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第11話 「ルウム会戦」
名台詞 「…何処だ? ここは? ああ、宇宙か。いきなりあの世かと思ったぜ。あっという間に人は死んで、ゴミになるのか。またゴミの仲間が増えてゆく。おーい、メガネ。メガネ〜っ。」
(リュウ)
名台詞度
★★★★
 連邦軍レビル艦隊の偵察機パイロット、リュウ・ホセイはジオン主力艦隊の発見を報せて帰投するが、艦隊に戻ってみると戦闘機発艦のために着艦許可が出ない。そうこうしているうちに、飛来してきたジオン軍のモビルスーツと接触して機体は大破…次に気がつくと宇宙区間を一人で漂っていた。上記の姿は既に無く、目の前には味方艦隊が派手にやられている戦闘宙域が広がっている…その光景に手をさしのべるようなポーズを取りながら、リュウはこのように呟く。
 戦争というのは、もちろん人が多く死ぬ現場である。戦闘員同士はもちろん、あるときは一般庶民も巻き添えにして多くの人が死ぬ現場となる。だがその人の死が多くなるほど、その一人一人の死が顧みられなくなるのが戦争の実状だ。死んでいった一人一人に家族があり、友があり、それぞれの物語があるはずだが、戦争のように沢山の人が死ぬ現場ではそんなことはどうでも良くなってしまう。魂が抜けた肉体は「亡骸(=死んだ人間)」ではなく「死体=(ただの物体)」でしかなくなってしまう。その死体がどのように扱われてきたかは、過去の戦争について調べれば嫌と言うほど解るはずだ。少なくとも、その戦いが続いている間は「亡骸」としてた扱われることはなく、邪魔な物体でしかなく弔う者もいない。弔われるとすれば戦いが終わった後だ。
 その現実をこの台詞はうまく示していると思う。戦場で死ねば人がどう扱われるのか、リュウは解っているのだ…そして、リュウは死んでいなくても今の自分がゴミと化したことにも気付いていると思う。戦うための武器も持たず、半死半生で宇宙空間を漂っている人間が役に立つはずがないことも解っているのだ。だからリュウはこの台詞の最後で「ゴミの仲間」を探す。それが「メガネ」と呼ばれていた、一緒に偵察機に乗っていた戦友だ。
名場面 黙祷 名場面度
★★★
 ジオンのドズル艦隊が連邦のレビル艦隊を殲滅し、連邦主力艦隊であるティアンム艦隊がジオン本国への攻撃を中止して反転したことで、この戦いの勝敗が決する。その勝敗が決したとき、破壊されて炎上する連邦艦隊の残骸を見たドズルは「恨むなよ、敗者の運命だ」と呟く。そして「打ち方やめ」と号令を発して「戦いの終結」を宣言したのに続き、「消えゆく大宇宙の戦死諸氏に対して、黙祷!」と号令を発する。するとドズル艦の艦橋にいた乗員たちは、ある者は帽子を脱ぎ、またある者は背筋を正して黙祷する。ドズルも直立不動のまま黙祷している。
 このシーンはリュウの名台詞と連動している、と私は感じた。戦争という人の死が多数発生する現場において、一人一人の死が顧みられることはない。だが名台詞欄にも書いたが、その死者が弔われることがないのは戦いが続いている間だけ、戦いが終わればこのように死者に対し祈るくらいのことは行われている。死力を尽くして戦ってきた者が、同じように戦って倒れた者にそっと祈りを捧げるのだ。
 だが、このように「戦いで死んだ者」に祈りを捧げることができるのも勝者のみに許された特権であろう。戦って倒れた者は死んでいるか半死半生の状態で、生きている者も死者のために祈るどころではないのは明白だ。倒れていなくても敗れた兵には祈る余裕などはない。敗れた兵には「戦場を脱して帰る」という大仕事が残っているし、その大仕事は逃避行であって楽なものではない。しかも半死半生の人間を連れて行かねばならなかったり、近代戦では自分たちが乗ってきた乗り物を動くように直したりしなければならない。敗れた兵でも敵の手に落ちた者は、勝った敵の命令で黙祷させられるが…その精神状況は祈っているものではないのも明白だ。
