに、ネネがとどめの台詞でサキを引き込もうとしている構図なのは確かだ。多分多くの子供向けのアニメならここであっさりとサキが仲間に引き込まれると思う。だがここではそうはしない、サキはこのネネの告白に対しても「拒否」の台詞で返したのだが、その反応はこれまでと少し違う。
 このシーンの前までのサキの反応は、ただ無関心を装うだけだった。これはマサオの「友達になって」の告白に対する「ならない、いらない、さようなら」という反応が典型例と言えよう。だがここの反応は少し違う、この時のサキはハッキリと「自分は嫌われる運命にある」ことを自覚していて、その原因となる何らかの事情があることを暗に示している。だからこそ自ら心を閉じて敢えて友達を作らない…ということが垣間見えるようにうまく台詞が選ばれているのだ。
 この台詞を吐くサキが、飼育小屋のうさぎと戯れながらというのもひとつのポイントだ。この行為はサキがこの台詞とは裏腹に、「友と呼べる相手が欲しい」という願望を持っていることをうまく織り込んだと感心した。そのサキの願望が事実であることは物語が進んでいくと解るのだがそれはまだ先の話で、ここでは勘の良い人がこれに気付くという構図になっている。そういう伏線も織り込んでいることに、この台詞に感心したのだ。
名場面 ドキッ! おねいさんだらけの丸ごと水泳大会 名場面度
★★★★★
 このしんのすけが見ている夢、サイコー。しんのすけらしくて良いわ。これを見た風間が「あいつは本当に5歳なのか?」と問う台詞も、彼らしくて良い。
 でも昨夜まで夢に見ていたななこおねいさんがいなくなっている事を考えると…こいつ浮気者なんだなーって、わかりきったことか。

 ここは印象的なシーンが多くて名場面に何を選ぶか悩むところだ、ひろしが見た夢もホラー映画の何倍も怖くて印象的だったし(私は映画館での初見の時は思わず手で顔を覆った)、マサオの夢が吸われた上に彼が悪夢に落ちるシーンは物語展開上重要だ。だけど、このしんのすけがみた夢ほどパンチが強いものは無いと思う。
研究 ・「ばら組のチーター」
 今回、サキが喧嘩をした相手のリーダー格は、しんのすけらが所属する「ひまわり組」のとなりの「ばら組」に在籍する、通称「ばら組のチーター」だ。本名は「河村やすお」という設定があり、劇場版登場はこれで二度目、私が彼の活躍を映画館の大スクリーンで見たのはこれが初めてだ。
 この単に「主人公のとなりの組にいる脇役」の1人にしか見えない彼をわざわざ研究欄で取り上げるには理由がある。実は「ばら組のチーター」は脇役のくせに「クレヨンしんちゃん」ではとてつもなく古いキャラの1人なのだ。彼がどれだけ古いキャラか、実は初登場がばら組の担任であるまつざか先生より先だと言えばその古さを実感してもらえるだろう。もちろん、まつざか先生より古いと言うことはひろしやみさえよりも初出が先のキャラの1人である。
 「ばら組のチーター」の原作漫画初出は1990年秋、アクション誌における連載第6話(単行本未収録の初期作品)である。このエピソードは「クレヨンしんちゃん」の連載が始まって最初の運動会のもので、ネネやよしなが先生の股間にモザイクが掛かる等の強烈なギャグがあるエピソードだ。
 その後半はしんのすけが徒競走に参加するストーリーになっていて、その時に「オレと走るのはおまえらか…」「ふ、楽勝だな」と腕を組んだでかい態度で登場したのが「ばら組のチーター」の初出だ。この時にしんのすけは「でかいしりをなでる奴」と返すが、風間がそのしんのすけの台詞にツッコんだ後「あいつは『ばら組のチーター』と言われるすごく早いヤツだ」と解説を入れる。これに対してしんのすけ「オラはよく便秘になってきばる時に涙流すだ、だからオラ家では『便所のウミガメ』と呼ばれている」と返す。
