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・「ポリアンナ物語」第二部エンディング
「幸福」 作詞・浅見純 作曲・鈴木キサブロー 編曲・矢野立美 歌・工藤夕貴
 曲も背景映像もなにもかも記憶からごっそりと抜け落ちていたエンディング。いや、こんな曲が存在したこと自体忘れてた。
 今回聴き直してみて、この曲ってチルトンが死んで悲しみの縁にあるパレーをイメージして作ったとしか思えない。少なくとも私はそういう解釈をした。なるほど、当時も似たように受け止めていたら第二部の序盤ではこの曲が使われている理由が分からなくて自然に無視していたのかも知れない。悲しみと幸せは背中合わせというテーマを歌い上げるこの歌詞の内容を聴けば聴くほど、チルトンを失ったパレーの後ろ姿が重なって見えるのだ。
 背景画像は…こりゃ記憶に残らないわ。何のひねりもないポリアンナのストップモーションイメージ。しかも悲しい表情ばかり。ひょっとしたら天真爛漫なポリアンナの裏側を再現しようとしていたのかな?

・総評
・物語
 物語は公式には27話までの第一部と28話以降の第二部に分かれてはいるが、さらに細かく分類すれば4編に分けることができる。
 第一部は13話までがポリアンナがベルディングスビルにやってきていろいろな人々と出会う物語で、14話以降がパレー・ペンデルトン・チルトンの人間関係を解きあかして自動車事故による半身不随を絡めながら皆を和解に導く展開と分けていいだろう。
 第二部は40話までがボストンでカリウとの物語を中心にした展開、41話以降がチルトンの死をきっかけにジミーの過去を解きあかす展開と分けていいはずだ。
 第一部前半は数話おきに新しいキャラが出てきて、その紹介という繰り返しである。物語としての進展は殆ど無いが、この部分でのポリアンナと人々の出会いは見過ごすわけにも行かないので、逆にこれをじっくり描いたのだと考えられる。ここで定期的に増える多くのキャラクターがこの物語の重要なキャラクターだが、この流れの中でもスノー夫人は例外となる。それぞれポリアンナとの出会いにおいて今まで閉じていた心を開き、ポリアンナのペースに呑まれるまでがこの展開で描かれるのだ。
 第一部後半はテンポが良く、話が停滞することなくまるで推理小説を読むように各々の過去が解きあかされて行く展開は目を見張った。多くの謎を仕掛けておき、一つの謎が解けると次の謎が現れるという展開で視聴者を飽きさせない上に、次を見逃すわけに行かないという上手な作りで、この「ポリアンナ物語」が当時、視聴率で善戦したのはこの辺りの作りによるところが多いと思う。またその中でも一点、「ジミーの謎」だけは少し触れただけで放置され、それをまだずっと先の最終回へ複線として残しておくという細かい配慮も見られる。さらに同じ事の繰り返しになってきて視聴者がマンネリを感じ出すタイミングを狙って自動車事故→半身不随というイベントを入れ、一気に話をひっくり返すと共に話を一部完結へとたたみ掛ける展開に路線変更してしまう点も視聴者を飽きさせないことに成功した点だろう。
 このテンポの良さは第二部前半まで続く。第二部前半は言ってしまえば第一部中盤とやっていることは同じである。パレーをカリウに変え、ナンシーをメアリに変え、ジミーをジェミーに変えただけである。謎は「カリウの甥のジェミーは誰か」という一点に絞り、しかも視聴者にはその謎の答えが分かるように仕掛けた上で謎解きの道筋で楽しませようとしたと思われる。さらにジェミーはポリアンナの「よかった探し」を別の形で実行しているという設定とし、同じ事の繰り返しの中で変化を多く持たせようとした。だが結果的にはジェミーは誰かという問題より、ポリアンナとカリウの関係やボストンでの出来事が印象に残る結果となったように感じる。
 そして第二部後半はチルトンの死まではテンポが良かったが、カリウ達がベルディングスビルに訪れると一気にテンポが落ちてて冗長に感じるようにもなってしまう。ジミーの過去が判明するのも数話をかけるのでなく、最後の2話で突然という感じで第一部の「ひとつの謎が解けたら次の謎が現れる」という展開は影を潜めた。子供達がベルディングスビルで遊ぶだけの話は確かに面白いが、物語として考えた場合あの辺りを少し削ればだいぶテンポが良くなったと思う。「小公女セーラ」と同じ46話程度で物語を終わらせられるならば、もっとスッキリと話をまとめられたに違いない。また子供達の遊びでもハッキリとカップルが出来上がっており、これは原作通り登場人物の年齢を上げて恋愛要素を付けた物語にした方が面白いと思うし盛り上がったと思う。もともと恋愛要素がある話で、それを取ってしまったら意外に盛り上がらなくなるという好例として教訓として欲しかった。
 全体的に言ってしまうと、いちばん盛り上がったのはやはり第一部後半と言うことになろう。第二部はこれからもっと盛り上がるアプローチとして考えていたら、第二部の後半が思ったより盛り上がらず気が抜けたという人も多いかも知れない。第一部は本当にうまく物語がまとまっており、これだけで1年引っ張っても良かったんじゃないかと考える人もあるだろう。

