前ページ「あにめの記憶」トップへ次ページ

第1話 「ジオンの子」
名台詞 「僕、その人に会います。キシリアという人なら知っています、強そうな人ですよね。でもお父様の仇のザビ家の人になら、僕は負けません。」
(キャスバル)
名台詞度
★★★
 ある夜、キシリアがダイクンの子供たちが匿われているラル邸を訪れ、「デギン・ザビの代理としてキャスバル・レム・ダイクンと話がしたい」と訴える。ジンバ・ラルはこれに反対するが、キャスバルは会うことを決める。その時にキャスバルが吐いた台詞がこれだ。
 この台詞は物語進行上はさして重要ではないが、この第1話で私を最もうならせた台詞だったと言って過言はない。キャスバル(シャア)の子供時代はこの台詞も含めて田中真弓さんが演じているが、この台詞だけは池田秀一さんがシャアを演じるときの口調が頭にフッと浮かんだのだ。シャア・アズナブルの口調などをうまく研究して台詞が考えられ、演じる側もキャスバルと言うよりシャアを演じたからこそ旧作を知っている私がうならせたのは確かだ。
 そしてこの台詞でキャスバルがキキシリアを「強そうな人」と言っているが、それが正しくないことはここまで物語を見てきている視聴者には解っている。キシリアは「強そうな人」なのは確かだが、それ以上に「冷酷で非道」である。そんなキシリアが身内に対して行った仕打ちを見てきた視聴者に、「キシリアとキャスバルが二人だけで話をして大丈夫だろうか?」という不安をあおるよう、うまくできていると感じた。
名場面 サスロ・ザビ暗殺 名場面度
★★
 議会での演説中に突然倒れ、そのまま死去した宇宙移民独立の指導者ジオン・ズム・ダイクンの葬儀が行われた。教会での葬儀が済み埋葬のため墓所へ向かう車列、その中でザビ家の第三子サスロと第四子のドズルは同じ車中にあった。ドズルはサスロの実の兄姉に対しても冷酷なやり方を批判するが、これに対してサスロが激しく反論している最中に、突然二人が乗った車が爆破される。車列を見守る大衆の悲鳴が響き、後続の車に乗っていたガルマ(まだ子供)が突然の出来事に狼狽えるが、隣にいたキシリアが「狼狽えるな、これしきのことで」とガルマに一喝。先行の車内ではデギンとギレンが驚いた表情で猛火に包まれたサスロとドズルの車を見守っていて、その猛火の中から流血したドズルが這い出してきて「サスロ兄がやられた! 誰がやったんだ!」を叫びだす。その様子を驚愕の表情で見守るジンバ・ラルとランバ・ラル。恐怖に震えるガルマを抱きかかえていたキシリアだけがこの状況を冷静な目で見守っている。
 ダイクン死去に続いて物語が矢継ぎ早に動いて驚いたシーンだ。「機動戦士ガンダム」旧作では設定だけが存在して劇中への出演はなかったサスロ・ザビが本作に出ている、この事実はこのサスロという人物がこの物語のどこかで消えることハッキリしているのは言うまでもないだろう。その上で視聴者が「サスロはどんな形で死を迎えるのか?」と色々と想像を張り巡らさせ始めた頃合いを見計らってサスロ暗殺事件が起きるという…ガンダムシリーズでは様々なキャラクターの「死」が印象に残るが、このサスロの死はこういうタイミングで起きたことで出演回数が少ないのに強烈に印象に残るであろうことは確かだ。
 そしてこのシーンのもう一つの見どころは、この事件を見守っている人々の動きを見ると「誰が犯人か」が解るように作ってあることだ。この作品を見た人なら説明するまでもなく「犯人はキシリア」だと解っていることだろう。サスロに「兄姉に対しても冷徹」を演じさせておいて、姉のキシリアがそれ以上の非道をするという展開もすごいが、このキシリアが演じた非道は本話のラストシーン(名台詞欄参照)で効いてくる。
 いずれにしても、旧作では全く語られていない物語がいきなり動き、物語はジオンと地球連邦という構図でなく、ダイクン家、ザビ家、ラル家の三つ巴の状態で本格的に始動し始めたシーンであることは確かだ。
感想  いよいよ「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」がテレビ放映された。この作品はOVAとして発表済みではあるが、NHKが「機動戦士ガンダム」40周年を意識したのかどうかは解らないが、テレビシリーズとして再編集されての放映となった。このシリーズはこれまで制作されてきた「機動戦士ガンダム」の後日談ではなく、オリジナルの設定を活かした上での「前史」から始まっているというので機会があったら見てみたいと思っていた。それがようやく実現した形だ。
 だけどいろいろ不安もある、例えばキャストの大幅変更は避けられない点だ。「機動戦士ガンダム」を演じた役者さんの中には既に現役引退状態にある人もいるし、残念ながら亡くなっている方も多い。その辺りの成否も見ていきたい。
 この第1話は、今回の主人公であるキャスバル(シャア)とアルテイシア(セイラ)の父であるダイクンの死から始まるが、既にこの段階で旧作の雰囲気はうまく出していて第一印象は良かった。その第一印象が冷めないうちにザビ家の第三子サスロの暗殺へと話が進み、話が深刻になってきたところで唐突にランバ・ラルとジンバ・ラルがネタキャラに変わってゆくのは、ちょっと引きそうだった。
 ザビ家の人たちの雰囲気は良く出ていたけど、キシリアだけは「なんかちがう」と思ってしまった。ギレンの声が銀河万丈さんだったのは嬉しかったなぁ。ランバ・ラルが出てきたから「ハモンさんは?」と思ったらちゃんと出てきたのは嬉しい。しかも演じるのは峰不二子(二代目)とはビックリした。ジンバ・ラルは波平(二代目)…名キャラクターの二代目の人たちが頑張ってるなぁ。アルテイシアは旧作でララァを演じていた藩恵子さんの娘のめぐみさん…最近のアニメでもおなじみの顔ぶれが並んでいるなぁ。
 話が逸れた。そして今話のラストでは名場面欄シーンに少し書いたが、キャスバルとキシリアの1対1の対決が描かれる。どうせならここでキャスバルが手が震えていれば面白かったのにと思うの私だけだろう。ここでキャスバルのシャアへ通じるキャラクター制を一気に作り上げてしまったのは面白い。名台詞欄に挙げた台詞もそうだが、彼のキシリアの態度に対する不平や不満がうまく表現され、いずれ「ザビ家は許せない」と彼が強く考えるようになる下地がワンシーンでできてしまったのだ。あのシーンのキャスバルとキシリアの台詞選びもうまく、こっちを名場面欄にしても良いかなと思ったけど…やっぱりあのタイミングでのサスロ暗殺はインパクトがでかすぎた。
研究 ・物語の始まり
 本作は旧作である「機動戦士ガンダム」の前史時代として物語が始まっていて、「機動戦士ガンダム」でも描かれた宇宙移民の指導者ジオン・ズム・ダイクンの死が物語の始まりである。旧作で描かれたシーンが踏襲され、かつこの死がザビ家による陰謀であることが明確にされ、この物語を「機動戦士ガンダム」の前史的な位置づけであることを受け入れられた人は多いだろう。
 旧作と一貫しているこのダイクン暗殺事件の発生時期は宇宙世紀0068年と設定されている。「機動戦士ガンダム」で描かれた時代の10年前だ。「機動戦士ガンダム」におけるキャラクターの設定年齢から差し引くと、キャスバルは10歳、アルテイシアは7歳ということになるはずだ。
 この第1話の状況を劇中から察すると、スペースコロニーで生活している人々の地球連邦からの独立運動がとても大きくなっていることが解る。人々はデモ行為で独立を訴えるだけでなく、多くの人が暴徒化して警察や軍に反抗していることも見て取れる。ただしこれはダイクンによるプロパガンダの結果かも知れないが…いずれにしても宇宙移民の独立国家成立の機運が高まっていた時期であり、ダイクンは独立へ向けて最後の総仕上げ的なところまで来ていて、独立語の権力の座をザビ家が狙っていたというところであろう。
 国家体制的には「地球連邦」の元で各コロニーの自治政府のようなものがある状態で、ダイクンの活動によってその自治権の拡大が伸びるところまで伸びた状況だと考えられる。ダイクンにとってもうここから先の道は独立か服従かの二者択一しかないというところまで来ていたことは、冒頭の彼の台詞から解る。彼は既にサイド3自治政府の中心的な立場にあり、同時にナンバー2の座でザビ家やラル家が派閥争いをしていたということだろう。
 そして後にジオン軍になる組織は、この時代にはサイド3の自治防衛隊などの名目で存在していたようだ。キシリアやランバ・ラルが軍服を着て武器を扱っていることからも、これは避けられない事実であろう。
 だがこれらの動き全てに地球から進駐してきている地球連邦軍の目が光っていて、サイド3は独立国家としての体を成していないというのが実情だろう。劇中に出てきた警察機動隊にも地球連邦の紋章が入っているので、警察権もないか地球連邦の下でとか発揮できないと考えられる。
 いずれにしても、独立はしていないがのちのジオン公国となる骨格は全てできあがっているのは確かだ。だからこそ旧作「機動戦士ガンダム」と話は繋がるし、見ていてどこか懐かしい空気も感じるのだ。

第2話 「母との約束」
名台詞 「お優しいキシリア隊長なら、まさかそこまではなさるまいと思うよ。」
(ランバ・ラル)
名台詞度
★★
 兄妹を連れたハモンはなんとかモビルスーツの銃撃戦から抜け出し、ランバ・ラルと合流。兄妹とジンバ・ラルを貨物用コンテナに載せてカーゴ機に乗せることに成功する。こうして3人を地球へ密航させることに成功して安堵するランバ・ラルとハモンの前に、警備兵を引き連れたキシリアが現れる。そして「なかなかの手際だったけど、勝ったとお思い? 私の権限で今からでもカーゴの全便を止め、荷物を再チェックさせることもできるのよ」と突きつける。これに対するランバ・ラルの返事がこれだ。
 この台詞はたぶん普通の人ならそんなに印象に残らないと思うが、乗り物ヲタクの私だからこそ色々考えてしまったと言うのが正解だ。もしここでキシリアが言った通り、カーゴ便の運行を全て中断して貨物(キシリアは「荷物」と称しているがここは「貨物」というのが正解)の再検査なんかやったらどれだけ影響が大きいかという問題を考えたのだ。サイド3の各コロニーは離れ小島のようなものだから、ここで登場したカーゴ機はこのコロニーの物流を全て担っているはずだ。これを全便停めるというのは物流の完全停止を意味するのであって、この間にこのコロニーは物資の出入りが完全に停止することになる。
 「1日くらい物流が停止したってたいした影響はないだろう」と思う方もあるかもしれない。確かに悪天候などで運行停止の理由がすぐになくなるならばその通りだ。だがこのシーンでの全便欠航は、全ての貨物コンテナのチェックを意味している。つまりコンテナは全て開かれ、梱包されたものは中身が見える程度まで一度開梱して、これをまた元に戻すという手順を踏むことになる。この過程で物資が壊れたり紛失したりする可能性もあるし、何よりもこの開梱と再梱包に多大な労力を要する。その労力は何処に跳ね返るかというと顧客だ。
 つまりこの日にこのサイドから運び出そうとしている貨物全てが、このような形で人件費が余計に掛かったり、物資の破損や紛失の賠償などで大幅に運送費が上がってしまうのだ。これは間違いなく物価上昇に繋がる、物価上昇は経済に悪影響を及ぼし、宇宙移民の独立問題でただでさえ不安定な社会を余計な混乱に陥れる可能性がある。
 ランバ・ラルはこれが解っていてキシリアにこの台詞を突きつけたと思うし、実はキシリアもこれが解っていて「できるはずはない」がランバ・ラルを脅してみたというのが正解だろう。ランバ・ラルのこの台詞はキシリアの台詞が単なる脅しであると解っていて「できるものならやってみろ」ということで、その背景にはこれだけのことが隠されていてリアルだなーと思っていたのだ。
 もしキシリアがここまで考えていなかったら、キシリアは本気でカーゴ便を全部欠航させて貨物の再チェックをゃったと思う。ザビ家もそこまでバカではないということだ。
名場面 母との別れ 名場面度
★★★★
 キャスバルとアルテイシアの母であるアストライアが、ラル邸の敷地内にある塔に幽閉されることになった。そしてこの兄妹はジンバ・ラルと共に地球へ亡命することとなる。別れの朝、連邦軍のモビルスーツがラル邸の塔の前に現れる。そこから出てきた連邦軍の女性士官が「特別任務としてジオン・ズム・ダイクンの遺児2名を受領しに来た」と宣言、さらに士官が兄妹の前に立ち「アルテイシア様とキャスバル様ですね、お迎えに上がりました」と語るが、ここで素顔を見せた女性は連邦軍士官に変装したハモンだと解る。キャスバルが「あなた、クラウレ・ハモンさんですか?」と問えば「お母様にお聞きになっているのね、そうよ」と答えると兄妹は笑顔になりモビルスーツに乗り込む。モビルスーツ頭部の銃座に立った兄妹は、塔のテラスで手を振る母の姿を見つける。そして手を振り返すとモビルスーツは180度回頭して塔から離れる。ちぎれんばかりに手を振る兄妹と母、笑顔で手を振っていたがいつしか母と娘は涙を流している。アルテイシアがついに「お母様!」と叫ぶ、キャスバルは母の姿を目に焼き付けるかのように母の方を向いている。
