「あにめの記憶」17

ドラえもん(劇場版)
「のび太の恐竜」

・70〜80年代の名作「ドラえもん」
 どの時代にもその時代の看板となったアニメ作品があり、それで育った人達がいるのは多くの人が感じている事だろう。そして子供時代にアニメを見て育った人は、同世代の人と語り合えば必ず通じ合うアニメ作品というのはあるはずだ。
 我々、40代になったばかりの世代で言えば、当サイトで多く取り上げている「世界名作劇場」シリーズがこれに当たるのは間違いない。それにSFなら「ガンダム」、ギャグなら「Dr.スランプ」や「うる星やつら」、アクションなら「スペースコブラ」や「北斗の拳」と言った辺りが名を連ねるところであろう。
 そして我々の世代に始まった「日常生活もの」アニメでかつ、長寿番組として定着して現在でも放映が続いているのは、藤子F不二夫原作漫画で看板作品である「ドラえもん」である(私が「クレヨンしんちゃん」を原作第一話をリアルで読んだとはいえ、あのアニメはあくまでも90年代の子供達のものであっただろう)。
 「ドラえもん」の漫画自体は大変古く、1969年に小学館の学年誌(いわゆる「小学○年生」)に連載されたのが始まりである。以降原作漫画は1994年まで一般的な短編作が、劇場版の原作である長編作品は原作者の藤子F不二夫氏の死去を乗り越えて後輩漫画家により2004年まで続いた。
 「ドラえもん」は人気を博し、「少年サンデー」誌を経て「ドラえもん」のために創刊されたとも言える「コロコロコミック」へと連載の舞台を移して行く。単行本も発売され、70年代の代表的な漫画として有名になる。

 これだけの人気漫画をテレビ界が黙って見ているはずがなく、まず1973年に日本テレビ動画の手によって「最初のアニメ化」がされる。このアニメは最初は不評だったと言うが、「アップダウンクイズ」「マジンガーZ」という当時の名番組の裏での事であり、様々なテコ入れ策の結果視聴率が上がって放映期間延長の話まで出ていた。ところが製作会社上層部のドタバタに巻き込まれる形でこの初代「ドラえもん」の放映延長の話は中止となり、しかも様々な事情によってこのアニメのフィルムは破棄されてしまったため、「幻のアニメ」となってしまった。また初代「ドラえもん」を制作した日本テレビ動画が消滅したことで、「ドラえもん」の映像化権利は「ルパン三世」でお馴染みの東京ムービーへ、さらに東京ムービーの下請け製作会社が独立して設立されたシンエイ動画へと映される。
 それでも「ドラえもん」の原作漫画は好評であり、「ドラえもん」のアニメ化は各方向で待望されていたようである。「ドラえもん」の映像化権利を手にしたシンエイ動画が様々な売り込みを図った結果、二代目の「ドラえもん」のアニメが1979年春からテレビ朝日で放映されることになった。これがその後26年に渡って放映されることになる(2005年からは声優陣や作画を一新して、3台目の新しい「ドラえもん」になっていることは解説するまでもないだろう)。
 テレビ朝日で放映された「ドラえもん」は、たちまちの大ヒット作となった。当初は関東地方では平日の夕方に毎日10分間放映されていて、当時小学生だった私は翌日の学校での話題になっていたのをハッキリ覚えている。そして季節毎に特番が放映されるだけでなく、放映しているテレビ朝日が自局の宣伝のためのキャラクターに起用するなどその影響はとても大きかった。
 そしてこの「ドラえもん」放映成功を機に、藤子F不二夫原作の漫画が次々とアニメ化されて行くことになる。「怪物くん」「忍者ハットリ君(アニメ)」「パーマン(二代目)」「オバケのQ太郎(三代目)」と言ったテレビ朝日放映分だけでなく、フジテレビでも藤子アニメが放映されることとなって80年代を育ってきた世代に強く印象に残っていることだろう。この流れは「クレヨンしんちゃん」が登場するまで続いたと言って良いだろう(「クレヨンしんちゃん」も本来は別の藤子F不二夫作品になるはずだったとか)。

・劇場版「ドラえもん」の始まり
 さて、これだけの人気を博した漫画とアニメを、今度は興行界が黙って見ているわけがない。1979年に放映が始まった「ドラえもん」の映画化が決まり、この原作として藤子F不二夫氏の手により始めて長編漫画が描かれた。これが「大長編ドラえもん」の第一作である「のび太の恐竜」である。
 「のび太の恐竜」は元々1975年に執筆され、単行本10巻に収録された短編エピソードであった。これをベースに後半部分(恐竜ハンターの登場以降)を加筆して、長編の冒険譚として仕上げたものである。この長編漫画「のび太の恐竜」を映画化したものが今回解説するアニメ劇場版「のび太の恐竜」で、1980年3月に封切りとなると大ヒットした。同時上映は「モスラ対ゴジラ」という怪獣映画のリバイバルである。