 この祈りを捧げる行為を通じて、戦いにおける勝者と敗者をうまく浮き彫りにしたと私は考えている。そして名台詞欄の台詞と連動して見ると、戦場での「人の死」に思い至ることができるのは勝者だけという現実まで見せつけられる。「戦争は人が殺し合うから悲惨」なのではなく、その悲惨な要素がもっと深いところにあることを、今話で伝えようとしているのではないかと感じた。
感想  もう正直言って全部名場面、今話はそう言い切って良さそうだ。旧作「機動戦士ガンダム」でその存在が示唆されていた「ルウム会戦」という戦いが詳細に描かれた。ガンダムワールドにおいてその戦いの設定がどんどん膨らんでゆき、「シャアが戦艦5隻を沈める驚異的な活躍をした」のみでなく、ジオン軍の奇策や「黒い三連星」の戦いぶり、そしてジオンの捕虜となったレビルの動きなど、様々な要素が息つく暇なく描かれた。
 特に印象的なのは名台詞欄・名場面欄シーンなのだが、そのほかにも連邦側がドズル艦隊を見失った時の緊張感は、見ているこっちまで緊張してしまうすばらしい仕上がりだ。そして偵察機や見張り員が「敵艦見ゆ」と報告するのに先回りするように、ジオン側が攻撃を仕掛けてきたときの司令の混乱ぶりは、こっちまで戦いに参加させられているようで本当に緊張した。テレビを見ていて自分の家のどこかに被弾するんじゃないか、なんてホントに思ったもん。大袈裟じゃなくて。
 もちろんメカ類の動きもとても良くて、特にシャアのザクなんかかっこよすぎ。でもどちらかというと、私は「黒い三連星」の無骨な戦い方の方が印象に残ったなぁ。ヒートホークで敵艦の艦橋を縦に真っ二つになんて、普通じゃ想像できない戦い方だと思うけど、それを思いついた上に映像化してしまったのは本当に驚いた。でも危なく、三連星はもうちょっとでレビル将軍を殺しちゃうところだったんだなぁ、危なかった。
 そしてその裏で怪しく動くザビ家兄妹、ようやくキシリアが旧作の「あの格好」で出てきてくれたとはともかく、ギレンはこの頃からデギンを何とか殺してしまおうと考えていたのね。ただしこの戦いの当時は、積極的に亡き者にしようとしたのではなく、「あわよくば死んでくれ」程度のものだったのだろう。その上でチャンスをうかがっていたんだろうな。
 次はルウム会戦の「戦いの後」が描かれるはずだ。レビル救出劇も描かれるだろうし、ジオン有利になるはずだった終戦交渉が決裂する過程も描かれるのだろう。いよいよ旧作の時代に近づいてくるわけだ。
研究 ・ルウム会戦
 今回は旧作「機動戦士ガンダム」でその存在が示唆されていた「ルウム戦役」について描かれている。この「ルウム戦役」は過去の設定では、ジオンが再び「コロニー落とし」を行うために連邦側に付いたサイド5「ルウム」を襲撃するというものであったが、本作の「ルウム戦役」ではそのような要素は一切見られない。ジオンが連邦に付いたサイド5に鉄槌を食らわすという目的もあるものの、それは連邦軍艦隊を誘い出すためのエサであり、本当の目的は連邦軍艦隊を損耗させることにあったようだ。
 前々話からの流れを見ているとこういう作戦のようだ。まずジオンはサイド5「ルウム」政府に対し、「連邦の一部とみなす」という理由で宣戦布告を改めて行ったのであろう。これによって連邦軍からはサイド5防衛のためにティアンム艦隊を出す。さらにジオンとの艦隊戦に備えて、地球から連邦軍主力艦隊であるレビル艦隊が出撃する。
 ここでジオンの大本営が「我が艦隊は全力でティアンム艦隊を叩く」と決定する、もちろんジオンの大本営には連邦に通じている者がいるから、この情報は筒抜けである。連邦軍はジオンがサイド5攻撃のためにティアンム艦隊を戦うと睨んでティアンム艦隊はジオン艦隊を迎え撃つために全艦出撃、この後方からレビル艦隊も加わってジオン艦隊を一網打尽にしようと考えたのだ。
 ところがこの連邦のブランは序盤から崩れる。これは前話で描かれたことだが、サイド5がジオンのモビルスーツの急襲を受けたのだ。各コロニーの港が破壊され、住民は脱出することもできなくなってしまう。この急襲のタイミングもジオンはうまく考えていて、ティアンム艦隊がジオン艦隊に会敵する頃合いを狙っている。もちろんティアンム艦隊は回れ右して本来のサイド5防衛に向かうわけに行かず、サイド5の救援はレピル艦隊の戦力を割いて行うしかなくなってしまう。
