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第11話 「ペンデルトンの森で」
名台詞 「わ、私、ちっとも怖くなんかないわよ。チップマック。」
(ポリアンナ)
名台詞度
…怖いくせに。
名場面 ポリアンナとチルトン 名場面度
 まずはペンデルトンの急を告げるためにチルトンに電話をかけたポリアンナが、チルトンの声を聞いてフリーズする。電話を切ってフリーズしたポリアンナは、チップマックの声で再起動するのだが、この理由はチルトンの声があまりにも父の声に似ていたからである。声優が同じだからなんてヤボな事を言っては行けない。
 上述の伏線を経て今回のラストシーンこそが今回ここで取り上げるべきシーンだろう。まずチルトンの登場、ポリアンナは声だけでなくその姿まで父にソックリなのでまた驚く。そして怪我をしたペンデルトンを担架に載せ、立ち去ろうとしたチルトンをポリアンナは呼び止める。
 チルトンを呼び止めたポリアンナは、自分の名をフルネームで名乗る。すると明らかにチルトンは驚きの表情を見せるのだ、「先生にお逢いできて、私本当に嬉しかったの…」と続けるポリアンナに構わず「ポリアンナ・フィティア…」とポリアンナの名を呟いたチルトンは、ゆっくりとポリアンナの前でしゃがんでポリアンナの顔をよく見る。「そうか、やっぱり…」と呟くチルトン、「なんでやっぱりなの?」と問われれば患者達からいろいろ噂を聞いていたと誤魔化す。だが視聴者はもう気付いているだろう、チルトンは間違いなくポリアンナを知っている人物だと。彼女がパレーの元に引き取られる前から知っているはずだ。
 ポリアンナがチルトンと出会えて嬉しかった理由は、父にソックリな人に出会えたからだろう。チルトンは何か愛おしいものを見つめるようにポリアンナを見つめている、この人がポリアンナとどういう関係の人物なのか、視聴者に期待させる意味でいいシーンに仕上がっていると思う。
今回の
「よかった」
 ペンデルトンの怪我という事態にポリアンナの「よかった」が炸裂した。今回は4回、その中でもペンデルトン邸の通用口が開いた瞬間に「よかった」とさりげなくいうシーンが印象に残った。それと骸骨の話がウソだったと分かった時の「よかった」では、ポリアンナの顔がとても可愛く描かれていて見ている方も「よかった」だろう。 「よかった」の回数
感想  また新登場人物だ。このチルトンは単なる医者としてだけの登場でないことは、その電話を通じての初登場や、ポリアンナの名を知った時の彼の反応を見ていれば分かることだろう。これで第一部の物語の核となる人物はだいたい出そろったのかなぁ、そろそろ登場人物の紹介みたいな話は終わりにして本編へ突入して貰いたいものだが、この辺りが「世界名作劇場」シリーズ独特のまったりした展開と考えれば良いのか。
 今回辺りからポリアンナの性格のもう一つの点が目立つようになってくる。それは何をやるにも全力でやるタイプの人間であること、そしてあることに全力で尽くしていると他が見えなくなることがあるのである。だが今回はペンデルトン邸において骸骨の噂話による恐怖が先だったようだ。骸骨が家にあるからと言って何があるわけでもないのに、ポリアンナの恐怖に歪む表情は視聴者を楽しませ、同時に心配させてくれる。話は緊迫感たっぷりだが面白いと私は思う。役割を終えて大仰なBGMとともにペンデルトンの元に駆けてくるポリアンナのシーンも好きだ。

第12話 「スノー夫人の驚き」
名台詞 「おばさんはミリーさんがいなかったら、ちゃんと看病してもらうことも出来ないし、どんなに寂しいかしらって思ったの。それにミリーさんはとってもおばさんのこと心配して、おばさんが元気になったのをあんなに喜んでるんですもの。あんなに喜んでくれる家族がいるって、いいなって思ったの。おばさんだってミリーさんがいて、本当によかったって思うでしょ?(以下略)」
(ポリアンナ)
名台詞度
 今回、スノー夫人の元に見舞いに来るまでに、スノー夫人の「よかった」を探すことはポリアンナの宿題でもあった。病気で寝たきりの人のよかったを探すのはとても難しく、ポリアンナもとうとう見つけられないままスノー夫人宅に到着する。そこでミリーの歓迎を受け、ミリーからポリアンナが来たことでスノー夫人が良くなったと感謝される。
 その後、ポリアンナがスノー夫人を見舞うと、スノー夫人は「辛い嫌なことばかりで具合が悪い」とまたブーたれるのである。ポリアンナが「そんなことはない」としてスノー夫人の「よかった」が見つかったと言うのだ。「そんなものがあるなら教えて欲しい」と吐き捨てるスノー夫人に、ポリアンナはスノー夫人の「よかった」を一生懸命探したと答える、驚くスノー夫人は「それは何だったのです?」とポリアンナに問う。ポリアンナは笑顔で「ミリーさんのこと」と答える、「娘のこと?」と問うスノー夫人、間に挟まれるミリーが内職に励むシーン…そしてポリアンナがとどめの一撃としてこの台詞を言うのだ。
 文字通りスノー夫人の「よかった」について語ったことだが、普通に家族に囲まれて生活していると意外に忘れがちなのが「家族のありがたさ」である。スノー夫人は娘が心から心配していることを見落としていたのだろう、この台詞に計り知れぬ衝撃を受けることになった。その「家族のありがたさ」を語れるのは、父や母を失って天涯孤独を味わったポリアンナだからこそなのだ。大切でありがたいものは失ってみてその大きさに気付く…スノー夫人はそう言う経験のあるポリアンナから、まさに「生きている言葉」を得ることで、病に伏せているとはいえ自分にもちゃんと「よかった」があることを認識し、同時に見舞客のありがたさも感じたに違いなく、これで改心するに違いないのだ。
 この台詞はポリアンナの「生きた言葉」として今回の視聴でかなり強印象のものとなった。私も「よかった探し」やってみようかな?
