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・「風の少女エミリー」エンディング
「風のそらみみ」 作詞/作曲・EPO 編曲・細井豊 歌・EPO
 なんだかのんびりした曲である。だがこの曲はオープニングとは別の手法で「風の少女エミリー」という物語を表現していると思った。どんな向かい風が吹いてきても、自分は自分でいるというエミリーの信念みたいなものが伝わってくる曲であろう。
 背景画像はこれまでのアニメとは一線を画す静止画で、色合いなんかも全く違って違和感ありありだがこれがまたいい。ここに出てくる静止画はアニメとは一線を画す画風とはいえ、その風景やキャラクターはアニメに合わせてあるので、違う表現法として許容範囲内という感じだ。私は物語が終わって最初に出てくる、エミリーとエリザベスが仲良く洗濯物を干している画が気に入っていた。
 そこに英文字で色々書かれているのは「可愛いエミリー」の原作の一文なのだろうか?
 EPOって人の曲をはじめてまともに聴いたが、こういう世界も悪くないなと思った。

・総評
・物語
 物語は大きく3部に分けられる、ここではそれぞれについて語っていこう。
 最初は1話から4話という短い話数で区切ろう、この部分は「物語の始まり」であって物語の設定付けを行うと同時に、主要な登場人物を少しずつ登場させてそれぞれ印象付けることに力点が置かれている。1話ではエミリーの基本設定を立てると同時に、マレー家の人たちを印象深く登場させる。2話ではニュームーンの面々とエミリーの基本関係を設定する。3話では学校を設定するとともに親友となるイルゼや敵対関係となるローダとの関係を構築する。4話では親友キャラでも男子であるテディとペリーを印象付けて、マレー家以外のシーンではこの4人組が中心になって物語を牽引して行くことを示唆する。これらの展開が急がずかつ冗長にならないようにまとめ、視聴者に対して交通整理的な役割を果たすのだ。特に物語の内容に対して話数が少ないので、この部分でいかに各キャラクターの印象付けを行うかというは物語全体の印象をも決定づける鍵になるはずだ。特にイルゼとローダの初登場に関しては強烈的だったと思う、互いに逆の役割で画面に初登場させて後からひっくり返すという登場で特にイルゼが深く印象に残った人も多かろう。テディの初登場も「エミリーと恋愛関係になる」という予感を上手く漂わせたのは上手いと思った。またイルゼやテディを中心に、後半へ向けての伏線を多く張っているのも物語に対し期待を感じたつくりであった。
 この部分は印象深いが、話が大して進んでいない。だがこれが物語を視聴する人にとっては好印象な点になるだろう。

 次は5話から20話という長い区切りとなる。この部分は「風の少女エミリー」という物語の屋台骨であり、このアニメを見た人が後にこのアニメをイメージするときに思い浮かぶのはこの部分となるであろう展開だ。ここでは少女時代のエミリーが様々な事件や、色んな人との出会いを通じて少しずつ大きくなっていく物語が紡がれる。1〜4話は「流れ」として描かれて全ての話が繋がっていたのとは対照的に、この部分では多くの物語が一話完結の形をとる(例外は6〜7話)。ここでは起きた事件を面白く描くと同時に、それによって起きた出来事や出会った人からエミリーがひとつずつ教訓を得るという展開を主軸にしている。雰囲気は世界名作劇場「赤毛のアン」に似ており、アニメ制作側も多少は意識したと思われるが、物語は淡々と描かれている感じではなく無理に感動させる作りになっていたり、BGMが大袈裟で驚くべきシーンでないのに派手なBGMで必至になって盛り上げたのは逆効果だったかも知れない。
 またここでは多くの脇役達が話を盛り上げてくれるのも特徴だ、のっぽのジョン、キャシディ神父、トムおばさん、ナンシー大叔母様とキャロライン、ディーン、ローズと言ったまさに「名脇役」というる存在のキャラは全てこの部分で登場している。