 古今東西、この手のアニメで「序盤での母子の別れ」は物語の華であり最初の感動シーンであろう。この物語ではこの母子の別れを短時間で描いたが、そこに「もう二度と会えないであろう母子の思い」というのがしっかり込められている。何よりも印象的なのは互いに名前を呼び合ったりして無理矢理盛り上げるのではなく、このシーンのほとんどを無言で演じさせた点だ。兄妹がモビルスーツに乗り込んだ後の台詞は、アルテイシアが「お母様!」と一度叫んだだけである。実は別れのシーンをリアルに描こうと思ったら、こういう方が自然だと思うのだ。
 また母と娘の別れは涙涙で演じたが、キャスバルはここでは泣いていないのも印象的だし、これは物語を白けさせない効果もあったと思う。これで3人とも涙涙だったらなかなか次のシーンに行けないし、見る者を感動させすぎたらこの後のモビルスーツを使った決死の脱出劇が印象に残りにくくなる。だから全く感動させないのもダメだし、感動させすぎてもダメというさじ加減がすごくうまかったと、この第2話を全部見終えたときに気付くのだ。
感想  オープニングテーマが終わって、ラル邸に戻ってきた兄妹と母を待ち受けていたローゼルシアってばーさんは何者なんだ? 最初はダイクンの母かと思ったけどなんか様子が変。ここはどうしても解らないのでちょっと調べてみたら、このばーさんはダイクンの妻(正室)なのね。兄妹の母親であるアストライアは側室だったとは…こういう複雑な設定なら説明が欲しかったなー。
 しかし、その点を別にすれば今回はとても面白かった。ハモンが連邦軍士官の制服を着て出てきたときはどーなるかと思ったが、本作最初のモビルスーツ戦をあんなに面白く描くとは思っていなかった。これで一つ確定したのは、ガンタンクは「機動戦士ガンダム」の時代の前には量産機であったこと。さすがにトリコロールカラーではリアリティに欠けるという判断なのか、大幅に機体の色と形を設定変更して登場したけど、一目で「ガンタンクだ」って解ったもんね。
 そしてそのモビルスーツ戦の内容が、ガンタンクVSガンタンクというのも面白かった。これを銃座に座っているシャアが巧みに操り、敵を撃破してしまうという展開は良かったと思うし、その間にドタバタを演じるハモンとハモンに使われた連邦軍兵士も良い味出していた。
 しかしあれだなー…今回のキシリア様、おまえは毎日裸でベッドに入っているのか? 視聴者サービスにしてもちょっと不自然すぎるような…ハッ、男と一緒だったのか。
研究 ・カーゴ機について
 今話では名台詞欄にも書いたが、コロニーの港とここに発着するカーゴ便が出てくる。これはサイド3の物流状況を知る上で貴重なシーンであって、乗り物ヲタの私としては見過ごせないシーンだった。
 コロニーの港は「ドッキングベイ」と呼称されていて、今回はここから地球へ向けて出発するカーゴ機を使って主人公兄妹らを密航させるというけしからん話だ。兄妹とジンバ・ラルはコンテナに載せられ、チェックをうまくすり抜けてカーゴ機に積載されることで密航を果たす。
 まず3人が載せられたのは高さ1メートル、長さ2メートル程度の小さなコンテナだ。これに載せられた状況でまず物流センターのような場所でベルトコンベアに流れてくる。この物流センターは届いたコンテナを行き先別に仕分ける役割があると考えられ、例えば行き先が地球なのか、他サイドなのか、サイド3内の別コロニーなのか、と行き先別にまとめられるのであろう。宇宙からカーゴ機が到着すると、同じ設備を使って今度は自コロニーのどこへ行くか仕分けられ、行き先別にコロニー内の配達便に載せられるのだと考えられる。
 そして地球行きのコンテナなら、今度は地球上での行き先別に分けられるはずだ。カーゴ機は船内でいくつかの船倉に仕切られていて、この船倉が部屋ごとに「アメリカ大陸方面」とか「アジア方面」などというかたちで分けられているのだろう。コンテナはその行き先に従った船倉に積まれる。
 問題はこのカーゴ機の運航航路だ。ガンダム劇中世界では、「コロニー」の集合体が「サイド」と呼ばれていて、サイドごとに自治政治組織があると考えられる。彼らが出発した「ムンゾ」というコロニーはサイド3の首都コロニーと考えられ(政治運動主導者や自治政府の要人がいるため)、ここの港から地球や他サイドと言った「外国」へ直接「国際線」が出ているのは不思議な話ではない。たぶん同じように旅客便も運行されているのだろう。
 だが、今回3人が乗ったカーゴ便の始発港がこの「ムンゾ」コロニーであるかというとその答えはノーだ。この貨物便は、サイド3のコロニーをいくつか回りながら貨物を集め、彼らが乗ったコロニーはサイド3で最後の寄港地だったと考えた方が自然だからだ。すると首都から直接外国へ行く航路ともなるので不自然さはない。旧作「機動戦士ガンダム」ではサイド3は密閉型コロニー四十数機で構成されているという設定だったから、地球、月、その他サイドで国際便が6路線あるとすれば、サイド3内でそれぞれ6〜7コロニー回ればいい。そして最終寄港地の「ムンゾ」で、例えば地球行きの便に月行きの貨物が乗っていればそこで積み替えて、それぞれ目的地を目指せば効率的だ。
 このような航路を取るのは貨物便だけだろう。旅客便はサイド内のコロニー間を結ぶ国内線と、地球や月や他サイドを結ぶ国際線に分離していると考えられる。貨物は積み替えで荷役が発生するので直行が好ましいが、人は案内さえ的確であれば自分で歩いて乗り換えてくれるのでこうした方が効率的だからだ。
 うーん、ガンダム世界のコロニーにおける公共交通機関というのを考察した人は、他にいるかな…。

第3話 「エドワウとセイラ」
名台詞 「それならばこの家を出て、外で勝手にそういう企てをするがいい。あなたにそれだけの覚悟があり、あの二人もそれについて行くと言うのなら、私も潔く親権を放棄しこの3年余りのことは全て忘れよう。何でもないことだ、あの子たちが生命を賭けた戦いに立とうと決意することに比べれば。」
(テアポロ)
名台詞度
★★★
 宇宙移民指導者ジオン・ダイクンの遺児が地球に亡命してから3年、キャスバルとアルテイシアはジンバ・ラルとともにテアボロ・マスという人物に引き取られ、マス家の子として生活していた。そんなある日、ジンバ・ラルは「アナハイム社」という軍需企業と手を組んで、サイド3で武装蜂起を起こしてザビ家を追い落とす陰謀を図る。これがテアボロにバレてジンバ・ラルは彼の叱責を受けることになる。しかしジンバ・ラルはアナハイム社の強力とダイクンの遺児の存在によって成功すると強く訴えるが、これにテアポロは2人は自分の子だとした上でこの台詞を吐く。
 もちろん、テアボロが2人を引き取ったのは恩人か誰かに頼まれて最初はやむを得なかったのだろう。当初はそうだったからこそ、ジンバ・ラルは2人が「キャスバルとアルテイシアとして」自分の思い通りにできると考え、そのように扱おうとしたことがこの台詞を中心としたシーンから見えた来るから面白い。そしてこの台詞はその間に流れた3年という月日が、このテアボロという男は引き取った二人に対する情が与えていたのだ。こうなると男に現れるのは「父性」というもので、この台詞にこの男の「父性」が強く描かれているからとても印象に残った。
 そう、この段階でのテアボロにとっての願いは、二人の子供がまっすぐ健やかに育つことであり、彼らの希望通りの人生を歩むことだ。だからジンバ・ラルの武装蜂起に対して、本人たちが協力するというのなら二人を快く送り出す覚悟はある。だが現状の二人は違う、一時的であってもここでの平和的な生活が続くことを望んでおり、二人を連れてきたジンバ・ラルによってもそれを破壊することは許されない…そんな強い意志を読みとれるのだ。
名場面 モビルワーカーのテスト 名場面度
★★★★
 ジンバ・ラルが暗殺されてもサイド3にとどまっていたランバ・ラルはある日、酒場で乱闘騒ぎを起こす。そこに現れたのはドズル・ザビであった。ドズルは「頼みたいことがある」と言って酒場からランバ・ラルとハモンを連れ出し、隣のコロニーにある実験設備へと連れて行く。そこでランバ・ラルは後に「黒い三連星」と呼ばれることになるガイア・マッシュ・オルテガの3人と再会し、そこで3人が同じ任務でここに来ていることを知る。そして「実験開始」の声と共に実験司令室のモニターには様々な情報が映し出され、続いて「ガンダム」ファンなら誰もが見たことがある「モノアイがキラーっと光るシーン」が現れる。すぐに司令室のドズルが「モビルワーカー01、これで連邦を叩きつぶす」と力強く言う。実験が始まるとオルテガが操るモビルワーカーは順調に歩行し、やがて走り、ターゲットとして用意されたガンタンクとの戦いに挑む。「モビルワーカー」はその走行と機敏な動きでガンタンクの主砲をうまく交わし、ついにはガンタンクを倒すことに成功する。
 うーん「やっぱりガンダムはこうでなきゃ」というシーンがやって出てきた。今回登場したのはまだ「モビルスーツ」として完成していない実験用の機体であるが、だからこそこれまで設定以外語られてこなかった「ジオンのモビルスーツ開発秘話」みたいな展開になって面白い。この実験用の機体には様々なケーブルが繋がっていてとても実用レベルではないが、何よりもその「強さ」を感じるようにうまくシーンが作られている。男の子としてわくわくするメカシーンがやって出てきたと、画面を見ながらニヤニヤしてしまった。
感想  唐突に3年の月日が過ぎている。キャスバルは13歳でアルテイシアは10歳であることが冒頭シーンで読み取れよう。キャスバルはエドヲウ・マス、アルテイシアはセイラ・マスと名乗っており、まずは妹が旧作「機動戦士ガンダム」で名乗る名前で定着する。しかし、13歳のキャスバルを池田秀一さんが演じるのは無理があったと思う。年齢的にはもうちょっとあどけなく描いた上で、演じるのは田中真弓さんのままで良かったんじゃ…。
 それはともかく、いよいよジンバ・ラルの死が描かれる…って、旧作ではジンバ・ラルって明確に死んだことになっていたっけ? そりゃともかく、もちろんここで描かれるのは兄妹の危機だ。だってジンバ・ラルを暗殺するのはどう考えてもザビ家だし、ザビ家がジンバ・ラルだけ殺してダイクンの子を見過ごすはずがない…と思ってみているとその通りの展開になり、「どうやってここを切り抜けるんだろう?」とハラハラドキドキしてみていると、なんか旧作最終回のシャアとアムロのフェンシング対決を彷彿とされるやり方で、キャスバルが暗殺者を倒しちゃうものなー。でもそれよりも何よりも、テアボロが生きていたのにはもっとビックリした。
 そして今回、もっとビックリしたのはミライさんが出てきたことだ。しかも現代風の女子中高生の制服姿で…ミライさんといえば、旧作でミライさんを演じていたチャコこと白石冬美さんは先日亡くなったばかり、誰が演じているんだろうと思って見ていたけど、今回は「あっ」と一言言うだけで誰が判別できずエンディングでキャストを確認したら…当サイトではミーナ・パタゴスでおなじみの藤村歩さんではないですかー。「団地ともお」のケリ子と印象が合わないぞーと思ったけど、旧作のミライさんはパタリロと同じ人が演じていたと思えばたいしたことはないか。話が逸れた。
 しかし、酒場で歌うハモンさん良いなぁ。前回までは弾けすぎていてハモンさんらしく見えなかったけど、今回は旧作のハモンさんの雰囲気が良く出ている。峰不二子(二代目)と中の人が同じっていうのが、なんか納得。
研究 ・宇宙世紀の公共交通機関
 今回、旧作では描かれなかった私にとって最も興味深い物がでてきた。それは地球とサイドを結ぶ公共交通機関だ。エンディング後のエピローグシーンに、地球の公共交通機関としての宇宙港が描かれているので、ここから宇宙世紀における宇宙での公共交通機関について研究したい。
 まず冒頭で出てくるのは、宇宙船(旅客機)が発進シーンだ。全長は現代の旅客機とほぼ変わらない宇宙船が、機体尾部に着けられたロケットエンジンから火を噴いて発進する様が描かれている。発射台は現代のロケット発射台のように垂直ではなく、45度位の傾斜を持った構造となっている。これは旅客の快適性を考慮してこのような形になっていると考えるべきだろう。垂直に打ち上げれば短時間で宇宙空間にたどり着けるが、その代わりに発射時には座席は上を向いているから乗客も上向きになってしまう問題や、打ち上げ後に乗客が強烈な加速力によつて椅子に押し付けられるかたちとなり、これに不特定多数が乗ると乗り物酔いの多発などとんでもないことになるだろう。だから斜めに打ち上げてゆっくりと加速して宇宙速度まで速度を上げてゆくに違いない。スペースシャトルが宇宙空間に達するまで約8分だったが、この旅客機はもっと時間を掛けて宇宙空間まで行くのだろう。
 この発射台は必ず東を向いているはず、なぜなら少しでも加速Gを感じさせないため、地球の自転速度も借りて旅客機は宇宙速度まで加速するはずだからだ。だから強烈な横風の日などは欠航になることも多いと考えられる。宇宙に達すると一旦は地球の周回軌道に入り、適切なタイミングでエンジンを吹かして軌道を変化させ、目的地のコロニーや月へ行くという飛行方法を採っているのだろう…って、エピローグシーン冒頭だけでこんな妄想が膨らんだぞ。
 続いて空港の出発案内板のような運航便の表示器も出てくる。12便先まで表示されているが、この中に月のグラナダ行きが2本表示されているのはある意味興味深い。また「ジオン」という行き先もあるが、まだこの段階では「ジオン」は人名でしかなく地名にはなっていないような…。そりゃともかく、この表示板からこの時代、宇宙船による旅客運送事業を行っている会社が少なくとも6社あることが解る。個人的な予測では地球上に1社(地球連邦も出資の第三セクター?)、各サイドに1社で7社程度あるのではないかと考えている…って、ここも妄想が膨らむなぁ。
