前ページ「ドラえもん のび太の恐竜」トップへ次ページ

…物語は恐竜の鳴き声、それにスネ夫が恐竜時代について解説するところから始まる。そしてシーンはスネ夫の家の応接間となり、スネ夫がいつものように何かを自慢している。
名台詞 「もういい! 今さら後には引けないんだ、僕一人でやるからもういいよ!」
(のび太)
名台詞度
★★★
 名場面欄シーンを受けて、のび太はいつものようにドラえもんに泣きつく。ところが日本にはティラノサウルスのような恐竜はいないから無理と断定し、さらにのび太の発言が無責任で軽はずみだと批判する。そのドラえもんの態度にのび太は逆上して、こう叫んで珍しく一人で勉強を始める。
 名台詞欄シーンが物語の最初の取っかかりであれば、この台詞はいきなり話を起承転結の「転」を頃がしてしまった感があるだろう。「ドラえもん」の定型パターンで言えば、ここでドラえもんが「ひみつ道具」を出してのび太に生じた問題を解決するところであるが、この話では珍しくのび太が「自分で何とかする」と宣言してしまっている。これは「ドラえもん」の普段の短編作が原作とは思えない意外なシーンとして記憶に残っている人が多いことだろう。
 実は今見直して強く感じたことだが、原作の短編作にこのシーンと台詞があったからこそこの「のび太の恐竜」というシナリオが長編作品として生まれ変わることができ、さらに最初の映画に選ばれたのかも知れないと思う。基本的に「のび太」というのは受け身キャラで、良い意味でも悪い意味でもドラえもんの「ひみつ道具」に振り回されることで成立する短編漫画の主人公であるが、長編作ではこれで90分も持たないのは明白である。のび太には受け身でなくもっと能動的なキャラクターになってもらわないと「冒険譚」として成立しないはずだ。
 だからこのようにのび太が「自分で解決する」と決意するシーンは重要だ。自分で事を起こすから彼自身が物語を進めて行くことになるのはもちろん、物事が進んで行く過程でそれに夢中になることや真剣になることに説得力が生まれる。この説得力こそが90分というそれまでの「ドラえもん」としては長い物語の牽引力になるのだ。
 しかし、ドロンジョ様によるのび太の声も懐かしかったなー。なんか子供時代に見た「ドラえもん」の様々なシーンが走馬燈のようによみがえってきたぞ。当サイトでは「母をたずねて三千里」以来だ。
名場面 骨川家の玄関先で 名場面度
★★★
 スネ夫が恐竜の化石を見せびらかし、しかものび太にはよく見せてくれないという意地悪をする。これにのび太は怒り心頭で、いよいよ解散して帰宅する段になって骨川家の玄関先でその怒りを爆発させる。
 「なんだい! 爪の化石くらいで威張るな!」とのび太の叫びに皆の驚く。それに構わず「僕はここに宣言する! 爪だけじゃなく、恐竜の丸ごとの化石を発掘してみせる!」と宣言するのび太だが、すぐ「しまった! また余計な事を言っちゃった」と心の中で慌てる。「またデタラメかよ!」とジャイアンが叫ぶとのび太は我に返り、「嘘じゃない! 嘘だったら鼻でスパゲティを食って見せる!」と力強く宣言。だがまた心の中で「まずい、悔し紛れに出任せを言うのが僕の悪い癖だ」と焦る。もちろんジャイアン、スネ夫、しずかの3人は大爆笑。
 これがこの「のび太の恐竜」という物語の全ての発端として良いだろう。のび太が悔しい思いをするという「おやくそく」通りに物語が幕を開き、それを受けてのび太が出来もしないことを宣言してしまうのは「ドラえもん」の王道パターンだ。だがここはただの王道パターンのシーンではない、ポイントは2点、のび太が「余計な事を言ってしまった」「悔し紛れに出任せを言ってしまった」とハッキリ自覚している点と、その「出来もしないことの宣言」に対して出来なかった場合の罰ゲームを自ら言い出している点だ。この2点は「ドラえもん」の王道パターンからは少し外れているが、「ワンパターン」を崩していないという点で秀逸。さらに話を面白くするスパイスとして効いてくる。
 このまま物語が進むと、のび太はこの宣言よりさらに凄いことをやってしまうのでここでの宣言など皆忘れてしまう。だがあるところに行くと突然これを思い出すように出来ていて、多くの子供達はのび太がどうなるかハラハラするようになっているのだ。
 このシーンのジャイアンとスネ夫としずかの声も凄く懐かしかった。珍しいのはしずかがこのシーン直前でスネ夫を「スネ夫君」と呼んでいることだろう。しずかが他人の名を呼ぶときの敬称は、その後ドラえもん以外は「○○さん」で統一されるから今見るととても新鮮に聞こえる。
研究 ・ティラノサウルス1
 物語はスネ夫がティラノサウルスの化石が自宅にあることを自慢するところから始まる。ティラノサウルスは説明するまでもないほど有名な恐竜と思うが、念のため復習しよう。
 ティラノサウルスは白亜紀末期の6850万年前から300万年ほど生息していたと思われる肉食恐竜である。体長は11〜13メートル、体重は5〜6トンと推定されている。その特徴は小さな前肢と、鋭い歯を持った強力な顎。その顎の力でかなり大きな恐竜をも倒して食べていたと推測されている。
 ティラノサウルスの生態などは後に回すとして、ここで考えたいのはティラノサウルスの化石についてである。
 ティラノサウルスの化石が最初に発見されたのは1892年、脊椎の化石であったがこの時にはどんな恐竜なのかは解らなかったらしい。続いて1900年にワイオミング州で発見され、続いて1902年にモンタナ州で発見されたものは1905年の論文でティラノサウルスと命名されている。後に1902年発見の化石もティラノサウルスであることが判明する。その後もアメリカでの発見が続くが、ティラノサウルスの化石は20体程度しか発見されておらずとても貴重なものだという。
 なんかここまで来るととても貴重そうで、日本のちょっと裕福な家庭にあるとは思えなくなってきたなー。それでも負けずにティラノサウルスの化石がどの程度の価格で売られているのか調べてみた。恐竜化石をネット販売しているサイトの多くが価格表示をしていないので調べるのにちょっと手間取ったが、ティラノサウルスの歯の化石がだいたい30万円前後で売られているのは解った。ここで売られていた歯の長さは5〜8センチ程度、スネ夫の家にあった化石は登場人物の身体のサイズとの比較で30センチはあるだろう。その上爪の化石となるとさらに希少性が上がると思うので、楽に一桁上がると見て良いだろう。スネ夫の父がどんな仕事をしているか知らないが、彼の裕福さを見ていれば父親が500万円程度の買い物をしていてもおかしくなさそうだ。のび太に触られそうになったところでスネ夫が引っ込めるのも無理はない。

 なお、余談ではあるが1996年には日本の福井県でティラノサウルス科の恐竜の歯の化石が発見されている。これはティラノサウルスの起源がアジアにあることを裏付けるものとして注目されている。これが事実だとすると、劇中でドラえもんが「ティラノサウルスは日本にはいなかった」としていることが事実と異なる。だがこのアニメが1980年に作られた事を考えれば、当時はティラノサウルスがアジアが起源とは誰も思ってなかっただろうから仕方ないだろう。

…のび太は猛勉強の末、化石の発掘に出かける。だがそう簡単に見つかるはずはなく、発掘地点の崖下に住む男から苦情を言われる。
名台詞 「そう、それで良いのだ。近頃の君はどうも僕に頼りすぎる癖が付いていた。そんな事じゃ、いつまで経っても独立心が育たない。どうか自分の頭で考え、自分の力で切り抜けて欲しい。僕は温かい目で、そっと見守っててあげるからね。」
(ドラえもん)
名台詞度
★★★★
