「牧場の少女カトリ」完結版ついて

編集内容
 ・総集編形態…ダイジェスト再現形(全編)
 ・再現範囲…1話〜49話(全話)・前半1〜24話(24話)・後半25話〜49話(25話)
 ・オープニング「Love with You〜愛のプレゼント〜」(本編と同じ) エンディング「風の子守歌」(本編と同じ)
 ・ナレーション 藤田淑子(本編外の概要説明等) 武藤礼子(本編中・本編のナレーションを流用)

「完結編」製作に当たっての設定変更点
 ・マルティ、アッキ、エミリアが不在。
 ・母との別れシーンは「母がカトリの元に帰ってすぐに再び旅立つ」という設定のみ消去。
 ・ウコンネミ家の母牛が熊に襲われ失われた設定がなくなり、カトリがライッコラ屋敷に働きに出た理由は語られず。
 ・ウッラの精神病設定は生きているが、それが治ったことは明確にされず。
 ・二年目の春にカトリが熊に襲われた設定が消去され、カトリはライッコラ屋敷を契約切れで解雇になった設定となる。
 ・カトリがクウセラ屋敷に働きに出る際、祖父の発作を繰り返す等の「働きに出る理由」の設定が消されている。
 ・ソフィア初登場時にニーラネン先生が逝去により代わりにインターンの娘が来た設定が消える。
 ・リラク邸では、ロッタやエリアスが出張で長期不在だった設定が消える。

内容の詳細
1話 前半開始 カトリと母との別れシーン 母牛売却についての会話シーンを採用
2話 (カット)
3話
4話
5話 カトリがペッカの馬車に拾われるシーンを採用
6話 (カット)
7話 カトリがライッコラ屋敷の牛を連れ放牧場へ出かけるシーン テームによる「北の牧草地」についての説明するシーン ウッラがカトリに使いを頼むシーンを採用
8話 カトリがウッラの使いから戻る途中にペッカに会うシーン以降ほぼ全面採用
9話 (カット)
10話
11話
12話
13話
14話
15話
16話
17話 ハンナ初登場シーンを採用
18話 カトリが自分の誕生日に気付くシーン ペンティラ屋敷火災シーンを採用
19話 ペッカとペンティラ屋敷の牛6頭がライッコラ屋敷に引き取られたことを示唆するシーン テームがペンティラ屋敷の6頭の牛を買い取りを検討しているをカトリに告げるシーンを採用
20話 ほぼ全面採用
21話 ハンナによるアベル毒殺未遂シーン以降ほぼ全面採用
22話 カトリとペッカの別れを採用 ライッコラ屋敷の冬シーンを採用
23話 (カット)
24話 テームがカトリを家畜番から外す事を宣告するシーン カトリがライッコラ屋敷から出て行くシーンを採用 前半終了
25話 後半開始 カトリが母を思い働く決意をするシーンを採用
26話 祖父母がカトリの次の働き先であるクウセラ屋敷について語り合うシーンを採用
27話 ペッカとビリヤミがクラウスと遊ぶアベルを見つけるシーン カトリとヘンリッカが語り合うシーン カトリがロッタの食卓を片付けるシーンを採用
28話 カトリが自室を掃除しているところにロッタが来たシーン 放牧場でカトリがクラウスの世話をするシーン クラウスの病が発覚するシーン カトリとペッカが医者を呼びに行くシーンを採用
29話 クラウスの診察シーン クウセラ屋敷のソフィアを囲んでの茶のシーンを採用
30話 (カット)
31話 馬車上でカトリとロッタが語り合うシーンを採用
32話 (カット)
33話 クウセラ屋敷の秋の収穫シーン ビリヤミとアリーナの結婚式に軍からの手紙が届くシーンを採用
34話 ヘルシンキの病院に到着して以降を全面採用
35話 (カット)
36話 ペッカがロッタの決意をカトリから聞くシーン以降を全面採用
37話 (カット)
38話
39話
40話
41話 カトリがリラク邸に到着しイーネスと初対面するシーン ロッタが「カトリを娘のように思っている」と語るシーンを採用
42話 (カット)
43話 ソフィアが自動車に乗って再登場するシーン ソフィアとのドライブを再現
44話 (カット)
45話
46話 カトリが誤って花瓶を割るシーン エリアスがカトリに割った花瓶について「落ち度がない」と語るシーンを採用
47話 カトリとサロモンが語り合うシーン イーネスが倒れて以降をほぼ全面採用
48話 ロッタがカトリに入学手続きを取る旨を語るシーン ロッタによるイーネスの見舞いシーンを採用
49話 トゥールクの春到来シーン以降はほぼ全面採用

