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第1話「父さんからの手紙」
名台詞 「ポルフィ、あなたが車が大好きなのはいいことよ。いつかきっとお父さんの役に立つ日が来るわ。でも今目の前にあることを放り出すのはいけないことよ。わかるわね?」
(アネーク)
名台詞度
 あははははは、「車」を「鉄道」に置き換えたら、私が昔母に言われた台詞そのまんまだわ。まったくもって耳が痛い。こんな台詞が第一話から出てくる「ポルフィの長い旅」には心から期待する。
 ポルフィの「車好き」という設定は今後どのように生きて行くのか楽しみである。「長い旅」ってタイトルからして、車の修理屋でもしながらギリシャからバリへと旅をするのかな(写真屋に変えたら「ペリーヌ物語」だっつーに)?
(次点)「ほ〜っ!」(アネーク)
…ここで気付いた、セ、セーラ?
(響子さんでもナウシカでもクラリスでも好きな島本須美さんキャラを入れてください。)
名場面 兄妹が父に手紙を書く場面 名場面度
 絵に描いたような幸せ、手紙を隠す妹に自分が書いた手紙を読み上げられてしまうのはこのシリーズのお・や・く・そ・くである。
 そして兄妹の父への思いがにじみ出てくる。兄はそれを文に書くのが下手だけど妹の方はどうなんだ?と思わずにいられない。さらにそれを温かい目で見る母親。そう、「世界名作劇場」の序盤か最終回間際で必ず見られる家族の幸せの場面なのだ(一部にこんなシーンが当たり前の話もあるが、たとえば「南の虹のルーシー」とか「愛の若草物語」とか…)。
 さて、この幸せなシーンが序盤で出てきてしまった以上は、この家族に信じられないほどの不幸が待っているのは確かだろう。この幸せなシーンはあと何話見られるのかな?
感想  てーか主人公、車ヲタかよ?
 記念すべき20年ぶりの「世界名作劇場」リアルタイム視聴復活。「小公子セディ」以来だからマジでちょうど20年。その記念すべき第一声が上記。
 ネタバレしてない物語はいいね、原作のタイトルやアニメのタイトルを見るにこの幸せな日常シーンはどこかで壊れるのだろう。正直言って原作も知らないしテレビの番組予告やネットなどの紹介も見ていない、タイトルからしてポルフィという少年が旅に出るのは確かなんだろうが、出稼ぎ中の父親を捜しに旅に出るのか? それじゃまるでマルコだしな。
 ジープの米兵がなんかの伏線になっているとか、ないよね?
 やっぱ絵が昔とかなり違うなぁ。放送時には違和感を感じたが、このサイトの文章を作るためにもう一度見直したら慣れた。

第2話「友達がやってきた」
名台詞 「ごめんねミーナ、お母さんの家はここだけなの。お父さんとポルフィとミーナのいる、シミトラ村のこの家だけが居場所なのよ。」
(アネーク)
名台詞度
 「お母さん、街に住んでいたたって本当なの?お嬢様だったの?」ってミーナに問いつめられた母の台詞。これに対し母は「でもお父様が亡くなって私は学院のメイドとして働くことになったの」って言いそうで怖かったが…いかん、あの声を聞いているとどうしてもセーラネタにしてしまう。そのセーラも似たような台詞を言ったような気がするし、まさかセーラが大人になった姿なんじゃぁ?
 そのミーナの素朴な疑問に、母は辛そうな顔をして答える(声だけでなくその表情がセーラみたいなんだって!)。それがこの台詞だ。まずアネークは夫と子供を深く愛していること、だから今は貧しくても幸せであることを強調してから事情を説明する。きれいな服を着たり贅沢をするより夫と一緒にいる方を選択し、今はその選択に後悔が無いという自信がありあり出ていて、この母は強い女性なんだなとしみじみ感じさせられる。
 もしアネークの若い頃や子供の時の回想シーンがあるなら、その時は是非ともセーラの声をキボン。
名場面 ポルフィが目覚めると、妹が昨夜のフクロウにチョコを与えようとしている 名場面度
 フクロウにチョコレートを与えるミーナの無邪気さがいい、対してちょっと大人のポルフィが現実的な意見をいうやり合いがたまらない。短いシーンだが兄妹がいる者は誰もが経験したリアルなシーンだと思う。
 ついでに言うと、アポロが最初に出てきたのは夜のシーンではないのに気付いた人はどれくらいいるのだろう? ビデオなどに撮った人はアネークが父から家族への土産を出すシーンをよく見てみよう、私は最初に見たときに気付いてなんだろう?と思った。芸が細かすぎる。
感想  まだまだ続く幸せ、どんな出来事がこの家庭を壊すのだろう?
 そう考えたのは第二話でオープニングのアニメをじっくり見て、どうやらポルフィは妹を捜す旅をすると予想したのだ。旅をするポルフィのイメージに重なってくるのはミーナであるというつくりからそう感じたのである。しかも次回予告で父親の帰宅が予告された以上は父を捜すという線は消えた(恒久的な帰宅なのか一時帰宅なのか分からないが)。
 兄妹が生き別れになるなら、何か家庭が破滅するような事態が必要であろう。主人公たちには悪いが、彼らの幸せがどうぶちこわされるのか楽しみになってきた、ネタバレしてないのはいいことだ。
 しかし第一話で物語が始まり、第二話で心の友が現れるというストーリー展開も昔のまま。余談ではあるが、この放送の翌日には日本テレビでヤッターマンのリメイクがスタート。これで子供の頃夢中だったアニメシリーズが二つも復活したことに…。