名場面 スノー夫人とミリー 名場面度
 ポリアンナがスノー夫人に空を見せているその時、ミリーがスノー夫人の部屋に入ってくる。そこでパレーが怒っているので早く帰るように告げるのだ、事の次第を聞き別れの挨拶をすると慌てて飛び出すポリアンナ、残されたスノー夫人とミリーが今回の名場面を作ってくれる。
 「パレーさんに叱られなきゃいいけどね…」と呟くスノー夫人、これまでのスノー夫人は自分のことばかり考えていて人のことを思いやることなど忘れていたのだ。その「思いやり」の気持ちがスノー夫人の心に蘇ったことにミリーは驚く、「今まで人のことどころじゃなかったんだけどね…」と呟きながら涙を流すスノー夫人。「私もよ、母さん」というと母の手を取り一緒に涙を流すミリー。二人はポリアンナが持ってきた3つの鍋、羊とチキンと牛のそれぞれのスープが入った鍋を見つめて微笑む。これには何よりもポリアンナの「心」が詰まっているのだ。
 このシーンは分からず屋のスノーが素直になれた事を上手に表現している。そしてポリアンナの名台詞の通り、それを誰よりもミリーが喜んでいると言うこと。スノー夫人もミリーの気持ちを理解して娘に感謝するようになったこと…それはポリアンナの純粋な「心」によるものだ、その証である3つの鍋を絡めて上手にこの名シーンを描いた。原作でもこれほどの感動シーンに違いない、うんうん。
 何よりも最大の変化はスノー夫人が初めて他人の事を気遣ったのだ、自分にこんなに元気を与えてくれたポリアンナにパレーの怒りの鉄槌が落ちることを何よりも気にしていたに違いない。スノー夫人の登場はまだ二度目だが、こんなに変化するとは思えなかった。この変化を上手に再現したとも言えるだろう。
今回の
「よかった」
 今回は3回、うち一度はジミーの「よかった」である。なおダルギンが見つけた「よかった」は、教祖ポリアンナによると人の死がきっかけによる場合は「よかった」と思ってはいけないとの事なのでこの回数から除外している。でも「よかった探し」関連で一番印象に残っているのは、それを指摘されてナンシーにまで怒られたダルギンが、「よかった探しは難しいですね…」と呟きながら部屋から出て行くシーンだったりして…確かに難しいからね。 「よかった」の回数
感想  いや〜、こんな序盤から泣かされるなんて思っても見なかった。このスノー夫人の変化は涙無くては見られない、男も40近くなると涙もろくなってダメだ。いや、サブタイトルを見た瞬間から今回の展開は予想できたのだけど、それ以上の物を見せられたような気がしてたまらん。正直前半のジミーと城作りをしている話はどっかに吹っ飛んだし、チップマックがいなくなるシーンはすっかり忘れてたし。
 今回のポリアンナとスノー夫人の対決はもう素晴らしいの一言、スノー夫人が「頭が痛いから大きな声を出すな」と言えば「帰る」と反撃し、「昨日だったら歓迎した」と言えば「昨日の今日なら中くらい歓迎してくれるね」と反撃、「辛い嫌なことばかり」と言えばスノー夫人の「よかった」を見つけてそれを話せば…これはスノー夫人にとって核爆弾級の被害を受けたはずで、すっかりポリアンナのペースにはまり、その上で「よかった探し」を布教されてしまえばもうポリアンナの圧勝だろう。
 そしてポリアンナのペースにはまりつつある人物がもう一人、それはパレーである。ポリアンナの行動が不可解で、それを見せつけられるたびに頭痛を感じるパレーもポリアンナのペースに載せられつつあるのだろう。だが彼女はポリアンナのその行動原因である「よかった探し」の正体を知らない、彼女が「よかった探し」の存在を知った時にどう反応するのか、これもまた見どころであろう。

第13話「おば様はお気の毒」
名台詞 「だって、ドアをバタバタさせちゃう時ってそれだけの訳があるわ。とっても嬉しくてたまらない時には、どうしたって静かになんかしていられないはずですもの。それがちっともそんな気にならないっていうのは、嬉しいことが全然無かったって事でしょ? 私、おば様がそんな風に嬉しいことがなかったのが、お気の毒でたまらないの。本当におば様はお気の毒だわ。じゃ、おやすみなさ〜い。」
(ポリアンナ)
名台詞度
 今回の事件の最後、名場面欄シーンの後にポリアンナはパレーの顔をじっと見つめる。「人の顔をそんなに見るもんじゃない」とポリアンナに注意するが、ポリアンナはそれに構わず「おば様はドアをバタバタさせた事、いっぺんもおありにならないの?」と質問する。パレーが「当たり前でしょ」と答えると、ポリアンナは悲しい表情で「そうなの…おば様って本当にお気の毒だわ」と言う、いきなりそう言われて驚くパレーに向かってこの台詞を吐くとその返事も聞かずに立ち去ってしまうのだ。
 ポリアンナがこの台詞を吐いている時のパレーの表情に注目だ。ポリアンナから視線を逸らすような、なんか恥ずかしいような表情をするのだ。パレーに「何か」が起きてパレーが忘れたもの、それは素直に喜んで笑顔を作ることだったに違いない。この台詞で彼女はかつての自分は素直に喜んで笑える人間だった事を思い出し、それが恥ずかしかったのだろう。笑顔とは無縁の孤独で静かな生活、パレーはそれが自分の生きる道だと思っていたと考えられるのだ。
 ところが目の前にいる姪はそれを「気の毒」だと言った、普段のパレーなら自分の生き方が否定されたと感じて冷たい言葉のひとつをかけるところだろう。ところがこの時までにパレーの中で何かが変わっていたのだ、ポリアンナのように素直に喜び自然な笑顔を作ることで家の使用人達を味方に取り込んでいって、ついには自分が置いて行かれたように感じていた描写が前半にあるが、チップマック行方不明の一件を通じてこの笑顔のない孤独な暮らしに対する寂しさというものを初めて感じたに違いない。そして何事にも素直で直向きなポリアンナを見て、遂にチップマックを家に入れることまで許してしまう。また名場面欄のようなパレーの表情もこのような気持ちによるものだろう。
 嬉しいことに対して素直に喜ばず、嬉しいことすらも冷たくあしらって笑顔を拒否する生き方…その生き方に対して寂しさを感じ始めたところでこの台詞、この台詞の直後のミンチン先生の解説の通りとなるが、パレーが泣き出したい心境になったのはこのためだと思われる。その辛く寂しい生き方に対し、それを理解して同情してくれる人間が初めて現れたのだ。
 今までの自分の寂しい生き方は何だったのだろう? パレーはこの台詞を聞いてこう考えたはずなのだ。
(次点)「私、パレー様に交渉するわ。例えこの家を追い出されても、構うもんですか。パレー様にお願いするんだ、お嬢様のために。ええ、そうですとも。」(ナンシー)
…雨の中チップマックの看病をするポリアンナを見てナンシーが決意する、それは恐らく初めて主人に逆らうことになる決意だ。第5話で「ポリアンナの助けの岩になる」という決意を有言実行するシーンだ。ポリアンナのためならクビになったっていい、そのナンシーのポリアンナを思う直向きな台詞が現れていて気に入った。でも名台詞欄には負けた。
名場面 ポリアンナがパレーにお礼を言いに来る 名場面度
 チップマックを自室に入れると、ポリアンナはすぐに「おば様にお礼を言わなきゃ」とチップマックをナンシーに託して部屋を飛び出す。「おば様〜っ」と叫びながら扉を力一杯閉め、椅子を突き飛ばしながらパレーに抱きつくポリアンナ。「ありがとうおば様、私本当に嬉しいの、おば様はやっぱり親切なのね、私何てお礼を言ったらいいのかわからないくらいよ」と言いながらパレーに抱きつくポリアンナを見下ろし、見る見るうちに表情が解けて笑顔になるパレーの顔に注目だ。だがこの笑顔もほんの一瞬で、ポリアンナと目が合ったパレーはいつもの冷たい表情に戻る。「そんなに喜んでもらえば私も満足です」と冷たい声で本音が出た後、「ですがいくら嬉しいからと言って椅子をひっくり返したり、ドアをバタバタさせるような行儀の悪いことは謹んで貰わないと困ります」と冷酷に言う。だがポリアンナはあくまでも元気に明るく「はい、ごめんなさいおば様」と返事を返し、突き飛ばした椅子を元に戻して名台詞欄に続く。
 もうこのシーンの見どころはパレーが見せた初めての笑顔に尽きるだろう。義務だ義務だと言いつつもやはり姪のことが心配だったパレー、なんだかんだ言ってもポリアンナが身体を壊さないかと心配であり、そのポリアンナが元気でしかも自分が「特別に認めた事」が嬉しくてたまらない様子を見て自分も嬉しかったのである。つまりパレーの人間としての優しさをかいま見ることが出来るシーンだ。
