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第1話 「教会の小さな娘」
名台詞 「ポリアンナ、神の御心に従えないというなら食べなくてもいい。だがお前は本当にそれでいいと思っているのか? 今ここにパンとミルクがある、このことに感謝しなければならない。お前は毎日、大好きなパンとミルクをたっぷり食べることが出来る。そのことを喜ばなければいけないだろう? 今日は食べられなくてもお前には明日か明後日、とにかくハムエッグを食べる楽しみがあるんだよ。そうは思わないか? ポリアンナ。」
(ジョン)
名台詞度
 朝っぱらから外で走り回ってきたポリアンナと父ジョンの食事の時間、ポリアンナは火曜日恒例のハムエッグが無いことに腹を立てて「いらない」と言って席を立つ。その時に父が娘に言った台詞がこれだ。
 この台詞の前半はよく出てくる論理だ、食べ物が何不自由なく食べられる幸せというものは我々飽食の時代に生まれて育ってきた人間はつい忘れがちだが、忘れてはならない大事な事だ。だがこの論理は色んな場面で出てくる教えでもあり、こう言っちゃ悪いが耳にタコ状態でもあろう。
 この台詞の優れているところはこの台詞の後半だ。食べ物が何不自由なく食べられることを喜ばなければならない、とした上で「今日はダメでも明日がある」「楽しみが先へ伸びたと思えばいい」という論理を付け加えて、思い通りにならなかったことを逆手にとって楽しみに変換しようとさせるのだ。
 この論理はこの物語の象徴である「よかった探し」へとやり方についても説いているとも言える。思い通りにならなかったなら次がある、楽しいことを先へ延ばすという論理は「よかった探し」における一つの基本であり、また辛いことを乗り越えるためのヒントにもなるであろう。ただ単に食べ物を粗末にするなという説教だけで終わるのでないところが、「世界名作劇場」らしくていいと思う。
 この台詞を受けたポリアンナは、今日食べたら当たり前だと思って面白くなかったはずだと考え、今度食べるときはいつもより美味しく感じるに違いないと結論づける。むろんお決まりの「よかった!」の台詞も忘れない。
名場面 ジョンが手鏡を使ってポリアンナを諭す 名場面度
 夕食の後片付けをしながら、昼間ホワイト夫人に厳しく叱られた事を愚痴るポリアンナ。それに対する父の言葉は朝食の時と同じで「お前は本当にそれでいいと思っているのか?」である。さらにポリアンナがここまで何不自由なく生きてこられたのはホワイト夫人の尽力があったからこそで、厳しく言ってくれるのは親身になってくれるからだと諭すのだが、ポリアンナはこれに納得せずに悲しい表情をする。そこでジョンはポリアンナに母の形見の手鏡を持ってくるように言うのだ。
 ポリアンナが手鏡を持ってくると、父はその鏡で自分の顔を映してみるように言う。そしてそこに映っているのは醜いポリアンナだと言うのだ。その上で人間は誉められてばかりだといい気になって人の気持ちが分からなくなってしまうこと、ホワイト夫人のように嫌なことや辛いことを言ってくれる人がいることはとても素晴らしいことであるということを言い聞かせ、さらにポリアンナはどんなことからでも「よかった」を探すことが出来るのにされを忘れてしまったのか?と問うのだ。ポリアンナの返事は「いけない! 忘れてた」。そのポリアンナの表情の変化を確認した父は再度ポリアンナに鏡を見るように言う、「そこにあるのがいつものお前の顔だ」としたところで娘は父の言いたいことを確認し、「いやだ、そばかすばっかり!」と冗談を言うのである。
 誉められたり甘やかされていい気になっているポリアンナを通じて、人間の性格上の短所を説いて自分を叱ってくれる人の大切さを諭すこのシーンは、ジョン存命中の説教の中で最も印象に残ったものだ。特に一部で「叱る」と言うことにまで批判があったり、「叱られる」と言うことから逃げる事が正義みたいに言われる世の中でもある。このような論理こそしっかりと子供に伝えて欲しい物だ。
今回の
「よかった」
 初回から「よかった」炸裂。記念すべき最初の「よかった」は、ポリアンナを象徴する「よかった」の台詞こそは無いが物語冒頭のチップマックとのかけっこシーンであろう。ポリアンナはチップマックにかけっこを挑むが、負けた上に坂道を転げ落ちて身体のあっちこっちをすりむいてしまう。だがそのおかげで母の墓前に供える綺麗な黄色い花を見つけるのだ。「よかった」とは言っていないがこれこそが最初の「よかった」を見つけたシーンであろう。。 「よかった」の回数
感想  ポリアンナの声って、まんまドナルド・カーマイケルぢゃん。ちなみに病気がちのジョン牧師は体力には自信のラムダスが、解説はミンチン先生でお送りしています…って、これはマジで本放送当時に思ったこと。「わたしのアンネット」のナレーターはアメリア先生だったので、これでミンチン女学院姉妹はどっちも「世界名作劇場」ナレーターをやったってことになるわけか。で特別出演は工藤夕貴ってか? 今回の視聴にあたって出演声優を再確認してみたけど、今考えると凄いメンバー揃えてるな。「世界名作劇場」シリーズの常連はもちろん、鉄郎とメーテルまで出てくるじゃん(←本放送時気付かなかった)。
 この最初の1話を再視聴しただけで、なんで本放送時に印象に残らなかったかが分かったような気がする。恐らくポリアンナのノリについて行けなかったんだと思う。マイペースに「よかった」を探しまくるポリアンナのノリについて行けずに序盤で脱落したんだろうな。自分に娘が出来てみると、あんくらいのノリの女の子って娘の友達に一人や二人は出てくるのでポリアンナのノリにもついて行けるようになるのだ。つまり当時高校生になろうとしていた私の世代にはきつかったんだろうな。
研究 ・物語の始まり
 「愛少女 ポリアンナ物語」の舞台は1920年、場所はアメリカの何処かにある廃坑の町から物語は始まる。第3話までに出てくるこの町の描写には廃坑や廃線が多く出てきて、廃坑によって寂れたであろう寂しい町の光景がこれでもかという程描かれている。恐らくはアメリカの内陸地方、ロッキー山脈が近いところであろう。この町の名前はこの第1話では明らかにされない。
 主人公ポリアンナは8歳、ということは父であるジョンの年齢は30代といったところか(これは後ほどジョンが死去した後に墓石が出てくるであろうからそれで確認してみよう)? てことはポリアンナは1912年生まれと言うことになり、実在の人物ならば96歳で存命していてもおかしくないところだ。お、なんかこういうと急にポリアンナに、いや「世界名作劇場」主人公に親近感が湧いてきたぞ。まぁポルフィだって1939年か1940年生まれ(劇中の誕生日で13歳になったのか14歳になったのかハッキリしない…劇中の地震が1953年のものだったとの仮定)だから、68〜69歳で生きていてもおかしくない。他のサイトで取り上げたアニメの主人公は皆現在生きているのは難しいだろう、「宇宙戦艦ヤマト」のキャラだって100年後に実現するにしてもまだ親ですら生まれていないと思うぞ。
 この1920年という年代を日本史に置き換えれば…おおっ、箱根駅伝が始まった年だ。大日本帝国の国連加盟という歴史があった日本は大正9年ということになる。ちなみにポリアンナと同い年の有名人は、北朝鮮の前国家主席である金日成だ。

第2話 「死なないで父さん」