第3話「父さんを迎えに」
名台詞 「男だから泣いちゃいけないってことないだろ?」
(バーンズ)
名台詞度
 1話で出てきた米兵がまた出てくるとは思わなかった。ひょっとするとバーンズという米兵は単なる脇役では無いような気がする。
 それよりこの台詞、一度聞いて気に入った。町へ行くというポルフィとミーナをジープに乗せてやるバーンズが、ポルフィに家族の写真を見せる。そして家族について「逢いたくて涙が出るときもある」と言うとポルフィは兵隊さんでもそう思うことがあることに驚く、その返事がこれだ。バーンズは普段胸に秘めている家族への思いを、父が手稼ぎで留守なために寂しい思いをしているポルフィに打ち明ける。
 別に男が遠くにいる家族を思って泣くことは悪いことではない、でもこの「世界名作劇場」シリーズにおいてはそういう父親がなかなか出てこない。このシリーズの父親像はどんなに辛いときも家族を思いつつ、涙を必死に堪えている父親が多いような。
(次点…というより耳が痛い)「だってお兄ちゃん、車ばっかり見ているんだもん。」(ミーナ)
…「車」を「電車」に置き換えた台詞、私も妹に言われたことが…。その妹は電車好きの男の子を育てているがこれも運命か?
名場面 父子の再会 名場面度
 恐らく「ポルフィの長い旅」序盤における一番の名シーンになるであろう。父が乗るバスの時間に遅れたポルフィとミーナは、パス停にいたおばさんから父を乗せたバスがまだ来ていないと聞いて安堵する。ところがそのバスが大幅に遅延するのだ。バスが来ない間、兄妹は色んな不安に駆られる、この辺りを時間をかけてリアルに描いているのを見て「世界名作劇場」は帰ってきたんだと感じた。
 そしてバスがいよいよ現れる。そのバスも兄妹がいるところへ真っ直ぐ走ってくるのでなく、一度通り過ぎて方向転換してから来るのがまたいいし、父親が下車するのも全部の乗客が下車して最後というのも良い。無駄に時間かけているように見えるが、この「間」が重要なのだ。最後の最後まで「本当にこりのバスに父親が乗っているのか?」と思わせてハラハラさせるスパイスなのである。この「間」が無ければこのシーンは心に残らない普通のシーンなのだ。もしバスが時間通りに来て、そうでなくともバスが真っ直ぐポルフィたちの前に停まり、父親が真っ先に下車してきたら、その後で父子が抱き合おうとありきたりのシーンでしかなく、視聴者の印象に残らない。
 それとポルフィが車ヲタであるという設定を上手に使っている。ミーナがトラックを指さして「来た」というシーンがあるが、ポルフィはそれを見ずエンジンの音だけで「違う」と言い捨てる。この辺りの描写もいいなーと思う。
(次点)兄妹でアイスキャンディを分け合うシーン。
…兄は妹思いだし、妹は兄思いだし、見ていて微笑ましい。この二人の幸せがどう壊れるのだろう?
感想  絵に描いたような幸せ、貧しい農村での貧しい生活を忘れさせるような一家の生活は明るくて活気に満ちている。「長い旅」なんてタイトルが無ければ、父はまた出稼ぎに行ってしまい、家族で自動車修理工場を始めるまでの苦労話となる「ギリシア版南の虹のルーシー」になる予感がしそうだ。ラストのポルフィと父が修理工場をどう作るか妄想しているシーンを見ていると、この幸せを壊すなとマジで思う。
 でもタイトルやOPの映像を見る限り、この家族に不幸が起きて一家離散するのは間違いないのだ。これは「世界名作劇場」で主役になってしまった家族の宿命であろう。しかも幸せであれば幸せであるほど、どん底まで落とされるのだ。「世界名作劇場」でも家族で平穏に暮らしていたマルコの母が出稼ぎに行ったきり音信不通になるし、フローネは新天地オーストラリアへの楽しい航海が事故によってサバイバル生活を強いられるし、ルシエンは仲の良い友達の弟を誤って谷底に転落させてしまいその友人だけでなく村人からも悪く言われる、セーラは幸せが学院生活が父の死によって悲惨なメイド働きに変わり、ポリアンナも自動車事故で半身不随になって「よかった探し」どころでなくなる…「世界名作劇場」では序盤の幸せは壊されるためにあるのである。
 次回はミーナの誕生日だろうなと思ったらやっぱりそうだった。ミーナの誕生日が終われば、この家族の幸せを壊す暗雲が広がってくることだろう。楽しみのような怖いような。
 どーでもいーが、今回初登場の少女コリーナが抱いている人形、どう見てもセーラのエミリーにしか見えないんですけどw。

第4話「ミーナの誕生日」
名台詞 「お父さんがうちにいるって、やっぱりいいね。」
(ミーナ)
名台詞度
 ミーナがさりげない幸せを口にするのは朝起きて居間で父と会話した後、これまで父が出稼ぎで留守にしていたせいで父の愛に飢えていたのだろう。そんな父親が一緒にいる幸せをさりげなく口にする娘のこの一言は、後半の父が娘の誕生日だからと思い台詞を言うよりもいい台詞だと思う。そう、幸せはさりげなくそこにあるもので、そうだと感じないことが幸せなのであって、この台詞にはその幸せな状態がありふれている、ここまでの4話で私が最も印象に残っている台詞だ。
名場面 劇場の遺跡で、3000年前のつもりになる 名場面度
 やっぱこいつ、セーラだ(笑)。声優がどうのじゃなくて、やってること(○○のつもり)が同じだし、そのつもりになって自分の想像世界を語るときの口調が全くセーラと同じ。制作スタッフが狙ってやらせたのか?
 「3000年前が想像もつかない」というポルフィに対して、母は「想像してみなさい」という。そしてセーラが「ベルサイユ宮殿のつもり」を語るときと全く同じ口調で、3000年前の劇場風景を語るのだ。母の想像世界に入り込んだミーナはまるで重い物を持ち上げるように身体全体で力み宮殿の侍女にnatt(ry自分が劇場での演じられている劇の主役か、はたまた美しい歌姫にでもなったつもりで歌い出す。気が済むまで歌ったミーナは大きくなったら歌手か女優になりたいと夢を語る。
 歴代の「世界名作劇場」のヒロインたちは必ず何かに酔いしれるシーンがあるが、「ポルフィの長い旅」ではここがその象徴シーンとなるであろう。
 またこの直後、家族で食事となるシーンがあるが。ここでの父の一言「我が家の歴史はまだこれからだ」と言う言葉は、幸せが壊れるとしか思えないこの展開では辛い一言だなぁ。
感想  CM入り直前、トッポリーノ(乗用車)でドライブが出来ると飛び上がって喜ぶポルフィに向かって思わず「ブー」と言ってしまった。ここは「世界名作劇場」なのだからどう考えても父が借りる車とはトラックだろう、と思って見ていたらCM後本当にそうなってるし…。
 さぁ、いよいよ父も戻り家族の幸せは絶頂だ。その中でも娘の誕生日なんてもう恒例行事の中では最も幸せな物だろう。そのお祝いが終わるとニコラスさんがこの家族に新たな幸せを運んでくる。家族の幸せを約束する自動車修理工場の建材、ミーナの誕生日に記念植樹をするための夾竹桃の苗木…どんな不幸が来るのか分からないが、これらも壊されるか誰かに取り上げられるかの運命でしかないんだろうな。まさか、このまま家族が幸せな状況のままでポルフィが妹を求めての旅なんかしないだろう、まさか妹は誘拐でもされるのか?
 今回、初めてOPに流れる文字で原作著名を確認した。「シミトラの孤児」って、まさか両親死ぬのか? せっかくセーラが復活したというのに。時代設定的に戦争はあり得ないだろう、両親が病死するような予兆もないし…う〜んわからん。何らかの理由で両親が死んで兄妹が生き別れになるのだろうけど、自動車が走り回る時代が設定じゃ戦争くらいしか思いつかない、だけど歴史事実と違っちゃうからなぁ。
 いずれにせよ、原作を知らないと言うのは「世界名作劇場」の楽しみを倍増させるスパイスであり、これによってアニメを10倍は楽しめるのだ。

