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第1話 「旅立ち」
名台詞 「主よ、願わくば写真が上手にいきますように…」
(マリ)
名台詞度
★★
 メーテル キターーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!…って毎回やっていたらキリが無いから今回だけにしておくけど。
 この主人公の母の魅力は、とても人間くさいところだ。完全無欠ではなく、その自覚がちゃんとあり、自信もないし人見知りもする。それだけでなく夫を喪って意気消沈までしている。今話ではこの母子をしっかり印象付けるところが主題だが、その役割はこの台詞で完成していると言って良いだろう。
 他界した夫に代わる収入源として、自分達が写真屋の仕事を継がねばならなくなり、ペリーヌの発案で試写することになった(名場面欄参照)。撮影が済むと現像に入るわけだが、馬車を現像室にするため暗くする際にペリーヌが「手伝うことはない?」と聞いても力強く「その必要は無い」と答えたマリが、現像室の暗闇で一人になるとこう呟く。
 もちろんこの台詞には写真が上手く撮れているか? 現像は上手く出来るか? という不安もさることながら、その善し悪しで母子の生活が決まってしまう瀬戸際に立たされている緊張を上手く描いた台詞だと思う。もし撮影にしろ現像にしろ上手く出来なかったら、母子の収入源はそこで絶たれてしまう。つまりマリがここで持つ不安は写真のことだけでなく、今後の二人の生活や旅にとって最も大切な「資金源」という不安なのだ。
名場面 試写 名場面度
★★★
 父を喪い、母と二人で不安な旅の続きを始めたペリーヌが、父の墓があるボスニアの小さな村が見えなくなり、次の村が近付いたことでまず語ったのは今後の生活のことだ。かといって仕事のあてがあるはずはなく、二人で旅回りの写真屋をやるしかないとまとまる。「お金を頂くとなると自信がない」と言う母に、ペリーヌは馬車を止めて試写することを提案する。ペリーヌがモデルになることで、商売上の見本写真にも使えるという寸法だ。そして撮影、現像と進み、見事に写真が出来上がって二人は安堵する。
 この第一話の役割は、エドモンの死を視聴者に植え付けることと同時にこの母子の性格付けをしっかりと行うことである。あくまでも前向きな娘ペリーヌと、臆病でおっかなびっくりの母マリ、この時点での対照的な二人をここでキチンと描いて視聴者に重大なイメージとして植え付ける。もちろんこの二人の性格は物語の展開によって大きくふらつくこともあるのだが、基本はここだ。
 そしてその性格付けのシーンを楽しく描くことで、本作に視聴者を強く引きつける力があるだろう。まさに「つかみはOK!」と言うべきシーンだ。
  
今回の
迷犬バロン

 本作考察では、1話につき1シーンずつバロンの迷シーンを選びだそう。第1話はなんと言っても「護衛隊長」に任命されたバロン。それを聞いたマリに「バロンはあてにならない」と言われると、期待に応えてウサギを追いかけて姿を消してしまう。「そらごらんなさい、あんな護衛隊長じゃあてにならない」とマリ談。
気まぐれ度
★★
感想  う〜ん、ペリーヌの演技ってこんなんだったかな?と、完結版DVDで何度か終盤の展開を先回りして見た経験があると感じてしまう。なんかペリーヌのしゃべり方が終盤に比べるとワンテンポ遅いような…。
 一昨年のBSでの放映でもこの第1話から見た、小学校高学年の時に見た再放送ではこの第1話から見ている。でも本放映では見ていないはず。一昨年見た感想はペリーヌの「へのへのもへじ顔」…失敬、素朴な顔がとても懐かしかったことだ。そういえばペリーヌの母ちゃんの声はメーテルだった事は、本放映時唯一の記憶だったりする。でも第1話で出てきたメインキャラはこれだけ、父エドモンは回想シーンだけの登場となり、世界名作劇場の華のひとつである「序盤での主人公と親の別れ」は演じられていない。父が他界した後の何とも言えない寂しさだけが、上手くその喪失感を再現しているのは恐れ入った。
 そして父他界に時間を掛けず、物語はまず長旅を続ける母子の経済問題という現実的問題を突き付ける。だがこれは名場面欄で紹介したように二人が父の跡を継いで旅回りの写真屋になることを決意し、ペリーヌを試写することで一定の解決を見る。だがそれで終わらせずに「一工夫しないと客が付かない」という教訓まで物語に追加した。母子が最初に立ち寄った村では思うように客が付かず、考えた末に母がインドの民族衣装を着て自ら看板娘になることを提案するのだ。この要素はペリーヌの頭の良さ、特に商才というものがあることを強く印象付けるがこれは終盤への重大な伏線だ。彼女の頭の良さと謙虚さがあるからこそ、最後にハッピーエンドを掴む事になるのはまだ先の話。
研究 ・旅立ち
 今話のサブタイトルは物語の始まりを上手く表現したと思う。勿論ペリーヌの物語の旅立ちであるが、実際の旅は途中であるという看板に偽りありのタイトルだ。だが母子二人だけの新しい旅立ちと表現する事は可能だし、何よりもペリーヌがラストでハッピーエンドを掴むまでの長い道のりの始まりであると言えよう。
 さて、前述したように彼女たちの旅は途中から始まる。この旅行はエドモンの仕事が上手くいかなくなったため、一家で住んでいたインドのダッカ(現在はバングラデシュ)からエドモンの父ビルフランが住むフランスのマロクールを目指しての旅だった。本来は船でパリへ行ってから汽車に乗り換えてマロクールという予定だったのだろうけど、途中で色々あってギリシャで船を下り、家馬車を手に入れて旅回りの写真屋をしながらフランスを目指すという陸路の旅に変わったようだ。
 その旅路はこちらを参照願いたい。

・今回までの旅程
ダッカ〜ボスニア(サラエボと仮定)
移動距離 11070km
合計(ダッカから) 11070km

第2話 「遠い道」
名台詞 「おうちっていいわね…。自分の家でお食事が出来るっていうのは、とてもいいわね。」
(ペリーヌ)
名台詞度
★★★
 ペリーヌ達は馬車の立ち往生から救ってくれたドランツという男の家の庭先に家馬車を止め、そこで一夜を明かす。母子が少ない備蓄食糧を分け合っているとドランツがやってきて、「スープくらいならあるから分けてやる」との申し出があった。これに応えてペリーヌがドランツの家を訪れると、そこにあったのは一家団欒のひとときだった。そしてスープをもらって馬車に戻ったペリーヌが、母とスープを口にしながら語った言葉がこれである。
 ここにこの時点でペリーヌにないものがハッキリと明示される。それは「家」の存在と「一家団欒」のひとときだ。ペリーヌはもう何ヶ月も旅を続けていて既に「家」を失った状態なのだ。母と一緒とはいえ母の手料理があるわけではない、帰るべき家もない…ペリーヌはそれを意識しないでここまで来たはずだが、そんな一家団欒を見せつけられたことで「家」に対して強烈な執着を持つことになる。
 そしてその執着こそが、ペリーヌが何としてもマロクールに行きたいという原動力となる。マロクールには迎えてくれる「家」がある、迎えてくれる祖父がいる。そんな帰るべき家と迎えてくれる人の元に急ぎたい、ペリーヌがハッキリとそう感じたのは間違いないだろう。
名場面 ペリーヌとメルカ 名場面度
★★★
 朝が来た。ペリーヌはドランツの家の厩を訪れ、そこでヤギの乳搾りに精を出すドランツの娘メルカに声を掛ける。ペリーヌはメルカの母のことを聞いてみるが、メルカは寂しく「死んだわ…3年前に」と答える。ペリーヌはショックを受けるがメルカは「あんた、父さんがいないんですってね」と続けると、ペリーヌはそれが事実であることを伝えると「あなたのお父さんはとても力持ちなのね」と話題を変える。メルカは嬉しそうにそれに応えると、さらにペリーヌがスープが美味しかったと告げる。メルカは自分がこの家で母代わりであることを告白し、「旅って面白いんでしょうね」とペリーヌに問う。「お父さんが生きている時は面白かったけど、今は速く爺さんのところへ行きたいだけ」と答えるペリーヌに、「私この村から一歩も出たことがないのよ、つまんない」と突き付ける。そんなメルカにペリーヌが告げるのは「良いお父さんがいるし、お家もあるし羨ましいわ」、メルカも「私はお母さんがいる人が羨ましい」と返す。
 このシーンではペリーヌとメルカという二人の少女を向き合わせ、それぞれが「自分になくて相手にあるもの」を吐露するというシーンだ。これを通じてペリーヌには「家」と「父」の存在がなく、落ち着くべきところもないという現実が上手く伝わってくる。だがペリーヌには「母」の存在がありそれを羨む人がいるという事実も見せつけてくれる。
 これと名台詞シーンを合わせて、今話でハッキリするのは「ペリーヌにあるものとないもの」だ。恐らく今話の主目的はこの一点だろう。二話目でこの点をハッキリさせることで、今後の物語においてペリーヌが旅を急ぐ理由付けと、この先のペリーヌが失うであろうものまでハッキリしてしまう。正直言って、このシーンは早速マリに死亡フラグを立ててしまったようなもんだ。こわ〜っ。
  