 だって、本当に義務ならばチップマックは放っておいてポリアンナを引きずってでも家の中に入れれば良いだけのこと。パレーもポリアンナが万が一チップマックを失った場合の事を考えたに違いない。それでポリアンナが再起不能なほどの心の傷を負えば…自分の寂しさが露呈してしまうほどの現況が一瞬にして消えてしまう、パレーもそれを望まなかったのだろう。それがよく分かるシーンだ。
(次点)ナンシーの交渉
…名台詞次点欄の通り、ナンシーがチップマックをポリアンナの部屋に入れてやって欲しいとパレーに懇願する。最初はポリアンナの差し金かと感じたパレーだが、雨の中チップマックに寄り添うポリアンナと、側でそれを見守るトムの姿を見てパレーは表情を変え、ナンシーもポリアンナの直向きな姿勢に打たれて自らの意志で自分に交渉に来たと知る。チップマックはポリアンナにとって家族であり兄弟であると跪いて涙を流しながら訴えるナンシーに、遂にパレーがチップマックを入室させることを許す。このシーンはパレーがポリアンナに対しての態度を軟化させた最初のものとして視聴者の記憶に残るだろう。
今回の
「よかった」
 3回、うち1度は「ぬかよかった」になったが、ポリアンナが真実を知らない時点での「よかった」だから一応カウントに入れた。一番印象に残る「よかった」はなんと言ってもチップマックを部屋に入れることが許されとナンシーに告げられた時の「よかった」だ。この時のポリアンナの喜びも印象的だが、トムの表情も見逃せない。パレーの部屋の方を見て「ありがとうございます、パレー様」と呟く彼の姿も連動して印象に残った。 「よかった」の回数
感想  う〜ん、何処かで見たサブタイトルだなぁ。え〜と、「マーサおば様はお気の毒!」…このサブタイトルにびっくりマークいるか? じゃなくて「愛の若草物語」11話だ、この話もマーサが優しく素直なおば様になるきっかけの回だった。果たして「ポリアンナ物語」でも同じなのだろうか? 「世界名作劇場」シリーズでは「おば様」というのは最初は印象が悪くてなんかのきっかけで優しくなるのはお約束だからなぁ。
 で、本編を見ていたら何か見たことあるぞ。ティモシーが馬車で家へ急ぐ、その隣には風邪薬の瓶を持つジミー…え〜と、御者をピーターに変えてジミーをベッキーにしたらあら不思議、「小公女セーラ」35話「消えそうないのち」のワンシーンだ。なぁんてやってる場合じゃない。
 前回、チップマックが行方不明になって終わって、今回はチップマックを捜すだけのレベルの低い話になるのかなぁと思ったら、これまたどうして感動的な話に仕上げてきたじゃないか。パレーが自分の生活スタイルの寂しさに気付き、それをポリアンナに同情してもらうと主軸の展開もよかったが、そこに至るまでの展開もこれまたいい。特にナンシーの活躍は、主人への忠誠よりもポリアンナへの思いが優先されており、結果的にそれがポリアンナを病気にさせずに主人を安心させることになる行動なのだが、誰かに言われたり指摘されたりではなく自分の考えや正義に則って行動しているのがいいのだ。それで主人に逆らうことになるというのは自然だ。
 今回の主役は間違いなくパレーだと思う。チップマックはその引き立て役、ポリアンナですらパレーの気持ちに変化を生じさせる道具になってしまっているようにも見える。だが名台詞欄で挙げたポリアンナの台詞はまた「生きていて」いい台詞だ。

第14話「手鏡の思い出」
名台詞 「お母様、それなのに私、ジョンの娘を引き取りました。ハリントン家の当主としての義務と責任を果たすため、ただそれだけのために。でもお母様、私は今、なんだか酷い間違いをしているような、そんな気がして………。あの子は、お姉様そっくりだわ。」
(パレー)
名台詞度
 ポリアンナは自分の家から幸せを奪い、自分に家を守る義務と責任を押しつけた恨むべきジョンの娘でもある。パレーは後者の論理によってポリアンナを義務と責任だけで引き取り冷酷に扱った(この台詞の「それなのに」はジョンに対する恨みである)。ところが名場面欄の通り、ポリアンナに「母の形見」として自分に見せた手鏡によって自分の幼き日の記憶、愛していた姉の記憶とポリアンナが繋がり、ポリアンナは自分と血の繋がった人間であると実感した。ポリアンナは自分が大好きだった姉が遺したたったひとりの娘なのだ。姉が好きだったならば、愛情を注がなければならない可愛い姪の筈なのだ。
 そして手鏡によって姉の記憶が蘇ったことで思い知らされたことが、この台詞の最後にあるポリアンナの性格が母親似であると言う点。つまり姿形はともかく性格的に大好きだった姉の生き写しと言うべき人間が目の前にいるのだ。なのに自分はこの娘を冷酷に扱って良いのだろうか? パレーはこんな風に感じていたに違いない。
 自分の実の兄弟の甥っ子や姪っ子の何が可愛いって、やはり何処かに自分の愛する兄弟に似たところがあるからである。甥っ子や姪っ子のいる方はその辺りよくおわかりのことだろう。私も姪を見て性格的に妹にそっくりだと思って子供の頃の自分を思い出すし、私の兄も私の娘を見ては私の小さい頃を思い出すから可愛いというのだ。兄も妹も事あるごとにそう思う一瞬を私に言うし…今回のパレーはそんな体験を初めてし、ポリアンナに対しての愛情が生まれたのだろう。だからこそこれまでの冷酷な扱いが間違いだと気付いたのだ。それに気付くことを自分から吐露するという点で、ここまでではパレー一番の名台詞だと思う。
 そしてパレーがこの間違いに気付いた最初の改善は、ポリアンナを暗い屋根裏部屋から下ろして普通の部屋を与えることであった。最低限の義務や責任のために「置いておく」のではない、自分が愛情をもって育てようという方向に変わっていく…のかな?
名場面 屋根裏部屋にパレーが来たシーン 名場面度
 パレーは屋根裏の倉庫に保管している「白いショーツ」を取りに屋根裏に上がってきた、ちょうど自室から出ようとしたポリアンナが屋根裏への階段を上がってくるパレーを見つけ「おば様が自分の部屋に来てくれた」大喜び、パレーはポリアンナに部屋に押し込まれ、椅子を出される。この時のパレーが完全にポリアンナのペースに載せられているのがこれまた見物だ。そしてこの屋根裏部屋の良いところをお構いなしに語るポリアンナ、「カーテンも敷物も額もないのは悲しかったけど、この景色があれば額なんかいらない」というポリアンナの声を聞いて、パレーは表情を曇らせる。このシーンの注目どころだろう。
 そして部屋に大きな鏡がないがちゃんと鏡を持っていると言って、ポリアンナは「母の形見」だとしてあの手鏡をパレーに見せる。「まぁ、これは…」と小さな声を上げて驚くパレー、視聴者はあの手鏡はポリアンナの母が小さい頃から持っていたんだと瞬時で理解するだろう。驚きと懐かしさで固まるパレーと、パレーと手鏡を交互に見て驚くポリアンナの様子はどちらもいい。「おば様、この鏡をご存じなの?」「ええ、知ってますとも」と言いながらポリアンナから手鏡を受け取り、パレーは「よ〜く、覚えています」と独り言のように呟いて鏡に自分の顔を写す。そしてそのまま子供の頃の姉との思い出に浸ってしまうのだ。
 前々回までの冷たいパレーからは信じられないシーンだが、ここから始まるパレーの思い出はもっと信じられない。明るく素直で幸せに満ちた笑顔の可愛い少女がパレーだというのだから…それよりもこのシーンはパレーにとって重要なものだ。自分の小さい頃の記憶、少女時代の姉の記憶、明るく楽しく幸せに暮らしていた記憶…そんな古い自分と姉が育ってきた記憶とポリアンナが「手鏡」を通じて確かにひとつに繋がったのだ。パレーが「ポリアンナは間違いなく自分と血のつながりのある姪である」と実感した瞬間であっただろう、それまでのパレーはポリアンナが自分の姪だと頭で分かっていてもそれを実感できなかったから素直に愛情を注げず、義務と責任だけで家に置き、冷酷に接することが出来たのだ。
 そして名台詞欄の台詞に行くわけである。
今回の
「よかった」
 今回の「よかった」は3回としよう。屋根裏に服を取りに来ただけのパレーを自分の部屋にお客さんが来たと勘違いするポリアンナも、「よかった」の台詞こそは無いけどその後の言動を見ている限り明らかに「よかった」と思ったはずなので数に入れた。何と言っても屋根裏から下の部屋への移動を告げられたシーン、この時の「よかった」はこれまでに最高の喜び方をしている。ナンシーの喜びようも凄いが。 「よかった」の回数
感想  うをーーーーーーっ、気になるーーーーーーーーーーっ。パレーとペンデルトンはどんな関係なんだーーーーーーーーーーっ?