 この連載第6話は古い「クレヨンしんちゃん」を知っている人には有名な、しんのすけが「中2の姉がいる」と発言したエピソードだ。この時に「ばら組のチーター」も「ウチの中学のアニキは陸上部のエースなんだぞ」と発言している。つまり「ばら組のチーター」の初期設定では中学生の兄がいたことになっているのは、多分「クレヨンしんちゃん」ファンでも知っている方は少ないことだろう。
 ちなみにばら組の担任であるまつざか先生の初登場は、「ばら組のチーター」より1話遅れて連載第7話(単行本未収録の初期作品 前話の運動会のエピソードの続き)となる。この第7話でも「ばら組のチーター」はリレーのアンカーとして登場している。この際には「ばら組のチーターと呼ばれてる早いヤツ」と解説付きだ。
 このように「ばら組のチーター」は「クレヨンしんちゃん」の中でも古参キャラの1人で、彼の登場履歴を調べることは「クレヨンしんちゃん」の歴史を語るのと同じことになると言って良いほど古いのだ。ちなみに「クレヨンしんちゃん」でひろしやみさえより初登場が古いキャラは、かすかべ防衛隊の全員、よしなが先生、まつざか先生、組長先生とその妻、ばら組のチーター、ネネちゃんのパパ(アクション仮面を含む「だらくやストア物語」からの転用キャラ除く、順不同)ということになる。これは初期のエピソードがカットされた上、ひろしとみさえ初登場後のエピソードを先にするという掲載順序変更を行った現在の原作漫画単行本からは読み取れない情報であろう。

…翌朝、風間は夢の中で何者かが夢を吸い取っているのを目撃した旨を力説する。これに対してネネが「これは大事件」と返すと、一同は「かすかべ防衛隊」でこの謎を解こうと立ち上がる。だが風間が「人手が足りない」というと、ネネが「一人心当たりがある」と語る。
名台詞 「(今は友達など)作らない方が私のため、分かってるよパパ。」
(サキ-括弧内は夢彦)
名台詞度
★★
 サキが「かすかべ防衛隊」に加入した夜の夢の中、夢彦は「家に誰も入れるなと言ったはずだ」とサキを叱る。「あいつらが勝手に入ってきた」「仲間のフリをしていれば怪しまれない」と言い訳をするサキに、「また辛い思いをするだけだ」と夢彦が突きつける。その後に続くのが、この台詞だ。
 この二人の会話からはサキが春日部で友達を作らず孤独にしている理由が読み取れる。この夢の世界とサキの間に何らかの関係があり、それが友達に嫌われる理由であることだ。だからこそ父は娘を思って「今は友達など作らない方が良い」と考え、ようち園の友達を家に入れないように指導している。同時に過去、先が友達を作ったことで深く傷ついた過去があることも読み取れる。
 だがサキの思いは違うところにあるのが、このサキの台詞の語り口調からハッキリ読み取れる。ここでのサキの口調は素直にこれを受け止めているのではなく、何処か納得の行かない微妙なものなのだ。つまりサキはサキで友達というものを欲しているのは確かであり、これがこの先の展開において重要な点だろう。このような台詞があるからこそ、物語が「かすかべ防衛隊」とサキの友情物語に進んだときに説得力が出てくるのだ。
名場面 新メンバー加入 名場面度
★★
