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…決勝の北九州リトル戦に備え、猛特訓の日々が始まる。特に内閣に鋭い球を放ってくるマックス対策を、吾郎を中心とした特別練習を行う。
名台詞 「笑顔で帰ってくること。あと遠征に行っている父さんから伝言、『悔いの無いよう戦ってこい』。」
(桃子)
名台詞度
★★★★
 「(決勝戦の)応援に行かなくていいの?」と聞いていた桃子だが、「決勝に来てくれればいい」と吾郎が答えたので留守番となる。そして当日、家を出て行く吾郎に桃子が拳を突き出しながらかけた言葉がこの台詞だ。吾郎はこれに拳を突き上げて「OK!」と答える。
 決しようという晴れ舞台に向けて、「両親」からの声援の言葉はこんな風に桃子が一人で言う事になった。この台詞の前半は桃子からのメッセージ、後半は英毅からのメッセージであるのは言うまでもない。
 その内容はどちらも同じだ、桃子が言う「笑顔で帰ってくること」は「勝利」を願っていることもあるが、それ以上にやはり「悔いの無いように」という願いであろう。英毅の「悔いの無いように」は勝つとしても悔いが残ったらダメだという意味だけでなく、恐らく吾郎が無理してマウンドに立つことを見越していたのかも知れない。
 いずれにしても二人は実の親ではないのに、ちゃんと実の息子として子供を戦いの場に送り出していることは読み取れる。こんな親子の絆が見え隠れしているのがこの台詞なのだ。
名場面 吾郎と将人 名場面度
★★★★★
 ある日の夕方、特訓後のランニングを終えるとそのあまりの厳しさに吾郎と将人が倒れ込む。息を切らせながら将人が吾郎に父の引退を告げ、妹から吾郎の生い立ちを聞かされたことを告げた上でこれまでの非礼を詫びる。吾郎が「もういいよ」と言うと、将人はそれを聞いたのか聞かないのか分からないまま「絶対にプロになる、父さんの分まで活躍してみせる」と自分の夢を語り、吾郎に「お前もプロ志望なんだろ?」と問う。吾郎はこれに自分の夢はプロ入りだけでなく、「いつかアメリカへ行ってギブソンと勝負する」という大きな夢があることを語る。吾郎の脳裏にはかつてギブソンに招待されて観戦したメジャーリーグのオールスター戦の模様が浮かび、「勝負してみたいんだ、世界一と呼ばれた男と」と続けるのだ。これを聞いた将人は「でかすぎるだろ、その夢」と笑うが、「もしアメリカへ行けたら、ついでにビクトリーズのアンディ・ジャクソンのサインを貰ってきてくれよ、ファンなんだ」と吾郎に言う。「任せとけよ」とごろうが答えると。
 このシーンはこの映画のメインテーマである吾郎と将人の友情を上図に描き、最も印象に残るシーンのひとつであろう。将人は吾郎を認めた事を告白し、その上で互いに夢を語り合う。まさに「友」と呼び合うのに相応しい関係となって、二人がグラウンドの片隅で笑い合うシーンだ。
 そしてこのシーンで示唆される「アンディ・ジャクソンのサイン」こそが、冒頭で成長した吾郎がアリスから受け取ったサインボールの事であることは多くの人が気付くだろう。吾郎がこの友情を忘れず、ちゃんとこのシーンで頼まれた事を実行することが示唆されているのだ。
 このシーンの最後には、二人の姿を背景にグラウンドに転がるボールが映し出される。これは二人の友情が野球のボールでしっかり結ばれている点を、芸術的に描いている点でもあろう。このように二人のやり取りだけでなく「映画の1シーン」として強く印象に残る、この作品を象徴するシーンであるのだ。
研究 ・北九州リトル戦対策
 いよいよこの物語のクライマックスかつ、決勝の対北九州リトル戦に向けて物語が始動する。今回の部分ではこの決勝に向けてチームが一丸となって猛特訓に励む、その対策はマックスが放る変化球とアーサーを軸とした強力打線てあると言っていいだろう。
 後者の強力打線は吾郎に託されたというかたちだ。準決勝で吾郎の実力をまざまざと見せつけられたチームは、吾郎でないと北九州リトル打線を抑えられないと判断してしまったのだ。この判断の前に吾郎が故障者で、長時間の投球が命取りになるという事実は完全に忘れ去られてしまう形になる。それは吾郎本人もそうだし、チームを率いる大人である吉野もそうだ。
 理由はどうあれ打線対策に目処が立ったところで、今度はマックスの球をどう打つかが問題になったようだ。マックスの球はクロスファイアと呼ばれる、左投げで内角に攻め込んでくる鋭い球を投げてくる。この球は右打者だと自分の方に向かって飛んでくるように見える性質があるため、打者は思わず腰が引けてしまい打つことは出来ない。
 マックス対策として博多南リトルが取った特訓法は、一塁に近いところにピッチングマシーンを設置して速球を放るという打撃練習法であった。これだとボールはマックスの球と同じように、右打者に向かって飛んでくるという寸法だ。この方法は吾郎が考案したようで、特訓中は吾郎がピッチングマシーンの設置と操作を行っていたと思われる。
 結果は散々なもので、最初は誰一人としてバットにボールを当てることが出来ず、「臆病者には打てない球」とまで言われる。だが例外は将人で、最初の練習で何とかファウルにすることができていた。将人曰く「打席に斜めに経たねばならないから思い切ってバットを振れない」とのこと。
 さらにこの特訓の後、基礎体力を付けるためランニングという行程が組まれ、この特訓を企画したと思われる吾郎を見て吉野が「こいつ、俺よりスパルタだ」と呟く。だが練習の成果は出たようで、決勝前にはこのピッチングマシーンの球をヒットに出来るようになっていた。あとの問題は実際のマックスとどれだけ違うかだけだろう。