…って23年前に見た筈なんだけどね。すっかり忘れてる。何か推理小説を読んでいるような展開になってきて面白いぞ。今回の話でなんでパレーが義務義務と五月蠅いのか、そしてなんでああいう性格になっちゃったのか、なぜポリアンナの父を恨むのか、それらの謎が解けた。ひとつの謎が解けるとまた次の謎が出てくる…なんて面白いんだ。迷探偵コ○ンなんかよりこの推理ドラマは百倍楽しいぞ、しかも殺人事件は起きてない(笑)。
 実はポリアンナのあらすじサイトを見てもいまいちよく分からない点が多く、この作品なら色んなサイトであらすじや紹介を見ても新鮮な気持ちで見られると踏んだのだ。実は私、性格的に登場人物の相関図なんて見せられるともうそれで頭がおかしくなって目が拒否してしまう。そんなもので一目で早わかりより、やはり物語をキチンと見て理解した方が頭に入るのだ。パレーとチルトンの関係はわかりやすいし実は私も覚えていたのだが、このペンデルトンとの関係は今でも思い出せずにいるし、最近になって関連サイトを見てもいまいち理解できていなかったりするのだ。
 さて行くか、ダニーキターーーーーーっ!!!!!!! これで「わたしのアンネット」主役トリオは全員揃ったわけだ、マーチ姉妹はまだ一人足りないけど。鉄郎の幼少期の声がダニーだって、姉と鏡を巡って追いかけっこするまで気付かなかった。でポリアンナの母の幼少時代の声は…何処かで聞いた声なんだけど思い出せずスタッフロール見たらガートルード(一人二役のもう一人の方の声だが)だったのね、ジェニーとパレーの母は市長夫人だし…まさか「セーラ」の主要メンバーも揃える気なのか?

第15話「不思議な特効薬?」
名台詞 「どうしておじ様、急に黙っちゃったのかしら? パレーおば様やペンデルトンのおじ様のおっしゃることって、時々わかんなくなっちゃうのよね。本当に困っちゃうわ。」
(ポリアンナ)
名台詞度
 ペンデルトンのところへ見舞いに来たポリアンナだが、相手は自分がパレーの姪だと分かると急に黙り込んでしまい、ポリアンナはがっかりしてペンデルトン邸を後にする。その時、ペンデルトン邸の玄関でため息混じりに呟いた台詞だ。
 まずひとつに、この台詞は前話からの流れを象徴する物であるといっていいだろうという点、パレーの性格的な謎が解けてまた次の謎へと物語が進み、パレーの前ペンデルトンの話題をすれば大げさな反応で機嫌を損ね、またペンデルトンの前でパレーの話題が出れば同じ事になる。ひとつ分かるのはこの二人がただならぬ関係ではなかったという点、何かの間違いなのかそれとも何かが起きていたのかは分からないが互いに憎しみ合っていることであろう。視聴者もこの二人の関係がよく見えずにこのポリアンナの台詞に頷くところだ。ダルギンから「パレーには昔恋人がいた」という話題が出たことはあったが、これでパレーのかつての恋人がペンデルトンだったらそれは短絡的ていう事象を絵に描いたようなもので、このような推理小説を読むような展開の物語としては面白くなくなる。推理小説だって最初に一番クサイ人間を前面に押し出しておいて、意外なところから真犯人が出てきたりするから面白いのだ。実はこの話、本放送当時の記憶が少しあって当時の私はひねくれてそう予測したものだ。
 もうひとつがやっぱりポリアンナは無邪気なお子様だという点だ。これはもう私がここで細かく説明するまでもないだろう。。
名場面 ポリアンナが帰った後のペンデルトンとチルトン 名場面度
 ポリアンナがペンデルトン邸から去った後、ベッドの上のペンデルトンとチルトンが向かい合うシーンが出てくる。ペンデルトンはポリアンナがパレーの姪だと知っていて部屋へ通したチルトンを責める。グラタンを持ってきたポリアンナの気持ちを考えれば門前払いにするわけにはいかなかったとチルトンは語る。そしてチルトンはポリアンナがこの町に来てから多くの人に希望を与えていることを語るが、ペンデルトンはパレーの姪の顔なんか見たくないと怒鳴る。そして次のペンデルトンとチルトンのやり取りは視聴者は「えっ?」と思わせるだろう、「君は…君は平気なのか? 平気であの子と付き合えるのか?」「ペンデルトン、君や私がどう思おうとあの子はこの町にやって来たんだ。あの子は…ポリアンナはパレー・ハリントンとは違う。まるで小鳥のように町中を飛び回り、人々を驚かせたり喜ばせたりしているんだ…(町でのポリアンナの様子の回想シーン)…見ざる、言わざる、聞かざるというわけには行かないんだよ。あの子は君を慕っているんだ、無理に遠ざけることはない。それよりこの不思議な巡り合わせを…」その言葉にペンデルトンはチルトンに出て行くよう怒鳴り、一人にさせてくれと言う。
 とにかくこのシーンは、ペンデルトンとチルトンとパレーに何かしらの関係があることが読みとれる。いや、特に前々回からもチルトンの細かい表情を思い出せば、少なくともチルトンはポリアンナの母を知っている人物であろうことも推測できるだろう。ひょっとしてペンデルトンも?