今回の
迷犬バロン

 今話ではペリーヌ達が乗る家馬車が泥濘で立ち往生、ペリーヌとマリとパリカールは復旧すべく必死になって馬車を引いたり押したりする。ところがそのように皆が一丸となって前へ進もうとしている時に、バロンはこんな感じで高みの見物…やっぱりバロンだなぁ。
気まぐれ度
★★★
感想  この第2話は、恐らく本放送時では最初に見た話のはずだ。小学生時代に再放送で見た記憶はかすかにある、でも覚えていたのは馬車の立ち往生とその時のバロンの仕草だけだ(「今回の迷犬バロン」欄参照)。そして、一昨年のBSでの放映時はこの第2話だけを見逃している。この回が祝日に放映されて、その日が日曜日と勘違いして見るのを忘れたんだよな…。
 前半の一家で記念写真は見ていてほのぼのしていて面白かった。存分に「事件の予感」がするシーンだが、敢えて空振りさせてほのぼのシーンとしてまとめたのはこの後の本当の事件を考えればいい展開だったと思う。「事件」に1話丸々使うのでなく、こういう「閑話休題」的な話は見ていて楽しい。こう言うのがあるのが「ペリーヌ物語」の良いところでもある。
 そして今話の主題は名場面欄に書いた通り。ペリーヌが今の自分に欠けているものを認識し、旅を急ぐことに明確な理由付けをすることだ。同時に「今の自分にある」ものも認識するに至る。ここでペリーヌに残されている僅かなものの中で最も大きいものは「母」だという事を、これから随所で印象付けて行くことになる。このような印象付けがあるからこそマリ臨終シーンは盛り上がるし、そこでのマリの台詞に説得力が生まれるのだ。やはりもう死亡フラグは立っちゃっているね。
研究 ・ 
 

第3話「おかあさんのちから」
名台詞 「感謝したいのはお母さんの方なの。赤ちゃんが生まれて元気な鳴き声を上げてくれた時、お母さんね、嬉しくて嬉しくて涙が出てきたの。そして、私も力一杯生きていこうっていう気持ちが、心の底から湧いてきたのよ。」
(マリ)
名台詞度
★★★★
 ペリーヌ達は奥さんの出産という「事件」があったものの、泊まる場所を貸してくれた上に写真屋の客にもなってくれたイーリア一家と別れ、次の宿場を目前にしていた。その時に商売支度のため馬車の中に入ったマリが、馬車の中にイーリアがコッソリと積み込んだ食糧を発見する。ペリーヌがイーリア一家が自分達に対し感謝しているんだとしみじみと語ると、マリが娘に向かって力強くこう言うのである。
 今話前半まで描かれたマリの姿は、夫を喪って失意のどん底にある女性の姿で合った。食欲も失い生気も失い、こんなんで旅を続けていけるのかという不安を見る者に与えてきた。だがそれではこの旅は何処かで破綻する、だからマリが立ち直るきっかけが物語として必要だと言うことが解る。そしてそれこそが今話であったことがこの台詞から見てとれるだろう。
 マリが今回の「事件」を通じて得た物は、何よりも「元気」であり、そしてその「元気」の正体は「生きているって感じる事」であり「張りを持って生きる事」であることは、同じ池田昌子さんが「ポリアンナ物語」で演じて見せてくれる事になるものだ。もちろん赤ん坊の誕生に立ち会い新しい命を目の当たりにして、それと娘を重ね合わせたことも売るかも知れない。だがそれ以上に、マリはイーリア家の中で赤ん坊と奥さんの無事のために走り回ったことで「生きている」事を感じて「張り」が出た事だったに違いない。同時にそうやって生きて行くことが娘のためであることにも気付いたのだろう。
 こうして物語は「エドモンの死」からようやく一歩前に踏み出すことになった。次回からは復調したマリがマリ本来の姿で物語を牽引することになる。ただ「エドモンの死」という暗い影は、物語のずっと先の方で今度はペリーヌに重圧を掛けることになってしまうが。
名場面 ペリーヌが母をたたき起こす 名場面度
★★
 ペリーヌが夜に家事をしていると、泊まる場所を貸してくれたイーリアという男は身重の妻の面倒をペリーヌに頼み、母を呼びに出かけてしまう。ペリーヌがこの男の妻であるミレーナの話し相手になっていると急にミレーナの陣痛が激しくなり、どうして良いのか解らなくなったペリーヌはほぼパニック状態で母が眠る馬車に飛び込み、母を起こす。
 「おかーさんも、起きて! たいへんなの!」と叫ぶペリーヌの声に、マリは何が起きたのか聞くとペリーヌは「誰の」と主語を付けないまま「赤ちゃんが生まれるの!」と叫び返す。驚いて飛び起きたマリに「ミレーナさん、赤ちゃんが生まれそうなの!」と、やっと「主語」が付くがマリはミレーナが何者かを知らない。「でも家の人がいるでしょう?」とマリは落ち着いて言うが、「それがだれもいないのよ!」とペリーヌの返答は絶叫であった。マリは娘がパニックしていると感じ、ペリーヌの肩に手を置き「落ち着いて、解るように話してちょうだい」とペリーヌを落ち着ける。
 これだけのシーンだが、感心したのはペリーヌを演じるひろみさんの演技力だ。彼女はこの作品がアニメ声優のデビュー作だが、経歴を見るとそれ以前はテレビドラマなどで活躍していたようであるが当時10代の「若手」であるのは確かだろう。そんな役者さんが「大事件に遭遇しパニックしている娘」というのを上手く演じている。もちろん台本の段階でうまく言葉は選ばれているのだろうが、そのパニックのために「肝心な説明がなくて意味が通じない」をうまく演じていると思う。とくにこのシーンでの緊迫感ある声はすごい。
 同時にマリを演じているメーテルでお馴染みの池田昌子さんも、そのパニックに受け答えする母を上手く演じていると思う。この二人の演技力によって、なんともないシーンのはずがとても印象深くなったのだ。
  
今回の
迷犬バロン

 今話冒頭、ペリーヌとマリは次の宿場にたどり着けず野宿を余儀なくされる。最初はペリーヌが番をしていたが、途中でマリに交代。マリはバロンを小突き「私と一晩中起きているんですよ、護衛隊長だってこと忘れちゃ困るわ」と声を掛けるが、バロンは一度大きな欠伸をしたと思うとまた寝る。これにはマリも翌朝目を覚ましたペリーヌも呆れ顔。
気まぐれ度
★★★★
感想  今回の「おかあさんのちから」というサブタイトルには、言うまでもなく2つの「ちから」が込められている。ひとつは大事件に遭遇しても落ち着いてこれを処理する能力と、もうひとつは夫の死によって落ち込んでいたマリ本来の生活力だ。前者はマリが本来持っている頭の良さと「頼りがい」でありペリーヌが母を慕う理由であるし、後者は「エドモンの死」という暗い影によってマリが失っていた力である。前者の力によって後者の力を呼び覚ますという物語の展開でもって、何処かで必要な「マリが夫の死のショックから立ち直る」という物語を描いたのだ。
 こんな内容なので、一昨年のBSでの放映による視聴では前話を飛ばしたことに全く違和感がなかった。前話もとても重要な話ではあるが、ペリーヌの立場をハッキリさせてマリに死亡フラグを立てる展開なので見逃すとマリに「いつの間にかに」死亡フラグが立てられていることに後になって気付くという状態だから違和感がないのだ。
 ちなみに、今回の視聴では一瞬「あれ、なんでもうフランソワーズが出ているの?」と画面に向かって言いそうになった。イーリアの母親ってまんまフランソワーズじゃないか。担当声優まで同じ。フランソワーズの活躍はまだまだ先だけど、こんな形でテスト登板しているとは思わなかった。
研究 ・ 
 