…いよいよ試合開始、1回表に博多南はマックスのセーフティバントとアーサーのホームランでいきなり2点を失うだけでなく、吾郎がいきなり打ち込まれる。その裏、マックスの速球は冴えていて博多南は手も足も出ない。2回表、吾郎はまた打ち込まれ1死2・3塁でバッターボックスにマックスが立つ。
名台詞 「心配いらねーよ、ようやく肩が暖まって来たからな。」
(吾郎)
名台詞度
★★★
 1回は2点を失った後に満塁のピンチを迎え、味方の好守備で何とか守りきったものの2回も吾郎は打たれ続ける。そしてバッターボックスに立つのはマックス。普通の少年ならここは震えるシーンであろうが、吾郎はこう嘯いて気合いを入れる。
 このような状況で吾郎がこのような台詞を吐くシーンは、原作漫画でもよく見られる。これは吾郎の剛胆で怖い物知らずの性格をよく示していて、視聴者や読者に「本当にこいつ大丈夫か?」という不安と、「ここからが見どころか?」という期待の両方を与えて、否応なしに物語を盛り上げる台詞である。吾郎にこの手の台詞が無いと「MAJOR」らしくないと思う方もあるだろう。
 そして多くのシーンでは、吾郎はこの言葉の通りこれまで以上の球を投げ、少なくともこの後に出てくる強打者を打ち取る。つまり吾郎がこうやって嘯くことは、彼独特の緊張をほぐすためのパフォーマンスでもあるのだ。
 前述の通り、吾郎はこの台詞を境に立ち直ってマックスとアーサーを連続三振に切って取る。吾郎はアーサーに対し、全打席のホームランの仕返しと気合いを入れて投げ、アーサーもこれを見て「ようやく本調子になったようだ」と判断する。
名場面 福岡ドーム 名場面度
★★
 決勝戦が行われる球場はソフトバンクホークスの本拠地でもある福岡ドーム、プロ野球本拠地の球場だけあってグランドはきれいに整備され、広いスタンドには多くの観客(と言ってもプロの試合よりかなり少ないが)が試合開始を心待ちにしている。この球場のグラウンドに立った少年達の感激と感動を、この映画では素晴らしく演出している。
 彼らの感動はこのような立派な球場のグラウンドでプレー出来ることだけでなく、やっとの思いでこの決勝まで勝ち進んだという思いもあるだろう。これらの感動を印象的に描くことで、野球に励む子供達にこの感動を伝えていて、多くの子供達に力を与えたシーンであると思う。特に少年達が口にする台詞と、光線状況をうまく利用して少しボカした感じの球場の画面描写はこの印象を強くする演出だ。この画面描写は当サイトで研究した「風の少女エミリー」(これもNHKのアニメだった)や、現在放映中の大河ドラマ「龍馬伝」での描写法と共通している。こういうの好きなんだな、NHKは。
 ちなみは原作漫画で吾郎達がはじめて横浜スタジアムのグラウンドに立ったときも、同じように感動的な演出をしている。プロが使うような立派な球場でプレーする憧れ、これを少年達に振りまくという意味でやはり現代のスポ根アニメと言っていいだろう。
研究 ・福岡ドーム
 劇中で博多南リトルと北九州リトルの決勝戦が行われた場所は、「福岡ドーム」とされている。これは間違いなくネーミングライツによって2005年から「福岡Yahoo!JAPANドーム」を名乗るようになった現実の「福岡ドーム」そのものであり、一般によく知られている開閉式の屋根や、近年設置された「コカ・コーラシート」(フィールドシート)、それに独特のスコアボードなどが再現されている。広告類は実物と同じなのかは分からない。
 九州のリトルリーグについて調べてみたが、どうもリトルリーグ全国大会九州予選の決勝を含むリトルリーグ各種試合はここでは行われていない模様だ(全国大会予選は毎年各県持ち回りで行っていて2010年は熊本県で開催されるらしい)。ただシニアリーグ(中学生)の方を調べると、試合会場として登録はされている。ただし「福岡ドーム」がリトルリーグで全く利用されていない訳ではなく、野球教室などのイベントはここで行われているようだ。
 とはいえリトルリーグとはいえ、決勝でこのような立派な球場を使っていないというのは寂しい気がする。でも全国大会だってプロで使うような立派な球場では行われていない(毎年東京都江戸川区の区営球場で行われる)のだから…夢が壊れるなぁ。この映画のラストでは全国大会が横浜スタジアムで行われているのに。
 結論、プロが使うような球場でプレーするためには、ものすごい苦労をしなきゃならないってことだ。

…2回表の北九州リトルの主軸を何とか打ち取った吾郎だったが、その裏も博多南はマックスを打ち崩せず三者凡退。3回表、吾郎は順当に2アウトまで相手打線を抑えるが、その後に最初の試練が襲いかかる。
名台詞 「でも奴らには、マックスの球は打てませんよ。」
(アーサー)
名台詞度
★★★★
 博多南は名場面欄のような過程で4回の無死満塁のピンチを凌ぐ、これを見た北九州の山崎監督はアーサーに「しまって行け」と忠告する。この返事がアーサーのこの台詞だが、山崎監督はこれに対し「…だといいが」と呟く。
