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…のび太達の旅はまだ続く、だがのび太達を付け狙う目玉の姿が…。こんな中、遂に命の綱の『タケコプター』に故障が発生する。
名台詞 「けど、食われちゃう訳じゃないだろ? 未来の世界の金持ちに売られてさ、プールかなんかで飼われるんだろ?」
(ジャイアン)
名台詞度
★★
 名場面欄シーンを受けて、のび太ら一行は焚き火を囲んで語り合う。恐竜ハンター達の申し出を受けてピー助を渡し自分らを送迎してもらうか、やはり自力で日本へ向かいピー助を白亜紀の日本の海に返すか。意見は真っ二つに割れる。
 のび太としずかは「ピー助が可哀想」「ピー助の幸せ」という理由で、ピー助を白亜紀の日本に送り届けることを主張する。だが、ジャイアンとスネ夫は「もう冒険はたくさんだ」としてピー助を恐竜ハンターに渡して帰ることを主張する。その論争の過程でジャイアンが語ったのがこの台詞で、恐竜ハンターにピー助が渡った場合にどうなるかというシミュレーションだ。
 実は原作長編漫画では、この台詞はスネ夫の台詞である。原作では一行がプテラノドンに襲われた際、ジャイアンがタケコプターを落として墜落し掛かるのをのび太が助け、のび太がジャイアンの手を離さずに苦労して飛び続ける様が描かれている。それがこの論争でジャイアンが「俺は歩く、のび太と一緒にな」とスネ夫に叫んで、のび太の側に着く伏線となっている。原作ではピー助をハンターに渡して帰ることを主張したのはスネ夫だけなのだ。
 この通り、原作長編ではここでジャイアンが劇場版特有の「いい奴」として描かれていて、理由はどうあれのび太の理解者であり協力者として描かれている。これは今後の劇場版「ドラえもん」で多く描かれる事になるが、本作ではこの台詞が原作ではスネ夫だったのがジャイアンに移ったことであることが見えてくる。
 恐らく、ドラえもんキャラで冒険譚を描くに当たって、原作者は「ジャイアンの位置付け」を変えないと物語が上手く流れないことは解っていてそのように書き換えたのだと思う。主人公と共に冒険を行うメンバーに、何かあればすぐ暴力で解決しようとする暴君がいるのでは一緒に冒険する理由などないってもんだ。その証拠に本作では一行が白亜紀に来てしまうとジャイアンの存在感が一気になくなる。冒険譚でジャイアンのパワーを使うとすれば、主人公の理解者として皆を無理矢理まとめるか、その上での力業を使うキャラでなければダメだ。
 だが、映画の制作者がこの意図を見抜けなかったのかも知れない。さもなくばのび太に協力的なジャイアンというのに強烈な違和感を感じたのだろう。よってスネ夫の力説の半分をジャイアンに持たせ、ジャイアンはいつも通りのび太に立ち塞がるキャラになってしまった。
 そういう意味ではこの改編はとても痛いと思う。「のび太の恐竜」というのは好きな物語の1つであるが、この映画の唯一にして最大の欠点はこのシーンだ。その中のこの台詞は、原作を知っていると悪い意味で印象に残ってしまうのだ。
名場面 恐竜ハンター登場 名場面度
★★★★
 一行は谷川沿いに飛んでいるときに、のび太の『タケコプター』が故障する。このトラブルでドラえもんは「今日は早く着陸しよう」と決断し着陸場所を探すが、そんな彼らを翼竜の一種であるプテラノドンが襲う。ドラえもんは『桃太郎印のきびだんご』で対抗しようとするが、誤って『だんご』を落としてしまう。対抗の術を失った一行はプテラノドンに囲まれ万事休す…と思ったところでプテラノドンは何者かに攻撃されて墜落し、一行は助かる。
 だが一行の前に現れたのは、航空機のような乗り物であった。着陸すると中から出てきたのは「ピー助を譲って欲しい」とのび太に申し出ていた黒い男達だ。のび太が何者かを問えば、「解っているだろう、君のピー助君だ」と単刀直入に答え、「ピー助ほど人に懐いた恐竜は見たことがない、どうしても欲しいんだ」と語る。それに対しドラえもんが「恐竜ハンターだな」と叫び、のび太らに未来世界では過去の世界の動物を捕まえたり殺したりするのは違法であることを説明する。そして「金儲けのために法律を破っている」と黒い男を批判するが、黒い男は落ち着いて「ただでとは言わない」として、相応の代金を払うことと、皆を20世紀の日本に送り返すことを条件として付ける。そして「皆で今夜一晩相談しなさい」とした上で自分達の基地に来るように誘う。のび太が「行くもんか!」と叫ぶと、「明朝また来よう、良い返事が聞きたいもんだ」と言い残してハンター達は航空機に乗って飛び去る。これを黙って見送るのび太達。
 このシーンをきっかけに「冒険」の様相が変わる。これまでは「大旅行」という要素だけが描かれ、彼らは自然の脅威を乗り越えればよかった。だがここで明確な「敵」が現れ、のび太達はこれと戦うことを強いられる。つまり「闘い」としての冒険譚に物語が変化して行くのだ。
 またこのシーンは色々と見どころがある。プテラノドンに襲われているシーンの迫力だけでない、のび太らが黒い男達と対峙するところではそそのカメラワークがとてもいい。向かい合ったドラえもんと黒い男を真下から見るカットになったり、ドラえもんが「航時法」について語るときは「過去の動物を殺してはいけない」という内容に乗って、白亜紀の時代を生きる昆虫たちを主に描かれたりしている。このシーンだけ見ているととても「ドラえもん」を見ているとは思えないのだ。
 ちなみにこのシーンでのび太らを襲う翼竜のプテラノドンであるが…最新の学説ではティラノサウルス登場前に絶滅していたとされている。さらにプテラノドンは海辺に住む魚食性の翼竜だったことも解っている。最新の学説って冷たいなぁ、「のび太の恐竜」がだんだん非現実的にされてしまう。これを受けて、リメイク版である「のび太の恐竜2006」のこのシーンではケツァルコアトルスに描き変えられている。ケツァルコアトルスならばこの時代にいたし、小動物を襲って食べていたという学説もあるので現在に通用するのだ。
研究 ・航時法とは?