第5話「ぼくたちのステーション」
名台詞 「父さんごめんなさい。僕、嘘をついたんだ。」
(ポルフィ)
名台詞度
 ありきたりの台詞に聞こえるし、歴代の「世界名作劇場」の主役の中に同じ台詞を吐いた人物もいる。だがこのありきたりの台詞をいうのが勇気がいることで、ポルフィもさんざん悩んだ挙げ句、ザイミスとの仲直りを経て父に仕事の手伝いのために学校をサボったことを伝える。
 このシーンには自分の間違いを認める勇気を持てというメッセージがあるだろう。でも現実では難しい、自分の間違いに気付かないことや、それを認めて謝っても絶対に許さない人とかもいる。でもこれは大事なことだ、謝っても許されないならその時に次を考えればいい。とにかく先に認めることなのだ。
 でも先に「お前は絶対に許さない」と結論を決めてしまった人に対してはこの限りでないと思う。そういう人間に頭を下げるとロクに結末にならず時間の無駄だというのは私の人生経験による。そのタイプの人でも口先だけで謝っておけば満足という人もいることは、セーラに出てくるミンチン院長が教えてくれる。
 話は逸れたが、自分の嘘を認めて謝った父の言葉が凄い。険しい表情で「いいかポルフィ、嘘をつくような子はうちの子じゃないぞ。」と言うから怖い、この流れじゃポルフィは父に殴られて「今度嘘をついたら…」みたいな話になるのだな…と思ったら「でもカッコイイ看板だよな。」と息子を誉める。父は息子の嘘がきっかけでこの看板が出来たことをポルフィとザイミスの表情から読みとり、暗に嘘からでもできる物があることを二人に示す。そしてポルフィを許すのだ。
(次点)「はぁ、学校なんてなければいいのに。そしたら一日中修理工場作るの手伝えるのになぁ。」(ポルフィ)
…こいつも歴代の「世界名作劇場」主人公の血を間違いなく受け継いでいるんだな。学校や勉強嫌いで一人前に扱ってもらいたくて生意気で…まぁ、アンとかセーラという例外はあるが、このような「世界名作劇場」の典型的な主人公であることはよ〜くわかった。
名場面 ポルフィの両親がワインで一杯 名場面度
 これまでの「世界名作劇場」では、主人公の父が一人で夜遅く帰ってくるとたいていべろんべろんに出来上がっているのだが、この物語ではそれを裏切ってくれた。クリストフォールは家に帰ると子供達が寝ていると聞き、「一杯どうだい?」と妻のアネークにワインの瓶を差し出す。そして二人で希望に満ちた自動車修理事業の始まりを語り合うのだ。
 「いよいよだな」「そうですね」とグラスを傾ける二人、台詞は少ないがやっと自分の夢が叶って自分の工場が持てたクリストフォールと、その夢に向かう夫を支え続けたアネークが、自分たちの「これから」が保障されたものと信じて静かに喜びを表現する。あれ、こんなシーンはこれまでの「世界名作劇場」ならば最終回のような…。
 画面が変わると工場の看板を立てているシーンなのがこれまた良い。一家の夢がやっと叶って看板を見つめる一家4人、それまでの苦労が走馬燈のように皆の頭に浮かぶ、そして画面中央に浮かぶ「おわり」の文字…違うって。
感想  そうそう、「世界名作劇場」に必要なものをもうひとつ忘れていた。幸せな時期に主人公が親友と喧嘩をするシーンだ。さすがにアンネットとルシエンのような派手なのはいいが。
 学校をサボったことがきっかけでポルフィとザイミスは気まずくなる、どっちも仲直りしたくてたまらないのだが、きっかけがつかめないのも今までのシリーズと同じ。たいてい友人の側が仲直りのきっかけを用意する、ザイミスは修理工場の看板を作ることを思いつき、これをポルフィと一緒にやれば…という展開は予告で分かってしまったが。
 この喧嘩中の二人の気まずさの表現が良い、目を合わせたくない二人、本当は気になって仕方がないのに敢えて気にならないふりをする。誰でも子供の頃に友達とそんな喧嘩をしたことがあるんじゃないか? 心の中では「誰か止めて〜」と思いながら。
 大人になって「世界名作劇場」を見ると、子供の頃の原風景に会えるから面白いんだと子供の頃には感じなかった見方ができるんだなと、「ポルフィの長い旅」を毎週見て知った。