 それでもティアンム艦隊は全艦がジオン艦隊との戦いに参加するため、ジオンにとっては不利だ。ジオンは最初から「全力でティアンム艦隊を叩く」つもりなんかなく、大本営会議の決議とは違う行動を取ることになる。ティアンム艦隊との戦いでは負けているように見せかけて、敗走するように見せかけつつ転進。結果連邦側はジオン艦隊を見失ってしまう(ミノフスキー粒子の影響もあり)。連邦が見失ったジオン艦隊を探している間、ジオン艦隊はティアンム艦隊を大きく迂回してその後方のレビル艦隊に急襲を掛ける。しかも最初にレビル艦隊旗艦に致命傷を与え、艦隊を混乱させるという手の込みようだ。
 こうしてレビル艦隊は混乱の中で次々に沈められ、レビル将軍自らがジオンの捕虜になってしまう。さらにサイド5に救援に行った連邦艦隊も、引き続きサイド5攻撃活動をしていたジオンのモビルスーツの餌食になり、ここでシャアが5隻の戦艦を沈めるという武勲を立てることになった。
 そして最後に、状況下でほぼ無傷でサイド5からサイド3(ジオン本国)方面へ進撃していたティアンム艦隊が、デギン公王の座乗艦に出くわしたことをきっかけに撤退する決断をする。こうしてルウム戦役はジオンの圧倒的勝利で終結…という訳だ。
 この戦いはジオンが「数が少ない自分たちがどうやって勝つか」を考えに考えて作った作戦だろう。連邦のスパイが大本営に潜入していることを逆手に取るという「諜報戦」で敵艦隊の動きを操ることができたし、何よりも「あれもこれも」を言わずに最初から攻撃すべき対象を「ルウム」と「レビル艦隊」に絞り、それぞれ別部隊がこれらを攻撃するという役割分担に徹したのは大きいだろう。これだけすばらしい作戦を立てたのは誰だ? と思わずにはいられない…少なくともギレンじゃないな。彼がこれだけの作戦を立てられるのであれば、その後の戦いであんな無様な負け方をしなかったはずだ。私はジオンでこの「ルウム戦役」の作戦を考案した者は、この戦いの直後に何らかの理由で死んだのだと解釈している。そうでないと、旧作「ガンダム」と辻褄が合わなくなってしまう…。

第12話 「赤い彗星のシャア」
名台詞 「マ・クベ中将、これだけは覚えておいてください。あなたは他の凡将とは違う高い器量をお持ちだから申しましょう。私はギレン総帥を好かぬ。」
(キシリア)
名台詞度
★★
 美術館でかつての地球文明を愉しんでいたマ・クベの前に、当然キシリアが現れる。そしてキシリアはマ・クベに表向きは連邦との和平交渉の特使として地球へ向かうことを乞う。「そういった交渉に不向きだ」と反論するマ・クベに、キシリアはマ・クベの本心が地球侵攻にあることを突き付けた上で「戦争は続行されねばならない」とし、この役割は「停戦の使者」などではなく「地球侵攻軍の長となる」という実態を告げる。さらにキシリアが「これはギレンも同じ考えである」「地球の富と国土を手に入れる必要がある」「だから地球に魅力を感じない者を遣る訳にはいかない」と力説を続けると、マ・クベはキシリアに2つほど質問する。ひとつは「連邦軍の戦意が失われている場合は拳をど゜こへ置くのか?」、もうひとつは「保証は?」である。キシリアはまず2点目の返答として、部下にガルマをつければデギンは決してマ・クベを捨てぬという何よりの保証となるはずだとする。その上で1点目の質問の返答として、「人間はいついかなる時も本質的に戦いを望むもの」「戦争継続の手は既に打ってある」と返す。この質問の返答に付け加えるように、キシリアがマ・クベに告げる台詞がこれだ。
 いよいよキシリアがキシリアらしくなってきたぞ。この「私はギレン総帥を好かぬ」という告白は旧作「ガンダム」のキシリアも、シャアの正体がキャスバルだと判明したときに語っている。キシリアにとってこのギレンとの仲違いの事実、自分がギレンのやり方に反対していることは信頼できる相手にしか言わないことは、旧作のあのシーンで明確になっていることだ。ただ旧作の場合、「嬢や」のキシリアはシャアの心の中まで見通すことができず、結局裏切られて殺されてしまうわけだが。