名台詞 「ポリアンナ。お前は色々なことから、本当に上手によかったを探し出して、私をホッとさせてくれた。これから先も、それを決して忘れてはいけないよ。お前と私の二人きりの生活にはない色々なことの中で、きっと本当によかったと思うことがたくさんあるはずだ。よかったを探すんだ、ポリアンナ。そのよかった探しが、きっとお前を幸せにしてくれる。」
(ジョン)
名台詞度
 次に発作を起こせば危ないと言われていたジョンが、ついに再び発作を起こして倒れる。その病床に駆け付けた娘に、残りの時間が少ないと悟った父はまだ語る力があるうちにと、力を振り絞ってこの台詞を娘に残す。
 ジョンはもう自分の死期が分かっていたのだろう、倒れる前にはホワイトにポリアンナの今後のことについて依頼している。そして倒れたときに何としても残したかった言葉、それが今まで自分が娘に教えてきた「よかった探し」を続ける事、それこそが娘の幸せだと言うことを伝えることである。
 この台詞の前にこの物語の象徴である「よかった探し」の起源まで紹介されている。それは母が他界して気を落としている幼い娘を、勇気づけて立ち直らせるために始めたことだったことが分かる。さらに聖書に800以上もあるという「よかった」言葉を探させ、娘に文字と数字を同時に教えるという彼独特のしつけでもあろうが、何よりもこれによって妻を失ったジョン本人が立ち直ったのだろうと推測される。娘に「よかった探し」を教えることで立ち直った自分をも思い出し、今度は父を喪って一人きりになってしまうであろう運命を持つ娘に、「よかった探し」を続ければ道が開けることを説くのだ。
 ここに「よかった探し」によって様々な運命を切り開く、少女ポリアンナの物語が始まったと言っても過言ではないだろう。
名場面 ジョンの臨終 名場面度
 「世界名作劇場」の華でである「序盤での主人公親子の別れ」が、この物語では第2話でさっそくやってきた。初回から身体の弱いという設定が強調されていて、死亡フラグが立っていたポリアンナの父が他界するのだ。このキャラクター設定は「わたしのアンネット」のアンネットの母、フランシーヌと共通するところがあるだろう。さらに一度倒れた後に持ち直し、再度倒れて他界するという点もフランシーヌと共通している。「わたしのアンネット」では母の臨終を第3話に持ってきたていたが、やっぱ初回には死亡フラグが立っていたように見えた。
 名台詞欄の台詞を言い切り、ポリアンナがその言葉に頷いたのを見届けると、ジョンは看病していたホワイト夫人に冷たい水が欲しいと訴える。これにポリアンナは自分が行くと井戸へ向かって走って行くのだが、その間ジョンは娘の名前をうわごとのように呼びながら苦しむのである。
 「ホワイト夫人、娘を…ポリアンナを…お願いします」ジョンが力なく言うと、夫人はジョンの手を取って涙を流す。そこへポリアンナが部屋に戻ってくる、この光景にポリアンナは父に死神が迫っていることを悟り、水の入ったコップを落として震える。父にすがりついて泣く娘、「ポリアンナ、私はどうやら神に召される時が来たようだ」ジョンの言葉に生気はない。「いやお父さん、そんなのいや。私を一人にしないで」「ポリアンナ…私の可愛いポリアンナ…私にはもう目が見えない…ポリアンナ…よかったを…探すん…だ…」…これがジョンの最期の言葉となった。「できないわ、お父さんと一緒じゃなきゃできないわ、お父さん死なないで、死んじゃいや」とポリアンナが泣き叫ぶ間に、ジョンは静かに息を引き取る。父の亡骸にしがみついて号泣するポリアンナ、このシーンが様々な角度から流される。最後に出てくるポリアンナが落としたコップを絡めた角度からのシーンは秀逸で、ポリアンナの気持ちが上手に描き出されたと思う名場面だ。
 「わたしのアンネット」でもそうであったように、この段階での主人公の親の死は物語の始まりを意味する。親が死ぬケースだけではない、序盤で主人公と親が別れる場合の多くがそこが物語の全ての起点である。「愛少女 ポリアンナ物語」という物語もいまここに幕を開いたのだ。
今回の
「よかった」
 父の臨終を含む今回の話では「よかった」回数は激減。3度としたがうちひとつは「よかった」を見つけられたことに対する「よかった」であり、実質は2回とも言えるだろう。その中でもハラハラドキドキのクマに襲われたシーン、熊に襲われても結果オーライなら「よかった」である。だがそれだけで終わらせずにちゃんとポリアンナが皆に心配を掛けてしまったことを後悔している点は評価できるだろう。このシーンが「よかった」だけで終わっていたら、この物語の根幹である「よかった探し」が根幹から崩れかねない。 「よかった」の回数
感想  ジョン牧師死す。名場面欄にも書いたが、初回から死亡フラグが立っていたのでジョン他界のシーンが来るとは分かっていたが、いきなり第2話で逝ってしまうなんて。もうちょっと存在を印象付けてから逝くのかと思ったらそうでない、「わたしのアンネット」パターンだった。この物語はまず主人公が「父の死」という悲しみを乗り越えて、どう「よかった」を探すかという展開になるんだな、きっと。この「よかった探し」だけは本放送時に印象に残っていたぞ。
 それと唐突にホワイト夫人がいい人になったのに驚いた。これも「わたしのアンネット」のクロード並みの早さである。てっきり「愛の若草物語」のマーサのように時間を掛けていい人になるキャラだと思っていたのでね。ま「第一印象は悪いけど実はいいオバサン」というキャラはこの後に本命が出てくるし、この物語前半はそれ自体が話の本筋になるんだからねぇ。
 とまぁ、実は「ポリアンナ物語」で本放送時に見た記憶がハッキリ残っているのはこの序盤の5話辺りまでなんだけど、それでも当時の記憶と食い違っている部分が少しだけあるもんな…。22年ぶりの視聴だから新番組を見るのに近い新鮮さがあって本当にいいわ。

第3話「丘の上の賛美歌」
名台詞 「でも私はね、騒々しくされたり、家の中を汚されたりなんてことは願い下げなんだよ。愚かしい結婚をして、要りもしない子供を産むような姉を持ったからと言って、私が進んでその子の面倒をみる必要なんて、あるはずがないと思うよ。ただ私はこれでも善人のつもりだから、自分の義務だけは果たそうと思っています。」
(パレー)
名台詞度
 鉄郎キター!!!!!…って言ってもパレーおばさんの声を担当しているのが野沢雅子さんだったとは今回の再視聴まで知らなかった。いや、今回の再視聴においても第3話のエンディングでスタッフロールを見て驚いた。私は「ど根性ガエル」のひろしや初代鬼太郎や星野鉄郎で印象が残っているから、どうしてもこの人の声は「強い少年」という先入観が強い、若い世代はドラゴンボールを思い出すらしいが。
 そりゃともかく、この台詞はそのパレーによる、まだ見ぬポリアンナへの宣戦布告ととって良いだろう。両親を失い一人残された姪を引き取るのは、あくまでも義務だからというのは引き取られる子供の側から見ればこんな怖い話は無いだろう。これを聞いたナンシーもそんな子供の気持ちが分かる境遇で育ってきたに違いない、パレーがこの台詞を吐くと表情を曇らせる。
 この台詞は父の死という試練をようやく乗り越えたポリアンナにとっての、どこからともなく立ちこめてきた暗雲のように視聴者は感じるだろう。一難去ってまた一難、視聴者をまた不安にたたき落とすことで印象に残る台詞だ。そしてこの台詞を起点に物語は「本題」に入ったとも考えられる。
 でもオープニングを見ている限り、この人は何処かでポリアンナに対して心を開くに違いないからある意味安心してみていられる…かも?
