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第11話 「バロンがんばる」
名台詞 「どうだ? そのワン公を私に譲ってくれんかな? …はっはっはっは、冗談、冗談だよ。さて、行くかな。」
(プラガ男爵)
名台詞度
★★★
 次元 キターーーーーーーーーー!!!!!…今回のゲストキャラ、プラガ男爵のお声はあの次元大介でお馴染みの小林清志さんだ。当サイト考察作品では「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」のジャスティス以来の登場だ。このおやっさんが、今回は短時間で様々な面を見せてくれるが、その最後の台詞がこれだ。
 最初はペリーヌとマルセルを脅かす役回りで登場し、あれよあれよという間に仮面が剥がれて良い人になる。そしてマリが写真師だと知るとその客にもなるという人の良さだ。そんなキャラクターの最後の台詞はこのジョークである。もちろん、このジョークに話が行くには、サブタイトル通りバロンにがんばってもらわねばならなかったので、上手く話がオチたという意味でとても印象に残った。
 しかもこの台詞に、ペリーヌが「はい」と元気に返事してしまうボケがこれまた良い味を出している。バロンからしてみれば「お前なぁ…」って突っ込みたくなる反応だろう。このシーンを面白おかしくしたのは、ここまでの物語が上手く出来ていたことと、この台詞を語る次元大介の演技力に他ならない。笑い声までは真面目なのか冗談なのか解らないように言っていたもんなぁ。
 ちなみに、本作では始めてゲストキャラが名台詞欄に上がったぞ。
名場面 子鹿とマルセル 名場面度
★★★★
 湖の畔での野宿、夜中に物音とそれに反応したバロンの動きでマルセルは目を覚ます。その物音の主は鹿の親子だった。マルセルは子鹿を確保しようと考え、バロンと共同戦線を張って見事子鹿の捕獲に成功する。
 その時の物音で馬車から出てきたペリーヌとマリに、得意げに子鹿確保を語るマルセル。最初はペリーヌも一緒に子鹿が可愛いとはしゃぐが、マリの表情は決して明るくはなく「この子鹿をどうする気なの?」とマルセルに問う。マルセルは「ペリーヌにあげても良いし…サーカスに連れて行って芸を仕込む」と意気揚々に語り、バロンが一緒にいた親鹿を追い払ったことを訴えて親鹿の居場所まで言う。親鹿の存在に気付いたペリーヌは「まぁ」と小さく声を上げ、それをまた追おうとするバロンを制止する。マリは「あの鹿が可愛そうだとは思わない?」と問い、その上で「離してやりましょう」と訴える。「折角捕まえたんだから」と語るマルセルに「あなたももうすぐお母さんに会うんでしょ? お母さんと離れているのが嫌であなたはおばさんの家を飛び出してきたんだったわね?」と語る。この一言に頷いたマルセルは急に沈痛な表情を見せる。そしてマルセルは抱いていた子鹿をそっと下ろし、逃がしてやる。3人は逃げ去る鹿の親子を見送ると、マリが「あなたは良い子よ」と言ってマルセルを抱きしめる。マルセルはマリに抱かれて寂しい表情を見せる。
 このシーンではマルセルの本心を上手く描き出していると思う。子鹿を捕まえてペットにするという自分の行為を通じて、「他者によって親子が引き離されること」についてマルセルがしっかり認識するのだ。彼はこの短時間にマリの説教を受けたことで、自分が抱いている子鹿が今の自分と同じであることに気付き、いつしか同情してしまうのだ。その同情はそのまま「早く母に逢いたい」というマルセルの思いそのものなのだ。
 そしてその本心に気付いたマルセルが強烈な喪失感に襲われたのを、マリは見逃していない。マリは人の子の母としてマルセルの母に代わり、マルセルの行為を褒めてやらねばならないと気付いたはずだ。だからこそ「あなたは良い子」という言葉が出たし、マルセルを受け止めることが出来た。マルセルは「良い子」と言われたことでマリに「母親」を見たのだろう、マリを抱きしめてしまう。それこそが彼の「母を想う気持ち」であり、この表現が秀逸だと感じた点だ。
  
今回の
迷犬バロン
 
 バロンの「初芸」、この「チンチン」をきっかけにどんどん頭が良くなる。マルセルとのゴロゴロ遊びをこなしたと思えば、マルセルの子鹿確保のため母鹿を追い立てるという活躍でサブタイトル通りがんばった。だがその後のプラガ男爵の獲物を横取りしたのは、題して「バロンがんばりすぎる」と言ったところだろう。
気まぐれ度
★★★★★
感想  確かに今回のバロンは頑張った、でも後半は頑張りすぎた。
 でも今話は明らかにバロンの動きが物語を牽引していたのは確かだ、その点においてはサブタイトル偽りなしというところだろう。
 しかし今話の盛り上げ方が上手い、最初はバロンの「一芸」で始まり、マルセルの命令通り動くなど徐々に頭をよく描く。そして子鹿確保シーンでバロンの「狩猟」の才能を明確に描き出し、これを伏線として後半に行くが、その後半ではバロンの性格設定を上手く使って頑張らなくて良いところで頑張りすぎてしまうというシーンを描いてこれを「事件」の発端とした。悪く言えばバロンがこれほどオモチャにされた回はここまで無いだろう。
 またプラガ男爵も面白いキャラだ。最初はとにかくペリーヌとマルセルを怖がらせることに全力を注ぐが、一気に「良い人」になるのでなくその瞬間まで棘を持ったままで人物像が変換して行く。写真屋の客となればとても良い人のはずだが、その撮影シーンが終わってもまだ「怖い人」のまま。だからこそ棘を瞬時に無くしてしまった名台詞欄の台詞が印象的であるのだ。
 しかし、写真一枚分のお代を支払うために、マリを屋敷の中に引き止めて何をしていたんだろう? この話を見る度に疑問に感じる。ま、あり得るのは屋敷がでかすぎるからお金を取りに行くのに時間が掛かった…ってところかな。この男爵は通常の料金よりも沢山のお金を出したんだろうなぁ。
研究 ・トリエステ〜ミラノ
 今話冒頭で出てくるのは地図だ、ギリシャからミラノに掛けての地図が画面全体に表示され、ギリシャからミラノまでのペリーヌの足取りが赤い線で表示される。今回はここから二人の足取りを追ってみよう。
 その行程はここに示した。「1」地点から「4」地点に、各エピソードの位置を記したが、これは話数から単純に比例して各出来事を主要な街に配置しただけである。というのはどのエピソードもどの街での出来事かは明確にされていないからだ。マルセルと出逢った位置は冒頭のナレーションで「トリエステ」ととされたが、それにしては次の宿屋がある街が出てきているのでこのような位置と想像した。ただこの位置だと、みんなが渡ったあんな石橋あるかなぁ?
 ついでに、今話冒頭に出た地図も上げておこう。過去に私が勝手に想像したルートと一部違うところはあるが気にしない。特にサラエボ以前が…。


・今回までの旅程
トリエステ〜ミラノ
移動距離 415km
合計(ダッカから) 11985km

第12話 「たった二人の観客」
名台詞 「母ちゃん! 父ちゃん! 俺だよーっ! マルセルだよーっ!」
(マルセル)
名台詞度
★★★★
 深夜にコッソリとペリーヌ達と宿泊していた宿屋を抜け出したマルセルは、街を走り抜けて自分の「家」であるサーカス団のテントを発見する。そしてこう叫びながら、このテントに飛び込んで行く。
 もう細かく解説することはないだろう、マルセルが旅をしてきた全ての思いがこの台詞に込められている。前話まで一貫して「早く両親に会いたい」というマルセルを描いてきたのが、この台詞に全て叩き込まれている。正直言って、ここでマルセルの両親が出てきて感動の抱擁という安易な演出だったら、このシーンは大いに盛り下がった事だろう。
 マルセルは主役でないのだから、こう叫んで掛けて行くだけで十分なのだ。マルセルというキャラが大きくなりすぎないよう、上手く考えられた演出だと心から感心した。
名場面 マルセルとの別れ 名場面度
★★★
 マルセルが無事に両親と出会い、ペリーヌとマリに謝礼の意として特別にサーカスが演じられたところで、次に待っているのは「別れ」だ。
 ペリーヌ達が馬車を出発させると、マルセルはしばらくは芸をしながらついてくる。だがマリが遂に別れの時を告げる。ペリーヌが馬車から降りて、マルセルに対面して手を差し出し「さよならマルセル」と声を掛ける。マルセルも手を出してがっちり握手して「さよならペリーヌ」と返す。マリが両親と団長にお礼を言うように頼みながら「さよならマルセル」と言うと、「さよならおばさん」とマルセルが返す。別れの挨拶が済んでパリカールを歩かせようとするペリーヌにマルセルが「また逢おうな」と言う。「逢えるかしら?」と問うペリーヌに「俺たちのサーカス、マロクールに行くかも知れないし」と力説するマルセル。「そうね、きっとまた逢えるかも知れないわね」と返したペリーヌは再度別れの言葉を言って、馬車を走らせる。「元気でね」とマリが手を振ると、「さようならおばさん、さようならペリーヌ」と手を振って見送るマルセルの足下にバロンがまとわりついてくる。以降「今回の迷犬バロン」欄に続く。
 マルセルの両親との再会とは対照的に、こちらは盛大に演じられた。これまで旅を共にしてきた者同士の別れの辛さというものは敢えて前面に出さずに「空気」として表現し、あくまでもペリーヌ達は前向きに、マルセルは両親との再会の喜びの中で別れさせていると感じた。
 それとこの「別れ」を中途半端に盛り上げたのは今後のマルセルの物語への関わり方を考えれば理解出来る。無理に感動させるようにしないのは当時の「世界名作劇場」シリーズの常套手段ではあるが、その中でもこの別れはマルセルが必死に盛り上げようとしているのをペリーヌがありきたりの対応で返している点が引っかかる人はあるだろう。そしてそのような人が「?」を浮かべる頃に、この二人の再会が近いとナレーターがネタバレさせることで「中途半端」の謎が解けるように出来ている。つまり「再会」を視野に入れた別れシーンであり、ペリーヌに口先とは裏腹にその「予感」があると演じさせることでこのシーンに「別れ」とは別の味付けをしてしまったのだ。
 

