第17話「私たちの舞台」 |
名台詞 |
「私を裏切り者だなんて呼ばせないわ!」
(ミルドレッド) |
名台詞度
? |
ミルドレッドの父である市長の命により芝居は中止、ヘンダーソンは謹慎処分となってしまうが、教え子達の熱は冷めていなかった。自分達の力で自分達の本を得る…これを教えてくれた先生は間違っていないと立ち上がり、街の人々が集まる市長主催の集会に乗り込んで芝居を決行しようと決める。ところが現場まで行くと流石に怖くなってアンも含めた子供達の足は止まってしまう、主役のランドルフが何とか皆を鼓舞しようとするが皆の迷いは吹っ切れない。そこへこの「熱」の中に一人飛び込めずにいたミルドレッドが駆けてくる、ミルドレッドはたった一言こう言い放って集会場のステージに飛び込むのだ。
この台詞に今回のミルドレッドの思いが全て込められている。市長とその夫人…つまりミルドレッドの両親の圧力によって中止させられた芝居と、やめさせられそうな先生。その上、生徒の一部はその引き金を引いたのがミルドレッドではないかと疑い裏切り者扱いを受けることになる。ミルドレッドは確かにアンを贔屓しているように見えるヘンダーソン先生が嫌いではあるが、その先生が他の生徒達からどれだけ人気があるかと言うことをこの件を通じて思い知り、このままでは自分が裏切り者扱いされて除け者にされるピンチに陥っていると気付いたのだ。そしてヒロイン役が取れなかったとはいえこの芝居については前向きだったはずで、気に入らなかったのは「アンにヒロイン役を持って行かれた」という点だけであった。なのに自分の不用意な一言でその芝居が中止という不本意な方向へ行ってしまい、自分がそれを「不本意」と感じている事が誰にも伝わらずにやはりその点でも裏切り者扱いされても仕方がない事で苦しんでいたのは確かだ。
その彼女は物語の裏側でどうやって自分が汚名を返上するかで悩んでいたはずだ。その過程でヘンダーソン先生に自分の不満点をぶちまけ、それで先生は決してそんな気持ちではないことを知った…ならばもう戸惑うことはない。手段はひとつ、仲間達がやろうとしていることに対して背中を押すことだけが自分の汚名を晴らす唯一のチャンスだと考えたのだ。本当に舞台に上がっていいのかと悩む仲間達の先頭に立つことで、彼女は見事に汚名を晴らしたのだ。この「皆の背中を押して自分の汚名を晴らす」という思いの全てが、この短い台詞に込められていたのだ。 |
(次点)「なぜ黙ってるのよ? 私の味方をしなさいよ!」(ミルドレッド)
…学校の仲間達から裏切り者の誹りを受けたとき、取り巻き二人にこう怒鳴る。なんかどっかで見たような構図だなー、アメリカの石油王の一人娘の…(以下略)。 |
名場面 |
私たちの舞台。 |
名場面度
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名台詞欄のシーンを受けて、ミルドレッドは集会場の舞台に駆け上がる。そして仲間達をここに引きずり上げるべくひと演説ぶちまけるのだが、その事実がかえってランドルフはじめ子供達を震えさせてしまう。まだまだ悩んでいる仲間達に業を煮やし「さあ始まりです!」と絶叫するミルドレッドに応え、最初にアンが駆け出すと、ランドルフがこれに続き、ついには全員が舞台に駆け上がる。
大人達からの罵声を浴びるとまた縮こまってしまう子供達だが、そこへヘンダーソンとエッグマンが駆けつける。エッグマンが大袈裟に頷くと、他の生徒がやるはずだった最初の台詞をアンが語りはじめ、芝居が始まる。子供達の演技は(アンとランドルフ以外)台詞も棒読みではあったものの、その熱演は観客席にいる大人達に見事に伝わった。市長夫妻が会場に現れ、状況を知るとヘンダーソンにやめさせるように告げるがアンがすかさず「これは自分達がやったこと」だと観客席に訴える。「もっと本が欲しい」とアンが続けて訴えれば、皆がこれに続く。そしてヘンダーソンが少ない給料から自分達に本を買ってくれていたという実情が伝えられると、観客席の大人達はそれを笑う。