第4話「泥だらけの伯爵」
名台詞 「やっぱり、私たちの馬車にお乗り下さい。すぐに出発の支度をしますわ。ご心配なく、私たちは一度、あの兵隊達に調べられています。ですから、二度も調べられることはないでしょう。大丈夫ですよ。」
(マリ)
名台詞度
★★★★
 ペリーヌとマリは次の村はまだ遠いと判断して森の中で野宿をするが、そこで出逢ったのはオーストリア皇帝の支配からこの国を救おうとしていつ活動家で伯爵のゴルジモフだった。ペリーヌ達の馬車は昼間にオーストリア軍の臨検を受けたことで、彼が軍に追われている身であることを知っていた。
 ゴルジモフは足を負傷しているものの、マリが差し出した食事を食べるとペリーヌ達に「村はほんの1キロ先」である事を告げると共に自分は村まで単独で逃げると言って歩き出す。と思った瞬間、彼はペリーヌが見ている前で転倒する。やはり負傷はひどくとても村まで歩ける状況ではないのだ。これを見たマリがゴルジモフに掛けた台詞がこれである。
 言うまでもなくこの男を匿えば、ペリーヌもマリも重罪である。どんな刑罰になるかは解らないが、それは娘の身をも危険に晒す選択であるのは言うまでもないことだろう。だがマリは放っておけなかった、自分達の安全のためだけに困っている人を置き去りにして旅を続けるなど出来ない。これはマリが劇中で最初に見せた「愛」であり、自分の安全よりも「愛」に忠実に生きるマリの姿が最初に描かれたのだ。
 こうしてマリがこのような行動を取ることで、前話までの「前置き」的な展開からマリが娘の前で「愛」を具現する前半の本題へと物語は切り替わって行く。今のところの物語の行き先は、マリが臨終する際に吐くあの台詞で、最初にそこへ向かって舵を切ったのがこの台詞なのだ。
名場面 検問 名場面度
★★★
 名台詞欄を受け、ゴルジモフを乗せて再び馬車を走らせた母子。村の灯りが見えるとペリーヌが御者台に、マリとゴルジモフが車内に隠れる形となる。
 馬車の車内でゴルジモフが祖国をどうしたいかマリに語っていると、御者台のペリーヌから「静かに!」という声が飛んでくる。そして村の入り口に置かれた検問所で、ペリーヌの馬車は止められる。兵士が二人出てきてペリーヌは「こんばんは」と普通に挨拶する。兵士は「さっきの写真屋か、大分遅かったな」と声を掛けると「道に迷ったんで」とペリーヌは迷いを入れた感じで言う。「途中で何か見なかったか?」兵士が問うとペリーヌは馬車が倒れていたのを目撃したことを言う。そして「怪しい男に出逢わなかったか?」と本題を突き付けられると「怪しい男って?」ととぼけてみせる。その間にもう一人の兵士が馬車の後ろ側の扉に手を掛ける、バロンが攻撃態勢に入ると兵士は後ずさりして「もう一度馬車の中を調べた方が良いんじゃないか?」と声を掛ける。ペリーヌとマリに震えが走り、ゴルジモフは銃の撃鉄を引く。兵士二人が馬車の扉の前に立ったところでペリーヌが突然「ああ、それじゃあの男かしら?」と声を上げる。振り返った兵士にペリーヌは「道に迷った時にたき火をしている男を見た」と咄嗟の作り話を始める。「母親も見たのか?」と兵士が声を上げると、マリが恐怖に震えながらも馬車から顔を出して「私もちらっと見ただけだから…」と咄嗟の言い訳をする。その話で兵士は「明日の朝にしよう」と決めた上で、「娘、もう行ってもいいぞ」として検問を終える。
 ペリーヌ物語最初のハラハラドキドキシーンと言っても良いだろう。ペリーヌ達が生命に危険に関わる重大な危機に陥るのはこのシーンが最初である。兵士とペリーヌのやり取り、そして車内のマリの反応を、視聴者はそれこそ手に汗握りながら見たはずだ。
 同時にこのシーンでは意外にあっけなく検問を突破出来てしまうのが、今話の「オチ」への重大な伏線にもなっている。村の中で野宿をして無事に朝を迎え出発した馬車を、再び兵士達が追いかけてきて村に引き返すように命じるのだが…その後のオチはここで「意外にあっけなく」検問を突破出来たからこそ活きるのである。オチの内容が気になる人はDVDを買うか借りるかしてご自分で確認して頂きたい。
 この緊張感溢れるシーンを提示されることで、この旅が平坦でないことも上手く示唆している。そういう意味でも今話から本題、と言って良いだろう。
 

 
今回の
迷犬バロン
  
 ペリーヌ達は日が暮れるまでに村にたどり着けず、やむなく森の中で野宿をする。ペリーヌがたき火をするため薪を集めていると、ペリーヌの護衛をしていたバロンが「何か」を見つけるのだ。そしてバロンは、森の中に潜む男を見つけ勇猛果敢に攻撃を開始。バロン初の「護衛隊長」らしい大活躍のシーンだ。
気まぐれ度
感想  名台詞欄、名場面欄に示した通り、今話から物語は様相を少し変える。ここまでは同地雄での出来事を通じてペリーヌやマリの心境など設定付けなどの物語であったが、今話はハッキリと出来事による人とのふれあい、それによってマリが「愛」を具現するという前半の主題が描かれている。物語はいよいよ「前置き」から「本題」に入ったのだ。
 そして最初に出てくるはどう見ても訳ありの暴走馬車、そんな暴走していると乗っている人は「ウンコを我慢していてトイレへ急いでいる」と思われちゃうよ(下品ですまない)。そうじゃなくて、この訳ありそうな馬車に乗る紳士がゲストだと誰が見てもわかる展開だろう。そして続けて出てくるオーストリア軍、臨検を受ける馬車。なによりもここで暴走馬車の登場とオーストリア軍の登場が、全く同じカットで描かれているのがよい。何も言わずにこの二者が追う者と追われる者の関係であることが理解出来る。
 そして暴走馬車が事故で倒れているシーンが出てくるのは、その男との出会いが上手く示唆されているだろう。そして「愛の若草物語」のベスのように、男に口を塞がれて「静かにしろ」と脅されるペリーヌ…と思ったらもう次のシーンでは何事もなかったかのようにみんなで食事しているし。
 あとは名台詞欄、名場面欄の通り。そして最後のオチに向かうが、このオチに対して名台詞欄のあっけなさと、ペリーヌとマリが「今日は商売をせずに早立ちしましょう」と語り合うシーンは本当に大きい。やっぱオチというのは緊迫感で恐怖を盛り上げてから、ズコッと落とすのは定番だ。
 今回マリが具現した「愛」は、名台詞欄の通りだ。生命の危険があっても見捨てられない時がある、やらねばならないことがある。それはこの母が「馬車」という「武器」を持っていたこともあって実現出来たものだ。そしてペリーヌはその母の「愛」に今回は忠実に対応した、怖くてそれに反応したり変わったりするどころではなかったんだろうなぁ。
研究 ・ 
 

第5話「おじいさんと孫」
名台詞 「可哀想な人達…お医者様もいなかったなんて、本当に辛かったでしょうね。お父様ももし良いお医者様に診てもらえたら、助かったわね。きっと…。私、お医者様になりたいわ。(以下略)」
(ペリーヌ)
名台詞度
★★★★
 旅の途中のペリーヌがショッキングな話を聞かされる。それは伝染病によって多くの人達が生命を落としたという小さな村、医者もおらず特に年寄りや子供達が倒れて行くのを黙って見る事しか出来なかった悲劇。ペリーヌはこれと父の死を重ね合わせて見たに違いない、エドモンも旅の途中の小さな村で病に罹り、まともな医者に診てもらうことも出来ず生命を落としたに違いないのだ。そんな自分が見た山村の現実と、父の死を重ね合わせたペリーヌが吐いた台詞がこれだ。
 このペリーヌの決意に対し、マリは「そんなすぐに医者になるなんて決める必要はない」と語るが、ペリーヌはこれに対し「病気で困っている人を助けるなんてとても良い仕事だ」として、マロクールの祖母の元に着いたら医者になるための勉強をすると宣言する。彼女の意思はとても強いことが解るのだが…この設定が劇中で余り活かされていないのが残念。ペリーヌにこんな決意があったことを、物語後半になると忘れてしまう人が多いのではないかと思う。
名場面 水樽破壊シーン 名場面度
★★★
 道中の名も知らぬ村で伝染病が流行ったと聞き、ペリーヌ達は一刻も早く村から離れるため馬車を急がせる。ところがそこはとんでもない悪路だった。路面に突き出した岩を何度も踏み馬車は大揺れする。商売が中止になったことでマリが着替えて御者台に出てくるとスピードを落とすが、それでも悪路は変わらない。何度目かに岩を踏んだ時に、馬車の床下に備え付けられた犬小屋からバロンが振り落とされる。バロンは走って馬車を追い、追い付いたところで水樽が壊れて水が漏れていることに気付いて御者台に向かって吠えるが、「何を吠えているのかしら?」「小屋の中に収まったままでいい気なものね」と母子は緊急事態に気付かない様子。そうしているうちに水樽の水がどんどん漏れて行くが、バロン以外は誰もそれに気付くことなく、御者台の母子は名台詞欄に繋がる会話を始める。バロンはふて寝してしまう。
 とても面白いシーンだ。ここまでのバロンのキャラクター性を上手く活かしていて、さらにペリーヌやマリからあまり信用されていないという設定も上手く使ってとても面白いシーンに仕上がったと思う。これは今話全般に言えることなのだが、バロンの表情が豊かで名物キャラとしての地位を確固たるものにしたのはまさに今話だ。
 またここに至るまで、前話から今話に掛けてバロンが気まぐれに頭の良い行動をしているのは、このシーンを盛り上げる上で重要な点だろう。前話でペリーヌに「静かにしろ」と脅すゴルジモフに勇猛果敢に飛びかかり、今話冒頭(「今回の迷犬バロン」欄参照)ではペリーヌの予想に反して見事に魚を捕まえている。さらにこのシーンの後では水に困っている母子に他人の存在を知らせるという金星を挙げている。こうして「ここのところバロンは冴えている」というのを上手く使ったギャグシーンに仕上げ、視聴者に「冴えている時のバロンは使える」という印象を強く残したのはこのシーンで間違いないだろう。
  