 今回、兄妹がテアボロに連れられてサイド5の「テキサスコロニー」へ行くためにこのような交通機関の利用になったようだが、彼らが乗ったのはサイド5の「ルウム」と呼ばれるコロニーへ行く便だ。「ガンダム」の設定でよく出てくる「ルウム」はサイド5の首都コロニーと考えられ、「ルウム」で彼らは「テキサスコロニー」行きの便に乗り換えると考えられる。
 つまり、前話での私の推理はだいたい当たっていたということだ。前回の繰り返しになるが、旅客便は地球や月と各サイドを結ぶ国際線と、サイド内のコロニー間を結ぶ国内線に分かれているのだろう。今回登場した旅客機は地球とサイドを結ぶ国際線ということになる。今度はコロニーにある旅客ターミナルを見てみたいなぁ。

第4話 「さようならアルテイシア」
名台詞 「どうして? どうしてみんな行っちゃうの? どうしていなくなっちゃうのよ? お母さんが死んで、ルシパも死んじゃったのに、お兄さんまで…。待って! 行かないで兄さん! キャスバル兄さ〜ん!」
(アルテイシア)
名台詞度
★★★★
 母の死の知らせを受けたアルテイシアに、幼い頃から飼っていた飼い猫の死という辛い出来事が続く。アルテイシアは飼い猫ルシパの墓を、母の墓石の前に作ってルシパを弔っていた。そこへよそ行きの服装をしたキャスバルが現れる。キャスバルは妹に「ルウムの学校へ行くからしばらく会えない」と告げるが、アルテイシアは「シャアさんの行っていた学校? あの人はジオンへ行って軍人になるのよ」と返す。だがキャスバルは「関係ない、僕は僕だ。さようなら、アルテイシア」とだけ告げると、アルテイシアに背を向けて歩き出す。するとアルテイシアはこの台詞を語り出し、やがて兄を追いかけ始める。
 この台詞は本作で初めての旧作「ガンダム」にその一部があった台詞と言って良いだろう。旧作でセイラが兄との別れを思い出した回想シーン通りのシーンとなるが、その時に旧作アルテイシアが「キャスバール兄さ〜ん!」と叫んでいた台詞の裏には、こんな行間があったんだというのを上手く再現したと感心した。
 旧作のセイラ・マスは心の奥底に悲しみを秘めているキャラクターとして上手く描かれており、その背景に幼い頃に両親と引き裂かれただけではなく、母の死や兄との別れという様々な苦難を乗り越えてきたことは示唆されてはいた。だがこれを今回は具体的なかたちで描き、「飼い猫を喪う」という子供ならではの悲しみまで一度に襲ってきたことで彼女の心が疲弊したことに上手く説得力を持たせている。
 恐らく、子供らしいアルテイシアの姿が見られるのはこの台詞までで、次からこの少女はあの旧作に出ていた「セイラ・マス」の性格に似てくるんだと思う。いや、そうでなきゃ説得力が無いでしょう。
 しかし、本作でアルテイシアを演じている藩めぐみさんは、旧作「ガンダム」の「キャスバルとアルテイシアの別れの回想シーン」を見て、その時の雰囲気に上手く演じてくれたんだろうなぁ。
名場面 シャア・アズナブルとの出逢い 名場面度
★★★
 前話で暗殺者に生命を狙われた結果、キャスバルとアルテイシアはテアボロ・マスとともにサイド5のテキサスコロニーへ移住した。自宅に落ち着くと、早速テキサスコロニーの「自然」の中で乗馬を楽しむ兄妹であったが、キャスバルは馬の扱いが上手く、馬を上手く扱えないアルテイシアは置いて行かれてしまう。そのアルテイシアの前にキャスバルが戻ってきたように見えたが、よく見るとその馬に乗っている人物は兄に似ているが違う人物であることにアルテイシアが気付く。やがて馬はアルテイシアの前に止まると、乗っていたキャスバルそっくりの男が「勇ましいカウボーイだね、名前はもしかしてセイラ・マス?」と尋ねる。少女が頷いたのを確認した男は「僕はシャア・アズナブル」となのり、兄妹が来ることやそのうちの兄と同年齢であることを語り出す。この男はアルテイシアに乗馬の基本を一通り教えると今度は戻ってきたキャスバルと出逢い、キャスバルとシャアは意気投合する。
 正直言って「そう来たかー」と思った。旧作「ガンダム」を見て大人になってから湧いたの疑問というか、謎が一つ解けた思いだ。
 旧作「ガンダム」ではキャスバルがシャアになって出てきているが、シャアがジオンの子だという正体が明らかになったときから「キャスバルはどうやってシャアになったのか?」「シャア・アズナブルという名はどこから出てきたのか?」という疑問がついて回っていた。旧作「ガンダム」でシャアが民間人として出てきたなら大きな問題ではない、だがシャアはジオン軍の軍人、それも士官として登場している。士官である以上はそれなりの軍人教育を受けている…要は士官学校を出ているわけで、そのような教育を受けるなら軍に身分をハッキリさせる必要があるはずだ。いつどこで生まれたか、両親は何者か、学歴とどんな教育を受けたか…等々。もちろん立場的にキャスバルが本当の経歴で士官学校などは入れるはずがないし、だとすればシャアという偽名を語れるはずもない。かといって「自分はシャア・アズナブルである」と名乗るだけでは、経歴がないのだから士官学校など入れるはずがない。
 このシーンを見た瞬間、「このキャスバルのそっくりさんがシャア・アズナブルという名だったら、謎は全て解けるのになぁ」と思っていたらその通りの展開になって驚いた。つまりキャスバルは何らかのかたちで、この時に出会った「シャア・アズナブル」という人物になりすます訳だ。この後、テキサスコロニーの店でキャスバルが喧嘩をするシーンがあるが、これを見て「キャスバルは何らかのかたちでシャアを殺し、自分が死んだことにして入れ替わる」という展開まで読めた。これは当たったようで当たっていない、キャスバルは自らシャアに手を掛けたわけではなく、自分の生命を付け狙うジオンの暗殺者にシャアを殺してもらうという手段を取ったのだから。キャスバルは上手くやったなー、この展開ならザビ家から見ればキャスバルは死んだことになっているからもう暗殺者に付け狙われることもない。ザビ家への復讐も、暗殺者に付け狙われるリスクがなくなっていやりやすくなったわけだ。
感想  この第4話は見どころが多くて、名場面欄と名台詞欄にどれを挙げようかとても悩んだ1話だった。オープニングテーマ前の冒頭シーンでは、ハモンがアストライアの元を訪れて昔話をする(知り合いだったのね)。ここからもいろんなことが分かってきて面白い。そうかそうか、ジオン・ダイクンは妻がいる身でありながら、クラブの歌手とデキちゃったのね。こうして妾として家に住まわせ子供を作るまでになったのか。ランバ・ラルとハモンの関係も似たようなもんなのか…でもハモンはただのクラブの歌手ではなく、なんか色々と裏世界に通じているようだ。
 そして今回の肝であるキャスバルとシャアの出逢い、ここは名場面欄に書いたからもう良いだろう。キャスバルとシャアの入れ替わりが実行されるのは次話辺りかなと思って見ていたら、あれよあれよという間にシャアの士官学校入りが決まって、あれよあれよという間にシャアが死んでキャスバルがそのままシャアになりすますもんなぁ。
 しかしキャスバルは、妹には「ルウムへ行く」と言って出てきたのに、宇宙港旅客ターミナルでは「ジオンへ行く」とシャアに無理矢理ついて行ってるもんなぁ。キャスバルは何処で自分が暗殺者に付け狙われているって分かったんだろう? いずれにしろ「ジオンに着くまでに自分は暗殺者に殺される」という絶対の自信が無いとあれはできないだろう。さらに具体的に言えば自分が乗った宇宙船(旅客機)が爆破されることを知っていたということか…恐らく、シャアの鞄の中から出てきた拳銃はキャスバルがこっそり忍ばせたものだろうし、士官学校入学の書類は入れ替わったときに奪った(書類鞄を渡すよう訴えている)ことはしっかり描かれている。ホント、うまくやったと思う。
 そしてキャスバルとしてシャアが乗っていた旅客機は爆破されるが、この首謀者がキシリアであることは旅客機の出航シーンで明白だ。キャスバルやアルテイシアがテアポロと一緒にいれば、それなりに警備の目があったりして暗殺はやりにくかったのだろう。だがキャスバルが一人で出かけるとなれば絶好のチャンスという訳だ。キシリアがテキサスコロニー兄妹を見張っていたのは言うまでもないし、キャスバルがこれを見破っていたのも当然だ。だからキャスバルは出かけるにあたって、乗る便などを言いふらしていたのだと思う。
 士官学校の入学式シーンでは、あのガルマも登場だ。いよいよ旧作「ガンダム」に繋がる展開になってきたぞ、シャアとガルマがどんな友情劇を演じるのか見物だ。
研究 ・宇宙旅客船
 本話では宇宙旅客船が出てくる。前話でも出ているじゃないかという声が聞こえそうだが、今回出てきているものは前回出たものと様相が違う。前話で出てきたのはあくまでも「地球とコロニーを結ぶ旅客機」であり、地球の大気圏を離脱する乗り物だ。だが今回のは違う、宇宙間を結ぶ宇宙船であり、地球への発着が不可能なタイプであろう。
 機体を見ると「LUNAR LINE」というロゴが確認できるが、これは宇宙で旅客輸送をしている事業者の名前と考えて良いだろう。乗ったのはサイド5「ルウム」からサイド3「ジオン」へ行く便で、107便という便名もハッキリしている。出発地も終着地もサイドの首都コロニーと考えるべきで、キャスバルとシャアはこの107便に乗るためにテキサスコロニーからサイド5首都コロニーへ移動したと考えるべきだ。
 機体は長さ100メートル程度、横幅は30メートル程度、客室は4層に分かれていると考えられる。この宇宙船は無重力状態のみでの使用が前提で、客室は上下対称ではないかと推測できる。機体の大きさから読み取れる定員は、オールエコノミーなら2000人位ではないかと推測される。もちろん「ガンダム」世界では貧富の格差があることは明白なので、客室はオールエコノミーではなくファーストクラスやビジネスクラスなどもあるだろう(シャアが乗ったのは座席のサイズなどからビジネスクラスと考えられる)。機内食を提供するためのギャレー(賄い室)もあるだろうし、トイレだって必要だ。この分を差し引くと定員は1200人規模ではないかと推測される。
 客室だけではなくあらゆる設備が上下対称で設置されているだろう。外観だけでは操縦席らしい部分も上下対称で設置されていることが分かる。ただし後部側は安定翼の有無などで上下が決まっている。安定翼と機体後部両側にエンジンがあって、離発着時はこれで推進して他は慣性航法としているのだろう。機体両側面には航海灯のようなものが着いているが、これは何故か両側とも「赤」なのが解せない。う〜ん、右舷側は緑色にして欲しかったところだ。
 さて、今回はこれだけの宇宙船が、無慈悲にもキシリアの手によって宇宙空間で爆破されてしまう。恐らく爆破そのものはジオンの領空で実行されたと考えられ、爆発物が仕掛けられていたことなどは伏せられて「事故」として処理されたことだろう。もし運行事業者の「LUNAR LINE」と機体を製造したメーカーがジオンにあれば、ザビ家の力で事故調査結果を書き換えることはできるはずだ(ただしこのどちらかが連邦側だったらそうは行かない)。この爆破によりシャアだけでなく、満員であれば1200人程度の乗客が全員死亡したと考えられる。満員と想定するには理由があり、爆破直前の客席シーンで全ての座席が埋まっていることが確認できるからだ。キシリアはたった一人の男を殺すためだけに、善良な市民1200人を巻き添えにしたのだ…恐ろしい女。
 しかし、「ガンダム」世界では旅客機まで宇宙を飛べば無重力なんだなー。客は全員シートベルトを着用したままに違いない、だってそうしないと勝手にどこかふわふわと飛んで行ってしまうから…。

第5話 「シャアとガルマ」
名台詞 「分かっておらんようだな、ギレン。暴動が一線を超えれば、連邦軍は本格介入してくる。ガーディアン・バンチの駐屯軍が動くのだ。そして忘れるな、あそこにはガルマがおるのだぞ。いいか? ギレン。ガルマにもしものことがあったら、そのときは許さんぞ!」
(デギン)
名台詞度
★★★★
 サイド3で発生した連邦軍艦とジオン艦の衝突事故、事故原因が連邦軍艦の管制無視によることが明白で、議会(ギレンの傀儡)が独立を叫ぶと、これが庶民に飛び火してサイド3では暴動が発生する。この様子を見たデギンはギレンに「鎮めろ」と命じるが、ギレンは「静観していいかと」と答える。「戦争になる」「コロニー国家が連邦に勝てる訳がない」とデギンが続けるが、ギレンは「やってみなければ分かりません」と答えるだけだ。このギレンの返答に対し、デギンが訴えるように語ったのがこの台詞だ。
 この台詞の前半は、このまま暴動が続けばどういうことが起きるかということを冷静に語っているだけだ。ジオンの士官学校があるコロニーには連邦軍が駐屯しており、本話でもこれと士官学校生による模擬戦が行われたことも描かれているので視聴者には分かりきった話だ。さらにこの前のシーンでは、連邦の軍艦がサイド3の領海で動き始めていることも示唆されている。まさにジオンと連邦は戦争になるギリギリのところにいる緊迫感が演じられたばかりでのこの台詞には、おおきな説得力がある。