第6話「イタリアから来た少女」
名台詞 「あんたってその人形と一緒だね。人形と同じように頭もカラッポって事よ。」
(アレッシア)
名台詞度
 この台詞気に入った! 性格悪そうなコリーナに向かってよくぞ言ってくれた。この台詞の直後のポルフィと同じように、私も「( ´,_ゝ`)プッ」っとなった。あ、私はこの物語において、今のところはポルフィに感情移入しているんで。
 歴代の世界名作劇場意地悪キャラでもここまでは言わなかったはず、人形の頭をカラッポという辺りはちょっとと思うが、このシリーズでは意地悪な台詞を浴びせかけられるのは主人公の場合が多いが、この場合は主人公の友達(この時点では微妙だが)で主人公の側に達人物が、主人公に対して意地悪な人間に向かって吐く台詞だから見ていて爽快である。
 アレッシアは誰が偉いとかそういう事は気にしない性格で、これまた「世界名作劇場」の友人にありがちな人物である。登場シーンやその後の言動を見ていると、間違いなく一発屋ではないと考えられるアレッシアの今後の活躍に期待(オープニングにまで出ているのに今回限りだったら怒るぞ)
名場面 アレッシアとの別れシーン 名場面度
 うらやましいぞ、ポルフィ(w
感想  いいタイプの少女が出てきた。最初はちょっと付き合いづらそうな奴だなと思ってみていたら凄い良い奴で、先週の予告編では暗い少女みたいな言い方だったのに、出てきてみたら明るく気の強い少女で良い意味で期待を外してくれた。原作のあらすじすら知らない私としては、これから彼女がどのようなかたちで物語に絡んでくるのか全く想像がつかないが、オープニングでもザイミスと同じ扱いで出ている彼女がこの物語の主要なキャラであろうことは確信できた。ハッキリ言ってこの初登場は好印象で、「小公女セーラ」のベッキー初登場と同じ位の好印象である。
 その少女を主人公が男の子と間違えるのがまた初登場を印象づける要素として成功しているし、それに根を持ったアレッシアがポルフィを嫌いになった訳でもないのにそっぽ向くという態度がまたまたいい。ポルフィに意地悪なコリーナがアレッシアを見てポルフィと同じ勘違いするだけではなく、それを掘り下げてしまって気まずくなるのがまたまた良い。教会でのアレッシアとポルフィのやり取りや、ラストではポルフィに最高の形のお礼をするのが本当にいい。とにかくこの話はアレッシアという少女を強烈に印象づけるのに成功したと思う。
 原作のあらすじを知らないままアニメを見ているが、ここでひとつ判明したのは物語が進むとポルフィが妹を捜す旅に出るという私の予想は見事的中のようだ。今回の放送時は19時20分頃からチャンネルをBSフジに合わせていたので、前の番組内で流れる「ポルフィの長い旅」の宣伝を見てしまったのだ。あらすじ的な事は何も言わなかったが、「ポルフィは妹を捜す長い旅に出る」ってナレーションされたのをハッキリ聞いてしまった。
 次回ではポルフィとミーナの印象を強める話かな? その後に物語の大転換がありそうだが、今までの「世界名作劇場」の例から言えばそれは10話前後になりそうなので、もうしばらくは幸せなポルフィとミーナとギルバートとセーラのクリストフォールとアネークの幸せな家庭が見られそうだ。

第7話「ポルフィの欲しいもの」
名台詞 「そういう訳には行かないのよ、お父さんと結婚したときに二人だけでやって行くって決めたから。だから家族の力で頑張りましょう。ね。」
(アネーク)
名台詞度
 ポルフィが抱いた夢、父の修理工場に給油機を置いてもらって自分はカッコイイ給油員として働くというもの。しかし、ポルフィに突き刺さったのは「現実」だった。財産が少ないクリストフォールは給油機を置くための銀行からの融資を断られ、すぐには給油機を置くことは出来ないと知らされる。そう、家の修理工場に給油機を置くことはポルフィだけでなく父の夢でもあったのだ。
 その現実にぶち当たったポルフィはそれが納得できず、ついには母に「実家からお金を借りてくれ」という我が儘を言い出す。母アネークにとっては傷口をえぐられるような思いだったに違いないが、アネークは感情的になったりせず、落ち着いてポルフィにこう言ったのだ。
 さすがのポルフィも母が落ち着き払ってこういったら、「わかったよ」としか言いようがあるまい。
 家族の絆、これも「世界名作劇場」が繰り返し訴えてきたテーマの一つである。「フローネ」や「ルーシー」や「若草物語」のように家族愛を前面に押し出したものもそうだが、そうでない作品でも家族の絆はしっかり描かれている。この物語でもその家族愛は強調されているが、この先の転換を予想するとそれは全て悲しい想い出になってしまうとしか思えないんだな。この一家四人の幸せを強調する言葉として、この台詞の後半は印象に残って行くだろう。
(次点)「おいおい、今日は車を見に来た訳じゃないぞ。」(クリストフォール)
…この台詞、「車」を「電車」に変えたら何度言われたか分からないわw…その後映画に出ていた車の話をするのも私にも心当たりが…。ポルフィ、同じヲタ同士頑張ろうぜ!(何を?)
名場面 ポルフィの夢 名場面度
 映画と食事の帰り、車の中で眠るポルフィは夢を見る。父の自動車修理工場に給油機が置かれ、自分が給油員として働く姿だ。夢というのは変なところで現実で、夢の中のミーナが「いつもの服」を着て歩いているのはポイント高い。
 このポルフィの夢は家族の幸せを印象づけるスパイスに違いない。今後、何らかの事情でこの幸せは壊れると思われるのだが、その時にこの「夢」は繰り返し流されそうだ。その中の両親の笑顔だけがクローズアップされたりしてね。
 映画や食事の娯楽で満たされているだけでなく、将来の夢を何の不安もなく見られる。これが本当の幸せであって、どんな時にも楽しい夢を見られると案外不幸を感じなかったりする。「世界名作劇場」にはそんな体験をした主人公が何人か居る、おそらくポルフィも今の幸せから突き落とされた後、この給油員になりたい夢や夢中になっている「車」に何度も救われる展開が待っているんだと考えられる。
感想  萎えた。「パリの花束」を劇中劇でやるのはいいが、白黒の古い映画がハメコミされているの見て萎えた。確かに現在のデジタル技術を駆使すればそういう風に簡単に作れるのだが…ここはひとつ劇中劇の映画もアニメを描いて欲しいかった。百歩譲って本物の白黒映画をハメコむなら、デジタル画像化されて鮮明なヤツをそのままハメコむんじゃなくて、スクリーンに映っているぞ的な効果くらいつけて欲しかった。だから映画館のシーンは萎えた。
 でも萎えたのはそこだけ。冒頭に前回のラストシーンを回想で入れるのは、ポルフィのあの瞬間が忘れられないという気持ちを上手く現していて良かったと思う。その直後のミーナとのおっかけっこもほのぼのしていて良い。今回は家族の幸せを強調するのに徹底していると考えられる。
 でも予告では今回見た映画がミーナの人生を左右するような言い方だったが、ミーナがそこまで感動しているようには見えなかった。この映画を見たことが何かの伏線になるに違いないから今は置いておくことにするが、恋愛映画を見て感動したという設定がこの物語でどう活きてくるのか予想がつかない。
 それとポルフィの「夢」がハッキリした。ここはよい子の「世界名作劇場」である、この夢は何らかの形で実現する(またはその代わりとして誰もが納得できる職業に就く)結末になるのは間違いないだろう。「妹を捜す長い旅」と「ガソリンスタンドの給油員」、それに先週の「イタリアの少女」がどう結びつくのか分からないが…。
 次回はパンク修理をヒントにポルフィが何か作戦を立てるらしい。夢に向かって暴走開始っていう「世界名作劇場」にありがちな話になるわけだ。ポルフィよ〜、道路にまきびし蒔いたらパンク修理で修理工場が潤いまっせ…w。