 このような複雑な関係を視聴者に見せつけ、推理小説のような展開に持って行くための印象的なシーンだ。物語の人間関係は複雑化して行き、視聴者を強烈に物語に引き込むのだ。
今回の
「よかった」
 今回の「よかった」は4回。うち1度はポリアンナに「よかった探し」を布教されたペンデルトンが「よかった」を見つけて語る。もし自分がムカデだったら、50本も足を折っていたはずで折った足が1本で「よかった」と。それまでの堅物もポリアンナと出会うだけでここまで変わるのかと感心させられるシーンだ。 「よかった」の回数
感想  いや〜、難しい。この人達の関係はどうだったったけ? 上述したように前話でダルギンが「かつてパレーに恋人がいた」とした上でペンデルトンのこのような姿を出すことについては陽動作戦であることを本放送時に見抜いていた。ペンデルトンがパレーのかつての恋人と視聴者に誤解させて意外な展開に持って行くためであり、この罠に引っかかってペンデルトンがパレーの元恋人だと思えば後で違う展開になった時に驚けて楽しめるし、これを陽動作戦を見抜いたとしてもどんな展開でひっくり返すのか待つという楽しみ方が出来る。本当に推理小説のような展開になってきたな、これ。真犯人が最初から分かり切っていて、そのカラクリを解くどっかの名探偵○ナンなんか推理小説(本人曰く推理ショー)じゃない、ありゃマジックショーとして楽しむもんだと私は思っている(いずれにしろ子供向けじゃないと思う)。ま、鉄ヲタならタイトルを見ただけでカラクリが分かってしまう昔の西○京○郎(現在のは殺人事件小説付きガイドブックに過ぎない)なんていうのもあるが。いずれにしろそのレベルとは違う、本当の推理小説モノだと私は思うのだ。この難解な展開が強烈に視聴者を物語に引き込むとしたのは名場面欄に書いたとおり。
 ひょっとすると今回から新展開なのかも知れない。ここまでに出したペンデルトンやチルトンという人々と、パレーとの昔の関係に触れながらポリアンナがお得意の「よかった」爆弾でこの関係を修復するのだろう。その過程でパレーは優しい叔母になるに違いない、いやそんな展開だった記憶がかすかにある。え〜と、でも自動車事故があったよな。それはまだ先か。

第16話「怒らないで!おば様」
名台詞 「私もそう思いたんだが、どうやらそういうことが大切な人もいるらしいんでね。」
(チルトン)
名台詞度
 馬車にポリアンナを乗せてパレーの屋敷へ向かうチルトン。そのチルトンに対しポリアンナは、裁縫や音楽の稽古は生きているものではないと力説する。そしてパレーからそれは生きて行くことを覚えるためのものだとしたことをポリアンナが語ると、チルトンはパレーなら言いそうなことだと頷く。そしてポリアンナがそういうことが出来なくても生きることはちゃんと出来ると語ると、チルトンは暗い表情でこの台詞を言い、無口になってしまう。
 このチルトンの言葉の裏にあるものは何だろう? と多くの人が物語に引き込まれる台詞に違いない。これはチルトンの過去に深く密接しているのだ、このようなことを大切と考えているか、そうでないかという価値観の違いでチルトンは大事な人を失っているに違いないであろうことが容易に想像できる。そしてその経験とパレーやポリアンナの母が密接に関わっていることも確かだと視聴者は考えるであろう。
 前述の通り、これは「価値観」を強く訴える台詞であろう。たとえば習い事や成績にこだわる人、そうでない人、この価値観の違いは絶対に埋められないと言う事をも示唆しているのだ。だがここは天真爛漫なポリアンナのこと、将来的にはなんとかしてしまうんだろうな。
名場面 パレーの髪をとくポリアンナ 名場面度
 雨に濡れて乱れたパレーの髪型、ここにポリアンナはパレーの髪がとてもきれいなカールだと知って何が何でもパレーの髪をとくと言い張り、決めたら嫌がるパレーを無理矢理引っ張ってパレーをきれいに飾る。その間、パレーは鏡に映った自分を見てうっとりしたり、着飾りが完成すると窓ガラスに映った自分の姿を見て思わず微笑む。だがパレーの笑顔はここまでだった。窓の向こうに馬車で近付く人影、それはチルトンだったのである。
 パレーは「他人に見られた」事を恥ずかしがり、ポリアンナを怒鳴ったとしているが、敏感な視聴者はもうそこに来た「人物」そのものが問題であることに気付いているだろう。子供に乗せられて着飾った自分の姿を、事もあろうにチルトンという人物に見られたことが問題なのだ。
 このシーンの合間にパレーの若き日の回想があるが、ここでピアノを弾くパレーに寄り添う男がチルトンであることは敏感な人には理解できる一瞬でもあるだろう(当時の私は鈍感だったが)。かつて確執があって以来不仲で、現在もその確執が現在進行形なのはペンデルトンとパレーではなくチルトンとパレーだと敏感な人はここで分かるはず(何度もいうが当時の私は鈍感だった)。
 そしてラストシーン、パレーがポリアンナに吐き捨てるようにペンデルトンのところへ勝手に行けばいいと言ったのは、ペンデルトンに対する怒りではなくチルトンがのうのうとこの屋敷に来たことに対する怒りに違いない。うん、そうだ。こうして物語は「誰と誰が本当に不仲か?」という問題から、その関係や確執の中身へと移行する。
 で、ペンデルトンとパレーの関係が思い出せない…
今回の
「よかった」
 1回、ポリアンナが部屋が変わって初めて自分の部屋へ戻り、自室が屋根裏でない立派な部屋に変わっていたことを初めて実感した1回。今回のポリアンナはパレーの感情の起伏に振り回されて、思うように「よかった」を見つけられなかったもよう。 「よかった」の回数
感想  パレー、着飾ったら美人だな〜。
 「怒らないで!おば様」というサブタイトルに相応しくない話がラストの5分前まで続くからどうなるのだろうと思った。そう、ラストのパレーの怒りのシーンは23年の時を越えてなぜか覚えてる。着飾った姿を「他人に見られた」のが問題でなくて「チルトンに見られた」ことが問題であることは、確か物語をずっと追っていけば分かるんだよな…。
 今回のポリアンナのペースにまんまははまったパレーの表情がたまらなくいい。最後に感情任せに怒るシーンへの変貌もこれまたいい。パレーがペンデルトンの見舞いの件で怒り、婦人会の件で怒り、その都度ポリアンナが上手にパレーの怒りを鎮めていただけに最後のパレーの大噴火は本当に印象に残るシーンに仕上がっていると思う。これまでパレーの攻撃を「よかった爆弾」でうまく交わしていたポリアンナも今回ばかりは被害甚大…って次見るとそうでもなかったりするんだな、このアニメ。

第17話「チルトン先生大好き!」
名台詞 「君はねぇ、僕の寂しさを紛らわせてくれる。いや、それだけじゃない(中略)…僕はねぇポリアンナ、一番はじめに君の身の上を聞いた時、そして君の名前を知った時、君には来てもらいたくないと思った。二度と顔を見たくないと思ったんだ。君は僕が長年かかって忘れようとしていることを思い出させるから。だから、チルトンが君を連れてくると言った時も私は断った。冗談じゃないと怒った。だが、その後で僕は君に会いたがっている自分に気が付いた。僕が忘れよう忘れようとしていることは、君を見ないでさえいれば忘れられるような、簡単なものじゃなかった。それどころか、君を見なければ見ないほど、なおさら思い出してしまうことに気が付いたんだ。今では僕は君に来てもらいたいと思っている。君をしょっちゅう見たいと思っている。来てくれるね、ポリアンナ。」
(ペンデルトン)
名台詞度