 ネネの提案で、サキを「かすかべ防衛隊」の新メンバーに加入させるべく一行は先の家へ向かう。その庭に入り込む一騒動で、不要品の置き場を見つけたしんのすけが「ひみつ基地だ!」とはしゃぐ。そのしんのすけをスコップで殴ろうとしたサキをネネが静止し「サキちゃん、かすかべ防衛隊に入ってくれない?」と単刀直入に問う。「え?」と戸惑うサキにネネは夢の世界での異変を語り、「かすかべ防衛隊に入って一緒に事件を解決しましょう!」と力説する。ため息をついて「なんで私が?」と返すサキに、ネネは「負けん気が強くて頼もしいから」「あと、いつも一人で寂しそうだから」と理由を述べる。これを聞いたサキはネネの前に立ちはだかり、「約束できる? 私のこと嫌いにならないって…」と小指を差し出す、これにネネは少し驚いた表情を作った後で笑顔を作り「いいわ、これでサキちゃんはかすかべ防衛隊の新メンバーよ」と「指切り」をしながら語る。しんのすけが「ひひはかすかべ防衛隊の新秘密基地だゾ」とはしゃぎ、風間が「よろしくね」、悪夢で疲労中のマサオが「なんの騒ぎ?」、ボーちゃんが「青春」と呟くなど、それぞれ「らしい」反応で返す。
 本作の「かすかべ防衛隊」を中心とした展開のスタートはなんてったってここだ。展開的にはサキが新メンバーとして加入し、ネネと「嫌いにならない」という指切りの約束を交わす。これはもちろん、物語が展開するとネネがサキを嫌いになってしまう出来事が起きる伏線であり、サキの秘密に迫る展開に入りつつあることをも示唆している重要なところだ。そして物語が、その「嫌いになる出来事」を乗り越えた友情に行き着くことも、このシーンは示唆している。
 そしてこの展開的に重要なシーンを、様々なスパイスでもって印象的に描き出している。しんのすけが「渡辺篤史の建もの探訪」のギャグをするしーんは、本シーンの導入としての印象付けを本当にうまく行っていると思う、背景でしんのすけが不要になった機械のレバーやボタンで遊んでいるシーンは自然で良い。何よりも最初にしんのすけが「ひみつ基地」にたどり着いたときの描写は芸術的でもあり、とても印象的だ。
研究 ・ 
 。

…サキは「かすかべ防衛隊」に加入したその夜、「ユメミーワールド」に入るための装置を装着せずに眠り悪夢にうなされる。一方、「かすかべ防衛隊」は風間が音頭を取って夢の中の世界を調べ始める。
名台詞 「どういうつもりよ!? 嘘ついていたの!? あんたなんか、大っ嫌いよー!」
(ネネ)
名台詞度
★★★★
 夢の中の世界で風間がしんのすけとネネに声を掛けて、この世界の謎を解こうと調べ始める。風間がユメミーワールドの中心部へ向けて選挙カーを走らせると、すぐにユメミーワールドの動物たちに見つかってしまい追われる身となってしまう。だがそのおかげでユメミーワールドの中心部にたどり着きここでサキを発見、夢彦が出てきて「油断してしまったな、だから友達など…」と言ってピストルのようなものを構えると、サキは「待ってパパ、こいつら友達じゃないよ。バレないよ!」と叫ぶ。この台詞にネネが「何言ってるの?」と返すと、サキは「五月蠅いおバカ! あっち行け!」と怒鳴り返す。風間が「この世界は君が作ってるんだね」と返せば、ネネは「そんなわけない…でしょ、サキちゃん。ねぇ、サキちゃん!」とサキに問う。すると4人は動物たちに捕らえられ、これを見た夢彦は「友達ではない、ということにしておこう。どうせこの街は終わりだ」と呟いてピストルのようなものを仕舞う。これを見たネネが叫ぶように先に向かって語った台詞がこれで、ネネがこの台詞を言い終えた瞬間に4人は動物たちに投げられて悪夢の世界に飛ばされてしまう。
 前々回部分の名台詞欄、それに前回部分の名場面欄の答えがここに出てきたと言って良いだろう。サキは常に「友達になっても自分のことが嫌いになる」という点を示唆していて、これを特にネネに対して主張していた。だからこそ「サキが嫌い」になったという台詞をネネが吐くことはとても重要で、その点で印象に残る台詞なのは間違いないだろう。同時に長年にわたりネネちゃんの声を担当している林玉緒さんの演技もここは素晴らしい。この台詞を語るときに「大嫌い」という感情が上手く伝わってくるのだ。だからこそここで「かすかべ防衛隊」とサキの友情物語の危機は真に迫るものになるのだし、視ている者も「どうなっちゃうんだろう…」とさらに物語に引き込まれてゆく。同時に投げ飛ばされたことで「かすかべ防衛隊」そのものの危機にも落ちてゆくわけであって、この台詞をきっかけに本作は本当に目が離せない展開になってゆくのだ。