 まずこの台詞自体が名場面欄の博多南のチームワークに対しての、北九州側のチームワークと見て言い。やはり彼らにも勝ち進んで全国大会へ行くという共通目標があり、これに対して皆が自分のやるべき事を自覚しひひまで試合を運んでいる。捕手であるアーサーのやるべき事は、投手を信頼し、投手の細かい精神的変化に気を配り、投手が相手を絶対に打たれないように上手くリードすることである。この自分の役割に自信を持った上で、マックスというチームメイトに対し絶対の信頼を持っていて、かつ万が一打たれても味方の野手が守ってくれるという信頼感を持っているからこそ、このような台詞が言えるのだ。つまりこの台詞はチームワークに裏打ちされたものであり、アーサーの過信によるものではない。
 だが山崎監督は相手チームのチームワークに脅威を感じていたのは事実だ。一度は潰れかかった相手投手が完全復活するほど(厳密には博多南の野手の活躍によるものだが)の精神的繋がりを目の当たりにし、ハッキリ相手が怖いと思ったことだろう。だが監督に出来ることは選手を信頼して試合を任せることだけだ。このシーンでの山崎にはこの部分が上手く表現されている。
 そして試合は強さや技術を競うものではなく、互いの精神的繋がりの強さが問題となるようにその性質を変えて行く。このアーサーの台詞はまさにこれを象徴しているだろう。
名場面 4回表のピンチ 名場面度
★★★★
 3回表2死まで順調に抑えていた吾郎だが、既にこの段階で腕に違和感を感じており「いつも通り」の投球をすることが不可能になっていた。3回はなんとか1失点で切り抜けるが、吾郎はこの際に故障中の右肩で打球を受けてしまい、肩に痛みを感じるようになる。
 続く4回表は思うような球が投げられず、連続四球を与えてしまい無死満塁の大ピンチを迎える。監督の吉野は吾郎が限界と認め、投手交代を告げるべくタイムの声を上げ掛かったところで、博多南の捕手である岸田がタイムを宣言、内野手たちがマウンドに集まる。
 「あんま一人で無理すんな」と岸田が声を掛けると、他の選手達も「細かいコントロールは気にするな、ど真ん中に投げろ」「それで打たれたら俺たちが身体を張って守ってやる」「点を取られたら取り返せばいい」「頼むぜ、全国に連れてってくれ」と内野を守る仲間達は次々と吾郎に声を掛ける。そしてライトの守備位置では将人が「頼むぞ、エース!」と叫んでいる。
 そしてマウンドに集まった仲間達も「頼むぞ、エース」と吾郎に声を掛けてから守備位置に散らばって行く。振り返った吾郎の表情はこれまでの苦しみの表情でなく、笑顔に変わっていた。タイムが解かれると選手達は「よし、来い!」と声を上げ、吾郎は「みんなで全国へ行くんだ」と気合いを入れて投球を再開する。その球威はまた元の速球に戻っており、続く打者を2ストライクから6−2−3のダブルプレーに仕留め、吾郎は「ナイス!サード!」と声を上げる。次の打者は2塁後方への難しいフライとなるが、セカンドとショートが衝突しながらもセカンドがボールをしっかり掴んでおりアウト、やはり吾郎が「ナイス!セカンド!」と声を上げる。立ち上がったセカンドに、将人が「難しい当たりをよく取った」と褒める。
 これも非常に「MAJOR」らしいシーンである。チームワークとは何か、原作漫画ではこの部分にも深く切り込んでおり、それにチーム全員がひとつの目標に一丸となり、そのために互いが相互に信頼し合い自分のなすべき事を果たすという面を伝えてくる。そしてこのためには練習で汗を流し、それぞれが研鑽することの積み重ねで出来上がる物なのだ。
 だからこそ吾郎はこのようなシーンで力を与えられることになるし、また他の選手達も「自分の役割」に目覚めて気合いを入れることで信じられないプレーを生み出す。このような高度なプレーは前述したチームワークという土台によって「自分の役割」に目覚めないと現れないものなのだ。
 このシーンの前、吾郎は肩の痛みで頭が一杯になってしまい「自分の役割」を見失いかけていた。バッテリーを組む岸田はこれに気付き、チーム全員で「自分の役割」を再認識させる必要があると感じていたのだろう。野手達も吾郎が投げていることで安心しきっていて、吾郎に全てを任せてしまい「自分の役割」を見失ったからこそ吾郎の不調に不安を感じるのだ。
 野手が「自分の役割」に目覚めるのは、集まって最初の岸田の一言で十分だろう。彼らは「投手が打たれたら自分達が何としても守る」という自覚に目覚め、それを見た吾郎が「自分は力の限り投げる」と自覚する。こうしてチーム全員が共通目標を持っているという「チームワーク」が再認識され、このシーンの後の好プレーが生まれてこのピンチをしのいだのだ。
 もちろん、この再結束はこの後の反撃の力を与えることにもなる。
研究 ・アーサーとマックス
 決勝の相手は北九州リトル、前述したがアメリカから来た白人捕手でスラッガーのアーサーを中心とした打撃力中心のチームである上に、エース投手としてやはりアメリカから来た黒人投手マックスを擁し、難攻不落の強豪チームとしてこの大会にエントリーしてきている。
 チーム名からして福岡県北九州市にあると考えて良いだろう、アーサーやマックスと言ったアメリカ人選手が少なくとも二人いることを考えると、アメリカ企業の進出によるその従業員居住地域を近辺に抱えているチームなのだろう(北九州市には在日米軍基地はないのでこう想像せざるを得ない)。恐らくアーサーとマックスは親同士が同じ企業に勤めていて、ともに北九州市にあるその企業の根拠地に赴任となったと解釈すればいい。二人は学校も同じであることがこの後のシーンで判明するので、この解釈はあながち間違っていないだろう。