 最後は21話から最終回まで、シュルーズベリーの高校に入り青春期を過ごすエミリーが大人になるまでの展開であろう。この部分で中心的に描かれるのは「エミリーの苦悩」だ。これまで自分の夢をハッキリさせてこなかったイルゼも「自分」を見つけ、さらに他の友人達もそれぞれの道で成功しようとしているその時に、エミリーだけ上手く行かず置いて行かれるという展開へ話が流れる。その間に中心的な4人の恋愛関係をハッキリさせ、二部目との差別点として新たな敵役であるイブリンとハッキリと対決するシーンも描くなど、視聴者を飽きさせないつくりになっていた。だが話は徐々に陰鬱なムードが漂うようになり、特に25話のエミリーの苦しみは見ていられないものがあっただろう。だがそのどん底からエミリーがやっと「自分」を見つけ出し、自分が何を書くべきなのかを見つけて成功し、最後にはテディと無事挙式を上げて子供にも恵まれることになる。
 ここで一話関係から全体の流れへと物語の形式が変わるが、話は次話へと流れるのに劇中時間が大きく飛んだりしているので視聴者は最も混乱しやすいところかも知れない。またエミリー他登場人物が、その時の流れに見合った外見の変化を見せないのがさらに視聴者を混乱させているだろう。エミリーを初めとする少年少女はもっと背が高くなってもいいと思うし、エリザベスやジミーはもっと顔に皺が増えてもおかしくないはずだ。私も正直、エミリーが何歳になったのかをここで見失った。

 物語全体を見ると、これは視聴前に感じていたことなのだが話数が不足していて展開が多少駆け足になってしまったのは否めない事実だろう。だが20話までは一話関係の物語が多いせいか、その展開の速さが気にならないようにできている。だからこそ21話以降のさらに駆け足になる展開が余計に気になってしまう。正直言うとこの物語はあと1クール、「こんにちはアン」のように全39話くらい欲しかったと思う。21話まではこのままで良いけど、ここから35話あたりまで時間をかけてシュルーズベリーでの物語をもっと描き、36話あたりから4話かけて24話から3話の展開をやればかなり余裕のある展開になったのではないかと思う。
 その駆け足の展開のせいなのか、それとも原作がそうなのかはまだ分からないが、回収されていない伏線が目立つのも残念な点である。テディの母がなぜあのような偏愛で息子に接するのかが、結局最後まで明かされないまま終わったのはその最たる例だ。
 物語のテーマとしては、一人の少女の成長を通じて「愛すべきもの」という点に落ち着いていたと思う。それはエミリー自身が愛する人たちの事もそうであるが、それだけではなく画面に映し出される森や空や風景と言ったところまでをさしていることだろう。この物語を見た視聴者は、自分の周囲にいる人々の事だけではなく、自分の周囲の風景にも目を配ったことだろう。そしてエミリーのように「風のおばさん」を探した人も多かったことだろう。これらの愛する人や物が自分の感性や才能を刺激し、成長して行くという展開をうまく書いたと思う。
 そして本文中にも記したが、画面描写に工夫をして物語やキャラクターを印象的に「見せる」ことにも力が注がれている。特に霧の中にあるような「ぼかし」を入れ、これを利用して光を効果的に差し込ませるという描画を多用しており、アニメ画面が芸術作品のように美しく仕上がっているのは特徴的だ。これは他のアニメには見られないもので、同じNHKで放映された最近のアニメにも見られない技法だ。これも本文に書いたが、この描画法は今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」でも多用されており、特に光の差し込み具合やそれに対するキャラクターの配置など「風の少女エミリー」と共通点が多く見られる。このアニメを見た方は是非1度「龍馬伝」と画面を見比べて頂きたい。