 
今回の
迷犬バロン
 
 バロンもマルセルとの別れを惜しむ。馬車に向かって叫ぶマルセルの足下にバロンがまとわりついてくるのだ。マルセルはこれでやっと涙を浮かべ、バロンを抱きしめる。マルセルとバロンの絆が表現されていて気に入ったシーンだ。
気まぐれ度
★★
感想  今話では物語の盛り上げ方の配分というのがうまく行っていると思う。今話ではどうしてもマルセルと両親の再会と、ペリーヌ達とマルセルの別れという物語のヤマ場が2つできてしまうのだ。そこでマルセルという前半の準レギュラーと、ペリーヌという主役でキチンと差別を図り、余計な感動シーンを入れずに白けさせなかった点は名台詞欄で語った通りで良くできた点だ。
 そして、その2つのヤマ場とは別に「見せ場」を用意して、それをサブタイトルとした事とヤマ場の間に入れた事で、2つのヤマ場を登って降りるという盛り上がり方ではなく、冒頭から別れシーンに向けての徐々に盛り上がるストーリーとした点は評価したい。2つのヤマ場の間に谷が無いもんなぁ。繰り返し言うけど名場面欄シーンの盛り上げ方を上手く抑えたのがいい。
 同時進行で母子が今後のルートについて相談している点も、マルセルが不在となる次話以降に向けてうまく展開を先回りしたと思う。二人の会話から「近道」をして「厳しい峠道」にぶち当たるという「マルセル以降」の前提が早くも植え付けられたことになる。1つの展開が終わる前に次の展開を始めておく点は、1年掛けてゆったり放送するアニメだからこそだろう。「視聴率が悪かったら打ち切り」を前提じゃこうはうまく回らない。こうすることで物語の流れを切らず、視聴者わ留めておくことが出来るというのは現在から見れば贅沢なアニメなのだろう。
 しかしだ、時には主人公を元気づける司祭様、時には最先端の医療で半身不随の主人公を治療する名医、時には水野晴男似の映画ヲタク、時には魔法少女の「優しいおじさま」で当サイト考察作品を盛り上げてきた村松康雄さんが、まさか「ペリーヌ物語」にも出ているとは思わなかった。今回はサーカス団長としてペリーヌ達のための臨時公演の司会をしていたぞ、本当に色んな役をしている人だ(一部資料ではサーカス団団長役は別の声優さんになっていますが、エンディングのスタッフロールに名前が出ていますし、あの団長の声は誰がどう聞いても村松康雄さんです)。
研究 ・ 
 

第13話「アルプス越え」
名台詞 「いいのよ、お金のことなら。私、さっき階段のところであなたと女将さんの話聞いちゃったの。心配しないで、写真代は私が貸してあげる。お母さんもきっと賛成してくれると思うの。」
(ペリーヌ)
名台詞度
★★★
 峠を前にした最後の宿泊。ペリーヌ母子はここで働くジョセフという少年に撮影を依頼される。ところがジョセフは写真代に給料を前借りするつもりだったが、頑固な女将さんに断られペリーヌ達に写真代が払えなくなってしまう。そして仕事をしながらペリーヌにその事を打ち明けると、ジョセフと女将さんの会話を見ていたペリーヌがこう返すのだ。
 ペリーヌ母子にとって写真撮影で得られるお金は、旅行資金として貴重でありこれを取りもらす訳にはいかないのは言うまでもない。だから本来は無理にでも取り立てないとこの先の旅の行方が怪しくなるはずだ。だがペリーヌはそれ以上に大事なものがあると言うことを母に見せられていた、それこそ「愛」である。10話を例に出すまでもなく、その「愛」が母子の危機を救ってきたのは確かで、ここでペリーヌが独断でこれを実行したのがこの台詞なのだ。
 もちろんあてにしていたお金が無くなってしまったジョセフとしては、この申し出を受けないはずがない。そしてジョセフが何で写真を撮ったか理由を知っているマリも、この娘の独断行動を支持するのも確かだ。
 そしてポイントはこのジョセフが「ペリーヌ達に恩を感じる」ことと、「多分もう再会出来ないから写真代の代わりに何かお礼をしなければならない」と考えたことである。この台詞、それに対するジョセフの思いが母子の不安な旅の成就へ向けての大きな伏線となって行く。恩を売ったからこそ何処かで返ってくる、「愛」を見せたからこそそれで勝利する、その予感を強く感じさせるよう台詞の後のシーンが上手く出来ているからこそ、この台詞が活きて印象に残るのだ。
名場面 アルマノ村で 名場面度
★★★★
 ペリーヌ達母子は苦労して国境を越え、シンプロン峠の麓にあるアルマノ村に到着する。ここはジョセフの故郷で、ジョセフの実家に前日に撮影した彼の写真を送るように頼まれていたのだ。その上でジョセフは、「父が助けとくれるはず」と言っていた。だからここまで来れば峠道の苦労は緩和されるはずだが…ペリーヌがジョセフの実家を訪れるシーンは何故か暗いBGMが流れる。そしてジョセフの家の玄関でペリーヌに対応していたのは、ジョセフの弟だろうか小さな男の子であった。そしてジョセフの父が不在であることを告げられる。目を見合わせる母子だったが、仕方なく男の子に別れを告げて出発する母子。
 ペリーヌとマリが「やっぱり私たちだけで登るしかないわね」と決意して出発する。努めて明るく振る舞うマリと、未練がましくジョセフの実家を振り返るペリーヌ。
 ここに二人の「失意」が上手に描かれている。これ以前のシーンでは、ジョセフの父の世話にならず自分達だけで峠を越えねばならないと励まし合っていた母子だったが、いざ助けが期待出来るその場に到着するとやはり男手の助けを期待してしまっていたのだ。それほどまでに母子はここまでの上りで疲労困憊しており、二人が必死になって馬車を押し上げるシーンが何度も描かれたからこのシーンが活きる。
 そしてその期待が消えていった事が分かった後の二人の表情がこれまた良い。「ジョセフの父は留守」と最初に知った時のマリの表情は、明らかに「助けてもらえる」という期待が外れたそれだし、ペリーヌもそうだ。マリは「自分達が頑張らねばここを越えられない」と解っているから努めて明るく振る舞い振り返ることもしなかったが、ペリーヌの未練は年相応の少女のそれを上手く再現している。パリカールに掛ける言葉には異常な力がこもり、そして何度も振り返って悔しそうな表情をするのは秀逸だ。
 とにかく二人はここで助けられるのを期待し、それが外れ、旅の行く先に大きな不安を感じたのは確かで、これを上手く再現したことでとても印象に残った。
  