考察・感想
 「牧場の少女カトリ」は「南の虹のルーシー」などと並ぶ、「世界名作劇場」シリーズの中で原作がマイナーな作品だ。よって本完結編はシリーズ他作品から入ってくる人が多いと考えられ、作品の空気を上手く伝えて全編視聴に興味を持たれる作品作りが要求されると思う。
 そして出てきた完結編は、。

・前半…まさかのマルティ消去

 前半の始まりは第1話だが、その冒頭からスタートするのでなく途中から始めることで「これまでカトリは母と生活していました」という設定に塗り替えてしまったところから始まる。カトリと母の感動的な別れをキチンと再現すると、物語は第1話の展開をなぞるように母牛の売却へと話が進む。
 だが牛売却の話が終わると、何の説明もなくカトリがライッコラ屋敷へ向かっていてその道中でペッカに会うシーンまで一気にワープする。これによって視聴経験者は「マルティはどうした?」と思ったあと、この完結編ではマルティの存在自体が消されたという事実に気付くことだろう。それに驚いているうちにカトリの家畜番としての暮らしが始まり、物語はウッラがカトリにお使いを無理に頼んで、牛が崖から落ちそうになるという事故が発生するところへ飛ぶ。そしてこの事故関連のシーンが演じられたと思うと、一気に10話分近く話が飛ぶので、視聴経験者はマルティだけでなくアッキまで消去された事に気付くだろう。
 次に話が飛んできた先はハンナの初登場だ。ここでカトリとペッカの別れと、ハンナによる盗賊騒動の展開が同時進行で描かれるのは10話代後半の展開の空気そのままだ。
 この二つの展開がうまくまとまり、ペッカがいなくなったことで本編同様に物語に喪失感が流れてそのまま前半終了かと思ったら、まだ少し時間が余っていた。この余った時間でライッコラ屋敷の冬と、カトリがライッコラ屋敷を解雇となる展開が手短に描かれる。手短になったために牛と熊の決闘という、中盤最大の見どころシーンはあっさりと切り捨てられ、カトリは単に「契約切れ」という理由でライッコラ屋敷を去ることになる。これでウッラが「あなたに娘にしって欲しかった」って泣いてもなー、完結編で始めてこの物語を見た人は「?」と思うだけだろう。こうして前半が幕を閉じる。
 前半はマルティやアッキと言う本作を印象付ける主要キャラを消去するという大胆な編集をしてきた。これによって序盤の「カトリがライッコラ屋敷に働きに出るまでの物語」や、10話代前半のライッコラ屋敷でのカトリとペッカとマルティの物語が描けなくなったのは痛いだろう。正直言って後者の方は「牧場の少女カトリ」の前半の屋台骨である物語だ。だがその上でライッコラ屋敷にカトリが雇われるまでの物語を飛ばし、ライッコラ屋敷でのエピソードを再現することに注力して本編の空気を再現することに成功している。
 こうしてマルティとアッキを中途半端に出すようなことすらせず、この二人が出てくるシーンを徹底消去したために物語は「カトリとペッカの物語」として本作とは違う道を歩むとができるようになり、物語を単純化して45分で本作前半を語ることに無理がなくなった。カトリの解雇理由とそれに対するウッラの反応に矛盾が生じたとは言え、それ以外は不自然さのない総集編に仕上がったのは確かだ。