 だが今回のこの台詞はそれとは違うだろう、キシリアはマ・クベを信用できる相手として言っているのではない。マ・クベにどうしても地球侵攻軍の司令官を引き受けてもらうために知っていて欲しい「情報」として語ったことだ。キシリアがマ・クベを地球に送り込むのは、地球の一部にでもジオンの支配圏ができた場合に、そこで得られる資源を糧にギレンを出し抜くことができると考えているはずだからだ。そういう意味でも地球に降りたがっている指揮官が配下に必要だし、それは戦争を続けたがっている人物でなければならないし、何よりも地球の資源に魅力を感じている人間でなければならない。これはキシリアからマ・クベへの「地球に降りればギレンの目が届かないぞ」というエサであり、またマ・クベにとっては「キシリアが地球でなにをするか黙っていれば、自分は何でもできるのではないか」という判断材料になるはずだ。ほこういう意味で、キシリアはこの事実そのものと、それを告げるタイミングを本当に上手く考えたと思うのだ。
 もちろん、旧作の展開を考えればマ・クベはこの依頼を引き受けることになるだろう。そしてどこかであの自慢の壺を手に入れることになるはずだ。
名場面 シャアの特務 名場面度
★★★
 名場面欄シーンを受けて、ランチで宇宙空間を航行するドズルがマ・クベに対して愚痴っているシーンに切り替わる。そしてさんざんマ・クベに対する愚痴を言った後、一緒にランチに乗っているシャアに「気掛かりだったのは、貴様のような有能な士官が奴について行ってしまうことだったが、よく残ってくれたな」と語る。「地球は性に合いません、根っからのスペースノイドですから。内々の打診もお断りしました」と返すシャアに、「子供の喧嘩ではないから部下の取り合いなどはせん、貴様を奴にくれたくなかったのは、別にさせたい仕事があるからだ」とドズルは告げる。「それはどのような?」とシャアが聞くと「連邦の新モビルスーツ開発が、秘密裏に進行している」と明かす。顔色を変えるシャアに「V作戦と呼ばれているらしい、この宇宙のどこかでそれは進められている」と続けると、二人を挟むテーブルから書類が出てきてシャアがこれに目を通す。シャアが目を通し終えた書類をシュレッダーに掛けると、ドズルは「この間の戦争の帰趨を決したのはモビルスーツだ」「だが、V作戦の脅威などと言っても、わからんやつにはわからん」とした上で、「そこで貴様に命令する。あらゆる兆候を捉え、抵抗を排し、V作戦の基地を探り出し、叩きつぶせ」と命令する。「はっ」と二つ返事のシャアにドズルは続ける、「ジオン軍きっての英雄といえども、身一つでこれだけの任務をこなせるとは思えん。見ろ! 貴様の艦だ」…シャアは立ち上がって窓の外の宇宙ドックを見つめる。ドズルは「ファルメル」という艦名を与えたこと、ただのムサイ級ではなく「ムサイを越えたムサイ」であることを告げる。画面にはシャアの乗艦となる「ファルメル」の姿が印象的に映し出されている。「俺からのはなむけだ。貴様の任務のためなら特別に単独行動も許す。何か質問は?」とのドズルの決め台詞に「ありません。シャア少佐、任務に邁進します」と、シャアは敬礼しながら強く返す。
 いよいよ話が旧作「ガンダム」に繋がる流れになってきた。旧作の序盤ではシャアは「敵のV作戦をキャッチした」という理由で、勝手に連邦の新型戦艦を追いかけて、勝手にサイド7に進入し、勝手にサイド7で戦端を開いたわけだが、ここでそれらの「勝手」にうまく理由付けができたと言って良いだろう。元々シャアにはドズルから直々に「敵のV作戦を潰す」という特務が与えられていて、この特務のためならそれらの「勝手」が許されているということにしたのだ。しかも専用の戦艦まで与えられ、その戦艦も量産型ではなく特別仕様で、これも旧作でシャアの座乗艦だけがブリッジ周りの形状が違うことの理由付けになっている。