 「のび太の恐竜」では、いつもの「ドラえもん」と明確な区別を付けたのが特徴である。「ドラえもん」も含む多くの藤子F不二夫作品では子供達の日常生活をベースに、これに一風変わったキャラクターを付け加える事による変化を描いている。もちろんこのような作品のベースには子供達の「日常」をキチンと描き込むことが重要で、「ドラえもん」が「サザエさん」のような日常生活ものに分類されるのはこんな点からだろう。
 だが「映画」に求められるものは全く違う。映画館での90分や120分というのは日常生活から脱して非日常を味わう場でなければならず、それが子供達が見る映画であれば「冒険」というのは重要な要素になるのは確かだ。原作者の藤子F不二夫氏はその辺りをよく理解し、長編漫画にしろ劇場版アニメにしろ従来の「ドラえもん」から脱却する必要性を強く感じていたに違いない。それは「のび太の恐竜」という作品を見るとよく伝わってくることである。
 そのためにこの「ドラえもん」という作品は一度破壊されたとまで言って良いほど、長編作の組み立てに当たって物語構成や登場人物人物のキャラクター性が再構築されている。
 何よりも「冒険譚」として完成させるために主人公・野比のび太がそのまま使えないのは痛い点だと思う。彼が短編の野比のび太であれば、「冒険譚」の主役に最も適さないのは誰もが認めるところであろう。だがここで普段ののび太から大きく脱するわけにも行かない。そこで他のキャラクターの味付けを少し替えるところから始まっている。
 まずはジャイアン、彼の人格とそのパワーは普段は悪役であり、「力」が必要な冒険譚では情けないキャラののび太より目立ってしまう可能性が高い。そこで彼は「主人公最大の協力者」として描かれる事となった。「長編のジャイアンはいい奴」となる発端はここである。
 次にスネ夫は、普段の「裕福な家庭のお坊ちゃん」というキャラクター性だけ引っ張ってきて、のび太の恐がりな部分や情けない部分を彼に負わせることにした。これでのび太が無理して情けない役や恐がりを演出する必要が無くなる。「長編のスネ夫は情けない奴」となったのはこんな理由だ。
 そしてのび太は、普段の漫画で描かれている気は弱いが「人情に厚く」「正義感だけは一人前」という部分を大きくすることにした。これなら多少情けない男でも冒険譚の主役として活用出来るようになる。こうして「長編ののび太はカッコイイ」ということになる…主役だからしょうがない。
 そしてドラえもんとしずかはいつも通りを演じさせれば、長編作として冒険が出来るようになる。あとは物語の「きっかけ」さえ掴めれば、上手く話は転がるはずだ。
 そしてこれは狙ったのかどうかは解らないが、本作の劇中でキャラクター性の変化が行われた事である。もちろんその理由は前半が通常の短編作品の流用であるためだが、これで観覧者から見ればキャラクター性の変化について「唐突な印象」がなく自然だったのが良い印象を与えたはずだ。のび太の性格の変化についてはのび太が育てた首長竜ピー助の愛情という描かれ方になっていて、とても自然な印象だ。

 こうして長編「ドラえもん」の基礎であり、劇場版「ドラえもん」の基本フォーマットを確立したと言っても良い本作を、私独特の視点で考察してみたい。

・「のび太の恐竜」と私
 本作の上映は1980年3月、私が小学3年から4年に進級するときの春休みのことであった。当時の「ドラえもん」ブームも背景にあり、この映画を見に行こうという話は早くから出ていたと記憶している。そして春休みのある一日、上石神井から自転車に乗って吉祥寺の映画館へ向かった。兄の友達兄妹(その兄妹と私の兄と妹が同級生)と一緒だった記憶がある。ちなみにこれは私にとって前年の「ルパン三世〜カリオストロの城」「がんばれ!!タブチくん!!」に続いて、人生史上3番目に映画館で見た映画である。
 この年、「ドラえもん」が上映されていた映画館は吉祥寺の表通りではなく裏通りにある小さな映画館で、館内は自分達と同じような家族連れで満席だった。実はこの映画館であるが、中学生位になって初めて知ったのだが普段はポルノ映画などを上映している映画館だったようだ。そして何故か同時上映の「モスラ対ゴジラ」を先に見て、満を持して「ドラえもん」を見た形である。正直言ってこの時のハラハラドキドキ感は忘れない、前年に見た「ルパン三世」が当時の私にとって難しかったのだろう、のび太が繰り広げる大冒険を見て「映画の面白さ」というのをこの作品に教わったと思う。
 当時の私はこの作品が非常に気に入り、次の小遣いで「のび太の恐竜」の原作漫画の単行本を買った記憶がある。そしてこれを何度も何度も読み返して、映画で見たときの感動に浸っていたものだ。
 「ドラえもん」の映画は翌年の「のび太の宇宙開拓史」までは映画館で見ている。その後は私の兄が中学生になったのを機に、映画館で劇場版「ドラえもん」はしばらく見ていない。「のび太の魔界大冒険」他数作は、テレビ放映されたのを視聴したが、高校生に上がると劇場版「ドラえもん」は見ていない。
 その後、劇場版「ドラえもん」を見に行ったのは2006年、5歳になった娘を連れて春休みの映画館に足を運んだ。当時の妻が映画に興味なかったこともあって、随分長い間映画館に行ってなくて映画館自体が久しぶりであった。そこで見たのは本作のリメイクである「のび太の恐竜2006」、この作品は声優陣や作画が変わって三代目となった現「ドラえもん」の制作陣による最初の劇場版である。まだ当時は個人的に「わさびドラえもん」に慣れていなかったが、この後娘にせがまれて2010年まで5作に渡り「ドラえもん」劇場版を見に行くことになり、今はすっかり「わさびドラえもん」に慣れてしまうきっかけとなった。
 ちなみに私が最も好きな「ドラえもん」劇場版は、「宇宙開拓史」である。これも機会があったら本サイトで考察したい。

