第50話「ボクがジェミーだ!」 |
名台詞 |
「お姉様、ポリアンナとジミーの言う通りよ。それがみんなにとって一番いい方法だわ。ジェミー・ケントは、ジミー・ペンデルトンとして、幸せに暮らしているんですもの。」
(デラ) |
名台詞度
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後半のジミーの正体をカリウに告白すると同時に、ジミーの決断をもカリウに告げるという重大なシーンにおいて、一番美味しいところを持って行ったのはデラのこの台詞だと思う。ジミーがなぜペンデルトンの元から離れられないのか?
と問えばそれはジミーが幸せな生活を送っているからである。その論理や「幸せ」という言葉を出さずに話が進んでいる以上、誰かがカリウに「今のジミーは幸せだ」と突きつける役がこのシーンでは一番美味しいのである。その役を誰が取るのかと思って見ていたら、ここまで静観を決めていたデラが突然立ち上がって言うことになるとは。カリウが「現在のジミーは幸せである」と認識し、その上で自分が連れ帰るよりもここにいた方が幸せだと判断し、その幸せを守るためには自分がどうすべきかを理解し、身を引くことを最終的に決断させたのはこの台詞なのだ。現にカリウは全てを理解して納得する台詞を吐くことになるが、それはこの台詞への返答として語られることになる。
さらにデラは、甥が立派に「他人の痛みが分かる人間」として成長したのを誰よりも喜んでいたに違いない。その気持ちがカリウにも通じたと見るべきだろう。 |
(次点)「でも…でも、どうしてカリウおば様に隠さなきゃいけないの? カリウおば様に本当のこと言って、ここにいちゃ、どうしていけないの?」(ポリアンナ)
…ポリアンナが下記名場面シーンにおける視聴者の気持ちを見事に代弁する。画面に向かって思わず「激しく同意」って言っちまったぜ。 |
名場面 |
ジミーの決断 |
名場面度
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外へ出ていま知った衝撃の事実についてさんざん悩んだジミーは、ポリアンナからペンデルトンが「ジェミーの手術をする方法はいくらでもある」と言った事実と、ペンデルトンがまた一人になってしまうが本人がジミーの幸せを願っているという事実を知らさせる。そしてハッキリした決断を持って馬を走らせて帰宅する。
そのジミーの決断とはカリウの元には行かずにペンデルトンとの生活を続けることであった。よく考えろというペンデルトンに対してよく考えた上でのペンデルトンとの生活を取ったと力説するジミー、さらにペンデルトンは説得するがジミーは「この書類さえ出さなければ僕がジェミーだって分からない」と言い切る。だが今度はポリアンナがこの事実をカリウに隠しておけないと告げる。
さらにペンデルトンはカリウの家がどれだけ由緒正しく大金持ちなのかを語るが、ジミーは父が苦労したことと、その父に他人の痛みが分かる人間になれと言われ続けていた事を語る。だからこそボストンに行かなくても父は許してくれるはずで、自分はこの家にいたいと涙ながらに語る。さすがにこの台詞にペンデルトンは耐えきれなくなり、涙を流してジミーを抱きしめる。感動の抱擁だ、パレーももらい泣きをする。
ジミーのこの決断は単にジミーがどうすればみんなが幸せになれるかを考えたと言うだけではない、前話名台詞欄にあるペンデルトンの思いに対しての返答でもあるのだ。ジミーはこのベルディングスビルでポリアンナとの日々が楽しいだけではなく、理由はどうあれどこの誰かもよく分からないような自分を引き取って育ててくれている恩は忘れていないのだ。それだけではない、ジミーにとってこの養父との生活は何事にも代えられないほど楽しく「自分の幸せ」と認識しているのである。ジミーは「息子を失ったとしても、その息子がそれで幸せになるならば…」というペンデルトンの愛情をしっかり受け取り、それに対する返答としてもカリウの元に行かないという決断をしたのだ。 |
今回の
「よかった」 |
2回、2度目の「よかった」はポリアンナとジミーがお互いに巡り会えたことを「よかった」と認識し合うという、ここまでで一番印象に残った「よかった」だ。やっぱこの二人、もっと年齢が上で恋人同士で決定だろ? |
「よかった」の回数
2 |
感想 |
これ、本当にあと1話で終われるの?
前話を受けてジミー=ジェミーという事実をカリウに告げるかどうかひたすら悩むだけで前半を費やす。ジミーの苦悩はもっともだ、自分の正体をカリウに明かせばカリウによってボストンに連れて行かれるのは明白だし、そうなればジェミーだけでなくどこの誰なのかも分からぬ自分を引き取ってくれた養父ペンデルトンをも傷つけることになり、これはジミーだけでなくポリアンナにとっても望むべき結果ではない。自分は正体を隠してでもペンデルトンと暮らすべきという結論を得るために半話も費やすとは思わなかった。どう考えてもその結論が前話の感想欄に書いたとおりにみんなが幸せになる展開だから。
そのジミーの義理と人情の板挟み、ペンデルトンの息子を失いたくないという思い、ポリアンナとパレーの何とかしたいという思いの交錯は上手く描かれたとは思う。それに後半はジミーの正体を知ったカリウの衝撃だけではなく、甥がしっかりと幸せを掴んで生き続けているという事実との板挟みにもなるのだ。だがポリアンナによって性格改造をされてしまったカリウだ、登場したての頃のカリウならば引きずってでもジミーを連れ帰ったに違いないが、今のカリウは「甥の幸せ」をしっかりと認識した上でジミーを連れ帰ることを諦める。ま、ジミーがポストンへ行かないと言い出した件についてペンデルトンの差し金だと疑うのは「おやくそく」だろう。
で、まぁ前話からジェミーとサディがハリントン邸を探検したいと言い続けていたのはこういう伏線だったわけだ。もうジミーが真実を告げに来たとき、ジェミーがいつ来るかいつ来るか気になって本筋の方に身が入らなかったぞ。BGMもそれを意識したものになっているし…この作りは視聴者から言わせると気が散るので失敗だと思う。ここは二人が前話から2話に及ぶ伏線でもって部屋に突入するのでなく、もっと自然に外に遊びに行ったとかに出来なかったものだろうか?
その上で「来るぞ来るぞ」的なシーンは一切なし、BGMも感動の叔母と甥の再会を演出する物にして欲しかったな〜。
で、あと1話で終われるの? 終わるとすればジミーの正体を知ったジェミーのショックは案外あっけなく解決するのかも…? |