名場面 ポリアンナの悲しみ 名場面度
 天真爛漫、いつも明るく元気に「よかった」を探すという性格が印象的なポリアンナの悲しみの表現シーンが今回は見られる。父の葬儀でも涙を見せなかったポリアンナは、葬儀が終わって部屋に一人になると緊張の糸が切れたのか一気に泣き始める。そして号泣しながら外に飛び出して泣き崩れる。その頭上にあったのは父が食事時間の時にポリアンナを呼ぶために使用していたトライアングルであった。
 ホワイト夫人が部屋からポリアンナの姿が消えたのに気付き外へ出る、するとポリアンナは力の限りトライアングルを鳴らし続けていたのだ。「お父さん聞こえる? トライアングルの音が聞こえる? 聞こえたら帰ってきて、私のそばへ帰ってきて…お父さん!」…だが返事はあるはずもなくポリアンナはトライアングルのバチを地面に叩き付け、ホワイト夫人の胸の中に飛び込んで泣く。
 このシーンはたった一人の家族である父を喪った娘のやり場のない悲しみを上手に表現したと思う。またポリアンナという少女の弱い一面も見ることが出来るだろう。彼女が悲しむシーンはここだけではなく、ここから次から次へと悲しむべきシーンに襲われるのだが、ここでの悲しみは最初の3話での必須アイテムであるトライアングルを上手に使ったと思う。父があれだけ目立つ使い方をして印象付けておいて、呼び鈴代わりでハイおしまいなんて事にしなかった点は評価できるだろう。
今回の
「よかった」
 父の死後ということでさらに経るが、その内容はどちらも印象に残る「よかった」である。最初の「よかった」は「よかった」という言葉自体は出てきていないが、ポリアンナがホワイト家の寝室で眠る際にふかふかで大きなベッドに喜び、ホワイト夫人の存在に喜びを感じるシーンである。これが父の死による悲しみよりも大きな喜びであったことをポリアンナ自身が語っている。もうひとつはポリアンナがパレーの家へ行くことを決断した直後、父が言っていた二人の生活よりももっと大きな幸せというのがおばさんの存在だったと思うことだ。これもポリアンナが感じた「よかった」だろう。 「よかった」の回数
感想  鉄郎キター!!!!!は名台詞欄でやったからいいが、ナンシーの声を聞いてびっくり、どう聞いてもアンネットの声にしか聞こえなかったのは「わたしのアンネット」を視聴した直後だからだろう。これが「愛の若草物語」を見た直後だったらメグの声にしか聞こえなかったわけで…さらにナンシーは何処か「小公女セーラ」のベッキーに似てる、つまりアンネットの声のベッキーという笑える役どころなのだ。
 父の葬儀から、天涯孤独になったポリアンナが身の振り方を決意するまでが今回の物語だ。ホワイト夫妻のポリアンナに対する愛情が見え隠れしている部分にいちばん感動した。それとパレーの初登場で「また第一印象最悪のオバサンかよ…」と。パレーに関しての感想は名台詞欄に書いたからいいだろう。
 そしてポリアンナの決意、というかこれは墓場にいた牧師にうまく言いくるめられたようにしか見えない。だが誰かがポリアンナの背中を押さないことにはどちらに転ぶにしろ決断できなかったはずで、そこにいたのがホワイト夫人だったらポリアンナが残留するようにうまく誘導しただろう。
 そして最後のポリアンナの旅立ちシーン、ホワイト夫妻との別れはじ〜んと来たなぁ。なんて泣かさせるアニメなんだ。

第4話「見知らぬ町へ」
名台詞 「ポリアンナ、はじめからハッキリさせといた方がいいと思うから言っておきますが、私はお前のお父さんのことは聞きたくないのです。」
(パレー)
名台詞度
 鉄郎、言う言う。前回はまだ対面も果たしていないポリアンナに対して既に宣戦布告していたが、これはもうハッキリとポリアンナに挑戦状を叩き付けたと言っていいだろう。いや、これは挑戦状ではなくパレーの先制攻撃と言っても過言ではない。「よかった探し」を武器に周囲に明るさと喜びを振りまく少女と、冷酷な低温を武器に周囲の人々をも冷たく固めてしまう女性の戦いの火ぶたが今ここに切って落とされたと言うところだろう。
 ポリアンナはパレーという人物が自分にとって「歓迎してくれる人間」ではなく「対峙すべき人物」であると言うことに最初に気付くのはこの台詞と思う。「まぁ、パレーおばさん…おばさんは…おばさんは…」とこの先制攻撃に狼狽えるだけだ。パレーは相手が父親を失ったばかりの少女である事もお構いなく、この台詞をきっかけに次から次へと冷酷な言葉をかけて行くのである。この冷酷さはナレーターを担当している(笑)「小公女セーラ」のミンチン院長に通じるところがある。
 ミンチンの場合、主人公に冷酷に接した理由はハッキリしていた。それは特別待遇で迎えた生徒の父が死んで学費を回収できず、学院経営に影響を及ぼしたためである。だがパレーの場合はこの段階ではいまいち理由がよく分からない、ポリアンナの母である姉やその夫ジョンとの関わりに問題があったのは確かのようだが、その謎が解けるのは物語の進展を待つしかないな(←本放送当時見たはずだが忘れてる)。
名場面 屋根裏部屋 名場面度
 パレーの屋敷に到着したポリアンナは、早速パレーから冷たい言葉を浴びせられて戸惑う。だがポリアンナにはひとつの希望があった、カーテンと敷物と額の掛かったきれいで可愛い部屋が自分の物になるという期待に胸を膨らませていたのだ。このポリアンナの心境は劇中でミンチン先生が解説してくれる。どんなにパレーから冷たい言葉を浴びせられても希望に満ちた表情を変えることなく、屋敷の中の階段を上って行くポリアンナ。ふと気付くと辺りの雰囲気は前作「小公女セーラ」に出てきたあのセーラとベッキーの屋根裏に非常に似たものになっているのに、視聴者は気付くだろう。
 そしてポリアンナが見たもの、それはどう見ても物置にしか見えない空間でここでポリアンナは自分に訪れている現実に気付き始める。言葉を失って立ち尽くすポリアンナにパレーは容赦なく冷たい言葉をかける。6時の夕食に遅れないようにとの言葉を残してパレーが姿を消すとポリアンナは案内された部屋に入る、そこは何の飾りもない殺風景な屋根裏部屋だった。ただナンシーによってきれいに掃除はされていたが…ポリアンナはその殺風景な部屋を見て泣き始める。
 このシーンを見て「小公女セーラ」で初めてセーラが屋根裏へ行くシーンを思い浮かべた方も多いだろう。その前作の名シーンを彷彿とさせる描写になっていて、その部屋をあてがった人間が冷酷な人間であることや、部屋に入った主人公が泣き出すという共通点まである。ただ違うのはセーラの場合は失意の中で今までの裕福だった自分との決別ととして屋根裏への階段を上るという描かれ方をされているが、ポリアンナの場合は今までの生活よりももっと良い新しい生活への希望と期待が裏切られたことを理解してどん底へ突き落とされるシーンとして描かれたのだ。
 たった一人の親類が自分を温かく迎えてくれるはずだという期待が裏切られたポリアンナは、さすがにここでは「よかった」を探すことが出来なくなる。彼女がどう立ち直ってここでの生活を軌道に乗せるかがここからしばらくのみどころであろう。
今回の
「よかった」