 名場面欄を受けて、のび太はドラえもんに恐竜の卵の化石を発見したことを喜び勇んで知らせる。だがドラえもんは「何故これが恐竜の卵だと解るのか?」ともっともな疑問をぶつけ、「ただの石ころかも知れないし、仮に化石だとしても木の実かも知れない、あるいはナウマン象のウンコかも知れない」と言い切る。「ウンコ?」と問い直すのび太を尻目にドラえもんは部屋を出て行くが、彼はそっと『タイムふろしき』を置いて去って行く。『タイムふろしき』を見つけたのび太は「これを使えば物体の正体が解る」として行動を開始、これを隠れて見ていたドラえもんが呟く台詞がこれだ。
 物語的には、この台詞は一度否定した後で本人に確かめさせるという重要な盛り上げどころだ。いつもの「ドラえもん」の黄道パターンでは、ここでドラえもんが得意げに「ひみつ道具」をだして正体を調べるところであるが、こうして回り道をさせてのび太本人に正体を調べさせるというのは、物語に「謎解き」的な要素を加えると共に、今後のび太が夢中になって行くことに説得力を与えるというふたつの役割がある。
 そしてもう一つは、はからずともこの台詞が今後の劇場版ドラえもんの方針を演説してしまっている点だ。劇場版では通常短編作のように「ドラえもんが道具を出して問題を解決し、オチとして誰かがとばっちりを食う」という物語ではダメだ。どうしても発生した問題にのび太が自分で対処し、自分で立ち向かってもらわないと手に汗握る「冒険譚」として完成しないだろう。そのためにのび太には自立が必要で、ドラえもんはあらゆる意味でのび太の背中を押す役割でなければならない。これは例えドラえもんが主役だとしても変わらない事だし、物語がのび太と同じ世代の少年少女に向けて作られている以上は逃れられないことだ。
 だがこの台詞は、初出は本映画でもなければ映画の原作となった長編漫画でもない。通常短編作として描かれた初代の「のび太の恐竜」だ。この台詞があるから長編第一作に選んだんじゃないかと勘ぐりたくなるほど上手くできすぎている。いずれにしてもここでのドラえもんの台詞は、現在に至るまで「ドラえもん」の長編作や劇場版の基礎になっているのは、間違いない事実だ。
名場面 出会い 名場面度
★★★
 恐竜の化石など簡単に見つかるはずが無く、断念して帰ろうとするのび太に怒鳴る男がいた。その声に驚き崖を滑り落ちたのび太に、男は自宅の庭や愛車が土まみれになったと苦情を言う。「どうすればよいでしょうか?」と問うのび太に、男は「ゴミを埋める穴を掘ってくれ」と命じる。仕方なく穴を掘るのび太は何か固い物にぶち当たったことに気付く。それはのび太の頭ほどの大きさで楕円形の「石」であった。これを掘り出したのび太は「恐竜の卵だ!」と叫び、「とうとう見つけた!」と喜んでから踊り、穴掘りを投げ出して帰ってしまう。のび太を追いかける男はのび太が掘った穴にはまる。
 これが「ドラえもん」という作品史上に残るのび太とピー助の物語において、最初の二人の出会いであることは異論はないと思う。のび太は掘り出した石を何の根拠もなく「恐竜の化石」と断定して持ち帰るが、物語が進むとその判断は正しくピー助誕生という序盤最大のヤマ場へ向かって進んで行くことになる。そのきっかけであり、ピー助との出会いという大事な場面だ。
 だがその大事な場面をここではあまり盛り上げない。それどころか次のシーンではドラえもんがのび太の「恐竜の化石である」という判断を否定してみせる。こうして物語に平坦ではなく緩急を付けることで、物語が少しずつ盛り上がって行く。
 そこにもう一つ要素があるが、それは名台詞欄で語った通りだ。
 ちなみにこのシーンでのび太に苦情を言う男の名は、「ガケシタさん」と言うそうだ。このキャラの名は「のび太の恐竜2006」の時に初めて知った。
研究 ・化石の発掘
 ここではのび太が化石の発掘に挑む。彼は書物で得た知識から古い地層がむき出しになっている崖を発掘地に選び、崖を掘るがもちろんそう簡単に見つからない。この行動に間違いはなかったのか?
 まずは根本的なことを言ってしまうが、設定上のび太の居住地は東京都であり、これを前提にのび太が手軽に出かけられるところで恐竜の化石が出てくる可能性は非常に低いと言わざるを得ない。それは日本列島の地質学的な歴史と密接な関係がある。日本列島の骨格が出来上がったのは恐竜たちが闊歩していたジュラ紀や白亜紀であるが、その頃は現在で言う関東地方はなかったと考えられている。その「骨格」はそれぞれ現在の東北・北海道に当たる東日本と、中部山岳地帯以西の西日本に分かれていたのだ。それが約2000万年前から1000万年ほどかけて現在の位置に移動してきたと考えられる。この時に東日本と西日本の間に隙間ができて浅い海となったが、ここが火山の噴火や堆積物で埋まって現在の関東平野や新潟平野、それにその間を隔てる山々になったとされている。つまり関東地方は全面的に恐竜が闊歩していた時代よりも新しい地層と言うことになり、恐竜の化石など無いことになる。
 ついでに言うが、この関東平野から新潟平野にかけての地質が新しい部分を「フォッサマグナ」といい、この西端が「糸魚川・静岡構造線」という有名な断層である。
 だがこの結論だと、困ったことにのび太が結果的とはいえ「首長竜の卵」の化石を発見することは出来ない。日本で恐竜の化石が見つかるのは、この「フォッサマグナ」以外の場所であり、北は福島県以北、西は北陸地方(富山県)以西である。だが「フォッサマグナ」に当たる地方でも、恐竜時代に川の河口であったと考えられる岩盤が見つかった群馬県多野郡神流町では「恐竜の足跡」が発見されているし、「糸魚川・静岡構造線」の線上に当たる長野県北安曇郡小谷村でもジュラ紀のものとされる足跡が見つかっている。
 では何でのび太か「恐竜の化石」を発見したのか? これはもう偶然というより他はないだろう。後に詳しく説明するが、この卵の主である「フタバスズキリュウ」は福島県いわき市で発掘されている。つまり福島県いわき市の土砂がここに運ばれ、整地された上に「ガケシタさん」の家が建ったと見るべきだろう。その中にフタバスズキリュウの卵の化石が混じっているのに誰も気付かず整地され、それをのび太が発見したと解釈するのが正しいだろう。
 だが、残念ながらこれでは夢がない。こんな解釈を発表したらあの世で藤子F不二夫氏が大変お怒りになるだろう。でももし、この物語を見て考古学に興味を持った子供がいたら、絶対にぶち当たる謎でもある。だから敢えて私の解釈を公表した。

…拾ってきた「化石」が何者かの卵だということが判明し、今度はその正体を掴むため孵そうとのび太は布団にこもる。そして様々な苦労の末、卵は遂に孵った。
名台詞 「こいつ僕のこと、親だと思ってるのかな? よしよし、可愛い奴だ。お前の名前は…そうだ、ピー助だ。ピー助にしよう!」
(のび太)
名台詞度
★★★★★
 名台詞欄を受けて、部屋の中を歩き回った首長竜の子供をまたのび太が抱き上げる。のび太に甘えるこの首長竜を抱き上げ、朝日の逆光線の中でのび太が力強く名前を宣言するのがこの台詞だ。
 名場面欄シーンが「ドラえもん」長編作品の物語の方向性が決まる「始まり」だとすれば、この台詞は「のび太の恐竜」という日本アニメ史上に残る物語で、のび太とピー助の伝説が始まった台詞と言うべきだ。生まれてきた首長竜の子供に「ピー助」という名がつくことで、劇中の登場人物達に取っても、見ている視聴者にとっても、この首長竜の子供が「ピー助」という個体として認識されひとつのキャラクターとして出来上がったのだ。だから「ピー助の物語」はまさにこの台詞から始まるという意味でとても需要だ。