・後半…ソフィアの暴走もキチンと再現
 前半が終わった箇所が「カトリのライッコラ屋敷解雇」の時点だったことを考えれば、後半ではクウセラ屋敷以降の物語が総集されることは視聴経験者なら誰でも解るだろう。だが本完結編では前半の時点で「クウセラ屋敷」の存在やさこにペッカがいる事は明確にされていないので、完結編で初見の視聴者には展開が読めないので本編初視聴以上に物語に対し期待と不安を持てるかも知れない。
 後半はカトリが空を見て今後のことを独り言として語るシーンからだ。続いて祖父母がクウセラ屋敷のことやカトリの今後のことについて語り合ったかと思えば、もうカトリがクウセラ屋敷に落ち着いた後でペッカが「アベルが来ている」という理由でカトリ到着を知るシーンとなる。続いてカトリの屋敷での働きぶりなどをキチンと描いてから、クラウスが高熱を出すという「事件」へと持って行く。ここで視聴経験者ゎ「ソフィアはカットされないのね」と思うところだろう。その通りにカトリとペッカがニーラネン先生を呼びに行くが、ここでは「ニーラネン先生は死んだ」ことが分かる台詞だけがきれいにカットされて、最初から「その予定でした」みたいな感じでソフィアがクウセラ屋敷への往診に応じる。だがここでカトリが「医師や看護婦になる」という夢を打ち砕かれることはないし、よく考えたらエミリアが出てきていないのでそういう設定自体がなくなっているのでそれで良いだろう。
 ソフィアの登場が描かれれば、もうクウセラの旦那の戦死が描かれるしかない。だがこれは非常にあっさり描かれ、病院が氏の戦死が分かるシーンが再現されたと思ったらもうペッカがカトリから「奥様の決意」を聞くシーンへと飛ぶ。かと思ったらこの感にカトリが一時帰郷するシーンは完全消去され、もうカトリはリラク邸でイーネスと向かい合っている。
 トゥールクのリラク邸での物語はロッタが長期不在になる設定だけが消され、その上でロッタ不在中に起きる花瓶の事件を中心に描かれるからややこしい。だがここの編集が凄く上手くて、視聴経験がない人もこれらのシーンにロッタが出てこないことに不自然さを感じる人はいないだろう。エリアスの帰宅シーンも「長期出張から帰りました」という感じでなく、単に仕事から帰ってきたように描かれている。またその合間を縫ってソフィアの暴走がキチンと描かれたことで、本作トゥールク編の「空気」を伝えることに成功している。
 そしてカトリの就学については、本編では主展開だったがこの完結編では「ついで」に描いただけにしてしまい、最後は母との再会と帰郷を完全再現して後半終了。
 後半では前半を受けてマルティやアッキの存在を消して彼らが関わるシーンを全部消去した上で、今度は「カトリの物語」だけに注力して追っている。カトリの足取りは余すところなく再現されているが、他のキャラの物語は殆ど再現されていない。なんてったって本編後半のサブ主人公であるロッタについても省略されている展開が多い。
 もちろん、マルティやアッキの不在は本編後半を45分で語るのに無理のない物にしている。ハンナ一味との対決やヘレナとの対決がカットされたのは痛いが、マルティを出すと話が長くなるので仕方が無いだろう。

・まとめ
 本完結編では主要キャラを思い切って消去するという大胆な編集により、本編の展開と物語が持つ「空気」を90分一本勝負で完全再現することに成功した。そして前半は「カトリとペッカの物語」を追いつつライッコラ屋敷でのマルティ不在のエピソードを余裕を持って再現することが出来、後半ではカトリの足取りを忠実に追うことで、前後半とも物語の雰囲気を完全再現することに成功している。この完結編を見たとき、「こんにちわアン」の完結編がこういう大胆な編集が出来ていればなーと思ったのは確かだ。
 だが完結編がうまく本編を再現できていれば出来ているからこその問題があるのは、「南の虹のルーシー」完結編での考察で語った通りだ。「牧場の少女カトリ」を見たことのない人がこの完結編を見て満足してしまう可能性が高いことだ。やはりほんの僅かな語り漏らしや、余計なシーンの挿入が一つでもあればこの作品に惹かれる人は出てくると思うのだ。だが本作ではそれを作るのも難しい、マルティやアッキが完全消去されている以上、採用できるシーンも少ないのだ。なんてったって、マルティやアッキが消去されたことで使えるシーンの殆どを再現してしまっているからだ。
 だからこそ、制約の多い中でここまでまとめたことに対して評価しなければならないと考えている。

・おまけ
 本編ではカトリの目的は「母に会う」事だけでなく、「勉学への道を歩む」事も大きかった。だが勉学の道を目指したことについても完全に消去され、終盤でカトリの入学手続きがあることや受験があることだけが語られるだけだ。
 またマルティが消去されたことで、マルティとペッカのカトリの奪い合いのような展開がなくなったことだけが、この総集編の痛いところと言えるだろう。やはり「牧場の少女カトリ」は可愛い主人公の周囲に男共が群がる構図も、ひとつの見どころだと思うのだ。

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