今回の
迷犬バロン
 
 物語冒頭、河原で給水のために馬車を止めたペリーヌ達だが、バロンはそんなことに構わず水の中に飛び込んで魚取りを始めてしまう。それによって川の水が汚れたことをペリーヌに窘められるが、全く構う様子はない。「お前に捕まるような間抜けな魚なんていないわよ」とペリーヌはキッパリ言うが、バロンはちゃんと魚を捕まえて飼い主の前で胸を張る。「やるじゃない、バロン」ペリーヌ談…今日のバロンは確かに冴えてる。
気まぐれ度
★★★★★
感想  特にこれと言って何も起きない回ではあるが、今回のポイントはペリーヌの前に現れる「おじいさんと孫」、つまりヴァルトとその祖父だ。同時に村での出来事を通じて生じたペリーヌの決意、この双方を掛け合わせることでペリーヌはまだ見ぬ祖父に対して「祖母は優しい人」と勝手な妄想を膨らませる。これが今話だけでなく今後の物語展開にとって重要だ。
 だが困ったのは、その主題よりも今話ではバロンが目立ちすぎてしまったことだ。今話の考察を見ればお分かりと思うが、名場面欄までバロン一色である。前々話まで「ダメ犬」として視聴者に印象付けられ、前話でやっとその汚名を返上したバロンが、前話での活躍のせいもあってか今話では非常に冴えている。この視聴者にとっても登場人物達にとっても予想外の展開が、今話を非常に面白くしているのは名場面欄に書いた通りだ。
 でも今話のシナリオの良いところは実はラストの方で、今回は冴えまくりのバロンが「いつものバロン」に戻る点である。ヴァルトがバロンを仕込んで投げた枝切れを持ち帰るまでに仕上げるが、すぐにそれに飽きてマリの元に駆け寄るバロンを見て安心した人も多かろう。冴えたままで終わっていたら「いつものバロンじゃなーい」と暴れながら見るしか無かったはずだ。これぞ本当の「気まぐれ」というやつで、エンディングテーマの通りと言ったところだ。
研究 ・今回訪れた村で何が起きていたか?
 今回はペリーヌ達が立ち寄った村で何が起きていたのか検証したい。今話前半、ペリーヌ達がある小さな村で商売を始めるが人が全く集まらない。どういう事だろうと思うと神父がやってきて、この医者もいない小さな村で伝染病が流行ったために多くの人が生命を落としたという惨劇を語るのだ。それがどんな病気か、神父の台詞に情報がある。

「高熱が出て一週間ほど続いて、それから顔が真っ赤になって、しばらくして身体が衰弱して死んで行くんじゃ。」

…そしてこれに付け加える形で、主に年寄りや子供がこの病気にやられることが多かったことが示される。では、この病気は一体何であろう。
 これを気に流行病や伝染病についていろいろ調べてみたところ、麻疹(はしか)が重病になったケースがこれに該当しそうだ。麻疹に罹るとウイルス感染から1〜2収監の潜伏期間を経て、まずは風邪のような高熱が数日続き、これが一度落ち着くと発症1週間後くらいから高熱と共に身体中に赤い発疹が出る。この発疹が顔から始まることを考えればこの台詞の「顔が真っ赤になる」という症状と合致していると言えるだろう。そして同時にウイルス性脳炎を引き起こし、意識障害や痙攣などの症状が出て弱ってゆき、最後には死に至る。
 子供の頃に麻疹に罹った、という人が多い上に、現在はワクチンなどによって掛かる人がかなり減少していることもあり、怖くない伝染病と勘違いしている人が多いかも知れないが、江戸時代の1862年には江戸で大流行した麻疹によって24万人もの人々が生命を落としている。近年も2006〜2007年に大流行している。
 麻疹は子供が罹る病気、というイメージが強いがこれは年齢問わずに罹る病気だ。またウイルスによっては掛かる年齢に偏りが出る事もあり、2007年の流行では10〜29歳に感染者が集中したという。もちろん劇中で描かれたような年寄りや子供に感染しやすいウイルスもあるだろう。
 つまりペリーヌ達が訪れた村では麻疹が大流行したと言うことだ。人々は高熱と身体中に出来た発疹に苦しみながら、倒れていったのである。想像するだけで怖い。

第6話「二人の母」
名台詞 「かわいそうに…何か事情があおりになるのね。」
(ペリーヌ)
名台詞度
★★
 下記名場面欄中の台詞になる。警部の部屋でボンテンペルリ夫人と対面させられたペリーヌは、マリが警部室に入るとここまで母子を連れてきた警官と廊下で二人きりになる。ペリーヌはボンテンペルリ夫人がどういう人かを聞き、そして本当に自分の娘と思い込んでいることを語り、警官がこれに同調したところでこの台詞を吐く。
 ペリーヌが年相応よりずっと立派な言動をするが、その最初がこの台詞かも知れない。突然警察署に連行され、その際は警察官に高圧的な態度で接されたこともあって恐怖を感じた。続いてボンテンペルリ夫人との対面では、見知らぬ夫人から自分の娘だと決めつけられてしまうと言う子供にとっては恐怖の状況に置かれる。これらはペリーヌから見れば立派な「酷い目に遭わされた」状況だ。だがそのペリーヌの口から出てきたボンテンペルリ夫人に対する言葉は、酷い目に遭わされた恨み辛みではなく、相手を心配して思いやる優しい台詞だ。
 物語は前半で母によって愛を具現されたことで、後半のペリーヌはそれを実行していくという構成で描かれるが、それだけでは物語に説得力が生まれない。だからペリーヌには母の教えもあるが、それ以外に「素質」があったことは確かだろう。そかんシーンとして記憶に残るのはこの一言かも知れない。どんなに自分に辛く当たった相手でも、それを思いやり愛することから全てが始まる…ペリーヌにはそのように行動する素質が既にあったのかも知れない。マルセルが出てきて暴走するペリーヌが描かれるのはまだこの先の話。
名場面 母への尋問 名場面度
★★★★
 ボンテンペルリ夫人の申し出により、ペリーヌとマリは警察に任意同行の形で連れて行かれ、まずはボンテンペルリ夫人とペリーヌが対面する。もちろん錯乱するボンテンペルリ夫人とペリーヌが驚くシーンが描かれ、さすがにこれはおかしいと思った警部は、続けてマリの尋問に入る。
 警部室から出てきたペリーヌとマリが入れ替わる際、不安だったマリはやっと娘から「誰かに間違えられただけ」という訳を聞いて少し安堵して警部室に入る。まずは外の廊下でペリーヌが警察官に旅の理由を語る。その途中でシーンが警部室の中に変わり、今度はマリがここまでの旅がどのようなものであったかを語る。スエズで渡航費が尽きてギリシャで下船して馬車の旅を始めたこと、夫が死亡したこと。その話に納得した警部だが、職務上の義務として「証拠品はないか」と問う。「馬車に戻れば色々あるが、今持っているのはこれだけ」だとして咄嗟に持ってきたのだろう、ハンドバッグから一枚の書類を出す。それはエドモンとマリの結婚証明書で、警部が英語だと言うと「デリーのカトリック教会で式を挙げた」と付け加える。それでも警部は何とか「エドモン・パンダボアヌ」という目の前にいる女性の夫の名を読み上げ、マリの証言に間違いないと断定して尋問を終える。
 今話はこのシーンのためにあると言って良いだろう。ボンテンペルリ夫人の話などついでの話で、その一件を通じて自然にわざとらしくなくマリとペリーヌのここまでの旅の経緯を説明するためのシーンだ。その内容は1話研究欄に書いた通りなのだが、それが劇中で語られることはここまでなかった。それをペリーヌとマリの口から自然に語らせるために、ボンテンペルリ夫人の一件が存在すると言っていいだろう。
 そして今後の伏線としてマリが持つ1つのアイテムがある。それがエドモンとマリの結婚証明書だ。物語が進めば「果たしてペリーヌが祖父と対面する時、その出生をどうやって証明するのだろう?」という謎が視聴者に生まれるはずで、その答えを先回りしてここで見せる。このシーンにはこういう意味合いがあり、今話の主題であるボンテンペルリ夫人の一件のシーンとしては重要度は低いが、「ペリーヌ物語」という物語全体としてとても重要で印象度の高いシーンなのだ。
 
