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…物語はアメリカの3A「メンフィス・バッツ」で活躍した吾郎が帰国する空港から始まる。バッツのオーナー代行の日系人女性アリスから、あるサインボールを受け取ることがこの物語の始まりだ。
名台詞 「何年ぶりだ? 元気にしてるかな…あいつら。」
(吾郎)
名台詞度
★★
 映画のタイトルが出てくる前のシーン、帰国の途につく吾郎が機上で呟いたのがこの台詞。これに続き画面が吾郎の顔から座席のテーブルへと変わり、そのテーブルの上の手紙が映し出される。そこに書いてある差出人は福岡市内の住所と、「古賀 恵」という名前だ。
 この台詞とそれに続く一連のシーンで、この映画がこれまで原作漫画やテレビアニメで描かれなかった「MAJOR」にはなかった部分の物語であることが示唆される。画面に出てくる「MAJOR」では見たことのない女性の名前、原作漫画では「空白の期間」になっている時期に吾郎が住んでいた福岡の地名。それにこの吾郎の仲間達を懐かしむ台詞…そう、この物語はこれまで「MAJOR」で綴られてきた横浜の三船リトルや三船東中学の話ではなく、もちろん海堂高校や聖秀高校の物語でもない。「MAJOR」で飛ばされた吾郎の福岡時代の物語と言うことが示唆されるのだ。これは原作漫画やテレビアニメで「MAJOR」を見てきた人間にとって興味深い事実で、視聴する者を強力に物語に引き込むことになる。
 この福岡時代というのは原作漫画で全く語られていなかったわけではなく、吾郎や寿也や英毅の回想シーンで断片的に語られていたからこそ原作を知る人は強い興味を示すことだろう。吾郎が福岡のリトルリーグで一定の活躍をしていたことと、右肩を壊すという大転機を迎えているのだから。それらの予備知識がある者は襟を正して画面に見入ったに違いない。
 この映画で「MAJOR」をはじめて見た人にとっても、この突然画面に現れた凛々しい主人公にどんな過去があるのか気になるように作られてもいるだろう。こうして物語は様々な思いの視聴者の期待を前に、映画の舞台となる基本設定の作るべく劇中の時計の針を9年も巻き戻す。
名場面 三船リトルVS横浜リトル 名場面度
★★★
 名台詞シーンの後、タイトルを挟んで物語が9年前の横浜スタジアムに戻る。ここでは吾郎が小学4年生、リトルリーグ県大会の試合シーンに切り替わるのだ。試合は吾郎が率いる弱小チーム三船リトルと、全国レベルの強豪である横浜リトル。この試合は「MAJOR」で描かれた試合の中で名勝負のひとつで、リトルリーグ編最後の試合である。この映画ではこの試合を再度アニメ化し、冒頭で流すことになる。
 9対9の同点で迎えた延長7回(リトルリーグは5回まで)、ランナー無しで打順が吾郎に回ってきたところからがこの映画で再現されている。投手は横浜リトルの女の子ながら速球を放る川瀬涼子、捕手は吾郎の幼なじみ佐藤寿也。寿也は「打たせない」という強い思いで涼子をリードし、その涼子も「男の子には絶対負けない」という思いでこれに答える。吾郎は1回から全力で投げてきたせいもあって既に体力的に限界で、1球目は涼子の速球に押されて派手な空振りをする。ベンチから薫が大声で吠える、大介が吾郎は打って試合を決めると言い切る。
 続く涼子の二球目を吾郎はライト線へはじき返す、横浜のライトがこれを捕れずにボールはライト奥のフェンスまで転がる。この間に吾郎は1塁を蹴り、2塁も蹴る。敵も味方も吾郎の疲労を知っているので、特に横浜側がこれで勝ったと思ったようだ。その通りに疲労によって吾郎は前につんのめりヘルメットを落とししながら転倒する、その間にボールはライトからショートの中継を経てサードへと送球されるが…その送球が偶然にも吾郎が落としたヘルメットにぶつかる。ボールはサードをすり抜けて3塁側ファウルグラウンドへ、この瞬間敵も味方も驚きで言葉を失う。「…サヨナラ」と大介が呟くと、吾郎は立ち上がって3塁を蹴ってホームへと走る。しかし吾郎の疲労はピークに達しており、ホームに向かう途中でよろけてしまう。ベンチから「立てぇ」と声が飛ぶ、やっとサードがボールを拾ってバックホーム…吾郎は立ち上がり寿也がバックホームの球を捕る直前にホームベースに到達した。歓喜する三船ナイン、「今日の空ってこんなに青かったんだな」と呟く吾郎。
 このシーンは弱小チームの三船リトルが強豪に勝ったと言うだけではない、原作では吾郎は仲間達とこのチームを倒すために弱小チームを選んだことが描かれている。原作ではそれが叶った瞬間として描かれている。それと同時にこのシーンには野球の楽しさ、打って、走って、投げて、滑り込んでという基本と、その「筋書きのないドラマ」として何が起こるか分からない楽しさも同時に描かれている。まさにこの映画の冒頭シーンとして相応しいシーンだろう。この試合の途中経過も非常に面白いのだが、興味のある方は原作漫画などを読んで確認して頂きたい。
 そしてこのシーンはこの映画においては別の役割を持たされている、それは吾郎が福岡へ転居する前に築いてきた「過去の実績」というのを確立させることだ。このような激しい試合で強豪相手に勝ったという「過去」は、今後吾郎が新天地で野球をするために良い意味でも悪い意味でも必要になってくる。これは「MAJOR」を知っている人でもそうでない人にとっても、物語を見る上で重要な要素だ。
 この試合で吾郎は肩を故障したのだが、この映画ではその辺りが示唆されていないのがちょっと残念な点。この試合での右肩の故障はこの物語に重要な意味をなすはずなのに、この試合での故障だとは何処でも語られていない。ちょっと展開を慌てたなぁと感じさせられた。
研究 ・物語の始まり
 物語は唐突にアメリカから始まり、主人公吾郎が帰国の途につくというシーンで幕を開く。構図としてはこの帰国中の吾郎の回想というスタイルで物語は描かれるが、この成長した吾郎が出てくるのは冒頭と最後の方だけである。
 このときの吾郎は19歳、高校を卒業した吾郎は日本のプロ野球チームからも声が掛かっていたが、これを断って単身で渡米しメジャーリーガーへの道を歩むことになる。一時はメジャーリーグ「アナハイム・サーモンズ」のエキシビジョンの先発に抜擢されるが、すぐにメジャーリーグの洗礼を受けマイナーリーグ「クーガーズ」に降格。しかも乱闘騒ぎを起こし解雇され、同じマイナーの「メンフィス・バッツ」に入団してここで開花しクローザーとして成功を収め、バッツを優勝に導く。ここで1シーズンを終えて一時帰国するところが物語の始まりと言うことのようだ。
 そしてここから9年遡ったところが本編。劇中では「9年前」とテロップが出てくるが、これが西暦何年の話なのかは不明である。だが吾郎が福岡へ転居することを示唆する新幹線の走行シーンで出てきたのが700系、外装や内装の特徴からJR東海所属の編成で2001年度以降に製作された後期車であることが分かる(客用側扉窓の位置や座席に立ち客用のグリップの有無などの違いがある)。吾郎は学年が替わる春休みに転居したと考えられるので、この吾郎を擁する三船リトルが横浜リトルと試合をしたのが早くて2001年度、福岡での物語は同じく2002年度ということになる。うわぁ、描かれている新幹線車両で設定年度が限定されてしまった。つまり吾郎がバッツで活躍するのは早くても今年(2010年)ということになる。
 これまで「MAJOR」の設定年を鉄ヲタ視線で見た人なんて…いないよなぁ。ちなみに原作を鉄ヲタ視線で見ると、この三船リトルVS横浜リトルの試合は1997年度以前ということになってしまう。ま、原作と映画版は設定が違うってことで。

…冒頭シーンが終わると、物語は翌年春の福岡市へと舞台を移す。福岡へ転居した吾郎は現地のリトルリーグに入団すべくテストを受けるため、博多南リトルが練習するグラウンドを訪れる。そして同じ日に入団テストを受けるために訪れた木下誠也と出会う。
名台詞 「わかりました。仕方ないよ茂野君、二人とも不合格よりいい。お互い恨みっこ無しで勝負しよう。」