 それとこの台詞の前半、甘えてくるピー助にのび太が優しい言葉を掛ける台詞が続くが、この台詞を語るドロンジョ様の演技がとてもよい。ここだけは「少年がペットと戯れている」という演技ではなく、まるで子をあやす母親のような口調になっている。本来ならこの演技はダメだが、ここは「生命誕生」という神秘的かつ重要なシーンで、同時にのび太が「ピー助の親」として目覚めるシーンでもある。だからそのくらい大袈裟な方が良いと思う。
名場面 ピー助誕生 名場面度
★★★★★
 のび太が卵を暖めるために大騒ぎの日々が過ぎた朝、のび太が卵を覗き込むとその卵が割れ始める。そして卵から「ピューイ」と声を挙げて生まれたのは、なんと首長竜であった。のび太自身のその光景を驚きの目で見つめかと思うと、生まれたばかりの首長竜の頭を撫でたと思うとドラえもんを起こす。ドラえもんは一度寝床である押し入れの戸を開けて閉めるが、驚きの声を挙げてもう一度戸を開く。そして驚きの声を挙げながら、首長竜の子供を抱きしめるのび太に近寄る。「どう、見た?」「見た」「どんなもんだい、グウとでも言ってみろ」「グウ」と会話が続いた後に、ドラえもんがその首長竜の正体について「フタバスズキリュウ」だと解説する。
 これこそ本物語のもう一人の主役、首長竜のピー助が生まれた名シーンであり、序盤最大のヤマ場であるのは確かだ。ピー助誕生シーンを朝の光景として描く必要性は何処にもないのだが、これは「朝日」という一日の始まりと、ひとつの生命の誕生を掛けてこのシーンの印象度を高める効果があると思う。そしてのび太もドラえもんも、首長竜誕生を当たり前とは思わず大袈裟に驚くのは自然に反応でとてもよい。
 またこのシーンは、最初の名台詞をきっかけにのび太が独力でがんばった結果でもあり、この辺でもとても印象度の高いシーンだ。ぐうたらでドラえもんがいないと何も出来ないというこれまでの「のび太像」を瞬時に覆したことで、物語は冒険譚への扉を開くことにもなる。だがここではまだ物語がどんな方向に進むのか、誰にも解らない。
 このシーンも本作初出である最初の短編漫画からのシーンだ。このシーンによって前述した通り、のび太が独力で物事を解決するという筋道がついてそれまでの「ドラえもん」の王道パターンをひっくり返し、のび太が「冒険譚の主役」として使えるようになったと言っても過言ではない。同時に「ドラえもん」という作品では物語の主軸に「ひみつ道具」があるのだが、この「ひみつ道具」を主軸とせず違うものを主軸にした物語展開が出来る。こんなストーリーが短編漫画の段階で出来上がっていたのだから、今考えると凄いと思う。
 こうして物語は「ピー助が主」「ひみつ道具が従」という構図も出来上がった、つまりピー助誕生を持って物語の骨格が出来上がったのだ。ちなみに「ドラえもん」の長編作の多くが、「ひみつ道具は従」で他に「主」となる要素で物語が進むのは言うまでもなく、それはこの「のび太の恐竜」の成功があったからであり、このシーンが全ての始まりだと言ってもいいすぎではないはずだ。
研究 ・卵の化石
 今回はのび太が首長竜の卵の化石を孵化させるという、現実世界では考えられない大偉業を成し遂げた。それを可能にしたのはドラえもんの「ひみつ道具」のおかげであり、そのきっかけである『タイムふろしき』を研究するのもよいかと思ったが、これを真面目に研究したら「ドラえもん」という物語が崩壊しそうなのでやめておこう。
 それよりも気になるのは恐竜にしろ首長竜にしろ、白亜紀の卵の化石があんな完全な形で出てくるのか?という問題である。「化石」というと骨の一部や骨格という印象が強く、卵の化石というのはあまり印象のない方も多いだろう。
 だけど「卵 化石」で画像検索してみたら、出てくるわ出てくるわ。劇中に出てきたようなきれいな楕円形の物から、殻が割れて中にいた子供の骨格がそのまま保存されている物まで、実に様々な形で「卵の化石」が発見されている。もちろんその中には白亜紀の恐竜の化石もあり、劇中のように卵の化石が完全な形で見つかることはあり得るし、もしドラえもんが実在して『タイムふろしき』が実在すれば孵化させることも可能だと言うことは間違いないだろう。
 これら恐竜の化石が発見されたことで、恐竜の生態について色々分からない事が見えてきているのも事実だ。例えば一部の恐竜は「巣」を作りそこに卵を産んでいたこと、そして爬虫類とは違い鳥類のように抱卵や子育てしていたであろう事も今では分かっている。一部の恐竜には羽毛の存在が確認されているが、これも卵を暖めるための物であったという説があるほどだ。
 だがここで残念なお知らせをしなければならない。ここまで書いたことは「恐竜」についてであって、フタバスズキリュウのピー助が属する首長竜の事ではない。実は最新の研究で首長竜は卵生ではなく、卵胎生か胎生であることが判明しているのだ。かつては首長竜は亀のように産卵時だけ陸に上がると考えられていたが、2011年になって体内に子供を宿した首長竜の化石が発見されて以来首長竜は胎生か卵胎生だったということにされた。つまり「卵の化石」が出てきようもないのだ…最新の学説って、冷たいなぁ。
 だがこれはあくまでも2011年になって解った事であり、「のび太の恐竜」がリメイクされた時点でも解っていなかったことだ。仕方が無いという他はないだろう。この物語を見た子供達が、最新の学説を知っても夢を壊さないよう願いたい。多分、藤子F不二夫氏もあの世でそう思って見守っていることだろうなぁ…。

…のび太とドラえもんは、ちょっとした騒動を起こしながらもピー助を育て始める。のび太の野望は、ピー助を少なくとも10メートル以上に育てて仲間をあっと言わせることだった。
名台詞 「そして、ピー助は連れて行かれちゃう。学者が研究のために解剖するか、動物園で見せ物にされるか…。どっちにしてもここはピー助にとって暮らしにくい世界だ。」
(ドラえもん)
名台詞度
★★★
 ピー助について、ドラえもんが「毎日狭い押し入れに閉じ込めておくのは可哀想だよ」とのび太に意見する。だがのび太は「たまには散歩に連れて行ってやろうか?」「みんなピー助を見たら大騒ぎになるだろうな、恐竜のペットなんて世界中の話題になるぞ」とはしゃぐだけだ。はしゃぐのび太に、ドラえもんは冷静にこの台詞をぶつける。
 もし本当に現代社会で恐竜(首長竜)をペットにしたらどうなるか? という疑問はこの映画を見た多くの子供達に生じるだろう。もちろんその疑問の答えは子供達にとって、このシーンでのび太が語ったように楽しさと世間の驚きという「明」の部分を想像するはずだ(子供の頃に本作を見た私がそうであった)。だがそんな夢のある疑問に、ドラえもんはかくも冷徹な台詞を浴びせる。これによって子供達は画面の中の夢のような世界から引き離され、一度現実に引き戻されてしまう、そんな冷酷な台詞なのだ。
 このドラえもんが語っていることは事実であろう。もし現代に一匹だけ生きた恐竜や首長竜が現れたら世界中の生物学者達が黙っているわけがない。ピー助は貴重な標本となり、解剖されるかどうかは別にしてもあらゆる部分が観察されるだろう。そうして首長竜の起源や遺伝的特徴、そして生態や生活について調べるはずだ。前述した通り首長竜が卵生でなかったことが解った事自体がつい最近である、謎はまだまだ多くその解明が待望されるのだ。
 さらに「動物園で見せ物」というのは上野動物園のパンダどころでない大騒ぎになるだろう。人々はピー助を見るために何時間も並び、展示場所の周囲ではそれに便乗した商品が沢山売られて金儲けの道具にされる。これもまた現実だ。
 だがこの現実を一度突き付けた上で、子供達を現実からまた物語に引き込むように上手く作ってあるのもこれまたポイントだ。この台詞を聞いたのび太はピー助を抱き上げ、「いつか白亜紀に連れ戻す」と決心すると共に、所期の目的である「スネ夫達をギャフンと言わせる」という決意もしている。これはこの映画の場合、物語の奥行きがとても深い事を示唆している。ただこの流れは初出の短編漫画時代も同じで、ここではのび太の反応はオチへ向けての伏線として描かれていると見る事が出来る。