・登場人物
 登場人物であるが、この物語の登場人物の分布には他には見られない大きな特徴がある。それは主人公である少女ポリアンナと同世代の子供が殆ど出てこず、物語がポリアンナの周囲にいる大人達を中心に回って行く点にある。
 ポリアンナの友人として出てくる少年少女は、第一部ではジミーしかいないという寂しさだ。第二部ではジェミーやサディ、それにミッキーが加わる程度。それに第一部のポリアンナ入院シーンで出てくる名もない少女と、ミッキーが住むアパートの近所にいる子供達だけがいるが定期的に出てくるキャラではない(学校シーンなどで必ず出るキャラではないと言うこと)、ここまで子供が出てこない物語は当サイトで紹介した中では「南の虹のルーシー」程度のものだ。名前があるキャラだけに限定すると少年少女(現在の日本で言う中学生以下)はポリアンナを含めてたったの5人、これは「南の虹のルーシー」と同数だ。
 パレーとカリウとペンデルトンの登場時はいかに第一印象を悪くするかという点に気を遣って描かれたと思う。物語の根幹はこの3人の変化であり、物語が終わってみると主人公ポリアンナは殆ど成長していないのにひの二人のおば様と一人のおじ様の変化がやけに印象に残る結果となる。またペンデルトンの性格付けは物語の最後で効いていて、二部に入ってから徹底的にネタキャラとしていじり倒した挙げ句にあのようなオチに持って行くという使い方に感心した。
 またパレーとカリウの声優に鉄郎とメーテルを起用するというのは我々の世代の男の子に言わせればある意味気になるアニメとなるだろう。まぁ私はパレーの声が野沢雅子さんだったとは知らずに当時見ていたけど…999コンビによる物語の展開はこの物語を彩る隠し味となっていた。
 第二部後半は「ポリアンナとジミー」「ジェミーとサディ」というカップルがハッキリ出来上がっていたような気がする。かといって少年少女の物語として落とすために恋愛要素は表に出さず、無邪気に遊んでいるだけという設定にしたのは子供向けのアニメとして考えれば正解だろう。原作のあらすじが書かれているサイトをいくつか見たが、原作ではこの傾向がハッキリしており、まさにポリアンナの青春物語として描かれているようだ。
 では最後に毎度お馴染み、名台詞登場回数を記していこう。