 今回の「よかった」は6回とカウントした。「よかった」の台詞がないベルディングスビル駅到着シーンと、パレーの屋敷を初めて見たときのシーンは明らかに「よかった」を見つけたシーンであるから数に入れた。その中でも印象に残ったのはナンシーをパレーと勘違いしていたことが分かるシーン。ポリアンナはパレーおばさんに会う楽しみが増えたことを「よかった」とするが、それを聞いたナンシーの表情の曇り具合がいい。彼女はポリアンナが屋敷に到着してから起こるであろう悲劇を予感していたのだ。 「よかった」の回数
感想  ベルディングスビル駅のシーンを見て少し感心した。それまで「世界名作劇場」シリーズで出てきた田舎の鉄道駅(アボンリー駅やロシニエール駅やアッシュフィールド駅等)よりも格段にリアルに描かれていたからである。これだけの田舎に駅を作り、職員まで常駐している理由は単線区間での列車交換の必要があるからである。通信技術が発達していなかった当時は閉塞装置で列車の有無を確認し、駅に出入りする列車に対しての信号機を操作するのは全て手動だったからだ(現在は遠隔操作されているから駅員を配置する必要性が薄れた)。だからどんな田舎の駅でもホームが一本ということはあり得なかったし、信号機や閉塞装置類の操作と列車との連絡のため必ず駅員が常駐していたのである。このベルディングスビル駅の描写にはちゃんと交換のために待避線と本線と合流するためのポイントも描かれていたのに感心。あとは信号機だけだな。
 それとポリアンナの口から出てきた「チッキ」なんて言葉、本放送時ならともかく現在なら大人でも分からない用語だぞ。「愛少女 ポリアンナ物語」放映中の1986年秋に日本の鉄道からは廃止された制度である「手小荷物運送」というシステムで荷物を送るときに発行される荷物の切符だ。「手小荷物輸送」とは簡単に言えば飛行機に乗るときに大きな荷物などを航空会社のカウンターに預けると目的地空港までその荷物を貨物室に入れて運んでくれるが、それの鉄道版だと考えればいい。その際に乗車駅で荷物を預けた際に発行されるのが「チッキ」で、下車駅でこれを駅員に渡せば預けた荷物を受け取れるということだ。つまりポリアンナは自分が持ち歩くには大きすぎるトランクを鉄道会社に運んで貰ったわけで、ポリアンナが列車から降りるシーンをよく見ると、背景でこのトランクを荷物車から降ろす鉄道職員の姿が映っている。前述の通り、この制度は国鉄分割民営を前に1986年10月をもって廃止となっており、かつてはこの制度を使って駅から駅への荷物を送ることも可能だった。それとは別に大きな駅構内で乗客の荷物を乗客に代わって運ぶ赤帽(現在の軽トラックによる個人運送事業とは無関係)というのも存在した。
 ありゃ、なんか感想欄が鉄道のことで埋まってしまったぞ。てーかこれくらい解説しておかないと鉄道に詳しくない私より下の世代の人には絶対に分からないから。私の世代でも鉄道に興味がなきゃ「チッキ」なんて知らないだろうし、鉄道に興味があっても今の20代は国鉄の手小荷物輸送なんて分からないのよ。「ポリアンナ物語」をリアルで見ていた世代の人は鉄ヲタじゃなきゃ殆ど知らないんじゃないかと思う。

第5話「ナンシーの約束」
名台詞 「あら、何言うの? 私はもう金輪際、ここを出ないわよ。ポリアンナお嬢様には何処かに隠れ場がなけりゃ、やりきれないでしょ? 私はその助けの岩になるつもりなの。そう決めたのよ、そうでなきゃ可哀想すぎるわ。」
(ナンシー)
名台詞度
 今回はナンシーが主役と言っても過言ではない回かも知れない。ポリアンナの長所…つまり「よかった探し」で苦しいことも喜びに変えてしまう健気な姿をを目の当たりにしたナンシーはすっかりポリアンナに同情してしまう。さらにポリアンナのペースにまんまと乗せられ(←一緒によかったを探すと約束した点)、ポリアンナVSパレーという構図の中でポリアンナの味方に付くことを宣言したのだ。それがこの台詞である。
 またこの台詞に至る伏線が前話に張ってあった。ナンシーはパレーに仕えつつもその主人の性格に嫌気がさしており、トムじいさんやティモシーの前で早くこの仕事を辞めてここを出て行くのだという台詞を吐いてトムに咎められている。それほどにまで早く離れたい空間にポリアンナによって引き留められる形となったのだ。
 つまりナンシーはポリアンナを守るというこの仕事の上での役割というか運命を見つけ出したのだ、その運命のために自分はここに居なければ行けないと痛烈に感じ、仕事に対する士気も大幅に向上したことであろう。まだ10代であろう若いメイドが少し成長した台詞でもあるのだ。。
名場面 屋根裏部屋 名場面度
 物語の最後、ポリアンナはロウソク一本だけの灯りを持って自室として与えられた屋根裏部屋へ向かう。屋根裏への階段を上りきると、そこには漆黒に支配された物置がロウソクの明かりに照らされて今にも幽霊が出そうな雰囲気だ。自室への扉に走るポリアンナ、物置にポリアンナの影が動きまるて幽霊のよう。なんか「小公女セーラ」16話でロッティが屋根裏部屋へ向かうシーンを思い出す。
 部屋の中に飛び込んだポリアンナだが、今度は窓辺にロウソクを置いた瞬間に外から吹き込んだ風で頼みの綱のロウソクの火が消えてしまうのだ。ここに至ってポリアンナは屋根裏の不気味な怖さと、今日一日の悲しい出来事が胸にこみ上げてきてベッドに飛び込んで泣き出すのだ。「お父さん、私もうダメだわ。よかったなんて探せない。無理よ、お父さんだってこんな暗いところに上げられて、ひとりぼっちでいなきゃならなかったら、喜ぶことなんか探せないと思うわ」…ポリアンナがベッドに突っ伏して泣く姿の俯瞰で今回の物語は幕を閉じる。
 ここまで気丈にもよかったを探していたポリアンナだが、やはりここが限界だったと視聴者に訴えるシーンだ。ポリアンナも本音は悲しいのであり、よかった探しどころではなかったのだ。その悲しみや恐怖、これからの不安が暗黒の部屋で一人になった瞬間にどっと押し寄せてきたまさに不幸の底地のシーンである。
 だがポリアンナの攻撃にナンシーとパレーがポリアンナのペースに乗せられつつあることはまた本人の知らぬところなのだ。ナンシーについては名台詞欄で解説の通りだし、パレーも実はポリアンナの「よかった」攻撃でダメージを受けつつあるのだ。このシーンの前にポリアンナに罰をやったはずなのに喜ばれたことに戸惑うパレーの姿が出てくるが、このシーンがあるからこそこのポリアンナが屋根裏の恐怖におののくシーンが生きてくる。
 つまり名台詞欄のシーンも含め、これらのシーンにおいてポリアンナVSパレーという構図を明確化し、それぞれがどのように攻撃をしてどのようなダメージを受けたかという事が自然に描かれてその結果が視聴者の印象に残るように上手く仕上がっているのだ。ポリアンナはパレーによかった攻撃で応戦し、それによってナンシーが白旗を揚げてポリアンナに投降し、パレーもそれなりの打撃を受けたのだが、ポリアンナもパレーの冷酷な攻撃によって明らかにダメージを受けたと言うことだ。
 このような構図をそれとなく見せることで、視聴者を強烈に物語へ引き込む、上手なシーンだと私は思う。
今回の
「よかった」
 今回の「よかった」は4回。屋根裏からの眺めが良いことに気付いた点も「よかった」だなとカウントに入れたら、ポリアンナ本人が後のシーンであれも「よかった」だったと白状してくれた。中でも一番強烈な「よかった」は、ナンシーがポリアンナと一緒に「よかった探し」を実行することを約束したときだろう。ポリアンナは大喜びしてナンシーに抱きつきながら「よかった」と言うのだ。 「よかった」の回数