 だがこの台詞がそれだけで終わっていれば印象に残らない。この台詞が印象に残ったのは後半部分、ここまでジオンという国家の主導者として語っていたデギンが突然「父親」に変わるのだ。ガーディアン・バンチの連邦軍が動いたら困るのは国と民を守るためでもあるが、この主導者にとってさらに優先度が高いのは「そこに可愛い末の息子がいる」という現実だ。デギンにとって様々な思想や兄姉間の争いに巻染まっていないガルマこそが、将来を託せる貴重な存在と考えているのかもしれない。いや、そうでなくて単に身内が可愛いだけかもしれない。そのどちらにしてもこのような局面でデギンは「公」より「私」を取ったのだ。これを父性と言わずしてなんと言おう…こんなデギンだからこそ、旧作でガルマ戦死の際に使いの死者の前で杖を落としたり、その葬儀を前にして写真を見て悲しんでいたのも説得力があるってもんだ。
 もしデギンがここで「私」を取っていなかった場合、恐らくギレンの具申に従って「しばらく様子を見る」方を取ったと思う。状況的にはその方が賢明で、こうすることで連邦の出方を探ってそれに従って政策を決める方が良い局面だからだ。連邦が介入する場合にそれで単なる脅しなのか、それとも本気で攻撃してくるのかで対処法は大きく変わってくるはずだ。まぁ、国民感情がここまで沸騰すれば暴動など鎮めるのは困難だし、今度は軍部が暴走しかねないだろう。
名場面 連邦への反乱をそそのかす 名場面度
★★★
 シャアとガルマは掃海任務を終えて帰投すると、シャアはガルマに「話がある」と声を掛ける。その内容は「連邦軍兵営を攻撃する」「奇襲して制圧し、武装解除させる」というものだった。冷や汗を流して驚くガルマに、シャアは「ザビ家の頭領になるかもしれない男が、この程度のことが怖いのか?」と焚き付ける。それでも狼狽えるガルマに「君なら指揮できる、君はトップだ、士官学校の輝ける星だ」「(掃海任務中に)あの強襲揚陸艦を見ただろう? あれはガーディアン・バンチからズム・シティに治安部隊を輸送していたんだ。今その部隊はズム・シティで市民を殺害している…同じように今いる残りの部隊も送り込まれたらどうなる? ザビ家の男なら黙って見過ごすことはできないはずだ」と煽りの文句を付け加えると、ガルマは冷や汗を流しつつも「分かった」と返す。「でも勝てるだろうか?」と返すガルマにシャアは「勝てるさ」として作戦を説明するが、問題点として「ドッキング・ベイ」と「ドズル」であることを示唆すると、ガルマは兄にも一緒にやるように説得すると語る。しかしシャアはこれを遮って「君は自分の手で、歴史の歯車を回してみたくないのか?」と突きつけ、ガルマがこの台詞に衝撃を受けた表情を見せたところで本話が終わる。
 いよいよシャアが動く。士官学校でガルマと親友となり、成績優秀なシャアが主席でかつジオン指導者の息子であるガルマに「連邦軍への反乱」を焚き付けるのだ。もちろんこれが上手くいけばジオンで起きている暴動は、「暴動者側の勝利」というかたちで幕を閉じることであり、これはイコールで政局が「独立」へ大きく動くことを示唆しているのは間違いない。失敗すれば首謀者のガルマと発案者のシャアはそれなりの罰を受けることになるが、それ以上にジオンの国体護持が困難になるのも目に見える。いずれの結果が出るにしても歴史は動く、これだけは確かたということはシャアの言葉を待つまでもなく明白だ。
 そしてここでシャアが何を考えているかだ。シャアの最終目標はザビ家への復讐だが、この反乱を復讐の道具に使うとは思えない。成功するのであれば反乱の首謀者がザビ家の者であるという事実は重要であり、ガルマに死んでもらっては困るし、失敗するのであればガルマを殺せても他へは復讐できない。つまりシャアはこの反乱を利用してガルマやザビ家の誰かを亡き者にしようとしているのでなく、ザビ家に復讐しやすい環境を作ろうとしているのだと思う。
 その環境とはもちろん「戦争」である。ジオンと連邦が全面戦争に入るような事態になれば、それを利用して出世してザビ家に近づくことが可能になるであろう。繋がるがあるのがガルマだけでは復讐のために近づくことはできず、近づくにはどうしても「出世」が欲しいのは確かだ。また戦争の混乱に乗じてザビ家の誰かを暗殺しやすくなるとも考えたかもしれない。
 だからシャアにとってこの反乱は失敗しなければそれで良いはずだ。成功しなくても反乱を起こした自分たちが重罪にならず、大きな刑罰から逃れることさえできればいいのだ。成功か失敗するにしてもその程度であれば連邦軍が猛反発するのは確かだし、ジオン国民も黙っていられなくなるだろう。世間が「戦争」へと流れてゆくのは確かになるからだ。
 だからシャアの作戦は「大きな失敗」だけはしない。そしてこの反乱の活躍が、シャアがドズルの支配下に置かれるきっかけになる…と私はにらんでいるのだが。
感想  まず驚いたのは、第5話にしてオープニングもエンディングも変わったこと。あのハスキーな女性ボーカルによる「めぐりあい」がとても良かったんだけどなぁ…今度のエンディング、あれの何処がガンダムなんだ? なんかトロピカルというかなんてーか…ララァがエイに乗って出てきて、水中を泳ぎだした時には「なんじゃ? こりゃ?」と思ったぞ。
 それは置いておいて、今回も語りどころが多いが、前回までと雰囲気が大きく変わって「戦争」が舞台の物語らしくなってきたなーと感じた。物語の根幹は士官学校でのシャアとガルマの物語であり、士官学校のカリキュラムなども見えてくる興味深い内容であることも確かだ。しかしスペースコロニーの中で行軍訓練しちゃうんだ、そういうのはてっきの地球でって…ジオンでは無理か。コロニーにとんでもない山脈が再現されているんだなーって、あの高さから落ちたらガルマは死んでるぞ。雨も「時間雨量30ミリ」を再現しているのが面白い…どれくらいの雨かって、夕立なんかで見られる土砂降りって感じかな、劇中ではしとしとと降っていたけど30mm/hってあんな振り方じゃ済まない。
 その間にギレンとドズルが演じるモビルスーツ開発シーンも良かった。ミノフスキー博士が出てきてミノフスキー粒子について説明したり、ミノフスキー粒子による動力炉についての説明があったのはなかなかよかった。この動力炉の小型化がモビルスーツ開発の肝であることもよく分かった。しかしドズルよ、そういう問題は逐一上司であるギレンに報告しておくべきだぞ。ギレンが一度はモビルスーツ開発中止を命じた理由は、ドズルの怠慢が原因と言わざるを得ないぞ。
 そのほか模擬戦シーンや、掃海シーンなど興味深いシーンが多く目が離せない時間が長かったのが今話の特徴だ。ハッキリ言って今話は良い意味で1話25分が長く感じた一話だ。こういう面白い話をむ1話に詰め込むとどこかが冗長になったり、どこかが端折られたりして場ランする悪いところが出てくるものだけど、今回はそれを全く感じさせない。
 キャラクター面については、シャアについてもう一つ昔からの謎が解けたぞ。シャアは旧作では常にマスクを付けていたが、軍隊という組織では特別な理由が無い限りそれは困難ではないかと思っていたのだ。そして今回、その「特別な理由」が明確にされた。それはシャアに「網膜に異常がある」ために、サングラス等で目を守らねばならないという設定となったことだ。なるほど、これなら軍隊内でもマスクを付けたままでいられることに説得力があるぞ。しかし今回、前話まであれほど存在感があったランバ・ラルとハモンが出てこなかったなー。
研究 ・掃海任務
 今回、士官学校の学生に与えられた任務として「掃海任務」のシーンが描かれる。「掃海」のために宇宙へ出たシャアが、同じエリアを掃海するモビル・ワーカーを発見し、それは何かとガルマに問うと、ガルマがモビルスーツのことまで語りだすというシーンを演じるために登場した。
 もちろんここでの「掃海」の目的は「航路確保」であろう。現在の宇宙もそうであるように、宇宙には様々なスペースデブリがあって宇宙船の飛行などの脅威になっている。現在ではこれが隕石だったり、運用を停止した人工衛星や、使用済みロケットなどが主である。だが宇宙世紀ともなれば他にも様々なスペースデブリが発生し、宇宙船の航海はさらに危険にさらされているはずだ。連邦軍や各コロニーの自衛軍の存在理由に「航路の確保」があって、その目的を果たすために定期的に掃海作業がされていると考えるべきだ。
 前述のように宇宙世紀には現代より多くのスペースデブリが浮遊していると考えられる。例えば宇宙世紀になれば宇宙船の飛行回数も増えるため、飛行中に事故を起こす宇宙船もあるだろう。このような事故を起こした宇宙船の残骸が漂っているのはもちろん、スペースコロニーや宇宙基地の建設工事で発生したデブリもあるだろう。また宇宙世紀では無断で宇宙にゴミを捨てることは厳重に禁止されていると考えられるが、それでも不法投棄する個人や企業があると考えられる。このようなデブリの動きは、ある程度はレーダーなどで監視されていると考えるのが自然で、監視の結果「デブリ群」が航路を塞ぎそうになった場合に、軍が出動して掃海をするという形だと考えられる。
 もちろん、宇宙世紀では軍民問わず宇宙船の飛行航路はある程度決まっているだろう。地球の周回軌道を慣性飛行する場合は方角ごとに高度なども決められていて、地球へ降りる宇宙船は大気圏突入コースなども「基準航路」が決められているはずだ。もちろん地球周回軌道から各コロニーや月、それに宇宙基地へ、さらにコロニー間についても「基準航路」があるはずで、特に地球と月やサイド3を目指す航路は地球−月周回軌道が「基準航路」になっていると考えられる。
 要はこれらの「基準航路」のデブリを最小限にするのが彼らが行った「掃海任務」だということだ。この「基準航路」以外では表向きは掃海はされておらず、航路から外れた船の安全運行は保証されないというのが「宇宙世紀」における宇宙航行ルールなのだと考えられる。
 これが連邦とジオンの全面戦争となった時も、これら「基準航路」の確保は行われていたと推測される。もちろん航路が掃海されていなければ軍事行動もできないわけで、航路の確保は作戦遂行上重要な任務になっていたと考えられる。戦時条約などで航路確保のための掃海船に対する攻撃は禁止されていたかもしれない。特にミノフスキー粒子の開発によってレーダーが無効化されているため、宇宙船はこれらデブリを避けるための目を全て失われていると言っても過言ではない上、戦争によって宇宙船が宇宙空間で破壊されることが増えた結果出ブルも増えるはずだ。宇宙世紀では「掃海」が現代の戦争以上に重要となり、掃海なしでは戦争そのものができないほどの状況だったはずだ。

第6話 「ガルマ立つ」
名台詞 「こんな男だが時には、傷つくこともある。人に、慰めてもらいたいと思うときもある。妻を持とうと思ったことはなかったが、恥ずかしながら今、思っている。俺、ドズル・ザビの子を産んではくれまいか!」
(ドズル)
名台詞度
★★★★
 ドズルは士官学校の校長室で、シャアに士官候補生による蜂起の後始末をつける。シャアが退室すると入れ替わりに呼び出してあったゼナがやってくる。ドズルは慌てて乱れた髪を直してから彼女を迎え入れると、付き添いの兵に出て行くよう怒鳴りつける。校長で国の主導者の一人であるドズルの前で緊張するゼナに、ドズルは拳銃を持ってはいないことを確認し、続けて士官学校の校長の職を辞することを告げる。反応に困り「は、はいっ」と返事だけするゼナに対し、ドズルは突然机を叩きながら立ち上がってこの台詞を吐くのだ。
 「ガンダム」で、しかもザビ家の人間によるまさかのプロポーズの台詞。この「ガンダム THE ORIGIN」という物語の主旨を考えると、ドズルが何処かでゼナと出逢い結婚する過程が描かれても不思議ではないと感じてはいた。そして士官学校の物語へと展開してゼナが候補生の一人として出てきたとき、「本当にやるのか?」と驚いたのは確かだ。どんなかたちでゼナとドズルが繋がるのかと思ったら、士官候補生による蜂起の際に、ゼナがドズル対応の任務を負うことになるとは…。
 これまでの「ガンダム」では、ドズルとゼナの結婚話なんてそれこそ「行間」の話であって気にするほどの内容ではなかった。だが今回はザビ家の兄妹の成長も描かれている以上、避けて通れない要素になったのは確かだろう。だがドズルがどのような恋をするかというのは、旧作のドズルを見ていると全く想像が付かないのもこれまた事実。だからこそドズルにはこのような不器用かつ何も包み隠さないプロポーズの言葉が似合っていて、ドズルらしいと感心してしまった。
名場面 シャアの裏切り 名場面度
★★★