 ペンデルトンを見舞いに来たポリアンナを、チルトンが迎えに来た。ペンデルトンはチルトンに外で少し待つように伝え、ポリアンナを自分のベッドに座らせる。そしてポリアンナに単刀直入で「毎日来て欲しい」とお願いする。「私、いろいろとやることがあるから…」と断ろうとするポリアンナの手を握り、ペンデルトンが一気にこの長い台詞を言うのだ。
 この台詞だけでなく、ポリアンナの見舞いシーンにはペンデルトンの孤独が表現されている。昔、「何か」が起きてそれを忘れようとこの街を出て行こうとしたこと、そして世界中を歩き回ったこと、その上でまたこの街に戻ってきたこと、街に戻ってきたら街の誰とも関わりを持たないようになったことなど。ポリアンナはそのうちどのくらいを理解できたが分からないが、ようやくペンデルトンの「過去」がひとつ語られたことで、この男がなぜ孤独に生きる道を選んだのかと経緯が分かった。
 その上でペンデルトンはポリアンナにこの台詞を言うのだ。つまりペンデルトンはポリアンナによって孤独に生きることの寂しさ、辛さをまざまざと見せつけられるかたちになったのだ。そして自分に起きた事件を忘れるために、誰とも関わりを持たず孤独の道を選んだはずなのに、その孤独こそが過去の古傷を思い出させる原因になっていると初めて気付いたのだ。恐らくその「事件」にはパレーやポリアンナの両親が関わっているのだろう、だからこそこの紳士はその血のつながりがある人物とは関わりたくなかったはずなのだ。だがポリアンナとおしゃべりしているとあの古傷を忘れる自分に気付き、古傷を封印するのでなく精算すべきと考えたのかも知れない。
 ペンデルトンはポリアンナについて、純粋にそこにいて欲しいだけなのか、それともパレーとの過去を清算して和解する糸口にしようとしているのかまだこの時点では判断が付かない。だがポリアンナの存在によってこの紳士の中で何かが変わったのは確かなのだ。
名場面 チルトンの診療所にて 名場面度
 ポリアンナがチルトンの診療所へ行くと、ちょうど一人の夫人が診察に訪れているところだった。この夫人が帰るとチルトンはこの夫人について語る。この夫人の過去を話して「悲しい話だなぁ」と表情を曇らせるチルトン、半べそで話を聞くポリアンナ。
 そして唐突に「私はお医者様って、いちばんうれしいお仕事だと思います」と手を組みながら語るポリアンナ、「こんなにいつも苦しんでいる人を見ている仕事が嬉しいなんて…」と横を向くチルトンに、「先生はお医者様のお仕事お嫌なの?」とポリアンナの攻撃が始まる。「いや、とんでもない」と交わすチルトンに、「でも先生はたくさんの人たちを助けていらっしゃるでしょ? 私、ベントンさんが喜んでいらっしゃるのを見ていたら、本当によかったって思ったの。先生だってああいう時はお医者様でよかったってお思いになるでしょ?」ととどめの一撃を食らわす。「確かに病気が治ったり、命が助かったりした時はよかったと思うよ」とチルトンが言えば「ほ〜ら、やっぱり一番嬉しいお仕事だわ」とポリアンナが弾んで言う。「私チルトン先生がお医者様で本当に良かったわ」と言ってチルトンに抱きつくポリアンナは、続いて「チルトン先生だ〜い好き!」と言ってキスをする。
 この時のチルトンの笑顔を見れば、チルトンがこのやり取りでどれだけ癒されたかという事は言うまでもないだろう。解説すべき事はミンチン先生がみんな解説してしまっている。チルトンも名台詞欄のペンデルトンのように、自分の辛さや苦しさをこの少女が解放してくれるに違いないと思ったのだ。
今回の
「よかった」
 前回の少なさから一転して5回、本当は6回だがポリアンナがベントン夫人の娘さんの話を聞いた時の「よかった」は、まさかその娘さんが亡くなって診察しなくなったとは思わなかったので12話でのルールを適用して除外した。今回はペンデルトンだけでなくハロルドまでも「よかった」を見つけてる。「よかった探し」布教活動は順調だ。 「よかった」の回数
感想  もうペンデルトンの台詞は、「わたしのアンネット」のペギンの台詞のように子供の理解を超えてるな。ま、そういう難しい話が出てくる辺りがこの時代の「世界名作劇場」シリーズの良いところだと今は思う。さらに子供から見たら複雑なのは、ペギンの時はペギンが過去にどんなことをやってしまったのかという点が同時に語られていたが、ペンデルトンの場合はその過去の事件についてまだ語られていない。ペンデルトンとパレーとの関係を徹底的に隠す気だな、で二人の間にどんな事件があったんだっけ?
 このサイトの読者の皆様、気を遣ってネタバレなんてやらないでくださいね。ジミーが心を込めて作った木彫りをナンシーが破壊するとか(笑)言わなくていいですからね。
 今回はパレーの出番があまり無かったな。前回の美しいパレーを見せられたら気にしてしまうじゃないか。

第18話「ペンデルトンの謎」
名台詞 「あのう、パレー様。子供が熱を出すというのはよくある事でして、他に吐き気も痛むところもなければ、そっとして様子をみた方がよろしいかと思いますが。いいえ、私たちは親からこんな場合には下手に強い薬を使って胃を壊すより、消化の良いものを食べさせて安静にするのが良いって、教えられてまいったんでございます。ですから…」
(ダルギン)
名台詞度
 高熱で倒れたポリアンナの事を知り、パレーはダルギンとナンシーがすぐに医者を呼ばなかったことを窘める。その冷たい言葉に今度はダルギンが反論したのがこの台詞である。この台詞の前半を聞いてパレーは言い訳するなと反応するが、ダルギンはそれにもめげずに医者を呼ばなかった自分の判断理由について語る。そしてパレーはダルギンの言い分を理解し、翌日まで様子をみてから医者を呼ぶことにしたのだ。
 小児用の薬が豊富な現在ならともかく、当時ならばこのような判断は的確ではないかと思う。特に子供というのは消化吸収が良いから、薬だってどんどん吸収してしまう。当時は大人も子供も同じ薬だったと思うので、それが子供にとって良いはずはないのだ。このような当時の常識が子育て経験のないパレーが知らないのは無理もないことだし、子供というのがすぐに熱を出すという事実自体を知らなくても仕方はないだろう。パレーが取ろうとした医者を呼べば万全という対応は、当時の子供に於いては必ずしも的確ではなく、ダルギンはポリアンナの事を最優先させて珍しく主人に反論した貴重な台詞なのだ。
 この台詞とそれに対応してすぐに態度を変えたパレーを見ていると、パレーと言うのは案外物わかりが良い性格であることが見て取れるだろう。本当の頑固者なら何が何でも医者を呼んだはずであって、パレーは冷酷でありつつも常にその場の最良の意見を取り入れるだけの人格の持ち主なのだ。
名場面 ポリアンナとジミーとペンデルトン 名場面度
 ジミーがペンデルトン所有の森に勝手に城(正しくは小屋)を建ててしまった事を心配したため、ポリアンナはジミーを連れてペンデルトンを見舞うことにする。ジミーはペンデルトン邸の様子に最初は怖がるものの、実際にペンデルトンに会って小屋の件を承諾してもらえて心よりほっとする。
 3人は会話の後、窓辺にあるプリズムが綺麗な虹色の反射を作っていることに気付く。ペンデルトンのひらめきでこの反射を部屋一杯に広げるだけのシーンなのだが、これがどうして見ているだけで楽しそうなシーンに仕上がっているではないか…まったく、虹色に光るペンデルトン、気持ち悪かったぞ。
 同時にこのシーンはパレーが心を完全に閉ざしてしまっている人物であることがポリアンナ達にも示されるシーンである。ポリアンナがパレーにもこの虹を見せれば喜ぶはずだというと、ペンデルトンは暗い表情でパレーを喜ばせるにはこれっぽっちのプリズムでは無理だと言い切る。ペンデルトンはパレーが心に受けた傷を理解した上でこう言っているのに違いない。いよいよここからペンデルトンとパレーの関係の謎説きに入る…のか?