 アーサーは強打者としての面が強調されているが、捕手としてもそこそこの腕前があると考えて良いだろう。だが後述するマックスという好投手を抱えていて、これに強力打線を備えていて負け知らずだったこともあって、打たれ弱かったのではないかと想像される。
 マックスは投手として印象に残っているが、彼の脚力も忘れてはならない。この試合の第一打席ではセーフティバントでサード前に球を転がし、これを悠々セーフとする足の速さを持っている。これだけの脚力があれば打順は3番でなく1番の方が良いんじゃないかと思うが、きっと彼もアーサーに匹敵するスラッガーなのだろう。
 ちなみにアメリカ人が日本のリトルリーグに入団することについて、日本リトルリーグ連盟のサイトに行って調べてみた。これによるとリトルリーグ入団の基準は年齢(5月1日基準)以外に「地元のチームに入団する」という決まりがあるだけで、チームがある地域住民であれば他国籍児童の入団は問題ないようだ(ただサイトでは規約や規則などが全文読める訳ではない)。

…何とかピンチを乗り越えた博多南、次の攻撃では打順は二巡目に入る。マックスの球に慣れた博多南の反撃が始まる。。
名台詞 「お父さんの仕事で日本に来た。友達はいなかった。(中略)野球をやり始めた僕は爪を噛まなくなった。グラウンドには、みんながいた。野球が僕を変えてくれた。みんな…ありがとう、みんな。もう大丈夫。もう1点もやらない!」
(マックス)
名台詞度
★★★
 これまで自慢の速球で博多南打線を抑えてきたマックスだが、4回裏にそのクロスファイヤが捕まったことで急に投球が乱れる。次々に打たれ、マックスは気弱な表情に変わり爪を噛むようになる。その都度アーサーが気合いを入れたがマックスは立ち直れず、吾郎のタイムリーを浴びて1失点の後、遂に逆転3ランを許してしまう(名場面欄参照)。
 爪を噛んだままマウンドにしゃがみ込むマックスの前にアーサーが立ち、「立てよ」と声を掛ける。野手達もマウンドに集まっており、「夢を諦めるまで諦めない約束だろう」「みんなで全国へ行くんだろ」「メジャーに行くんじゃなかったのかよ」と次々に声を掛ける。これに反応してマックスの脳裏に野球を始めたときの記憶が甦り、その際にマックスの心の中の声として流れるのがこの台詞である。
 この台詞のシーンはこの前の吾郎がピンチに陥った場面のアーサー版と言ってもいい。今度は彼がチームの仲間達に支えられ、逆転を許したショックから立ち直る番なのだ。そのキーワードになった言葉もやはり「仲間」、彼も吾郎と同じようにチームの仲間達と目標を共有し、それに向かっていたことを思い出す。
 彼は知り合いが誰もいない日本に来て孤独を味わっていた。そんな彼を救ったのがチームの仲間であり、その仲間との絆を作ってくれた野球そのものなのであることはこの台詞と背景に流されたイメージで容易に想像が出来る。それまで爪を噛むのが癖の暗い少年に、野球と仲間を通じて心からの笑顔が訪れた。こんな過去が流される。
 そしてその過去を思い起こして彼が気付いたのは、そんな仲間と野球を裏切れないこと。そのためにはこれ以上失点を許してはならず、ここを全力で切り抜けて攻撃に繋がねばならないこと。それが自分の役割であり、仲間達との共通目標への道である事を再確認する。
 その思いが「絶対に打たせない」という確固たる意志に変わり、マックスは打ち込まれる前の調子を取り戻し次の打者を三振に打ち取る。そんな彼の心の変化を、見事に描いた台詞なのだ。
名場面 反撃 名場面度
★★★
 4回裏、博多南の選手達に変化が現れる。打順が二巡目に入ったこともあり、打席に立った打者がマックスが投げるボールに慣れて来たのだ。これまで手も足も出ずに三振ばかり続けてきた打線が、1番打者伊藤のセカンドゴロを皮切りにマックスを揺さぶるようになる。
 続く2番打者の佐野はライト前にこの試合における博多南初ヒットを放ち、続く3番の岸田は3塁戦へゴロを打ち凡退するが、次は4番の吾郎の打順となる。アーサーは「まぐれだ」「みんなもいい守備している」「大丈夫だ」と爪を噛みだしたマックスを元気づけるが、マックスは制球が定まらない。そこを吾郎につけ込まれ、2球目をレフトオーバーのタイムリーヒットとされ1失点。続く5番の将人には二遊間を破られ2死ながらもランナー1・3塁とされる。アーサーはマックスに「2アウトだ」と声を掛けるが、6番打者の須藤が甘く入った3球目を見逃さず、ライトの頭上を越える逆転3ランを放つ。
 このシーンの合間で選手が口にする言葉は「練習を思い出せ」という言葉だ。彼らはマックスを打って勝つために猛特訓を積んでおり、それの通りにやれば出来るはずなのだ。マックスに対する第一打席は練習のピッチングマシーンとの違いに狼狽えたが、そこで練習と実物の違いを見極めて修正法を見いだした彼らは、この2巡目では全打席と違い打つ自信まんまんの状態であった。その自信と練習の成果が花開き、この回で逆転に成功する。このシーンで「練習は選手を裏切らない」というスポーツの鉄則を、我々に見せてくれる。
 それと「MAJOR」の主人公側チームの反撃シーンでよく見られ、好感が持てるシーンがこのシーンには含まれている。それは相手にとって決定打となる一打を、主人公の吾郎やそれに準じる強打者(この映画では将人)が打つのでなく、脇役クラスでその活躍が無ければ名前も覚えられないような選手が打つことである。この役割を6番打者でこれまで台詞が殆どなかったレフトを守る須藤が引き受けた。主役を中心としたレギュラーキャラばかりが活躍するのでないので、これは物語を白けないようにするひとつの手法であろう。これが「ドカベン」だったら間違いなく主人公山田が本塁打を打つシーンだろう。