 ガルマが先頭に立つ士官候補生の蜂起…いや、連邦軍の治安出動阻止作戦の火ぶたは切って落とされた。だがその直前、士官学校ではシャアの同級生で、本物のシャアの旧友であるリノがシャアの正体がジオンの遺児であることを見破っていた。シャアとリノを含む6名は敵司令部への攪乱と突入を目的として、ジェットパックで飛行して上空から司令部に接近する。ところがさすがにそこで戦車隊に出くわし苦戦、シャアはリノに「特殊車両操縦評価が良かった」という理由で敵戦車を奪うように命ずる。「分かった、任せろ!」と返答するリノにシャアは「2人の専用通信チャンネルは010(マルヒトマル)だ」と付け加えると、ジェットパックのスイッチを入れて上空へと去り、他の兵士とともに奪う対象の戦車周辺に煙幕を張る。その煙幕の中リノは戦車に取り付き、ハッチを開いて閃光音響弾で敵兵を殲滅して見事に戦車の奪取に成功、これをシャアに報告するが…シャアは何故かリノが戦車の奪取に成功したことを味方に報せない。それどころか味方の他の兵を「敵の戦車が来る」と焚き付けるのだ。すると味方の兵はリノが戦車の奪取に失敗して戦死したと勝手に思い込み、リノが操る戦車へ向かうとそちらへ砲口を向ける。「どうした? 味方が俺を狙っている」と叫ぶリノ、構わず突入作戦を続けるシャア、リノが何度もキャスバルの名を呼ぶ、そして味方兵がリノの戦車へ向かって砲弾を放つとリノは「何故だ! キャスバル!」と叫ぶ。もちろん砲弾は全弾命中、リノの戦車は猛火に包まれる。するとジェットパックを外したシャアの後ろ姿に画が変わったと思うと、シャアは「僕はキャスバルじゃない、シャア・アズナブルだ」と呟く。
 シャアの正体を知った者の悲惨な結末がとても印象的に描かれた。このリノという候補生は前々話の士官学校入学式シーンで既に登場しており、本物のシャアの旧友である設定はその初登場で誰もが理解したことだろう。もちろん、このリノが何処かでシャアが実は赤の他人であることを見破ることは視聴者の誰もが想像していたと思う。だけどまさか、その正体がジオンの遺児キャスバルであることまで見破るとはちょっと想定外。てっきりこいつがシャアが別人であることを見破ったらシャアがピンチになるのかと思ったら、このリノという男も反ザビ家の思想の持ち主だったとは…だがシャアにとって「自分の正体を知る人物」は邪魔でしかない。だからリノには悪いが、この男が初登場したときには既に「死亡フラグ」が立っていたのも事実…いや、その設定自体が死亡フラグだったのだ。
 死ぬと分かっている人間の死をどう演じるか、これは物語を作る上で重要な点でもある。ただ死ぬのではなくその死に意味が無きゃならない。物語上でリノが死んだ意味を挙げるとすれば、やはり目的のためなら冷酷であるシャアのキャラクター性を確立させることだろう。もちろん本物のシャアの死も同じ意味があるが、その内容は少し違う。シャアが本物のシャアを殺した理由は、彼を殺さないと手に入らない物があったから。それは前々話でも指摘した通り、キャスバルとは別の人間の名前と経歴だ。だが今回は違う、シャアがリノを殺した理由は「自分の秘密に気付いた人間は邪魔だ」というさらに冷酷な理由であるのだ。だから該当者の殺され方ももっと酷い、本物のシャアについてはキャスバルを狙う暗殺者に殺してもらうという手を取ったが、今回は該当者を裏切って味方に殺させるという残忍な手を使った。
 リノは味方に撃たれるという悲惨な最期を遂げたわけだが、リノには申し訳ないがこれは自業自得だ。リノが気付かなかったこと、それは殺した人間になりすましている人間の怖さだ。リノは自分の生命が惜しいなら、シャアの正体に気付いても当面は気付かぬふりをしていた方が良かったのだ。こういう冷酷な人間に「お前の正体が分かった」などといえば機会を見て殺されるのは火を見るより明らかなのに…そしてその秘密を知ったことを相手に言うのは、自分が絶対有利になるのを待つべきだったのだ。つまり、ここにも一人「坊や」がいたってことだ。
感想  今回も詰め込んだけど、窮屈さを感じない話だった。前話の終わりでシャアがガルマに連邦への反乱をそそのかした以上、今回の注目はその反乱がどのような展開と結末を迎えるかだ。もちろん、話が「ガンダム」に繋がるためには失敗はあり得ないわけで、むしろこれはシャアやガルマの出世に繋がるのではないかと予想してみていたし、もちろんこの決起が「ガンダム」で描かれる戦争の発端となるのも確かだろう。
 そしたら意外や意外、反乱に成功するところまでは予想通りだったが、肝心なシャアは「ガルマをそそのかした」として責任者にされてしまい、出世どころか除隊となってしまった。ガルマはザビ家に守られたのが実情だけど…でもよくシャアやガルマやドズルは連邦側に身元引き渡しにならなかったものだと感心する。そこがデギンの交渉術のうまさであることは劇中で描かれている。連邦から見たらこれは反乱であって重犯罪、決起した士官候補生全員の処分をしなければ納得しないところだし、特に実行者であるシャアとガルマ、それにその上官であるドズルは極刑でないと納得できないだろう。そこをデギンは強硬な交渉で切り抜けて、シャアの除隊とドズルの士官学校校長辞職だけで事を済ますことに成功したのだ。これがギレンだったら、もう独立って言ってそうだ。
 そしてエンディング後のエピローグでは、なんと13歳のアムロが主人公だ。アムロがテムとともにサイド7に降り立つというシーンを通じて、これまた私の妄想全開になっちゃいそうなシーンが続くのである。ヤシマ家のロゴが入った宇宙船は、旅客機としてはこれまでに見たことがないタイプの物だし、サイド7でのセキュリティゲートや、港から居住区への移動手段など色々と興味深い物が出てきて驚いた。おかげでアムロとテムがどんな会話をしていたかよく分からないまま今回が終わってしまったよ…。
研究 ・サイド7上陸
 感想欄でも語ったように、今話のエンディング後のエピローグはアムロとテムがサイド7に到着する物語である。二人がどこからサイド7にやってきたかは分からないが、恐らくアムロが母と別れて宇宙に出てから数年といったところと考えるべきだろう。このシーンからコロニーに上陸するまでにどんなことがあるのかを、検証していきたい。
 コロニーの「ドッキングベイ」に宇宙船が到着し、客が下船するとまずセキュリティチェックがあるようだ。今話を見ている限りここでは指紋と手相によるチェックと、顔認証によるチェックの双方が行われている。これは顔や指紋がデータベースとして既に登録されていて、これが本人であるかどうかを確認するものではなく単なるチェックと考えるべきだ(そうでないと旅客宇宙船を使ったシャアの入れ替わりが不可能になってしまう)。犯罪者などはこのようなものが登録されていて、これに合致する者が出入りしていないかだけを確認しているのだろう。アムロが顔認証時に自己紹介をしていたのは、声紋もチェックしているのかもしれない。いずれにしても犯罪者の逃亡などを防ぐと同時に、テロリストの移動などもこのようなかたちで予防していると考えられる。スペースコロニーでテロなんか起こしたら、何十万単位の人が瞬時に死んでしまうことになり、宇宙移民政策が立ちゆかなくなってしまうだろう。
 チェックが済むと地下鉄のような乗り物に乗せられる。私はこれは乗り物ではなくスペースコロニーになくてはならない「装置」の一つだと考えている。スペースコロニーでは円筒形の本体を回転させることで居住区に重力を発生させているが、ドッキングベイは回転しておらず不動を維持している。この回転部分と不動部分の移動がどうなっているか謎だったが、この地下鉄のような乗り物がその橋渡しをしていると考えられる。チェックエリアはドッキングベイと一体の不動部分、ここに地下鉄のような乗り物が停止していてこれに乗り込むと、この乗り物は回転部分の回転速度まで加速して回転部分と同期するのだろう。恐らく、これを利用すると常に乗ったときと反対側の扉から降りることになると思う。例えば進行方向右側は停止部分側、左側は回転部分側となっている構造のはずだ。
 この乗り物を降りると軽く重力が効いているが、まだここはドッキングベイのエリアだ。ここから居住区まではエレベータで移動する(このエレベータは旧作でも出てくる)。このエレベータで円筒部分に近づくにつれ、徐々に重力が強くなるのは劇中で描かれた通り。エレベータには現在の重力の強さが表示されているのも面白い。
 そして居住エリアである円筒部分に到着の際、「気圧差で若干の風が生じます」というアナウンスがあるのも面白い。シーンを見ている限り、風はエレベータの外から中へと吹いたようだ。つまりドッキングベイ側は居住区側よりも気圧が低いと言うことで、この理由はコロニー内の空気が重力や遠心力で円筒の外側にたまっているからと推測される。うーん、こんなところまで再現しているなんて…これが「ガンダム」の奥深さだ。

第7話 「ララァとの出会い」
名台詞 「これではない。ミノフスキー博士がモビルスーツと名付けたのは、これではない。これではないんだぁ〜!」
(テム)
名台詞度
★★
 ジオン寄りの兵器メーカーであるジオニック社でモビルスーツ開発をしていたミノフスキー博士が、連邦寄りのアナハイム社に引き抜かれて亡命をすることになった。この亡命の援助のため連邦側の技術者テム・レイが月面都市フォン・ブラウンに降り立つ。ここでテム・レイは連邦(アナハイム社)のモビルスーツ開発計画「RCX-76プロジェクト」を見せられる。だがここに出てきたモビルスーツ「ガンキャノン」の姿を見たテム・レイは、一人になると心の中でこう叫ぶのだ。
 視聴者もここで出てきたガンキャノンを見て「コレジャナイ感」を強く感じたことだろう。旧作のガンキャノンと比べてさらにスマートさがなく鈍重で「コレ、ホントにザクと戦えるの?」と疑問を感じたことだろう。右肩に長距離砲を積んでおきながら左肩は機関銃というアンバランスな武器配置、それに人間と同じ5本指の手ではなく、鳥の爪みたいな3本指であることが「コレジャナイ感」をさらに強くしてくれる。ハッキリ言って前回以前に出てきた連邦軍の戦車のキャタピラが足になっただけだ。
 この視聴者が感じた「コレジャナイ」という思いを見事に代弁してくれたと言って良いだろう。もちろん視聴者の「コレジャナイ感」はここでテムが言っていることと少し内容は違い、「ガンキャノンはこんなかっこわるくない」というものだ。テムはジオンのモビルスーツの動きや攻撃力と自らが知っている「ガンキャノン」の能力を見比べた上で、「これじゃない」と力説しているのだが…やっぱり機械は「かっこよさ」と「能力の高さ」はある程度比例すると思う。新幹線が美しい流線型になればなるほど速いように、モビルスーツだってスマートなボディだからこそ軽やかに動き、武器の配置バランスが良いからこそ強いはずだ。そこの「本質」をこの台詞は、見事に付いたと私は思った。
名場面 スミス海の戦い 名場面度
★★
 名台詞欄で記したミノフスキー博士の亡命を巡って、月面で連邦とジオンが戦火を交える。月面上のハイウェイを走るミノフスキー博士が乗った車、グラナダのジオニック社へ行くはずが連邦の勢力下にある都市フォン・ブラウンへ向かっている。ところがこの亡命の情報はジオンに筒抜けで、ランバ・ラルと「黒い三連星」、それにシャア・アズナブルの5機のモビルスーツ「ザク」が待ち伏せていたのだ。ランバ・ラルは何とか車を停めてミノフスキー博士と話し合おうとするが、シャアが支援のために出てきた連邦の戦闘機を撃墜。連邦はこれに反応してガンキャノン12機からなる鉄騎兵中隊を出動させ、ミノフスキー博士を護衛する任務に就かせる。ガンキャノンは着地すると長距離砲で攻撃するが、ジオンのザクには全く通用しない。すぐにラル機が連邦の隊長機を撃破、「黒い三連星」も次々とガンキャノンを撃破してゆく。重火器の威力はザクの方が圧倒的に上で、歩行速度もザクの方が明らかに上でガンキャノンでは歯が立たないのだ。ガンキャノンを降下させた母艦はこの有様を見て撤収を決意するが、その正面にシャアの赤いザクが立ちはだかり、情け容赦なく艦橋に銃撃を加える。艦橋部が破壊されて司令塔を喪った母艦ではあったが、対空機銃はそれでもしつこくシャアのザクを狙うが、シャアはこれをうまく交わして後方へ回り、今度はエンジンに対し銃撃すると母艦は猛火に包まれて撃沈。そして車が破壊されて月面を彷徨うミノフスキー博士の上に、最後に撃破されたガンキャノンが倒れてくるという形でミノフスキー博士が死去すると戦いは終わる。短時間で12機のガンキャノンがたった5機のザクに全滅されられたのだ。
 迫力のある戦いだったなぁ。何よりも痛快なのは、旧作では端役に過ぎず劇場版では出番がカットされてしまったいわゆる「旧ザク」が大活躍したのだ。しかも「黒い三連星」のザクは黒い機体、シャアのザクは赤い機体、いずれも「旧ザク」なのだ(ラル機は旧作でいうところの「量産型ザク」に似ているが違う、公式設定を見ていなくてごめんなさい)。その「旧ザク」が次から次へと「ガンキャノン」を倒してゆくだけでなく、シャアに至っては連邦の母艦まで墜としちゃうのだから、旧ザクファンにはたまらないシーンだったはずだ。
 そしてこの段階で既に「モビルスーツ同士の戦闘」が実現しているので、旧作とは設定が少し違うということだ。いや、このガンキャノンは「モビルスーツ」として認められない何らかの設定があるのかもしれない。それはこの物語を追っていけば解るのか、それとも公式設定を紐解かないと解らないのか…ちょっともどかしいな。
 しかし、こうして連邦側がミノフスキー博士を迎え入れることができなかったことで、旧作の設定で重要だった「連邦側は兵器開発で後れを取った」という設定に上手く繋がる重要なところでもあるはずだ。前話までの状況では兵器的には連邦とジオンは五分五分だが、連邦が数で物を言わせているという内容だったはずだ。そこでミノフスキー博士が戦いを一変させる「ミノフスキー粒子」を開発し、これをジオンが初期に独占できたためにジオン側の兵器が強くなったという展開と、そこまで進んだところでミノフスキー博士が亡くなるという展開は本当にうまくやったと感心した。
