…白亜紀から戻って来たのび太は、ジャイアンとスネ夫の呼び出しを受ける。「恐竜を丸ごと捕まえる」という約束を果たせなかったとして、のび太に鼻でスパゲティを食べるよう要求するのだ。ご丁寧にもスパゲティまで用意してあった。 |
名台詞 |
「そもそも無茶な話だったのよ、現代に生きた恐竜なんかいるはずないし、鼻でスパゲティが食べられるわけもないでしょ。あっさり謝っちゃえば、笑い話で済む事じゃないの。行きがかりで嘘をつく事って誰にでもあるけど、いつまでも強情を張り続けるなんて男らしくないと思うわ。」
(しずか) |
名台詞度
★★★ |
ジャイアンとスネ夫によって、無理矢理スパゲティを鼻に押しつけられたのび太だったが、何とか逃げ出してしずかの家に「かくまって欲しい」と飛び込む。だがそんなのび太を待っていたのはのび太を慰める台詞でなく、こののび太を叱りつけるようなこんな台詞だ。
これは正論である。もう冷酷なほどの正論である。出来る事もしないことを「やる」と宣言し、出来なかった場合はまた出来もしないことをやると条件にする。そして何処かで「ごめん」と言えば済むことなのに、それを認めずさらに意地を張る。これはのび太がよくはまる悪循環であり、これをしずかは見ていて「のび太の欠点」としてちゃんと捉えていたのだろう。そしてこのたび、嘘に嘘を重ねて逃げ回るのび太に業を煮やしてこの台詞を吐いたであろう事は想像に難くない。そんなのび太の性格上の欠点を指摘する内容として正論でのび太は反論も出来ないはずだ。
ただし、この台詞が正論として有効なのは「のび太が本当に嘘をついているのであれば」という条件付きだ。今回はのび太は嘘は言っていない、本当に首長竜の卵の化石を発見し、それを孵化させて育てたのである。それを誰も認めてくれないだけだ。本当の事を言っているのにこんな台詞で嘘つき呼ばわりの上「男らしくない」と言われたら、相手が憧れの少女しずかであってものび太は頭に血を上られるしかない。のび太は「そんなに言うなら見せてやる。ああ、見せてやるとも!」と叫ぶ。この様子を見たしずかは驚きの表情でのび太を見上げる。この台詞を吐いた事が過ちであった事には気付いていないが、「まさか、のび太の言うことは本当ではないか?」と感じ始めた驚きであろう。
と言うわけで、「ドラえもん」のレギュラーキャラでのび太とドラえもん以外のキャラが当欄に出てきたのはしずかが最初となった。いつも優しいしずかちゃんらしい台詞ではないが…。しずかちゃんの担当は野村道子さん、2代目ワカメちゃんと共にこの人の代表的な役だろう。やっぱ「のぶ代ドラえもん」時代のしずかちゃんが懐かしかったなー。あらゆる意味で「しずかちゃん」を完成させたのは、この役者さんによるところが大きいというのは有名な話。しずかがドラえもんを呼び捨てで読んでいるのは、今思うと信じられない事だ(本作でもしずかはドラえもんを呼び捨てで読んだり、男の子を○○君と呼ぶなど現在のしずかとかなり雰囲気が違う)。 |
名場面 |
再会 |
名場面度
★★★ |
名台詞欄シーンを受け、のび太はしずかだけでなくジャイアンとスネ夫も家へ連れてくる。そして『タイムテレビ』を使ってピー助を皆に見せてやって欲しいと頼む。だがテレビ画面に出てきたピー助は、他種の首長竜にいじめられている姿であり、これに驚いたのび太とドラえもんは机の中のタイムマシンに飛び込む。それを追ってのび太の友人達もタイムマシンに勝手に乗り込む。
そんな訳だから定員オーバーでタイムマシンが故障。だが一行は偶然にものび太がピー助と別れた海岸へ来ていた。砂浜でのび太がピー助の名を叫ぶ、だが返事はない。のび太は近くの岬へ移動し、ドラえもん以外の一行ものび太についてきている。のび太がもう一度ピー助の名を叫ぼうとした瞬間。海からピー助が姿を現した。「あ、ピー助だ」のび太は喜んで岬の岩々を飛ぶようにしてピー助に駆け寄る。その光景を不思議そうに眺める仲間達。喜んでピー助も吠えるが、のび太は岩場が尽きたことで誤って海に転落。沈んだのび太をピー助は助けて背中に乗せ、そして感動の抱擁だ。そしてのび太を背中に乗せたピー助は、この光景を目を丸くして眺めている仲間達の元に向かう。ジャイアンとスネ夫が土下座をして「おそれいりました」「まいった、悪かった」と謝罪する。しずかも「疑ったりしてごめんなさい」と謝る。スネ夫が恐る恐るピー助に触った後、ペロリと舐められるところは滑稽でいい。