今回の
迷犬バロン
  
 ペリーヌは雨の中、バロンを連れて写真用品を飼いに行った。もちろん写真屋にバロンが入れるはずはなく、バロンは外で大人しく留守番…しているはずがない。何処かの飼い犬から骨を盗んできてしまうのだ。だが飼い主ペリーヌから「泥棒なんかする犬は嫌いよ、もう一緒に歩かないでちょうだい」と叱られ、骨を捨てる。でもペリーヌの隙を見てもう一度この骨を拾い、もう一度叱られるのがこの犬らしい。
気まぐれ度
★★
感想  ミンチン院長キターーーーーーーーーー!!!!! それともメアリー・マーチの方がよかったかな?
 ボンテンペルリ夫人の声はまさしくミンチン院長でお馴染みの中西妙子さんだ。あの凛とした女性の声は聞いていて気持ちいい。それが泣いてばかりの役なのでちょっと違う面が見られたぞ。
 今回も「事件」が起きるが、この「事件」はこれまで、あるいはここから先で描かれる事件とは一線を画している。それは「事件」によってマリが娘に「愛」を具現するという結論にならないことだ。そして名場面欄で語った通り、その「事件」はついでの事であってその過程でここまでの二人の旅路をハッキリさせるという設定付けと、マリが持つペリーヌの身分証明のためのアイテムが明示されるのが今回の「主題」なのだ。
 だがボンテンペルリ夫人の一件もそれはそれでなかなか面白い。私の考察にはその話は殆ど出てこないというとんでもない結果だが、この一件でのボンテンペルリ夫人は「南の虹のルーシー」に出てくるシルビアを彷彿とさせるキャラでなかなか印象が良かった。そして最後に「救い」がなく終わるのかと思いきや、ペリーヌが娘の代わりにと自分の写真を置いて行くという結末は上手く考えたと思う。同時にボンテンペルリ夫人へ写真を届けに来たペリーヌが、本人ともう一度会って話をするのでなく、召使いに写真を託しただけですぐに戻って来るというのは物語を白けさせなかった最大要因だろう。今のアニメだったらあそこで盛大にやっちゃうだろうね、きっと。さらにその行為が正しかったかどうか悩むペリーヌと、それに対しペリーヌの判断を支持するマリの会話は本当に良かった。主人公が完璧ではなく、まだまだ成長の余地があることを上手く描いているのだ。「主題」がなければこっちを名場面欄にしていたと思う。
 いよいよ次はあの台詞棒読み少年サーカス少年の出番か、この辺りからだんだん面白くなって行く。
研究 ・ボスニアからトリエステ
 物語は6話でボスニアからクロアチアを通り、イタリアのトリエステまでやってきた。やっと間違いなく実在する街の名前が出てきて安堵したところで、二人の旅の続きの地図を示しておこう。多分ペリーヌとマリの二人の旅路がこうであるというものだ。
 何故このルートかというと、これは物語後半の設定が重要になってくる。終盤で語られるエドモンの足跡をまとめると、サラエボで目撃された後にトラブニク方面へ向かい、その途中の「プソバチャ村」で死去したことが判明している。つまり1話で出てくるボスニアの小さな村はこのプソバチャ村と見て間違いないだろう。プソバチャ村はサラエボからトラブニクへ向かう街道の途中に実在する小さな村で、前掲地図の「2」地点である。ここにエドモン・パンダボアヌが静かに眠っているのだ。
 そしてペリーヌとマリが最初に二人で商売した街は、少し規模の大きな街だった。これこそ一行がサラエボの次の経由地として目指していたトラブニクと考えられる。だがそこからはどのエピソードが何処での出来事か、それを断定出来る要素はないので想像に拠った。
 また、今話まで一貫して海が描かれなかったことを考慮した。出てくる風景はどちらかというと山がち、正確には低山や丘陵なのかも知れないが内陸だと判断出来る。今話冒頭では峠道が出ており、その峠道を迂回する海岸沿いのルートがペリーヌの台詞で示唆されていることから、ルートはこのようだったと推測されるのだ。

・今回までの旅程
ボスニア(サラエボと仮定)〜トリエステ
移動距離 500km
合計(ダッカから) 11570km

第7話「サーカスの少年」
名台詞 「うん、母ちゃんの方は学校へ入れたかったらしいけど、でも俺、やっぱり母ちゃんと一緒にいたいんだ。母ちゃんってきれいなんだぞ。エトワール団のスターなんだ。そう、お前の母ちゃんもきれいだけどな。」
(マルセル)
名台詞度
★★★★
 ペリーヌ親子と合流して「とりあえず次の村まで」ということで同行することになったマルセルは、街道を歩きながら自分がお金も持たず旅をしている訳を語る。親と一緒に旅回りのサーカス団として旅から旅への生活をしていたが、トリエステの街で両親がおばにマルセルを学校にやるよう説得したらしい。結果マルセルの母親が陥落したためにマルセルはおばのところに預けられ学校に入れられたが、学校生活に耐えられず逃げ出してサーカス団を追っているという。その経緯を語る最後をこの台詞で決める。
 ここにマルセルの年相応の子供としての母親への思いが上手く描かれていると思う。母親が自分に何を望んでいようが、自分は母親と一緒が良いというその思いを包み隠さず吐露するのだ。これによってマルセルは年相応の男の子として完成したキャラになったのは言うまでもないかも知れない。
 そしてそれだけでなく、マルセルは自慢の母親として得意げに母親の美しさを「サーカス団のスター」である事実を交えて語り出す。うん、そうだ、この年頃までの男の子にとって世の中で最も美しい女性は母親であるものであり、その点の台詞選びもとても良い。だがこの台詞はそれで終わらない。マルセルは一方的にこう言われたペリーヌの心境を見越し、最後にペリーヌの母親がきれいだと付け加える「気遣い」を見せるのだ。これによりきれいだと言われたマリが喜んで礼を言うのはもちろん、ペリーヌもやっとこの少年の賢さに気付いて信用するところでもあろう。こうしてこのサーカス少年の賢さと礼儀の良さを、初登場のうちに視聴者に植え付けておくのだ。
 しかし、物語が始まって第7話目にして、やっと当欄にペリーヌとマリ以外の名前が挙がったなぁ。
名場面 マルセル登場 名場面度
★★★
 物語は第7話目にしてこれまでとは違う要素が加わることになる。そりはペリーヌとマリに「同行者」でできることだ。その同行者の名はマルセル、本作で主人公母子以外で最初のレギュラーキャラクターとなる少年である。
 その登場はとても印象深かった。今話の幕が上がるとサブタイトル表示より先に、皿回しの要領で陽気に歩くマルセルの姿で始まる。そしてマルセルの姿がアップから遠景に変わったところで、サブタイトルが表示されるという寸法だ。そしてマルセルが帽子を投げ上げる形で被ると空腹を示すゴロゴロ音が鳴り、「あーあ、腹減っちゃったな」とマルセルが本人にとっても今話においても最初の台詞を吐くと、その横にペリーヌ達の家馬車がありマリが写真撮影の準備をしている。マルセルがこれに興味を持ち近付くところから今話が始まる。
 実によくできた初登場シーンだと思う。初登場のキャラクターを物語冒頭で何の説明も無く、画面を独り占めさせてしまうという大胆な手法で出してきた。これだけで多くの視聴者がサブタイトルの「サーカスの少年」がこの少年であることに気付くと同時に、この少年が今話だけのゲストでなく劇中にしばらく居座るであろう事を理解することになるだろう。
 またこのシーンには今話のキーワードがちゃんと入っている。それは空腹のゴロゴロ音と、ここでの彼の「腹減っちゃったな」という台詞だ。これは「事件の予感」を視聴者に感じさせる良い要素で、早速この直後のシーンでペリーヌだけでなく視聴者をも疑心暗鬼にさせる行動を演じる事になり、また村で事件を起こす説得力を見ている者に植え付ける。
 この「ペリーヌ物語」で、初登場シーンをこんなに美味しいシーンとして描かれたキャラは他にいるだろうか? 多分いないだろう。「世界名作劇場」シリーズ通じてもこんな美味しい初登場の仕方をするキャラはなかったと思う。マルセルというキャラクターが印象に残る最大の理由は、この初登場シーンの存在はとても大きいだろう。
  