 さらに反撃シーン全体のBGMに対する須藤のホームランシーンのBGMの変化は音楽的に素晴らしいと思う。これまで波状攻撃を仕掛けてきたところへのとどめの一発を盛り上げるべく、急に静かな曲調に変わる。これは良いとこで一発が出たという博多南ナインの感動と喜びを表現しているのだろう。
研究 ・ 
 

逆転されるとマックスは調子を取り戻し、博多南のリードは1点に留まる。そして続く北九州の攻撃では吾郎の肩の様子が悪化して苦しい投球が続くが、なんとか三者三振に切って取る。そして5回裏、博多南は追撃しなければならないイニングを迎える。
名台詞 「茂野! お前の番だ。」
(マックス)
名台詞度
★★★★
 名場面欄の通り5回裏を渾身のストレートで三者三振、しかも9球で終わらせたマックスはベンチに引き揚げる途中で立ち止まり、博多南ベンチの吾郎を指さしてこう言う。
 マックスには逆転勝ちへ望みを繋げるために、5回裏を無失点で抑える必要があった。だが彼はそれ以上の働きをしたと言っていいだろう、無失点で抑えただけではなく相手に「もう絶対に点は取れない」という威圧感を与えるだけの投球をしたことは、名場面欄を見れば自他共に認めるところだろう。その投球内容への自信から彼は高らかに言うのだ、「こんどはこっちが見せて貰う番だ」と。これはマックスの過信ではない、味方は最終回で逆転をしてくれるというチームメイトに対する信頼と、味方が逆転したらその後に自分が抑えきるという自信から出た台詞だ。名場面欄に記した「博多南にとって脅威として立ちはだかる」という側面を強くするために、マックスがどうしても言わねばならない台詞だったのだ。
 この台詞に対し吾郎は「やるねぇ、俺も絶対に負けない」と呟いて最終回のマウンドに向かう。この台詞からこの映画のクライマックスである最終回の攻防が始まるのだ。
名場面 マックスの全力投球 名場面度
★★★★
 苦しみながらも5回表を三者三振に切った吾郎を見て、アーサーとマックスは「やるね」「負けられない」と語り合いながらベンチを出て行く。マックスは吾郎に向かって「僕は負けない」と呟くと、唸り声を上げながら剛球を投げ込む。それは今まで彼が投げていた内角へ食い込む変化球ではなく、重くて速度を持った渾身のストレートだった。このストレートに博多南の打者は手も足も出ず、ベンチの吾郎も「すげーな、あいつ」と思わず口走る。そしてマックスは博多南を三者連続三振に切って取り、1点差で最終回の守りに繋げる。
 登場人物も視聴者も、マックスの「勝ちたい」という執念が具現化して魂のこもった全力投球をまざまざと見せつけられた感じだ。ここまでずっと投げ続け、しかも逆転を許してリードされているのだから肉体的にも精神的にも辛いはずだ。だが彼の中にある「勝ちたい」という執念はそんな疲労をぶっ飛ばし、博多南にとって脅威として立ちはだかる。こんなシーンを上手く描いていると思う。
 そしてこれらのシーンでは「勝ちたい」という執念がなければ勝てないという、スポーツの鉄則を上手く描き、またこれまで変化球で相手を翻弄していたマックスがストレート一本で勝負を決めてくることで、野球というスポーツの「一対一の対決」という側面での面白さを迫力を持って描いている。「MAJOR」ではこういう対決は多く、野球が好きな人なら絶対にはまるシーンでもあろう。
研究 ・念のためこの試合のスターティングオーダーを
北九州 博多南
白井 伊藤
金子 佐野
マックス 岸田
アーサー 茂野
辻村 古賀
久保田 須藤
日高 上杉
若尾 上杉
内藤 高倉

審判団は以下の通り
PL 長濱
1B 榎本
2B
3B 高橋

…博多南1点リードで、いよいよ吾郎が最終回のマウンドに立つ。だが彼の右肩は既に限界に達していた。
名台詞 「あんま、感覚ないや。約束破って怒るかな? 父さん、母さん。けどさ、俺…ここで投げなかったら、一生後悔しそうなんだ。」
(吾郎)
名台詞度
★★★★
 アーサーから1ストライクを取った吾郎は、もう投球時に落とした帽子を拾う力すら残ってない。だが帽子を拾いながらこの台詞を吐く、そしてアーサーに続く2球目を力の限り投げ込む(名場面欄参照)。
 もちろん吾郎の肩が故障していて、とてもじゃないが投手として投げられる状況ではないことは英毅も桃子も知っている。英毅はプロ野球選手として、吾郎に投球禁止を指示していたはずだ。その投球禁止は英毅と桃子との約束となっていたはずだが、彼はそれを破ってマウンドに立っている。
 彼は元々準決勝で1イニングの抑えのつもりでマウンドに立ったはずだ、もちろんこの決勝でも終盤の抑えとしての活躍のみのつもりでいただろう。だが敵があまりにも強すぎた、吾郎の右肩無しではどうしても勝ち進めない状況は明白だった。自分が投げなきゃどうしても勝てないなら「投げられない」という選択肢は彼にはない、チームの勝利という目標に向かって共に走る仲間達を裏切ることなど出来ない。
 彼が言う「ここで投げなかったら一生後悔する」とはそういう意味だ。これはチームが勝利するという共通目標のために、吾郎がどうしてもなさねばならないことだったのだ。だから彼はたとえ右肩がぶっ壊れようと、二度と右肩で投げられない身体になるとしてもマウンドに立つしかなかった。そんな気持ちが強く伝わってくる台詞だ。