今回の
迷犬バロン
 
 今回は、バロンも峠道の険しさにいつもの調子が出せない。トンネル通過シーンでは馬車に追突し、痛い思いをしたようだ。そして、峠の目前ではさすがのバロンもヘトヘトに。
気まぐれ度
感想  前話から母子の旅に暗い影を落としはじめたアルプスの峠越え。今回は間に一話も挟まずガチでこの峠に挑む母子の姿が描かれる事になる。次回予告では二人がただひたすら峠を歩くような言い方だったのに、いざ今話が幕を開くと峠道の入り口の街で泊まった宿屋の話で半分を費やす。だがこれは二人が無事に峠を越えるための重大な伏線であることは、見ていれば解るという展開だったろう。ペリーヌがマリから引き継いだ「愛」を見せることで、その恩が何処かで返されるという伏線を上手く付けたと思った。
 だが後半は引っ張る引っ張る。ジョセフの実家に着くまでも険しい山登りを再現し、すぐに物語の核心部に入らず、やっと着いたジョセフの実家も助けてくれるはずの父が留守という鬼のような展開だ。そして母子を遭難一歩寸前の状況まで追い込んでから、ジョセフの父がさっそうと現れて助けてくれる。このような展開で「峠道は決して簡単に越えられない」「だが登り坂はいつか下りになる」というまるで正反対の2つの要素を上手く描いたと感心する。
 特にジョセフの父が留守だったという展開は上手いと思う。あそこでジョセフの父が出てきて簡単に助けたりしたら、この話は盛り上がりを欠いたであろう。またジョセフの父がいたけどその時は素っ気なく、後で手紙を読んで慌てて追って来るという展開もありだとは思ったが、それでもやっぱり母子は簡単に助かってしまう。ここは母子がギリギリまで追い詰められたから盛り上がるのだ。ジョセフの父登場があと少し遅かったら、母子は本当に馬車を捨てていたと思う。
 しかしマリがジョセフの父にお金を差し出したところを見ると、誰かが通りかかったら助けてもらおうと考えていたって事だろうなぁ。やっぱアルプスを女子供だけで越えるのは無理だって解っていたんだろうなぁ。急ぐのは解るけど、やっぱここは南フランスに迂回するのがベストだったと思うのは私だけ?
研究 ・シンプロン峠
 今回、ペリーヌ達がイタリアからスイスへ向かうのに越えた峠は「シンプロン峠」である。イタリアのミラノとスイスのモントルーを結ぶ街道にある標高2005メートルの峠だ。この峠を舞台に母子は苦難の峠越えを演じる。
 この峠道(登りのみ)の母子の足取りを追った地図をご覧頂きたい。ミラノからシンプロン峠まで約163キロ、そのうち今話のストーリーは最後の60キロ位と言ったところだろう。「2」地点がジョセフと出会った宿屋がある街と考えられる。「3」が多くの人の印象に残っているであろう国境である。この峠の特徴は峠の稜線と国境が一致していない点で、劇中で描かれたように国境を越えてから峠までかなりあるのはこの地図でもお分かり頂けるだろう。「4」地点はジョセフの実家があるアルマノ村の想定位置。航空写真で見るとここが峠の手前の最後の集落であることが解る。そして「5」がシンプロン峠だ。
 この峠道で私は2つのことを思い付く、1つはこの峠の歴史だ。19世紀初頭、この峠はナポレオンによって軍事用道路として拡張された。この時に大砲を容易に通せるように勾配を緩め、道幅も8メートルに拡げられたのだという。う〜ん、ペリーヌ達が歩いた道とはちょっと違うなぁ。でも母子が渡った巨大な石橋も、長大なトンネルもこの時に整備され現在も車道として現役のところがあるとのことだ。
 そして、シンプロン峠と言えばヨーロッパの鉄道に詳しい鉄ヲタの皆さんにとってはお馴染みの峠だ。と言うのも1982年まで鉄道トンネルとして世界最長であったシンプロントンネルが峠の下をくぐり抜けているのである。1898年着工、1906年貫通、全長は第一トンネルが19803メートル、第二トンネルが19823メートルである。2006年にはトンネル開通100周年を迎えてスイス側で盛大なイベントが開催されたという。そして70年以上にわたり「世界一長い鉄道トンネル」のタイトルを保持していたが、1982年11月に日本の上越新幹線大清水トンネルに抜かれて世界二位に後退した。
 このトンネルがどれくらい長いかというと、前掲地図の「3」地点辺りから、「5」地点の北側にあるブリークという街まで一気に直線で抜けているのである。これを日本が日露戦争をやっていた時代に作ってしまったのだから、すごいもんだ。

・今回までの旅程
ミラノ〜シンプロン峠
移動距離 163km
合計(ダッカから) 12148km

第14話「美しい国で」
名台詞 「ペリーヌは自分の失敗を取り戻そうと、大声を上げて口上を言い続けました。でも自分の足で歩けないのは、なんとしてももどかしいものでした。そして二人分の仕事をしなくてはならないお母さんは、すっかり疲れ切っていたのです。」
(ナレーター)
名台詞度
★★
 今話だけでなく、前話からの流れが何なのか、今話の最後でナレーターが明かしたのがこの解説といっていい。今回はペリーヌが怪我をする、という事が物語の中心に描かれるが、この事実を通じて前話から何が起こっているかを浮き彫りにし、それが今話でさらなる悪い方向へ進んでいるというストーリー展開となることが、この解説で始めて明かされるのだ。
 もちろん、その明かされる点とは「マリの疲労」だ。ただでさえ身体が弱いマリが、今話冒頭では峠越えですっかり疲れ切っていることが示唆されている。本来なら数日掛けて養生しなければならないのに、ペリーヌの「あと一週間でフランス」という吉報に腰を上げて旅を続けてしまう。そこへペリーヌの負傷という出来事は、マリにさらなる負担を掛けることに他ならない。
 つまりマリに「死の影」が徐々に忍び寄っていることが最初に明確にされたのだ。彼女の死は原作小説がある以上は既定路線であることは確かだし、また原作を知らずに物語を見ている人も予想しているところであろう。物語は次の悲劇に向けて大きく舵を切った、と言えるのがこの台詞であるのは間違いないのだ。
名場面 ペリーヌ負傷 名場面度
★★★
 街道の途中の給水ポイント、ここで給水作業をしているペリーヌは、河原の岩場の上にきれいな花を見つける。そしてよせばいいのに岩場をよじ登って花を摘んだところで、転落して足をくじいてしまう。
 物語は序盤から「マリの疲労」と、それに対してペリーヌや同行の動物たちが元気であることで物語が進んでいる。この状況で誰もが「ここでペリーヌに何かあったら…」と思うところだろう。そこでその不安通りの出来事が起きるのがこのシーンであり、この負傷をきっかけに母子はどうなってしまうのだろう…多くの人が不安を感じたに違いない。
 もちろん、ペリーヌが骨折などの重い怪我であれば、これを理由に一行は一時旅行を中断することになるので、資金面を別にして「マリの疲労」という面で見れば旅行は有利になるはずだ。だがここでさらなる追い打ちは、ペリーヌの怪我が足をくじいた程度で全治1週間程度であったことだ。この結果は安堵すべき事ではなく、次の悲劇へのスイッチが入ってしまったということは多くの人が気付かないかも知れない。
 いずれにしても、ペリーヌはこの怪我で動けなくなるが入院するほどではないので、マリが無理をして旅を続行出来る状態が出来てしまった。こうして物語は悲劇へ向け、その向きを変え始めるのである。
  
今回の
迷犬バロン
 
 野宿地点にて夜を迎え、バロンが「犬小屋」に戻ろうと思ったらその前にパリカールが堂々と寝ているので「犬小屋」に入れない。押したり蹴ったりするけど、小さいバロンの力ではパリカールはどうにもならない。最後は隙間から無理矢理「犬小屋」へ…最初からそうしろってえの。
気まぐれ度
★★★
感想  名台詞欄にも記したが、マルセルが画面から消え、物語が次に向かう方向はどう考えても「マリの死」という次の悲劇だ。だが一気にそこへ持って行かず、あまくでも少しずつ物語を回して行く。前話で峠越えの厳しさを描いたのも次なる悲劇へのステップとして重要だし、今話は峠を無事越えた事による疲労と安堵でもってペリーヌを「油断」が襲うという形で、「峠越え」の安堵を吹き飛ばして物語をより過酷な方向へと導く。
 だが過酷とはいえ、まだそんな厳しく描いていないのも確かだ。今話や次話辺りではまだ「どうにかなるだろう」的な空気もあり、母子は普通の旅を続けようと必死に疲労を隠している。もちろんこのように疲労を隠したことで倒れるのがマリであり、今話ではマリに忍び寄っている「死の影」が明確になってきていることも勘のいい人は解ることだろう。
 しかし、今話は物語全体の流れとしてみると、「マリの死」という次の悲劇に大きく舵を切ったという意味でとても重要だけど、一話単独で見るとあまり印象に残らない。1年ちょっと前に再放送を見たはずなのに「ペリーヌが怪我をしたことなんてあったっけ?」「この怪我にはどんな意味があったっけ?」と思い出しながらの視聴だった。最後のナレーションで「そういえばそうだった」と思い出したのはここだけの話。
研究 ・ 
 