今回の
「よかった」
 2回しかなかった。ジミーのほったて小屋が完成して二人で喜ぶシーン、この時にポリアンナに抱きつかれたジミーは幸せ者だと言うことで。もうひとつはポリアンナがお医者が呼ばれる前に治ったことについて。「よかった」という台詞はないがそう感じていたに違いないことは本人の台詞を聞いていればわかる。 「よかった」の回数
感想  ジミーが高熱で倒れたポリアンナを背負って帰ってきたとき、「トムじいさ〜ん」と呼んだ後「その草刈り鎌使わせて下さい!」と言いそうで怖かった。ダメだ、アンネットの次に見るとこういう些細なところで笑えてしまう。
 それに高熱を出してかすれ声のポリアンナの声、誰かに似ているなーと思ったら貧ちゃん(本名「貧乏神」 「おじゃる丸」より)が風邪引いたときの声にそっくりだった。ポリアンナの中の人と貧ちゃんの中の人で声質が似ているなーと前々から思っていたけど。そんな余計な話はどうでもいいや。
 さて、今回のどの辺りが「ペンデルトンの謎」なのか小一時間話を聞かせてもらおうか。ひょっとして最後のナンシーが勝手に勘違い(だろ?やっぱ)している辺りのことをさしてこのサブタイトルにしたのかなぁ? これでナンシーがいきなり正しい推理を言い出したら、ここまでの推理小説のような展開は何だったんだ!と小一時間暴れてやるっ。ここでのナンシーの役目は、ここで多くの人が潜在的に勘違いしているであろうパレーとペンデルトンの関係を口に出してしまって、視聴者を攪乱することにあるとしか見えないのだ。一度視聴者に別の人間を真犯人と疑わせてから、後で本命が登場するというのはこの手の物語の常套手段だからね。王はあくまでもチルトンであって、ペンデルトンは飛車なんだろう?
 ただペンデルトンもパレーとは関わりが深く、私の記憶ではパレーが心を閉ざしたのはペンデルトンが理由だった記憶があるのだが…まだ思い出せない…。

第19話「驚くべき秘密」
名台詞 「いいか、ナンシー。今後そのことを口にしたら、わしが許さん。万一また妙な噂が立ったら、パレー様を傷つけることになるんだ。いや、パレー様だけではない。ポリアンナお嬢様までがどんな思いをなさるか、それを忘れてはいかんのだ。」
(トム)
名台詞度
 パレーのかつての恋人がペンデルトンであると勝手に勘違いをし、それをティモシーに語るナンシーにトムが厳しく言う。どんなことであろうと主人が触れて欲しくない部分に触れてはならぬと。ティモシーはここだけの話だから…と言い訳をし、ナンシーはペンデルトンでなきゃ誰なんだ?というようなツッコミを入れる。この二人にトムが長年パレーに仕えているという威厳を持ってこの台詞を言うのだ。
 無論、問題の行動をした人物はナンシーであり、続いてこれを咎めなかったティモシーであろう。ナンシーは主人のプライバシーに触れる話題を同じ下働きの同僚に面白おかしく語ったのだから、しかもその内容は勝手な想像でしかなく、物語を見て行けば分かることだが間違いでもある。本人に聞いた確かな話ならともかく、自分が状況証拠だけで勝手に推察した話を触れ回るという点でナンシーの過失は大きすぎるのだ。また話を面白おかしく聞いていたティモシーも同罪だ。
 パレーがかつての恋人の事を話さないのは、それは誰にも触れて欲しくないからであり、下働きとしてはこれは当然のこと。だがこのトムの説教はそれ以上のものが込められているのは明白だ、このような勝手な噂話が先行してパレーが傷ついた過去を示唆するものであり、またナンシーの「ペンデルトンはパレーの昔の恋人である」という推理が間違いであることも予感させる。いや、実際はどうあれこの台詞を境に多くの視聴者はそう感じ、そのナンシーの推理通りの勘違いをしているポリアンナのストーリー展開が気になり始めるという、まさに推理小説のような展開を見せるのだ。
名場面 ペンデルトンの告白 名場面度
 ポリアンナが自分とパレーが恋人同士だったと勘違いしていることを知ったペンデルトンは、チルトンを使ってポリアンナを呼び出す。ポリアンナが事実を知って傷つくことになってもその勘違いを訂正しなければならないと感じたのだ。名台詞欄に挙げたトムの台詞を含めて考えると、恐らくこの勘違いを放置しておくことで一番傷つくのは実はパレーなのかも知れない。
 その勘違いである旨をどう告げたのかはアニメでは描かれていない。ペンデルトン邸の庭で「え〜!? パレーおば様じゃないの?」というポリアンナの叫び声でこのシーンは始まるのである。そしてペンデルトンはこの事実について話す気は無かったが、一晩中考えた結果ポリアンナの勘違いをそのままにしておけないと全て話すことにしたことを打ち明ける。例えそれが、ポリアンナにとってどんなにショッキングな話だとしても…。
 ここまで来たら多くの視聴者がテレビの画面へ一歩前進して見入るだろう。「さあ、ペンデルトンはパレーとどんな関係なんだ…?」と、いよいよここまでさんざん引っ張ってきた謎がひとつ解けるのである。「僕がずっと以前に求めていたのは、パレーさんの手と心じゃない。君のお母さんの手と心なんだ。」…キター!!!!! やっとペンデルトンの過去とポリアンナがひとつに繋がった。今回の中盤でペンデルトンがポリアンナを引き取りたいと言ったのもそういう理由か…。
 驚いて立ち尽くすポリアンナは「…私のお母さんの?」とペンデルトンに尋ねる。「ああ、僕は君のお母さんを、ジェニーを愛していたんだよ。」と子供相手に過去の恋人への思いを語るペンデルトン、まだポリアンナは何が起きているのかよくわからず、「私の…私のお母さんを?」と口に出す。そしてペンデルトンとポリアンナが向かい合っている姿で物語は終わる。
 これでひとつ謎が解けた。なぜペンデルトンはポリアンナの素性を知って二度と会いたくないと言ったのか、ポリアンナを見ていると忘れようとしていたことを思い出すのか、なのに何であんなポリアンナに会いたがるのか…これらの部分の謎が解ける重要なシーンだ。
 だがこのシーンを見てペンデルトンの謎が全て解けたと勘違いしてはいけない。勘の良い視聴者なら逆に謎は増えたことだろう、それは何でパレーとペンデルトンが互いに憎しみ合っているのかという部分である。ペンデルトンがポリアンナの母親とかつて恋仲にあり、ペンデルトンが一方的に捨てられた(他の男と逃亡)からといってそれがパレーとの不仲とはどう考えても繋がらない。別に二人は単なるご近所同士として普通に付き合っていても問題ないはずなのだ。つまりペンデルトンが誰と恋仲だったのかという論理とは別のところに、パレーとペンデルトンの不仲の理由が隠されているのだ。これにチルトンが絡んでくると言う事実も容易に想像できるだろう。
 こうして一つの謎が解放されるとまた新たな謎という壁が現れる。本当にこの物語は推理小説のような楽しい物語で見ていて飽きない。
今回の
「よかった」
 今回は4回、ポリアンナはようやくジミーにも「よかった探し」を布教し、ジミーは早速見つけた「よかった」もこの数に入っている。ペンデルトンの「よかった」は以前ポリアンナが見つけた事を再確認しているだけなので数に入れてない。今回のポリアンナは勘違いによる「よかった」だが、その自覚がないのでそのまま数に入れた。 「よかった」の回数
感想  前回のサブタイトルが少しがっかりだったので、今回の「驚くべき秘密」というサブタイトルにあまり期待しないで見ていたら…驚いた。ペンデルトンが恋していた女性がポリアンナの母ジェニーだったという事実は、多くの視聴者にとっても衝撃の事実だっただろう。サブタイトルに偽りなしという展開だ。
