…九州大会決勝に勝利した博多南リトルは全国大会に駒を進めた。だがそのグラウンドには吾郎の姿はなかった。そして数ヶ月の時が流れたが、吾郎の「母」である桃子は、吾郎にどう声を掛けて良いのかわからないままだった。 |
名台詞 |
「(前略)もしそれがダメでもその時は、本田と同じ野手だっていいじゃないか。そこに仲間がいてボールがあれば、野球はできるんだ。いつまでも拗ねてるとぶん殴るぞ、茂野吾郎!」
(英毅) |
名台詞度
★★★★★ |
下記名場面シーンの最後に、英毅が吾郎に言う台詞だ。この台詞には「MAJOR」という作品の根底にあるものがしっかりと語られている。
野球は投手が全てではない、外野手や内野手がいないとチームが成り立たない。そしてそこにボールとバットと仲間がいれば、野球が出来る。「MAJOR」という漫画はこういう部分を丁寧に描き、主人公の投手が仲間達に支えられて勝利を掴むという構図としてしっかり描き、「仲間の絆」を見る者に訴える。投手がダメなら仲間として投手を支えればいい、攻撃で仲間を支える立場になればいい。野球というのは色々な参加の仕方がある幅広いスポーツなのだと、この漫画は教えてくれる。
それだけでなく英毅の「息子」として吾郎を思う気持ち、彼も「息子」が人生を失って悩む姿を見ていられなかったのだろう。その「息子」を鼓舞する台詞でもあり、最後にわざわざ「茂野吾郎」と呼ぶ辺りは、英毅が吾郎を「息子」として認め、だからこそ実父だけでなく自分にとっても恥ずかしくない生き方をして欲しいと願っているのだ。
私がこの映画で一番心に残った台詞は、この台詞だった。 |
名場面 |
父と子 |
名場面度
★★★★ |
吾郎の右肩の状態は最悪で、もう二度と投球が出来なくなってしまった。初秋の香りが漂う季節になってもこのショックから抜け出せず、吾郎は河原に腰掛けて呆ける日々が続く。
そんな吾郎の脇に英毅が立ち「後悔してるか?」と問う、吾郎は「してないよ、自分で決めたことだから」と即答する。だがそれに続けて「二度と投げられないと知ったらどうしていいか分からなくて、野球がなくなったら何が残るのかなって…」と自分のショックを告げる。英毅は待ってましたとばかりに「野球だけが人生じゃない、前向きに生きていれば道はいくらでもある」と答えた上で、「もし野球に、ピッチャーにこだわるならサウスポーに挑戦してみる気はないか?」と問う。驚いて見上げる吾郎に英毅は何かが入った袋を渡す、吾郎がこの袋を開けると中に右手用のグローブが入ってた。さらに英毅はサウスポー転向へのリスクを語るが、その上で吾郎はまだ小学生だから挑戦してみる価値と時間はあると告げる。そして名台詞欄に続く。
自慢の右腕を失ったことは、実父を目指して頑張ってきた吾郎にとって人生の全てを失うに等しい物であった。この右腕で投手としての道を開き、父である本田茂治に追い付き、その父の生命を奪ったギブソンと勝負する。これが彼が描いていた人生であり夢だったのだが、10歳の若さでそれが唐突に奪われた。道を閉ざされた彼は他の手段で生きる術を知らず、大きな壁にぶつかってしまう。そう、吾郎本人が言う通り彼から野球を取ったら殆ど何も残らない、彼はそんな風にここまで生きてきたのだ。
そんな吾郎に「父」である英毅が道を授ける。平たく言えば「右がダメなら左があるじゃないか」と言うことだが、もちろん秀樹が言う通りこれには多大な困難がつきまとう。このサイトをご覧になっている皆さんも「利き手と反対の手でペンを持って字を書いてみろ」と言われたら、それをマスターするのに多大な時間と根気を必要とするだろう。
だが英毅は分かっていたはずだ、吾郎はその道がどんな困難なものであっても、それが自分が目指すべき道であるならそこへ驀進することを。だからこそ次に行くべき道への「鍵」として左投げで使用する右手用のグローブを渡すのだ。そして名台詞欄で説明した台詞で、吾郎を鼓舞する。
吾郎が右投げから左投げに転向する直接のきっかけとなるこのやりとりは、回想シーンとして原作漫画に風景のみ描かれている。そのシーンを上手く「物語」として再現、映画化したと感動したものだ。この吾郎と英毅の会話には、この映画とも物語が繋がって行く原作漫画とも矛盾はなく、吾郎に新しい道が開かれるシーンとして見た者の心に強く残るものだ。
このシーンの最後、吾郎が英毅に「ありがとう」と声を掛けてやっと笑顔を見せる。これを影から見てホッとする桃子の姿もいい。こんなシーンを通じてこの3人は親子として、家族としての絆も深める。そんな一面をも持っているシーンだ。 |
研究 |
・サウスポー吾郎の物語の始まり
原作漫画で飛ばされた空白の期間、その間に吾郎はサウスポー(左投げ)に転向するのだが、この映画ではその過程が上手く描かれることになった。
今後、彼はサウスポーとして物語を展開して行くことになるが、ここで英毅が語った通りその道のりが決して平坦ではなかったことは原作漫画でしっかり描かれた。基礎的な体力を付けるために一時的にサッカーに転向し、横浜に帰還してからは大介らが所属する三船東中学の投手としてデビューするが、ここで鍛えたつもりの左腕の球が打ち込まれる。吾郎は特訓に特訓を重ね、箸やペンの持ち手を左に変えるなど私生活まで改め、中学3年の大会までには左腕での投球を完成させる。この間の彼の苦労は、読む者に何かを感じさせるはずだ。
また吾郎が右肩を失ってサウスポーに転向したという事実は、他の選手にも多大な影響を与える。彼は三船東中で山根という不良生徒と対立するのだが、この山根は元々野球部の三塁手で上級生のリンチにより右腕での送球が出来ない身体にされてしまったという過去の持ち主だった。この過去によって荒れていた山根は、吾郎のサウスポー転向劇を知って自分も左投げに転向しようと決意、不良生活から足を洗って練習に励み、高校進学後はサウスポー投手として大会を引っかき回すほどの存在となる。これも吾郎の力無しではあり得ない物語だった。
さらに吾郎はその自慢の左腕で甲子園の常連校「海堂高校」に進学し、ここで投手として一流の手ほどきを受けると自主退学。今度は共学校になったばかりで野球部がないという設定の高校に転校して、ここで野球部をゼロから作って海堂高校に挑むというとんでもない物語を展開する。高校卒業後は日本のプロ入りを拒み、単身渡米してメジャーリーガー目指す。
この映画はもう1シーンで終わりだが、同時にこれは吾郎のサウスポーとしての物語の始まりでもある。その物語をもっと詳しく知りたいという方は、是非とも原作漫画を買って読んで頂きたい。ちなみに「MAJOR」の原作漫画は、この考察連載中に掲載誌に最終回が掲載され完結したとのこと。近いうちに文庫になるのではと期待している。 |