第15話「フランス!フランス!」
名台詞 「ああ、フランス! 明日はとうとうフランスに着けるんだわ!(以下歌い出す)」
(ペリーヌ)
名台詞度
★★
 今話は「台詞」という面から見るとこの台詞のためにあると言っていい一話であるだろう。ペリーヌと母は街道沿いの丘の上で昼食とする。丘の上から見渡せば湖と点在する別荘地、この景色にうっとりするペリーヌに、マリは今日中にジュネーブにたどり着ければ明日はフランスという事実を語る。これを聞いたペリーヌがこう叫んだと思うと、歌い出して踊り出すのだ。
 そう、この台詞に込められているのは「希望」である。まだ見ぬ祖父が待つフランス、長い旅路の果ての目的地であるフランス、その目的地にペリーヌは「希望」があると信じて疑わないからこそ、「フランスが近い」というそれだけでここまで喜んで踊ってしまうのである。
 と、この台詞を通じてペリーヌのこんな思いが視聴者に印象付けられればこの台詞を含むこのシーンは大成功である。さらに視聴者も一緒になって彼女たちの目的地フランスに、彼女たちの希望があると信じれば言うことは無い。サブタイトル「フランス!フランス!」もこういう制作者側の思惑があって付けられたのだろう。だがまだ物語全体から見ればやっと「序盤」を抜けた辺り、彼女たちに簡単に「希望」が訪れることがなく、むしろ「絶望」を味わうことになる事を、これから嫌と言うほど見せつけられる前のペリーヌの「喜び」だ。
名場面 マリ倒れる 名場面度
★★★★
 狼に追われ馬車に振り回された翌朝、ペリーヌは穏やかな日差しを感じて目を覚ます。外に出て通りすがりのボヤッキー農夫に現在地を尋ねる。ミロード村という聞いた事もない返答に対し、ペリーヌがジュネーブの方向を聞くと農夫は馬車が今来た方角を指さした。そしてここが既にスイスではないことと、フランスに入国したことを知ったペリーヌはこの吉報を知らせようと母を呼びながら跳ねるように馬車に飛び込む。マリはすぐに目を覚まし「フランス?」と呟いて立ち上がり笑顔になる。だが次の瞬間、マリはそのまま馬車の床に倒れてしまう。マリの額には汗が玉のように浮いている。「お母さん!」ペリーヌの絶叫にマリは「あたまが…」というのが精一杯だ。「お母さん、しっかりして!」ペリーヌの絶叫が続く、そしてナレーターが静かにマリが高熱を出していることと、そのまま意識を失ったことを解説して今話が終わる。
 今話では最後の最後で一気に暗転させた。中盤の牧場での昼食シーンで既にマリの不調は描かれていたが、直後に何の理由も無くマリを復活させることで一旦は視聴者を油断させる。「マリの不調は確かだが今話いきなり倒れることはないだろう」と。その上で牧場での出来事(「今話の迷犬バロン欄」参照)にペリーヌと共に笑い、夜の狼襲撃シーンでは気丈な母親を演じてその健康ぶりを視聴者にアピールする。だから視聴者は油断していて、このシーンはペリーヌがフランスに入国したことでハッピーエンドと思う…残り時間から考えればそう考えるのが自然だ。
 だから、その隙を突いて物語を暗転させる今話のやり方は非常に印象に残る。前述したように伏線はあったものの、それとは逆方向に物語が暴走とも言える進み方をしていたのだから。だがここで隙を突かれた視聴者は、今話中盤でのマリの不調を覚えているから彼女の病が軽いものではないことも一気に予感させられる。まさに物語は非常事態、この非常事態に決着を付けないまま「つづく」である。こんなもどかしい展開があるだろうか?
 こうして前々話から次の悲劇に向けて大きく舵を切りつつあった物語は、その方向性を確定させたと言っていいだろう。次回予告ではマリの病気だけでなく「資金難」という困難が待ち受けていることも示唆される、視聴者はこうして物語に強く引き込まれるのだ。
  
今回の
迷犬バロン
  
 牧場での昼食、ペリーヌはパリカールに水を飲ませるため水飲み場へ。その間、バロンは牧場をうろつくが…一頭の牛がバロンを追い始めたのをきっかけに牧場中の牛がバロンを追う、そしてバロンが飼い主の元に逃げると、今度はペリーヌしパリカールが牛に囲まれることに。何とか脱出したペリーヌは大笑い、体調を崩していたはずのマリもあまりの珍事に元気になってしまったとさ。
気まぐれ度
★★★
感想  いや、本当に最後までよく引っ張った。もう今回の感想はこれに尽きる。最後の最後まで「希望の地フランス」を目前とした明くるくもおかしく、さらに狼にまで追われるという困難はあったものの本当に楽しい旅が描かれていた。村の悪ガキに悪さをされたり、自転車との事故やそれをきっかけに商売を禁止されるという「事件」もあったが(次回予告ではその「事件」が主題かのように描かれていた)、全般的にはのんびりした何の不安も感じさせない物語だった。
 特に名場面欄で語ったが、一度マリに「不調」を演じさせるのが大きい。同時にその「不調」も直後の面白おかしい事件(「今話の迷犬バロン」欄参照)で瞬時にかき消してしまうのは、「マリの調子が悪い」と訴えつつも視聴者を油断させる脚本としてすごく上手いと思った。
 そして本当に最後の最後のシーンで、瞬時に物語を暗転させる。ただ暗転したのでない、その前の「明るさ」が瞬時に忘れてしまえるほどかき消されているのである。この「繋ぎ」のシーンとして狼に追われるという脚本にしたのはこれまたすごいと思うし、暗転した後になって中盤での「マリの不調」が効いてきて視聴者が不安になるというすごい物語構成だ。さらに倒れたマリが病院に担ぎ込まれる等のシーンは一切無しで、そのまま「つづく」だから潔い。
 そして次回予告を見ながら視聴者はあることを知ることになる。それは名台詞欄シーンでの「希望」がすっかり消えていることだ。今話で描かねばならない点はまさにそこで、だからこそ前半では「希望」をキッチリと演じ、ラストのギリギリまでそれを引っ張ったことで「希望が消えた」ことを上手く視聴者に印象付けたのだ。
 しかし今話、ボヤッキーが二役も演じているとは思わなかった。ラストに出てくる農夫もそうだったけど、自転車との衝突事故シーンにも出ていたね。それと村で悪ガキ共がペリーヌとパリカールにちょっかいを出すシーンでは、スパンクの笑い声が聞こえてきて笑った。
研究 ・シンプロン峠〜フランス入国
 いよいよペリーヌ達が目的地の国、フランスに入国する。では前々話の研究欄で語ったシンプロン峠から、フランス入国までの経路を辿ってみよう。この地図を見ながらの説明となる。
 まずは14話冒頭の宿屋だが、これは間違いなく「1」地点のブリークだろう。母子が峠を下って間もないことが語られているし、14話のストーリーから「3」地点までの行程が動かせないのでこう解釈するしかない。 
 「2」地点はペリーヌが怪我をしたと思われる地点である。これは前述の通り「3」地点が負傷したペリーヌが医師の診察を受けたシエルの街である。これから逆算してみると「1」地点からそう離れていない「2」地点がペリーヌ負傷地点と推察される。
 15話の冒頭は「4」地点で確定だ。冒頭シーンで出てきた城は間違いなくモントルーのシヨン城で、母子はレマン湖の北岸を経由したことになる。ジュネーブへは南岸を通った方が近そうだが、母子は商売上の顧客が多そうな方を経由せざるを得なかったのだろう。恐らく馬車と自転車の事故はローザンヌでの出来事と思われる。う〜ん、アンネットの顔が浮かんできたぞ。
 さらに言うと、このレマン湖北岸ルートは劇中のある設定とうまく合致する。それはジュネーブの先がフランスという設定だ。南岸を回るとジュネーブ到着前に一度フランス領に入るコースになるので、フランス入国の感動が薄れてしまうことだろう。だからこそ母子にはどうしてもレマン湖北岸を通って欲しいのだ。
 そして15話の最終地、フランスの「ミロード村」の位置だ。ジュネーブ近くのフランス領の地図をなめるように見てみたが、「ミロード」という地名を見つけることは出来なかった。だがジュネーブの街の大きさを考慮すると、まだ街を通り越していない…つまりジュネーブの街の側面に出たと考えるべきだ。それとペリーヌ達が道に迷ったこと、さらに昼間でも暗そうな森で狼に追われたことを考えると、ジュネーブ付近ではこのようなルートを辿り、「5」地点が架空の「ミロード村」の想定地点であると思われる。この位置であればジュネーブはまだ先だが、既にフランス領に入っている上に、劇中で描かれたようにジュネーブへは戻る方向に指さされるであろう。
 シンプロン峠からの行程は223キロ。フランスに来たとは言え、パリですらまだまだだぞ…。