感想  今回はふたつの戦いが主軸だ。だけど名台詞欄も名場面欄も二つ目の戦いの方で独占してしまった。それほど今話の後半で描かれた「スミス海の戦い」が印象的だったということだ。
 だが今話の前半も重要なのは確かだ。旧作の終盤での印象的なキャラクターであるララァ・スンとシャアの出会いを描いている。だがそこから物語がどこかへ進むわけではなく、純粋に「出会い」だけを描いたという点は潔いと言えば潔いし、物足りないと言えば物足りないのも事実だ。例えばシャアとララァが出会ったところで、ニュータイプについて研究しているフラナガン機関だっけ、あれが出てくるとかそういう話になるかと思ったのに。
 いずれにしてもララァが「ならず者の手に落ちてカジノの予想をさせられている」という設定は、ああいう特殊能力を持つ少女なのだから「そう描くだろうなぁと思ったらその通り」という感じだった。そしてそこからシャアが助け出すまでの展開で描かれる、シャアとそのならず者たちの戦い。シャアのニュータイプ能力とララァのニュータイプ能力がキチンと描かれて好印象、しかもシャアがこれにちゃんと気付いているがララァが半信半疑なのは見ていて面白い構図だったと思う。
 しかし、地球に降りたシャアが土木工事現場で重機(モビル・ワーカー)の操縦をしているとは、旧作のシャアからは想像できない展開だった。土木工事現場がジャブロー基地の建設現場だったのは驚きだが、だったら日本語で「安全第一」はないよなー。
研究 ・月面都市
 「機動戦士ガンダム」の世界では、人は宇宙(スペースコロニー)だけでなく月にも居住している。旧作でもジオン側が「グラナダ」という月面都市を持っていることが描かれ、キシリアがここを拠点にして動いていることが描かれていた。本作ではグラナダだけでなく「フォン・ブラウン」という月面都市が描かれ、こちらは連邦側の勢力であるように描かれている。
 これら月面都市は「都市」と名乗っている以上、人々が住んでいて経済活動をしていることは明白だ。もし軍事拠点が置かれているだけであれば「月面都市」ではなく「月面要塞」などと呼称されるはずだ。またミノフスキー博士がグラナダの宇宙港に降り立つシーンでは、旅客宇宙船から人々が降りてくるシーンが描かれていたがここに子供の姿なども見受けられることからも、ここに人々が居住していることが断定できる。
 恐らく月面都市は完全なインドアシティだと考えられる。つまり全ての施設が建物の中にあり、この建物内部が地球の大気と同じ状況に再現されていると考えられる。建物の中に建物があるのか、はたまた巨大なビルのように建物が何層にも分かれているのかは、都市の詳細な画が少なすぎるので判定が難しい。だが月面都市というのは都市ごとに一つの大きな建物の中にあるのは確かだ。
 そして都市と都市はハイウェイでつながれていて、ここを月面用の自動車で移動するのは確かだ。ミノフスキー博士らが乗った自動車がタイヤが大きく描かれているが、これは道路外での踏破性を高める目的もあるが、最大の目的は重力が小さい月面上でグリップを効かせるためだろう。月面都市間を結ぶ自動車はすべてこうなっているはずだ。
 月面で人々が暮らすに当たって最大の問題は、重力の小ささのはずだ。月の重力は地球の6分の1でしかないことは多くの人が知っているが、これをどういうことか具体的に言うと、地球上では約50センチの高さまでジャンプできる人が月では3メートルジャンプできてしまうということだ。これでは普通に歩くのだって難しい。
 また昼夜の長さの違いも問題だ。一昼夜24時間の地球に対して月では一昼夜が約27日、これでは生活リズムが滅茶苦茶になるから、月面都市では24時間リズムで人々が生活できるように工夫されているはずだ。
 こんな風に人が住むのが難しい月面に何故都市を築く必要があったのか、それは月で労働が必要だからに決まっている。労働があるこそ人を集めて住まわせる必要があり街ができる、人が集まればそれを目当てに商売する人が集まってきて経済活動が起こり都市になる…でも起点の労働がなければ、こんな住み心地が悪そうなところに人が住むはずはない。地球の人口問題を解決させるためなら、コロニーがあるではないか。
 月にどんな労働が発生したか…恐らく、サイド3など月周辺にあるスペースコロニーの建設に理由があると推測される。これらのコロニー建設の資材を月から調達したとすれば…月に金属を採掘する鉱山などが必要になる。鉱山があると言うことは労働があるということだ。コロニー建設の頃に月面の鉱山へ人を通勤させることができるコロニーは近くになく、月に労働者を住まわすしか手がなかったはずだ。こうして月面に都市が築かれたのだと考えられる。
 そして、この後連邦とジオンが全面戦争になれば、月面都市の全てがジオンの勢力下に落ちるはずだ。そうでないと旧作にあるようなサイド3や月周辺の宇宙空間がジオンに押さえられている設定が成り立たない。連邦側の月面都市にも守備隊はあると思うが、これがあっという間にやられちゃうような物語がこれから出てくるのかな?

第8話 「ジオン公国独立」
名台詞 「旨いか? アムロ。フラウは良い娘だな。ハロ、フラウ好き、好き好き。アイラブフラウ!」
(ハロ)
名台詞度
★★★
 サイド7に住む機械ヲタク少年アムロは、コロニー建設技術者である父の研究室で、そこにあるはずがない連邦軍新兵器の資料を発見する。その電子ファイルをコピーしたのだろう、アムロはフラウが作った手作りクリスマスケーキを食べながらその資料を勝手に読みあさる。その背後でペットロボであるハロが歌うように口にする台詞がこれだ(口はないが)。
 そう、この作品のフラウは良い娘だ。旧作では「隣に住んでいるお節介少女」というキャラだったが、本作で「学校」が描かれたことでフラウの立場は自動的に変わってしまった。それはアムロのガールフレンドであることが明確になり、理由は分からないがアムロに惚れているのだ。
 だって惚れてなきゃ、特定の男子にクリスマスのことなんか聞きはしないだろうし、その男子について「父が不在で当日は一人きりである」と知ったらケーキなんか作らない。しかも手作りだよ、手作り。この年頃の女の子が「手作りのケーキ」を「単なる男友達」に用意するはずがない、それは私も若い日の実体験でよーく知っていることだ。この年頃の女の子にとって自分が作る「手作りのケーキ」は特別な物なのだ。
 だからアムロはもっと喜ぶべきはずだし、不純異性交遊はダメ(フラウもそこまでの覚悟はまだ無いはずだ)だが、デートに誘ったって良い位の状況になっているんだぞ。ただそこはアムロ、この少年に女の子の気持ちなんか分かるはずがないのは、旧作の「ガンダム」を知っている人なら誰でも解るだろう。
 ハロはその「本来アムロが持つべき感情」をこの台詞でキチンと演じている。そこがこの台詞が私の印象に残った点だ。恐らくハロに搭載のAIはものすごく優秀で、持ち主が男子だった場合、女子との会話から相手にその気があるか判断できるほどのものなのだろう。どう見てもボールに目が付いただけのペットなのに、こいつすごいぞ、私も欲しいぞ。
名場面 ドズルvsランバ・ラル 名場面度
★★★★
 連邦に対して宣戦布告したジオンは、連邦側についたコロニー国家「ハッテ」(サイド2)に対して無差別攻撃を仕掛ける。だがその首都コロニーである「アイランド・イフィッシュ」は無傷で残した。その状況を確認したドズルはランバ・ラルを自分の乗艦に呼び出す。ラルは「アイランド・イフィッシュ」を見て「その気になれば半日で落とせるものを、無傷で残せとの命令でしたが…」とドズルに問うと、ドズルはギレンが戦争を早く終わらせる案を考えたとする。その内容を聞いたラルは「住民を殺してコロニーを墜とす!?」と叫び返すが、「殺すなんて言うな、なんだか悪いことをしようとしているように聞こえる」と返すドズル。反論しようとしたラルを制したドズルは、作戦の詳細を説明する。それはコロニーにエンジンを付けて宇宙を飛行させて地球に移動させ、連邦軍のジャブロー基地に墜とそうという計画であった。「それをやれと?」とラルは問うが、すぐに「お断りする」と言い切る。そして「ギレンが考えそうなことだ」「悪魔がすることだ」と訴える。ドズルは「お前は悪魔ではないのか?」「ハッテ市民1億の血にまみれたお前だって、もう立派に悪魔の片割れだ」とラルに突きつけるが、ラルは「狂ってるよ、この戦争は。ジオン・ズム・ダイクンが命ずる戦争とは思えん。俺は下ろさせてもらう」と語ると出て行ってしまう。
 あの旧作「ガンダム」で何度も流れた「コロニー落とし」が実行されるときが来た。人が住むコロニーを地球に墜とすという極悪非道な攻撃は、「ガンダム」の中でも印象的な戦闘だろう。この作戦を「誰が実行したのか」という点と、実行に至る経緯というのはとても興味深いところだ。
 ドズルがラルを選んだのは、やはりラルがここまでの戦いでそれなりの功績を残したからであろう。だがこのシーンの前で既に、ラルがこの戦闘に対し懐疑的であることは語られている。彼は「ハッテ」への無差別攻撃が許せなかったのは、彼のこのシーン前に出てきたシーンで視聴者は解っているはずだ。
 同時にラルのキャラクター性を考慮しても、やはり彼が「コロニー落とし」を実行するとは思えない。戦場で敵兵士と生命を賭けて戦うのが彼のキャラクター性であって、無差別殺戮の指揮をするような「悪魔」ではないことは「ガンダム」を知っている人ならばよく理解しているはずだ。
 だからここはラルが断るのは明白だし、その断る過程でこの戦争の非人道性を説いてくれるのも明白だったはずだ。その通りになったからこそ、気持ちの良いシーンであったのは確かだ。
 しかし、ドズルはなんでこんな重要な作戦にラルを選んだのだろう? 彼はラルの上司としてラルの性格や人間性を掴んでいて、こういうことを命じれば断られると解っていたと思うけどな。なのにそこを戦闘の実績だけで決めてしまう辺りは、やはりドズルも「坊や」の一人と言うことだ。
感想  今回は名場面欄に挙げたいシーンがいくつかあってとても悩んだ。最後まで悩んだもう一つのシーンは本話のラスト、「アイランド・イフィッシュ」に住む若い男女のシーンだ。これから間違いなく史上最大規模の大殺戮が起きることが解っている場所で、惹かれ合う男女の物語は正直見ていられなかった人も多いだろう。どう考えたって、あの瞬間があの二人の人生で最も幸福で、人生最後の1ページなんだから。
 それ以外は物語は二つに分かれている。ひとつは連邦とジオンの戦争の物語だ。ギレンの演説やシャアやラルの戦いシーンなど、こちらも見どころがあって名場面に挙げたいシーンがいくつか出てきている。そしてもう一つはサイド7のアムロを中心とした少年たちの物語…なんだ、アムロはシャアがサイド7を襲撃するより以前に「ガンダム」の資料を手に入れていたんじゃないか。でもこの改変は悪くない、なぜならアムロがどんなに機械関係に詳しくても、モビルスーツのマニュアルを手に入れたからといってすぐにそれを操縦できるとは思えなかったからだ。恐らく彼は、ここで「ガンダム」のシステム面について知ったのだと思う、マニュアルで見たのは実際の操縦面だけなのだろう。
 戦争シーンも迫力あったなぁ。一瞬だけど昔の「ガンプラ」のテレビCMと全く同じシーンがあって嬉しかった。でもまだ戦争初期、出てくるザクのほとんどが「旧ザク」で嬉しいよ。でもキチンと、その中に「量産型ザク」が混じり始めているんだよね。だんだん旧作「ガンダム」の時代が迫ってきている、劇中であと半年もすればシャアがサイド7に奇襲を掛けるってところまで来たんだ。
 しかし、アムロとフラウはともかく、カイも同級生だったとは…カイはアムロより年上じゃなかったっけ?と疑問に感じる頃を見計らって、フラウは「カイは留年している」ことをキチンと説明してくれたのはわかりやすい。しかし、サイド7で有名な不良グループのリーダーだったとは…セイラはよく殴れたなぁ。そういえばサイド7のシーンでセイラだけは出てこなかったなぁ。ついでに言うとミライも…もういなきゃおかしいぞ、サイド7に。
研究 ・サイド2「ハッテ」について
 いよいよ連邦とジオンの戦争の火ぶたが切って落とされた。その戦争の進展状況は、サイド7のアムロの自室シーンで背景に流れるニュース音声が教えてくれる。
 まず宣戦布告前の段階では、前話の「スミス海の戦い」の後処理について、連邦とジオンの交渉があったことが示唆されている。もちろんこれは、表向きは民間人であるミノフスキー博士に対して先制攻撃をしたジオン側に問題があるはずだが、ジオン側はミノフスキー博士の亡命に連邦側も荷担していたことを主張しただろうし、機密漏洩を防止するためにやむを得ない攻撃だったとの主張もしただろう。ミノフスキー博士の亡命問題に関しては連邦が関わっているのも事実だし、ミノフスキー博士を守るために防衛軍が出てきたのも事実だから連邦も反論できなかったため交渉は決裂したという経過が目に見えてくるようだ。そしてこの交渉決裂で緊張状態となったのは事実だろう。
 各サイドは自治が認められていると考えられるが、多くのサイドは特に軍事面で自立はできない。これまでは連邦政府のもとで政治運営をしていた各サイドだったが、ジオン公国が独立したことで独立やジオン陣営に着くことが新たな選択肢として生じてしまった。この態度を明確にすることが、各サイドの政府とその主導者に求められたのである。これは各サイド政府にとって今までになかったことだし、考えてもいなかったことだろう。