(誠也)
名台詞度
★★★
 入団テストのためグラウンドに入った吾郎と誠也に対し、監督の吉野は二人とも前チームで投手だったと言うことでまずマウンドに立って投げるように言う。だがマウンドに立った誠也は硬球になれていないのと緊張のため思うようなピッチングが出来ずに不合格、吾郎は横浜リトル戦での肩の故障が完治していないので投球禁止という事が判明しマウンドに立つまでもなく不合格とされる。吾郎がこれに抗議するが吉野は「新人ならともかく中途入団者は即戦力以外必要ない」と突っぱねる。続けて吾郎が「こんな見る目のない監督のところにいてもしょうがない」と誠也に声を掛け、「余所のリトルに入った俺等に後で目茶苦茶にやられて後悔するなよ」と啖呵を切る。これに対し吉野は振り返り、二人にテストの代わりに一対一の勝負を提案する。誠也がマウンドに立ち吾郎がバッターボックスに立つ、誠也が吾郎を打ち取れば誠也が合格、吾郎が誠也から打てば吾郎が合格という提案だ。吾郎はこの提案に顔をしかめるが、誠也はこう答えてこの提案を飲む。
 ここに誠也の本音が見えてくる、彼は勝負の途中にも叫ぶことになるのだがここで硬球を使ったリトルリーグに入らないことには自分の夢を開くことが出来ないのだ。そのために最初に乗り越えるべき壁として吾郎が立ちはだかる。軟式野球出身で硬球をはじめて投げる彼に取って、吾郎は初対面でどんな実力かも分からないが「硬球の経験者」というだけで恐るべき存在なのだ。だから彼はこのような理不尽な提案でも受け入れざるを得なかった。
 そして台詞の中にもある通り、この提案を受け入れれば少なくともどちらか一人は合格するという事実。一人しか入れないならばここでハッキリと白黒付けた方が良いと感じただろう、彼の中には吾郎と二人揃って別チームへ行っても、ポジションが重なる以上は二人揃って同じチームに入るのは不可能という計算もあったかも知れない。ならば早めに決着を付けて負けた方が他を当たった方がいいのは明白だ。
名場面 吾郎VS誠也 名場面度
★★★★
 この映画はこの博多南リトル入団テストのシーンから本編に入るのだが、その最初からいきなり男同士のアツい戦いが見られる。私が「MAJOR」をさして「アツい野球漫画」としているのは、こんな男同士の真剣勝負(リトルリーグ時代では薫や涼子といった女の子も選手として戦いに加わるが)が繰り返し描かれるだけではなく、ここに主人公が必ずしも順調に勝ち上がるわけではないという描かれ方をされるからだ。
 名場面シーンを受けて吾郎と誠也の博多南リトル入団を賭けた勝負が始まる。監督の吉野はミットを構えて捕手だけでなく、勝負における二人の様子を採点するようだ。1球目、誠也が「今度こそ」との思いを込めて投げた球を吾郎は見送りストライク、吉野はこの投球を見て誠也が勝負になって落ち着いたことと合格点に達していることを認める。この球の良さに誠也自身も「勝てる」と気合いを込め、二球目を放る。だがこの2球目を吾郎のバットが真で捉え、小学生とは思えない大飛球をレフト方向に飛ばすがギリギリのところで切れてファウル。ベンチで見ていたチームメイトもこの打球に驚く。吉野もこの打球に「外角の難しい球を…」と驚いたかと思うと、吾郎が何者かという点についての心当たりを思い出す。噂に聞いた強豪横浜リトルを倒した弱小チームの4年生エース…それがこの吾郎だとここでハッキリと気付くのだ。その直後、誠也が力を込めた3球目を吾郎はわざと空振りする。それに吉野が抗議すると、吾郎は「あんたのような不愉快な大人の下で野球をやりたくない」と返答し、誠也に声援を送ってからグラウンドを去る。
 この戦いは吾郎と誠也の戦いという構図で描かれているように見えて、実は吾郎と吉野の戦いである。その中で誠也は「勝負」という形を取らされることで、その闘争心をかき立てられて緊張感を払拭し、自分本来の投球が出来たのだから文句なしの合格で良いだろう。だが問題は吾郎の吉野に対する第一印象で、吾郎は吉野を「高圧的な大人」と感じて決して良い印象を持っていないのである。もちろん吉野も吾郎を「生意気なガキ」としていい印象を持っていない。この構図ではスポーツアニメのひとつの要素である「大人(指導者)と子供のあり方」という点を上手く描けるわけがないのだ。だからこそ吾郎と吉野が真剣勝負で対決する必要がある、吾郎はそのために「自分が持つ野球センス」という武器と共に、「吉野に対する明らかな反抗心」を見せねばならない。もちろん前者がレフト方向へのファウルとはいえ大飛球であり、後者が3球目の空振りということだ。
 もちろん吾郎の大飛球を見れば吉野も吾郎がただ者ではないとすぐ理解するだろう。打つのが難しい外角球をあそこまで飛ばしたというのもあるが、吉野は吾郎がそれを狙ってファウルにしたのも読んでいただろう。吾郎は誠也のためにホームランに出来る球を、自分の見せ場を作りつつファウルにしたのであり、野球を少年達に指導する者ならこれが狙い打ちであることくらいは読み取れるのだ。もちろん吉野はそれを「見せ場を作るため」にやったと理解しただろうが。
 そして吉野が「吾郎の過去」を暴いたところで、吉野にとって吾郎というのは喉から手が出るほど欲しい存在変わったのだ。それは相手がどんな生意気なガキであっても頭を下げて来て貰わねばならない存在…そんな名手が自分のチームの扉をわざわざ叩いてくれたという幸運に吉野が気付いたところで、この勝負は吾郎の勝ちだ。もちろん吾郎も多くの選手がこの監督について行っている事を理解しているはずなので、この勝負は吉野を潰すことではなく自分の実力を理解させれば勝ちと分かりきっていたことだろう。
 こうして物語は、博多リトルというこのチームが舞台だと言うことがハッキリしてくるのだ。
研究 ・ 
 

…一方、ソフトバンクホークスに移籍した英毅は移籍初登板試合を見事完封で飾るなど幸先の良いスタートを切る。そしてその翌朝、吉野監督が吾郎の家を訪ね吾郎に昨日の非礼を詫びた上で博多南リトルへの入団を乞う。これに吾郎も了承して博多南リトル入りが決まるのだ。
名台詞 「わかってるよ。心配いらないよ、かあさん。うまくやってるよ。こんなところで躓いていたら、あいつらに合わせる顔がないからね。」
(吾郎)
名台詞度
★★★★
 吾郎が博多南リトルに入団して最初の練習で将人と激突(名場面欄参照)、それを聞いた現在の吾郎の母である桃子は「せっかく入れてもらったんだから仲良くするよう努力しなきゃダメ」と吾郎を諭す。それに対する吾郎の返答がこの台詞である。
 ここに吾郎が横浜に残してきた「仲間への思い」というのが明確に描かれている。原作漫画でもそうだしこの直後のシーンでも再現されているが、吾郎は監督や教師以外の仲間に黙って福岡へ越してきていたのだ。この台詞は特に原作やアニメでこのあたりの物語(突然吾郎が消えたように描かれている)を見てきた人に、そのシーンの再設定をする役割があると思う。吾郎は例え遠く離れていても、三船リトルで共に戦った仲間のことを忘れたわけではないという事をハッキリと設定する。
 そしてこの台詞の直後、原作漫画やテレビアニメ版でその頃三船リトルの仲間達の状況がどうだったのか知らない人のために、加筆シーンも加えてその状況を「おさらい」として再現する。大介や薫や涼太という面々が突然吾郎がいなくなってショックを受け、彼に見捨てられたのではないかと感じてしまうのだ。これらの状況は、原作漫画の場合吾郎らが中学生になって以降の物語で回想シーンとして描かれている。
 この吾郎の仲間を大切にする台詞は、この映画でどのようなことが起きるかという伏線にもなる。今一緒に野球をやっている仲間、かつて一緒に野球をやっていた仲間、それらへの思いがこの物語のテーマにもなるのだが、そのあたりの詳細はその場面が来たところで。
(次点)「おうっ、泥舟に乗った気で」「ええっ、大舟でしょ?」「ハハッ、そうとも言うか。」吾郎誠也
…吾郎や誠也に投球法をアドバイスすると提案したあとのやり取りだが、まさか「クレヨンしんちゃん」のギャグを「MAJOR」で見られるとは思わなかったよ。