 いずれにしろ夢だけでなく現実も合間でチラ見させる、決して無責任に夢を見させないという作者の思いが伝わってくる台詞でもあろう。
名場面 ピー助の「見舞い」 名場面度
★★★★
 ドラえもんが飲ませた『成長促進剤』という怪しい薬のせいもあって、ピー助はすくすくと育つ。そしてついにのび太の部屋の押し入れで買うことは困難となり、ピー助は公園の池に放される。
 のび太はピー助に餌を与えるため、毎晩公園の池を訪れていたが、そののび太がある日風邪を引いて高熱を出してしまう。のび太に代わってドラえもんがピー助に餌を与えに行くが、ピー助はのび太を恋しがって餌を食べないと、病床ののび太に告げられる。
 だか二人が話していると、突然大きな足音と振動が部屋に伝わってくる。驚いて二人が窓の外を見ると…ピー助の姿がそこにあった。のび太は窓を開けてピー助を迎え入れ、そっと撫でながら「誰かに見られたらどうするんだ? こんなところまで来て…」と優しく声を掛ける。それを見てドラえもんが「のび太君をお見舞いに来たんだよ」と感動した声で語る。「僕だって、本当は毎日だって会いたいんだ」と甘えるピー助に声を掛けると、ドラえもんに「公園へ連れ戻してよ」と頼む。ドラえもんがピー助の背中に乗りピー助が公園に向かって歩き出すと、のび太はじっとその後ろ姿を目で追う。ピー助ものび太を振り返りながら歩く。「ちゃんと餌食べるんだぞー」のび太が涙ながらに叫ぶと、ピー助も涙ながらに鳴き声を返す。その後ろ姿が見えなくなると、のび太は「もうグズグズしてはいられないな」と呟いて窓を閉める。
 本作2番目の感動シーン、このシーンでもってのび太とピー助の絆を強調して後の物語へと繋げる重要なシーンでもある。同時にこの辺りからのび太とピー助を監視する「目玉」が画面に現れ、物語が新たな方向へ向かおうとしているだろう。この風邪で寝込んだのび太にピー助が無理矢理会いに来るという感動シーンの裏で、物語は新局面に向けて確実に動き出すのだ。
 そしてこのシーンではのび太とピー助の感動シーンで印象に残ると同時に、一般的な日本家屋ののび太の家と首長竜という不思議な組み合わせが印象に残った人も多いだろう。のび太の部屋の窓越しに見るピー助の顔や、窓から入って来る首、そしてなによりも野比家の1階の屋根にもたれる形でのび太の部屋に首を突っ込む首長竜という、あり得ない取り合わせの光景がこのシーンをさらに盛り上げるのである。それはのび太が完全に「異質」のものと意気投合した事を示している。
 ちなみに、最初にのび太が公園へ行ってピー助に餌をやるシーンは、大長編で加筆されたシーンでのび太やピー助を監視する「目玉」も存在している。だがこのシーンは監視する「目玉」がないだけで短編漫画時代からの感動シーンとなっている。
研究 ・フタバススキリュウ
 ピー助は「フタバスズキリュウ」だとドラえもんが解説している。今回はこの「フタバスズキリュウ」について考察したい。
 「フタバスズキリュウ」は白亜紀後期の現在から8500万年前に日本近海に生息していた首長竜である。爬虫類双弓類プレシオサウルス上科エラスモサウルス科に属し、日本国内で始めて発見された首長竜の化石として知られている。学名は「Futabasaurus suzukii (フタバサウルス・スズキイ)」と呼ばれており、和名の「フタバスズキリュウ」は発見された地層名(双葉層群)と、発見者である鈴木直氏の名前を取って付けられたという。発見者の古生物研究者の鈴木直氏であるが、発見当時は高校生だったという。
 鈴木直氏は小さい頃から化石に興味を持っていて中学生の頃から化石の発掘をしていたが、1968年10月にサメの歯の化石を発掘した場所を掘り続けた結果、付近から首長竜の頸椎の化石を発掘した。この通報を受けた国立科学博物館も発掘に加わり、4年掛けて完全な個体1頭分と、6頭分の部分化石を発掘したという。完全体の化石は全長6.5メートルにも及び、アジアでこれだけの化石が発掘されたのは当時例が無く、日本には中生代に恐竜や首長竜といった大型爬虫類はいなかったとする当時の学説が覆される発見であった。
 すぐに和名「フタバスズキリュウ」と名付けられたものの、当時はまだ新種かどうか判断が出来ず、その判定に実に38年の時間を掛けた。その38年の間にこの「のび太の恐竜」が上映され、当時の子供達に「フタバスズキリュウ」という名が広がる。そしてそのリメイク版である「のび太の恐竜2006」が上映された直後の2006年5月、やっとこの化石は親属新種の首長竜と判定されて前述の学名が付けられたという紆余曲折の歴史を持つ。
 「フタバスズキリュウ」の特徴は、目と鼻の間が長く、脛骨長いことだそうだ。「目と鼻の間が長い」という顔の特徴は劇中のピー助にも再現されている。首が長く四肢が鰭状になっているのは、首長竜共通の特徴だ。発掘された際には同時にサメの歯の化石も発見されていて、発掘された「フタバスズキリュウ」は生きている間か死んだ後かは解らないが鮫に襲われて食べられた物だと推測されている。
 首長竜は魚食性であったと考えられ、劇中でピー助が刺身を喜んで食べているシーンは科学的にも説得力のあるシーンだ。ただ魚だけを食べていたわけではなく、アンモナイトやオウムガイ、場合によっては海面で羽根を休める翼竜や、大型の魚竜なども食べていたようだ。
 首長竜が卵生でなかったことは前回の研究欄で記したが、首長竜には本物語にとってもうひとつ残念な学説がある。それは首長竜の骨格を調べてみた結果、ピー助のように陸上を這うように歩くことは出来ないとする学説だ。だがこれには異論もあるので、反対派には是非ともがんばって頂きたい。だが前回研究欄で書いた通り、昨年になって首長竜が卵生でなかったことが解り、彼らが陸上に上がる理由が無くなってしまったという話もある。さらに昔の最初に陸上に上がった生物が陸上を歩けなかったという事も確定したみたいだけど…がんばれ首長竜、何としても「陸上を歩いた」ということを証明してくれ〜(なお、「歩けなかった」とする学説は「のび太の恐竜」制作時にはなかったようだ、「のび太の恐竜2006」ではそのような考えが主流の頃だがこの学説を無視して原作踏襲としている)。

のび太はピー助を一日も早く返すべく、スネ夫らに見せようと行動を開始する。だがこんな日に限ってのび太の仲間達は皆出掛けていて留守だったのだ。その上、街に広がる公園の池での恐竜の目撃情報。ピー助を何とかしなきゃならないと焦るのび太の元を『タイムマシン』で怪しい男が訪れ、ピー助を譲るよう迫る。
名台詞 「ピューイ………。ピューイ………。ピューイ………。ピューイ………。」
(ピー助)
名台詞度
★★★★★
 詳しくは下記名場面欄を参照して頂きたいが、白亜紀の海岸に一人残されたピー助は、誰もいない海岸でひとり吠える。今回の名台詞欄はこれだ。
 これはピー助の鳴き声で最も印象に残っているものだ。ピー助を担当するよこざわけい子さんはこの声だけでピー助の「気持ち」を上手く再現してしまった。「親」と思っていたのび太との別れに込めた思い、一人誰もいない海岸に取り残された不安と恐怖。これを「ピューイ………」だけで演じたんだから凄い。名場面欄でのび太との別れに感動していた視聴者の中に、このピー助の吠え声でとどめを刺されて涙腺が決壊した人も多いことだろう。
 ピー助の担当はよこざわけい子さん。この人の声も色んなアニメ作品で印象に残っているが、本サイトでは今のところ「母をたずねた三千里」のファナと「ペリーヌ物語」のメルカの2作のみの登場だ。この人の声でまず思い出すのは「The・かぼちゃワイン」のエルかな。アニメは見たことないけど原作は読破した作品に「機動警察パトレイバー」があるが、この中で熊耳武緒をやっていたというのは今回初めて知った。あの大人なんだか幼いんだかよくわからないキャラを、どう演技したのかは気になるなぁ。