 この何よりも仲間思いで、なによりも野球が好きだからこそ、彼は右肩を失うという悲劇に直面することになってしまう。そんな一面もこの台詞から垣間見ることが出来るだろう。
名場面 吾郎対アーサー 名場面度
★★★★★
 いよいよ迎えた最終回、吾郎も全力投球で北九州打然をねじ伏せる。先頭打者の2番金子を三球三振、3番マックスも吾郎の渾身のストレートにフルスイングで対抗するが全て空振り。だが既に吾郎の肩はストレートを投げる度に悲鳴を上げており、彼は腕に痺れを感じて投球の際に落とした帽子すらまともに拾うことが出来ない。
 そして2死で迎えた最後の打者は北九州の主軸、4番アーサー。三振に倒れたマックスに「俺が一発で追い付いてやる」と言い残してバッターボックスに立つアーサー、吾郎に「あと一人だ!」「頑張れ」「もうちょっとだ」「勝とうぜ!」「優勝だ!」と声を掛ける博多南の選手達。皆が見守る中、吾郎が第一球のモーションを起こす。ストレートど真ん中だがアーサーは手を出せずストライク。捕手の岸田が「いいぞ!」と声を掛けながらボールを返すが、もう吾郎は経っているのがやっとの状況だ。名台詞欄の台詞を挟んで第二球、同じコースのストレートにアーサーは反応するがそのバットは空を切る。あまりの状況にスタンドで観戦していた恵が立ち上がり、吾郎の名を呼びながらスタンド最前列へ走る。吾郎が力の限りの第三球を投げる、吾郎の右肩はさらなる悲鳴を上げつつもこれまでに見たこともないような剛球がアーサーを襲う。だがアーサーはその剛球をバットではじき返す、打ったボールはライトのファンルラインギリギリの場所へ飛んで行くが、これに反応した将人は走り、最後はダイビングキャッチでボールへと食らいつく。止まるBGM、落ちてくるボール…。だが将人が身を起こすとそのグローブにはしっかりとボールが収まっていた、審判が「アウト」を宣告し試合終了。博多南の選手達が吾郎の元に駆け寄る。1塁付近で下を向くアーサーの姿が印象的だ。
 博多南の選手達がマウンドで歓喜の輪を作るが、吾郎はその輪の中で右肩を押さえたまま倒れる。監督が吾郎の名を呼ぶ声が空に消える。
 彼の疲労は極限まで達しており、そしてついにこの右肩は二度と投球が出来ない肩になってしまった瞬間である。吾郎が右で投げる最後のマウンド、そしてその勝負は「MAJOR」の中でも名勝負のひとつに数えられるであろう印象深い内容となった。僅か1点差、2死と言えバッターボックスに立ちのは世代最強レベルの強打者。これを吾郎らしく力でねじ伏せ、そしてその相手を倒すと力尽きて倒れる…まさに全身全霊での勝負だったのだ。
 この映画を作るに当たって、原作漫画やテレビアニメで飛ばされた「吾郎が右肩を完全に壊した状況」をどのように描くかは最大の焦点だったと思われる。そこに必要な相手は「吾郎でないと倒せない」強い相手でなければ、見ている側は納得しないだろう。そのためにアーサーとマックスというコンビが考え出され、このような彼が右肩を失うのに相応しい力と力の勝負を演じることになったのである。ただそんな強い相手が吾郎が中学・高校(特に海堂高校編では重要)と進学しても出てこない矛盾を回避するために、彼らは外国人という設定を与えられることになったのだろう。
 そしてこの全身全霊の勝負は、「MAJOR」という漫画のアツさを再現する素晴らしいシーンだ。「MAJOR」を読んだことある人もそうでない人も、この映画だけは絶対に見て欲しいと思うのはこの対決シーンのアツさがあるからだ。
研究 ・試合結果
福岡ドーム・10時30分開始
 
北九州  
博多南 ×  
勝:茂野
負:マックス
本:アーサー(1回表2ラン)・須藤(4回裏3ラン)

…九州大会決勝に勝利した博多南リトルは全国大会に駒を進めた。だがそのグラウンドには吾郎の姿はなかった。そして数ヶ月の時が流れたが、吾郎の「母」である桃子は、吾郎にどう声を掛けて良いのかわからないままだった。
名台詞 「(前略)もしそれがダメでもその時は、本田と同じ野手だっていいじゃないか。そこに仲間がいてボールがあれば、野球はできるんだ。いつまでも拗ねてるとぶん殴るぞ、茂野吾郎!」
(英毅)
名台詞度
★★★★★
 下記名場面シーンの最後に、英毅が吾郎に言う台詞だ。この台詞には「MAJOR」という作品の根底にあるものがしっかりと語られている。
 野球は投手が全てではない、外野手や内野手がいないとチームが成り立たない。そしてそこにボールとバットと仲間がいれば、野球が出来る。「MAJOR」という漫画はこういう部分を丁寧に描き、主人公の投手が仲間達に支えられて勝利を掴むという構図としてしっかり描き、「仲間の絆」を見る者に訴える。投手がダメなら仲間として投手を支えればいい、攻撃で仲間を支える立場になればいい。野球というのは色々な参加の仕方がある幅広いスポーツなのだと、この漫画は教えてくれる。
 それだけでなく英毅の「息子」として吾郎を思う気持ち、彼も「息子」が人生を失って悩む姿を見ていられなかったのだろう。その「息子」を鼓舞する台詞でもあり、最後にわざわざ「茂野吾郎」と呼ぶ辺りは、英毅が吾郎を「息子」として認め、だからこそ実父だけでなく自分にとっても恥ずかしくない生き方をして欲しいと願っているのだ。
 私がこの映画で一番心に残った台詞は、この台詞だった。
名場面 父と子 名場面度
★★★★
 吾郎の右肩の状態は最悪で、もう二度と投球が出来なくなってしまった。初秋の香りが漂う季節になってもこのショックから抜け出せず、吾郎は河原に腰掛けて呆ける日々が続く。