名場面 激突 名場面度
★★★
 吾郎が博多南リトルに入団して最初の練習、吉野は吾郎にファーストの守備練習とバッティングをさせてみる。吾郎は今度こそ手を抜かず、完璧なファーストの守備を見せ、バッターボックスでは誠也の球を何度も場外へ運ぶ。これを見た吉野が吾郎のポジションを「ファーストで4番」と決定すると、ここまであらゆるシーンで吾郎を快く思っていなかったような表情をしていたこのチームの4番エースが「こんな新入りが4番とは納得がいきません」抗議する。彼はこの物語で吾郎のチーム内のライバルとなる古賀将人だ。
 将人がこの抗議の過程で吾郎を「何処の馬の骨か分からない奴」としてことで、吾郎も頭に血が上り口答えする。将人はさらに吾郎の当たりは一緒に入った誠也が相手では実力かどうか分からないとし、吾郎を挑発する。挑発された吾郎は将人に勝負しろと言い、将人は一打席勝負を受けて立つ。だがここで吉野のストップが入る。オーダーは監督がするものであってチーム内で争っている場合でないと二人を窘めるのだ。
 「MAJOR」で吾郎が新天地ににやってくるとかならずと言っていいほど初期トラブルが発生する。それは吾郎の野球センスや実力に対する絶対の自信が生み出すときもあるし、または吾郎の過去の実績とそれを裏付ける実力が原因になる場合もある。今回はその後者に当たる、全国レベル間強豪チームを倒したチームのエースという実績、完璧な守備と柵越え連発という目の前で見せた実力…確かにチームに力強い助っ人が入ったと喜ぶ者は多いが、誰もがそう思わないことをこの物語では明確に示してくるのだ。吾郎のような人物の新規加入を快く思わない人間、つまりそのチームでの役割が吾郎とダブってしまう選手である。
 野球の守備位置というのはかなり専業的なところがある、投手なら投手専門の者が行い、捕手なら捕手専門、内野手や外野手についても似たようなものだ。それと打順もそれぞれ役割があり、特に長打を打ってランナーを返すという役割を持つ4番は花形でもありそこに充てられた打者は自信と誇りを持っている。もちろんその座は1つしか無いわけで、今日来たばかりの新人にそのたったひとつの座を持ち去られるという事実は、その役割に対して誇りを持っている人ほど危機的なものだ。こうして強い選手がチームにやってくることは良いことばかりではない、という野球チームの現実を「MAJOR」ではキチンと描いているのだ。
 それと吾郎のファースト守備のシーン、ボールを捕ってランナーを止めるという野球の面白さが上手く描かれている。この点も注目だ。
研究 ・吾郎の仲間意識
 この部分では「吾郎と野球仲間」というテーマに少し触れ始める、この吾郎の野球仲間というのは彼がなぜそこまで野球に熱中するかという理由のひとつでもあるのだ。今回はその辺りを研究してみたい。
 ここまでの吾郎の野球仲間は、リトルリーグで共に戦ってきた横浜リトルの仲間達と、幼なじみで横浜リトルに所属する佐藤寿也が挙げられるだろう。吾郎の幼少期は特に親しい友達がいたわけでなく、またたった一人の父が不在がちだっったため一人で遊ぶことが多かったようだ。その遊び道具が野球ボールとグローブで、多くのシーンで壁を相手に一人で野球の練習をしていた。たまに父が家にいると四六時中野球のことばかり叩き込まれていたこともあって、彼はここで野球センスを開花させたと言っていいだろう。この中で出会うのが同い年の佐藤寿也だが、寿也は教育の厳しい家に生まれたこともあって親に隠れて吾郎と遊び、その中で野球を覚えた。つまり吾郎によって野球人生を歩まさせるようになった最初の人物だ。その後寿也は幼いながらも親を説得し、教育熱心な寿也の親は「どうせやるなら本格的に」という事で寿也を名門横浜リトルに加入させる。寿也にとって幼き日に野球を教えてくれた吾郎は、弱いチームながらも名門の自分達を打ち負かしたこともあって、ライバルであり目標の人物となって行く。
 続いて三船リトルで一緒だったメンバーだ。三船リトルは選手達に覇気もなく、メンバーが足りなくて公式試合にも出られない有様だった。これが吾郎の加入によりメンバーもなんとか9人揃え、対外試合ができるようになる。最初は自らの天性と実力に天狗になった吾郎は皆に嫌われるが、じきに吾郎の情熱に引っ張られるように野球に対して真剣に取り組むようになり、大会が始まると苦しいながらも勝利を積み重ね、全国優勝の有力候補であった横浜リトルを倒すという快挙を成し遂げる。こうして三船リトルの仲間にとって吾郎は無くてはならない存在となる。
 三船リトルの中でも吾郎の同級生、小森大介、沢村涼太、清水薫の3人は吾郎の影響で野球の道に進んでいる。4年生に進学した吾郎のクラスの学級委員が薫で、副委員が吾郎という関係となる。この中で三船リトルのメンバー不足という問題に直面した吾郎は、学校内で大々的に加入者を捜すがこれが見つからない。そんな吾郎を見た薫がまず自分がやると立候補、キャッチボールすらまともに出来ない薫に対し吾郎が猛特訓を行う。そんな折に涼太が大介をいじめている光景に出くわし、こう言うことがあると黙っていられない性格(だからこそ学級委員長)の薫がこれを止めようと躍起になる。このいじめに口を挟むことに前向きでなかった吾郎だったが、薫の姿勢に折れる形で大介に「野球をやらないか?」と誘い、試しにキャッチボールをしてみると大介のキャッチャーとしての素質を発見、吾郎が大介に速球を投げ込むと大介がこれを難なく捕った事で二人がバッテリーを組むことになる。そして大介を野球に誘ったことが気に入らない涼太が吾郎のグローブを燃やそうと企むがこれを大介が阻止、これがきっかけで涼太は自分のいじめで大介がどれだけ傷ついたかを知り、大介に謝罪すると同時に自分も野球に入れて欲しいと言う。こうしてこの3人は野球への道を歩むことになり、大介はプレイヤーとして吾郎を尊敬しているだけでなくいじめられていた日々から救ってくれた恩人として、薫は仄かな恋心を持ち憧れの人として、涼太は一歩先で男としての生き様を示してくれる親友として、ともに吾郎を慕っているのである。
 もちろんこうして自分が好きな「野球」を共に楽しんでくれるこれらの仲間を、吾郎はとても大事にしているのだ。そして吾郎はとても大事にしているからこそ、彼らに「さよなら」の一言も言わずに彼らの前から消えてしまう道を取る。これは劇中でも語られているが、実父の死を経験してから彼にとって「さよなら」という言葉はそれをきっかけに二度と会えなくなってしまう呪文のように感じていたのだ。吾郎を福岡に連れて行った英毅のホークスとの契約は2年(劇中にこれを示唆する台詞もある)、2年たったら絶対に再会するという強い思いがあるからこそ、黙って彼らの前から消えていたのだ。
 そして福岡に来た彼は、その野球に対する絶対的なセンスと実力ですぐに木下誠也という仲間を作る。誠也はすぐに吾郎の実力を認めて、彼を師として投手として自分が成長するための大事な存在として扱うのだ。吾郎も誠也を同じチームで将来的にはエースを争うはずの人として、そしてチームの勝利のために彼を仲間として受け入れて自分の技を彼に伝えるのだ。

…そして、吾郎が福岡に転居して最初に登校する日を迎える。ここで将人の妹、恵に出会う。
名台詞 「うちのクラスはサッカーやってる子が多いけど、野球には野球にしかない面白さがあると思うのよね。」
(恵)
名台詞度
★★
 激しく同意。
 「MAJOR」の原作漫画がJリーグ全盛だった頃にスタートしたこともあって、特に初期の頃にこのような他スポーツ人気を意識した台詞が入っているのが「MAJOR」の特徴だ。そう、野球には野球の面白さがある。投手対打者という格闘技に近い一騎打ちの構図と、走塁や守備といった球技独特のチームプレイ。その双方が見られる珍しいスポーツが野球なのである。「MAJOR」という漫画やアニメはこの部分を面白く描くかという事に力点が置かれており、多くの部分でこれまでの野球漫画とは違う部分がある。これについては追々語って行くことになるが。