 しかし当名台詞欄も、「愛の若草物語」で九官鳥、「クレヨンしんちゃん」では乳児と犬、「クリィミーマミ」では妖怪(ざしきわらし)の台詞を取り上げたが、遂に首長竜までこの欄に上がってくるとは…。
名場面 最初の「別れ」 名場面度
★★★★★
 ドラえもんとのび太は、ピー助を譲るよう迫った男の追跡を振り切り、『タイムマシン』で白亜紀の海岸にやってきた。輸送のために『スモールライト』で小さくしたピー助を元に戻すと、のび太は「ピー助、ここがお前の世界なんだよ。ここで幸せに暮らすんだよ」と声を掛ける。ピー助は突然の「別れ」が来た事に驚いて泣くが、のび太達は「さよなら」と言い残して走り去る。だがピー助はそののび太を背後から捕まえる。のび太が「ついて来ちゃダメだ、いいね」と強く言い聞かせて立ち去ろうとするが、やはりピー助はついてくる。そのまま走り去ろうとしたのび太は振り返り、ピー助の前に立つ。そして頬をすり寄せてきたピー助の顔を叩くのだ。驚くピー助に「お前が住むにはここが一番良いんだ!」と涙ながらに語るのび太。首を振るピー助に「これだけ言っても解らないのか?」と、のび太は絶叫だ。涙を流してのび太を制止しようとするピー助を振り切り、のび太は走る。涙を流して見送るピー助。『タイムマシン』に乗り込んだ直後にのび太は一度だけ振り返るが、すぐに『タイムマシン』の入り口が閉じる。誰もいなくなってしまった海岸で、ピー助は一人涙を流しながら吠える。
 ここは短編漫画時代はハイライトだったと言っても過言でない部分だ。もう小山のような大きさまで成長したピー助を都会で飼い続けることは不可能なのが明白になり、のび太はピー助を手放す決心をするより他に手はなかった。しかも正体不明の男がピー助を狙っているというオマケ付きだ。のび太はスネ夫に自慢することよりも、生まれたときから手塩に掛けて育てたことで情が移ってしまい別れが悲しかったが、それを振り切ってピー助を「ピー助がいるべき世界」に返したのだ。
 その別れシーンはとても印象的に描かれている。必死にピー助を振り切ろうとするのび太と、別れが信じられないピー助。このシーンだけピー助がとても人間くさい動きを見せるが、それは場面の特性上そう描くべきなのは解説の必要は無いだろう。ピー助が涙を流したり、のび太との別れに首を振って答えるという爬虫類とは思えない反応を取ることで、見ている人はのび太にもピー助にも感情移入できる。そんな素晴らしいシーンとなった。
 このシーンは初出の短編作品時代も、原作の長編漫画でもとても印象的に描かれているが、この劇場版アニメに再現されたこのシーンはさらに印象的だ。漫画では言うこと聞かないピー助にのび太が「ぶん殴るぞ」と脅すだけだが、本作ではのび太がビー助を平手で殴っている。数少ないのび太による暴力シーンだ。だがその平手打ちが愛情のこもったものだと理解出来るように描かれていて、のび太の「ピー助を本来いるべきところに返す」という必死の思いが伝わってくるように描かれている。まさに子供の幸せを願う母親のようで、ここでもドロンジョ様が少年と言うより母親のような演技をしているのは注目点だ。
研究 ・では、現在の公園で首長竜を飼えるか?
 表題のような難しいテーマに挑んでみよう。
 何故難しいか? それはのび太の家が設定上「練馬区」だからである。練馬区で小学生が気軽に歩いていける「池がある公園」は限定されている。どれも劇中に出てくるピー助ほど大きく育った首長竜を隠しておけるほどの水深がない。これは練馬区で育った私なら断言出来る。だから不可能…では面白くないので、水深の問題は別にして考察してみよう。
 その前に、劇中に出てきた公園は練馬区でも「最大の池を持った公園」である石神井公園と仮定する。他の公園にも池はあるが、池が小さすぎて首長竜なんか入れたら簡単にバレるのでお話にならない。また「ドラえもん」という作品の秘話として、原作者が「池のある公園」は石神井公園をイメージして描いたという話もある。地図をリンクするので以下を読む参照にして頂きたい。
 まず問題として、首長竜というのは鰓ではなく肺で呼吸していると思われる点だ。つまり公園の池に放されたピー助は、一定時間毎に少なくとも顔だけを水上に出して呼吸しないと生きていけないのだ。これでは夜はともかく、昼は見つかる可能性が高い。特に観光用の貸しボートがある「石神井池」(地図上の右側の池)では隠す方が難しいだろう。だから劇中に出てくる池は「三宝寺池」(地図上の左側の池)で決まりだ、劇中に出てくるような桟橋も「三宝寺池」に当時は実在した。特に「三宝寺池」は池の中心部が水生植物に覆われていて隠れるのが簡単だ。
 だがピー助がこの水生植物を踏みつぶせば、騒ぎは「恐竜目撃」よりも大きくなる可能性がある。無法者が池に忍び込んで水生植物を荒らしたとされ、池は24時間の警備付きになるだろう。こうなったらのび太はピー助に会いに行けない。やっぱ難しいな。
 それより考えなきゃならないのは、劇中で街に「公園の池に恐竜がいる」という噂が広まったきっかけだ。のび太が白亜紀に返すためにピー助を連れ出したときは、『スモールライト』を使用して手のひらサイズにしてから運んだが…その他の時はピー助をフルサイズのまま池まで連れて行っている。間違いない、見つかったのはこの時だろう。
 さらにのび太がピー助に会うために夜間の公園に行ったのも問題だ。石神井公園は夜間でも結構人が多い。帰宅路の近道に公園を抜けていく人もいるし、夜間に散歩やジョギングなどで歩く人も多い。絶好の犬の散歩コースでもある。かなり遅い時間でも今度はカップルのいちゃつきタイムだ。
 こう考えると都会で首長竜を飼うのは難しいんだな。
 ではのび太は何処で首長竜を飼うべきだったか。これはもうドラえもんの「ひみつ道具」に頼るしかないだろう。『おざしきつりぼり』も使えたと思うし、『どこでもドア』で遠くの人気の少ない湖で飼うと言う手もあっただろう。何故近所の公園にこだわったのか、理解出来ない(物語展開上の都合だけど)。
 劇中シーンによると、かなりの人にピー助が目撃されていたのは確かだ。ドラえもんが読んでいた新聞には写真まで載っている。ピー助はのび太の言いつけを破って水面に長い首を出していたのだ。劇中のテレビニュースでは「池に潜水夫(ダイバー)を潜らせる」と言っていたが、そこで発見されたら…どんな騒ぎになったか想像も出来ない。

…白亜紀から戻って来たのび太は、ジャイアンとスネ夫の呼び出しを受ける。「恐竜を丸ごと捕まえる」という約束を果たせなかったとして、のび太に鼻でスパゲティを食べるよう要求するのだ。ご丁寧にもスパゲティまで用意してあった。
名台詞 「そもそも無茶な話だったのよ、現代に生きた恐竜なんかいるはずないし、鼻でスパゲティが食べられるわけもないでしょ。あっさり謝っちゃえば、笑い話で済む事じゃないの。行きがかりで嘘をつく事って誰にでもあるけど、いつまでも強情を張り続けるなんて男らしくないと思うわ。」
(しずか)
名台詞度
★★★
 ジャイアンとスネ夫によって、無理矢理スパゲティを鼻に押しつけられたのび太だったが、何とか逃げ出してしずかの家に「かくまって欲しい」と飛び込む。だがそんなのび太を待っていたのはのび太を慰める台詞でなく、こののび太を叱りつけるようなこんな台詞だ。