・今回までの旅程
シンプロン峠〜「ミロード村」
移動距離 223km
合計(ダッカから) 12371km

第16話「おかあさんの決意」
名台詞 「一人で歩くわ、ペリーヌ。馬車のところへ一人で歩けないようでは、これからの長旅にはとうてい耐えられないですもの。」
(マリ)
名台詞度
★★★
 出発の朝、ペリーヌは馬車の準備が出来たことを部屋で待つ母に伝える。ベッドに腰掛けていたマリは、ペリーヌの手を借りて立ち上がるも、こう語って馬車まで自力で歩いて行く。
 名場面欄シーンを受けての翌朝のこのマリの台詞に、マリの病状の深刻さが明確に描かれていると言って良いだろう。本当は馬車まですら一人で歩けないほどの体力であるはずなのだが、これを乗り切らない限りは自分にも娘にも未来はないと思って自分で自分に気合いを入れているのである。つまり「生命を落とすことになってもこの旅を成就させねばならない」という決意がこもっている。
 この台詞はペリーヌがちゃんと聞いていれば、母の病状に気付きそうなものだ。わざわざこう言うのは馬車まで一人で歩けない可能性と、長旅に耐えられない可能性が大きい事の何よりも証拠のはずだからだ。だがペリーヌはこれに気付かない、彼女は旅の続きに踏み出す安堵と、何よりも母が旅が出来るほど快復したと信じているからだ。だがこの台詞から先はマリの行動の一つ一つが、自らの生命を縮めているに過ぎなくなるのだ。
名場面 マリが「決意」をペリーヌに語る 名場面度
★★★★
 今日も商売が上手くいかなかった失意のペリーヌは、宿屋の主人の態度が変わっていることにも気付かず逃げるように部屋に飛び込む。そして病床の母を一度覗き込んだと思うと机に突っ伏して泣く。その泣き声にマリは気付いて目を覚ますと、ペリーヌは泣いたままこれまで母に語れなかった真実を語る。今日も昨日も商売に客が付かなかったこと、そしてもう完全にお金が尽きていること…。その上でマリは「もう商売のことは考え無くて良い」とペリーヌに優しく語りかける。疑問を返すペリーヌにマリは正直に語る、亡き夫の形見であった高価な指輪を売却して217フランのお金を作ったことを。そして娘に「決心」を語る。翌朝すぐにここを出発して、お金がなくなる前にマロクールに着かねばならないという決意を。これを受けて母の病状を心配するペリーヌだが、マリは「静かに馬車で寝ていれば大丈夫」との診断があったと言う。「本当?」笑顔になるペリーヌに、「これだけお金があればマロクールまで商売せずに済むわ、あなたには少し苦労を掛けるけどおかあさんは馬車の中で寝ていけるでしょ? そうすればそのうち病気も治るわ」と語る。それを聞いたペリーヌは母に抱き付き「治るわ!」と言い、マリは「おかあさんはあなたをどんなことがあってもマロクールのおじいさんの元に連れて行くわ」という本当の「決心」を語る。
 マリ最大の「決心」はこのシーンに詰め込まれていると言っても良い。もちろん彼女の最初の決意は、「資金難」という現実にぶつかった事による「亡き夫の形見の指輪」の売却だ。だがこの「決心」はそれだけでは終わらせてくれない。次の「決心」は「医師の診断を仰ぐ」事であったが、これだけは自分が望むべき結果にならなかった。そこでマリの最大の「決心」が「娘に嘘を言うこと」そして「生命を賭してでもマロクール行きを急ぐこと」であった。自分の正確な病状が知れたら、娘は自分を心配して旅には出さない事は火を見るより明らかだ。かといってここで足踏みしていたら指輪のお金もあっという間に底を尽き、持てる財産を全て売り払うという消耗戦の果てに目的地にもたどり着けないという悲劇が待っているかも知れない。だからそれによって自分が生命を落とすことになっても、まず娘を唯一の肉親になるであろう祖父の元に連れて行かねばならないと一大決心をしたのだ。
 もちろん、ペリーヌは母がそこまで考えているとは知る由もない。彼女は母が馬車に乗れるようにまで快復したと喜び、中断していた旅の再開と先が見えない状況の打破に安堵するだけだ。
 こうして、最初からマリに立っていた「死亡フラグ」が明確になるシーンであり、またいよいよ物語は次の悲劇へ向けて一直線に、しかも暴走的に進み出したことが誰が見てもわかるようになっただろう。
  
今回の
迷犬バロン
  
 ペリーヌ一人での商売が上手くいかない時、どこからともなく現れて飼い主を慰める。だがその飼い主はバロンに客寄せのため芸をしろという。バロンはマルセル仕込みの二足歩行やゴロゴロをやってみるけど…逆に周囲にいた人達に逃げられてしまう。
気まぐれ度
★★★
感想  重い話だ、とてつもなく重い話だ。どうしようもなく重くて、全く「救い」がない。ペリーヌは母の決意も知らず最後の方では笑顔になっているが、それは母が嘘を吐いた果ての笑顔だからやはり「救い」ではない。それが解るように出来ているのが今話の「重さ」に繋がっている。
 そして話が重いからこそ、今話では否応なしに多くの視聴者が「マリはもう長くない」という事を思い知らされる。小学生の時に見た再放送で、この話を見てそう感じたのは今もハッキリ覚えている。なんかマリの葬式を先回りしてやってしまったような重さが、今話にはある。だって、真面目に笑えない。
 前半はペリーヌの「何とかしなきゃ」という思いばかりが空回りしている点が強く描かれる。あの年頃の子供に限らず、「何とかしなきゃ」と思ってしまうと人は誰にも話せなくなってしまうものだ(自分にも心当たりあり)。結果、本当はそのことを正直に言わねばならない人達にもそれを言えなくなってしまい、事態を大きくしてしまう。そんな「見てられない」シーンが前半はひたすら描かれる。重い。
 そして「何とかしなきゃ」と思いつつも何ともならなかったペリーヌの悲劇と、そのペリーヌの思いを知った母の「決意」が二元中継で描かれ、やっと名場面欄シーンでそれが繋がるわけだが、その内容も重い。ここでの重さは何よりも、その母の「決意」が生命を賭したものであり、それによって生命を落とすことが誰が見ても明らかだからだ。
 ここまで重い話を「世界名作劇場」シリーズも含めて見る事はとても稀だ。ただ「救いがない」だけ話ならいくらでもある。「小公女セーラ」21話なんかはその典型だがここまで話は重くない。生命を賭すと決めた、実際にそれで生命を落とすことになる人間がいるからこそ話が重いのだ。
研究 ・ 
 

第17話「パリの宿」
名台詞 「ええっ? ダメダメ、絶対ダメだよ。パリは怖いところだぜ、下手なところに馬車を止めたら、何だって盗まれちゃうよ。パリカールまで盗まれちゃうよ。宿屋だって安全とは言えないよ、もちろん高いところは別だけど。」
(マルセル)
名台詞度
★★
 パリの街の入り口にある税関の順番待ちで、ペリーヌとマルセルの感動の再会。もちろんマルセルが気にしているのはペリーヌ達のパリでの事であった。マリを医者に診せた方が良いこと、お金の問題…その中でも大都会では安全な宿泊場所確保が大前提で、マルセルがそれを聞くとペリーヌは「適当な広場に馬車を置いて寝泊まりする」という甘いものであった。そんなわけには行かない!と視聴者が思うより先に、マルセルがペリーヌに告げる言葉がこれだ。
 そう、田舎ならともかく都会では「安全の確保」というのは難題となって降りかかるはずなのだ。野生動物に襲われるようなことはないが、代わりに多くの人間がいる。その人間は決して良い人ばかりではない。だから盗難や犯罪といった治安面での対策は何よりも重要である。ここまでペリーヌ母子がその「治安面」についてかなりルーズだったのは誰の目から見ても明らかであり、劇中でマルセルが心配するのは不思議ではない。その母子の危機管理面での対策のまずさを、視聴者に代わってマルセルが突き付けたということだ。
 そしてこの台詞はマルセルが言うからこそ説得力がある。彼は何日にも渡ってペリーヌ母子と旅を共にしたという事が描かれ、それが多くの人の印象に残っている。つまりペリーヌ達が現金以外に何を持っているのか、それがどれだけ大切なもので、他人に狙われるほど高価なものかという面も含めて全部知っているのである。だからこそこの問題を母子に突きつける事が出来たのはマルセルだけであったと言うことも出来る。もし今話新登場のキャラがこういっても、劇中のペリーヌに対してもテレビの前の視聴者に対しても納得させることは到底出来なかったはずだ。
名場面 ペリーヌのアイデア 名場面度
★★★
 シモンのアパートの敷地に馬車を止めたその日の夕刻、同じアパート住まいで飴屋をやっているという男からペリーヌは飴のお裾分けをもらう。ペリーヌは馬車に戻り母に1つ分け与えると、マリはベッドから身体を起こし、ペリーヌがその隣に腰掛ける形で飴をなめることになる。ペリーヌが「私、考えたんだけど…」とふと語り出す。「おじい様に手紙を出したらどうかしら?」とそのアイデアを語り出す。ペリーヌは母の表情が変わった事に気付かず、「マロクールはそう遠くないんですもの、私たちがパリにいることを手紙で知らせるのよ。お金持ちなんですもの、きっと迎えの人をよこして下さるわ。その間お母さんは、ゆっくり身体を休ませることができるでしょ?」とさらに自分のアイデアの詳細を語る。これは視聴者から見ても良いアイデアだと思われるが、マリは即座に「それはダメです」とこの案を却下、止まるBGM。「どうして…?」と問う娘に「それは出来ません」と応えるしかできないマリ。さらに「どうしてなの?」と詰め寄る娘に「おじい様のところへは私があなたを連れて行きます。手紙のことなど考えてはいけません」と鋭い口調で言い切る。そして舐めかけの飴を残してまたベッドの中に潜り込んでしまう。納得のいかない様子でそれを見守るペリーヌ。
 ここでのペリーヌのアイデアは、ここまで追い詰められた母子の様子を見ると最良のプランだと誰もが思うだろう。母の病は一向に良くなる気配を見せないし、指輪を売って作ったお金も何処まで持つか解らない。となると最も身近な身内に保護してもらうのが最良であるとペリーヌでなくても判断するだろうし、それ以外に手がないはずだ。しかもその身内が近くにいて、裕福であるとすればそれで何も問題が無いはずで、母の身体にもプラスのはずだ。
 だがここでこの最良案をマリが一言の元に却下する。ここで勘の良い人は、10話の名台詞欄で感じた「違和感」とこのマリの反応が同質であることに気付くかも知れない。つまり歓迎されるはずの相手に「歓迎はない」という前提で話を進めて行くマリの姿勢だ。これによって10話の「違和感」に気付かない人も含め、視聴者に対して始めて明確な形で「ペリーヌはマロクールで祖父に歓迎される人間ではない」という事が示唆されたのだ。その事実は今後の物語展開、つまりすぐ背後に控えている悲劇の次にペリーヌにのしかかって来る「暗い影」として見ている者にも覆い被さってきたシーンであるのだ。
 もちろん、そんな理由を語られていないペリーヌがこれで納得するわけはない。と言っても祖父の正確な住所を知るはずのないペリーヌに対抗手段もなく、一方的な話を却下された後の空しさというか悲しさだけが残る。そんなペリーヌの後ろ姿の描写が秀逸であるシーンでもある。
 

