…団地を含む街の花火大会の夜を経ると、夏休みはあと僅かだ。高校の歴史の補修はいつしか町中の人が大勢集まって立ち見も出るようになったが、無事に終了する。そしてともおが育てていたひまわりは沢山のタネを付けた。 |
名台詞 |
「こんなこと言ったら、おじいさんにまた怒られるかも知れないけれど。見ず知らずの、しかもちょっと成績が悪い俺みたいな子孫のために、良いとか悪いとかじゃなくて昔の日本人が必死だったって思うと、どう言ったらいいかわからないけど…。俺、タイムマシンを発明するのは無理そうだけど、二学期はもうちょっと成績上げて先祖達に命懸けの甲斐があったとちょっとは思われたいと思ってる。」
(ともお) |
名台詞度
★★★★★ |
ともおが育てたひまわりが無事にタネを付けた。ひまわりのタネを回収したともおだが、タネの回収に使った新聞紙に「戦後70年」の文字を見つけて突然家を飛び出す。そして彼が行った場所は、あの戦争体験を語った老人の家だった。
玄関で老人と向かい合ったともおは、「この間はすみませんでした」とまず戦争体験を聞きに行った日のことを詫びて頭を下げる。だが老人は「いや、わしも君に謝りたかった」と返す、驚いて頭を上げるともお。「君たちが分からないのも当然だよ。わしら、戦争が悲惨だ悲惨だって話をするだけで…」と語って言葉を切る老人に、ともおが語る台詞がこれだ。
これが名場面欄に書いたオチの後に描かれた、ともおが行き着いた結論だ。彼は祖父の身近な話と、老人の負け戦の話と、自分の中で分からないことと、色々あって理解できたこと…これがひまわりのタネを回収しているときに「戦後70年」の記事を見て繋がったのかも知れない。彼の思いは戦争が悲惨だと言われ続けているのは負け戦だからであって勝てば悲惨ではないのかという疑問と、当時の日本人は悲惨だとは思ってないし思われたくもないという考えだった。その二つの思いが交錯したとき、彼が考えたのは「祖先達は未来を生きる自分たちのために必死だった」ということであり、だからこそ「祖先の必死な戦いに報いる必要がある」という思いだ。その二つの結論を、ともおなりの言葉で上手くまとめたと思う。
そしてこれはともおが出した結論であると同時に、視聴者に対する問題定義であり挑戦であると思う。この台詞には制作者が視聴者に「あなたたちは必死に戦ってくれた祖先に報いる生き方が出来ますか?」と問うているのだと思う。そしてそうゃって祖先に報いることが、「戦争は悲惨」という事実を知るのと同じ位に大切なことだという訴えだと私は感じる。
私はこの台詞を聞いて、「祖先に報いる生き方」を真剣に考えてしまったほどだ。
この台詞の後、老人は大笑いしてともおに「麦茶でも飲んでいけ」と誘うが、それを断りかけたともおに「水ようかんもある」というと、ともおは遠慮なくご馳走になる。そして老人は、南方での「勝ち戦」の話を語り出す。最後にともおが書いた実ったひまわりの絵が大写しになり、団地の上に広がる入道雲というシーンで本話は終わる。 |
名場面 |
花火大会の夜 |
名場面度
★★★★ |
街の夏休み最大のイベントは花火大会だ。木下家も家族全員で近くの土手へ足を運んで花火見物。花火を見ながらともおは単身赴任設定の父に「父さん、本当に明日帰っちゃうの?」と問う。父が「ああ、またすぐ来るよ。作文の宿題はもう書いたか?」と返すと、ともおは「まだ」と素っ気なく答える。これに「終わったらどんなことを書いたか父さんに教えてくれよな」と父は息子の肩を抱きながら優しく答える。「うん」と元気よく返答するともお、団地の夜景に花火が美しく光る。
実はラストシーン(名場面欄)を前にしたこのシーンが、本話の「オチ」と私は考えている。本話のサブタイトルは「夏休みの宿題は終わったのかよともお」である。まさにこのシーンでは父がともおにそのサブタイトルの質問をして、それがまだである事がハッキリ解る。つまり、彼の夏休みの宿題は終わっていないのだ。
ここで「夏休みの宿題は終わっていない」というオチを演じているが、またともおが持つ「戦争」への思いについての結論は出ていない。この結論こそが本話の目的地であり、ともおが作文の宿題に書くと考えられるテーマであると同時に、本話の主題であり視聴者に対する最大の問題定義…つまりハイライトなのだ。だからそのラストシーンは敢えて「オチ」とはなっていない、名台詞欄の台詞でともおが問題定義した後に視聴者が考えて、自分でもうひとつのオチを付けねばならないという難解な展開なのだ。
だがこのシーンでもってサブタイトル通りの物語は決着がついた。次々のシーンでともおが育てたひまわりが無事にタネを付けた所を見れば誰もがそれで納得が行くだろう。つまり物語のハイライトからオチへの展開が逆に描かれているということだ。 |