 そしてこのシーンでは、ドズルとシャアの関係も旧作通りになったと考えて良いだろう。旧作序盤ではドズルにとってシャアは信頼の置ける部下だったし、シャアもドズルを信頼できる上官と考えていたようだ(その上で復讐の相手だった)。本作ではシャアがガルマのをそそのかして連邦に対し勝手に蜂起するなど、ドズルの反感ばかり買う行為をしていたが、やはりそこはドズル、戦場で結果を出すことが最も大事だと解っているのだ。こういう人間関係も見えてきてなかなか面白いシーンになったと私は感じた。
感想  今回はルウム戦役の「戦後」を描いているが…ルウムでの一方的勝利、しかも持久戦に徹底的に向いておらず短期決戦で戦争を終わらせるのが最も賢明なジオンが、首尾一貫して戦争継続に傾いている。ここで戦争を終わらせようとしているのは、ジオンの長であるデギン公王だけという寂しい状態だ。デギン公は決して平和主義者などではなく、国の長として自分の国の実力を知っているから戦争を終わらせたいと考えていることも、前話の行間から見えてくるのが面白い。なのにギレンはもちろん、デギンの前では「戦争を終わらせる」と言っていたキシリアが戦いを続ける気が満々、ドズルは戦争が終わるなんてこれっぽっちも考えていないし、ガルマも戦う気満々という感じで、ザビ家はデギン公以外「戦争継続」で一致している。ザビ家の外に出ても少なくともシャアは戦争が終わるなどとは考えていないし、サイド3のジオン国民だって行け行けゴーゴーだ。ホントにジオンで戦争終結を訴えているのはデギン公だけ、これでは溜まったもんじゃない。
 さらに「黒い三連星」が捕虜として連れ帰ってきたレビルの扱いを見ていると、ジオン側があまり歓迎していないのがよく見えてくる。敵司令官を捕虜にしてしまったら戦争が続けられないじゃないか!というのが本音なのだろう。ただしデギン公だけは、敵司令官と腹を割って話をすることができたので喜んでいたと思うが…正直言ってこの捕虜が邪魔なのは、本話の各シーンから読み取ることができよう。ギレンやキシリアは「黒い三連星」に対して、「余計なことをしやがって」と思っているに違いない。ただしこの状況ではレビルが死んでいてもダメだ、あくまでも敵司令官として生き帰ってもらわないと、戦争が続かないのだ。
 だから「やっぱり…」という形で描かれたのがレビルの解放だろう。平和的に解放すれば戦争が続かないので、ジオンの工作員が連邦兵になりすましてレビルを独房から出し「救出した」ということにされた。恐らくデギン公とレビルの会話からデギン公はレビルを開放するつもりでいたが、戦争継続を望まないデギン公がこのような回りくどい形で解放しても意味はない。これはギレンかキシリアのどちらかが仕組んだのは確かだ。もちろんギレンが黒幕の場合は、キシリア機関に依頼したという形だが…もちろんキシリアがギレンから「レビルを逃がせ」と依頼されれば、キシリアは喜んで引き受けたはずだ。レビルが敵司令官として連邦に復帰すれば、戦争継続の可能性が高まるからだ。
 しかしレビルが「救出」されるシーンも緊張感があって面白かった。レビルが「移送先は?」と聞くと返事はなく、看守が倒されているのを見て「救出される」ことを知ったのは確かだろう。そして連邦の制服を着用している工作員に「君たちの所属は?」と問うても返事がなかったことで、「これはジオンが仕組んでいる」と判断したことだろう。レビルの側から見ても、この「救出」はデギン公が仕組んだとは考えていないだろう。平和的に解放されるのならともかく、隠れてコソコソと解放するのならデギン公に反している誰かによって「逃がされる」ことに考えが行き着くのは難しい話ではない。
 そして名場面欄シーンを挟むと、いよいよシャアの座乗艦である「ファルメル」が登場する。その試運転シーンのカッコいいこと…なんかムサイのプラモが欲しくなってきたぞ、ムサイってガンダムシリーズに出てくる戦艦の中では一番カッコイイと思うからね。
研究 ・シャアの任務について