 今回、ドラえもんの台詞から、時間移動が実現している未来世界では「航時法」という法律が存在し、過去に生きた生物の捕獲や殺害が禁じられている事が明確にされる。この「航時法」とは何なのか考えてみよう。
 現代と設定上ドラえもんが生まれた未来世界の最大の違いは、時間移動という概念があるかどうかであろう。しかも時間移動を行う『タイムマシン』が手頃に入手出来るのは間違いない、それはドラえもんが決して裕福でないのび太の子孫の子守ロボットを起源にしている事を考えれば理解するのは難しくないはずだ。
 そんな世界だから「時間移動」についての法律があるのは想像に難くない。この法律では『タイムマシン』を使って過去や未来に行った場合の守らねばならないルールが定めてあるはずだ。法の理念は「過去の歴史を守り、過去の生物や人々が平穏に暮らせるよう」と言った辺りであろう。
 ドラえもんが語った通り、古代を生きた生物を捕獲したりするのはダメだ。ただしこれには例外規定があると考えられ、考古学的に必要と認めた場合は数を限っての捕獲が認められていることだろう。また「ドラえもん」原作漫画の別の話では、のび太やドラえもんが恐竜の捕獲をする「恐竜ハンター」というエピソードがあるが、これも個人的に限定的でかつリリースが前提であれば捕獲は認められていると解釈すべきだ。禁止されているのは組織的で大規模な捕獲や、飼育や売買のための捕獲なのだろう。
 もちろんその理由は、乱獲によって歴史が変わってしまうことを防ぐためだ。ドラえもんが語った通り哺乳類の先祖(この時代には既に哺乳類として完成していたはず)を絶滅させてしまったら人間に繋がる進化系統を破壊することになると、「どうせ絶滅するから」と恐竜を乱獲すればその子孫の鳥類に影響は出かねない。それだけでなく古代の生物だけが持つ未知のウイルスなどを未来世界に持ち帰られては困る。ウイルス問題は、本来なら過去への渡航は全面禁止すべき位の大問題のはずだ。
 「航時法」で定められているのはこれだけでないだろう。もちろん過去の人間への干渉をしてはならないことも定められているだろうし(じゃあドラえもんは…?)、特に歴史的事件への介入は禁じられている事だろう。過去の悪人なども「悪い人物だから」と逮捕したり殺害することも禁止だ。そしてこの「航時法」を正しく理解した者だけが、『タイムマシン』の操縦免許を取れるに違いない。「黒い男」達は無免許で『タイムマシン』を扱っている可能性は高い。
 『タイムマシン』は多くのSFに出てくるが、そのバックグランドにこのような法律が設定されているのは少数派であろう。だからこそ想像力がかき立てられて「ドラえもん」は面白いのである。

…闇に向かって吠えるピー助を見て、しずかがジャイアンとスネ夫を説得。一行はピー助を白亜紀の日本に連れて行くことに決まり、黒い男を出し抜く準備に掛かる。一方、未来世界ではドルマンスタインという富豪の元に、「黒い男」からの通信が入る。
名台詞 「手に入れたも同然なんですがね、最後の詰めをだんなご自身の手でって言うのもどうかと思いまして…。どうせ、飼い主の子供達はすんなり手放すはずがありません。明日は一騒ぎあるはずなんです。だんな、人間狩りだけはまだご経験なすったことはないでしょう?」
(黒い男)
名台詞度
★★★
 未来世界の富豪、ドルマンスタインの元に「黒い男」からの通信が入る。これに通信を受けたドルマンスタインが「手に入れたか? 例の人に慣れた恐竜とかを?」と訊く。この返答として「黒い男」が語る台詞がこれだ。
 前回部分のラストで、のび太らが「黒い男」ら恐竜ハンターを出し抜こうと色々と作っているシーンがあった。だが悪役の方が一枚も二枚の上手だと言うことを、視聴者が思い知らされる台詞だと言って良いだろう。「黒い男」にとってはのび太がピー助を手放さないのは折り込み済みで、その上でのび太らを捕まえてピー助を奪取する計画を立てているのである。
 ドルマンスタインは「黒い男」ら恐竜ハンターに、コレクションとするべき恐竜を捕獲するように依頼した主であろう。「黒い男」らはドルマンスタインだけでなく、多くの富豪などから「闇の依頼」を受けて様々な時代で動物の捕獲活動を行っているのだと考えられる。その捕獲時には依頼者を呼んで、依頼者自らに捕獲させることもあるのだろう。だが彼らが唯一自分達で捕獲しておらず、依頼者にも捕獲させていない生物がいる。それが人間であろう。
 だから「黒い男」は、ピー助の事を依頼したドルマンスタインにこのような事を持ちかけるのである。恐らく20世紀のピー助を発見したのは、「黒い男」ら恐竜ハンターではなくドルマンスタインなのだろう。
 こののび太達に向けた「人間狩り」と言う台詞に、特に見ている子供達はのび太らのピンチを知って恐怖することだろう。思わず画面に向かって「危ない」とか叫んでしまう子供達もあるだろう。こうしてピンチを煽ることで物語を盛り上げる要素が、この台詞の役割でもある。
名場面 いかだで川下り 名場面度
★★
 のび太らは『ラジコンねんど』というひみつ道具を使い、陽動作戦は計画する。それは成功するには成功したが、予想以上に早く陽動作戦であることが見破られ、「黒い男」らはのび太らを追いかけ始める。
 その頃、のび太ら一行はいかだで川を下っていた。のび太がラジコンの送信機を操り、ドラえもんとジャイアンがいかだを操縦する担当である。だが陽動作戦に気付いた「黒い男」らがもう近くに迫っている。ジャイアンが独り言のように今回の作戦の全容を語ると、しずかは冷静に「ねんど細工で誤魔化すのも、そう長くは持つとは思えないわ」と作戦の欠点を語る。ほぼ同時にのび太はラジコン送信機の異常に気付き、「ラジコンのコントロールが効かなくなった」と声を挙げる。するともういかだの背後に「黒い男」たちの航空機が迫ってくる。
 何の警告も無しにドルマンスタインが発砲、のび太が「しまった」というがもう為す術がない。それどころか前方には落差のある滝が迫ってくる。ドラえもんとジャイアンが必死に漕ぐが、ドルマンスタインの射撃が正確であった。ドルマンスタインは正確にいかだの左右を繋ぐロープを、しかもいかだの中心線に沿って狙ってくる。いかだを真っ二つにして一行を二分割しようという頭のよい作戦だ。その間も迫って来る滝、ドルマンスタインが最後の一撃を放つと、その光線は正確にいかだを最後まで繋いでいたロープに当たり、いかだは真っ二つに割れて片側にはのび太とドラえもんとピー助が、もう片側にはしずかとジャイアンとスネ夫がのった形となる。のび太が乗った方のいかだはそのまま滝を落ち、しずかたちのいかだは銃撃された勢いで滝上の川岸に打ち上げられる。そしてしずか、ジャイアン、スネ夫の3人は「黒い男」の手に落ちる。