感想  名台詞欄に書いたがナンシーの話だ。やっぱ訛りとか聞いているとベッキーなんだよなぁ…じゃなくて、ナンシーがポリアンナのペースにまんまと乗せられて「よかった探し」参加を宣言するというのが今回の本筋、その内容に対してこのサブタイトルも上手く決まっていると思う。正直、ポリアンナが窓から気を伝って外へ出たときはどうなるものかとハラハラドキドキだったが、丘の上で孤独を味わうポリアンナに哀愁を感じると共に、誰かが味方にならなきゃ可哀想だと思わせるいい展開へ持って行ったと思う。そこへナンシーが出てきて上手く話をまとめるのだ。
 それと名場面欄で解説したとおり、この回では早速ポリアンナとパレーの戦いは始まっており、最後のその最初の戦いの結果が呈示される点も見逃せない。これは明らかにこの戦いを通じてそれぞれに何らかの変化が起きつつあることを示している。
 それにしてもナンシー、ポリアンナが部屋から居なくなっただけで死んだと思うなよ…飛躍しすぎで笑った。 

第6話「新しい服騒動」
名台詞 「自分の好きなことをする時間の事よ。私は一人で本を読んだり、外で遊んだり、人とお話ししたり、町や森や野原や色んなところを見て歩くのが大好きなの。それが出来なくちゃただ息をしているだけで、生きていることにはならないと思うわ。」
(ポリアンナ)
名台詞度
 この台詞にこれまでのポリアンナの生き様が全て詰め込まれているように聞こえる。パレーから曜日ごとの一日のスケジュールを聞かされたポリアンナ、その内容は自由時間の少ない子供にとってはあまりにも過酷なものだった。それにポリアンナは「生きるための時間がない」と反論する、その「生きるための時間」とは何なのかをパレーに聞かれたポリアンナの答えがこれだ。
 要は大人が聞けば遊ぶ時間が欲しいとのことなのだが、これはポリアンナにとって単なる遊ぶための時間ではないはずなのだ。この「生きるための時間」こそがポリアンナのライフワークでもある「よかった探し」を実行するための貴重な時間なのだ。この「よヵった探し」のための時間が奪われることはポリアンナにとって死活問題であろう、確かに「生きるための時間」が無くても普段の生活から「よかった」は探せるが、ポリアンナのしたいことは自分から外へ出て行って積極的に「よかった」を見つけることでもあろう。
 無論、パレーはこのポリアンナの言葉を単に遊ぶ時間が欲しいと受け取ったはずだ。だから「遊ぶ時間は適当に与えます」なのだし、「生きるためには義務を果たすように」なのである。だがそこはポリアンナ、義務を果たせばよかったがあるはずとすぐに立ち直るのだ。
名場面 パレーとチップマック 名場面度
 町へ服を買いに行って戻ると、パレーとポリアンナが乗る馬車を出迎えたのはチップマックだ。馬車が止まってポリアンナが飛び降りてくると、チップマックはポリアンナの肩に飛び乗って頭に乗る…と思いきやそのままパレーの肩に乗るのだ…怖い物知らずめ。悲鳴を上げてチップマックを追っ払うパレー、ポリアンナはチップマックのことを説明するが、動物嫌いなパレーの雷がすぐに落ちる。パレーがこのリスは何処かに捨てさせると言い切ると、ポリアンナはしょんぼりと肩を落として悲しい表情をする。ティモシーも見ていられなかったのか、思わず顔を背ける。
 ここでジャッジを入れるのはトムだ。険しい表情をしてパレーに「それはあんまりだ」と訴える、パレーとトムの睨み合い、「静かな暮らしをしたいから動物を飼うなんてまっぴらだ」と言い切るパレーに、自分が責任を取るからリスを置いてやって欲しいと懇願する。すると顔を背けていたはずのティモシーも「私からもお願いします」と訴え出る。僅かな間を置いて「トムが責任を持つというなら置いてやりましょう」とパレーが結論を出す。無論ポリアンナは喜ぶ。
 このシーンにパレーとトムの信頼関係が見え隠れしていて面白い。またトムも前々話ではパレーのことを「私でも扱いにくいところがある」としていたが、今回は完全に制御しきっているのである。どのような間でどのように言えば自分の忠告を聞き入れてもらえるか、トムはそれを分かりきっているのであろう。またパレーから見てもトムが責任を持つと言えばそれに絶対の信頼を置いているに違いない。なにせ自分たちが幼い頃から屋敷で働いている人間だ、滅多な事では間違いは起こさないという信頼があるのだろう。その信頼は今回の冒頭の庭でのシーンや、ラストシーンでの泥棒が来たと思うとすぐにトムを呼ぶ辺りからも見ることが出来る。
 視聴者としてはチップマックがパレーに見つかる瞬間というのを期待と不安の中でずっと待っていたはずだ、その待っていたシーンでチップマックがいきなりパレーの肩に乗るなどシャレにならないことをやってくれたので印象に残ったことだろう。チップマックを見つけたパレーの反応は予想通りだったなぁ。
今回の
「よかった」
 今回は3回とカウントした。トムがポリアンナの母のことをよく知っていると分かったときの「よかった」が強印象だ。ここの「よかった」はこの辛いことが多い屋敷こそが自分の母が生まれた家であるとポリアンナが確信し、安心した瞬間でもあると思う。そっか、ポリアンナは母親似なのか。 「よかった」の回数
感想  ポリアンナの服装の中でも、いつものズボン姿と共に印象に残っているあの赤いセーラー服がここから出てくる。実はこのページの設定もポリアンナのズボン姿とセーラー服をイメージした物である。この子も結構色んな服着ているなぁ、寝間着と喪服を入れたらこれで5種類、セーラ並みのペースだ。
 ポリアンナのよかった攻撃はまだまだ続く、パレーの反撃も手強いが今回はポリアンナが一歩リードしたかたちだろう。なによりもトムを味方にしたのは大きいかも知れない。それと買い物時にポリアンナに振り回されっぱなしだったパレーの表情がいい、ミンチン先生は「げっそりしてしまった」と表現したがまさにその通りという表情だった。子供慣れしていない人がたまに子供を相手にすると確かにあんな表情になる。その辺りの人間描写が上手いんだよな、「世界名作劇場」シリーズって。
 さて物語の最後、ポリアンナが屋根の上で大の字になって寝るという騒動を起こしたところで「つづく」となる。こういう物語の切り方は「愛の若草物語」では当たり前だったが、この「ポリアンナ物語」ではまだ少なかったと思う。「世界名作劇場」シリーズではちゃんと1話で起承転結をまとめて次は違う物語へってゆったりしたつくりがウリのはずなのだ。たまにこういう切り方をされるとそれを痛切に感じる。「小公女セーラ」の「馬小屋の火事」でもそれを感じたが、あれは一週間待たせることで火災の緊迫感を盛り上げたという効果も大きいから、一概には否定できない切り方でもある。

第7話「うれしいおしおき」
名台詞 「ハリントンさん、あのお嬢さんには毎日1時間の稽古で十分です。好きでないものを無理矢理押しつければ、ますます嫌いになるだけですから。」
(フランク先生)
名台詞度
 ポリアンナのピアノの稽古の時間であるが、どうしてもピアノを上手に弾くことが出来ないポリアンナは先生に演奏させて自分は聴き手に回る。そこへパレーが部屋に入ってくる、先生が状況を説明してポリアンナの方を見ると…ポリアンナは眠っていたのだ。パレーがポリアンナになぜピアノの稽古を付けたのか力説すると、先生は優しい声でこう答えたのだ。
