第1話 「赤毛のアン」 |
名台詞 |
「世の中ってあべこべなのね。孤児の私はお父さんとお母さんに会いたくてたまらないのに、お父さんとお母さんがいるエリーザは家を出て行きたいなんて…。」
(アン) |
名台詞度
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夜、アンがこの家で唯一信頼できる相手である長女のエリーザとアンが語り合う。その際にエリーザは家の酷さを口にし、家にいると息が詰まるとした上で「早く結婚してこの家を出て行きたい」とアンに訴える。そのアンが驚いてこの台詞を吐くのだ。
この台詞は家で親と一緒に生活が出来ているエリーザと、親を失い里親がいるとはいえ一人で生きていかねばならないアンの「親への思い」の対比がキチンとされている。この台詞の裏には離れてみて初めてわかる「親」という存在のありがたみや大切さが潜んでいるのだ。ところが親のどちらか一方がだらしない親だと、子供というのはしっかりしている方の親も含めてだらしないと感じてしまう構図も、この台詞を通じて上手に描かれているように感じることができるのだ。
またアンがいかに愛情に飢えているかを知ることも、この台詞を含めたシーンから感じ取ることが出来るだろう。この部分が物語展開上重要な要素になってくると見ているのだが。
この台詞の「世の中は思うとおりにならない」という点は、今回1話だけかこの先ずっとか分からないけど、この物語のテーマになってそうだ。 |
名場面 |
アンVSミントン。 |
名場面度
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ミントンの大事なカメオが壊れた責任を押しつけられ、ミントンも歳端の行かない子供が泣けば許してくれるだろうと判断したバートによってアンはミントンの元へ謝罪に行かされる。その道中で馬車が脱輪、バートが脱輪を直すための道具を探している間にアンは馬車に一人取り残される。そこでアンは一人でミントンに謝罪する練習をするのだが、どうしても上手く泣けない。そんなところを偶然にもミントンが通りかかるのだ。
アンに声を掛けるミントンだが、アンはまさか今自分の目の前にいるのがミントン本人だとは知らずに話し出す。ミントンのカメオを壊してしまったこと、バートが子供が謝れば許してくれるに違いないと判断したこと、嘘をつくと洗い立ての服にシミをつけたみたいな嫌な気分になることを訴える。そして 自分だったらそんな大事な物を壊されたら子供が泣いた位では許さないと宣言した上で、このカメオはミントンが若いときに恋人からもらった物に違いないという妄想を語り始める。いや〜、「アン」はこのノリじゃなきゃ。
さらに自分が赤毛だとからかわれることが憂鬱だということを語り、その上でもし猫がいたら友達になれそうだと力説が止まらないアン。ここまで力説したところでやっとアンは相手が誰なのか気にし始める。遅いよ。
ミントンは自分はミントンの友達だと騙り、そのカメオはたいした値打ちがなく、ミントンが嫌いな相手から押しつけられた物だからミントンも壊れれば喜ぶはずだと、どこまで本当か分からない話をし始める。「なんだかびっくり」と返すアン、「カメオは私からミントンに渡す」とミントンを引き取るミントン。「ありがとうおばさん!」と抱きついてキスするアン、驚くミントン。そして「思い通り行かないことは思ってもなかったことが起きて嬉しい」と言いながら去るアンに、思わず手を振るミントン。
なんか「世界名作劇場」における歴代主人公と「おばさん」の対決を絵に描いたようなパターンだったが、突然明るい言葉を掛けられたミントンの困惑や変化が上手く描かれていて好きなシーンだ。これを見ているだけでミントンがどれだけ気むずかしく、普段は人を寄せ付けない性格であるかということがよく分かる。そんな難物に何も知らずに体当たりしてゆくアン…やっぱ「世界名作劇場」はこうでなくちゃ。いやいや、「ポルフィの長い旅」もこんなシーンは無かったけど好きですよ。 |