 
今回の
迷犬バロン
 
 シモンの子犬に囲まれるバロン。何故か子犬たちに懐かれるようだ。だが5匹の子犬のうち、1匹だけバロンではなくペリーヌに懐いているのも注目どころだ。
気まぐれ度
★★★
感想  唐突にパリに着く。いや、本当にもう唐突だ。前話のラストで「パリまで300キロ以上彼方」とか解説されたような気がする、その通りだとすれば本当に唐突だ。その辺りは研究欄でみっちりとやることにして。
 まずはマルセルとの出会い。パリでこのイベントがあることは、マルセルが「自分のところのサーカス団は毎年8月にパリで公演する」とさんざん語って伏線を張ってくれたので予想の範囲内だったろう。しかも今話冒頭はマルセル再登場から始まるのだから、サーカス団がパリに入るのはペリーヌ達と同時か、それともペリーヌ達が既にパリに着いているという前提で話が進むかのどちらかだと誰もが判断出来る。そしてご都合主義的に渋滞を作り、その前の方にペリーヌ、後の方にマルセルという関係で再開を演じ、さらにこれによってマルセルが「ペリーヌ物語」パリ編での舞台となるシモン荘に誘うという展開が自然に流れて行く。
 シモン荘では今回は「これがシモン荘でこんな人が住んでいます」程度に物語が抑えられた。一話の中であれもこれもをやるより、ひとつの話をじっくりとやるという方針ではあるが、これではシモン荘の住民について次話で「どんな奴がいたっけ?」ということになりかねない。飴屋以外は印象度ゼロの初登場だけが演じられた格好だ。だがそれは置いておいて名場面欄シーンの要素を付け加えたのは良かったと思う。このおかげで「パリが決して安楽の地ではなく、目的地はさらに先にある」という事を見る者に植え付けたことと、名場面欄で語ったように「パリを出てもまだ苦難の道のりが続く」ことが明確にされたことだ。こうして視聴者は期待と不安を胸に、この辺りから物語にハマり出すようにうまく作ってあるとしか思えないのだ。
 そして、やっぱりシモンの声を聞いたからには言わなきゃならないですね。波平キターーーーー!!! シモンじいさんの歯が抜けた演技はいつ聞いてもサイコー。
研究 ・「ミロード村」〜パリ
 今話、ペリーヌ母子は唐突にパリに到着する。前話ラストの解説に拠れば、前話でペリーヌ達がマリの病のために足止めされていた宿屋から、パリまで300キロ以上とのことである。この「300キロ以上」の道のりが何のエピソードもなく矢のように過ぎてしまったのは解せない、ということで勿論ここも想像することにした。この地図を見て欲しい。
 「1」地点が前々話のラストシーン、ペリーヌ達がフランスに入国した「ミロード村」ま想定位置である。ここから最も近そうな街道を辿ってみた場合の道のり(ほぼ検証無し)が赤い線で、「3」はパリの中心部である。その距離なんと536キロ! 長い、300キロどころか500キロも突破してしまっている。これはとんでもない距離だ。
 だがそう安直にも言ってられない、「ミロード村」というのがどういう村か考えて見る必要があるからだ。ここは農家があるばかりの小さな村で宿屋や病院があるような描写はされていなかった。そうだ、マリが倒れたのは「ミロード村」だけど、宿屋に担ぎ込んで医師を手配したのは別の場所かも知れない。そう思って最寄りの街に印を入れたのが「2」地点である。ここが前話の舞台だった、勝手にそう決めつけよう。
 だがそれでも焼け石に水、「1」地点と「2」地点の間は僅かに12キロ。前話ラストシーンからパリまで524キロの道のりが残っている。残っていると言うより殆ど動いてなかったというのが正解だろう。
 「1」地点と「2」地点の距離関係は問題ないかも知れない。12キロならパリカールに頑張ってもらえば2時間と掛からずに到着出来ると思うからだ。当時は医師も多くなかっただろうし、病人が倒れたとすればこの程度の移動は当然のことだったかも知れない。
 この524キロをどの位の日数で移動出来るか。緊急時にパリカールを走らせるというのなら7〜8km/h程度の速度で行けるだろうが、動物なだけに無理はさせられない。つまりペリーヌが歩く速度、4km/h程度の巡航速度だったと考えられる。この速度でペリーヌが疲労に応じて歩いたり馬車に乗ったりするが、馬車に乗った時はパリカールに少し頑張ってもらって6km/h出してもらえると想定しよう。ペリーヌが徒歩と馬車に乗る割合を半分とすれば、平均5km/hで進む。
 移動は昼の間だけだ。夏ということもあり、朝は5時に起きて準備を開始し6時に出発。夕方は6時に野営を開始すると想定しよう。昼食に1時間、その他休憩時間が午前と午後で合計1時間ずつ。これで1日9時間、45キロ進むことが出来る。ここから考えると12日掛けてパリへ移動したと考えられる。
 実はこれ、ペリーヌ達の旅行速度としてはかなり速いほうの部類に入る。母子はエドモンの死、つまりボスニアからここまで1300キロを3ヶ月掛けて移動している。つまり1ヶ月430キロ程度の速度だ。今回の母子の速度は、一ヶ月でこれまでの旅程をこなせてしまうほど高速だ。つまり彼女らが「写真屋」という商売にどれだけ時間を掛けていたかが解るだろう。写真を撮って現像して渡すことを考えると、商売した街では必ず一泊が必要だから、一日の移動時間がどうしても短くなってしまうと言うことだ。