 これはこの番組の視聴者が思ったことだろうし、ナンシーをはじめとするこの屋敷でポリアンナのペースに乗せられてしまった人々(ティモシーやトム)もパレーに言いたいことであっただろう。そう、パレーのやり方では子供から恨みを買うばかりで何の得もないのだ、その子供が「よかった探し」の名人でなければの話だが。
 そんなパレーのやり方をこのピアノの先生は見抜いていたのだろう、そして子供の事がなによりも大事だという考えのある人なのだろう。またパレーとの利害関係もなく、いちおう先生という権威があるからこそパレーにこのような指摘をすることが出来たに違いない。さらに言えばこの先生は、一日1時間で時間を掛ければいつの日かポリアンナから音楽に対する興味を引き出せると踏んだのかも知れない。
 この言葉を聞いたパレーは何を考えたのかはよく分からない。だがその答えは午後2時から4時間はポリアンナの自由時間とするという決定であった。これがパレーのポリアンナに対する態度が軟化する兆しなのだろうか? いずれにしろパレーからポリアンナの自由時間という言葉を導き出した意味でこの台詞は強印象の筈だ。
(次点)「まあ、変な子。」(ポリアンナ)
…オマエモナー
名場面 うれしいおしおき 名場面度
 まずお断りしておくが、今回のサブタイトルとなっているシーンではあるがこのシーンは今回の物語で一番印象に残るシーンではあるが重要度ではかなり下であろう。せいぜいパレーがポリアンナに対して心を開くに当たっての伏線程度で、物語全体を通せばこの回ラストのジミー初登場の方が重要度がかなり高いはずだからである。
 屋根裏の窓を開けることを禁じられ、蒸し暑くて眠れないポリアンナは耐えきれずに部屋を抜け出して屋根の上で寝ることにする。その際の物音がパレーに聞こえ、パレーが泥棒と勘違いして大騒動になるのだ。このお仕置きとしてパレーはポリアンナと一緒に寝ることにする。パレーはポリアンナが自分を怖がっていると思っていたに違いなく、寝るときまで自分の監視が付くということがポリアンナにとって最大の攻撃になると踏んだのだ。
 ところが今回はポリアンナの反撃の方が上であった、ポリアンナは叔母と一緒に寝られることを素直に喜び、パレーの豪華なベッドを見て純粋にはしゃいで「よかった」爆弾を炸裂させるのだ。これでパレーのお仕置き攻撃は三度目(夕飯に遅れて食事がパンと牛乳だけになった・網戸が無いのに窓を開けて蠅が入ってきたので気持ち悪い蠅のパンフレットを読ませた)だが、三度とも全てポリアンナの「よかった」爆弾炸裂を前に攻撃失敗したことになる。しかも今回はパレーがソファで眠ることになってしまい、ポリアンナの反撃による被害甚大と言ったところだろう。
 このお仕置き自体も印象に残っているが、その中でひとつだけ今までと違うパレーを見ることができる。パレーのベッドで眠りについたポリアンナが毛布を剥ぐのだが、それをちょっと優しい表情で直してしまっているのである。パレーもすぐに気付いて「私は何を…」という表情になるのだが、だんだんパレーもポリアンナのペースに乗せられつつあることがみてとれるシーンだ。
 パレーの誤算は「よかった探し」の存在を知らぬ事。ポリアンナはパレーの仕置きに対して特に「よかった探し」の一環で「よかった」を連発させているわけではないようだが、その「よかった探し」が既に無意識のうちに実行されてしまうところまで来ていたのだろう。だからパレーのお仕置きからも「よかった」を見つけ出し、喜んでしまうのである。「よかった探し」の存在をパレーが知っていたら、パレーの攻撃方法はもっと違ったものになっていたに違いないのだ。
今回の
「よかった」
 今回は3回、ポリアンナの「よかった」という台詞自体はもっとおおく出ているが、ひとつの「よかった」に対して複数回「よかった」を連発していたり、過去(前回から今回)に「よかった」を見つけたシーンを思い出して「よかった」と改めて言うシーンがあったりしたので、その分を差し引いて3回とした。その中でもポリアンナがパレーの屋敷に持ち込んだ服を処分されそうになったとき、ポリアンナを象徴する赤いズボンも一緒に捨てられそうになるが、ナンシーの機転で捨てずに済んだ。「これを着て出かけるときは裏から出て行けばおば様にはわからない」とナンシーが言ったことで、父の形見でもあるあの服が守られた。視聴者から見ても「よかった」だろうな。 「よかった」の回数
感想  ルシエンキター!!!!! ポリアンナを見て驚くジミーはどう見てもルシエンだ、似たような台詞(「あれが女の子だなんて…」)を何度もアンネットに向かって言っていたような記憶もあるし、橋の上でポリアンナに怒鳴られた時の反応はルシエンそのものだ。ま同じなのは声だけで外見はまったく違うのだが…。
 ここへ来て新キャラの登場である。しかもポリアンナとほぼ同年齢と思われる、オープニングにも登場する少年である。彼は橋の欄干から墜ちるポリアンナを、橋の反対側から走って助けるという人間業とは思えない行動で視聴者に印象付ける。ジミーの行動がどれだけどれほど人間離れしてたかって? そりゃ橋の欄干から墜落したポリアンナを、落下から0.7秒も経ってからポリアンナの手を掴んで助けたんだ。その間にポリアンナは2.4メートル落下したわけ(ポリアンナの体重を平成17年度の8歳女児平均体重27.3kg、空気抵抗係数をスカイダイバーと同じ0.24として計算…その時の落下速度については計算結果を知らない方が幸せと思われ)だから、恐らく「ワンピース」の何とかって主人公みたいに腕が自由自在に伸びたり縮んだりするのだろう(笑)。そりゃともかく、このジミー(よく考えたら今回名前が出てきてない)がこれからの物語で重要な登場人物となることは容易に想像が出来るデビューであった。
 さて、今回の物語のどの辺りが「うれしいおしおき」なのだろうか? 前回もそうだがなんか物語の本筋とサブタイトルのズレが目立つようになっている。どう考えても今回の話は夜中に外で就寝しようとしたポリアンナに対するおしおきよりも、翌日のポリアンナの勉強やパレーの言葉のキツさ、そしてポリアンナが外へ遊びに行ってジミーに初対面することの方が印象に残る。前回の泥棒騒動からどんなおしおきとなるのか、サブタイトルを見てずっと楽しみにしていたのになんかがっかり。だがジミー初登場のシーンはツッコミどころが多くて笑えたのでよしとしよう。

第8話「不思議な紳士」
名台詞 「あら、私はそんなこと平気よ。ホラ、見て。森や林や川や湖が、まるで絵みたいにきれいでしょ? それに街にたくさんの人が住んでいるでしょ? 私、色んな人を眺めるのが面白くて仕方ないの。なんど見たって飽きないわ。」
(ポリアンナ)
名台詞度
 ダルギンやナンシーに「ただブラブラ歩いていても面白くとも何ともないような気がします」「この辺りにはお遊び相手になるようなお子さんもいないし」と言われたポリアンナがこう力強く答える。この台詞にポリアンナの性格が出ている、何でも楽しみに変えてしまう性格だ。
 この性格はある意味全てがプラスになるのだから生きてゆく上では好都合かもしれない、何もかもが楽しく感じるのだから…このような生き方をしてみるのも悪くないだろう。だがこの物語に出てくるパレーのように、静かに穏やかに暮らしたい(つもりの)人間にとっては迷惑この上ないことも確かだろう。実害はないはずなのだが、このような性格の人間に無意味に挨拶されるのは嫌なはずだ。この台詞にはこのようなポリアンナの無邪気な部分を引き出して、今後のペンデルトン初登場の伏線にするものだろう。