 これは正論である。もう冷酷なほどの正論である。出来る事もしないことを「やる」と宣言し、出来なかった場合はまた出来もしないことをやると条件にする。そして何処かで「ごめん」と言えば済むことなのに、それを認めずさらに意地を張る。これはのび太がよくはまる悪循環であり、これをしずかは見ていて「のび太の欠点」としてちゃんと捉えていたのだろう。そしてこのたび、嘘に嘘を重ねて逃げ回るのび太に業を煮やしてこの台詞を吐いたであろう事は想像に難くない。そんなのび太の性格上の欠点を指摘する内容として正論でのび太は反論も出来ないはずだ。
 ただし、この台詞が正論として有効なのは「のび太が本当に嘘をついているのであれば」という条件付きだ。今回はのび太は嘘は言っていない、本当に首長竜の卵の化石を発見し、それを孵化させて育てたのである。それを誰も認めてくれないだけだ。本当の事を言っているのにこんな台詞で嘘つき呼ばわりの上「男らしくない」と言われたら、相手が憧れの少女しずかであってものび太は頭に血を上られるしかない。のび太は「そんなに言うなら見せてやる。ああ、見せてやるとも!」と叫ぶ。この様子を見たしずかは驚きの表情でのび太を見上げる。この台詞を吐いた事が過ちであった事には気付いていないが、「まさか、のび太の言うことは本当ではないか?」と感じ始めた驚きであろう。
 と言うわけで、「ドラえもん」のレギュラーキャラでのび太とドラえもん以外のキャラが当欄に出てきたのはしずかが最初となった。いつも優しいしずかちゃんらしい台詞ではないが…。しずかちゃんの担当は野村道子さん、2代目ワカメちゃんと共にこの人の代表的な役だろう。やっぱ「のぶ代ドラえもん」時代のしずかちゃんが懐かしかったなー。あらゆる意味で「しずかちゃん」を完成させたのは、この役者さんによるところが大きいというのは有名な話。しずかがドラえもんを呼び捨てで読んでいるのは、今思うと信じられない事だ(本作でもしずかはドラえもんを呼び捨てで読んだり、男の子を○○君と呼ぶなど現在のしずかとかなり雰囲気が違う)。
名場面 再会 名場面度
★★★
 名台詞欄シーンを受け、のび太はしずかだけでなくジャイアンとスネ夫も家へ連れてくる。そして『タイムテレビ』を使ってピー助を皆に見せてやって欲しいと頼む。だがテレビ画面に出てきたピー助は、他種の首長竜にいじめられている姿であり、これに驚いたのび太とドラえもんは机の中のタイムマシンに飛び込む。それを追ってのび太の友人達もタイムマシンに勝手に乗り込む。
 そんな訳だから定員オーバーでタイムマシンが故障。だが一行は偶然にものび太がピー助と別れた海岸へ来ていた。砂浜でのび太がピー助の名を叫ぶ、だが返事はない。のび太は近くの岬へ移動し、ドラえもん以外の一行ものび太についてきている。のび太がもう一度ピー助の名を叫ぼうとした瞬間。海からピー助が姿を現した。「あ、ピー助だ」のび太は喜んで岬の岩々を飛ぶようにしてピー助に駆け寄る。その光景を不思議そうに眺める仲間達。喜んでピー助も吠えるが、のび太は岩場が尽きたことで誤って海に転落。沈んだのび太をピー助は助けて背中に乗せ、そして感動の抱擁だ。そしてのび太を背中に乗せたピー助は、この光景を目を丸くして眺めている仲間達の元に向かう。ジャイアンとスネ夫が土下座をして「おそれいりました」「まいった、悪かった」と謝罪する。しずかも「疑ったりしてごめんなさい」と謝る。スネ夫が恐る恐るピー助に触った後、ペロリと舐められるところは滑稽でいい。
 この再会劇は、もちろんのび太とピー助の感動の再会シーンでもあるが、ここは別れシーンからあまり時間が経っていないことから、この要素を主にしては逆に白ける可能性がたかいところだ。だから別のところに主題を持って描いている。それはジャイアン・スネ夫・しずかの3人にのび太が本当に恐竜を育てたことを認めさせ、謝らせるという「水戸黄門の印籠シーン」的な要素を強くしたことだ。名台詞欄シーンも、その前のジャイアンとスネ夫が執拗なまでにのび太に鼻でスパゲティを食べさせようとするシーンも、このシーンの伏線だったのだ。
 もちろん、この要素を強くするために再会シーンの合間に他の3人の様子を映すことを忘れない。その表情を手抜き無く描くことで、「再会」よりも「印籠」的な要素が強くなり、多くの人に「土下座して謝るジァイアンとスネ夫」が印象に残っただろう。さらに言えばしずかという女の子に、安易に土下座をさせなかったのも彼女のキャラクター性を考えれば妥当だ。しずかはのび太の憧れでなければならず、その憧れがのび太に土下座するなど許されない。でも原作長編漫画ではしずかも土下座してしまっている。
 またこの再会シーン本体で、のび太が海中に転落するなど「余計なシーン」を多く描いている点も、再会で感動させるという要素を狙っていない事を示唆させる。
 ちなみに初出の短編漫画で描かれたのは前回部分まで、短編時代はピー助を白亜紀に戻したところで話が終わっているのだ。今回部分からは長編漫画及び劇場版アニメ独自の展開である。タイムマシンで一行が白亜紀に連れ込まれたところで、物語はそれまでの「ドラえもん」に無かった冒険譚として、その姿を大きく変える。
研究 ・タイムマシン
 「ドラえもん」という物語を考察する上で、どうしても避けて通れないのは『タイムマシン』だ。劇中に『タイムマシン』が存在するからこそ、ドラえもんがのび太の元にいる。つまり『タイムマシン』はあらゆる「ひみつ道具」の中で「ドラえもん」という物語の鍵を握っているのだ。
 今回考察した部分で、ドラえもんが『タイムマシン』の機能について突っ込んでいる。それは「タイムマシンは過去や未来に行く、つまり時間移動機能と、もうひとつ、ここからあそこへ、あそこから向こうへと場所を移動する空間移動機能があるんだよ」と語っている。これについて考えてみたい。
 『タイムマシン』と言えば多くのSFに出ていて、登場人物の時間移動装置として使用されていることは今さら言うまでもないだろう。だからアニメや映画を多く見ている人に『タイムマシン』というのはお馴染みの道具のはずだ。だが多くの物語で『タイムマシン』は時間を移動する装置として描かれていて、同時に空間移動を示唆しているのは「ドラえもん」が最初ではないかと思う。実は『タイムマシン』にとって「空間移動」は「時間移動」以上に大事なものであることは、『タイムマシン』について考えると浮かび上がってくる事実だ。
 ではこのサイトをご覧の皆さんに考えて欲しい。もし「時間移動機能」だけで「空間移動機能」のない『タイムマシン』に乗った場合、時間移動した先はどうなっているかをだ。
 多くのSFでは、地球上の同じ場所で過去だったり未来だったりしている状態の場所に到着している。科学的に考えた場合これは正解なのか…実は不正解だ。正しくは、「時間移動」だけで「空間移動」を伴わない『タイムマシン』に乗って地球上の何処かで時間移動をすると…着いた先では有無を問わさず宇宙空間に放り出される。周囲に星などもない可能性が高く、もちろん地球が何処にあるかも解らないだろう。
 何でこんな事になるか、まず地球は自転していて、地球は太陽の回りを公転している、その太陽は銀河系中心に対して公転していて、銀河系全体が不動点に対しどのような動きをしているかまだ解っていない。解っているのは他の星雲との相対距離だけだ。
 つまり『タイムマシン』には「空間移動機能」は絶対に必要なのだ。この地球の動きを正確に算出し、瞬時にその場所へ「移動」しなければならない。地球上のどこへ移動するかなんてそれから考えれば良いほど小さい話だ。つまり『タイムマシン』という時間移動装置を開発するためには、同時に「瞬間移動」が必要不可欠で、さらに地球や太陽を含む銀河系全体の動きをメートル単位以下で正確に計算して算出する技術が必要なのだ。
 以前何処かで語った「『タイムマシン』についてどうしても語りたかったこと」というのは本件である。