第8話「真夜中の作戦」
名台詞 「私…ごめんなさい。」
(ミーナ)
名台詞度
 ザイミスから兄の企みを聞かされ、部屋から大量の釘を見つけたミーナは兄を止めようと説得する。「やめて、もし事故が起きたらどうするの?」という台詞に視聴者は「激しく同意」と思わず言うだろう。
 しかし、ポルフィの暴走は誰にも止められない。ポルフィは詭弁で返すだけでなく、ミーナの頭の中が映画のことで一杯でぼーっとしていることを兄に咎める。その返答がこの台詞なのだが、ミーナは顔を伏せた後に泣きながら力無く言うのだ。この台詞の中には家族が侮辱されているのに何も考えなかった自分への後悔の他、兄の暴走を止められなかった悔しさも混じっているはずだ。
 その後の食卓シーンを見れば分かるが、ミーナは兄を止められなかったことと親にそれを言えないことをかなり悔やんでいる模様。対するポルフィはザイミスと妹に止められたことによって自分が行うことは悪いことと理解したのだと思われる。この兄妹に重く辛い時間が流れる。
 この台詞を中心とした兄妹の気持ちの動きを上手く描き上げたと思う。ポルフィの題して「釘ばらまき事件」を印象づけるシーンであるが、その中でミーナのこの短い台詞が私には印象に残った。
(次点というかツッコミ)「だって、私もお姉ちゃんになってみたいもん。」(ミーナ)
…ミーナちゃんよ、3人兄妹の真ん中はやめとけ(w
名場面 ばらまいた釘を拾いに行くポルフィ 名場面度
 今回、ポルフィの心の葛藤の描き方は秀逸で、悪いことと分かっていながらやらねばならぬという思いと、他人に迷惑をかけるから良くないという思いが交錯していたのだ。その葛藤に決着がつかないままに街道に釘をばらまくポルフィ、家を出るときに椅子にぶつかって物音を立てるのもお約束だし、街道でアポロが出てくるのもお約束だろう。星空の美しさに気付いて流れ星に願いを込めてしまうところまで歴代主人公と同じとは思わなかったけど。だってポルフィってそういう柄に見えない。
 だがどれもブレーキにはならないが、一つ一つの出来事が決心を鈍らせたのも事実だろう。結局ポルフィは釘のばらまきを実行してしまうが、家に戻ると後悔の念に嘖まれて家には入れない。しばらく玄関前で座っていたかと思うと、意を決して釘の回収に戻る。
 私は「よく決断した、ポルフィ!」とブラウン管、もとい液晶画面に向かって叫んでしまった。ここでポルフィが道路に釘をばらまくか否かは私にとって重要である。なぜなら同じ乗り物ヲタとして感情移入しているからである。感想欄にも書くがここでポルフィが釘を回収せず、パンクという被害を被った車が一台でも出たら、私はもうポルフィに感情移入できなくなっただろう。
 ここで主人公ポルフィを悪人にしなかったつくりには救われた思いがする。原作はどうなってるんだろう?
(次点)冒頭でポルフィが車を眺めている
…2000系、101系、701系、こっちは401系…とやっていたかつての自分を思い出した。
感想  まさか、前回の感想であんな事を書いたら本当にそうなるとは…え、本当に原作知りませんって。
 ポルフィが思いついたときは「ザイミスかミーナが止めてくれるんだよね?」と安心しながら見ていた。でもよく考えたらここは「世界名作劇場」だったのだ、主人公の暴走は誰にも止められないのはお約束なのだ、今のポルフィはルシエンが心を込めて作った木彫りを壊す直前のアンネットや、ジョオが書いた名作を暖炉に放り込む直前のエイミーと同じなのだ。
 その企みのためにミーナの小遣いまで使ったのを見て、ポルフィに幻滅しかけた。何処かでブレーキがかかるはずだと期待して見続けたが、ザイミスを冷たくあしらい、ミーナに詭弁を吐いた時点でこの企みの決行が決まってしまい、私はこの物語を見続ける自信を失った。
 私は鉄道を中心に、ポルフィは自動車のみという違いはあれど、私はそれが好きであるという思いや行為によって他人様に迷惑をかけないように、事故を起こさないように細心の注意を払ってきた。しかしこのアニメでポルフィがやろうとしていることはまさに逆である。彼は家に給油機を置きたいという目先の欲望に目がくらんでしまっただけなのか? いずれにしろ自分が「車好き」という事を忘れ、そのプライドを失った行為に出てしまったのだ。もし何処でも歯止めがかからず、ポルフィの行為によって1台でもパンクしたり事故を起こしたりしたら、私はもうポルフィに感情移入できなくなるだろう。
 しかし、なかなかポルフィに歯止めはきかない。ついに夜中にベッドから抜け出したときに私は液晶画面に向かって言ってしまった、「ポルフィ、見損なったぞ」と。ついに釘をばらまいてしまったとはいえ、救いだったのはギリギリのところまで心の葛藤が描かれていたことだろう。さすが「世界名作劇場」は私のような視聴者への配慮も忘れていない。
 だが結局ポルフィが釘を回収に走り出したときの安堵はなかった。画面に向かって「やっぱお前は車好きなんだな」と言ってしまったよ。これでポルフィへの感情移入を続けられる、うんうん。
 で最後に車に轢かれる訳か、こりゃ次回から半身不随で「よかった探し」どころじゃなくなるんだな。あれで次回予告が「闇夜、ポルフィに車のライトが迫ります、道路はどちらも崖、ポルフィに逃げ場はありません、助けを求めるポルフィの声は車のブレーキの音に消されてしまいます。果たして迫り来る車から逃げられるのでしょうか?」なんてナレーションだったら、まるで「馬小屋の火事」だな。

