第13話「おば様はお気の毒」 |
名台詞 |
「だって、ドアをバタバタさせちゃう時ってそれだけの訳があるわ。とっても嬉しくてたまらない時には、どうしたって静かになんかしていられないはずですもの。それがちっともそんな気にならないっていうのは、嬉しいことが全然無かったって事でしょ? 私、おば様がそんな風に嬉しいことがなかったのが、お気の毒でたまらないの。本当におば様はお気の毒だわ。じゃ、おやすみなさ〜い。」
(ポリアンナ) |
名台詞度
? |
今回の事件の最後、名場面欄シーンの後にポリアンナはパレーの顔をじっと見つめる。「人の顔をそんなに見るもんじゃない」とポリアンナに注意するが、ポリアンナはそれに構わず「おば様はドアをバタバタさせた事、いっぺんもおありにならないの?」と質問する。パレーが「当たり前でしょ」と答えると、ポリアンナは悲しい表情で「そうなの…おば様って本当にお気の毒だわ」と言う、いきなりそう言われて驚くパレーに向かってこの台詞を吐くとその返事も聞かずに立ち去ってしまうのだ。
ポリアンナがこの台詞を吐いている時のパレーの表情に注目だ。ポリアンナから視線を逸らすような、なんか恥ずかしいような表情をするのだ。パレーに「何か」が起きてパレーが忘れたもの、それは素直に喜んで笑顔を作ることだったに違いない。この台詞で彼女はかつての自分は素直に喜んで笑える人間だった事を思い出し、それが恥ずかしかったのだろう。笑顔とは無縁の孤独で静かな生活、パレーはそれが自分の生きる道だと思っていたと考えられるのだ。
ところが目の前にいる姪はそれを「気の毒」だと言った、普段のパレーなら自分の生き方が否定されたと感じて冷たい言葉のひとつをかけるところだろう。ところがこの時までにパレーの中で何かが変わっていたのだ、ポリアンナのように素直に喜び自然な笑顔を作ることで家の使用人達を味方に取り込んでいって、ついには自分が置いて行かれたように感じていた描写が前半にあるが、チップマック行方不明の一件を通じてこの笑顔のない孤独な暮らしに対する寂しさというものを初めて感じたに違いない。そして何事にも素直で直向きなポリアンナを見て、遂にチップマックを家に入れることまで許してしまう。また名場面欄のようなパレーの表情もこのような気持ちによるものだろう。
嬉しいことに対して素直に喜ばず、嬉しいことすらも冷たくあしらって笑顔を拒否する生き方…その生き方に対して寂しさを感じ始めたところでこの台詞、この台詞の直後のミンチン先生の解説の通りとなるが、パレーが泣き出したい心境になったのはこのためだと思われる。その辛く寂しい生き方に対し、それを理解して同情してくれる人間が初めて現れたのだ。
今までの自分の寂しい生き方は何だったのだろう? パレーはこの台詞を聞いてこう考えたはずなのだ。 |
(次点)「私、パレー様に交渉するわ。例えこの家を追い出されても、構うもんですか。パレー様にお願いするんだ、お嬢様のために。ええ、そうですとも。」(ナンシー)
…雨の中チップマックの看病をするポリアンナを見てナンシーが決意する、それは恐らく初めて主人に逆らうことになる決意だ。第5話で「ポリアンナの助けの岩になる」という決意を有言実行するシーンだ。ポリアンナのためならクビになったっていい、そのナンシーのポリアンナを思う直向きな台詞が現れていて気に入った。でも名台詞欄には負けた。 |
名場面 |
ポリアンナがパレーにお礼を言いに来る。 |
名場面度
? |
チップマックを自室に入れると、ポリアンナはすぐに「おば様にお礼を言わなきゃ」とチップマックをナンシーに託して部屋を飛び出す。「おば様〜っ」と叫びながら扉を力一杯閉め、椅子を突き飛ばしながらパレーに抱きつくポリアンナ。「ありがとうおば様、私本当に嬉しいの、おば様はやっぱり親切なのね、私何てお礼を言ったらいいのかわからないくらいよ」と言いながらパレーに抱きつくポリアンナを見下ろし、見る見るうちに表情が解けて笑顔になるパレーの顔に注目だ。だがこの笑顔もほんの一瞬で、ポリアンナと目が合ったパレーはいつもの冷たい表情に戻る。「そんなに喜んでもらえば私も満足です」と冷たい声で本音が出た後、「ですがいくら嬉しいからと言って椅子をひっくり返したり、ドアをバタバタさせるような行儀の悪いことは謹んで貰わないと困ります」と冷酷に言う。だがポリアンナはあくまでも元気に明るく「はい、ごめんなさいおば様」と返事を返し、突き飛ばした椅子を元に戻して名台詞欄に続く。