 このり状況で早い段階で態度を明確にしたのがサイド6とサイド2ということなのだろう。サイド6は早々に中立を宣言したが、旧作ではサイド6政府にザビ家がてこ入れしていることは明らかになっている。私はサイド6についてはジオンが全面戦争になった場合の緩衝地帯とするため、戦前から相互不可侵条約みたいな取り決めがあったと解釈している。サイド6側もジオン側から何らかの支援があると同時に、連邦を敵に回せない事情もあって「中立」の道を選んだと推測している。
 そしてサイド2は、早々に「連邦側に与する」ことを宣言する。これによってサイド2には連邦軍艦隊などが進駐することになり、ますます緊張は高まったことだろう。ジオンが宣戦布告した際、最初にドズルが連邦艦隊を襲撃し、キシリアが月面都市を制圧したとされているが、このドズルが襲撃した連邦艦隊がサイド2に進駐するものであったのだろう。この連邦艦隊が壊滅したことで、連邦側に与すると決めたサイド2は丸裸でジオンの前に晒されることになってしまった。これはジオンに対して降伏するべき状況だが、ここの住民も連邦寄りの考え方が強く徹底抗戦の方針で固まってしまったと考えるべきだ。もちろん頭の良い住民は開戦時に自分たちを守る連邦艦隊が壊滅したことで、すぐに旅客宇宙船のチケットを取って逃げたことだろう。
 ジオンとしては「連邦側に与したサイド」への見せしめが必要だった。その見せしめに進駐するはずだった艦隊がなくなり、防衛力がサイドの守備隊のみというサイド2に総攻撃をしたのだ。その内容は軍民問わない無差別攻撃で、サイドをひとつひとつ破壊してゆくものだ。
 スペースコロニーは巨大な圧力容器なのだから、攻撃で穴を空ければ中の空気が漏れてあっという間に機能を失うはずだ。もちろん穴が1つや2つなら応急処置システムが作動するが、いくつも穴が空けばアウトだ。こういう事態に備えて避難シェルターがあることは今話の展開で明らかだ。これは本来は戦争に備えたものでなく、隕石衝突などでコロニーが深刻な状況になった場合に備えたものだと考えられる。恐らくコロニーの各所にこのような避難設備があって、シェルターには外から宇宙船(救助船)が着けられるようになっているはずだ。ジオンが攻めてきたとき、人々はここに逃げ込んだに違いない。サイド2政府が救援を求めたと言うことは、イコールで壊滅したコロニーでもこのような設備に避難して生きている人が存在するということなのだろう。
 だがこれから起きる悲劇「コロニー落とし」には、この避難施設は役に立たない。コロニーごと地球に墜とされるのではコロニー内の何処へ避難しても無駄なのは説明するまでもないだろう。もちろんコロニー飛行中はジオン側が護衛しているので救助船など着けられない。まさに住民は逃げ場のない悲劇に襲われるわけだ。

第9話 「コロニー落とし」
名台詞 「あの小洒落たツノ! あの他人より目立とうという意図が丸見えの赤い色! あんなふざけた真似をする野郎は、あいつしかいない!」
(オルテガ)
名台詞度
★★★
 ジオン軍は「コロニー落とし」の次の作戦に向けて準備をしていた。新型モビルスーツも配備され、「黒い三連星」の3人も自らが乗ることになる新型の視察に格納庫へ来ていた。そこで一機の新型モビルスーツがテスト飛行をしているのを目撃する。そのモビルスーツ赤い色に塗装され、頭部にはツノまで付いている。それが「黒い三連星」の3人がいる格納庫上空を、まるで3人に見せつけるかのように飛行するのだ。やがてこの赤いモピルスーツが帰還すると、その機体を指さして大仰なフリまでつけて、三連星の一人であるオルテガが叫ぶようにこう言ったのだ。
 そうそう、よく考えれば「ふざけている」のである。自分専用の機体を目立つ色に塗り、しかも頭にツノまでつけている。ほんと、いくらなんでもやり過ぎというおふざけでしかない。シャアがどれだけの戦果を挙げたのかは解らないが、短期間で一兵卒から中尉にまでのし上がったということはなんかすごい功績があったのは確かだ。だけどふざけてる。いくら何でもあり得ない…多くの人が昔からシャアに対して潜在的に思っていたことを、この時のオルテガは見事代弁してくれたと思う。
 しかもそのおふざけの延長なのか、出てきたシャアは他のジオンの軍人とは違う赤い服(旧作でおなじみのあの服だ)を着ている。いったい「ジオン軍」とはどういう組織なんだ、軍規はないのかと問いただしたくなってしまうほどシャアはやりたい放題なのだ。
 でもこのシーンを見ていると、オルテガのこの叫びの真意は別のところにあることが分かる。入ってきたばかりでもう自分たちを追い越して中尉になったシャアへの嫉みでもあるのだ。よく考えてみれば三連星だって乗機を自分たちのいろに塗り替えている。ツノはないがシャアと同レベルのことはやっているのだ。だからこそこないだ入ったばかりのシャアが早々に出世したのが気に入らないし、好き勝手やっているのが気に入らない…それがよく見えてくる。こういう人間の本質を上手く描いた点で、この台詞が印象に残った。
名場面 アイランド・イフィッシュ 名場面度
★★★★★
 地球に墜とされることになったサイド2の首都コロニー「アイランド・イフィッシュ」にジオンが潜入し、コロニー内に毒ガスを注入していた。そして出てきたのは前話に出てきた「アイランド・イフィッシュ」住民の若い男女のうち、男性の方のユウキというキャラだ。既に毒ガスの散布により住民警備に立ち上がった義勇兵やコロニーに住んでいた動物たちは死に始めているようだが、それにも気付かずユウキはただ寒さに震えていた。だが寒さに震えるユウキが見たのは、コロニー内に雪がっている光景だ。これが本当に降雪なのか、それともただ単にゴミが舞い散っているのが雪に見えただけなのかは解らない。だがユウキはハッキリと「雪が降っている」と認識する。「コロニーにも雪が降るんだ、ファン・リー(恋人)にも教えてあげなくちゃ」と呟いて、退避シェルターへ向けて歩き出すユウキ。だがそこで始めて彼は警備兵が倒れているのに気付く、そしてユウキも自分の身体に変化が起きて一度倒れる。薄れゆく意識の中で「こんなところで寝たら…風邪を引く」と呟きながら、シェルターの入り口へ向け這ってゆく。「僕も中に入りたい」「ファン・リー、開けてくれ」とユウキが呟きながらシェルターのドアにしがみつくように立ち上がる。だがシェルター内部からは何の物音も聞こえない…ここで出てくるシェルター内部の様子…だがもうみんな倒れているのだ。そしてユウキの恋人ファン・リーも弟とみられる男児を抱きしめたまま倒れている。そしてユウキは「入れてくれ…」と呟きながらシェルターのドア上を滑り落ち、そのまま意識を失う。
 前話で初登場、「アイランド・イフィッシュ」住民の若い男女であるユウキとファン・リーの短い物語の終焉だ。二人は「戦争が終わったら地球へ行こう」と約束したことで互いの気持ちを知り、前話のラストシーンではそっと唇を重ねていた。今話のプロローグも二人の物語で始まり、シェルターに避難するファン・リーと義勇兵としてこれを警備するというユウキの物語であった。コロニーの外ではここで繰り広げられる悲劇への準備が刻々と進む中、の物語である。前話から視聴者はこの二人の運命に思いを馳せ、間違いなく訪れるであろう二人の悲劇を想像して胸が痛くなっていたことだろう。
 そして悲劇は、このように静かにやってきた。「コロニー落とし」の前に毒ガスによって中の住民を殺しておくというジオンの用意周到かつ無慈悲な作戦により、唐突に生命を奪われるのである。そしてその瞬間は想い合っている二人が僅かでも再会できるようなものではなく、シェルターのドア越しに互いに相手がいつ絶命したのか、どっちが先に絶命したのかも解らない状況だ。こういう状況に前話から物語を重ねた男女を放り込むことによって、戦争というものがいかに無慈悲かをうまく訴えたと感じたシーンだ。
 だが戦う側にも言い分はある、言い分というか大義名分…いや、言い訳に近いかもしれない。ジオン兵は何百万というアイランド・イフィッシュの住民を死に追いやることを知っていた、だから「戦争を早く終わらせるためだ」「地球が迫ってくるのを見たくないだろう」とわざわざ口にするのだ。こういうことは現実的にも起きている、広島や長崎に原爆を落とした兵士だって、それが正しいかどうかは別にしてこう自分に言い訳しないとそれを実行できなかったはずだ。
 「ガンダム」というのは、こういう「庶民側」の目線からも戦争を描いたという点は革新的で、旧作でもサイド7からの避難民の目線や、地球民の目線(アムロの母やその周囲の人)などいろんな角度から「戦争」を見せている。このシーンも「戦争初期で何が起こるか知らない」人たちの目線でこの戦争を描く、名シーンの一つであろう。
感想  「コロニー落とし」は「機動戦士ガンダム」を象徴するシーンの一つだが、旧作では既にこの作戦が起きた後のことしか描かれていないので、何が起きたのか具体的に描かれたことはなかったと思う。今回はそれによって何か起きたかが詳細に描かれたか…これは研究欄に回そう。
 そしてコロニー落としは上手くいかず、地球環境を破壊して多くの地球民が死ぬという結末だけが残ったかたちだ。ギレンはもう次の戦いのことしか考えてないし、デギンはギレンの暴走が止められないという構図はこの頃には既にあったのねという感じだ。次の戦いはサイド5が舞台で、旧作でもシャアが大戦果を挙げたことが言及されている「ルウム戦役」なのだろう。この次の戦いへの流れの中で、またもドズルが叩かれて心に傷を負う。そのドズルが子供に逃げることで救いを求めるのが、とても「らしい」と感じた。ゼナもだんだん旧作の雰囲気になってきたぞ、うんうん。
 ジャブローから上がる地球連邦艦隊、これに対抗するために描かれるジオン首脳部の作戦会議…この会議の中にマ・クベやコンスコンなど旧作を彩る指揮官がちゃんといるのが良かったねぇ。連邦側もレビルだけでなくワッケインなんか出てきたし…だけどこの流れの中で一人取り残されているのがランバ・ラルだというのが、今話のラストシーンだ。ハモンの膝枕で横になっていることくらいしか彼にやることがなく、旧作で彼の部下になるコズンやクランプが身支度をして戦場に出て行くのを見送るという光景は「ランバ・ラルらしくない」と思ってしまった。だがこれも「コロニー落とし」という極悪非道な作戦に反対し、軍を出てしまったのだから仕方が無い。ランバ・ラルはこれからどうやって軍に戻り、どのような過程でガルマの仇討ち舞台に任命されるのか、全く想像が付かないぞ。
研究 ・コロニー落とし
 やっぱり今回の研究ネタは、これを置いて他にないだろう。旧作「機動戦士ガンダム」のオープニングで印象的に描かれ、波平さんによる解説シーンでも何度も流された「コロニー落とし」によって何が起きるのか、この辺りは興味深い。
 だが興味深いネタだけあって、この研究をした人は過去にいるのも確かだ。私の本棚にある本を探してみると、あの柳田理科雄氏が2000年に「空想科学読本3」で科学的に考察している。その設定からコロニーに必要な力学的要素を割り出し、劇中の描写からコロニーの構造を調べて材質等を割り出そうとしたものだ。その結果とんでもないことになったので、「コロニー落とし」についての考察に切り替える…前述の要素からコロニーの重量を割り出し、サイド5地点から地球への自由落下軌道に乗った場合の大気圏突入速度を割り出し、劇中に描かれたシーンから大気圏突入時の空気抵抗を割り出し、これによってコロニーが受ける熱量によって鉄材などが炎上したり溶けるなどして失われる量を計算した内容だ。その結果…なんとアイランド・イフィッシュは大気圏で燃え尽きてしまった。コロニーを構成する材料の20倍以上が融解して蒸発するという結果になったのだ。コロニー落としが劇中シーン通りに成立するためには、コロニーの外壁の厚さを120メートルにしなければならず、これに鉄を使うとすれば地球上の鉄の埋蔵量の4倍もの鉄材が必要になるという結果になってしまった。詳しく知りたい方は、「空想科学読本3」をお読みいただきたい。
 やはりここは何とかして「アイランド・イフィッシュ」には地球に落ちてもらわないと、話が成り立たないので困る。ここは宇宙世紀にはなかなか溶けない新材質が開発され、またコロニー落としにあたってジオンが「アイランド・イフィッシュ」外壁に塗ったという耐熱塗料の性能がとんでもなくすごかったという前提で話を進めたい。
 コロニーの直径は6キロ、長さは約30キロ、これが大気圏突入時に3つ割れて落ちたという。「アイランド・イフィッシュ」落着地点では直径6キロ×10キロの隕石が落ちたのと同じ…ちょっと待った、6500万年前に恐竜を絶滅させる大量絶滅を引き起こした隕石の直径は約10キロと言われているぞ。「アイランド・イフィッシュ」が地球に落ちたら、人類の半数どころか人類滅亡しかねないぞ。
 「ガンダム」ワールドの設定では、「アイランド・イフィッシュ」のドッキングベイを含む部分が落着したオーストラリアには直径500キロのクレーターができたとされているが、恐竜を絶滅させた隕石が作ったチクシュルーブクレーターは直径160キロ…うん、間違いなく「コロニー落とし」で地球上の全人類滅んだぞ。こんなのが3つも地球に落ちたんだから、地球上から人類は消え失せて地球連邦は消滅し、戦争はコロニー国家のジオンの勝利!