第9話「新しい世界」
名台詞 「そりゃ友達は別れるのは寂しいけど、新しい世界を見られるのは楽しいよ。」
(トム)
名台詞度
 「知らないところに行くのは嫌じゃないの?」と問うたミーナへのトムの返事。いきなり今回のサブタイトルに秘められたテーマを語っている。子供にとっては友達との別れは何よりも辛いはずで、その寂しさを「新しい世界」を見ることによって紛らわせていると逆説的に考えることも出来る。なんとも強い子だ。娘の友達が一人、父の仕事の都合により異国の地で過ごしているが、そんな彼女を思い出した。
 このような言葉を吐く子供の前でポルフィとミーナは今まで見たこともない「新しい世界」を堪能している。「新しい世界」を見ること自体が新鮮なポルフィ・ミーナの兄妹と、「新しい世界」を見ることに慣れてその付き合い方を知っているジョン・トム兄弟の対比を考えさせられる台詞としても、この小さな子供が放った台詞は大きいだろう。
(次点)「遅いよ!」(ミーナ・ザイミス)
…いや、良いシーンだ。ポルフィの相変わらずの態度にナイスツッコミ。その後の沈黙も間が良くて良い。
名場面 冒頭のバーンズ来訪シーン 名場面度
 バーンズの車に轢かれかかって気を失ったポルフィが目を覚ますシーンはありがちでアレだったし、起きあがったところに偶然ミーナが顔を出すというつくりも「世界名作劇場」らしい光景、ミーナの声に両親が上がってきて心配そうに息子を見た後、父か息子が何か企んでいたに違いないと睨んでこんな夜中に何をしていたのか問いただす。母はじっくり話を聞くためと、バーンズを放ったらかしにしておくわけにも行かないと言う理由で下で話をしようと言う。ポルフィはあのバーンズが来ていることに驚く。
 ポルフィが轢かれかかったことを謝ると、バーンズがあっさりと釘を出す。オーバーアクションで息子を叱る父の姿が良い、息子がアホな事をやってしまったという失望感がにじみ出ているが、そこにバーンズが割り込んでポルフィが悪いことだと気付いて釘を回収していたという事実を告げる。
 ポルフィは告白する、最初は釘をばらまいたが、みんなでドライブへ行ったことを思い出して釘を回収する決意をしたと。もしそうやってパンクしたのが自分が乗る車だったら、それで事故になったら…前回、父が「車か借りられそうだからドライブに行こう」と誘ったシーンがこの伏線であるだろう。しかし父はそのようなことに気付いたことは誉めたが、それでもバーンズに迷惑かけたと息子を咎めるが、そのバーンズが「何もなかったのだから私に免じて許してやってくれ」とクリストフォールに言った上、乗ってきたジープの具合が悪いから見て欲しいと依頼する。迷惑がかかった張本人にそう言われれば引き下がるより他にない。
 思うにバーンズというのは少年ポルフィが凄く気に入っているのだろう、妹思いで車好き、さらに無邪気さが好きなのだろう。さらに今回、この父も気に入ったのだろう、無論母も妹も、この家族が気に入ったのだろう。だからポルフィが叱られるのは見ていられなかったのかも知れない、かといってポルフィがやろうとしていたことを黙っているわけにも行かなかった。そこでバーンズは上手く解決させたと思う。
 バーンズがどのようにこの家族に絡むかだんだん分かってきた。
(次点)クリストフォールが山羊とオリーブ畑を売れば給油機が変えると提案。
…家の財産を切り売りすれば給油機は手に入るとの父の提案に、ポルフィはそれはよくないと断る。ポルフィは自分の夢より家族との楽しみを、妹の思いを選んだのだ。道路に釘をばらまこうとした人間の言うこととは思えないが、これがポルフィの良いところである。
感想  バーンズって、大尉だったのね。
 「ポルフィ、車に轢かれるか?」と思ったらやっぱそういう結末にはならなくて。しかも轢きかかった車があのバーンズのジープだったとは。負傷程度は「ただのタンコブ」ってなんか星野鉄郎みたい。そりゃともかくポルフィがやろうとしたことでちゃんと父がポルフィを叱ったことと、途中で気付いてやめたことを認めた点は評価したい。それだけでなく、息子の暴走(しかかって止まったが)を目の当たりにした父は、その夢がすぐに叶う方法も息子に提案するが、当のポルフィが自分の夢より家族を取るのがこれまたいい話だ。
 そして後半、米軍基地へ行って楽しい時間を過ごす。新しい友達、アイスクリーム、ケーキ、レコードに赤ん坊…子供にとって楽しい時間が続く、ポルフィ、給油機の次は冷蔵庫かよ?
 そりゃともかく、キャッチボールシーンで「ポルフィの長い旅」の時代設定が分かる貴重な台詞が出てきた。トムがポルフィが投げた球を見て「すごい、サチェル・ペイジみたいだ!」と言うのである。サチェル・ペイジという投手が活躍したのは1930年代のようであるが、ニグロ・リーグの投手だったので記録は定かでない。その後1950年前後にメジャーで活躍、1965年に最高齢登板記録を打ち立てた野球史上最高の投手である…というのが私が調べた結果である。ちょっと、この人投手なのに30年も活躍してるの…と思うが、やはり米軍駐留基地と言うことを考えればこの選手がメジャーで一番活躍していた時代が「ポルフィの長い旅」の舞台と考えて良いだろう、すると1947〜1950年頃と言うことになりそうだ。
 あ〜、フルーチェ食いてぇ。