・登場人物
 この物語の登場人物は派手な性格付けがされているというのが私の印象だ。派手じゃない性格の登場人物はテディくらいのものだろう、だが他のキャラが派手なこともあってテディについても「大人しい」を派手に描いた結果がああなのかも知れないという見方も出来る。
 エミリーは一途で思いつめやすい性格というのを上手く描いた。そしてそれをそのまま大人にしたのがエリザベスだ。この二人は一途という点で特に派手に描かれ、どちらも1度言い出したら曲げられないという不器用さを強く描いている。このような部分で性格に共通点があるのだから、衝突を繰り返すのは当然だと言えば当然だろう。
 イルゼは極端な皮肉屋として、はたまたエミリー以上の純情娘として描かれた。彼女の極端さはその純情すぎる点、だからこそ言いたい言葉が止められずに皮肉屋になるのだが、それが朗読家という天職を見つけることに繋がる。もちろん朗読をするには言葉を上手く発することが必要で、イルゼはその正確でそれを点から授かっていたという性格に仕上げてきたのだ。
 テディは前述の通り極端な「穏やかな」人物。その落ち着きと穏やかさはエミリーの対極であり、だからこそ異質な物を持つ物として互いに惚れ合うのだろう。でもこの二人で夫婦をやったら苦労するのはテディだと思うけどなー。ペリーはエミリーとは違う方向性の一途さをこれまた極端に描いているが、エミリーやエリザベスとの相違は思いつめやすい性格ではないこと。だが憧れのエミリーにフラれたときだけはさすがの彼も落ち込んだ。その思いつめず落ち込みを知らない性格だからこそ、純情すぎるイルゼが惚れるという構図をも上手く描いている。
 ジミーは極端に優しい人を描いた。マジで怖いくらいエミリーに優しすぎた。この男もエミリーとある一点で共通点があり、それは常に自分の感性を信じている点だろう。ジミーから見ればエミリーのそんな部分が可愛いからこそ、放っておけなかったのだ。
 この各キャラクターの「性格の極端さ」というか「性格の濃さ」とは別に、特に初期において登場人物の顔が「濃い顔」になっていて印象深かったのも忘れてはならない。特にエミリーとイルゼの顔の「濃さ」は、はじめてこのアニメを見た人はちょっと抵抗感を感じるかも知れない。これはキャラクターデザインをしている人の癖なのだろうか、原因は顔の「ほりの深さ」にあると思う。もちろんある程度年配のキャラはそう描いた方が自然なのだが…。

 マイナス面の多いキャラとしてまずローラを挙げておこう。本文中ではローラのことを担当声優から「メーテル」と記してきたが、実は最終回までついにキャラクターの名前を正しく覚えられないほど影の薄い存在だった。基本的に彼女は物語の中にいて、ジミーの言うことに相づちを打つだけの存在であり、何のために出ているかよく分からないのである。私にとっては声があの池田昌子さんだからというだけで存在感を感じていたが、もし他の声優さんがやっていたら最終回までこの人の存在に気付かなかったかも知れない。気付いていたとしてもここでこうしてわざわざ書くようなことはしなかっただろう。せっかくいい声の人を充てているのだから、もっと活躍させて欲しかった。
 それと何のために出てきたのかよく分からない脇役が一人、それはディーンである。彼は最終回で何の脈略もなく、エミリーとテディの挙式を見て「エミリーは一番欲しい物を手に入れた」というが、ディーンに対し二人の関係や歩みが明確に語られたシーンがないのでこれは不自然かつ唐突に感じられた。そもそもディーンがなんで出てきたのかよく分からない、崖から落ちそうになった主人公を助けて意気投合した…それだけである。エミリーに何らかの教訓を与えたわけでもないし、その出会いに何らかの意味があったようにも描かれていない。私は原作を読んでいないから断定できないが、このキャラは原作にいないか、あるいは原作ではテディの恋敵となるようなとてつもなく重要な人物であるかのどちらかだと思う。もし後者だとすれば、これも話数の少なさからそんな展開を描いている余裕がなく、話数の少なさで不遇を買ったキャラと言うことになる。「赤毛のアン」を見ていて思うが、モンゴメリがこんな中途半端なキャラを描いたとは思えないのだ。

 いずれにしろキャラクターの性格は分かり易く、それがこの物語に取っつき安い理由のひとつでもあると思う。マイナス点はいくつか上げたが、それを差し引いても満足の出来るキャラの方が多かったことを明記しておこう。