名場面 サキの悪夢 名場面度
★★★
 夜、サキは母の夢を見る。ところがサキが見ているのは悪夢を見てうなされているさらに小さい頃の自分が母に慰められているのを、第三者視点で見ている夢だ。そこへサキが「ママ…」と声を掛けると、サキの母であるサユリは突然険しい表情で「近付かないで!」と叫ぶ。しかも私服を着ていたはずのサユリは、そこで突如白衣姿に変わっているのだ。と思った瞬間、小さい頃のサキが両親の研究室に勝手に入り込んで母親に叱られている記憶のシーンとなる。「この部屋には入らないでって言ったでしょう!」と感情的に怒鳴る母親に、研究室の中の装置が「きれい、お花みたい」と純粋に訴えるサキ。だがサユリは「馬鹿なことしないでちょうだい」「早く出て行って」と感情的な台詞とともに無理矢理サキを退室させる。しょんぼりして研究室から出て行くサキの後ろ姿に、サユリは表情を変えて振り返り「本当、お花みたいね」と声を掛ける。サキが「ママ…」と呟いて笑顔になったと思った次の瞬間、サキの表情は恐怖に変わっている。サキが見た母親の顔は悪夢に出てくるバケモノと化していて、周囲の風景は悪夢の暗い景色に変わっている。サキはバケモノから逃げようとするがすぐに転倒し、バケモノに脚を掴まれて引きずられてゆく…。
 このシーンを見て「よく出来た悪夢だ」と感心してしまった。まず悪夢の冒頭、サキが母親に暖かく慰められているシーンなのかと思ったら、実はサキがこれを第三者視点で見ているというシーンから入ったのはとても印象的だ。この部分だけでこの場面が「サキが見ている夢」であり、しかも視ている者が「決して良い夢ではない」と気付くように出来ているんだから恐れ入った。さらに言うとここまで全く登場していなかった「サキの母親」というのが、何らかの理由で現在はサキと一緒ではないということも理解できるように作られている…これらを説明的な台詞一切無しで視ている者に分からせてしまうのだから凄いと思った。
 そして夢の続きを見ていると、サキが感情的に怒鳴られた記憶(これは「叱られた」のではない)…つまりサキの中では「母親に怒鳴られた」記憶が強く残っていて、これが悪夢の原因になっている事も上手く示唆している。その上で怒鳴ったサユリが一度は笑顔になった後で、悪夢のバケモノに変身するという展開はとても怖く、ホラー的要素も若干あって物語を上手く盛り上げている。
 そして同時に色々な謎も生まれて視る者を物語に引き込むようにも出来ているのだ。視ている者の最大の関心事は「サキの母親はどうなってしまったのか」「サキの母親と悪夢の関連」というところであろう、ここで発生した謎は物語が進むとちゃんと分かりやすく解決するのは、この映画を観ていて気持ちいい点でもある…というのは映画が終わった後に感じることなんだけど。
研究 ・ユメミーワールド(その3)
 今回部分でも「ユメミーワールド」についての様々な点が見えてくる。まずは「ユメミーワールド」起動時にサキが何らかのヘッドセットを着用するシーンが描かれるが、これによって「ユメミーワールド」のシステム自体が見えてくる。
 先に結論を言うと「ユメミーワールド」は誰か特定の人の夢を、不特定多数の人が同時体験できるシステムであるということだ。同時に「ユメミーワールド」の存在理由が「サキを悪夢から救う」ことにあることも今回部分から判明するため、春日部の人達が体験している夢はサキの夢で間違いないだろう。すると悪夢に落ちた人々が、サキが襲われたのと同じバケモノであることについても合点がいく。