 ポリアンナのこの性格、やっぱ「よかった探し」の結果なのかなぁ…。
名場面 ポリアンナとペンデルトン 名場面度
 一日の「義務」の時間の後、ポリアンナは「生きるための時間」を満喫していた。その内容は街まで散歩に行って人々の様子を見ることだった。
 ある日、ポリアンナは犬を連れた紳士を見つける、その紳士のことが気になり毎日声をかけるのだが…紳士はポリアンナが声をかけても無視をする。しかし10日ほどがたったある日、ついに紳士がポリアンナに返事をする。その内容は「おまえ、なんだってそうしつこくつきまとうんだ?」というものだった。「おじさんがいつも憂鬱そうな顔をするからそれじゃいけないと思って…」と答えるポリアンナに「余計なお世話だ、いいか? 今日こそ決まりを付けておこう!」とポリアンナに声をかけられるのが迷惑だと訴えようとする。
 だがここでポリアンナの反撃が始まる。「太陽が照ろうが照るまいが関係ないのだ!」とペンデルトンが言えば、ポリアンナは「まぁ、やっぱりそうだったのね。だから教えて上げたの」と交わすのだ。「ホラ見て、とってもきれいだわ」とポリアンナが空を見上げれば、ペンデルトンも釣られて空を見上げて思わずニヤリ。だが自分らしくない行動に気付いたペンデルトンは咳払いをするとその場を立ち去ろうとする。ポリアンナが「おじさんは顔つきよりずっと心の良い方だと思うの」と言えば、ペンデルトンは「いやはや、どうも」と言いながらまた表情が崩れる。立ち去るペンデルトンに「おじさんさよなら〜、また明日ね〜」とポリアンナが手を振れば、ペンデルトンは思わず別れの挨拶として手が上がりかかる。
 ペンデルトンという堅物があれよあれよという間にポリアンナのペースに乗せられて、心を開きかかるシーンだ。ペンデルトン初登場で多くの視聴者はパレーのような人物とポリアンナが再度戦うことになるのかと思ったことだろう、だが意外にもこの堅物にポリアンナの方からぶつかってゆき、早くもこの堅物がポリアンナに心を開きかかってしまう面白いシーンだ。このポリアンナとペンデルトンという人物のこれからの関わりに期待を寄せてしまう名シーンだろう。
今回の
「よかった」
 今回は3回、意外に少ない。ナンシーがポリアンナに料理を教えるのが楽しみだと聞いた時に1回、ジミーが橋から落ちそうになったけどなんとか墜落せずに済んだ時に1回。そして3回目の「よかった」が印象的、「よかった」の台詞はないもののポリアンナの呼びかけにペンデルトンが最初に立ち止まって答えてくれた時だ。 「よかった」の回数
感想  物語が新展開に入った。全話までの話はポリアンナが父を失ってからパレーに引き取られて、パレーの家に落ち着くまでの物語だったといっていいだろう。今回からはパレーの屋敷での日常を中心とした物語へと変わるのである。ここで登場するのがラルフ・クルーペンデルトン、誰とも会話しないと言うこの堅物とポリアンナの出会いが今回の中心である。無論この無表情なオッサンがポリアンナと仲良くなるだけの話であるはずがなく、もちろんパレーと面識がある人物だろうし、ポリアンナの母とも知り合いだったのだろう。そういう話だったのは覚えているのだが、どういう関係だったかすっかり忘れているので新鮮な気持ちで見れるぞ。
 ダメだ、「アンネット」を見た後だとジミーがルシエンにしか見えなくなってくる。ジミーとの話が進まないのはちょっともどかしい、あれほどオープニングに派手に出しておいて橋の欄干で平均台遊びしているだけっていうのはなぁ、ジミーが出てきたからすぐジミーの話になるかと思ったのに。自動車事故はまだ先だっけ?

第9話「放っておけないわ」
名台詞 「そうだわ! 私が探してあげればいいのよね。とっても難しそうだから、見つけた時にはきっとものすごく嬉しいわ。私、来週来る時までに一所懸命考えるわ。スノーおばさん、楽しみにしていてね。」
(ポリアンナ)
名台詞度
 下記名場面欄の通りスノー夫人に「よかった探し」を布教するポリアンナだが、スノー夫人に寝たきりの人間によかったなんてことがあるはずはないと反論される。その返事がこれだ。
 この台詞には「よかった探し」に賭けるポリアンナの意気込み、「よかった」を探すことにかけては本来の強さを見せるポリアンナの個性がよく出ていると思う。スポーツにしろ恋愛にしろ困難なほど燃えるタイプの人がいるだろう、ポリアンナも「よかった探し」に関してはより困難なほど燃える性格なのだ。う〜ん、今年の箱根駅伝で東洋大5区を走った彼を思い出したぞ。
 この台詞を吐いたポリアンナは「さようなら」との言葉を残して走って出て行ってしまう。スノー夫人は唖然とした表情でその姿を見送り、ポリアンナが結った髪を見て笑顔になる。ここにナンシーに続いてポリアンナの「よかった探し」の信者が現れたようだ。ポリアンナがスノー夫人の見舞いを「楽しい」としてダルギンやナンシーを驚かせるが、それはスノー夫人が「よかった探し」に乗ってくれそうだったからという理由もあったに違いない。最初のうちは自分だけが楽しんでいるようにも見えたが…。
名場面 ポリアンナとスノー夫人 名場面度
 まずこのシーンの前提として、ダルギンやナンシーがスノー夫人という人物がどれほど堅物かという事を語る。「またそのような難物と対面しなきゃならないのか」という不安と「ポリアンナのことだからそのスノー夫人とやらをうまく自分のペースに乗せてしまうだろう」という期待が入り乱れた状態で、視聴者はこのシーンを迎えることになるだろう。
 そしていざ対面するとポリアンナはスノー夫人の我が儘に上手く対応する。「今日は(子牛の足のスープではなく)チキンのスープが欲しかった」と言えば「まぁ嫌だわナンシーったら、勘違いしてたんだわ」と返す。「今日は羊の肉のスープが欲しかった」と言えば「さっきは確かチキンのスープだと思ったけど」と返す。「夕べは一睡も出来なかった」と言えば「羨ましい!」と返し、「あんたって本当に面白いお子ですこと、ちょっとあのカーテンを開けてくださいな、そのお顔をハッキリと見たいですからね」と言えば「あら、そうしたらそばかすがみんな見えちゃうわ」と返す。このやり取りに視聴者は既に「ポリアンナの一本勝ち!」と思ったことだろう。
 カーテンを開くと喜んでスノー夫人に抱きつくポリアンナはスノー夫人に言うのだ、「おばさんってとってもきれいだったのね」と。スノー夫人は驚きつつもまた「私は不幸に生まれついているのよ」と悪態をつく。ポリアンナはそれでも負けずに「おばさんの髪を結ってあげるわ」と言って、ブラシと手鏡を借りるために部屋を出て行く。
 ベスミリーとポリアンナのやり取りを挟むが、ここでミリーが「大人しく髪を結わせてくれるはずはない」というようなことを言うが次のシーンではちゃんとポリアンナはスノー夫人の髪を結っている。だがスノー夫人は相変わらず文句ばっかりだ、「(髪を結っても)すぐ壊れちまう」→「そしたらまた結う楽しみがあって私嬉しいわ」、赤い花を髪に刺せば「白い花の方が好きなのに」「どのみちしぼんでしまう」→「しぼんだら今度は白い花にすればいいわ、おばさんの髪は黒いからどんな色の花でもきっと似合う」とポリアンナは上手く切り交わす。一度は笑顔を見せたスノー夫人だが、急に手鏡を投げ捨て「一日中寝たきりになっている身にもなってご覧なさい、黒い髪も何もあったもんじゃない」と言う。そこでポリアンナは「よかった探し」の布教を始めるのだ(以下名台詞欄)。