 名台詞欄シーンを受けて、最もハラハラする展開はここだろう。手前のバギーカーのシーンでは、そんな便利な物があるのに本人達が使わないことを考えれば、勘のよい子供は「陽動作戦」だと気付くように作ってある。そしてその陽動作戦が予想以上に簡単にバレてしまい、のび太もドラえもんもそうとは思わない時点で敵が襲ってくるから緊張感が高い。
 ここは正直言うと、「いかだで川下り」→「滝」というおやくそく的な展開ではあるものの、ここにさらに「敵襲」を加えることで非常に面白くなっている。また展開上ここで皆が捕まってしまうのか、それとも逃げ切るのか予想がつきづらいこともこのシーンを盛り上げる要素だ。そして結果はこれまで一致団結していたのび太とその仲間が二分割して、片方が捕まってしまうという予想外の展開だ。だがその展開こそが物語を「黒い男」やドルマンスタインとのび太やドラえもんの対決へ、そして大団円へと運ぶ大きな転換点となるのだ。
研究 ・「黒い男」を出し抜く方法
 今回の焦点は、のび太達がいかにして「黒い男」らを魔の手から逃れるかという一点に掛かっていたことだろう。ピー助の譲渡を断るにしても、何とかして「黒い男」らを出し抜かない限りはまた追いかけられる事は明白だ。だから彼らには「逃げ切る」事が絶対条件となる。
 そこで考えられた作戦は、『ラジコンねんど』を使用してバギーカーを作り、これに泥で作った自分達の人形を乗せて走られるという方法で陽動作戦を行い。その間に自分達は恐竜ハンターの基地に乗り込んで『タイムマシン』を盗むという作戦を考えたのだ。『タイムマシン』を盗めば犯罪だが、相手が「恐竜ハンター」という犯罪組織であり後ろ暗い事を考えると、警察などに通報される心配はないと踏んだのだろう。『タイムマシン』が奪えれば、例えばその時間から5分後の日本に行ってピー助を日本の海に放す事が出来る。そして自分達も20世紀に帰ることが出来るのだ。ピー助はのび太達の手を離れるが、日本海域で他のフタバスズキリュウの群れに混ざってしまえばもう解らない、そのような作戦のはずだ。
 そして『ラジコンねんど』で作ったバギーカーに「黒い男」は引っかかり、一度は盛大にバギーカーを攻撃する。だがドルマンスタインの銃の威力が強すぎて、バギーカーが簡単に撃破されたことで、ドラえもんが予想していたより早く陽動作戦がバレることになったのだろう。恐らく作戦の考案者であるドラえもんは、相手が「人間狩り」を仕掛けてくることは想定していなかったと思う。死なない程度に自分達を銃撃してくるという想定が無かったからこそ、いかだで川下りという手段で川下の恐竜ハンター基地を目指したのだろう。いかだで川を下る速度では、空を飛んでくる人工の航空機から逃げ切れるはずがない。こうして5人のうち3人が捕まってしまうことになる。
 もちろんドラえもんは相手がどんな悪党でも、自分達に銃を向けてくることは想定していなかったはずだ。過去の世界とはいえそれは殺人罪であり、恐竜ハンターなんかよりも余程罪が重いはずだ。これはドルマンスタインも解っていることで、その腕前で人間に「当たらないように」銃を撃っているのは確かだ。彼が銃の扱いに慣れていてプロ級の腕があるからこそ、「当たっちゃう」ことも無かった。バギーカーの時もいかだのときも、あくまでも乗っている乗り物を破壊して足を止める事を念頭に置いて銃撃しているように描かれている。その上、いかだの時は真っ二つに割って乗員を二分することで、必ず片方は捕まえられるという賢い手段を使っている。彼は動物を「生け捕りにする」ことにも長けているのだろう。
 こうして5人中3人が敵の手に落ちたことで、物語はいよいよ最終段階に入って行くのだ。

…しずか・ジャイアン・スネ夫は気を失ったまま恐竜ハンターの基地へ連れて行かれる。そしてドラえもんが考えた「タイムマシン乗っ取り計画」がバレてしまう。一方、未来世界ではタイムパトロール隊が恐竜ハンターの基地を発見する。
名台詞 「もういい、たかが首長竜、もうどうでもよくなった。それよりこれは見物だ、最後まで見物しようじゃないか。」
(ドルマンスタイン)
名台詞度
★★★
 名場面欄シーンの様子を、ドルマンスタインは競技場の観覧席から黙って見つめていた。だがいよいよティラノサウルスがのび太らのところへ迫ったとき、時計を見て5分でピー助を差し出せば止めるつもりだった「黒い男」にこう語る。「黒い男」もこれに同意する。
 この台詞で「黒い男」やドルマンスタインが「悪役」として完成したと言って良いだろう。主人公らに対し容赦のない態度を取り、相手が子供だからと手加減することもない掛け値のない悪役となったのである。「黒い男」はギリギリまで「目的はピー助」を演じるが、このドルマンスタインの台詞でその目標は消え失せて単なる悪役に成り下がる。本当の悪役は「黒い男」にピー助を捕まえさせようとし、のび太達を追う第一要因を作ったドルマンスタインなのだ。彼はこの映画に出てきてから一貫して「ピー助」よりも「状況を楽しむ」ことを上位に考えているよう描かれ、のび太達に銃口を向けるなどの悪役として物語に君臨してきた。そして、この台詞でいよいよのび太らの生命を狙う大悪党として完成したのである。
 その大悪党として完成した理由としては、自分の楽しみのためにのび太らの生命を脅かす事はもちろんだ。だがそれ以上にこの台詞に込められたドルマンスタインの「性格」があるのを見落としてはならない。つまり彼はもう既に「人に慣れた恐竜」ピー助に飽きてしまったのである。のび太達を追い、死なない程度に人に銃を向けるというスリルを味わい、ここで肉食恐竜に人を襲わせるというまたとない出来事でピー助に飽きたのだ。この飽きっぽさ、おもちゃに飽きた子供のような言動は、まさに冷酷な富豪に対してもつ一般庶民的イメージであり、ドルマンスタインがそんな悪役として印象付く理由になるのは確かだろう。
名場面 恐竜ハンター競技場 名場面度
★★★