今回の
迷犬バロン
  
 今話ではバロンがパンを盗んだシーンが印象に残っている人は多いと思うが、それよりもバロンの反省に目を向けたい。彼は犯罪行為をした自覚があったことと、ペリーヌから「晩ごはん抜き」というお仕置きを受けたことで反省して落ち込んでしまうのだ。翌朝の朝食は遠慮しながら食べていたとマリ談。
気まぐれ度
感想  旅は道連れ世は情け、本作ではここからマルセルという同行者が登場する。しかもこのキャラクターは前半の「旅」編において非常に重要なキャラクターとして、出たり消えたりを繰り返すキャラとなる。
 そのマルセルの初登場がとても印象的だったのは、名場面欄に書いた通りだ。冒頭で1分以上掛けてじっくりと彼を印象付けるのは、1年間53話放映のゆったりしたアニメだからこそであろう。同時に今話においての彼の行動に対する伏線も一緒に付けてしまうのだから、恐れ入ったシーンだ。
 しばらくはここまでの典型的な「ペリーヌ物語」のシーンが続く。だがその中でマルセルに疑心を持たせておく事も忘れていない。そして村に入って商売の後に起きる「事件」、でもここではマルセルは「事件を起こしただけ」で実際の悪者がバロンになってしまうのは面白い展開だといつも思う。そして登場人物も視聴者もこの事件の興奮が覚めやらないうちに唐突に翌日になり、マルセルが再登場する。
 このマルセルの再登場で「事件」に実際に遭遇したペリーヌと、そうでないマリの対比がこれまたいい。マリは娘を持つ母としてお金も持たず一人で旅をしているであろうマルセルを助けねばならないという「愛」を具現しようと動くが、ペリーヌの疑心は晴れるわけがなく一時は物語が止まりかかる。だが結局はマリの愛がペリーヌの疑心に勝つ形となり、マルセルは合流することになるが、この辺りのペリーヌの疑心が晴れる「理由」が欲しかったような気もする。疑心満々のペリーヌがいつの間にか「おちもだち」になってしまったのは、時間が足りないと言えばそれまでかも知れないがちょっと急ぎすぎた感が拭えない。
 そしてマルセルの正体と旅をしている経緯がハッキリし、同行者として確定する。ペリーヌの変化一点を除けばこの流れは慌てずゆったりしていて説得力もあり、物語の起伏には乏しいがいい話だと思った。
研究 ・ 
 

第8話「酔っぱらいロバ」
名台詞 「私、バロンはバカなのだとは思わないの。覚える気がないのよ。訓練されるのが嫌なのね。」
(ペリーヌ)
名台詞度
★★
 今話冒頭、いよいよマルセルがバロンに芸を仕込もうと立ち上がる。最初の課題は高跳び、ところがバロンはロープをどんな低く張ってもその下を器用にくぐり抜けて行く。これにバカにされたとマルセルは頭に来る。ペリーヌは「芸が出来る動物は特別だ」とするが、マルセルは「普通の犬ならあれくらいのことは出来て当然」だと反論する。それに対してペリーヌのバロンについての意見がこれだ。
 ここまでのバロンの行動を見ていると「この犬は本当にバカではないか?」と感じる視聴者もあったかも知れない。これは芸を仕込もうとしたマルセルも感じてしまったことかも知れない。だがペリーヌの口から出たバロンについての意見は「そんなことはない」とするものだ。もちろん4話(「今回の迷犬バロン」欄参照)や5話(名場面欄参照)のように、冴えている時は飼い主を守ったり飼い主のピンチを誰よりも早く見つける活躍もしているから、この犬がバカではないことはバロンをちゃんと見てきた視聴者には解るだろう。
 この台詞にはそれと違うポイントがある。それは普通の13歳の少女がマルセルの特訓にあのような態度を示す犬を見れば、例え自分が飼っている愛犬でもバカにする言葉のひとつも吐いてしまうかも知れない。それは普段のペリーヌやマリの言動を見ていても、誰もがそういう台詞を期待するところである。だがこの状況はマルセルという動物の調教について普通の少年よりも詳しい人物が、始めてバロンに接した時の重要なタイミングである。ここでマルセルに悪い印象を与えてしまっては行けないのだ。ペリーヌはそれが解っているからバロンについて正しい分析をすることが出来たのだろう。決して単なるバカ犬ではなく、むしろ利口だけど今はその気が無い…こうしてフォローすることでマルセルがバロンについて悪印象を持たず、さらにマルセルのやる気を削ぐ事を防止したのだ。ペリーヌが13歳にしては頭が良いという印象を、最初に感じる台詞だ。
 またこの台詞によって、バロンの「気まぐれ」という性格も印象付けられることを、追記しておこう。
名場面 パリカール飲酒 名場面度
★★★★★
 あ、ありえねー。(褒め言葉)
 
 
今回の
迷犬バロン
 
 今話は冒頭でさんざん笑わせてくれたが、ラストでは行方不明になったパリカールを発見するという大金星を挙げる。だが発見した理由がウサギを追って森に迷い込んだら偶然であっただけと言うこと、なのに「自分が発見した」って顔をして得意になるのはとてもバロンらしい。
気まぐれ度
★★★★
感想  今回はバロンとパリカールの回。バロンとパリカールは「同じ人に飼われている」ということで、犬とロバという生物種の違いを乗り越えて深い絆で結ばれる訳だが、今話はそれに説得力を付ける。そして物語冒頭ではバロンの大笑いシーンで始まり、中盤でパリカールがこれまた笑える事件を引き起こすということを通じ、行方不明になったパリカールをバロンが見つけるという展開でこれに説得力を付けるのだ。
 もちろんオチ的にはバロンがパリカールを見つけるのは偶然だが、この発見シーンではこれまで描かれてなかった重大な要素がひとつある。それはバロンがパリカールを、パリカールがバロンを「目的を同じくする仲間」として認め合っていることである。だから互いに助け合うことが必要で、問題が発生したら飼い主の力にならねばならないという事も心得ている。だがバロンはあまりにも気まぐれなので、たまに違う回線に行ってしまうことだが。
 それよりも今回、バロンだけではなくパリカールがトラブルメーカーになった事は多くの人が驚いたところであろう。しかし、ロバが酒を呑むのか? いや、呑めるのか? でもそんな事は気にしちゃいけない。面白ければそれでOKという事にしておこう。
 今話からマルセルが「サーカスの少年である」という設定を上手く利用してきた。バロンの仕込みだけではなく、彼がペリーヌ達の商売のため客寄せの軽業を演じる事だ。これは重大な点で、母子二人の写真屋という客が付くかどうかという不安が払拭される次なる施策であることは確かだ。マリのインド民族衣装だけでは、確かに客寄せにはなるけど女性客が付くかどうかという点が問題であろう。マルセルの客寄せはこういう不安には応えるはずだ。
 しかし、今回は聞いたような声があったこっちで聞こえたなぁ。鍛冶屋はデスラー総統だし、結婚式場にはアナライザーやクロードおばあちゃんやデュファルジュ先生もいた。まぁ、今回は通りすがり系の人、多かったからなぁ。
研究 ・ 
  