第10話「夏の一日」
名台詞 「あ、でも世界で一番好きな場所ならやっぱり自分の家だよ。なんたって家族からいるからね。」
(ジョン)
名台詞度
 アメリカ軍兵士の家族として色々な場所に住んだ経験のあるジョンに、ポルフィが今まで何処が一番好きだったかを問う。しかし、ジョンはそれは難しいという、恐らく今まで住んできたどの土地にも楽しい想い出があり、そこで出来た友人との別れがあったのだろう。
 そして悩んだ挙げ句ジョンはこの台詞を吐く。今回のような幸せの絶頂を描く物語であればこれもありきたりの台詞でしかない。しかし後述る物語の展開予測を考えれば、今後この台詞の重さがポルフィの肩にのし掛かってくるだろう。
 トム・ジョン兄弟は前回と今回の名台詞を言わせるために出てきたとしか思えない。一発屋かと思っていたらいきなり今回再登場で、今後のポルフィが行くべき思考に重大な伏線を張るのだ。
名場面 皆で木の上から村の景色を眺める 名場面度
 日も傾いてそろそろ帰ろうかと考え出した頃、先ほどは木登りを怖がったトムが木登りして村の景色を見ると言い出す。そして皆で手を取り合ってトムも木に登り、皆で村の景色を眺める。
 その時の5人の満ち足りた表情を見た大人達は、夏の日の原風景を思い出すことだろう。仲間達と思い切り遊んだ後のゆっくりと流れる時間、また明日も何処かいこう、そう言い合ったあの時間を思い出したことだろう。そのような原風景が見事に表現されている。
 さらにこの後のポルフィ兄妹とジョン兄弟の記念写真撮影も良かった。ポルフィ兄妹は写真に撮られたことがほとんど無いのだろう、二人とも表情が硬い。ひょっとして、この写真が最後に撮られた兄妹の写真なんて伏線じゃないだろうな?
感想  もうまったりしていて幸せ、こんな夏の一日が我々の原風景と重なって見ている方が顔がほころぶ。
 エミリーを抱いたコリーナがあのタイミングで出てきてクリストフォールがクソ忙しくなる伏線になるのもよい。またコリーナが相変わらずなのもよい、さすがのミーナまで陰口叩いたりしている。なんと言っても極めつけは川のシーンだ、ポルフィが素っ裸になって川の中に飛び込むと、ザイミスが笑いながらパンツを脱いでポルフィを追う。ポルフィとザイミスが川の真ん中で盛り上がると、ジョンとトムも素っ裸で川の真ん中に来ている、それを見ていたミーナまでも服を全部脱いで…(嘘)、足を水につけて「いいな、男の子って」と呟く。本当に少年の頃の川遊びの光景を思い出して懐かしくなった。
 またミーナがシーンごとにスケッチブックに絵を描いている光景が出てくるのもラストシーンの伏線になっていてよかった。ミーナって絵が上手いのね。
 話的には今回も幸せの絶頂にどかーんと持ち上げる話なのだろう。今回で10話、そろそろですな、「何か」が起きるのは。誰かが病気になる前触れもないので、私なりの展開予想をここに書き出してみることにする。当たろうが外れようが残しておくので、調べようと思えば調べられる原作の筋や展開を敢えて調べないで見ている者がどのように物語を予測しているかの参考に見て頂きたい。
研究 ・1〜10話を見てみて
 「ポルフィの長い旅」は主人公家族が幸せなまま10話を終えた。「世界名作劇場」で不幸ものの場合はそろそろ主人公に重大な事件が起きて、主人公の幸せが破壊されて立場や生活環境がガラリと変わり、物語が本筋へと入る頃である。ここまではその主人公に訪れる事件とその後を強調するため、主人公が幸せな側面を徹底的に描いてきたのだ。このアニメも「ポルフィの長い旅」というタイトルや原作のタイトル、オープニング映像や主題歌の詩の内容から見ると間違いなく「不幸もの」の作品であろう事は容易に想像がつく、「母をたずねて三千里」「ふしぎな島のフローネ」「小公女セーラ」を代表とする主人公がこれ以上ないと言うほどの悲劇を味わい、それをきっかけに生まれた不幸と対峙する物語のひとつなのであると想像される。
 「母をたずねて三千里」では1話でマルコの母が出稼ぎに出るが、マルコが母を追って旅に出て様々な困難に遭うのは15話以降である。「ふしぎな島のフローネ」では6話で海難事故が発生して8話から無人島でのサバイバル生活となる。「わたしのアンネット」では13話にアンネットとルシエンが諍いを起こす喧嘩のきっかけが生まれ、14話でダニーが谷底に転落してルシエンの苦悩が始まる。「小公女セーラ」では11話でセーラの父が死去していることが判明し、13話からセーラがメイドとしてこき使われることになる。つまり「世界名作劇場」シリーズでは10話前後に物語の大転換があり、その前は「母をたずねて三千里」は別にして、フローネでは楽しい船旅の様子が、「アンネット」ではアンネットとルシエンの仲の良さが、「セーラ」では特別生徒として楽しい学院生活を送るセーラが、これでもかというほど徹底的に描かれ、一気に奈落の底に突き落とされるのだ。
 上記に例を挙げた物語では原作を知らなくても展開の予測は簡単だ。「アンネット」と「セーラ」は原作の予備知識がないと難しいかも知れないが、他はタイトルを見ればマルコの旅が上手くいかないことやフローネが乗る船が沈むことが容易に想像がつく。
 しかし「ポルフィの長い旅」はタイトルからはなぜポルフィが旅に出るのか予測がつかない。前番組内で「ポルフィは妹を捜す旅に出る」って言うことと、デジタルテレビの番組紹介で「ポルフィが妹を捜す物語」と書かれ、さらにオープニングのイメージ画像のつくりで「ポルフィは妹を捜す旅をする」という方向へ話が行くのが確からしいが、ここまでポルフィの家族や住む村も平和で幸せそのもので何もそれを壊す予兆がないのだ。画面の隅から隅まで、台詞をひとつも漏らさないように聞いてもこの幸せを壊すものが何なのか、サッパリ予測がつかない。「セーラ」におけるセーラの父の存在そのもののように、一本の糸が解れると全部の幸せが壊れるという設定も何一つされていないのだ。