それでも「先生は僕たちのことを一番に考えてくれていた」と訴えると、あのランドルフの父が立ち上がって「ヘンダーソン先生の言うことは間違ってない」と演説を始める。すると大人達はランドルフの父の言葉に共感し、本代を寄付してもいいだろうと口々に語り出す。そこへすかさずエッグマンが「そう思うならここへ!」と帽子を差し出すと、帽子の中に見る見るコインが貯まってゆき…最後にはこれを見た市長が帽子にお札を入れることになり、ヘンダーソンの謹慎も解かれる。子供達がヘンダーソンのところへ駆け寄り、ヘンダーソンが号泣してこのシーンは終わる。
劇中劇であるお芝居もそうだが、子供達が一致団結して大人達と戦い、それで勝利を勝ち取るいう意味でも感動的なシーンであろう。流石に大人達に真っ向から勝負を挑むと言うことに恐怖を感じるが、子供達から裏切り者の誹りを受けたミルドレッドが切り込み隊長になり、「失ってはならないもの」を取り戻した。この体験はこの物語を見たテレビの前の子供達に何も与えないわけがないと私は感じるのだ。
ここで失ってはならないもの…ひとつは「自分達を正しい方向へ導こうとしている師」としてのヘンダーソンである。子供達は大人というものが様々な利害関係のために正しい方向へ真っ直ぐに自分を引っ張っていってくれないと知っている。だがヘンダーソンはそのしがらみを全て捨てていることに子供達は気付いていた、それは先生が生活費を削ってても自分達に本を与えてくれるという行為を伴った愛情によるものだ。
そしてさらに、ここで子供達が失いたくなかったものは「自分達のものを自分達の力で手に入れる」という共通目標だ。大人達は社会にあるしがらみや利害関係でこの子供達にとって大切な事を踏みにじろうとしていたのである。子供達が自らその行為の重大さに気付き、自分達で何とかしようと立ち上がったシーンであるのだ。これでこの子供達が大きく成長するのは間違いないことだろう。
これらの論理がテレビを見ていた子供達に伝わっているか…それはこれから私の娘を見て判断するしかないなぁ。いずれにしろこのシーンは、子供達にとって大事なことを訴えているようで、多くの子供達に見てもらいたいシーンだと私は思う。 |
感想 |
いい話だった〜、最後のシーンでヘンダーソンと一緒に泣ける。劇中における子供達のパワーといったものに感動した。それだけじゃない、今回の話は市長夫人以外はみんないい奴だった。ミルドレッドも、その取り巻き二人も、ランドルフの親父も、市長も…。
今回の主役を誰と見るかで物語に対する感想も変わってくるだろうが、今回は色んな人を主役として何回か見直すと面白いかも知れない。アンを主役としてみてみるのは普通だろうから、二度目はヘンダーソンを主役にしてみてみるとか、エッグマンを主役として見てみるとか、ランドルフでもミルドレッドでも、挙げ句は市長や夫人を主役に置いて物語を鑑賞してみるのもいいだろう。今回の物語はアンも主役だが、色んな人を主役として見直すことができる面白い物語でもあるのだ。
かく言う私は、初回視聴で既にアンではなくミルドレッドを主役に置いて物語を見てみた。前回感想欄の中段部分に従ってのことであるが、これは成功のようでミルドレッドの気持ちの変化からそれに伴う行動を理解し、彼女の気持ちに立ち入って見ることが出来たのだ。この物語では上述した登場人物に、どんな些細な行動でもそのキャラクターの性格と行動理由や目的というものがちゃんと込められていて、ここまでなら当然だがそのひとつひとつが一つの結論に向かう「流れ」に沿っているのだから恐れ入る。どんな物語でも一人二人は見受けられる「行き当たりばったりで出てきたキャラ」というのが存在しないのだ。その上でアンの主役としての役割が薄められているのだから見ていて本当に面白いし、何度見ても楽しめると思う。
さて、このサイトをご覧になった皆さん。この物語を次は誰を主役に置いて見てみますか? |