 この「MAJOR」のテーマともいえるこの台詞を吐くのはたいていは吾郎か三船リトルの安藤監督なのだが、今回は吾郎と出会ったばかりの女の子キャラがこの台詞を吐くと言う点で原作漫画を知っている人はちょっと意表を突かれただろう。同時にこの少女がこの物語のヒロインであることも示唆される、このシーンの時点では彼女が将人の弟であることはまだ判明していないからこそこの示唆は重要だ。
 ちなみに当サイトにおいて、南アフリカでサッカーのワールドカップをやっているこのご時世に野球アニメの考察を連載しているのは世間に対抗意識を燃やしているわけでも、サッカーを毛嫌いしているからというわけではないのであしからず。世間に対抗意識ならば「はやぶさ」に対向してSFアニメを取り上げていただろうし、サッカーが好きか嫌いかという問題と冷静な判断で「日本は勝てない」と予想するのは別問題というところだ。もちろん、全敗予想はしたものの実際に一勝したのは日本人として嬉しい。
名場面 吾郎の寝室 名場面度
★★
 英毅が移籍2勝目を上げた夜、吾郎は頑張っている父親に対抗すべく部屋で一人で素振りを…していたのだがいつの間にか眠ってしまう。その部屋を英毅と桃子が訪れる。英毅がそんな吾郎の様子を聞いて「良い父親にならねば…」と言うと、桃子は自分が妊娠2ヶ月であることを英毅に打ち明ける。ガッツポーズで喜ぶ英毅、静かに寝息を立てる吾郎。
 この映画のもう一つの要素として、吾郎を「息子」として迎えた英毅がいかに「父親」に変化して行くのかという部分もある。このシーンで英毅は、吾郎の実父・茂治を父親として尊敬した上で「吾郎にとって良い父親になる」という決心をする。これを見せられればこの父子がこれから同じ苦労を乗り越えてその絆を強めて行くことが容易に想像できるだろう。そんな要素がこの映画に含まれていることをここでしっかり示唆しておくシーンだ。
 このシーンは物語の冒頭部分では本人達が慣れていないせいもあって、吾郎は英毅を「おじさん」と、英毅は吾郎を「吾郎君」と呼び合うなどまだ他人行儀な面があるのだ。吾郎の初登校前後のシーンでこの違和感に桃子が一石を投じることで、見ている方もこの二人がまだ「親子」になりきっていない事に気付くだろう。原作漫画では腕を故障した吾郎とそれを気遣う英毅という関係が描かれてはいたが、これは吾郎が英毅を父親にしてもいいと感じたきっかけであり、やはり親子になるには実際に一定期間一緒に住むことが必要だということである。
 こうして原作漫画で吾郎が横浜に戻って以降の物語で、吾郎と英毅が実の父子のような絆で物語を進めるのと整合性を取るという方向を示してくれるのだ。
研究 ・英毅の人気を測ってみよう
 古賀恵が出てきたところでいよいよ物語はその構成部分から、本編部分へと入って行く。この古賀恵登場のシーンで吾郎のクラスメイトが二人、茂野英毅のファンだと名乗ってサインをねだるシーンがあるのだが、ここから英毅の人気がどれくらいか測ってみよう。
 まず英毅であるが、この年からソフトバンクホークスに移籍してきた投手ということになっている。移籍する前は架空のチーム「横浜マリンスターズ」というチームに所属していたことになっているが、これは間違いなく横浜ベイスターズがモデルで、許諾を取っていないので架空チーム名にしたと考えられるものだろう。英毅の移籍理由がトレードによるものなのか、それともFAによる移籍なのかという問題はあるが、学校で自己紹介する吾郎が「二年間だけだけどよろしく」と言っている事からトレードによる移籍だが英毅があと2年でFA権を取得できる状況で、FA権取得後は横浜に戻るという確固たる意志があるということだろう。
 つまりこれだけでもそれなりの実力と人気を持つ投手であることが読み取れる、トレードされてもFA権を取れば自分の好きなチームに入れるという状況を既に実力で手にしているのだ。横浜時代はエース投手だったのは言うまでもなく、先発のローテーションに入っていて定期的に登板していたのは確かだろう。
 そしてこの「横浜マリンスターズ」が前述の通り「横浜ベイスターズ」をモデルとしたチームであれば、当然セントラルリーグのチームであることも間違いないだろう。セントラルリーグならば定期的に地上波のテレビ全国中継があるため、当然知名度も上がる。特に福岡の子供達にとっては地元チームと利害関係のないセントラルリーグの選手なら、チームの分け隔て無くその活躍に魅了されるだろう。また横浜時代に遠征で福岡ドームに来て、投げていた可能性もある。つまりこのセントラルリーグにいたという彼の過去こそが、福岡という横浜から離れた地の子供達にファンがいてもおかしくない状況を作っているのだ。ただこの状況を作るには、前述のような実力が伴わなければならないが。
 本来は英毅のプロ入り前の過去も想像しなければならないが、11歳の子供がプロ入してから7〜8年経とうとしている投手の学生時代など知るはずがないからここで問題にしなくて良いだろう。英毅は見たところ30代前半だと思われる(原作漫画によるとバツ1という事もハッキリしているのも根拠)ので、恐らく高校卒業後は大学野球か社会人野球で一暴れしてからプロに来た選手だと思われる。この辺りは原作で触れられているのかなぁ、私は原作の50巻辺りまでの話しか知らないが、その間にはなかった。

…桃子の妊娠を知ったことがきっかけで、吾郎と英毅は雑念が入るようになってスランプに陥る。吾郎はリトルリーグの練習で失敗を重ね、英毅は次の試合でノックアウトされてしまったのだ。
名台詞 「(前略)…頑張ってたおとさん(※)を、ずっと見てきたから分かるんだ。新しく来た奴がいきなりエースで、しかも負けてばっかりだったら、ふざけんなって思うよな。」
※…吾郎は実の両親を「おとさん」「おかさん」と呼んでいる。ちなみに桃子も茂治の話題をするときはこれに倣う。
(吾郎)
名台詞度
★★★★
 名場面欄で吾郎が恵に自分の過去を語る台詞で、最後の結論部分としてこの台詞を吐く。詳細は名場面欄参照。
 吾郎は自分の父の努力を見てきたからこそ、そして自分に小学生としては類い希なる実力があるからこそ、新参者が他人の役割を奪った上に役に立たないという状況がどういうことかを理解できるのである。そして吾郎と英毅はまさにその状況にあり、最も叩かれる状況であることも理解しているのだ。だからこそ英毅はオフでも自主的なトレーニングを欠かさず、なんとかこのスランプから脱しようと努力するし、吾郎も練習で失敗続きという状況から抜けられないのが苦しくてたまらないのである。
 吾郎は実父の姿を通じて「新参者に役割を奪われる者」の気持ちを知っていたのだし、また今回は自分の実力で他人の役割を奪ったことで実は将人に対し申し訳ない気持ちを持ち合わせている。だからこそ自分が活躍できなかったら恨まれる立場であることもよく知っている、それは現在の英毅も同じ事も分かっている。その恨みをぶつけてくる人間から逃げるのでなく、相手の言い分を理解しているがどうにもならないという苦悩を何とか絞り出したのだ。
名場面 吾郎VS恵 名場面度
★★★
 教室で英毅のファンだという男子児童と、英毅の負けを理由に喧嘩になりそうになった吾郎達に頭から水を浴びせかけた恵は「あんたのお父さんが役立たずってこと、本当の事じゃない」とと吾郎の怒りに油を注ぐ。そのまま教室を出て行った恵を追いかけ、渡り廊下で二人きりになると恵は語り出す、自分の父もホークスの投手で怪我をしながらも中継ぎで頑張ってきたのに、英毅の入団をきっかけに二軍に落とされたことを告白する。そして恵の家の現実…既に母が他界していて父が一人で恵と将人を育ててきた事を告げ、その中で頑張っていたのにこんな仕打ちを受けたと吾郎に語る。そして吾郎に対し「お父さんがずっとスター選手だったあんたなんかにわかんないだろうけど…」と自分達が吾郎を恨む理由を語るのだ。これに対し吾郎は英毅が実の父ではないことを告げ、自分の過去と実父・茂治のことを語り出す。そして結論として名台詞欄の台詞を吐いてその場を立ち去る。