 そんな吾郎の脇に英毅が立ち「後悔してるか?」と問う、吾郎は「してないよ、自分で決めたことだから」と即答する。だがそれに続けて「二度と投げられないと知ったらどうしていいか分からなくて、野球がなくなったら何が残るのかなって…」と自分のショックを告げる。英毅は待ってましたとばかりに「野球だけが人生じゃない、前向きに生きていれば道はいくらでもある」と答えた上で、「もし野球に、ピッチャーにこだわるならサウスポーに挑戦してみる気はないか?」と問う。驚いて見上げる吾郎に英毅は何かが入った袋を渡す、吾郎がこの袋を開けると中に右手用のグローブが入ってた。さらに英毅はサウスポー転向へのリスクを語るが、その上で吾郎はまだ小学生だから挑戦してみる価値と時間はあると告げる。そして名台詞欄に続く。
 自慢の右腕を失ったことは、実父を目指して頑張ってきた吾郎にとって人生の全てを失うに等しい物であった。この右腕で投手としての道を開き、父である本田茂治に追い付き、その父の生命を奪ったギブソンと勝負する。これが彼が描いていた人生であり夢だったのだが、10歳の若さでそれが唐突に奪われた。道を閉ざされた彼は他の手段で生きる術を知らず、大きな壁にぶつかってしまう。そう、吾郎本人が言う通り彼から野球を取ったら殆ど何も残らない、彼はそんな風にここまで生きてきたのだ。
 そんな吾郎に「父」である英毅が道を授ける。平たく言えば「右がダメなら左があるじゃないか」と言うことだが、もちろん秀樹が言う通りこれには多大な困難がつきまとう。このサイトをご覧になっている皆さんも「利き手と反対の手でペンを持って字を書いてみろ」と言われたら、それをマスターするのに多大な時間と根気を必要とするだろう。
 だが英毅は分かっていたはずだ、吾郎はその道がどんな困難なものであっても、それが自分が目指すべき道であるならそこへ驀進することを。だからこそ次に行くべき道への「鍵」として左投げで使用する右手用のグローブを渡すのだ。そして名台詞欄で説明した台詞で、吾郎を鼓舞する。
 吾郎が右投げから左投げに転向する直接のきっかけとなるこのやりとりは、回想シーンとして原作漫画に風景のみ描かれている。そのシーンを上手く「物語」として再現、映画化したと感動したものだ。この吾郎と英毅の会話には、この映画とも物語が繋がって行く原作漫画とも矛盾はなく、吾郎に新しい道が開かれるシーンとして見た者の心に強く残るものだ。
 このシーンの最後、吾郎が英毅に「ありがとう」と声を掛けてやっと笑顔を見せる。これを影から見てホッとする桃子の姿もいい。こんなシーンを通じてこの3人は親子として、家族としての絆も深める。そんな一面をも持っているシーンだ。
研究 ・サウスポー吾郎の物語の始まり
 原作漫画で飛ばされた空白の期間、その間に吾郎はサウスポー(左投げ)に転向するのだが、この映画ではその過程が上手く描かれることになった。
 今後、彼はサウスポーとして物語を展開して行くことになるが、ここで英毅が語った通りその道のりが決して平坦ではなかったことは原作漫画でしっかり描かれた。基礎的な体力を付けるために一時的にサッカーに転向し、横浜に帰還してからは大介らが所属する三船東中学の投手としてデビューするが、ここで鍛えたつもりの左腕の球が打ち込まれる。吾郎は特訓に特訓を重ね、箸やペンの持ち手を左に変えるなど私生活まで改め、中学3年の大会までには左腕での投球を完成させる。この間の彼の苦労は、読む者に何かを感じさせるはずだ。
 また吾郎が右肩を失ってサウスポーに転向したという事実は、他の選手にも多大な影響を与える。彼は三船東中で山根という不良生徒と対立するのだが、この山根は元々野球部の三塁手で上級生のリンチにより右腕での送球が出来ない身体にされてしまったという過去の持ち主だった。この過去によって荒れていた山根は、吾郎のサウスポー転向劇を知って自分も左投げに転向しようと決意、不良生活から足を洗って練習に励み、高校進学後はサウスポー投手として大会を引っかき回すほどの存在となる。これも吾郎の力無しではあり得ない物語だった。
 さらに吾郎はその自慢の左腕で甲子園の常連校「海堂高校」に進学し、ここで投手として一流の手ほどきを受けると自主退学。今度は共学校になったばかりで野球部がないという設定の高校に転校して、ここで野球部をゼロから作って海堂高校に挑むというとんでもない物語を展開する。高校卒業後は日本のプロ入りを拒み、単身渡米してメジャーリーガー目指す。
 この映画はもう1シーンで終わりだが、同時にこれは吾郎のサウスポーとしての物語の始まりでもある。その物語をもっと詳しく知りたいという方は、是非とも原作漫画を買って読んで頂きたい。ちなみに「MAJOR」の原作漫画は、この考察連載中に掲載誌に最終回が掲載され完結したとのこと。近いうちに文庫になるのではと期待している。

…そして現在、博多南で吾郎と共に戦った古賀将人は大学野球で活躍していた。帰国した吾郎は九州へ直行し、球場に将人を訪ねる。
名台詞 「なに宇宙人見たような顔してんだ? ちゃんと自己紹介したのに、忘れちまったのか? 茂野吾郎、左投げ右打ち。」
(吾郎)
名台詞度
★★
 名台詞欄シーンに続く、この映画最後の台詞である。ラストシーンの大団円に引き続き、この台詞で物語は幕を閉じるのだが、この最後の台詞は上手く考えられたと感心する。
 そう、前欄の研究欄に示した「サウスポー吾郎」の活躍を知らなくとも、この台詞でもってサウスポーに転向した吾郎が成功して事が示唆されており、この映画だけでも物語が完結できるように上手く物語の落としどころを作ったのだ。