 のび太とドラえもんは、仲間達を救うべく恐竜ハンターの基地に乗り込んだ。内部に入ると二人は逆に基地の設備に誘導される形で基地内の競技場へ向かわされる。途中からジャイアンとスネ夫の泣き声が聞こえ…競技場に着くと、その中央の柱にしずか・ジャイアン・スネ夫の3人が縛られて吊されていた。のび太とドラえもんが3人を助けようと走ると、「黒い男」の声が場内に響いた。彼はここが恐竜同志の闘いを見物するための設備であることを説明し、扉の向こうに血に飢えた恐竜がいることを告げる。扉がゆっくり開かれ、ティラノサウルスのシルエットが明らかになって驚く一同。そんなのび太に「黒い男」は「恐竜はあと5分で君らを襲う、やめて欲しければ今すぐピー助を渡すんだ」と迫る。タイムパトロールが基地に迫っているシーンを挟むと、いよいよティラノサウルスがのび太らのところへ一歩一歩迫る。驚いて顔を出すピー助を庇うのび太、他の仲間達は恐怖に震える。
 「冒険譚」として完成させるためには、ただ単に冒険旅行をするだけではダメだ。そのための「黒い男」であり、ドルマンスタインなのは言うまでもないだろう。そして前回部分からは「悪役との闘い」という「冒険譚」を盛り上げる部分に突入している。そして闘いを否応なしに盛り上げるのは、悪役の冷酷なまでの悪役面(名台詞欄)と主人公チームの「ピンチ」である。主人公らの「ピンチ」がただあるだけではない、見ている人達が主人公らと一緒に恐怖を感じ、一緒に怖がったり、脱する方法を考えたりする要素も必要だ。特にこの場面では逃げ場のない「競技場」という場所で、肉食恐竜とご対面という絶望を描くことでそれらを盛り上げる。
 このドラえもんという物語において、のび太やドラえもんというキャラが明確な形で「悪役」と闘うのはこれが最初だったのではないかと思う。その闘いでは闘いシーンをいかに盛り上げるかという要素が上手く入っていると思う。そしてそれだけでなく、ピンチの次の「一発逆転」へ向けてもキチンと盛り上げてあるのも見物だ。この一連のシーンに未来世界のタイムパトロール隊の動きを挟み込み、「助け」がそこまで迫っているのを見せつけるのも重要な要素だ。これは子供が見るからこそ必要な要素とも言えよう。
 だが一発逆転は「助け」によって得られるのでなく、予想外の展開からドラえもんが自力で掴むのもこの闘いを盛り上げる要素だ。その解説は次回に。
研究 ・ティラノサウルス2
 今回、またものび太らがティラノサウルスに襲われる。これまでは自然の中での遭遇であったが、今回は人為的に「競技場」という場所の中で襲われることになる。ではティラノサウルスとはどんな恐竜なのか、今考察最初の研究欄ではその身体の特徴や化石の発掘史、それに化石の価格などを研究したが、ここではその続きとして生態面などからこのような状況で人を襲うことがあり得るか、あるとすればどのように襲うかを考えてみたい。。
 実はティラノサウルスは恐竜の中でもその知名度はとても高く多くの映画に出ているが、実は未解明の部分も非常に多いと言わざるを得ない。例えばティラノサウルスの歩行姿勢すら説が複数あり結論は出ていない。本作では一貫して、ティラノサウルスの歩行姿勢は身を起こした完全二足歩行形として描かれている。つまり怪獣映画でお馴染みの「ゴジラ」と同じ歩き方だ。だがこれに対して尻尾を引きずらないように前傾姿勢を取っていたという説もある。
 歩行姿勢の違いは歩行速度にも鋭気用が出る、しかも歩行姿勢だけでなく化石に記録されている様々な器官の形跡などからも様々な意見が出ている。上は自動車並みの70km/hから、下は全力疾走でも18km/hまで様々な説がある。また短距離を猛スピードで走るのが得意であったとする説があったり、長距離を歩くのに適している骨格であるなど、歩行や走行の基本部分すら解っていないのが現状だ。ただし、ティラノサウルスの循環器系は現在の鳥と同じく「気嚢」による呼吸システムを備えていたのは確かと思われ、体重は予想以上に軽く、他の生物より呼吸の効率がよいので激しい運動に耐えられるという説も提示されている。
 ティラノサウルスの食性も「肉食」であることはハッキリしていても、どのようにして肉を得ていたのかも諸説入り乱れている。劇中で描かれたように草食恐竜を積極的に襲っていたという説もあるし、死んだ生物の肉を探して食べていたという説もある。嗅覚が優れていたことは解っているが、これが狩りの為に発達したの死肉を探すために発達したのか解らない。ただ最近ではティラノサウルスが高度な社会性を持っていた可能性が示されていて、怪我から治癒した個体の化石が発見された事で「狩りが出来ない個体を仲間が守る」という社会性があったことを示唆していると言う説もある。すると狩りをするにしても死肉を探すにしても、集団で行動していた可能性が高い。
 結局調べてみてもよくわからないことだらけで、劇中のように飢えているときはどんな生物でも襲ってしまうのかどうかすら解らなかった。でも劇中のティラノサウルスはまるでゴジラのように描かれ、迫力はあるものの科学的にみると問題はありそうに感じる。特に獲物が目の前にあるときは、ズシンズシンとゆっくり歩くのでなく、現在の肉食哺乳類のように獲物を捕まえるべく駈けて来そうな気がしてならないのだ。

 ちなみにティラノサウルスには様々な説があり、外観についても本作を含めて多くの映画などで爬虫類然とした皮膚が描かれているが、実は身体中が羽毛で覆われていたという説もある。これはティラノサウルスが鳥類の祖先である獣脚類に属していることや、近縁関係にある恐竜の多くが羽毛を持っていた痕跡があることからかなり有力だと言われている説である。少なくとも幼体には羽毛が生えていたのは確実視されているという。でもティラノサウルスの想像図が、ある日突然羽毛で覆われるようになったらちょっと違和感を感じそうだ…。

のび太達に迫るティラノサウルス、だがティラノサウルスは突然のび太とドラえもんの前で立ち止まる。
名台詞 「よーし、あいつらをやっつけろ!」
(ドラえもん)
名台詞度
★★
 詳細は名場面欄を見て頂きたいが、形勢が逆転してティラノサウルスの頭部に乗ったのび太とドラえもんが「反撃」に転じる。この反撃に転じて「黒い男」やドルマンスタインの元へ突撃する際、ドラえもんがこう叫んで反撃ののろしを上げる台詞とした。