 名場面欄に書いたとおり、ルウム戦役で多大な活躍をしたシャアにドズルが直々に特務を命ずる。それは連邦軍の新型モビルスーツ開発が行われている場所を見つけ出し、この計画を破壊するというもの。この特務のために特別仕様の戦艦が用意され、単独行動も許されるという優遇ぶりだ。この任務について少し考えてみたい。
 この任務にはある問題がある。それはシャアがいくらドズルの信頼を得ているとは言え、シャアだけが他から見て「遊んでいる」と思われるようではダメだということだ。ルウム戦役で大戦果を挙げたからといって特別仕様の戦艦が与えられただけでも、他の士官から見れば納得できない話だ。もちろんシャアが命じられた特務を皆が知っていれば話は別だが、この特務は極秘任務で他の士官は知らないと考えるのが筋だろう。だからドズルが有能な指揮官であるならば、シャアには他の戦艦と同様に任務に就かせ、その任務先の範囲でV作戦探索をするような働かせ方をするだろう。
 例えばシャアには訓練などの名目で多くの航海をさせたり、ルウムなどの戦場での掃討戦に頻繁に行かせるなど、「表向きの任務」をさせていたはずだ。確か旧作でシャアが「連邦の新型戦艦」を見つけたのは、「ゲリラ戦の帰り」だったと記憶している。恐らくはジオンがルウム戦役で勝ったとは言え、宇宙にはルナツーやサイド7などジオンの目が届きにくい場所が残っている。そこは連邦の支配圏になっていて、ジオンはこちら方面でたびたび遊撃戦を展開していたというのはあり得る話だ。シャアは「表向きの任務」としてこのような遊撃戦に参加し、一定の戦果を挙げたところで「連邦の新型戦艦」を発見したとなれば、「この戦艦がV作戦に関係している」と判断して「本来の任務」としてそこから単艦行動を取ったと考えることはできる。例えばそこまで艦隊行動をしていた場合、他艦には「艦に不具合が発生したので遅れて帰還する」などと言い訳をして艦隊から離れ、こっそりとこの特務に就いたという話を想像すれば面白いではないか。
 そしてドズルがシャアにこんな命令を出すこと自体、ドズルが「戦争が終わる」なんて考えていない証拠だろう。もちろん戦争が終わるにしても、敵国の兵器開発は監視する必要はある。だがその場合は「叩きつぶす」のはNGだ。戦争が終わると言うことは休戦協定が結ばれるのだから、攻撃が禁じられると言うことだ。ドズルがV作戦を見つけたら「叩きつぶせ」というのは「その時も戦争が続いている」という判断があるからだ。
 敵の新兵器開発の監視と破壊…この命令がドズルから出てくるのは、やはりドズルが「戦い」と一番よく分かっているからだろう。ドズルより上、つまりギレンやキシリアは「戦い」とは違う意味での戦争に明け暮れ、敵から新たな兵器が出てくることによってどうなるかなんてこれっぽっちも考えていない。だからこそ旧作では連邦に「ガンダム」が現れて以降のジオンの兵器開発が、全部後手に回ってしまうという展開にはとても説得力がある。現場を見ない指揮官とその取り巻き…つまりデギン公とギレンとキシリアが、この戦いを最終的に「負け」に導くわけだ。

第13話 「一年戦争」
名台詞 「ああ、破局がまだ十分でない。人はまだ、行き着くところまで行っていないんだろう。なんだかんだと言っても、みんな戦争がしたいんだ。」
(シュウ・ヤシマ)
名台詞度
★★★★★
 ヤシマカンパニーのトップであるシュウ・ヤシマは、娘のミライを連れてサイド7を訪れた。その目的はサイド7で密かに行われている連邦軍の「V計画」の視察であろうことは、画面を見ていると想像に難くない。自家用機でサイド7に着いた二人は、自動車で開発エリアを目指す。その車中、ミライが水遊びをしている子供たち(カツ・レツ・キッカ)を眺めて「のどかね、ここ」と呟く。「このままのどかであってくれればいいのだがねぇ」と返す父、背景に流れるレビルの演説…続けてミライが「戦争はまだ続くのかしら?」と父に問い、その返答がこの台詞である。