…ピー助と再会したのび太ら一行は、ドラえもんの提案でこの日一日白亜紀の時代で遊んでキャンプをすることになった。しずかに男物の水着を着せるという「おやくそく」ののち、皆は白亜紀の海を楽しむ。
名台詞 「ま、とにかくそれくらい大昔に僕らは来ているってことさ。」
(スネ夫)
名台詞度
★★
 一行はドラえもんの提案の元、一晩キャンプして過ごすことになった。そして焚き火を囲んで夕食の時に、のび太が「1億年前って言うけど、1億年というのがピンと来ない」「なんかこう、感じが掴めないか?」と問題提議を行う。ジャイアンは「それは無理だよ」と早々と白旗を揚げるが、のび太は「おじいちゃんの子供の頃の話を聞くと、遠い昔だと思ってもせいぜい60年前かそこら」と1つの「尺度」を出す。それを1億で割ってみようとして混乱して「わかんないよ」とまた降参すると、スネ夫がこのように結論づける。
 そう、「1億」なんていうのは訳の分からない世界なのである。「1億年前」と言われて、考古学者でも実はピンと来ていない人は多いと思う。人間の祖先がこの世に生まれてから数百万年、その二十〜三十倍と言っても今度はその「数百万」というのがまた訳の分からない世界だ。月日だけではない、お金だってそうだ。家を買うのにだっって数千万円、多くのサラリーマンがこれを一生掛けて返すのに、その何倍もの金額だ。宝くじで高額当選した人くらいしか、実感の掴めない数字のはずだ。
 だからこのスネ夫が出した結論は的を射ていると思う。このような結論を出して「そんなこと考えるだけ無駄」と奥底では言っているのだが、まさにその通りだ。これほどつまらないけど的確な答えというのはないだろう。
 ちなみに、現在の加筆された原作長編漫画(後年加筆されたものに限る)ではここでドラえもんが人間の歴史を基準に「1億年」という月日を説明している。詳細に解っている範囲の歴史はせいぜい5千年、その2万倍という説明だ。だがそれでもやっぱりピンと来ない。恐竜というのはそれほど昔に地球上を闊歩していたのだ。
 「のぶ代ドラえもん」時代のスネ夫の声は、999の車掌でお馴染みの肝付兼太さんだ。当サイトでは「魔法の天使 クリィミーマミ」のネガ以来久々の登場だ。この人、「ドラえもん」の初代のアニメではジャイアンだったのだそうな…。
名場面 ティラノサウルス襲来 名場面度
★★
 名台詞欄シーンの後、火を焚いて夕食中にいつもの雰囲気との違いに気持ちよくなってきたジャイアンが「リサイタル」を始める。気持ちよく歌うジャイアンの歌声に、近くにいた恐竜が目を覚ました。ティラノサウルスだ。ティラノサウルスは上手そうな獲物を見つけたのか、一行がいる焚き火のところにやってきた。慌てて火の後に逃げる一行、「助けてくれぇ」と気の抜けた声で怯えるジャイアンに反応して、ドラえもんが何か手を打とうとポケットの中を漁るが、お人形など無関係な物ばかり出てきて役に立たない。「ドラえもん、なにやってんだよ…」ジャイアンの怯えた声に皆の恐怖は頂点に達する。だがここで薪が弾けて火花を散らしたため、ティラノサウルスはこれに驚いたのか立ち去る。その立ち去る後ろ姿を、一同は恐怖から覚めやらぬ表情で見送る。
 日常生活をベースとした漫画である「ドラえもん」が、長編作品として新しい面を見せ始めるのはここからだろう。物語はキャンプを楽しむのび太ら一行が肉食恐竜に襲われるという、現実離れした「悪夢」を見せつけられたと言って良いだろう。それまでの「ドラえもん」では登場人物達がキャンプ生活をすることはあっても、それはあくまでも日常生活の延長であるレジャーの一面があった。だがこのキャンプはレジャーなどではない、何の保護もなく強力な肉食野生動物に襲撃される危険と背中合わせで、文字通り生命掛けの真剣勝負が要求されるキャンプである。
 特に初期の「ドラえもん」ではこのような冒険だけでなく、レジャーとしてのキャンプもあまり必要が無かったはずだ。当時は、物語に出てくる多くの「ひみつ道具」が「部屋にいながらにして何かが出来る」と言う点を追求した物が多かった。『おざしき釣りぼり』などはその典型だし、オープニングに出てきた『しゅみの日曜農業セット』もそのひとつだ。物語の多くは「のび太の部屋」で展開されることが多かった時代に、いきなりこんな突拍子もない「危険」が描かれたのである。
 そしてこここでティラノサウルスの襲来を受けたと言うことは、ドラえもんが『タイムマシン』を直そうと四苦八苦していた事と会わせると彼らが「簡単に帰れなくなった」という状況であることを示唆している。そして物語はその通りに進み、一行を「冒険」へと放り込むのである。
研究 ・タイムマシン故障
 今回部分では、遂にドラえもんが『タイムマシン』の故障を打ち明ける。その内容は「空間移動機能」が完全に壊れたというものだ。その上で「時間移動」はできるから、「タイムマシンを将来のび太の家が建つ場所ののび太の机の位置」に持って行けば帰れると説明する。
 しかし前回部分の研究欄で語った通り、今ドラえもん達がいる地球上のその場所に持って行っても無意味だ。この時点で宇宙空間になっている、「1億年後に地球がある場所」へ行かねばならないのだから…。だからといって、「科学的に正しくない」と話を「非現実的だ」と批判するのでは天国の藤子F不二夫氏に呪われてしまうだろう。
 では、この『タイムマシン』の故障をどのように解釈すべきか、研究してみよう。
 その解釈法については、結論を先に語った方が分かり易いと思われる。それは全宇宙的な動きの中から地球の位置を正確に割り出しそこへ移動するという「空間移動機能」と、地球上のどの位置に行くかという「空間移動機能」という形で2系統の空間移動機能を持っていると解釈すべきだと言うことだ。話を分かり易くするため、前者を「全宇宙的空間移動機能」、後者を「地球上空間移動機能」と名付けよう。そして劇中で故障したのは一貫して後者の「地球上空間移動機能」であることだ。
 まずピー助を白亜紀に連れ戻す際、黒い男の攻撃で『タイムマシン』が破壊される。この時に「地球上空間移動機能」は破壊されるが、その傷は小さかったと推定される。黒い男の銃撃でドラえもんが到着地と指定した緯度経度情報が狂った程度だろう。そして現代ののび太の部屋へはメモリに記憶した情報で戻っていれば、帰りに故障が発生することはない。あくまでも操縦者による入力と、それに対して装置が受け取った情報に狂いが出るだけの話で、メモリ記憶情報を使えば行きたいところへいけたと思う。この解釈ならば、再びのび太らが白亜紀を目指した時にはドラえもんが前回に行った場所の記憶を呼び出してそこへ向かったと解釈すれば、一行がピー助と別れた海岸に着いたことは説明出来る。これなら故障に関わりなく目的地へ行けるし、定員オーバーで暴走しても設定された目的地へ行く命令だけは実行されたということだ。
 だがその定員オーバーで暴走し、『タイムマシン』が普段常置されている「超空間」と呼ばれる場所から実世界に放り出されたショックで、この「地球上空間移動機能」が完全に故障したと考えられる。恐らくドラえもんが最初にマシンをいじって驚いたのは、その装置が正常動作すればディスプレイに「現在地」が示されるはずなのが出ないといったトラブルが生じていたのだと推測される。
 もし「全宇宙的空間移動機能」が故障すれば、タイムマシンの乗員は時間移動先で宇宙空間に放り出されるから確実に死亡する。だからこちらの機能は簡単に壊れないように頑丈な箱に入れられていると考えられ、さらに二重三重のバックアップを備えているはずだ。だから今回は故障していないと考えられる。さらに「全宇宙的空間移動機能」は「地球上空間移動機能」故障時のバックアップとして、出発地の地球上の座標を記憶し到着先では「地球上空間移動機能」と連携して応答が無ければ「出発時の地球上の座標位置」に瞬間移動するようにプログラミングされているのだろう。だからこそ「将来のび太の家が建つ場所ののび太の机の位置」に持って行けば、『タイムマシン』で現代の元の位置に戻れるのだと解釈すべきだ。