 小学生の日常生活というものを中心に物語を描いている「ドラえもん」では、ハッキリと悪役と闘うというシーンはこれまで無かっただろう。だから当時、映画館でこの台詞を聞いた私はドラえもんの勇猛さを感じたのでなく、大きな「違和感」を感じた。どう考えても当時の「ドラえもん」は悪役と闘うキャラではなく、「日常に溶け込んだ異質」という印象が強く付いていたからだ。これは「オバケのQ太郎」でも同じことが言えるだろう。同じ藤子作品でも実に悪役と闘っている「パーマン」と「ドラえもん」は明らかに違うのだ。
 この台詞で「違和感」を感じた子供は多いと思う、そしてその「違和感」を受け止められるかどうかは劇場版「ドラえもん」という新しい物語を受け止められるかどうかという重要な点でもあったと思う。私は違和感の次に「ドラえもん」の新境地として受け止められた。
 さらに言うと、ティラノサウルスの頭の上でこの台詞を吐いたのが、主人公のび太でなくドラえもんなのがポイントが高い。のび太というのはこの物語の主人公であるばかりでなく、「ドラえもん」という作品を見る子供達と等身大のキャラクターである。彼が「冒険」をすることは許されても、彼が先頭切って勇猛に悪役と大立ち回りを演じるのは少し違うと思う。それこそは主人公のび太の兄貴分でもあるドラえもんの役回りのはずだ。のび太はあくまでも「ドラえもんの力」によって悪に立ち向かうことが出来る主人公であり、今後続く劇場版各作品も基本的にそう描かれている(例外はドラえもんによってのび太自身が大きな力を出せると気付かされたとき)。
 こうしてこの部分では、名場面欄シーン、その中の名台詞で「ドラえもん」が「劇場版長編作」として出来上がるのだ。
名場面 反撃 名場面度
★★★★
 前回名場面欄シーンを受けて、いよいよ血に飢えたティラノサウルスがドラえもんとのび太に迫る。いよいよティラノサウルスが皆を襲うかに見えたとき、ティラノサウルスは突然立ち止まる。そしてドラえもんの前で頭を下げて乗るように促すのだ。ドラえもんとのび太は、このティラノサウルスが湖の畔の名場面欄シーンで『桃太郎印のきびだんご』を食べた個体だと気付く。そして二人はティラノサウルスの頭部に乗り、ドラえもんが「(名台詞欄シーン)」と叫ぶと反撃が始まる。ティラノサウルスはまず競技場のVIP席(?)を襲い、「黒い男」とドルマンスタインをここから追い出す。通路を逃げる二人を、のび太とドラえもんを頭部に乗せたティラノサウルスが追う。その間にタイムパトロールがこの基地に踏み込むシーンが挟まれ、二人が観念するときが迫っていることが示唆される。「黒い男」はティラノサウルスに銃を撃って応戦しようとするが、これもドラえもんの『ひらりマント』で交わされてしまい無力化されてしまう。そして基地内の格納庫から航空機で逃げだそうとした2人と、踏み込んだタイムパトロールが鉢合わせる。しずか、ジャイアン、スネ夫も既にタイムパトロールによって救助されていた。「ハンターごっこはこれまでだ、今から我々が23世紀の刑務所へお送りしよう。観念したまえ」と隊長が威厳を持って宣言するが、2人はまだ銃撃で対抗して逃げようとする。そこへのび太とドラえもんのティラノサウルスが現れ、全員がひと睨みすると、「黒い男」とドルマンスタインはがっくり腰を落として観念する。
 実に痛快な悪人が懲らしめられるシーンだ。前回部分の「ピンチ」から一転、のび太達主人公勢力が反撃に出る。その要素は「恐竜ハンターがたまたまドラえもんに『桃太郎印のきびだんご』を与えられたティラノサウルスを捕獲していた」というご都合主義的な面が大きいが、こうでなければここまで鮮やかに形勢を逆転させることも不可能だっただろう。ドラえもんがここで便利なひみつ道具を出してしまうより、余程面白くなったのは確かだ。
 そして形勢が逆転すれば、あとは「水戸黄門」で言えば終盤のチャンバラシーンと印籠シーンと言うことになる。特に形勢逆転後の反撃では、のび太とドラえもんがティラノサウルスの頭部に乗って敵を追い回すというとても衝撃的な「画」でもって印象に残った人は多いことだろう。普段の「ドラえもん」の路線からは考えられない闘いシーンに、さらに衝撃的な「画」が加わったことで、本作は普段の短編漫画やテレビアニメの「ドラえもん」と一線を画した「劇場版長編アニメ」としての「ドラえもん」としての新境地を開いたと行っても過言ではない。
 こうして悪党との闘いは決着し、物語はいよいよ感動の名シーンへと進んで行くのだ。
研究 ・恐竜ハンターの基地
 今回取り上げるのはやはりこれだろう。白亜紀の世界に「恐竜ハンター」が地下に巨大な基地を築いており、のび太やドラえもんとハンター達の闘いの場としても重要な要素だ。
 この基地について、ドルマンスタインが「第7基地か、白亜紀中期の北米だ」と呟くシーンがある。さらにタイムパトロールがこの基地を発見した際、劇中の位置を示すディスプレイには北米大陸中央部、どちらかというとカナダと思われるところに位置を示す光点があった。つまりこの基地は北米大陸中央部にあるのは間違いない、すると周囲にティラノサウルスがいたことと整合が付く。
 だがティラノサウルスやフタバスズキリュウが白亜紀後期に生息していたことを考えると、ドルマンスタインの「白亜紀中期」としたのと合点が合わない。ひょっとするとこの基地は白亜紀中期からずっと同じ場所にあるのかも知れない…って、それだけでも数千万年単位になるので人工建造物を維持するのは難しいと思う。いずれにしても23世紀の人間がタイムマシンで行くのだから、建物が長期間あるのは問題ないだろう。
 また「第7基地」と言うからには、第1〜第6があるのは間違いないだろうし、第8以降もあるかも知れない。彼らは「恐竜ハンター」と呼ばれているのだから、ジュラ紀や白亜紀が専門で他の時代では活躍していないと見るべきだ。また航空機を使用するので行動範囲は広いので、1つの時代に1つ基地があればいいだろう。私の予想では、ジュラ紀の始まりである約2億年前から、白亜紀が終わる約6500万年前までの時代をいくつかに区切って基地を設置したのだと思う。この間が約1億4000万年であることを考えれば、2000万年ごとに区切れば7つ基地が必要だ。つまり「恐竜ハンター」たちにとって最も最近の時代の基地だと考えられる。