 原作を知っている方はここから先の部分を見て大笑いして欲しいが、この10話までの展開を見た私の予測を書いてみたいと思う。
 今の幸せな状況はあと2〜3話位と見ている。次回は予告にもあったとおりいよいよポルフィの夢である「ガソリンスタンド」が実現する話、ここらで何かしらの「予兆」が出てくるのかどうかで展開予測もガラッと変わってしまうが、私はこれまで通りそれはないと予測する。たとえば両親が病死するような展開ならば、今から予兆を出しても物語の転換までさらに5〜6話を消費することになるため、話が冗長になりすぎる。
 つまり「ポルフィの長い旅」における物語の大転換は突然の出来事と私は予測しているのだ。ギリシャの歴史を調べたらネタバレしちゃいそうなのであえてそのような事もするのをやめたが、まず歴史事実としても残っている戦災や自然災害や事故が第一想定。もうひとつはフィクションの範囲内として、ガソリンスタンドが爆発事故を起こすとか、交通事故などが第二想定として考えられる。

 私は最初の予測は、自動車修理工場が軌道に乗り、ガソリンスタンドも実現させた一家が遂に自家用車を手に入れ、これで家族旅行中に交通事故を起こし両親は死亡、ミーナは意識不明の重体のまま見知らぬ土地の病院に送られ、奇跡的に軽傷のポルフィが献身的にミーナの看病をする。事故を起こした場所がイタリアでそこにアレッシアも話に絡む。そしてミーナは意識を取り戻すが記憶喪失で、勝手に病院を抜け出して行方不明…というストーリーを予測していた。つまり先ほどの想定で言えば「第二想定」の方向で話が進むと思っていた。

 しかし、話の中である事実が出てきてから「第二想定」はあり得ないと予想をまるっきり転換させた。その事実は8話から出てきたザイミスの弟もしくは妹である。まだ母の腹の中で胎児の彼は、この物語で「生きて生まれてくることはない」と予感させるのに十分な存在で、「何か」が起きたときにザイミスの両親も死ぬのであろうことを予見させる。つまりこの設定は「第一想定」の予測をさせるのに十分なのだ。

 今の私の予測はこうだ。戦争でも自然災害でも、とにかく2〜3話後に村が全滅するような事件が起きる。歴史的に考えると戦争はないだろう。風水害は大きな川が描かれていないから消しても良いだろう。大地震というのは地域的に微妙なところだ、ギリシャは火山国だが地震は…火山国? そこでピンと来たのは物語にたびたび出てくるシミトラ村背後の大きな山だ。あれが多分火山なのだろう。前述の通りギリシャは火山が多く、火山の噴火によって遺跡になったものも数多い。あの山がある日突然噴火するに違いない。
 そして噴火によって火山弾が村を襲い、村の家々が焼けたり潰されたりするのだ。ポルフィの家は給油機を置いたばかりで、ここに火のついた火山弾が飛び込んで大爆発、無論両親はこれで死亡、飼っていた家畜類も全滅。他の村人も家が潰されたり焼かれたりで多くの犠牲者を出すが、ガソリンを大量に保管していたポルフィの家が最も被害が激しいことになるのだろう。ザイミスの母親やコリーナの親もこれで生命を落とすのだろう。
 だがここに生死を分けるポイントも必要だ。ポルフィとミーナがこの災害から生き残るための必要となる要素は、「学校は被害が比較的少なかった」という設定だろう。火山の噴火災害は学校の授業中に発生、生徒達は飛び交う火山弾の中を逃げまとい、その中の混乱でポルフィとミーナが生き別れになる。二人は別々の避難所に収容されるが二人とも大怪我をしてしまって動けない、しかもそうしているうちに火砕流や溶岩流がふたつの収容所の間を襲い、この間の連絡すら取れなくなる…。
 これは向こう6話程度の私の展開予想だ。この展開なら米軍が災害派遣でやってきてバーンズやジョンの父が物語に絡んでくるだろうし、アレッシアも「救援物資を届けに来た」とか言って出てきてもおかしくない。ザイミスはポルフィとともに生き残るだろうし、コリーナはポルフィに助けられて改心するというのも面白そうだ。
 さらに互いに連絡が取れない二つの避難所で、ポルフィは怪我も回復して快方に向かっているが、ミーナはなかなか回復せず意識のないままどこかの病院に送られたとしたら。やっと相手の避難所に行けるようになってポルフィが妹を捜しに行ってみたら、何処の病院に移送されたのかも分からないとなったら…それが「長い旅」の始まりだろう。

 今のところこんな予測をしているが、実のところはどうなんだろう?
 でも原作を知っている方、わざわざ私に教えてくれなくて良いですからね。この予測がどうなるかは、向こう3話程度の放送を楽しみに待っていれば分かることだから、それを待ちたい。

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