もうこのシーンの見どころはパレーが見せた初めての笑顔に尽きるだろう。義務だ義務だと言いつつもやはり姪のことが心配だったパレー、なんだかんだ言ってもポリアンナが身体を壊さないかと心配であり、そのポリアンナが元気でしかも自分が「特別に認めた事」が嬉しくてたまらない様子を見て自分も嬉しかったのである。つまりパレーの人間としての優しさをかいま見ることが出来るシーンだ。
だって、本当に義務ならばチップマックは放っておいてポリアンナを引きずってでも家の中に入れれば良いだけのこと。パレーもポリアンナが万が一チップマックを失った場合の事を考えたに違いない。それでポリアンナが再起不能なほどの心の傷を負えば…自分の寂しさが露呈してしまうほどの現況が一瞬にして消えてしまう、パレーもそれを望まなかったのだろう。それがよく分かるシーンだ。 |
(次点)ナンシーの交渉
…名台詞次点欄の通り、ナンシーがチップマックをポリアンナの部屋に入れてやって欲しいとパレーに懇願する。最初はポリアンナの差し金かと感じたパレーだが、雨の中チップマックに寄り添うポリアンナと、側でそれを見守るトムの姿を見てパレーは表情を変え、ナンシーもポリアンナの直向きな姿勢に打たれて自らの意志で自分に交渉に来たと知る。チップマックはポリアンナにとって家族であり兄弟であると跪いて涙を流しながら訴えるナンシーに、遂にパレーがチップマックを入室させることを許す。このシーンはパレーがポリアンナに対しての態度を軟化させた最初のものとして視聴者の記憶に残るだろう。 |
今回の
「よかった」 |
3回、うち1度は「ぬかよかった」になったが、ポリアンナが真実を知らない時点での「よかった」だから一応カウントに入れた。一番印象に残る「よかった」はなんと言ってもチップマックを部屋に入れることが許されとナンシーに告げられた時の「よかった」だ。この時のポリアンナの喜びも印象的だが、トムの表情も見逃せない。パレーの部屋の方を見て「ありがとうございます、パレー様」と呟く彼の姿も連動して印象に残った。 |
「よかった」の回数
3 |
感想 |
う〜ん、何処かで見たサブタイトルだなぁ。え〜と、「マーサおば様はお気の毒!」…このサブタイトルにびっくりマークいるか?
じゃなくて「愛の若草物語」11話だ、この話もマーサが優しく素直なおば様になるきっかけの回だった。果たして「ポリアンナ物語」でも同じなのだろうか?
「世界名作劇場」シリーズでは「おば様」というのは最初は印象が悪くてなんかのきっかけで優しくなるのはお約束だからなぁ。
で、本編を見ていたら何か見たことあるぞ。ティモシーが馬車で家へ急ぐ、その隣には風邪薬の瓶を持つジミー…え〜と、御者をピーターに変えてジミーをベッキーにしたらあら不思議、「小公女セーラ」35話「消えそうないのち」のワンシーンだ。なぁんてやってる場合じゃない。
前回、チップマックが行方不明になって終わって、今回はチップマックを捜すだけのレベルの低い話になるのかなぁと思ったら、これまたどうして感動的な話に仕上げてきたじゃないか。パレーが自分の生活スタイルの寂しさに気付き、それをポリアンナに同情してもらうと主軸の展開もよかったが、そこに至るまでの展開もこれまたいい。特にナンシーの活躍は、主人への忠誠よりもポリアンナへの思いが優先されており、結果的にそれがポリアンナを病気にさせずに主人を安心させることになる行動なのだが、誰かに言われたり指摘されたりではなく自分の考えや正義に則って行動しているのがいいのだ。それで主人に逆らうことになるというのは自然だ。
今回の主役は間違いなくパレーだと思う。チップマックはその引き立て役、ポリアンナですらパレーの気持ちに変化を生じさせる道具になってしまっているようにも見える。だが名台詞欄で挙げたポリアンナの台詞はまた「生きていて」いい台詞だ。 |