 続いてその規模だ。登場人物らが出入りした入り口は1つ、植物でカモフラージュした1辺が100メートル程度の正方形の昇降式ハッチになっている。この四隅には換気口があり、地下には巨大な施設があると見て良いだろう。
 この基地の使われ方はこうだ。まずは23世紀から来たときのタイムマシンの発着拠点としての使用法だ。タイムマシン自体は何処へでも瞬間出来るが、恐竜を捕らえて未来世界に運ぶとなればその拠点が必要になるのは言うまでもない。捕獲した恐竜を一時的にここに留置し、『スモールライト』で小さくしてからタイムマシンに乗せるための設備は絶対に必要だ。また彼らのタイムマシンは航空機も兼ねると思われるので、この格納庫や整備基地が必要になるだろう。それにハンター達の食堂や宿泊施設も必要で、これらが主な基地の存在理由だ。
 そしてもう一つの理由が「競技場」が存在する理由である。それは「恐竜ハンター」は恐竜を捕らえて未来世界に密輸するだけでなく、この基地で恐竜を闘わせるなど「見せ物」にしているということだ。これも裏社会でチケットを流通させ、決まった日時にそのような「イベント」を行っていることであろう。大きな観客席がその使用法を物語っている。またドルマンスタインのように「恐竜ハンター」に恐竜の捕獲を依頼した人への接待にも使用されていることだろう。
 これらを考えると、地下にはかなり膨大な設備があることは間違いない。恐らく「機動戦士ガンダム」のジャブロー基地のように、地下には信じられないほどの空間が広がっているのだろう。
 ひとつの心配は、白亜紀にこれだけの施設を作れば、完全に撤去しない限りは現代人に「遺跡」として発見されてしまう可能性があることだ。タイムマシンが開発されていない現在なら、この遺構は考古学を混乱させる大事件になりかねない。何せ白亜紀だけでなくジュラ紀などにもこのような先端技術が見つかってしまうのだから…恐らく、これらの基地は用済みになったら完全に撤去されたのだろう。そう考えるしかない…。

…悪人は捕まり、のび太はタイムパトロール隊の協力でピー助を日本の海に連れてきた。
名台詞 「いよいよ、僕とピー助の別れの時がきた。」
(のび太)
名台詞度
★★★
 悪人達が捕まり、シーンは恐竜ハンター秘密基地の換気口から空を眺める画から、換気口の上に虹が架かる画、そして日本の海の上空に掛かる画へと変化して行く。そのシーンの切り替えを示す画像の移り変わりをバックに、のび太がこのようにナレーションをする。
 正直言って、ドロンジョ様の声による「のび太のナレーション」というのはあまり記憶に無い。それはのび太自身が「解説」をするキャラでないこと、「ドラえもん」自体がナレーションの必要が無い物語である点が大きいだろう。だが今回はのび太が日記を付けている設定があり、これに従って日記を読む形での「のび太のナレーション」が誕生したが…正直言って違和感大きいなぁ。
 だがここを敢えて「のび太による解説」にしたのは、「物語の流れ」から言ってこれしかないというところだろう。もちろん画面にのび太らの行程を地図で出したり、字幕を入れるなど他の手もある。だがこの「のび太の恐竜」と言う物語は、のび太とピー助の物語と見る事も出来、その面から考えれば「のび太視線」というのがラストの感動シーンへの入り口に必要になると思う。だからのび太が滅多にない「解説」をすることになった。
 この解説は余計な事を語らず、必要最小限なのがこれまた良い。そしてドロンジョ様が抑揚を押さえ、「のび太の声」でありつつも感情を込めなかったことがかえってこの後の感動シーンを盛り上げることになったと言っても良いだろう。
 ちなみに現在、のび太を演じている大原めぐみさんの声でも、「のび太による解説」というのは聞いた事がない。少なくとも私が見た何作かの劇場版と、何作かのテレビアニメでは無かったなー。
名場面 別れ 名場面度
★★★★★
 名台詞欄の解説に引き続き、画面には海に浮かぶタイムパトロール巡視艇とピー助というシーンとなる。巡視艇の甲板から「ここがお前の故郷なんだよ、元気でね」とのび太がピー助に語るが、ピー助は首を振る。「僕たちが苦労してここまで来たのは、何のためだと思っているんだ?」とのび太が言い聞かせるが、ピー助は情けない顔で今度は強く首を振る。「いい加減に言うことを聞いてくれよ、じゃないとぶん殴るぞ」とのび太が厳しく言うと、ピー助が涙をこぼす。これを見たのび太がピー助の名を呼ぶと、その長い首を抱いて泣き始める。隣ではしずかも泣き、少し離れたところでドラえもんもジャイアンもスネ夫も泣いている。「ピー助…ピー助…」と涙を流し続けるのび太。だがのび太もピー助も、近くにいたフタバスズキリュウの群れがピー助を呼んでいるのに気付く。ピー助がそのうちの一頭と語り合い始めると、のび太は笑顔になって「隊長さん、今のうちに行きましょう」と隊長に言う。「そうか、残念だがな」と隊長、「帰れるぞ」と喜ぶしずかとジャイアン。「ピー助、元気でね」のび太は声を掛けると船室に入る。そして巡視艇が動き出す音にピー助は気付き、その後を必死に追う。「さよならピー助、幸せになるんだぞ」のび太が窓から叫ぶと、巡視艇は離水する。「さようなら〜!」のび太が叫ぶ、ピー助は虹が架かる空に消える巡視艇をいつまでも見送る。
 本作最高の見せ場である。余計な解説を付けない方が良いかもしれないが、どうしても語ってしまおう。主人公と、本作だけのもう一人の主人公の別れでどれだけ盛り上がり、どれだけ感動出来るかで本作の評価が決まるといって良いだろう。そしてこのシーンでは大袈裟な別れを演じる事はなく、かといってあっさり終わるわけでもない、のび太とピー助の物語に幕を引くのに相応しい「別れ」シーンを持ってきたと思う。
 何よりもこのシーンの良いところは、画面に出てくるのをのび太とピー助に絞ったことである。かつ他のキャラがいることも忘れさせない程度に出す…しずかはのび太の隣で泣いているだけ、ドラえもんとジャイアンとスネ夫は少し離れたところで涙を流しているだけ。この他キャラクターの露出度が少なく、彼らが余計な事を言わない点がこのシーンを「のび太とピー助の物語の幕切れ」として大いに盛り上げたのは確かだ。
 こうして出会いに対して必ず演じられる「別れ」という感動シーンが上手く行ったことで、この「ドラえもん」は劇場版長編として成功したと思う。私も小学生の頃にこのシーンを映画館で見て、感動したのはよく覚えている。