・「のび太の恐竜」主要登場人物

のび太と周辺人物
野比 のび太 物語の主人公、普段はぐうたらでドラえもんに頼ってばかりだが、本作ではピー助のために生命を賭す活躍を見せる。
 …異論はあるかも知れないが、私の解釈では「ドラえもん」の主役はあくまでものび太だ。
ドラえもん のび太の子孫の依頼で未来の世界からやってきた猫形ロボット。未来道具でのび太らを助けるが、「あわてるとだめなやつ」。
 …物語のタイトルキャラで今年生誕百年前。のび太の親友ではあるが、似たところもあるのが面白い関係だ。
源 静香 のび太の同級生でのび太が憧れる少女、真面目でお淑やかで頭が良いの三拍子。原作漫画では「しずちゃん」。
 …もちろんお楽しみは入浴シーン。本作では間違って男物の水着を着せられるシーンがあった記憶が…。
剛田 武
(ジャイアン)
のび太の同級生で今は死語の「ガキ大将」、普段はのび太をいじめてぶん殴ってばかり。
 …でも根はいい奴で、長編作では彼のその部分が活かされる。やっぱり彼の歌は「ホゲェー ボェー」でなきゃ(笑)。
骨川 スネ夫 のび太の同級生で裕福な家庭のお坊ちゃん、今回は彼がその財力で手に入れた「恐竜の化石」がすべての始まりである。
 …そして本作では、裕福ゆえの博識やラジコン操作の腕が彼の最大の見せ場だ。だけど劇場版では情けない役回りが多い。
その他
ピー助 のび太が発見した「恐竜の化石」から生まれた首長竜、のび太が愛情込めて卵を孵化させたのでのび太を親と思い込む。
 …フタバスズキリュウが厳密には恐竜でないという事実は、本作では気にしてはいけない。
黒い男 恐竜を捕獲して密売しようとする未来世界の恐竜ハンター。人間によく懐くピー助に目をつけ、のび太を付け狙う。
 …。
ドルマンスタイン 未来世界の富豪で恐竜を集めることが趣味、恐竜ハンターを雇って白亜紀から珍しい恐竜を持ち帰らせている。
 …。

・「のび太の恐竜」オープニング
「ぼくドラえもん」
 作詞・藤子F不二夫 作曲・菊池俊輔 歌・大山のぶ代/こおろぎ'73
 「のぶ代ドラえもん」の歌声だけでなく、曲自体も凄く懐かしかったー。「ドラえもん」のテレビアニメが平日夕方に毎日放映されていた頃のオープニングはこれだった。テレビでは曲に合わせて大勢のドラえもんが画面中を歩き回っていたっけ。
 背景画像は、タイムマシンに乗るドラえもんの正面画と、のび太とドラえもんが『しゅみの日曜農業セット』というひみつ道具で遊んだり稲作をしたり『もしもボックス』で窓の外の風景を立て続けに変えたりする光景が交互に繰り返され、「ドラえもん」の作品世界を短時間で上手く再現していると思う。
 曲は勇ましい感じにアレンジされた伴奏と、力強く楽しそうに歌う「のぶ代ドラえもん」の声が上手く合わさって、いつ聴いても楽しく明るい曲だと思う。他の「ドラえもん」オープニング曲が爽やかさを歌っているのに対し、この曲の明るさや勇壮さは明らかに方向性が違う「ギャグアニメ」向きのもので、「ドラえもんのオープニングにもこんな曲があるんだ」と改めて感じさせてくれる。
 そして当時のテレビアニメ同様、この勇壮なオープニングテーマに乗せてタイトル画面となり、物語は幕を開く。

※注記
 本考察では、キャラクターの台詞や物語のタイトル等のカギ括弧に「」を使用するが、劇中に登場するドラえもんの「ひみつ道具」の名称は『』で括って区別することにする。

2012年7月8日更新
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