 「MAJOR」の原作漫画なりテレビアニメを見てきた人は、この古賀家の状況こそが子供の人数と年齢は違えど吾郎が幼少の頃の状況と全く同じであることに気付いているだろう。その時は吾郎の父もヒーローではなく、常にヒーローから追われる立場にあった。今でこそスター投手である英毅の息子となっているが、それは吾郎に言わせれば世を忍ぶ仮の姿でしかない。だから過去の自分と同じ立場にある恵に、自分の本当の過去を語ることで信用を得ようとするシーンなのだ。
 これに対し恵は、このシーンの中では明確な答えを出していない。ただ彼女は父が英毅から1軍の場を追われたことで、吾郎を恨むのは筋違いだと言うことは理解したに違いない。恵が知ったことは「追われる者の苦しみ」を見ていた吾郎は決して楽してリトルリーグで兄から4番の座を奪った訳ではない事、吾郎も兄のように苦労したからこそ今があるという事を知ったのだ。
 こうして恵の吾郎に対する恨みの気持ちは解け、物語はまた一歩前へ前進する。
研究 ・吾郎の父・本田茂治
 今回紹介の部分では、英毅のスランプにより恵が吾郎への恨みを強くしたために吾郎が自分の過去を語る。これによって恵は吾郎も自分達と同じような苦労をしていて、気持ちを共有できる仲間だと気付いて二人の関係が大きく変わる。今回は原作漫画やテレビアニメを見ていない人のためにこの部分についておさらいをしておこう。
 吾郎の実の父はプロ野球選手である本田茂治、実の母はその妻千秋である。千秋は吾郎が3歳の時に急死しており、原作漫画でも回想シーンに僅かに出てくるだけの存在だ。茂治は「横浜マリンスターズ」(テレビアニメ版および劇場版設定では「ブルーオーシャンズ」)に所属する投手である。だが故障を抱えていたこともあって2軍と1軍を行ったり来たりで、特に2軍暮らしが長かったことが原作漫画では描かれている。投手生活に限界を感じ、故障も良くならないことで吾郎が6歳の秋に一度は引退を決意する。しかし父の引退を知った吾郎に引き止められたのと、親友である英毅の勧めで野手に転向し打者として活路を見いだすことで引退を回避する。と同時に強打者として頭角を現し、ついには1軍に入り一塁手としてスタメン入りするまでになる。そして「東京シャイアンズ」との試合でメジャーリーグから来たばかりのギブソンが投げた160km/hのストレートをスタンドへ打ち返すが、その次の打席で158km/hもの速球が頭部を直撃しデッドボール。その試合中は異常はなく、帰宅した後も特に異常は見られなかったが、翌朝吾郎が目をさますと家の中で既に帰らぬ人となっていた(ちなみにこのような実例は存在するとのこと)。
 茂治も少年時代から野球の道を歩んでおり、原作漫画では小学生時代は横浜リトルに所属していたことが示唆されている。だがその後プロ入りまでの道のりは定かにされておらず、プロ入団時にどれほどの実力を持っていたのかは不明である。英毅とは親友という設定なので、恐らく年齢は同じでプロ入り前に同じチームでプレイした経験があるのだろう。プロで投手として開花しなかったのは、英毅というスター選手の影に隠れていたことと、劇中でも語られる故障が原因と思われる。だが吾郎にもその遺伝子が受け継がれているように、天性の野球センスを持っていたため遅咲きではあったものの打者として成功することが出来たというところだろう。
 ちなみに現在の吾郎の母である桃子は吾郎の幼稚園時代の先生(テレビアニメ版および劇場版設定では保育園の保母)というで、その後本田茂治の婚約者となった人物である。茂治には兄・義治がいたので吾郎はこちらに引き取られるはずであったが、吾郎の強い意志と桃子の思いが通じ吾郎は桃子が引き取ることになったというエピソードが存在する。その後、英毅と桃子が結婚することになり現在に至る、という訳だ。

…吾郎は英毅と桃子の間に子が出来ることに対する不安と、英毅のスランプにより周囲から自分が悪く言われることでで練習にも勉強にも身が入らない。一方の英毅もスランプから脱することが出来ない。そしてついに吾郎と英毅がぶつかるが、その時に桃子が倒れる。それによりさらに吾郎と英毅の苦悩が増す。
名台詞 「ダメね、母さんも。もっともっと強くならなくちゃ。これからは二人のお母さんになるんだものね。男の子だって、先生に聞いたの。父さんとも予想してたのよ、絶対男だって。もう名前も決めてあるの。この子の名前ね、真吾って言うの。真実の真に吾郎の吾、父さんと決めたの。吾郎みたいな、真っ直ぐな男の子に育つようにって。頼りにしてるわよ、お兄ちゃん。さ、じゃあお父さんの試合見ようか。」
(桃子)
名台詞度
★★★
 桃子の妊娠によって吾郎が抱いていた不安、それは英毅と桃子の間に子供が出来ることで自分の居場所が無くなるのではないかという不安であった。二人とも吾郎を引き取って育てているとは言え、何だかんだ言っても新婚夫婦である。吾郎にはそんな幸せの中に自分が割り込んでいるという申し訳なさがあったのだろう。そして二人の間に子供が出来ることで、自分が用済みになってしまうのではないかと感じてしまう。
 もちろんそんな吾郎の気持ちは杞憂に過ぎない、桃子は吾郎を引き取るに当たってそれ相応の覚悟があったはずだし、何よりもかつて愛していた本田茂治という男がたったひとつ残してくれた大事な宝である。そして桃子を娶った英毅も、桃子と二人でこの茂治の忘れ形見を大事に育てるという条件と覚悟を持って桃子を選んだのであり、その覚悟が英毅にあると確認できたからこそ桃子も英毅を受けて入れたのである。桃子が真から茂治を愛していなければ吾郎を引き取ることはなかったはずだし、また英毅に吾郎の新たな父となる覚悟がなければ桃子に拒否されたはずなのだ。
 だが吾郎はこんな二人の姿を見ていないからこそ不安になるのだ、多分桃子はそんな吾郎の気持ちを察していたのだろう。吾郎と二人きりになった食卓で、この台詞でもって自分達の吾郎に対する気持ちをぶつけてみるのだ。自分達に生まれる子供に名前に、吾郎から時を一文字貰うという事実でもって吾郎を自分達の息子の兄として受け入れる意志を誇示するのだ。
 もちろん効果は覿面で、吾郎は英毅と桃子の気持ちを突き付けられたことで二人からの愛情をしっかりと受け取り涙を流す。
 吾郎がこのような不安を感じたのは今回が最初ではない、原作漫画では桃子と英毅が男女としての交際を始めたことが判明したときに、やはり同じような不安を抱いて練習に身が入らないなどスランプに陥っている。その時は桃子が自分が大人の女性であるという面をしっかり見せた上で、吾郎や茂治に対する愛情も捨て去ってはいない事を誇示して吾郎の信用を得た。「MAJOR」はこのような家族ドラマとしての一面も持ち、それと野球のプレイシーンを重ねることで家族の絆を見せつけるというテーマも併せ持つ。この台詞はその典型だ。

 ちなみにこのシーンで真吾という名がハッキリする子供は、原作漫画およびテレビアニメ版の「MAJOR」で吾郎と弟として活躍を見せることになる。後に桃子は女の子を出産し「ちはる」と名付けるのだが、これき吾郎の実母である千秋から取った名前ではないかと想像している。
名場面 ヒーローインタビュー 名場面度
★★★
 名台詞シーンを受けて桃子がテレビのスイッチを入れる。すると映し出されたのは英毅が先発で投げているホークス戦の中継、しかも最終回で英毅が最後のバッターをピッチャーライナーに打ち取ったところだ。テレビの中の英毅は単なる完投勝利にしては捕手と抱き合うなど大袈裟に喜んでいる、これに「?」と思ったところで英毅がこの試合でノーヒットノーランを達成した事を告げる。これを見た吾郎と桃子は立ち上がって驚く。
 そしてヒーローインタビューとなると、英毅は勝った理由は将人や恵の父である古賀哲也のアドバイスによるものだと言う。この日、スランプに悩む英毅は二軍練習場で自主トレを行い、ここで哲也と二人で色々話をしていたのだ。ここで哲也は英毅に移籍直後で気が張っているからオーバーペースになっていると指摘する、その上でそれは自分ではなかなか気付かないものだと。英毅が哲也に何故ライバルである自分にアドバイスをくれるのかと尋ねると、哲也は「今の自分は選手としては役に立たない、これが今の自分なりの戦い方だ」と答える。英毅はそのことをインタビューで語り、今日の勝利はチーム全員のものだと言うのだ。