 この台詞を聞いたとき、正直言って寒気が来た。その理由は二つあって、ひとつは人間の闘争本能を上手く語っている点。戦い始めてしまったらどちらかが足腰が立たなくなるまで戦う、または自分が勝つまで戦うというのは元々人間が動物として持っている本能だ。この物語で行われてきた「戦争」はそのどちらにも達していない。連邦もジオンも明確に勝ったわけでもないし負けたわけでもない。ジオンは連邦を「足腰が立たなくなるまで叩きのめした訳ではない」し、連邦も負けたとは言えまだ戦う力が残っていて「勝たねばならない」という状況だ。もちろん戦争はない方が良いに決まっているが、これは戦っていない「巻き込まれた者たちの声」であって、「戦っている者たちの声」は違うところにあるのだ…そして、そんな闘争本能は自分のどこかにあることにも気付かされる。
 もう一点は、この台詞がこの物語の終着点であること。戦争の結果が中途半端という本作の決着と、なぜこれからも戦いが続いて旧作「機動戦士ガンダム」に繋がるのかということを上手く語っている。この台詞にあるように「行き着くところまで行っていない」からこそ続きの物語が必要で、そこは旧作で語られているという本作の特徴的な部分も見事に言いまとめている。本話では結局はデギン以外のジオンの軍人たち、連邦の軍人たち、これらがみんな揃って戦争継続へと動いているが、それらのシーンが全てこの台詞に収束するようにできていると感じただけでなく、結局は本作で第一話から描かれている様々な抗争もこの台詞に行き着くのだと感じた。
 個人的には、シュウ・ヤシマがこの台詞を吐いたところで本作は完結したと考えている。残りは旧作「機動戦士ガンダム」への橋渡しとなるエピローグだ。物語を上手く締めた台詞としてもこの台詞はとても印象に残ったし、本作の結果を象徴する名台詞と言えよう。
名場面 シャアvsレビル 名場面度
★★★★
 本話の冒頭で、自分の乗艦となった「ファルメル」のテスト運行をしていたシャアは、ジオン領海を航行する連邦軍戦艦を見つける。停船命令と警告射撃でその連邦艦の足を止めると、シャアは単身でこの連邦艦のブリッジへ乗り込む。ブリッジに並ぶ艦の士官たちを前に「今は戦争状態であることはご存じのはず、本来なら警告なしで撃沈するところだ、ジオンの内庭というようなところに何故入り込んだ? どうやって、何のために?」と語る。そのシャアを士官の一人が銃撃しようとするが、シャアはこれにいち早く気付いて銃を抜き、その士官の手を撃ち抜く。その上で「質問に答えろ、さもなくば艦も乗員も傷つく」と力を込めて語る。ここで艦橋の扉が開き、一人の負傷した司令官が現れる。その姿を見てシャアは驚き、直立不動の姿勢と深い敬礼をして「失礼ながらお尋ねします。あなたはレビル大将閣下でいらっしゃいますか?」と問う。その司令官は「いかにも、わしはレビルだが…そうと知ったらどうする? 任務に忠実なジオン軍士官よ」と返答、船橋の士官たちはこの男の正体がバレたことでガックリと肩を落とす。だがシャアは「閣下のご乗艦とは知りませんでした」と丁寧に返答をする…驚く艦橋士官たち、シャアは「航行を妨げたご無礼をお許しください。以後、どうぞご無事で…」とだけ語ると、この艦の艦橋から出て「ファルメル」に戻ってしまう。「少佐殿、領域侵犯の艦をみすみす見逃して良いのでありますか?」と叫ぶように問うドレン、これに対しシャアは「いいんだドレン、あの艦は私には過ぎた宝船だった。危うく最高の政治ショーを台無しにするところだったよ」と返答する。
 前話のラストは、レビルを「救出」した連邦艦を「ファルメル」が発見したところで終わっている。もちろん視聴者はシャアがこの連邦艦が何故そこにいるか解っていないことを知っている上で、その連邦艦の任務も知っている。この「出会い」がどうなるか一週間待たされたところだ。もちろんシャアがその連邦艦の目的に気付かず、これを拿捕したり撃沈したりしたらギレンやキシリアの思惑が外れるばかりではなく、もう最終回だというのに物語が進まなくなってしまう…ここで何が起きるのか、その答えとして重要なシーンだ。