 この台詞に合わせて吾郎が左投げを懐かしい福岡時代の仲間に見せたところで、この映画は幕を閉じる。
名場面 再会 名場面度
★★★
 あの北九州リトルとの激戦から9年、アメリカのマイナーリーグで一旗揚げた吾郎は帰国すると、少年時代に2年間を過ごした福岡を訪れる。その頃、博多南リトルで吾郎と共に戦った将人は大学に進学し、大学野球で投手として活躍していた。その試合終了後、将人と観客として試合を観戦していた恵と誠也の前に吾郎が姿を現す。
 「よっ、久しぶり」と声を上げる吾郎の姿に、3人は声を上げて驚く。「なんでここに?」と声を上げる将人に、「懐かしい顔を遙々見に来た、ちゃんと土産も持ってきたぜ」と言うと将人にアメリカから大事に持ってきたボール、つまり冒頭シーンで出てきたボールを渡す。将人がそのボールを見ると、誰かのサインボールであることが分かる、その名はアンディ・ジャクソン…そう、吾郎は9年前の約束をちゃんと覚えていて将人のためにアリスを通じてこのサインボールを手に入れたのだ。
 それだけでない、ここで吾郎が渡米して野球を続けているという事実を、この3人は初めて知ることになった。何てったって彼らにとっては、吾郎の記憶は小学5年生で右肩を壊して投球できなくなったところで止まっていたのだ。その謎は疑問となるが、これに答えるように吾郎は名台詞欄シーンのように自慢の左腕を披露する。
 まさに大団円というべき終わり方だろう、ラストシーンは冒頭シーンに決勝直前の練習シーンで張られた伏線を回収する形で見事に決まった。吾郎が冒頭シーンでアリスから渡され、大事そうに持っていたサインボールの謎が解け、それに将人に渡米したときにサインボールを貰って欲しいと頼まれた事が繋がったのだ。そしてこのサインボールを持ち帰ったことが、吾郎と将人に続く「友情」そのものであり、「友情の一球」という映画のタイトル通りのオチを見せてくれたのである。
感想 ・吾郎の知名度
 物語は吾郎がマイナーリーグで一旗揚げた、彼が19歳の時の回想として描かれた。では野球選手としてこの時点での吾郎の知名度はどうだったのだろう。
 この映画の最後の研究でその部分に突っ込まざるを得なくなったわけは、吾郎がサウスポーに転向して野球を、しかも投手を続けていることを将人も恵も誠也も知らなかったことにある。特に大学野球の投手として活躍する将人が知らないというのは気になることだ。
 だがこれは無理もないだろう。今後の吾郎の野球人としての人生を、「MAJOR」原作漫画から拾ってみると、彼が19歳になるまでの間に有名になれる活躍をしていないのだ。
 野球選手としてマスコミなどでもてはやされ、ある程度名が知れるようになるのは高校に進学してからだろう。それでも高校野球で名が知れ渡る選手というのは限られている、甲子園に出場しせめて1回くらい勝たねばならないのだが、吾郎はその甲子園に行っていない。
 その後の吾郎についても、確定していた日本のプロ行きを断って渡米し、アメリカのマイナーリーグへ進む道を取る。もちろんアメリカのマイナーリーグで活躍する日本人選手のことなど、日本のマスコミは殆ど報道しない。吾郎は一度だけメジャーリーグのエキシビションで先発投手としてマウンドに上がったが、これが日本で報道されても直後にマイナー落ちし、さらに解雇では続報のしようがなかっただろう。
 だが高校時代の吾郎については別の事実がある。高校3年の高校野球神奈川大会でノーヒットノーランを達成し、しかもそれがプロ野球選手で試合中の事故で他界した本田茂治の息子だったと言うことでスポーツ新聞の一面を飾り、吾郎がマスコミに追われるという事態にまでなったのだ。これをきっかけにプロにも目を付けられ、吾郎は2球団からドラフト指名の内定を貰う(吾郎はこれを蹴って渡米したのだが)。
 問題はこの高校時代の吾郎の報道が、どれほどの範囲で報道されたのかという点だ。恐らく全国には報道されていないだろう、せいぜい東日本のみだったか、ひょっとすると関東ローカルだったかも知れない。それを裏付けるように将人はこの記事を見ていないはずで、彼がこの記事を知っていれば吾郎がサウスポーに転向して頑張っていることは知ることが出来たはずだ。
 あ、吾郎は冒頭で恵からの手紙を持っていたぞ。…ってことは恵と文通していたと考えられるが、吾郎の性格を考えると手紙は恵からの片道運行で、吾郎は転居などの最低限の情報のみ返事していた可能性が高い。いや、ここではそう解釈すべきだ。
 将人は大学野球でかなり活躍しているので、恐らく高校野球でも活躍してていたと推測できる。将人は福岡県代表投手として甲子園を湧かせていた可能性は高いだろう、だったら名門海堂高校が吾郎に苦しめられたことくらい知っていてもいいと思うが…。
 ちなみにその海堂高校がどれほどの名門でどれほど強いかというと、なんと夏の甲子園連覇という「ドカベン」の明訓高校でもなしえなかった大記録を持っているのだ。この夏連覇の記録は、現実の高校野球では2005年に南北海道代表の駒澤大学付属苫小牧高校が達成するまで半世紀以上達成した者がなかった大記録なのだ。
 話が逸れた、いずれにしろ吾郎の野球人生は華やかな表舞台ではなく、裏街道をまっしぐらだったことはこれでお分かり頂けるだろう。

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