 序盤の展開ではナンシーが勘違いをするが、前回のラストとは違いこれがナンシーの勘違いであると分からせるだけの細かい演出がなされている。ポリアンナが最初はそれを素直に信じないことを皮切りに、トムの台詞にポリアンナから聞かされたペンデルトンの態度、これら全てが視聴者に「ナンシーの推理は間違い」とささやかながら訴えている。そのせいで中盤までに多くの視聴者がナンシーの推理が違うと感じ、その間違った情報のまま物語がトントン拍子に進んで行くという展開に視聴者はハラハラさせられることだろう。本当に面白く作ってある。
 それと今回、突然出てきたのは町を走り回る自動車だ。まさに「思い出したかのように」というのはこう言うことを言うのだろう。原作を知らない人や初めて見る人にはこの自動車が今後の展開を大きく変えて行くとは想像すらつかないだろう、23年前の私のように。ただああいう展開になるなら、最初から出しておけよと思った。
 まも、さしあたっての楽しみはこれからどうやってここまでに出てきた謎が解けるのか? しばらくは目の離せない展開になりそうだ。

第20話「危ない!ポリアンナ」
名台詞 「ところが、こればっかりは待っていれば必ず手に入るってものでもないんだよ。何しろ相手の気持ち次第だからね。」
(チルトン)
名台詞度
 町にいたポリアンナをまたパレーの屋敷まで送るチルトン、チルトンはペンデルトンとポリアンナの母の関係について、ポリアンナが知ったことをここで知る。ポリアンナが「パレーおば様じゃなかった」ことにがっかりし、さらにペンデルトンが女の人の愛を求めていること、そしてチルトンもそれが欲しいから一人でいるのかと問う。チルトンが「そうかも知れない」と答えると、ポリアンナは「先生なら大丈夫と思う」と言うが、それに対してのチルトンの返事がこれだ。
 この台詞を聞いてひとつ決定的になることがあるだろう、ペンデルトンがかつて経験したような失恋をこのチルトンも経験しているであろうことだ。だからこそ女の人の愛というのは待っていれば必ず手に入るものではないも、相手の気持ちがこっちへ向かなければどうにもならないと言うことを知っているのだ。ではチルトンの恋仲の相手は誰だ?と勘の良い視聴者ならここでハッとすることだろう。チルトンが独身である(妻が居る様子はない)という事はその人のことを今でも待ち続けているであろう事が容易に想像できる台詞でもあるのだ。
 ポリアンナがこの台詞に続いて「家庭を作るってとっても難しい事なのね」と呟くが、それは今かなり身にしみてる…。
名場面 ポリアンナの自動車事故 名場面度
 ここで出てきた、サブタイトルを見て「今回かな?」と思っていたらやっぱりこの回だった。23年の時を経て内容や物語の展開の大半を忘れていた「愛少女ポリアンナ物語」、その中で唯一ハッキリと覚えている(おぼろげな記憶は別にする)シーンが今回当欄で挙げたポリアンナが自動車にはねられるシーンである。このシーンの衝撃度は、「世界名作劇場」シリーズでは「わたしのアンネット」13話のダニー転落シーンに次ぐものである。しかもダニーの場合は主要キャラではあるが主人公ではない登場人物の事故であったが、この「ポリアンナ物語」では堂々と主人公がこのような事故に遭うので当時は本当に驚いた。物語が平穏に、そして確実に謎をひとつひとつ解きながらテンポ良く進んでいて、視聴者の多くがこの展開のまま行くと感じて多少マンネリを感じ始めたところで、一気にこの事故で話をひっくり返すのである。
 「ジミーの素性が分かればペンデルトンに引き取ってもらえるかも知れない」という勘違いで孤児院へ走るポリアンナは、街中で怪我をして動けなくなった小鳥を見つける。この小鳥の介抱をしていると前回から突然画面に現れた暴走車両がポリアンナ目指して突進してくる。「いかにも」って角度で映し出される車輪はまさにポリアンナの運命を暗示しているものであっただろう。「ポリアンナ!危ない!」というジミーの絶叫に続き、ハンドルを切って、サイドブレーキ→フットブレーキの順で自動車を急停止させようと試みるドライバーの姿が映るが、この操作がなかなかリアルで丁寧に描かれていてこの緊迫感溢れるシーンをさらに臨場感溢れるものに仕上げている。そしてドリフト状態でポリアンナに迫る自動車、ポリアンナの悲鳴、思わず目を閉じるジミーと激突音…そして沈黙。
 13秒間の沈黙を経てBGMが静かに流れ出す、その間に事故直後の様子を診て震えるジミーや倒れて頭から血を流すポリアンナの姿が印象的に映し出される。「ポリアンナ!」と絶叫を上げてジミーは駆け寄るが、このジミーの事故を見て震える様子やここでの絶叫はアンやルシエンを経て腕を磨いたこの声優さんの名演だと思う。そして倒れて頭から血を流し気を失うポリアンナのアップで物語は終わる。
 やっぱこのシーンを23年前に最初に見たときの衝撃はなかった。でこの先の物語の展開についていろいろ考えたもんだ、ルーシーみたいに記憶喪失になるとか、ダニーみたいに歩けなくなるとか。いずれにしろこの事故が既にこんがらがっているパレーとペンデルトンやチルトンとの関係や、ジミーの処遇について等が一気に回り出すきっかけになろうことは冷静に見ていれば容易に想像は出来るはずだが、自動車にはねられるという衝撃がそんな想像すらも吹っ飛ばしてしまうのだ。
今回の
「よかった」
 5回も来た。「自動車事故」というこの物語を象徴する重大イベントを前に放出した感もある。どう考えたって今後のポリアンナは簡単には「よかった」を見つけられなくなるはずだから。今回のうち1度はペンデルトンがポリアンナに出会ったことで「生きていてよかった」とハッキリ告白している点も含めた。また「よかった」の台詞はないがナンシーが迎えに来た理由を語った時も「よかった」だろう。中でも自分の代わりにジミーを引き取ってもらえばと思いつき、ベッドの上ではしゃぐポリアンナの「よかった」は印象的だ。また橋の上でのナンシーとの「よかった」シーンは、ポリアンナが跳んだり跳ねたりするシーンとして後になってじわじわと来るんだろうな…。 「よかった」の回数
感想  やっぱり今回は最後の交通事故に尽きる。ここまでの展開をあの衝撃の事故シーンが全て吹っ飛ばしてくれる。前述したとおり本放送時の視聴で唯一ハッキリと記憶しているシーンで、当時は「死んだ…訳ないよな…」と思って見ていた記憶がある。いずれにしてもこれは何らかの大怪我をしてここまでの流れを一気に変えてしまうものだということはハッキリした。
 それと今回のもう一つの印象はペンデルトンが我が儘すぎるって事。いくらポリアンナを家に置いておきたいと言ってもそう簡単な話じゃないはずだし、なによりもポリアンナの気持ちを無視し続けているところもちょっと…た。かつての恋人は間違いなく草葉の陰で悲しんでるぞ。ただポリアンナが理解できなかったこととして、ペンデルトンが欲しいのは「ポリアンナ」であって「子供」ではない点を描いたのは芸が細かくて良いと思う。これが次の悲劇を生み出すように素晴らしく計算され尽くされているのだ。
 しかし、傘を持ってポリアンナを迎えに行くように言ったパレーに反射的にナンシーが反論してしまっているのが面白い。ポリアンナの事を気づかって言っているのに反論しちゃうのはあれはもう癖みたいなもんだな。それほどナンシーにとってパレーは冷酷に見えていたという査証でもあろう。そういう見方をするとナンシーというのはとても正直な人間なんだとこの話を見て感じてしまう。

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