 こうして物語の本筋は幕を閉じ、後は物語を上手く終わらせるオチへと入って行くのである。
研究 ・タイムパトロール
 結果的にのび太らを白亜紀の日本の海まで連れてきたのは、本作ではタイムパトロールの人々である。前回部分までに彼らは恐竜ハンターの基地を発見し、彼らを逮捕するためにのび太らがいた白亜紀の北米に現れたという形だ。
 タイムパトロールはその名からして警察組織なのは確かだろう。ドラえもんが語った「航時法」という法律に則り、時間移動しての法を守らぬ者の取り締まりを行う組織であると推測される。恐らく日本単独のものではなく、国際組織になっているのだろう。23世紀に根拠地を置き、23世紀の人物による時間犯罪を監視し、取り締まっているのだろう。もちろんタイムマシン普及以降、あらゆる時代に存在するという「未来の歴史」も想像出来るだろう。
 だが彼らの警察権が及ぶのは23世紀人だけであり、のび太ら一行の中でタイムパトロールの警察権が及ぶのはドラえもんだけであろう。彼らが活動するにおいて、過去世界で事件に遭ってもそれに手出し出来ぬよう法で縛られているに違いない。また過去世界における犯罪人を逮捕するのも御法度だろう。様々な方面から歴史が研究され、「逮捕禁止人リスト」があるに違いない。だから彼らが例え高橋克也容疑者(時事ネタすまない)を発見したとしても、指をくわえて見ているしかないはずだ(この辺りについて、私が「せえらちゃんの小説」様に投稿した自作小説〜「小公女セーラ」と「ドラえもん」と「ヤッターマン」のコラボ小説〜に書いている)。
 彼らのタイムマシンは、原作長編漫画では「巡視艇」と呼ばれており、本考察でもこの名称に従った。船舶と航空機と潜水艦を足して割ったような外観をしており、飛行用のジェットエンジンと海上航行用のスクリューが付いていることが確認出来る。さらにタイムマシンであり、時間犯罪者がどんな世界にいても対応可能であろう。武装としては甲板にミサイルのようなものが設置されており、時間犯罪者が武力で対抗してきたときに対応出来るようになっている。
 今回、彼らがのび太らを白亜紀の日本へ、さらに20世紀の東京へ送り届ける義理は無かったと考えられる。だが「航時法」かタイムパトロールの運用法のどちらかに、「時代を問わず時間遭難者の保護と送還」が彼らの使命として明記されているのだろう。恐らくのび太ら一行とピー助は、ドラえもんのタイムマシン故障による「時間遭難者」として認定されたのだろう。その上でピー助は白亜紀の日本へ、のび太らは20世紀の東京へ返すべきとの判断となり、のび太らを白亜紀日本を経由して20世紀の東京へ送還したのだと考えられる。
 ちなみにリメイク版の「のび太の恐竜2006」では、タイムパトロールは登場するが恐竜ハンターを逮捕するだけである。恐竜ハンター逮捕後はのび太らは歩いて日本に近い陸地に到達し、さらにそこからピー助の背中に乗って将来東京になる海上を目指す。そして名場面の別れシーンは、ドラえもんのタイムマシンに乗って去るシーンとして描かれたのだ。

…のび太達はタイムパトロール隊のタイムマシンで、20世紀の日本に帰ってきた。そしてそれぞれが家路につく。
名台詞 「いいとも、生死を共にした仲じゃないか。」
(スネ夫)
名台詞度
★★★★
 20世紀の野比家に戻って来た一行は、既に夕方であったこともありすぐ帰宅する。のび太・ドラえもんと、しずか・ジャイアン・スネ夫の3人が互いに挨拶を交わすと、3人は肩を並べて帰宅の途につく。すると夕陽を背景にジャイアンがスネ夫の肩を抱き「宿題見せろよな」と声を掛けると、スネ夫のこう返答した。
 このスネ夫の一言には、「冒険譚」としての本作を統括して締めくくるだけではなく、様々な要素がある。何よりもこの台詞が小学生の日常会話である「宿題を見せろ」という頼みの返答であること。このジャイアンの台詞は小学生の日常をベースにしている「ドラえもん」だからこそありがちな台詞だ。だがこの小学生の日常会話にありがちな台詞の返答が、「生死を共にした仲」という日常とは大きく掛け離れている内容である。まずこの違和感から印象に残る台詞であろう。
 その上で、この物語の構図が前半は普段の「ドラえもん」通りに小学生の日常をベースにしつつも、後半はまさに生死を賭けた「冒険譚」であったという特徴を示している。生死を賭けた大冒険が終われば、彼らは普通の小学生であり宿題に追われる日常が待っているのだ。そんな要素をしっかり描いて、普段の短編漫画やテレビアニメの「ドラえもん」にちゃんと話を繋げるようにできている。
 そして何よりも、この時のジャイアンとスネ夫の後ろ姿が美しいことだ。ジャイアンは珍しく優しい声でスネ夫に語りかけ、スネ夫も素直にこれに応じる。こんな要素も加わってこの物語は今後の劇場版で強く訴えられる「友情」というテーマを付加している。生死を賭けた大冒険があったからこそ、彼らはより深い友情で結ばれるというオチだ。
 こうしてスネ夫の台詞で物語は上手く落ちる。だが本作ではもう1シーン残っている。でもまさか本考察最後に選んだ名台詞が、スネ夫になるとはちょっと予想外だった。
名場面 就寝 名場面度
★★★★
 夜、のび太は冒険旅行中に付けていた日記を閉じる。その日記には前回部分の名台詞と同内容だけでなく、ピー助の名が何度も連ねられていた。日記を閉じて電気を消し、ドラえもんが大きな欠伸をして就寝の挨拶をして押し入れに消える。すると暗くなったのび太の部屋の中を、ボールが転がってくる。のび太はそのボールを見て、まだ小さかったピー助がこのボールで遊んだことを思い出す。そしてそのボールを抱いて寝ると、のび太はピー助の夢を見る。のび太が寝返りを打つとボールが転がり、そのボールが月にに変わるシーンが描かれ、月夜に照らし出される野比家が映ると物語は「終わり」となる。
 ラストシーンは台詞が殆ど入らない。のび太に何も語らせずに、のび太とピー助の思い出の大きさが上手く描かれているのだ。そしてピー助に未練があるのでなく、その幸せを願うのび太の様子が本当に上手く描かれたと思う。
 このシーンは「オチ」というより、既に「余韻」に入っていると言うべきだろう。「オチ」は名台詞欄のスネ夫の台詞でうまくついている。ここで描いたのび太のピー助を想う気持ちは、別れのシーンでも描かれたことだ。だがこれを台詞無しで再び描くことで、劇中ののび太だけでなく映画を見た者にもピー助の記憶がよみがえるように出来ている。こうして人々は主題歌に入る前から、既に「余韻」に浸り始めるという物語の構図だ。ここでの余韻のために、物語前半で出てきたボールを上手く使ったと思う。