・今回までの旅程
「ミロード村」〜パリ
移動距離 536km
合計(ダッカから) 12907km

第18話「シモンじいさん」
名台詞 「私たち、汽車でマロクールへ行くことになりそうよ。犬は汽車に乗せてくれるのかしら?」
(ペリーヌ)
名台詞度
★★★
 母を診てもらうために、シモンから紹介された医者の元へ走るペリーヌ。その途中で線路を横切るところがあり、ちょうど通りかかった列車をやり過ごすことになる。そして走り去る列車の後ろ姿を見送りながら、ペリーヌは一緒にいたバロンに語りかけるようにこう呟く。
 この台詞にはペリーヌが実感している「資金の払底」が上手く描かれていると思う。この台詞の時点では馬車や写真機やパリカールといった物の売却はまだ具体化していないが、既に物語の雰囲気はそれを強く予感させる内容となっている。その「予感」が始めて具体的に語られるのがこの台詞と言うことになる。これまで馬車で旅してきたペリーヌが「列車での旅」を示唆した事自体、今持っている全ての財産の売却という解を出したのと同じだ。
 だがこの時点のペリーヌは事態の深刻さについてはまだ正確に理解していない、財産を売却して母を治療したとしても列車でマロクールへ行けるほどお金は残る、そう確信しているのだ。だから「馬車を失ったら歩かねばならない」ではなく「馬車を失っても鉄道がある」と安易に考えられるのである。そして本来は「持っている財産を売る」という消耗戦の結果の悲惨さに目を向けねばならないのに、愛犬が一緒に列車に乗れるかどうかというどうでもいいことに目が行ってしまう。これは現実逃避などではなく、ペリーヌが地でそう考えてしまったと取るべきだ。
 その辺りの、ペリーヌの年相応の「甘さ」が描かれている点でこの台詞はとても印象に残った。
名場面 売却の決断 名場面度
★★★
 ペリーヌは家馬車からアパートへの移住と、財産の売却をシモンに申し出る。シモンは自分が購入するとして家馬車や所持品の価値を見極めるが、全部足して20フラン、それがペリーヌとマルセルの抗議によってなんとか28フランまでつり上げられた。
 この結果をペリーヌは憤りつつ母に報告する。「…たった28フランなの?」と意気消沈するマリに、ペリーヌはシモンの判定結果として「写真機以外はみんなタダみたいなもんなんだって」と語る。マリは「そうかも知れないわね」とその言葉に納得して売却を決断、さらに「パリカールもね」と付け加える。ペリーヌの表情が曇る。
 ここの見どころは、シモンの判定結果を聞いたペリーヌとマリの対比だ。二人の共通点は金額については納得がいかなかったことであるが、相違点はペリーヌはシモンの判定結果そのものに納得がいかないのに対し、マリはそれを受け止めている点だ。写真機は当時とても貴重なもので、それを持っているだけで生活の糧になることはペリーヌとマリが実体験してきたことだから相応の価格が付くのは当然だとしても、問題はその他の財産がタダ同然という現実だ。視聴者としてはペリーヌと一緒に憤ってみたくなるところであるが、よく考えれば家馬車なんて馬車で移動しながら生活する人なんてそうはいないだろうし、インド衣装などインドの文化に精通している人がいなければ単なる「変わった服」でしかない。恐らく家馬車はエドモンの手作りか安く仕入れてきたかのどちらかが起源のはずだし、インド衣装はマリの日常生活から自然に手に入れた物だろうからそんなに元手は掛かっていないはずだ。
 マリはそれらが元々金を掛けて入手した物ではないのを知っているのだろう。同時に大人の冷静な判断力で「写真機以外はタダ同然」という結論に納得したのかも知れない。だがペリーヌは年相応の少女らしくそうは思えなかった。家馬車は大事な生活の場であり、インド衣装は大事な商売道具であるだけではない、どちらも亡き父と病に倒れている母の思い出の品物でもあり自分の人生そのものなのだ。
 この母子の対比を上手く描いたことでこのシーンはとても印象に残った。その上で「パリカールもね」と付け加えた時のペリーヌの表情が、上記の印象をさらに強くするのだ。
  
今回の
迷犬バロン
  
 今話冒頭、バロンはシモン荘の子犬たちの朝食に勝手に乱入、子犬たちのミルクを一緒に飲むがすぐにシモンにつまみ出される。「腹が減ってるんだったらお前の主人からもらえ」とのシモンの台詞はごもっともだ。
気まぐれ度
★★
感想  物語はパリに着いたからと視聴者を安心させない。マリの容態が良くなっているわけはなく、ロンバルディーニ先生サンドリエ先生から即刻入院を勧められる状況だ。だが母子も無策ではなく、家馬車生活をやめてアパートを借りることで乗り切ろうと考える。診察に金を使い、薬代が足りずという資金不足を克明に描いた上でのこの決断は、いよいよ母子が持っている財産を全て投げ出す消耗戦に入らざるを得なくなったということだ。今話は「消耗戦」の入り口に立たされたという事実を、母子と視聴者に突き付けるのが主題だ。
 そしてこのような「消耗戦」というのは悲惨な結果しか生み出さないのは、様々な歴史から学ぶことが出来るだろう。実入りがないまま持てる財産を売って金にする…つまり財産は無限ではなく限りがあるのだからいつかお金が尽きてしまうことである。本来ならここで「いつかは財産が尽きる」という「消耗戦」は避けるべきで、別の方法を模索しなければならないところであったが、この母子にはそれは無理というものだろう。なによりもシモン荘は「一時的な住まいであるべき」という考えに固執し、一時的な消耗で切り抜けるつもりでいたのが痛かった。本来ならここにしばらく腰を落ち着けて、ペリーヌが働くくらいの覚悟を持って事に当たるべきであったけど、母子はそう考えることが出来なかったのはやむを得まい。
 前々話での指輪の売却から始まった母子の「消耗戦」の結果が出るのは、また少し先である。もちろんその結果は「マリの死」ではない。「ペリーヌ物語」の後半で起きる出来事の全てがそうであると言って良いだろう。
研究 ・ 
  

第19話「パリの下町っ子」
名台詞 「どうもこうもないよ。人間、人に親切にしてやるのは気持ちの良いもんさ。貧乏人はケチでなければやっていけないからケチをしているのさ。じいさんみたいに心の冷たいのとは違うよ。」
(ガストン)
名台詞度
★★★
 これまでケチで他人にスープを分け与える事がなかったガストンが、どういう風の吹き回し(「公爵夫人」ことカロリーヌの差し金)かペリーヌ母子にスープを振る舞った(名場面欄参照)。その事実が信じられないシモンが、ガストンにその点について追求する。その返事がこれだ。
 ここに出たのがガストンの「本音」だ、彼は自分が作ったスープを他人に分け与えるなんてほとんど考えたことがなかった。だがカロリーヌに上手い事してやられて、実際に振る舞ってみると…気持ちよかったのである。
 その上でガストンが1つ学んだことが、彼の言う通り「ケチ」と「他人への親切」を切り離して考えなきゃならないと言うことだ。この台詞の裏返しで見えてくるのは、ガストンがスープを他人に分け与えない「理由」である。もちろんその理由は「ケチ」の一言で済んでしまうが、「ケチ」の裏には「他人にやるまでの余裕が無い」という事だったのだ。余裕が無いからこそ「一人で食べる分しか作れない」のであるって事だ。
 そうして彼は自分の心の余裕も失っていたことに気付かずにいたが、降って湧いたように隣人として貧しい母子が現れ、理由はどうあれそこに少しばかりスープを分けたら喜ばれた。しかもその相手は自分を微塵も疑っていないという姿勢までおまけでついてきた。疑われず頼られる、この気持ちよさを知った事でガストンに「心の余裕」が生じたからこそのこの台詞なのだ。
名場面 ペリーヌVSガストン 名場面度
★★★★
 カロリーヌに「ガストンは自慢のスープを他人に食べさせるのが趣味」と本当のことと正反対を吹き込まれたペリーヌが、母のためにスープを分けてもらおうとガストンの部屋に現れる。「お母さんにスープを飲ませてあげたいんです」と一点の曇りのない笑顔で皿を差し出すペリーヌの姿に、ガストンは「公爵夫人の奴、余計な事を言ったもんだ…」と愚痴りながら立ち上がる。「何でしょうか?」とペリーヌが反応すると「こっちのことだ」と言いながら皿を受け取るガストン。「おふくろさんだけでいいんだな」確認するガストンに「でもおじさんがどうしてもというなら、私も飲ませて頂きます」とペリーヌがおっかなびっくり返す。「わしはそんな事言わないよ」とガストンが強くいうとペリーヌも驚いて「そうですか…私はもう朝ご飯を頂いたので今度頂きます。お腹空いている時の方がきっと美味しいって感じるでしょうから」と応える。それに「断っておくが、無理にわしのスープを飲む必要は無いんだよ」とガストンが大声で返すと、ペリーヌはしょんぼりして「おじさん怒ってるの?」と問う。そして一呼吸置いて「それじゃお腹が一杯だけど、今頂くわ」とペリーヌが言い切ると、ガストンは驚いて「いいんだよ、本当に無理しなくて」と返す。そしてまた一呼吸置いて「おじさん、また怒るでしょうけど…」とペリーヌが切り出す。「おかあさんがお金をどうしても払えって言うの」…この告白にガストンは驚いてスープをこぼす。「そんな事言ったらガストンさんが怒るって言ったんだけど…」とペリーヌの純粋無垢攻撃が続く。ガストンは「ああ、わしがカンカンになって怒ったってお袋さんに言いな。パリの下町っ子というのは、困った時はお互い助け合うもんだってな。まして隣同士ならなおさらのことだ」と怒鳴り返す。こうしてしょんぼりしているペリーヌにスープが差し出される。
 このシーンは色んな意味で面白い。視聴者にはペリーヌがカローリーヌに騙された事がいつ発覚するかとハラハラドキドキが加わるので、なおのこと面白いシーンであろう。だが見ていくと安心するのが、途中でガストンがすっかりペリーヌのペースに呑まれてしまうことである。ペリーヌがカロリーヌから聞いた「ガストンはスープを他人に振る舞うのが好き」という話を純粋に信じ、それを基にガストンに純粋に対応したらこそガストンも普段なら「お前にやるスープなんかない!」と怒鳴りそうなのに、しっかりペリーヌが持参した皿にスープを入れてしまっている。
 そしてそれだけでない、この件を通じてガストンが「親切」に目覚めるのは名台詞欄で語った通りだ。自分を頼ってくれる人の存在、それに手をさしのべる気持ちよさ…特に普段貧乏だからこそ「無償で他人に何かをしてあげる」という喜びが大きかったのだろう。そんなガストンの気持ちの変化が上手く描かれているという面でもこのシーンは面白い。台詞にサブタイトルが出てくるだけのシーンだけのことはある。
 