 では最後に名台詞欄登場回数である。やはりトップは主人公エミリー、二番手には親友のイルゼが付けてきている。本文でも書いたがイルゼの台詞はとても面白く、印象に残る物が多かった。そしてペリーの名台詞が多いのは予想外で、これは男子キャラとして彼がイルゼと同じ位面白いことを示唆しているともいえよう。ペリーは1度だけエミリーの定型句である「ひらめきがやってきた」を取ってしまっている。
 以外なのはテディやジミーの少なさ、だが全体の話数の短さを考えるとこんなもんかと思う。また1回だけ登場の人が多いのも今回の特徴となった。

名台詞登場頻度
順位 名前 回数 コメント
エミリー 主人公がこの欄でトップに立つのはおやくそくになってきた訳ではなく、彼女は要所で印象深い台詞を吐いて主人公としての役割を果たした。彼女の詩は確かに美しいものがあるが、これに関連する18話の名台詞は「なるほど」と思った。それと20話の名台詞も印象深かった。
イルゼ 台詞が面白いキャラなのでトップになるのかと思ったけど、やはりそうは行かなかった。だが彼女の痛烈な皮肉の台詞はどれを取っても面白かった。その中で自分で自分に対する皮肉を言った22話の名台詞は、彼女の純情さをうまく示していて好きだ。
ペリー 男子キャラで最も印象に残ったのは彼だ。エミリーのために身を粉にして勉強しただけではなく、もともと才能もあったのだろう。だが彼の原動力は11話の名台詞だと思う。もちろんエミリーへの一方的な婚約宣言も好印象。
エリザベス エミリーを引き取った親代わりの彼女だが、やはり定型句が多かったせいもあって思ったより名台詞には恵まれなかった。8話の名台詞は、その内容そのものよりその演技にしびれた。エミリーに妹の面影を見つけつつも、それを必死になって否定する女性を見事に演じきった。
テディ エミリーの友人達の中で最も名台詞に恵まれなかったが、それは彼がこの物語に出てくる少年少女のなかで最も「まとも」だから。だが10話の名台詞では、彼の心に秘められている熱い思いを感じ取ることが出来、これが彼自身の成功に繋がったのだと確信できる。
ジミー マレーの中でエミリー最大の理解者という立場ではあったが、思ったより名台詞が出てこなかった。「ありのままが一番美しい」と説く25話の名台詞は、この物語に出てきたあらゆる台詞の中で最も印象に残っていて、これが彼の生き様でもあるだろう。ちなみにこの人を組長園長先生とばかり言ってたが、「南の虹のルーシー」にも出てたよね。
ダグラス エミリーの父、もちろん生きて出てきたのは第1話だけなので名台詞登場もそこだけだ。だがこの彼の台詞はこの物語の基礎となっているのは否めない。
キャシディ 台詞があったのは7話だけというキャラであったが、その中で自分の道が正しいかどうかで揺れるエミリーの背中をポンと押している。劇中でのさらなる活躍を期待したが、後は最終回の挙式シーンに参列者の一人として出てきただけでがっかりした。
キャロライン 15話をひたすら不気味な空気に包み、その流れにとどめを刺したあの一言は今聞き直すと笑える。結局この人が何者だったのかよく分からず。
ディーン 前述した通り、このアニメにおいて最も存在理由が乏しいキャラ。16話と26話に出てきたが、双方で全く繋がりがない。16話での名台詞も何らかの教訓を与えてくれるものではなく、他のキャラを引き立てる面白い台詞だったからに他ならない。みっと活躍するかと思ったけど全然出てこず、がっかり。
ミセス・ドギア 19話と25話だけのキャラではあるが、19話ではエミリーに一途になることの大切さを思い起こさせる重要な台詞を吐いている。その上でエミリーが純粋に夫を見捨てなかったことを感謝し、これが最後にエミリーが成功する伏線となっていたのは感心だ。
ルース 嫌味が多く、主人公の名前すら正しく覚えないというとんでもないキャラだが、まさか後半では登場回数も増えて名台詞欄に名が載るほどになるとは思わなかった。その21話の名台詞が理解できるようになったら、おじさんやおばさんの域に入ったということだ。
カーペンター エミリーの恩師という立場でありながら、やはり名台詞に恵まれなかった。その唯一である24話の名台詞では、エミリーにかつて夢に燃えていた姿を思い出させようと必死だった。だがそれがエミリーに通じなかったのも空しかったが。


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