 こうやって『タイムマシン』を真面目に考えると、結構奥が深い。

…『タイムマシン』の故障を受けて、一行は白亜紀の日本を目指して長い旅を始める。その序盤は何事も起きない平穏な旅だった。
名台詞 「ああ、もう歩けないよ。タケコプターを出して。」
(のび太)
名台詞度
★★
 冒険旅行に放り込まれても、のび太はやっぱりのび太。タケコプターで数時間飛び、残りは歩くという行程だが、その「歩く」でやっぱり音を上げる。
 このシーンを映画館で見たことも、少年時代に原作長編漫画で読んだときのこともハッキリ覚えてる。「まるで自分みたいだ」と思ったもんだ。少年時代の私がこんな旅に放り込まれたら、のび太のようにまっさきに音を上げただろう。そして頼れる人物に我が儘を言ってしまう、実はこれは身に覚えがあるシーンでもあり、当時(ほぼ嫌々行っていた)ボーイスカウトのハイキングですらこんな状況だった記憶がある。そんなこんなでのび太にかなり親近感を感じたシーンでもある。
 だが物語がさらに進み、冒険要素が強くなってくるとのび太も強くなって行く。幼き日の自分は「のび太のように強くなれるだろうか?」と自問自答した記憶もある。そんな子供時代を思い出させてくれる台詞だった。
名場面 ブロントサウルスVSティラノサウルス 名場面度
★★★★
 旅行中の一行は湖の畔でキャンプをすることになった。湖からはブロントサウルスの大群が現れ、のび太ら一行は驚くが「おとなしい草食恐竜」とのドラえもんの説明にのび太らは安心する。しずかはブロントサウルスの卵が孵化しているのを見つけ、のんびりとした平和なシーンになるかに見えた。
 そこに1頭のティラノサウルスが現れる。ブロントサウルスは逃げ惑うが、逃げ遅れた1頭と格闘戦となった。相手の首を攻撃するティラノサウルス、必死に反撃のティラノサウルス…まるで怪獣映画のワンシーンだ。だがその闘いの中に前述の孵化したばかりの幼体がいるのをしずかが見つける。「ああ、大変。赤ん坊が!」と叫んだしずかは、2頭の恐竜が戦う修羅場へ突進して行く。のび太とドラえもんがその後を追う。やがてティラノサウルスがブロントサウルスを倒し、食事が始まるのかと思ったら…ティラノサウルスはのび太・ドラえもん・しずかの3人を見つけてこちらに襲いかかろうとする。反撃しようとドラえもんがポケットを漁るが関係ない物ばかり出てくる。そしてティラノサウルスが3人に襲いかかろうとした瞬間、『桃太郎印のきびだんご』がポケットから出てきて難を逃れる。
 大迫力シーンだ。「モスラ対ゴジラ」と同時上映されても恥ずかしくない大迫力だったと言って良いだろう(これは当時もそう思った)。特にブロントサウルスの子供という伏線を張っておいたことで、これをしずかが深追いしてのび太達が闘いに巻き込まれるというかたちで物語を大いに盛り上げることになった。これもこのシーンが印象的な理由の1つであろう。

 ちなみに「ブロントサウルス」であるが、本来は「アパトサウルス」とするべきであるがここでは劇中の呼称に統一した。なお現行の原作長編も「アパトサウルス」に修正済みでである。「ブロントサウルス」→「アパトサウルス」であるが、北米大陸で化石が発見された大型草食恐竜で、全長は21〜26メートル、体重は24〜32トン。あまりにも重すぎて陸上を歩けず、湖沼で半分水に浸かって生活していたというのが現在の定説だ。1億5千万年前のジュラ紀後期に、アメリカ大陸西部に生息していたと考えられる。のび太達が行った白亜紀や、ティラノサウルスやフタバススギリュウがいた時代とは一致しないが、この際そこは気にしない。なお、リメイク版の「のび太の恐竜2006」では時代設定を合わせるために、ここで出てくる草食恐竜は「アラモサウルス」に書き換えられている(ついでにティラノサウルスの戦い方も最新の学説を取り入れたものに書き換えられている)。
 「ブロントサウルス」から「アパトサウルス」に変わった理由は、1879年に「発見」された「ブロントサウルス」の化石が、その数年前に同じ人物が発掘した「アパトサウルス」の化石と同種だったことが1903年に解ったために、先に名付けられていた「アパトサウルス」であるべきとされたためだ。だがそれとは別に「ブロントサウルス」の名前は博物館や書籍で広く使われ、本来の「アパトサウルス」という名前以上に有名になってしまった。
 だから本作の原作長編で「ブロントサウルス」という名称が使用されたのは不思議な話ではない。現在でも「ブロントサウルス」という名の方が一般的なので、何も無理に変える必要はなかったと思うけど…。
感想 ・日本への旅行
 劇中では『タイムマシン』が壊れて帰り道を失ったのび太達一行が、日本へ向けて旅をするという無茶苦茶な展開を取る。『タケコプター』で飛びながら、しかも電池を一定時間休ませるという方針に、「白亜紀では日本とアメリカは陸続きだった」とするドラえもんの一言で実行された。
 もちろん、これは「大陸移動説」が正しければという条件付きだ。だが陸地や大陸が動いていることは現在ではGPS観測や、古磁気観測などでかなり裏付けは取れているので間違ってはいない説であろう。説が正しければ、のび太達一行が行った白亜紀後期ではユーラシア大陸と北米大陸の間の「ベーリング海峡」は陸地で繋がっていて「ベーリング陸橋」だったはずだ。北米大陸は中央部を境に東西に別れていて、その間に細長い海峡があったとされる。実はその海峡の西側に当たるモンタナ州やサウスダコタ州で「ティラノサウルス」の化石が見つかっているので、彼らはこの辺りから出発したのだろう。もちろん「化石の発掘」の研究で語った通り、当時は関東地方になる場所に陸地はなく、西日本と東日本になる陸地はユーラシア大陸の一部に組み込まれている状態だ。
 これによって世界地図に定規を当ててみると、のび太達の旅はざっと1万キロに及ぶことになる。『タケコプター』での飛行時間は原作長編では「1日4時間」と語られ、巡航速度が80km/hであることも劇中で語られているから1日の飛行距離は320km。さらに4〜5時間歩くとして15km、恐竜の背中に乗せてもらうことも多いと考えておまけして1日350km進めると考えよう。このペースだと28日半で彼らは日本の関東地方になる場所に着くことが出来るだろう。約1ヶ月だ。
 だが連続運転で8時間しか電池が持たない『タケコプター』がそこまで持つとは思えない。現に物語が進むと『タケコプター』に故障が続発し、使えなくなってしまうことも描かれている。劇中の様子から行って彼らはベリーリング海峡にも到達していない可能性は高い。出来ればユーラシア大陸には入って欲しいけどけど…特にリメイク版の「のび太の恐竜2006」では彼らは歩いて日本に着いたという物語になっているのだから。
 ちなみに原作長編と「のび太の恐竜2006」に描かれ、本作でカットされたシーンに「旅行中の食事」についてのことがある。彼らは食糧を海の魚などを捕まえ、ドラえもんのひみつ道具で保存食に加工して持ち歩いていたのだ。宿泊シーンは全作共通の『キャンピングカプセル』で、これはカプセル状の建物の中に宿泊設備一式が揃っているという優れもの。もちろんシャワーもあるので、しずかのシャワーシーンもある(見たい方はDVDを買うなり借りるなりして下さい)。それだけではない、順調にいけば1ヶ月も掛かる大旅行である、皆のプライバシー確保のためにはどうしても必要だろう。これがなかったらスネ夫が母を想いだして泣けないし…。

前ページ「ドラえもん のび太の恐竜」トップへ次ページ