この再会劇は、もちろんのび太とピー助の感動の再会シーンでもあるが、ここは別れシーンからあまり時間が経っていないことから、この要素を主にしては逆に白ける可能性がたかいところだ。だから別のところに主題を持って描いている。それはジャイアン・スネ夫・しずかの3人にのび太が本当に恐竜を育てたことを認めさせ、謝らせるという「水戸黄門の印籠シーン」的な要素を強くしたことだ。名台詞欄シーンも、その前のジャイアンとスネ夫が執拗なまでにのび太に鼻でスパゲティを食べさせようとするシーンも、このシーンの伏線だったのだ。
もちろん、この要素を強くするために再会シーンの合間に他の3人の様子を映すことを忘れない。その表情を手抜き無く描くことで、「再会」よりも「印籠」的な要素が強くなり、多くの人に「土下座して謝るジァイアンとスネ夫」が印象に残っただろう。さらに言えばしずかという女の子に、安易に土下座をさせなかったのも彼女のキャラクター性を考えれば妥当だ。しずかはのび太の憧れでなければならず、その憧れがのび太に土下座するなど許されない。でも原作長編漫画ではしずかも土下座してしまっている。
またこの再会シーン本体で、のび太が海中に転落するなど「余計なシーン」を多く描いている点も、再会で感動させるという要素を狙っていない事を示唆させる。
ちなみに初出の短編漫画で描かれたのは前回部分まで、短編時代はピー助を白亜紀に戻したところで話が終わっているのだ。今回部分からは長編漫画及び劇場版アニメ独自の展開である。タイムマシンで一行が白亜紀に連れ込まれたところで、物語はそれまでの「ドラえもん」に無かった冒険譚として、その姿を大きく変える。 |
研究 |
・タイムマシン 「ドラえもん」という物語を考察する上で、どうしても避けて通れないのは『タイムマシン』だ。劇中に『タイムマシン』が存在するからこそ、ドラえもんがのび太の元にいる。つまり『タイムマシン』はあらゆる「ひみつ道具」の中で「ドラえもん」という物語の鍵を握っているのだ。
今回考察した部分で、ドラえもんが『タイムマシン』の機能について突っ込んでいる。それは「タイムマシンは過去や未来に行く、つまり時間移動機能と、もうひとつ、ここからあそこへ、あそこから向こうへと場所を移動する空間移動機能があるんだよ」と語っている。これについて考えてみたい。
『タイムマシン』と言えば多くのSFに出ていて、登場人物の時間移動装置として使用されていることは今さら言うまでもないだろう。だからアニメや映画を多く見ている人に『タイムマシン』というのはお馴染みの道具のはずだ。だが多くの物語で『タイムマシン』は時間を移動する装置として描かれていて、同時に空間移動を示唆しているのは「ドラえもん」が最初ではないかと思う。実は『タイムマシン』にとって「空間移動」は「時間移動」以上に大事なものであることは、『タイムマシン』について考えると浮かび上がってくる事実だ。
ではこのサイトをご覧の皆さんに考えて欲しい。もし「時間移動機能」だけで「空間移動機能」のない『タイムマシン』に乗った場合、時間移動した先はどうなっているかをだ。
多くのSFでは、地球上の同じ場所で過去だったり未来だったりしている状態の場所に到着している。科学的に考えた場合これは正解なのか…実は不正解だ。正しくは、「時間移動」だけで「空間移動」を伴わない『タイムマシン』に乗って地球上の何処かで時間移動をすると…着いた先では有無を問わさず宇宙空間に放り出される。周囲に星などもない可能性が高く、もちろん地球が何処にあるかも解らないだろう。
何でこんな事になるか、まず地球は自転していて、地球は太陽の回りを公転している、その太陽は銀河系中心に対して公転していて、銀河系全体が不動点に対しどのような動きをしているかまだ解っていない。解っているのは他の星雲との相対距離だけだ。
つまり『タイムマシン』には「空間移動機能」は絶対に必要なのだ。この地球の動きを正確に算出し、瞬時にその場所へ「移動」しなければならない。地球上のどこへ移動するかなんてそれから考えれば良いほど小さい話だ。つまり『タイムマシン』という時間移動装置を開発するためには、同時に「瞬間移動」が必要不可欠で、さらに地球や太陽を含む銀河系全体の動きをメートル単位以下で正確に計算して算出する技術が必要なのだ。
以前何処かで語った「『タイムマシン』についてどうしても語りたかったこと」というのは本件である。 |