感想 |
メーテルキターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!! ←マジで叫んだ。
番組予告も番組CMも山田栄子さんがナレーターやっていたから、てっきり本編のナレーターも山田栄子さんだと思っていたのに、まさかメーテルとは。「予想をいい意味で裏切る」ということを今回の劇中でアンが体験するが、視聴者の私も同じ体験をしちゃったじゃないか。いや、一般的な「世界名作劇場」ファンならば山田栄子さんが出てきた方が嬉しいかも知れないが、やはり松本零士に育てられた私としては、ここでいきなりメーテルの声を聞けたことはその何倍も嬉しかったよ。「ポリアンナ物語」の再視聴ではカリウ役がメーテルだったのをハッキリ覚えていたので、「出るぞ出るぞ」と分かっていて出てきたが、今回は予告なしだったので本当に驚いた。
で、メーテルの声に気付いたのはナレーションでアンを紹介したときだ。サブタイトル読み上げの時は気付かなかったなぁ。
アンの性格はかつての「赤毛のアン」のアンに繋がるように上手に描かれていると思う。
しかし第一話のノリとしては「小公女セーラ」+「ポリアンナ物語」/2ってところだろう。いきなり恩を押し売りされて働かされている点はまさにミンチンとセーラの関係そのものだし、名場面欄に記したアンとミントンのやり取りなんか、いろいろな「おばさん」に体当たりしていったポリアンナの姿まんまである。こんな感じでかつての「世界名作劇場」のノリで新しい物語が幕を開いたってところだろう。
しかし今回のオープニングテーマはなかなか良かったと思うぞ。エンディングはなんか「となりのトトロ」みたいで…あ、歌っている人も同じだ。「世界名作劇場」シリーズで私が当人のステージをを生で見たことある歌手が歌うのは、さだまさしに次いで2例目だ。 |
研究 |
さて、毎回恒例(?)の「キャラクター落下シーン」の考察である。まさかダニーやチルトンが落ちたシーンについて、このサイトの考察結果をもとに某巨大掲示板で話題になるなんて思ってもなかったので、今回も例に漏れずにやっておこう。
物語冒頭、木に登ったアンのおでこに毛虫が落ちてきて、それに驚いたアンが木から落下するシーンがある。まさか制作者側はこのサイトを見たんじゃないだろうなぁ?と言いたくなるような結果が出てきた。ダニーやチルトンは落下が始まってから悲鳴を上げている、つまり悲鳴を上げている間は自由落下していると考えるしかなく、その分どうしても落下距離は伸びてしまうのだ。ところが今回のアン落下では、アンは落下前のバランスを崩したことによって悲鳴を上げており、落下中は無言で落ちてる。
アンの落下時間を画面から割り出した、落下が始まってからシーンがシーンが変わる瞬間までの時間が落下時間だろう。この間はぴったり1秒、おおっ、もうこれだけでダニーやチルトン、それにルーシーやポリアンナを加えた4人とは違い現実的な高さから落ちたと想像できるぞ。
アンの体重を平成15年度の6歳女児と同じ21.2kgとしよう、空気抵抗係数はダニーやチルトンと同じく0.24とする。それで得られた計算結果によると、アンが落ちた木の枝の高さは約4.8メートル、落下時の速度は34.0km/h。この結果を基にもう一回該当シーンを見てみると、木の枝の高さはアンの身長の4倍程度の高さであることが分かるだろう。アンの身長を平成15年度6歳女児と同じ115.8センチメートルとすれば、4メートルと63センチメートル。おおっ、画面描写はほぽ正確だ。それに落下速度も飛ばしている自転車程度だから、スカートの中の脚にも擦り傷が出来たと考えれば合致する。
このように落下というのは本当にあっという間の出来事なのだ。ダニーやチルトン、それにルーシーの時のような長さがおかしいのだ。やはりコンピュータグラフィックでアニメを描くようになった副産物なんだろうな、この正確さは。 |