 このシーンを見ていると分かるだろう、前回のペンデルトンとは違いスノー夫人はポリアンナのような人間が出現するのを待っていたであろうことを。表面上は悪態をつきつつも内面ではポリアンナを歓迎し、心を開いているに違いないのである。その証拠がカーテンを開いてポリアンナの顔を見ようとしたことであり、素直に髪を結わせた事実でもあるだろう。
 スノー夫人は見舞いに来てよくしてくれる人間だからこそ悪態をつくというひねくれ者だが、ポリアンナはスノー夫人のこういう性格を見抜いての行動だろうか? これはこのシーンを見終えても判断つかなかった。
今回の
「よかった」
 物語がポリアンナの日常に入って行くと、序盤のようにわざとらしく「よかった」を演出するシーンも減る、「よかった」自体の回数もどーんと減ってしまう。スノー夫人の見舞いに行くことをパレーに許されたときの「よかった」は、ポリアンナの喜びが表現されいて好印象だろう。 「よかった」の回数
感想  メアリーとベスって、前作から親子やってたのか!ミリーの声を聞いて「ベスだ!」と叫んでしまった。スノー夫人の声はミンチン先生やメアリー、それにこの物語のナレーターと同じ声とは思えない演じ分けのうまさに脱帽。そういう問題じゃなくて…しかし本当に色んな人が演じているな、「ポリアンナ」って。
 まず前回のラストにあれだけ大げさにペンデルトンの屋敷を見た恐怖シーンを入れておいて、今回はその続きじゃなかったと言う点はがっかりした点だが、スノー夫人とのやり取りが面白かったのでこのがっかりは中盤までに消えてしまう。それとジミーがやっと名前を名乗り、自分の生い立ちを語った。そっか、孤児院から脱走してきたのか。今回の前半でジミーと三度目の出会いがあった時に、何らかの伏線は感じたがここで彼の正体を明らかにするためだったのね。
 しかし、サブタイトルの「放っておけないわ」はスノー夫人とジミーの両方にかかっているんだろうな、ひとつのサブタイトルに2人の登場人物をうまく絡めたと思う。
 でこの物語の登場人物がどんどん増えて行くが、まだまだ増えるんじゃなかったっけ? 「小公女セーラ」や「わたしのアンネット」なんかは学校の生徒で人数を稼いでいるので登場人物は多かったが、「南の虹のルーシー」や「愛の若草物語」なんかは家族の物語が基本なので登場人物はそう多くなかった。学校が舞台でもないのにこれほどの登場人物を数えるのは珍しいのでは?

第10話「何とかしなくちゃ!」
名台詞 「わしはな、パレー様に思い出して頂きたいんだ。ジェニー様と姉妹仲良くお暮らしだった頃のことをな。」
(トム)
名台詞度
 屋敷の昼下がり、トムとティモシーが庭の手入れをしているところにポリアンナがジミーを連れて帰ってきた。しかも何処の誰だか分からぬ少年を連れてだ。ティモシーは慌ててジミーを「追い返さなきゃ」という、両手を広げて「知っていて追い返さなかったとなれば自分たちが大目玉を食う」と。これに対してトムが「放っておきな」とした上で語る台詞がこれだ。
 パレーがかつて、穏やかで優しい人間だった事がよくわかわる台詞だ。その秘密は今後の物語の展開に期待するとして、何かのきっかけでパレーという女性が現在の冷酷で無口な女性に変わってしまったことを示唆するものだ。その理由にポリアンナの両親が絡んでいることも読みとることが出来るだろう。トムはかつて優しく穏やかだったパレーを知っていて、ポリアンナのためにも元の性格に戻って欲しいと願い、そういう意味でポリアンナを放任している点もあるのだろう。例え自分たちが叱られることになっても、トムにとってはそのことの方が大事なのだ。
 さらにトムはポリアンナの存在だけでなく、タイミング的にもパレーが元の優しい女性に戻る時期が来ていると感じているに違いない。もちろん、そのタイミングとはポリアンナの父、ジョンの死である。パレーの性格がああなったのは間違いなくジョンの存在によるものであり、その原因がなくなってこんな可愛い子が来たのだから…というのがトムの考えなのだろう。その彼の思いがにじみ出ていて好きな台詞だ。
(次点)「ふん、おばさまって方はまったくご親切だよ! 世界で一番ね!」(ジミー)
…ポリアンナはジミーを家で引き取ってもらおうと、ジミーをパレーの元に連れて行く。当然パレーはジミーを引き取るどころか、ジミーのなりを見て汚いだのなんだのとケチをつける。その言葉に憤慨してジミーが返した言葉がこれ。パレーはこの言葉に何かひっかかりがあったようだが…その答えが出るのはまだ先だろう。ちなみにこの台詞、解説のミンチン先生が後のシーンで復唱するのもまたいい。
名場面 ポリアンナの挫折 名場面度
 ポリアンナはベルディングスベルに来て最初の挫折を味わったのが今回だろう。自分と同じく両親を亡くし、自分とは違い誰も引き取る人が現れないジミーに深く同情し、最初はパレーにジミーを引き取って欲しいと懇願し、続いて街の婦人会でジミーを誰かに引き取って欲しいと主張する。婦人会では遠くインドの顔も名前も知らぬ子供の話題ばかりで、身近にいる不幸な少年のことなど誰も気にしていない。この事実を見たポリアンナはこの物語の中で初めて挫折を味わう、自分が良かれと思ってやっていることがなかなか実を結ばない挫折だ。
 婦人会の会合が行われた教会の中で身を震わせるポリアンナや、帰り道に悲しい表情をしてトボトボと歩くポリアンナの描写が、彼女の挫折と味わった悲しみを上手に再現していて秀逸だ。そこにジミーが元気いっぱいに登場、「やけにしょんぼりしちゃって…君らしくないぜ」というジミーの言葉に多くの視聴者が激しく同意するだろう。だがジミーが自分でお金を貯めて城を造るというと、すぐに同意して喜んで立ち直る辺りやっぱこの娘だなぁと思った。。
今回の
「よかった」
 今回は2回、ナンシーがパレーが婦人会を欠席すると聞いて「よかった」としたシーンについては除外した。ナンシーの初「よかった」だったが、「よかった探し」教祖ポリアンナによると人が体調を崩したことがきっかけだと「よかった」にならないらしい。ポリアンナ以外の「よかった」がもう一件、まだポリアンナに「よかった探し」を布教されていないジミーが「よかった」を見つけている。ポリアンナが自分の城作りを手伝ってくれると聞いて、「よかった」と叫びながら喜んでいるのだ。 「よかった」の回数
感想  え〜と、ミンチン先生の中の人はこれで何役目だ? 解説にスノー夫人に婦人会に出席していた牧師の夫人に…色んな役やって忙しい人だな。今回の中西さんの声、どっちかってーとメアリー・マーチの声だったな。
 今回の見どころはやっぱ名場面欄だと思う。ポリアンナが明確な形で挫折を感じる貴重な映像だ、立ち直りが早いのもアレだったが。それに今回は強印象の台詞が多く、名台詞欄でどれを取り上げるか非常に悩んだ回でもある。名台詞に次点だけでなく、ポリアンナやジミーの他の台詞に印象深い物が多いのだ。
 今回のポリアンナ、ちょっと突っ走りすぎだったと思うが、基本的にこの物語はポリアンナの暴走と、それに巻き込まれて心を開く人々の物語だと思っている。いや〜しかし、今はいいことがないのでポリアンナには癒されるな〜。

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