第9話「商売がたき」
名台詞 「今日はどうやら、ペリーヌ達が勝ったようです。しかし、ロッコ達がこのまま黙って引き下がるでしょうか? 偶然にも同じ道を行くことになった二組の旅の写真屋。これから先も、今日のようにペリーヌ達の商売は上手くいくでしょうか?」
(ナレーター)
名台詞度
★★
 ペリーヌ達とロッコ&ピエトロの勝負は、マリのインド民族衣装とマルセルの軽業による客寄せだけでなく、わざと出遅れてロッコ達が客を集めたところで民族衣装と軽業による客寄せをするという綿密な作戦が功を奏し、ペリーヌ達に軍配が上がる。人々に囲まれ撮影を希望する人が続出するペリーヌ達をよそに、馬車を出して敗走するロッコ&ピエトロの様子を背景にナレーターがこう物語を締める。
 このナレーションは上手く出来ていると思った。本作では最初の一話完結でないエピソードで展開を次回へ流す役割があるが、それに忠実に従っている。そして突如ペリーヌ達の前に現れたライバルが、マルセルも含めた3人の大きな脅威になることを示唆し、視聴者を強烈に次回に引き込む。
 さらに言えばこれに続く次回予告では、ロッコ達と商売上で正面衝突して勝つ事が示唆され、それに腹を立てたロッコ達がペリーヌ達の商売道具を盗もうと企んでいることまでネタバレさせる。この次回予告のネタバレは、このナレーションがあってこそのものだ。このナレーションで視聴者にロッコ達の脅威を感じさせた上で、次回予告でこれが現実になると明確に告げる事で視聴者は次回まで期待と不安に胸を躍らせて待つことになる。本当に上手く出来たナレーションなのだ。
名場面 二度目の出会い 名場面度
★★★★
 昼間に道中で旅の写真師ロッコとピエトロに出逢ったペリーヌ一行は、馬車の速度で負けて追い越されたこともあって最寄りの村での商売を譲り1つ先の村まで進む。予定していた商売が出来なかった事で、次の村で商売ができなければ旅費の方が尽きてしまう緊急事態でもあり、母子はその村での商売を決めていた。そして泊まった宿屋で夕食を済ませて寝ようかという時間に、ロッコとピエトロが宿屋にやってくるのである。
 言うまでもなく二組はまた口論になる。ロッコはマリに商売を諦めるように言うが、マリは「明日は商売をする」と宣言する。そりゃそうだ、向こうの都合で村を1つ通過させられたのだから。それでもロッコはマリに商売を諦めるように言う、その中で当面は通り道まで同じことが判明してピエトロに街道を変えるよう勧められるが、今回はマリも徹底抗戦だ。マリの徹底抗戦に「おじさん達が別の道を行ったらいい」「私もそう思う」とマルセルとペリーヌが加勢、名場面はここからだ。その台詞にロッコが「生意気な口の利き方だね、お前さんの子供かね?」とマリに問うと、マリは「ええ」と応える。さらに「二人とも?」と問われれば「ええ」とハッキリ答える。この時にマルセルが笑顔に変わるが、ロッコが「全然似てない」というとマルセルは落胆し、マリは「そんなこと、あなたには関係ないことですわ」と反論する。その上でマリは足の予定は変えないこと、ミラノへの街道も変更するつもりはないと宣言し、「どうせ負けるのはお前達」とロッコが切り捨てる。マルセルは喜んで「明日はおばさんの子供になったつもりで頑張る」と言うとマリは勝手に息子にしてしまったことを謝罪するが、マルセルはそれが嬉しかったと告げる。
 ここの見どころはペリーヌ一行とロッコ&ピエトロの口論ではない。その途中に出てきたマリが思わずマルセルまで自分の子だとしてしまう点だ。またこの時のマルセルがとても嬉しそうな表情になること。これはマルセルの母への思いの強さがしっかりと描かれていると共に、マリの「愛」の具現のひとつでもあろう。そのような強印象になって残るシーンが主として描かれるのでなく、別の要因のシーンの中でさりげなく描かれているのだ。
 そしてこのような二人のシーンをさりげなく描くことで、マリとマルセルの関係というのがそれでワンシーン使うのでなく自然に描かれるのだ。もちろん時間の節約にもなり話が分かり易くなるのも言うまでもない。マリはマルセルを自分の子同様に扱うことで、この少年を親元まで責任を持って送り届けるという覚悟を持って同行させているのだし、マルセルは心細い一人旅から自分を救い、食事と宿の世話までしてくれるマリに心底感謝をしていると同時に「両親に会って家族を取り戻したい」と強く感じているのだ。
 そして特にマルセルのこの気持ちを描くことで、今後の展開でことある毎にマルセルがペリーヌ母子に手を貸すという展開に説得力を持たせるのだ。
  
今回の
迷犬バロン

 今回、ペリーヌはマルセルが頼りになるとして「ミラノまで私たちの護衛隊長になって頑張って」とマルセルに告げる。同時にバロンが護衛隊長解任になるのだ。でも護衛隊長を解任されたと聞いても、欠伸するだけで変化は全く無し。バロンらしい。
気まぐれ度
★★
感想  マルセルの登場に引き続いて、今話と次話でペリーヌ達の脅威として物語に君臨する商売上のライバルであるロッコとピエトロが登場する。同時に物語は本作では始めて、一話完結でない次話との続き物の展開となる。ここまで単調だった物語に変化が出てくるのだ。
 だがいきなり大きな変化をさせず、少しずつ変えていって最後に「変化した」と思わせるのが今話の特徴だ。最初は前も見たペリーヌの写真道具買い出しというシーンで幕を開くし、続いて今話から次話への展開とは無関係に、ペリーヌに「飼っている動物を大切にしている」事を語らせてペリーヌの性格設定という大事な展開が挟まる。その次にやっとロッコとピエトロが初登場するが、そこでは次話までまたがって出てくると感じさせる派手な登場の仕方はしない。一話限りのゲスト同様、自然に出てきてあっという間に去って行くだけだ。
 ロッコ達の二度目の登場は、このまま二人が画面から消えてしまいそうな寂しいシーンだ。ああ、商売敵の話はこれに毛が生える程度なんだなと。現のその後は何もなかったかのように、バロンとマルセルのお笑いシーンが描かれる。その上で万を侍してのロッコ達の三度目の登場(名場面欄)、ここではロッコ達のと口論の中でマリの愛とマルセルの思いが描かれたところで「ああ、ロッコ達はこのために出てきたのね」と感じちゃう人は多いだろう。このまま商売でロッコ達が負けて退場だなと、最後のナレーション(名台詞欄)が流れるまでみんな信じるだろう。そう、あの最後のナレーションで「これは次との続き物だ」と始めて解るように出来ているのだ。すごい。
 ペリーヌのバロンやパリカールへの思いというのも今回は大事な話である。ペリーヌは長い旅で働いてくれるパリカールはもちろん、たまに役に立つバロンも大事な存在として無理させることを嫌い、鞭打ちなんてとんでもないと語るのだ。この台詞を聞かされることで、視聴者はパリカールもバロンもなんでペリーヌに懐いているのか理解出来るだろう。そしてそのペリーヌがここでパリカールやバロンに注いでいる愛情は、物語が中盤に差し掛かると大事になってくる。そういう意味でもこの要素を大事だとしたのだ。
研究 ・ 
 