 つまり「ユメミーワールド」のシステムはこうだ。共通の夢を見せる中心人物(ここではサキ)を専用のベッドに寝かせる。このベッドはあくまでも「夢を見るため」に快適な睡眠を提供するためのもので、基本的には単なるベッドだと思ってもらえば良い。問題は同時に着用するヘッドセットで、これによってサキが見ている夢を脳波などから抽出し、夢彦の研究室にある装置に送り込まれるように出来ているのだろう。これでサキが眠りに落ちて夢を見ると、夢彦の家の屋根上にあるアンテナから広範囲に強力な脳波のような形で信号が送られ、周囲にいる人々が強制的に「集団幻覚」を見せられる形で同じ夢を見る。同時にその同じ夢を見た人々の脳波がこのアンテナを通じてアンサーバックされ、同じ夢を見ている人がその夢に介入できるようになっていると推測できる。
 だがこれだけでは「ユメミーワールド」は成立しない。サキが「ユメミーワールド」とは無関係な夢を見れば、街の人々全員がその無関係な夢を見せられるだけだ。つまり眠りに落ちたサキが「ユメミーワールド」の夢を見ないことには、劇中で起きている現象は起きないことになる。
 そこで夢彦の研究室にある巨大な装置だ。これは前述したような「街の人々がサキが見た夢を同時体験する」というシステムであるだけでなく、サキに「ユメミーワールド」の夢を見せるシステムも含んでいるのである。サキが眠りにつくとヘッドセットを通じてサキの脳にいわばOSのような形で「ユメミーワールド」のデータを送り込む。このデータは同時にサキが侵されている悪夢からサキを守るワクチンのような役割も持っていると考えれば、「ヘッドセットを付けていないと悪夢に喰われる」という夢彦の台詞とも合点が合う。ただサキの悪夢の力が強すぎて、このデータだけでは悪夢を除去しきれないから、他の人達から良い夢を吸うというもうひとつの「ユメミーワールド」の機能が追加されているのだろう(この点については次回以降で)。
 夢彦がこのような「不特定多数に同じ夢を見せる」装置を開発した理由はひとつしかない、これをテレビや映画に代わる新しいエンターテイメントとして提供しようとしていたに違いないのだ。つまり映画などのコンテンツをスクリーンで見せるのではなく、「夢」というかたちで人の脳に直接インストールすることで、人々はその世界に入ったような感覚で物語を見ることが出来るし、観覧者がその物語の主役になる事だって可能だ…って、こういうの前に本サイトで研究した記憶があるなぁ。あ、「スペースコブラ」の第一話だ。この作品に出てきた「トリップムービー」みたいなシステムを、夢彦は妻と一緒に開発していたんだろうなぁ。

…次の日、サキは独りで自宅の庭に出来て…そして誰も来なくなった「かすかべ防衛隊」の「ひみつ基地」を寂しそうに眺めている。そこへしんのすけが現れる。
名台詞 「サキちゃんがまた独りぼっちになっちゃうから。オラがサキちゃんの夢をお助けするゾ! ひみつ基地がなくなっちゃうのも嫌だし…。」
(しんのすけ)
名台詞度
★★★★
 夕方、サキは自宅の庭に出来た「かすかべ防衛隊」の「ひみつきち」を独り眺めている。昨夜の夢のせいでここには誰も来なくなってしまったのが寂しいようだ。だがそこにしんのすけが現れる、「みんな、もう来ないって」「ネネちゃん、怒ってるゾ」としんのすけが告げると、サキは「あっそ」と軽い返事の後に「ひみつ基地もおしまい、友達ごっこもおしまいね。私、普通の夢が見られないの。だからパパがユメミーワールドを作って私を守ってくれている。あんたたちのユメルギーを使ってね。わかった?」としんのすけに問う。これにしんのすけが頷くと「もうすぐこの街を出て行くの、そしたらみんなの夢は元通り。それでいいでしょ?」とサキが問い続けるが、これにしんのすけは「ダメ!」と答える。サキが険しい表情で「警察に言う気?」と迫るとしんのすけは「言わない」と返し、サキが「何がダメなの?」とさらに問うた返事がこの台詞だ。