 そしてここはすぐにドラえもんを就寝させ、のび太一人のシーンとして描いたのは正解だ。のび太が自力で化石を掘り出し、自力でその正体を掴み、自力でそれを育てて大きくし、自力で守り、自力で行くべきところへ送り届けた…のび太のこの経験が大きさはここでのび太が一人で「ピー助への想い」を演じるからこそである。ドラえもんがいたら、ここで物語が終われなくなってしまっただろう。
 このシーンは原作長編漫画にも存在する。同じようにのび太がこのボールを抱いて寝るシーンであり、のび太一人で演じられている。リメイク版「のび太の恐竜2006」では、エンディングで原作長編漫画のこのラストシーンを画面に映すことでこれを再現した。「のび太の恐竜2006」を子連れの親として見に行った人は、それを見て子供時代を思い出した人も多かっただろう(現に私がそうだった)。
研究 ・物語その後
 こうして本作は終わり、のび太もドラえもんも普段の「ドラえもん」の物語に帰って行く。だが私が本作を最初に見た時から気になって仕方のないことが1つある。
 それは「故障したドラえもんのタイムマシンがどうなったか?」という問題である。劇中でドラえもんのタイムマシンが故障し、白亜紀で彼らが日本へ向かったのはピー助をいるべき世界に連れて行くという理由だけでなく、タイムマシンの空間移動機能が壊れたから日本に戻らないと時間移動出来ないという理由だったはずだ。
 だが実際には、恐竜ハンターとの闘いがあったことでタイムパトロール隊に助けられ、タイムパトロール隊の巡視艇で白亜紀の日本へ、そして20世紀の野比家へと送迎されたのだ。そこで「あれ? ドラえもんのタイムマシンはどうなった?」と思った人は多かろう。
 私の解釈を言うと、その後ドラえもんがタイムマシンを修理に出したという事だろう。だがこれには色々問題がある。故障の原因が犯罪者による「銃撃」であり事件性があるし、その後の「定員オーバー」というメーカー想定外の使用の結果だからだ。その上、ドラえもんが自分で何とかしようと自力で修理しようして、分解までしている。もちろんこれでは保証書が効くわけはなく、ドラえもんはタイムマシンを自費で修理せねばならない。
 だがドラえもんのタイムマシン修理費の問題は、前述した「事件性」で解決する可能性は高い。ドルマンスタインや「黒い男」ら恐竜ハンターらは、航時法違反で間違いなく未来世界の裁判を受けることになろう。劇中には描かれていないがドラえもんはこの証人として法廷に立った可能性が高い。するとドラえもんは自分のタイムマシンが彼らの犯罪のために銃撃され、故障したことを証言することになる。
 ここで被告人が普通の人だったらドラえもんは別途民事訴訟を起こさないと修理費を手にできないが、ドルマンスタインは未来世界の富豪である。恐らく会社経営など信頼度に関わる仕事をしている可能性が高いだろう。ここで時間犯罪で捕まって裁判となってただでさえ辛い立場のところに、一般人のタイムマシンをしかも銃撃で破壊したとあればさらに評判に傷が付く。
 恐らく、ドラえもんが証人として法廷に立った後、ドルマンスタインの執事がドラえもんに接触したと思われる。そして壊れたタイムマシンの修理など実害分は補償するから、民事裁判に訴えないで欲しい旨頼んだと思う。その条件をドラえもんが呑んで和解が成立、こうしてドラえもんはドルマンスタイン側からタイムマシン修理費を得たと推測される。
 だが未来世界のタイムマシン製造メーカーには、ユーザーサポートみたいなのはなかったのだろうか? 「ドラえもん」劇中世界では未来世界で「タイムでんわ」が実現し、時間を超えた通話が可能になっている。これを利用すれば過去未来問わず故障などの問い合わせを受け付けることは可能だ。その上でJAFのような組織もあるかも知れない、年会費を払うことで、時間旅行先でタイムマシンが故障したら送迎とタイムマシンのレッカー移動(?)を無料でやってくれるようなサービスがあってもおかしくない。タイムマシンが普及しているからこそ、そういうシステムがあってもおかしくないんだけどな。

・「のび太の恐竜」エンディング

「ポケットの中に」
 作詞・武田鉄矢 作曲・菊池俊輔 歌・大山のぶ代/ヤング・フレッシュ
 なんとものんびりした歌ではあるが、歌詞の内容的には今作品を反芻するのにとても良い内容になっていることは、今回の視聴で初めて知った。何しろ上映当時、この主題歌を聴かずに映画館の席を立った記憶がある。当時は現在のように観客総入れ替え式の全席指定でなかったから、次の回の上映を見る人のために物語が終わったら急いで席を立つのが常識だった。
 その詩の内容は、「ドラえもん」らしく「ポケット」を意識したものだ。「ドラえもん」の世界観を作る「ポケットから広がる無限の可能性」という要素を、当時金八先生で大流行だった武田鉄矢さんが見事にまとめている(作詞が武田鉄矢さんだと知ったのは今回の再視聴においてだ)。同時に歌詞に出てくる「きみ」と「ボク」が、まるでのび太とピー助の関係のようでこれまたうまく余韻に浸らせてくれる。
 曲のアレンジは、ドラえもん関連で最も有名なオープニング曲であろう「ドラえもんのうた」に似たような雰囲気を持たせているが、歌っているドラえもんはこれを勇猛に力を込めて歌うので、歌詞の内容と合わせて楽しい感じの曲に仕上がっている。やっぱり「のぶ代ドラえもん」の声はいいなぁ。懐かしいし。
 背景画像は様々なポーズのドラえもんが右から左に流れて行くだけ、蒸気機関車の煙突を頭に乗せて煙を吐いて走るドラえもんで始まり、最後のただ寝っ転がっているドラえもんまで、実に26人のドラえもんと1匹のネズミが次から次へと流れて行く(ドラえもんの口の中に座っているドラえもん含む)。それらの画は全てドラえもんというキャラクター性をユーモアたっぷりに描き出していて、見ていて楽しい。
 こうして、映画はテレビアニメ等と違う「長い小説を読み終えたような爽快感」で幕を閉じるのだ。

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