 これじゃダメだから、違う方向性を考察しよう。
 ジオンの作戦では、あらかじめ「アイランド・イフィッシュ」の住民を毒ガスで殺害しておくとしている。ここはサイド2の首都コロニーでもあるので、政府機関で働いている人や政治家などもいたことだろう。もちろん警備兵や自主防衛軍、それにユウキのような義勇兵も皆殺しというわけだ。こうすることでコロニー内部からの抵抗を防いだというのが作戦の主旨だろう…なら他のコロニーもわざわざ攻撃しないで毒ガス注入の方が手っ取り早かったろうに。だけどコロニーの避難シェルターが居住区と密閉されていないとはいただけない。これではコロニーに隕石が衝突したら、即全員死亡になっちゃうじゃないか。てっきり避難シェルターは居住区と密閉されていて、ファン・リーがユウキより長生きすると思ったんだけどな…あ、ジオンはシェルターにも毒ガスを注入したのか、極悪非道ですな。
 いずれにしても、「ガンダム」ワールドで「人類の半数が死んだ」最大の原因が、このたった1回の「コロニー落とし」である事実は揺るがない。ハッテにしろこれから戦場になるルウムにしろ、コロニーは破壊されたが住民の多くは何らかの理由(シェルターに逃げ込んだ)で助かっていたとみるべきだろう。こんな戦争やっていたら、マジで人類滅亡でっせ。

第10話 「赤いモビルスーツ」
名台詞 「大尉はもう二階級降格という処分を受けています。それに従わなかったのは、ドズル中将の命令に対してです。キシリアに、ではありません。どうしても逮捕するというのならあなたたちのような三下ではなく、キシリア自身が逮捕状を持ってこの店に来なさい…と、クラウレ・ハモンがそう言っていたと、伝えなさい。」
(ハモン)
名台詞度
★★
 ルウムでの戦いが迫っていた頃、軍を抜けたランバ・ラルはハモンの店で居眠りしていた。そこへ現れたジオン軍諜報部のタチが、出てきたハモンに対し唐突に「逃げてください」と告げる。驚くハモンに「キシリア機関の者が来ます。あなたと大尉を抗命罪で逮捕するそうです」とタチは告げるが、これを言い切ったところで足音が聞こえタチは慌てて店の客のフリをしてカウンターに座る。すぐに3人の男が現れ「ランバ・ラル大尉はいらっしゃるかな?」とハモンに問う。「奥で寝ているけど、何か?」とハモンが返すと男は「ブリティッシュ作戦(コロニー落とし)における命令不服従の罪で逮捕状が出ています。匿っていたのなら、あなたも…」と要件を言うと、最初はすまし顔で、後半は叫ぶように、ハモンが返した台詞がこれだ。
 なんかハモンさんがやっとハモンさんらしくなったと感じた。本作のここまでのハモンはランバ・ラルの女ということだけが共通点で、どこか旧作の彼女と雰囲気が違った。特にキャスバルとアルテイシアが亡命する頃の展開では、ネタキャラの一人になっていた感があるし…。それがこのランバ・ラルを権力で亡き者にしようとする者どもを、ランバ・ラルのために正論で追い返し、彼を守り切る。そんなランバ・ラルに殉じるハモンの姿と、ハモンらしい力強い台詞がやっと描かれた感じだ。
 だがここで現れたキシリアの手下が本当に「逮捕状」を持っているかどうかはとても怪しいと言わざるを得ない。恐らく彼らはキシリアの命令を上司から聞いただけで、その意図などは全く解ってないのだろう。キシリアの狙いはザビ家に反旗を翻す可能性があるラル家の全滅であり、ランバ・ラルがドズルの命令に逆らったことでやっと彼を拘束する「言い訳ができた」と言うところなのだろう。逮捕状はハッタリであって、彼らも本当に「逮捕状」が出ているかは知らない。そこを見抜いているからこそハモンは「キシリア本人をよこせ」と言えば彼らが引っ込むことを想定していたのであろう。
名場面 開戦 名場面度
★★★★
 いよいよルウムでの戦いの幕が切って落とされる。まずはコロニーへの陽動攻撃で始まり、続いてドズルが先頭に立っての艦隊戦の様子が描かれる。その間に地球連邦側の指揮艦の様子や、モニターで戦況を見守るデギンやガルマの様子も描かれる。艦隊戦の緒戦は火力が強い連邦優位に進むが、連邦優位に進んだところでドズルが陣形転換の命令を出す。続いて描かれるのはシャアの出撃だ。シャアは乗艦から出撃すると最初は通常速度で戦闘エリアへ向かうが、フルブーストで加速すると、強烈なGに顔をしかめる。彼の機体はリミッターが切られていることは、前話で示唆済みだ。そのフルスピードで敵へ向かうシャアの「赤いモビルスーツ」が印象的に描かれたところで、今話は幕を閉じる。
 いや、カッコイイ。みんなカッコイイ、これぞまさしく「戦記物」という勇ましいシーンに圧倒された。こういう「戦いの格好良さ」というのが否定され始めた時代に生まれたのが「ガンダム」であるが、その風潮にも負けずによくぞここまでカッコイイシーンを作り上げたと感心しきりだ。そして出てくる兵士全員の士気は高く、嫌々行っている兵なんかどこにもいない。敵を倒すことだけに集中している兵士たちの姿が上手く描かれていて、これこそ「戦争の一面」だと強く感じるシーンだ。
 もちろんかっこよく描かれているのは兵だけではない。ジオンや連邦の艦船も、シャアに限らずモビルスーツも、みんなかっこよく描かれている。こういうわくわくさせる戦いシーンって、「宇宙戦艦ヤマト2199」以来だなぁ。
 さらにこのシーンでは、旧作ではシャアの部下だったドレンやデニムも出てくる(声だけだが)。シャアはこの二人とはルウム戦役からの付き合いだったのかと、ひとつの発見もさせられる。
 そして戦いの始まりをかっこよく描いたところで「つづく」だ。あー焦らされる、早く続きが見たい…と多くの人が思うところだろう。
感想  いよいよルウム戦役勃発。それに向けて話をじわじわと盛り上げてゆき、名場面シーンでもっとも盛り上がったところで「つづく」となるストーリーだったと思う。
 冒頭のプロローグではセイラの話が進む。彼女側の話が本格的に進むのは物語中盤でテアボロ邸が暴徒に襲われたところからだろう。そこまではセイラが「死んだのは兄ではなくシャアの方」「兄はシャアとして生きている」という疑いに揺れているだけだったが、ここではハッキリとセイラに変化が出る。自ら銃を取って戦うようになり、戦うことで愛する人を守ることに目覚めたのだが…その瞬間にセイラの育ての親であるテアボロが死ぬという厳しい物語展開であった。そして同時にジオンのサイド5に対する攻撃が始まり、本物のシャアの両親がこの攻撃に巻き込まれて死ぬのだが…本物のシャアの両親が乗っていた旅客船を攻撃したのがシャアという描かれ方をしているのは辛い展開だなぁ。
 しかしセイラはどれだけ目が良いんだ? コロニーの地面にいて、反対側の採光窓の縁に経つモビルスーツを「赤いモビルスーツ」と認識できるのだから。だってコロニーの直径は約6キロ、セイラは6キロ離れたところにある長さ18メートルの物体を「モビルスーツ」と認識し、しかも色が赤であることまで認識できている。さらに言うと昼ではない、夜にだ…新宿の東京都庁から東京駅を見るようなもんだぞ、目の良い人が昼間なら認識可能かもしれないが、夜となるとちょっと…。
 それと名台詞欄シーンの直後にハモンさんが歌っていた歌、なんか切なくてこっちも泣けてきた。ランバ・ラルの現状を旨く示しているようにも聞こえて…ランバ・ラルがガルマの敵討ちをさせられたのは、こういう伏線によって「ジオンへの忠誠を示すため」だったんだろうな。彼はガルマの敵討ちに成功すれば、また元のように軍人として活躍できたのかもしれない。
研究 ・続 コロニー落とし
 コロニー落としの考察は前回もやったが、今回もその続きを言ってみたい。今回は前回の「落ちたらどうなる」ではなく、「どうやって落としたのか」を研究してみよう。
 劇中の描写ではこうだ、まず「アイランド・イフィッシュ」周辺の敵を排除して制宙権を確保する。そこに大規模な工作部隊を送り込んで、コロニー本体に耐熱加工を施し、推進エンジンを取り付け、これらが完了したところで毒ガスで内部の人々を殺害。コロニーが「無人」になったところでエンジンに点火し、「アイランド・イフィッシュ」を地球と月のラグランジュ点から離脱させるというものであった。
 コロニーがどんな素材でできているかは解らない(前回考察したように、素材が金属だとすると大気圏突入時に燃え尽きてしまい地面に落着できない)が、「耐熱加工」の必要性は疑問に感じる。「コロニー落とし」によって地下深くにあるジャブロー基地を殲滅するためにコロニーにはなるべく原形を保っていて欲しいという考えは解る。だがコロニーを形成する素材は金属のように簡単に燃えてしまうものでは「耐熱加工」をしても「燃えるものは燃える」という結果になるし、架空の超強力な素材で作られているとすれば「耐熱加工」などに頼らなくても劇中の描写どおりに地面に激突してくれると考えられるからだ。
 次に航路だ。スペースコロニーは地球と月の重力が釣り合い、安定して地球を周回できる地点である「ラグランジュ点」に設置されている。ラグランジュ点はL1〜L5の5箇所あり、「アイランド・イフィッシュ」が属するサイド2はL4と呼ばれる月の公転軌道上(地球から見て月より60度先行して公転)にある。普通ならここで減速方向(公転方向とは逆方向)にエンジンを吹かせば地球に落下する軌道を取るはずだが、ラグランジュ点では重力が安定しているのでこれだけでは地球公転軌道から出られない。劇中では月の裏側を経由していたように描かれているが、これがラグランジュ点から脱する軌道となんか関係があるのかもしれない。ひょっとすると月で減速スイングバイをしたのかもしれない。
 そして地球へ向かう「アイランド・イフィッシュ」は、南米ジャブローが落着地点と予想されるが、何故か落着した場所は全部がオーストラリア、中部が北米、後部が太平洋という結果だった。落着予想点は「アイランド・イフィッシュ」のコースをトレースすれば正確に分かるはずで外れるなど考えられない。
 やはりここは連邦軍艦隊の「アイランド・イフィッシュ」に対する攻撃が原因だろう。「アイランド・イフィッシュ」は地球に確実に降下するコースであったが、ジャブローという限定した地域に落とすには落下中にエンジンを始動させてコースを微調整させる必要があったはずだ。連邦軍の攻撃でこのエンジンを破壊され、微調整が効かなくなったと解釈すれば良い。同時にエンジンの破壊により、燃料の漏洩などで予想外の噴射が発生すれば…落着地点が外れてもおかしくない。
 しかし連邦軍も悪だ。「アイランド・イフィッシュ」が地球の降下軌道を取り始め、しかも落着点が自分たちの基地だからって攻撃するか? 相手はスペースコロニーで、何百万もの人が住んでいた物体だぞ。その上避難施設も完備しているし、連邦側は中の住民が毒ガスで殺されている事実は知らなかったはずだ。だからここは「住民に生存者がいる」ことを前提に行動すべき場面のはずだ。つまり連邦軍は「アイランド・イフィッシュ」の軌道変化を確認したら武力攻撃するのでなく、住民救助を前提とした内部の確認行動をすべきはずだったんだが…「毒ガスでの殺害」を知らなかっはずたからこそ、「アイランド・イフィッシュ」住民は連邦軍に見捨てられていたという見方もできるのだ。これじゃ私もジオンの肩を持つなぁ。

前ページ「あにめの記憶」トップへ次ページ