 この台詞はしんのすけが主人公らしく振る舞ったという点でとても印象深い台詞であろう。「かすかべ防衛隊」メンバーがサキを新メンバーに迎えた理由として、「(サキが)いつも独りで寂しそうだから」という点がある。昨夜の夢の一件で他のメンバーはそんな理由なんか忘れてしまったようだが、しんのすけはこれをしっかり覚えていて物語を継続させる役割を持つのだ。同時にこれまで閉じていたサキの心を開かせ、停滞し掛かった物語を新たな方向へと進める。その全てはこのしんのすけの主人公らしい台詞にあるのだ。
 こしてこの台詞をきっかけに、前述したように閉じたままだったサキの心が突然開かれる。この台詞を聞いたサキは驚いた表情でしんのすけを見つめ、一度は彼女らしく「私の前でおバカなこと言わないで!」と強がって叫ぶ。だがその表情は何か堪えられない感情を必死に堪えているものとして上手く描かれている。次の瞬間、サキは突如涙を流して大泣きする。それを見て困惑するしんのすけの様子がまた彼らしくて良い。前後するがしんのすけがこの台詞の中で、ひみつ基地にこだわっているところも子供らしくて好きだ。
名場面 野原家の玄関先で 名場面度
★★★
 名台詞欄シーンを受けて、しんのすけはサキを家へ連れ帰る。そして夕食(自家製お好み焼き)を共にしながら、サキは事情を全てしんのすけの両親に打ち明ける。そこへ娘が野原家にいることを知った夢彦が迎えに来る。ひろしが「おい! 子供のためだからってやり過ぎだぞ」と怒鳴り、みさえが「全部サキちゃんから聞いたわよ」と夢彦に詰め寄る。夢彦はみさえに詰め寄って「なら分かるな、警察も医者も役に立たん。私だけだ、この娘を救えるのは!」と怒鳴り返す。みさえが迫力に負けて後ずさりしてしまうと、しんのすけが「でっかい声」と口を挟む。「ぼうず、二度とサキに近付くな」と夢彦はしんのすけに告げる。しんのすけが頷くと、「じゃあちょっかいは?」「出すな」「お節介は?」「焼くな」「ちんちんは?」「勝手に掻け」「もう訳わかんないゾ」「私もだ」とアホなやりとりになってしまう。「何をしている、早く乗れ」と夢彦がサキに車に乗るように促すが、その際にサキがしんのすけの方を振り返るとしんのすけは黙って頷いている。サキを乗せた夢彦の車が去る。
 うまく出来たシーンだ。長々と説明したが、このシーンで印象的なのは最後のしんのすけがサキに頷いているところだ。だがその前座としてひろしとみさえが夢彦に怒鳴ったり、しんのすけと夢彦のアホなやりとりはとても重要だ。これらのシーンでキチンと緩急を付けた上で、本当に重要で印象的なほんの一瞬のシーンをうまく落とし込む。こうしてここでの「しんのすけとサキの間に生まれた信頼関係」を視ている者に植え付けることに成功したシーンだと思う。
 そしてこの信頼関係を描くのに、しんのすけにもサキにも余計な事を言わせないためにも、前座シーンは重要だし、二人の信頼が「言葉以外のもの」で繋がっていることも上手く示唆している。それはサキの側から見ればしんのすけだけが「嫌いにならない」という約束を守り、「自分を独りぼっちにしない」という目的に従って行動していることに対しての信頼に他ならない…私はそう解釈している。
研究 ・ユメミーワールド(その4)