 ここで見せてくれるのは、野球は一人でするスポーツではなくチームでするものだという事実である。投手がいてもその球を受ける捕手がいなければどうにもならないことは、原作漫画で何度も描かれていることだし、それに全守備や打線がかみ合ってこそひとつのチームとして完成するのが野球というものだ。そして哲也は台詞の中でそれは「家族」も同じだとする。家族もそれぞれの役割があり、誰かがそれを見失うと途端に歯車が狂い出す。この直前に描かれた茂野家の状況はまさにそれで、このインタビューによってテレビの前の吾郎と桃子もこれに従った決意をする。そうすることによって「MAJOR」のもう一つのメッセージである「家族」や「チーム」というテーマを強力に伝えてくるのだ。
 そしてこれらのシーンによって、吾郎と英毅はそれぞれスランプを脱し、茂野家の一同は家族の絆を強固にして行く。
研究 ・ノーヒットノーラン
 ここまでしばらく、吾郎と英毅がスランプになるなど茂野家にとっては陰鬱な展開が続いていたが、英毅がノーヒットノーランを達成する事でこの空気は消え去る転換点となる。同時にこの映画はここまで解説したように家族ドラマとしての展開を見せていたが、これを解決したところで次に吾郎と将人を中心とする友情ドラマへと変化してゆく。
 ノーヒットノーランとは文字通り安打(ヒット)も得点(ラン)も無い(ノー)試合のことを言う。通常は一人の投手が試合終了まで投げきって、相手チームの安打と得点がなかった場合にこう言われる。「ノーヒットノーラン」というのは和製英語による造語で、正式には無安打無失点試合と言われる(アメリカでは「ノーヒッター」と呼ばれる)。ちなみに相手に安打や得点を許さないで勝つことがノーヒットノーランの条件であり、四死球や投手の責にに依らない失策による出塁は許している事を意味する。四死球や失策による出塁もなかった場合は、「完全試合(パーフェクト)」と呼ばれる。
 さて、一番最初の研究欄でこの物語の舞台が2002年度であるという推測をしたので、ここではこの英毅の記録を現実のプロ野球記録と付き合わせてみることにしよう。2002年度の日本のプロ野球記録から投手の記録を探してみると、パシフィックリーグではノーヒットノーランは出ていないことが分かる。セントラルリーグでは8月1日の読売ジャイアンツ対中日ドラコンズ戦(東京ドーム)で川上憲伸投手が達成しているのみである。ノーヒットノーランは両リーグ合わせてほぼ年に1回のペースで達成されることを考えると、これがどれだけ凄いかという事はお分かり頂けよう。ちなみに年1回ペースと書いたが1年に2回〜3回、多いときには4回(1943年)や5回(1940年)も達成者が出る年もあれば、何年も達成者が出ない年が続くもある。ちなみに最も最近の記録は2006年9月16日の中日ドラコンズ対阪神タイガース戦(ナゴヤドーム)で山本昌投手が達成したもので、既に3シーズン連続で達成者が出ていない状況が続いている。
 珍しい記録としては1994年4月24日、県営大宮球場で行われたイースタンリーグ(2軍)の西武ライオンズ対ヤクルトスワローズの試合だろう。この試合は1−0でヤクルトが勝利しているが、両チームともノーヒットノーラン達成という珍しい試合であったと記録されている。ヤクルトの1点は失策により出塁したランナーを、犠牲フライでホームに生還させたものである。
 私の印象に残っているのは、1998年夏の高校野球決勝。横浜高校対京都成章高校の試合で松坂大輔投手(現・ボストンレッドソックス)が達成したノーヒットノーランだ。リアルタイムで試合は見られなかったものの、大舞台での落ち着いた投球と、何が何でもヒットにさせてなるかという横浜高校の鉄壁の守備が強く印象に残っている。松坂投手の怪物ぶりもさることながら、あの試合こそ「野球はチームでやるものだ」という事を見る者にしっかりと教えてくれただろう。

ノーヒットノーランの快挙を土産に、帰宅した英毅の背後に将人が現れる。そして怒りを込めた懇親の一球を、英毅目がけて投げつけるのだ。
名台詞 「それは無理なんじゃないかな? 君たちは確かに強いけど、簡単に『全国』には進めないと思うよ。九州のリトルに、茂野吾郎がいる限りはね。」
(寿也)
名台詞度
★★★★
 吾郎がスランプから脱し練習にも身が入り始めたその頃、次の大会で吾郎の宿敵になる北九州リトルと横浜リトルの練習試合が行われていた。結果は5対1で北九州の圧勝。試合終了後、この手の漫画・アニメの「おやくそく」に従って北九州リトルの主軸であるアーサーとマックスが、横浜リトルの司令塔で吾郎の幼なじみである佐藤寿也に「横浜リトルもたいしたことが無い」と嫌味を言いに来る、そして「全国大会で再び横浜リトルを叩く」と高らかに宣言する。それに対する寿也の返答がこの台詞だ。
 これは寿也がこの試合で負けた負け惜しみを言っているのではない、「吾郎」と直接対決してその「怖さ」を知っているからこその「調子に乗るな」という忠告である。映画の冒頭シーンであった通り、この前年の大会で横浜リトルは吾郎率いる三船リトルに惜敗し、全国大会進出を阻まれている。その吾郎との戦いは激しいもので、吾郎はなんと右肩と引き替えに勝負を挑んできた…つまり身体が壊れる恐れなどを持たず、自分自身の全てを賭けて勝負を挑んでおり、そのような相手の怖さを知っているのだ。
 だからこそまだ大会が始まっていないのに、自分達との練習試合に勝った程度のことで喜び調子に乗っているアーサーとマックスが滑稽に見えたのだろう。そんなお調子者に吾郎の怖さを伝えるべくこの台詞を吐いたのである。恐らく寿也は、この程度で調子に乗っているアーサーとマックスに全国大会で出会うことはないと確信していたことだろう。
 しかし、原作漫画では吾郎のライバルであり戦友でもある寿也の活躍は少ないなー。印象に残った台詞はこれだけだ。
名場面 将人・恵VS英毅 名場面度
★★★
 快挙を手土産に帰宅し、玄関先で家族に出迎えられていた英毅の背後に、突然英毅がヒーローインタビューで持ち上げた古賀哲也の息子で吾郎のチーム内のライバルである将人が現れる。彼は英毅のヒーローインタビューを見て父親が「負け犬」と侮辱されたと勘違いし、英毅に仕返しをしようとやってきたのだ。そして英毅に対して懇親のストレートを投げつける将人、だがいくら何でも小学生の投げる球でしかなく、英毅はあっさりとこれを素手で捕球する。それを見た吾郎が怒って「古賀!」と声を上げたことで、英毅は相手が古賀哲也の息子だと知る。英毅が吾郎を制して将人の方に向き直ると、将人が「俺は父さんとは違う、負け犬なんかじゃない。茂野吾郎、お前には絶対負けないからな」と怒鳴り走り去る。将人の後ろには兄を制止しようとして追いかけてきた恵の姿があり、彼女はこちらを見る英毅と走る去る将人の姿を見比べて途方に暮れる。恵が謝罪して走り去ろうとすると、英毅は恵を呼び止めて「君たちのお父さんは負け犬ではない」と声を掛ける。そして哲也が怪我が治ったら英毅を蹴落として1軍に戻るつもりだと豪語していたことを正直に語り、哲也は必死に頑張っていて自分も蹴落とされないように頑張っている、だからチームは強くなるとし、哲也はチームを支える大事な選手だと告げる。これを聞いた恵は思わず涙ぐみ、英毅に一礼してその場を去る。
 このシーンでは将人と恵が英毅を恨み、ついでに吾郎も恨んでいる理由が将人にあることが示唆される。将人は父が2軍に落ちたことが認められないのでなく、2軍に落ちた父を認められないのだろう。だから父が2軍で何をしているか興味を持てないし、持とうともしない。その結果が一方的に父を「負け犬」と称し、英毅に対する逆恨みとして吐露されるのだ。