第10話「写真機どろぼう」
名台詞 「これからも、色々意地悪をされたり悪口を言われたりするかも知れないわ。でも私たちは決して、人に意地悪をしたり悪口を言ったりすることはやめましょう。人には、優しくしましょう。そうすれば、人からも優しくされるわ。人から愛されるには、人を愛さなくては。お母さん、お前が誰からも好かれるような娘になってほしいのよ。お前の賢さと強さを、そういう人間になるために使って欲しいの。そうすればおじい様もきっと、お前を大好きになってくれるわ。」
(マリ)
名台詞度
★★★★★
 昼間の商売ではペリーヌがロッコ&ピエトロを見事に撃退、しかしその光景にマリは不安を感じていた。そして夕食後、散歩に出かけたマルセルに着いていこうとしたペリーヌを引き止め、マリは娘にその胸の内を語る。
 母は娘が強くて賢いことをまず認め、その上で昼間のロッコ&ピエトロを撃退する際のペリーヌはとても意地を悪かったと突き付ける。ペリーヌは「意地悪をしたのは向こう」「インチキ写真屋と言われちゃ許せない」と言い訳をするが、マリは「だから自分も意地悪になってはいけない」「言いたい人には言わせればいい、自分達がインチキをしなければいい」と切り捨てる。そして「あの人達は私たちをインチキと思っているわけではない、客を取られて頭に来て思わず言ってしまった」と自分の分析を娘に語り、この台詞でもって娘に言い聞かせるのだ。
 いよいよこの物語の根幹となる台詞が出てきた。「人から愛されるためにはどうすればいいのか?」という、この物語のテーマと言うべきものだ。無論、マリは商売敵があることを快くは思っていないが、だからといって相手を徹底的にぶちのめして「撃退」するのも正しいとは思っていない。マリの願いはその商売敵と共存共栄するか、和解の上でどちらかがどちらかが身を引くかというものであるはずだ。
 だからこそ今回のペリーヌの撃退方法について賛成出来ないし、何よりも不安で仕方が無い。例え自分達が勝ったとしても、相手を怒らせてしまっては何倍にもなって報復されてしまう可能性がある。報復は報復を呼び、報復合戦という「憎しみ」の連鎖になることをマリは望んでいないし、そういう道を娘に取っては欲しくないと考えているのだ。それをこの台詞でキチンと伝えている。その中にマリの哲学である「人から愛されるには人を愛さねばならない」という事を劇中で最初に口にし、以降物語の中で重要な論理となって行くことは言うまでもない。
 さらに、この台詞に「違和感」を感じた視聴者も多いだろう。それきマリが最後に付け加えた「そうすればおじい様もお前を好きになる」という一文だ。原作等を読んで物語を先回りして知っている人は違和感を感じないが、初見の人には大いに違和感を感じるところである。普通は祖父は孫を溺愛するものだから、多くの人は「ペリーヌが祖父の元にたどり着ければ歓迎される」という前提で見ていることだろう。だがこのマリの台詞の最後はそうでない前提で付け加えられているのだ。現在の祖父がペリーヌを大好きではないと解っているからこそ、わざわざ「お前を大好きになってくれる」と語らなければならないのである。勘のいい人はここでペリーヌの苦難が「旅」だけでなく、目的地に着いた後も続くと察することであろう。そのような点まで示唆した上で、ペリーヌが持たねばならないものを明確にしたという点で、この台詞はとても印象深いだろう。
名場面 写真機どろぼう 名場面度
★★★★★
 月夜に散歩に出たマルセルは、ロッコ&ピエトロがペリーヌ達の馬車に忍び込んで「写真機を勝手に借りよう」と悪巧みをしているのに気付く。そしてペリーヌ達が泊まる宿では、マルセルから話を聞いた主人が協力して大捕物が始まる。馬車に忍び込んだロッコ&ピエトロはあっけなく捕まり、騒ぎを聞いたペリーヌとマリが馬車に駆けつける。
 得意げになってペリーヌに「泥棒を捕まえた」と語るマルセル。「あんな奴警察に突き出しちゃえば良いんだ」とマルセルが言うのも構わず、マリは捕まったロッコ&ピエトロの元に歩いて行く。宿の主人が二人に「人の大事な商売道具を盗むとは…」と叱りつけているところへ、「いいえ、それは違います」と突き付ける。そしてロッコが落とした帽子を拾い「この人達は私たちに大事に用事があっていらしたんです、写真機を盗みに来たなんて誤解です」と平然と語る。周囲から起きるどよめき、ペリーヌやマルセル、宿屋の主人、そして当のロッコ&ピエトロも目を丸くする。「あなた方が来るのがあまりにも遅いので、私、部屋におりましたの。私がこの馬車にいると思って、いらっしゃったんでしょ?」とさらに平然と続けるマリ、「そ、そんな…」と言葉が出ない二人にマリは「そうですわよね?」と強く言ってロッコに帽子を差し出す。瞳を震わしながら「ええ、そうなんです」と帽子を受け取りつつ言うロッコ。「ああ、良かったわ、お逢い出来て。皆さん、お騒がせして申し訳ありません。何か手違いがあったようです」と安堵するマリに、主人は「そんなバカな…」と呟き、マルセルは「おばさん違いよ、こいつ…」と叫んだところをペリーヌに口を塞がれる。「ご主人もお引き取り下さい」と皆に解散を訴えるマリを、ロッコとピエトロはまるで女神でも見るように涙を目に浮かべて見上げる。続いてペリーヌとマルセルに早く寝るよう促すマリにロッコは声を掛ける、そして自分達が行き先や通る街道を変更することを決めたと打ち明ける。
 まさに「愛の勝利」である。このシーンは言うまでもなく名台詞欄シーンと連動しており、マリが娘に言い聞かせた「愛」を有言実行する。そして「恨みの連鎖」に陥り掛かっていた母子とロッコ&ピエトロの関係を、悪化させることなくしかも新たな「恨み」を生むことなく解決し、さらにロッコ達のルートを変更させるという「完全勝利」を掴んだシーンである。
 この日の昼間にペリーヌがロッコ達に勝ってはいたものの、結果としてそれはマリが不安として感じていた相手からの「恨み」を買うことになってしまった。その「恨み」は一歩間違えれば写真機を盗まれてしまい、旅費を得ることが出来なくなるというペリーヌ母子の死活問題に発展する被害を受けるところであった。そのような被害を受ければもう二度と二人に勝つ事は出来ない…それほどの被害を受ければ勝ち負けどころの問題ではないことをマリは予想していたのだ。
 そして実際に泥棒に入られて結果的には二人は捕らえられる。その段階でマルセルの言う通り警察に突き出せば相手に決定的なダメージを与え「商売敵」という脅威は排除される。だがそれで良いのだろうか?とマリは思ったはずだ。自分達の方が商売が上手だったために彼らをここまで追い詰めてしまった…マリはそう感じたはずだ。だからマリとしては恨み辛みが残らない手段で物事を解決するチャンスと感じた事だろう。マリは一貫して愛情溢れる態度で接して彼らを許し、その愛情が伝わったことで彼らは自分達の前から姿を消すことを決意する。まさにマリによる「愛の具現」として印象深いシーンだ。
 ペリーヌは名台詞を聞いていたからこそ、母が何をしようとしていたか理解出来ていたし、それでマルセルを止めるという重大な役目を果たすことになる。このペリーヌの姿も名台詞欄と連動していて、マリの愛情を真っ直ぐ受け止めた事が示されるのだ。こう言う意味でも印象に残るシーンであろう。
  
  
今回の
迷犬バロン
 
 マルセルと夜の散歩に出たことで、ロッコ&ピエトロによる企みの第一発見者の一人となる。そして二人が泥棒に入りマルセルが声を上げると、宿の男達と一緒にロッコ&ピエトロを攻撃するのだ。「ペリーヌの護衛隊長」ではなく、マルセルの家来になってしまった感じだ。
気まぐれ度
★★
感想  今回はとても印象深いエピソードだ。前半の「旅」部分、その中のさらに前半のペリーヌとマリの旅の中では最も印象深いエピソードと言って良いだろう。子供の頃に見た記憶もキチンと残っていて、前話でロッコ&ピエトロが出てきてから今話までが、二話掛けてのひとつのエピソードと考えることが出来よう。
 名台詞欄、名場面欄に挙げていないが前半のペリーヌ母子とロッコ&ピエトロの写真対決もなかなか見物である。特にここでは「自分達が有利」という理由で調子に乗るペリーヌが、年相応の少女の姿としてとてもリアルに描かれているのだ。特に「おじさんたちに恥をかかせたくない」と言って自分達の写真を見せることを勿体ぶる姿は、本人は無自覚でも相手をイライラさせているという構図として上手く描かれていると思う。さらにマリまでもがさらりとピエトロの写真の評価を下したことが、ロッコの怒りを買う理由付けとして上手く機能していた。これでロッコがペリーヌの馬車から写真機を盗もうと企てる展開に、説得力が大いに付いたと言って良い。
 何よりも前話からロッコ&ピエトロという「商売敵」が脅威として君臨した展開を、どのように解決するのかという疑問に答えが出たのは気持ちが良い。相手が唐突に視界から消えるのでなく、ちゃんと二度にわたり「勝負」をしてペリーヌ達に軍配が上がるという形で決着させたのは気持ちがよい。しかもそれだけの話にせず、物語の主人テーマである「愛」を前面に押し出して、その上で最終的に「愛」を武器にして戦うことで完全勝利を決めたことで主人公と視聴者に多くの教訓を落として行く話として記憶に残るように出来ているのだ。
 子供の頃(小学生高学年時の再放送)の私は、マリを見て「あんなこと自分には出来ない」と思ったものだ。今見ても感想はやっぱ同じ、30年間進歩のないやっちゃな。大事なものが盗まれようとしたのに、涼しい顔をして犯人に愛情を注ぐなんて無理。感情的になって相手を罵ってしまうだろう。
 どうでもいいけど、今回のペリーヌは瞳がやたら大きくて気持ち悪かった。なんか少女漫画の脇役みたいな顔になってた。宿屋の主人はデュファルジュ先生でしたな。
研究 ・ 
 

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