 
今回の
迷ロバ
パリカール
  
 またもパリカールが飲酒。マルセルがパリカールを使って道化の実演をしている時に、シモンの酒の臭いを察知して突進だ。8話での印象を上手く使ったなぁ。アル中のロバなんて…。
(ちなみに今話ではバロンはほとんど出番なし)
気まぐれ度
★★★★
感想  いよいよシモン荘の人達が物語の前面に出始めるのが今話だろう。前話までは「こういう人達もいます」程度で画面を横切っただけで、多くの人がこの隣人達はずっとそのままだと思うところだろう。だが今話では明確にシモン荘の人々とペリーヌの物語が描かれた。その最たるものは名場面欄・名台詞欄で活躍のガストンだ。シモン荘の中で最も固そうなガストンからペリーヌのペースに乗せてしまうことで、他の住民もこれに追従するという展開が目に見えてくるようだ。そしてこのガストンの陥落が、シモンが「良い人」へと変貌するきっかけになって行くのは見続ければ解ることだ。
 また、今話ではマルセルを上手く話に絡めている。前話のマルセルはペリーヌと一緒になって家馬車等の売却費が安いと抗議するなど、「出過ぎ」の面があったのは否めない。前話のマルセルはペリーヌ達が入る部屋の掃除を手伝えばそれで良かったはずなのだが…その反省か今話ではマルセルに「公演の練習」という足かせを付ける。こうしてマルセルの暴走が抑えられ、シモン荘の人達が物語の前面に出られるようになったのは確かだ。マルセルが前話の調子で出てきたら、絶対にガストンのケチを直すなど子供ではあり得ない行動に出ざるを得なかっただろう。
 そしてなによりも、ここまで16話をピークに重い話や辛い話が多かった中、笑顔で物語が終わったことだ。視聴者にとっても息苦しい展開がいつまでも続くのはキツいことで、この調子でいけば視聴者に逃げられてしまう。だからここで笑顔で終わる話があったのはとても大きい、物語的にはまだまだトンネルから抜けるのは先だから…。
研究 ・ 
 

第20話「パリカールとの別れ」
名台詞 「神様、どうか私に力をお与え下さい。私はどうしても、娘をマロクールの祖父のところに連れて行かなくてはならないのです。もし、もし無事にあの娘を、ペリーヌを祖父の元に送り届けることが出来ましたら、その時はどうぞいつでも、私の魂をお召しになっても構いません。でも、それまではどうか私をこの世に生かしておいて下さい。そしてもう少し力を、この哀れな母親にお与え下さい。」
(マリ)
名台詞度
★★★★
 マリはペリーヌから、パリカールの売却金がたったの30フランと聞いて次なる決意をする。もう自分の病気になんか構わずここを発ち、すぐに汽車に乗ってマロクールを目指すという決意だ。パリカールを売却して得た30フランは、もうこの母子にとって最後の財産である。このままここに逗留していたらその最後の財産が底を尽きるまで数日と持たないはずなのだ。そうなる前にマリは決意する。
 同時にその決意は、病床にある自分の体力の限界をも遙かに超えたものであることも理解しているのだ。それどころかもうマリは自分の死期を悟っていることだろう。だからもう少し、もう少しだけ頑張って目標を達成すれば、そこで生命を失うことも厭わない。そんなマリはその思いを、今話の最後に神に祈る形でこのように吐露するのだ。
 このマリの「血の叫び」を聞いて、多くの視聴者もマリの死期がもうそこまで迫っていることを理解し、このシモン荘でマリが他界するというストーリーを思い描いたことだろう。そしてこのシーンが終わると入る次回予告では、明確にマリが意識不明の重体になることがうたわれる。つまり、この台詞で持っていよいよ「悲劇」の幕が上がったのだ。
名場面 ガストンとシモン 名場面度
★★★
 パリカール売却を前に、ペリーヌがパリカールの身体を洗ってやっているとガストンが現れる。ペリーヌはガストンに「馬市の場所を知っていますか?」と聞くと、ガストンはずるい人間がいることや子供だと思って誤魔化そうとする人間がいるとしてペリーヌ単独で行く事を制止する。「それじゃ…どうしたら…?」と悩むペリーヌに、「シモン爺さんさ、シモン爺さんに一緒に行ってもらうのが一番さ」と言いながらちょうど出てきたシモンに「そうだろ?」と声を掛ける。疑問の表情を浮かべるシモンに「シモン爺さんは親切だから、きっと馬市に着いていってくれるって今話していたところさ」と語る。「わしが親切だって?」と怒鳴り返すシモンに「その上欲張りと来ている、あんた商売に慣れているだろ? だからペリーヌに着いていってパリカールを出来るだけ高く売ってやりな」と突き付ける。ところがこの台詞に対するシモンの返答は「わしも初めからそのつもりさ」であった。シモンはペリーヌの方に向き直り「安心しな、わしが着いていってやるからな」と優しく声を掛ける。そしてシモンはパリカールに「別れの酒だ」と言って酒を呑ませる。
 前話の「公爵夫人」のように、今度はガストンがシモンを引っかけようとして始まった会話に違いない。前話でガストンは「スープを振る舞うのが好きな親切なおじさん」にされてしまい、それによって親切を実行させられたからその味を覚えた。今度は「シモンの番だ」と思ってシモンを引っかけようとしたのだろう。確かにここまでのシモンを見ていればペリーヌに協力的とは言えない。だが実際に引っかけようとしてみると、シモンの方が上だった。視聴者もシモンが怒鳴るのを期待してみていたはずだが、シモンが意外に親切な対応をしたので驚いたことだろう。
 このシーンでは、前話の「公爵夫人」とガストンの関係を繰り返さなかった点がポイントが高いと思う。そうやってシモンが「してやられる」形でペリーヌに親切にする展開も面白いはずだが、それを我慢して同じことを繰り返さなかったからこそ、後半でシモンがペリーヌに感情移入してしまうシーンが活きてくるのだ。シモンもシモンなりに商売とは別に「あの母子を何とかしなきゃならない」と感じていて、馬市の件はその行動に出るきっかけとして考えていたのだろう。だからこそパリカールを失ったペリーヌに感情移入して、気付けばバロンにミルクを飲まれてもミルク代を請求しないまでになるのだ。
  
今回の
迷犬バロン
 
 パリカールがいなくなって、事情がわからないバロンはパリカールの帰りを一人待つ。事情が解らないなりに自分の出来る事をやる彼は、やはり利口ではあるんだな。このキツい展開にバロンもいつもの調子が出ない。
気まぐれ度
★★★★
感想  ルクリおばさん登場、パリカール売却時は波平とフネの夫婦競演だったわけだ。そりゃともかく。
 まず本題の「パリカールとの別れ」だが、正直言って白けた。いくら何でも大袈裟すぎ。他にももっとやりようがあったように思うんだけどなー。パリカールをルクリの元に置いてくるシーンでやめておけば良かったのに、その後シモン荘に戻って「パリカールの声がきこえるっ!」って、やり過ぎ。あそこはパリカールとの別れで盛り上げるのでなく、パリカールがたったの30フランにしかならなかったことで落とすべきシーンのはずだ。例えばマリが、エドモンがどのくらいの額でパリカールを買ったのに、なんて話をしてさらに暗くした方がいいシーンである。あそこでやり過ぎたために、その前のパリカールをルクリの家に置いてきたシーンがとても良かったのに台無しだった。
 代わりにその他のシーンはとても良くできていると思う。繰り返しになるが名場面欄シーンを前話の繰り返しにしなかった点は評価したい。ここは前話が面白かったがために我慢出来ずに「やってしまいがち」な点だからだ。同時に「パリカールは酒好き」という設定も最後までこだわったのはとてもおいしい。
 またパリカール売却後の切なさもとても印象的だ。バロンが帰ってくるはずのないパリカールを待ったり、それを見たマルセルが瞬時に何が起きたかを理解したり、シモンはペリーヌに感情移入してバロンにミルクを横取りされても構わなくなっちゃったし…。その中でも「たったの30フラン」が次なる事態を引き起こすという「結果」に踏み込んだのもよくやったと思う。今話は、単純にパリカールとの別れで盛り上げて終わるのでないのだ。パリカールは母子にとって最後の財産、これで得た金銭を完全に失うというこれ以上の消耗戦は許されないところまで追い詰められたのだ。パリカールが200フランで売れたとしてもこの事実からは逃げることは出来ない事を考えれば、今話のうちにそれによって何が起ころうとするのかを見せてしまった方が良い。
 その「結果」というのがマリの快復を待たずに急遽マロクールに向けて出発すると言うこと。同時にマリが既に死期を悟っているような描かれ方がされ、もう「悲劇」がそこまで来ていることを視聴者は知ることになる。そして次話のサブタイトルが「最後の言葉」…物語はいよいよマロクール到着前最大のヤマ場に差し掛かっているのだ。
研究 ・ 
 

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