 ここではいよいよ、夢彦やサキが「ユメミーワールド」で何をしているかが明確に語られている。その内容はサキが「私、普通の夢が見られないの。だからパパがユメミーワールドを作って私を守ってくれている。あんたたちのユメルギーを使ってね」としんのすけに告げる台詞でハッキリした。つまり悪夢に侵されているサキの精神を、他者の「ユメルギー」を使って正常に保たせようというのが、この劇中で「ユメミーワールド」を使って行われている出来事だ。
 「ユメルギー」については前にも考察しているが、「夢」と「エネルギー」の合成語でこの物語を見るに当たっては「1人1人が持つ夢の力」と考えて頂ければ良い点もそこで解説している。このユメルギー量を可視化したものが「夢玉」であることも、ここでは思い出して頂きたい。
 ここまで単純に考えて、サキに他者の「ユメルギー」を与えることでサキの悪夢が改善する…と思いたいのだが、それはちょっと違うと思う。ただ単に「ユメルギー」を「夢の力」だとすると、次のような疑問が持ち上がってくるはずだ。「サキが見ているものに限らず、悪夢にもユメルギーがあるのではないか?」と。
 ここで劇中に出てくる「ユメミーワールド」について、私の考察を読み返しながら再度考えて頂きたい。「ユメミーワールド」は基本的に「サキが見ている夢」であって、夢彦をはじめ他の人達はサキの夢に入っているかたちになっている。ここから先が重要なポイントで、サキは悪夢に侵されているため基本的にその世界は悪夢の世界で、グレートーンの世界の中でバケモノがうごめいている世界が中心になっている。
 その世界に巨大な魚がいて、これに喰われてその体内に入ることでその悪夢世界から解放されて、悪夢でない夢の世界を作ることが出来る。つまり魚の体内は「良い夢」の世界であって、外の悪夢世界とは違うと言うことだ。
 この「ユメミーワールド」の世界観から察するに、「ユメルギー」には「正のエネルギー」と「負のエネルギー」があると考えよいと思う。当然「正のエネルギー」が「良い夢」であり、「負のエネルギー」が「悪夢」ということだ。サキの夢は「負のユメルギー」に満ちた世界であり、サキを救うために夢彦がサキの夢に不特定多数が入れるようにすると同時に、「正のユメルギー」に満ちた空間を作ったののだと考えられる。その空間は夢として見ると「巨大な魚」になるということだ。
 夢彦は「正のユメルギー」を何らかの形で「負のユメルギー」に変換することで、「正のユメルギー」を抽出する技術を持っているのだろう。その状態を「正のユメルギー」が「負のユメルギー」に変換させられた人の夢では、「巨大な魚から吐き出される」ように見えるのだと考えられる。恐らく「ユメルギー」にもエネルギー量保存の法則みたいなのがあって、「正のユメルギー」を失ったらそこに「負のユメルギー」が入らないことにはエネルギーのバランスが崩れるのであろう。だから「正のユメルギー」を抽出された人は「負のユメルギー」によって悪夢を見ることになる…こう考えるとこの世界観がスッキリする。
 そして「ユメルギー」もエネルギーの一種である以上は、正から負への変換には別のエネルギーを注入することになるのであろう。サキの悪夢を正に変換するには莫大な量のエネルギーを必要とするため、街の人々の「正のユメルギー」を抽出してサキの悪夢に注入することが夢彦が行っている行為なのだろう。こうすることでサキの悪夢は「正のユメルギー」によって活動が抑えられ、サキは最低限の正常心を持っていることが出来るのだろう。だがサキの中から「悪夢」という「負のユメルギー」が消えていないので完治はしない…というのが、この時点での状況だと解釈すべきだ。

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