 一方の英毅は将人が父を「負け犬」とした事に強い衝撃を受ける、恐らく英毅は哲也の事をその子供達があまりにも知らなすぎることにショックを受けたのだろう。だからこそこの哲也の子供達に父がどのように頑張っているか、父がどのようにチームに貢献しているかを語らずにはいられなかったのだろう。
 そしてこの英毅の言葉からは、「プロ野球」という世界において表舞台に現れない控えや2軍の選手達の存在理由や、2軍で頑張っている選手が1軍の選手から見れば脅威であるというなかなか見えにくい構図をうまく説明している。1軍のヒーローだって成績が落ちたり怪我をしたりすれば、待っているのは2軍に落とされるという事実だ。だからこそ彼らはその花形の座に留まるために必死になってやっているし、また2軍の選手達も1軍の席が空けばいつでもそこに滑り込もうと必死になるのである。このような競争原理があるからこそ、チームは「敵と戦う」という以外にも強くなる手段を持っている。そのチームが強くなるために2軍の選手は絶対に必要だという事実を、見る者にうまく突き付けてくるのだ。
研究 ・ 
 

…いよいよ夏の到来と同時に、全国大会に向けた戦いが始まる。所詮は雨の中、日南リトルとの戦い。エースの将人は打ち込まれ、一打逆転のピンチを迎える。
名台詞 「勝負したかったんだろ? 意地でも負けたくなかったんだろ? チームのエースがプライドを賭けて勝負したいって言ってるのに、止められっかよ。な、おじさん。点取られたら、みんなで取り返せばいいじゃん。終わった勝負にいつまでもウジウジすんなよ。てめー一人で野球やってんじゃねぇんだぞ。(中略)ほら、俺たちがお前を絶対に負け投手にしねぇから!」
(吾郎)
名台詞度
★★★★★
 打ち込まれた将人は監督の交代の支持に対し続投を志願し、吾郎がこの志願に賛同したことで続投となる。しかし将人はつらに打ち込まれ、試合は遂に5対6と日南リトルに勝ち越しを許してしまう。吾郎のファインプレーもあってなんとか1点で留めるが、日南リトルからはカーブを得意とする抑えの切り札ともいえる投手が登板、博多南リトルはこれに手も足も出せず二連続三振を喫する。
 次の打者に対して吾郎はまだ勝利を信じて声を上げる、そんな吾郎に打ち込まれてしょげている将人が「なんで俺を責めないんだ?」「俺が打ち込まれていい気味だと思ってるんじゃないのか?」と吾郎を責め始める。これに対する吾郎の返答がこれだ。
 この台詞には相反するふたつの「野球の醍醐味」がしっかり込められている。「投手対打者の一対一の戦い」という面と「チーム全員で繋いで守る」という面だ。吾郎が将人の気持ちを察し、これに賛同した上で監督に将人の続投を支持する発言をしたのも、この台詞で将人の続投志願を「チームのエースがプライドを賭けて勝負する」とした点については、明らかに「投手対打者の一対一の戦い」という面をうまく強調している。そしてこの戦いに真っ向から挑まなければならない投手が持つ誇りを、吾郎が理解していたから将人の続投を支持した点。将人もこの誇りを誰よりもよく痛感しているからこそ、一発逆転のシーンで続投を志願したに違いない。
 だが野球というスポーツの面白い点は、この一対一の勝負で負けたにしても「チームプレイ」でこれを補える点だ。投手が打たれてもその背後で守備につくチームメイトが守りきれば点は取られないし、もし投手が打たれて点を取られてもイニングが変わり攻撃側となればチーム全員でこれを取り戻すことが出来る。だから「一対一の勝負」の矢面に立たされる投手はこれを理解して、チームメイトを信用し、打ち込まれてもすぐに気持ちを切り替えてチームメイトに全てを託せることが第一なのだ。将人の父・哲也が「野球は一人では出来ない」と言い切る点もこの論理だし、英毅のヒーローインタビューもそうだ。そしてもちろん、吾郎のこの台詞にもこんな野球の醍醐味がしっかり含まれている。
 この台詞によって将人は「野球は一人ではできない」という本当の意味を知る。そして将人が見ている目の前で、吾郎がこの台詞で最後に宣言した通りに2アウトから打線が繋がり、吾郎が逆転満塁ホームランを決めてくる。そしてホームに帰ってきた吾郎と、次打者として打席に向かう将人はハイタッチで逆転を喜び合う。最終的にこの試合は12対6で博多南が圧勝し、将人が敗戦投手になることもなかった。
 おまけに言うと、この台詞で最も吾郎らしいのは、監督を「おじさん」呼ばわりする点だ。
名場面 三船リトル 名場面度
★★★
 博多南リトルが1回戦を戦っていた頃、かつて吾郎が所属していた三船リトルも同じく初戦を迎えようとしていた。だがチーム全員に覇気はなく、とても一回戦を勝ち抜けそうな様子はない。「初戦を勝ち抜こう」と気合いを入れる安藤監督の声にも、一同は覇気のない生返事を返す。そこに横浜リトルの佐藤寿也が登場し、三船リトルのメンバーに「決勝で会えると良いね」と声を掛ける。これに対し吾郎とバッテリーを組んでいた小森大介が、自分達に野球の楽しさを教えてくれた吾郎が抜けたショックで皆に元気が無いことを告げる。ところがこれに寿也が「三船の人たちは吾郎君に会うために頑張っているのだと思っていた」と返すと、三船リトルの選手の表情が変わる。寿也は全国大会へ勝ち進めば吾郎に会えること、吾郎も間違いなく全国大会に出るであろう事、そして野球で繋がっているのだから野球を続けていれば必ず再会できることを語る。
 監督に呼ばれた寿也が走り去ると、大介が「全国大会へ行けば…」と語り、沢村涼太が「その手があった」と声を上げる。そして今から練習して頑張れば何とかなると一同盛り上がるが、吾郎のガールフレンドであった薫だけは「お前もやるだろ?」と問われると「やだ!」と返答する。だがその続きに「今度、本田に会ったら一発ぶん殴ってやる」と続くのだが…大介が「まず今日の一回戦だ」と声を上げると、一同気合いを入れた声を上げてグラウンドへ向けて走り去る。
 このシーンで大介・涼太・薫といった吾郎のクラスメイトだった面々だけでなく、三船リトルにとって吾郎の存在がどれだけ大きかったかわかる。その上で彼らは吾郎を失ったことで目標を見失っていたのだが、寿也によって「吾郎と再会する」という新たな目標を授けられる。そしてそのために県大会で勝ち進み、全国大会に駒を進めるという大きな目標を得るのだ。
 そしてこのシーンで寿也が語るひとつの論理…みんなは野球で繋がっているという論理も、この「MAJOR」という物語において重要な論であることは確かだろう。これは幼い日に吾郎に野球を授けられ、リトルリーグでは一流の活躍をするようになった寿也だからこそ常に感じているのである。この思いはこのシーンで三船リトルの面々に伝えられ、特に大介が吾郎が帰る日まで野球を続ける原動力になったはずだろう。もちろん薫もこの論理に従い、運動音痴にも関わらずリトルリーグで野球を続け、中学進学以降はソフトボールに転向するという物語を展開することになったのであろう。
 ちなみに当サイトの「風の少女エミリー」のコーナーで、小森大介の担当声優が「エミリー」に出てくるテディと同じとした。だがテディ役の人が担当しているのは中学進学以降の大介の声であり、この映画もそうだが小学生時代の大介は別の人がやっていることを明記しておこう。
感想 ・三船リトル
 今回は「MAJOR」の原作漫画で、吾郎がリトルリーグ時代の舞台となった三船リトルの面々が物語に割り込んでくる。彼らは物語本編には強く絡まないが、「MAJOR」が伝えようとしているテーマのひとつである「野球を通じてみんな繋がっている」という面をうまく強調する。
 三船リトルも吾郎が抜けた後、いろいろと変わっていることが伺える。まず吾郎の役割であったエース投手であるが、吾郎のクラスメイトで元々はサッカー少年だった沢村涼太に変わっている。涼太は三船リトル加入時は外野手としてチームに入ったが、大会規定により吾郎の連投が認められないために控え投手が必要となったために「サッカーでの経験で運動神経がよい」という理由で控え投手として練習することになる。彼は大介が怪我で吾郎の球が捕球できなくなった際、吾郎を捕手に回して投手としてマウンドに立ち、立ち上がりは打ち込まれて大量失点を奪われたものの、その後はなんとか無得点で守りきった実績を持つ。