名台詞登場頻度
順位 名前 回数 コメント
ポリアンナ 13 やはり主人公、名台詞の多さではぶっちぎりのトップだろう。特に33話のカリウを慰める台詞は強く印象に残った。また台詞が面白いという意味で名台詞に上がった回数が一番多いキャラかも知れないという事を付け加えておこう。
パレー 2位につけたのは3人。まずは何と言ってもパレーだ。ジョンが死んだ次の回から早速まだ見ぬポリアンナに宣戦布告、その強い言葉が印象に残った方も多いかも知れないが、最終回の名台詞をみれば分かるように信じられないほど人格が変わった。
ペンデルトン 街を歩く謎の紳士に声を掛けるポリアンナも凄いが、それに応えてしまってポリアンナに愛の告白をしてしまう(17話)というネタキャラ的存在だった。そのネタキャラ的な側面は最終回の重要なオチの一つだった。49話の名台詞に泣かされた。
カリウ メーテル!!!…違う。第二部だけの登場で2位に付けているのだから、登場期間に対する名台詞の頻度はポリアンナと同等ってこと。名台詞が出る度に成長している彼女だが、やはり最終回の名台詞に彼女の何処がどう変わったか全て詰め込まれていると思う。
トム ハリントン邸を守る庭師、42話の名台詞に彼の主人に対する思いが現れているだろう。だがそう語ることで彼自身がチルトンに死亡フラグを立ててしまった。他にも要所で名台詞を吐き、暴走しがちなキャラの多いこの物語を上手に締める。
チルトン 意外に名台詞に恵まれなかった。まぁ途中からの登場の上、崖から落ちて死んじゃうのだから仕方がない。やはり死に際にポリアンナに遺した台詞が一番印象に残るだろう。
ジミー 物語の中で主人公のボーイフレンドという圧倒的な存在感があったのに、名台詞には恵まれなかった。47話名台詞欄で語る彼の夢は素晴らしいと思った。どうでもいいが、声優が同じという点だけでなく多くの点でルシエンとキャラがかぶりすぎている。
ナンシー アンネットの声のベッキー。5話でポリアンナを助けると決心し、13話で有言実行する真正直なキャラでもあろう。
ジョン 言わずと知れたポリアンナの父、2話しか登場していないのに名台詞登場も2回。つまりパーフェクトだ。ちなみに声優が同じチルトンと足してやっとパレーやカリウに名台詞回数が届く。第1話の説教は素晴らしかった。
デラ 名台詞2回は、どちらも誰かが言わねばならない台詞を取ってしまったような台詞ばかり。登場頻度や名台詞欄掲載回数の割に印象に残るキャラだった。
ジェミー こんな謙虚な子供って実際にいたら嫌だろうなぁ。33話の名台詞はいろいろな意味で感心した。苦しみを経験すればどって事無いことも楽しくなると言う説だ。
サディ 次作品「愛の若草物語」のエイミーに繋がるキャラだ。ジェミーに一目惚れしただけでなく、彼を操る術を持っていたのも凄い。詳しくは48話の名台詞欄を。
11 フランク先生 名前までちゃんとあるのに、一度だけ出てきて印象深い台詞を吐いたかと思ったら二度と出てこなかったキャラ。
ダルギン トムの妻、よかった探しを実行するが勘違いしてナンシーやポリアンナに窘められること数回。
ナレーター ミンチン先生の解説も名台詞となった。迷子のポリアンナの解説は素晴らしかった。
ティモシー ペンデルトンに続くネタキャラ。一度だけ出てきた名台詞はポリアンナをフォローするのに適切で、いつもポリアンナが言っている事を変わりに口走ったのは好印象。

・「よかった探し」
 全51話で177の「よかった」を見つけた。1話あたりにすれば3.4回である。「よかった」の回数をグラフにするとともに、劇中で起きた出来事を記入してみた。



 まずどんな辛い出来事があっても「よかった」が0だった回がなかったことは、この物語のテーマを貫徹しているという点で評価したい。この物語では人々の「愛」という漠然としたもののテーマの他、どんな辛いときも前向きに生きるというメッセージが込められているはずだ。その象徴が「よかった探し」であって、どんなに辛い展開でも「よかった」の描き忘れがない点は制作側がこだわった結果だろう。またどんなに盛り上がる展開でも「よかった」の描き漏れが見つからなかったのも、制作側がこのテーマに沿うよう気を遣った結果なのだと思う。
 ただそのためにわざとらしく「よかった」を連発させた回が見受けられたのも事実だ。第1話は視聴者に物語の方向性を印象付けさせる役割があるから仕方ないし、最終回もこの物語のテーマを視聴者に印象付けるためにこれは避けて通れないだろう。だが自動車事故という悲劇の直前で「よかった」を無理矢理連発させたのは、視聴者に「何かが起きる」という予感を植え付けるにしてはやり過ぎだったと思う。これはポリアンナとパレーが詩世対面する前にも言えることだ。ジェミー登場のように「よかった」を回数でなく印象で勝負する方法もあったはずなのに、ちょっと残念だった部分もある。
 いずれにしろこの177の「よかった」がこの物語を強烈に印象付けているのは確かだ。今の日本のアニメにこれほど自信を持って「よかった」を連発する作品はないだろう。不況と環境破壊で人々の不安が多いこの世の中にこそ、こういう物語を作ってみたらどうだと私は訴えたい。

・「愛少女 ポリアンナ物語」追加考察
 「愛少女 ポリアンナ物語・完結版」
 2000年に製作され、放映された総集編である「完結版」の考察です。

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