 そしてこれはシャアとレビルが直接対話するという展開で描かれる。だがこの対話なんかどうでも良い、シャアはこの「ジオン領海にいた連邦艦」にレビルがいたというそれだけでこの艦の目的と、これから何が起きるのかということを理解するのだ。もちろんシャアもレビルがジオンに拿捕され収容所にいたことは知っていたはずだ、その収容所にいるはずのレビルが「ジオン領海にいる連邦艦」に乗っている事実を見て一瞬は混乱するものの、すぐ答えを導き出す…「戦争継続のため、ジオンと連邦が裏で通じてレビルを逃がした」という「正解」を。
 このシャアが真実に思い至ったことで、視聴者もシャアの思惑が「戦争継続」であることを思い知るわけである。もしシャアが戦争終結を望むなら、ここでレビルをもう一度捕まえるとかこの艦を撃沈するとかで良い。だがレビルをここで見逃せばその思惑は叶うのである。シャアにとって「戦争継続」は、復讐のためにザビ家に近付くのにどうしても必要だからだ。そこへ至る緊張感がとても気に入ったシーンだ。
感想  いよいよ最終回、前話までに「本作で描かれるべき戦争」し全部描ききったはずなので、今回はエピローグ的な1話で終わることは想像していたが、どのようにオチをつけて旧作「機動戦士ガンダム」に橋渡しするのかはとても楽しみな一話だった。
 そしてその過程は、名台詞欄に示した台詞にみんなまとまって収束したと言って良いだろう。連邦・ジオン双方とも偉い人たちは戦争継続にあらゆる手を尽くし、デギン一人がその蚊帳の外に置かれていたという、まさにデギン一人がハズレくじを引かされるような展開だ。戦争を外交として捉えれば、デギンの言うようにここで戦争をやめるのが賢いのだ。戦局が優位になったところで有利な条約を結んで振り上げた拳を下ろす…だが戦っている当人たちにとってそうでないのは、名台詞欄に書いたとおりだ。自分も戦える、相手もまだ戦える、だから戦う…戦っている当人たちが持つこの構図を上手く描き出して、「戦いはまだ続く」ということを示してきた。
 そして名台詞欄以降は、エピローグとして旧作「機動戦士ガンダム」への橋渡し展開となる。サイド7のシーンではホワイトベースで活躍する登場人物たちが一人一人登場し、またサイド5にいたはずのセイラがサイド7に向かっているシーンも描かれる。エンディングでは「ホワイトベース」も登場、そこではブライトも登場する。「ホワイトベース」のサイド7への航行と、それを見つけたシャアの姿を描き、物語が旧作「機動戦士ガンダム」へ繋がるよう上手く作ってある…う〜ん、なんか「こんにちはアン」の「赤毛のアン」に繋がるラストシーンを思い出したぞ。先に作ってある物語の前史として作られ、その先に作ってある物語に上手く繋げるのは色々と難しかったであろう。
 しかしサイド5「ルウム」って、「ルウム戦役」で壊滅したわけではなかったのね。セイラがサイド7へ行くことになるシーンでは、医療機関が健在でコロニーの港も復興していたことになる。そうでないとセイラがサイド7にこれないから、旧作に話が繋がらない。でもサイド7って、とんでもない田舎みたいに言われていたなぁ。
 そのセイラ、完全に劇場版クレヨンしんちゃん「爆盛!カンフーボーイズ」の蘭ちゃんと声も演じ方も同じで、笑わなくて良いところで笑えてしまって仕方なかった。クレヨンしんちゃんファンが見たら、あのセイラはぷにぷに言いながら「ケツだけ星人」をやり出しそうで怖かったよ。まあ「中の人」が同じだから仕方ないか。「中の人」繋がりと言えば、ミライを演じる藤村歩さんの出演作をみたのはこれで3作目だけど、全部イメージが違うんで驚いている。そりゃミーナ・パタゴスとケリ子とミライさんじゃ、同じにはならないよな…でも旧作のミライさんだって、パタリロだったんだ。マ・クベがぶりぶりざえもんと同じにならなくてよかった…。
 この新キャストと、本作に準じた新しい画による「機動戦士ガンダム」を見てみたい!と力説したところで、本作の考察を終了したい。
研究 ・ 

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