 変わっているのは投手に回された涼太だけではなく、大介と薫もチーム内での立場が変わったようだ。まず大介だが本来は吾郎とバッテリーを組む正捕手だった。だが試合中のスイングで転倒し左手首を捻挫、吾郎の球が捕球できなくなる。その試合は吾郎を捕手とし、投手を涼太にすることでうまく切り抜けるが大介の治療に時間が掛かることが判明する。そこで新捕手の選抜を行おうとしたが誰も吾郎の剛速球を捕ろうという意志を持てず、唯一立候補したのが薫だった。薫は吾郎との猛特訓の末何とか吾郎の球を捕る捕手として使えるようになり、以降の試合では大介に替わって正捕手の座に落ち着く。
 そして年度が替わったこのシーンでは、どうやら薫がそのまま正捕手の座に居座ってしまったようだ。これはこの後の試合シーンで薫が捕手をしていたこと、薫が着用していたユニホームの背番号が「2」であったことが根拠である。理由はよく分からないがどうやら大介の手首の怪我が完治していないと解釈すべきだろう(原作漫画では吾郎が福岡に転居する前に完治した事が描かれていたが)、それとも投手の涼太が捕手が薫の方が投げやすいと感じたのかも知れない。そして大介は背番号「3」のユニホームを着用しているので、どうやら1塁手となったようだ(怪我の後は外野手でライトを守っていたが)。こんな形でチームの陣容も少し変わっているのだ。
 そういえば吾郎が抜けてチームは8人になったはずだし、上級生が進学で抜けているはずだけどその代わりに入ったのは誰だったのだろう? それに画面を何度見ても三船リトルは原作漫画に出てくる8人しか描かれていないし…。そう言えば原作漫画では横浜リトルに勝利したことで加入希望者が増えたって書いてあったっけ。ま、その辺りは深く考えないということで。

…そして博多南リトルの面々は、勝ち進めば決勝で対戦するであろう北九州リトルの偵察へ行く。彼らはマックスが投げる変化球と、アーサーを中心とした打線に驚愕する。そして迎える準決勝は、「世界のナベアツ」が率いる鹿児島リトル戦だ。
名台詞 「ふざけた野郎だな、自分の立場もわからねぇのかよ。俺の球じゃ、北九州リトルは抑えられない。悔しいけど、試合に負けちゃしょうがねえからな。頭から行けよ、お前がエースだ。」
(将人)
名台詞度
★★★
 鹿児島リトル戦で吾郎が見事な抑えでセーブを上げ(名場面欄)、ベンチに戻ってくると吾郎は「いつでもリリーフ出来るように準備しておく」と吉野に告げる。そのやり取りをベンチで帰り支度していた将人が聞くと、こう言って決勝のマウンドに立つべきは吾郎だと言うのだ。
 これは将人が吾郎の実力を認め、吾郎こそがこのチームのエースとして相応しいと認めただけの台詞ではない。彼が明らかに吾郎から「何か」を得たからこその台詞である。それは「野球は一人でやるものではない」という吾郎の信念であり、リードされていてもゲームセットの瞬間まで諦めず勝利に執着する吾郎の執念であり、試合に勝ち仲間と喜ぶために怪我を押してでも自分の役割を全うする吾郎の姿勢であるだろう。それら野球や試合に対する「思い」が自分より吾郎の方が上だと認め、将人にとって吾郎は憎むべき相手ではなく目標とすべき野球人であり、同じ野球というスポーツに萌える仲間だとハッキリ認識したからこその台詞なのだ。それとは別に吾郎の生い立ちについて、恵から話を聞かされていたのもあっただろう。
 そして彼も彼なりに「チームが勝つにはどうするか」という点を「自分が目立つにはどうするか」よりも上位に置いて考え、出した結論がこの台詞なのだ。自分や誠也の力では北九州リトルの強力打線を止める事は出来ず、それが可能なのは吾郎だけという彼の冷徹な判断である。だがその判断を下したことに、ちょっとだけ悔しさを感じているのが将人らしくていい。
 そしてこの台詞によって吾郎は自分の肩の状況を忘れて決勝での先発登板を了承し、大人である吉野までこれに抗する事が出来なかったのだ。これはここで将人が吾郎を認めたことによって二人が和解したことでもあり、この二人の諍いが無くなることでチームは真にひとつにまとまるからという理由もあっただろう。この台詞をきっかけに、物語は本題である「吾郎と将人との友情物語」という展開に突入して行くのである。
名場面 吾郎登板 名場面度
★★★★
 準決勝鹿児島リトル戦最終回、1点リードで迎えた最終回に先発登板した誠也が打ち込まれる。無死2塁から内野安打で1・3塁さとれ、監督は誠也の制球も限界であることを認める。将人は投球制限により登板不可で、控えの投手は練習と経験が不足しておりこのピンチで投げさせる訳にも行かない。そう悩んでいると吾郎が「最終回までよく投げたな、あとは俺に任せておけ、きっちり抑えてやるよ」と誠也に言う。吉野はこれに驚くが、吾郎は既に投球練習をしていたことと痛みなどはないとして大丈夫だという。最初は吉野も迷うが、背に腹は変えられずマウンドを吾郎に託すことになる。観客席では恵が感激の表情を浮かべ、相手ベンチでは世界のナベアツ監督が「他に良い投手はいないから勝ったも同然」と余裕の表情を見せる。だが吾郎の投球練習が始まると、その投球の威力と迫力に敵味方関係なく声が出なくなる。博多南の選手達は「これなら…」と嬉しい意味で絶句し、将人は「とことんむかつく奴だ」と呟く。相手側ベンチでは世界のナベアツが「これはあかん」と驚きの表情を作る。先頭打者はあまりの投球の威力に腰が引け三球三振、吉野がこれを見て「速いだけじゃない…」と感心し、観客席の恵は「すごいよ…」と漏らす。これに驚いた世界のナベアツは次打者にスクイズを命令、博多南の捕手は相手ベンチの動きに気付き吾郎に外すようサインを出すが、吾郎は構わずストレートで勝負する。この打者はあまりの速さでバントでボールを当てることも出来ず三振、吾郎は三者連続三振で見事にセーブを上げ、この試合に勝利する。吾郎の投球を見た将人と吉野は、決勝の北九州リトル戦では吾郎が先発で行くように指示を出す。
 これは原作漫画もしくはテレビアニメ版と連続してみると、この冒頭で描かれた三船リトル対横浜リトル戦以来初の吾郎の公式戦での登板である。横浜リトル戦で右肩を故障した吾郎の傷は深く、その試合の直後からずっと投球禁止で肩を養生するように医師やプロ投手である英毅から宣告されていたのだ。だが根っからの野球好き、そして根っからの投手である吾郎にはこれは耐えられない日々であっただろう、結局は投球禁止を自ら破って練習をしてしまうだけでなく、チームのピンチには居ても立ってもいられなくなって登板を志望するのである。
 そして彼は父から受け継いだ遺伝子と、その実力をこの試合できっちりと見せるのだ。小学生とは思えない剛球で、捕手のミットの音を響かせ、観客だけでなく敵味方関係なく選手までも魅了する。それだけでなく彼は変化球や小手先の対応である「一球外す」という手段も使わず、ストレートだけで敵を力でねじ伏せるというまことに吾郎らしい投球内容を見せてくれるのだ。
 そしてこのシーンは「MAJOR」ファンが期待した「吾郎の投手復活」を告げるものであるが、同時に吾郎の苦悩が始まりでもある。何だかんだ言っても吾郎は右肩を故障しており、自覚症状が無いだけで本来ならばとても投げられる状況ではないのだ。仮に投げるのが許されるにしても、今回のようにせいぜい1イニング程度で「抑え」として出る程度で自制すべきであろう。間違っても彼を先発に起用して最終回まで投げさせるべきではないのだ。もちろん吾郎はこれが分かっていてマウンドに立ったはずだが、試合が終わってみると状況が変わり「チームが吾郎の剛球を必要とする」状況になってしまったのだ。その吾郎の実力の前に、大人であり本来は吾郎を止める立場である吉野までも冷静な判断力を失い、吾郎を先発のマウンドに上げてしまうのである。
 この時点での吾郎にやってきた光と影がこのシーンに見事に凝縮され、見ていて興奮もするし心も痛むシーンだ。
感想 ・ 
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