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第11話「ポンプとアイスクリーム」
名台詞 「僕が生まれてくる赤ん坊にしてやりたいことがあったみたいに、ポルフィはお父さんの工場のためにやりたいことがあったんだろ?」
(ザイミス)
名台詞度
 なんだ、この子供とは思えない台詞は。約束をすっぽかされても友人の気持ちを冷静に分析し、自分にもこれがあり得ることだと即座に分析して、約束をすっぽかしたことを詫びるポルフィにこの台詞を吐いて許す。そう、ポルフィは父親の自動車工場の事になると無我夢中になって訳が分からなくなって人との約束も忘れてしまうが、自分も生まれてくる赤ん坊のことで頭がいっぱいで同じような行動をするかも知れない。ザイミスはそんなポルフィの気持ちを、自身の今の気持ちや行動を通じて分かっているのである。
 しかしザイミスが生まれてくる赤ん坊へのプレゼントを考え、それが天使の木彫りと決まったときにはもう見ていられなかった。どう見たってこれ、「死亡フラグ」だからねぇ。
名場面 ガソリンタンクの穴完成 名場面度
 いよいよガソリンスタンドを始めるに当たっての物的なものが出来上がった。家族はガソリンタンクを収める穴を見下ろし、これからの店の発展に期待を膨らませる。そして父親がまだ固まっていないコンクリート面に手形をつけると、ポルフィとミーナ、そしてアネークがこれに続く。家の前で記念植樹の夾竹桃がつぼみをつけているシーンが効果的に挟まれ、壮大なBGMとともに台詞がほとんど無いこのシーンを盛り上げる。
 特に前回から村での楽しいシーンや幸せなシーンが強調されることが多く、今回もポルフィの夢だったガソリンスタンドの夢が叶い、しかも家に居ながらにしてアイスクリームを食べられるという家族の幸せを連続して強調した。そして最後の最後にまた家族が記念品を残す形で幸せが強調される。「そろそろだな」と思ったらあの次回予告、次回予告も含めての強印象シーンとなりそうだ。 
感想  いよいよポルフィの夢が叶う。ポルフィの家の来客はガソリン販売店の人だろうか? ポルフィは見せられたカタログに目を輝かせる。さらにザイミスの幸せやアイスクリームという幸せが重なり、今回は名場面で紹介のシーンで家族の幸せは絶頂を迎える。さらにアネークが自動車修理工場の収支決算を見て順調というシーンは、何もかもが上手くいっているこの家族を印象づける。
 しかし、幸せはそう長くない。次回予告を見れば少なくとも次回にはこの幸せが終わる予兆、サブタイトル「運命の日」をみればその事件そのものが起きるはずである。前回の研究であと2〜3回は幸せな回と書いたが、予想より1回位早く「それ」は来そうだ。セメントに大きなひび割れ…それは早速家族がつけた手形を破壊し、今後の嫌な展開を想像させてくれることだろう。地中の物に亀裂が入るということは地殻変動が始まった証拠…前回の研究で予想した「自然災害」というのはどうやら当たりで「戦災」という要素は排除して良さそうだ。でこの地殻変動は間違いなく火山噴火の予兆だな、地震ならば地殻変動は発生と同時だろうし…火山の大噴火を前に噴出してきたマグマによって山体の膨張が始まったに違いない…原作を知っている人がこれを見て、笑っているか「お見事!」と言っているかは分からないけど、教えてくれなくていいですからね!

第12話「運命の日」
名台詞 「家族の幸せもな、そこにあるのが当たり前だと思っていても、突然消えることがある。」
(ダモン)
名台詞度
 このじいさん、ポルフィの運命を予言してしまった。そう、そこにある幸せというのはいとも簡単に壊れるのだ。私もそれを身にしみて感じていたりする。
 この台詞は今後ポルフィの胸に響くはずだ。ここまで幸せを徹底的に描いていた物語に、ハッキリそれが終わる予兆として謎の老人にこの台詞となるのだ。この何もかもを知っているようなしゃべり方をする老人こそが、この物語では「疫病神」的な存在であり、かつポルフィを最初に救う人物となりそうだ。
 ちなみにこの老人のおかげでこの物語の時代設定が判明した。「戦争から約10年」と断言している台詞があるのだが、その「戦争」というのは間違いなく第二次大戦の事だろう。つまり「ポルフィの長い旅」は明らかに1955年前後の話である。いや、原作について調べれば時代設定なんて簡単に分かるのだが、ネタバレが怖いから…だから敢えて1950年代のギリシャについては何も調べていない。「長い旅」が始まったらその私の姿勢にも変化が出てくるはずだ。
(次点)「幸せな笑顔を思い出す事が、何故こんなにも辛いのでしょうか? やさしい暖かさを感じることが、何故心をこんなにも冷たくするのでしょうか? 当たり前であることが、何故こんなにも難しいのでしょうか? 運命の歯車が回り始めるとき、それは本当に大切なものに気がつくとき。」(次回予告ナレーション)
…この次回予告のナレーション、この災害でポルフィか負った心の傷を見事に表現している。その上で最後に次回の主題をハッキリ言い切っていて、見る者は次回の展開から目が離せなくなってこのナレーションを聞けば必ず次回も見ることになるだろう。この次回「失ったもの残ったもの」の予告は優れた次回予告だと私は考える。「小公女セーラ」の考察で名場面に次回予告を挙げる私である、次回予告も含めてその一回の物語が完成するという論者であることは言うまでもない。
名場面 ポルフィがバシルさんのところへ出かけるシーン 名場面度
 恐らく、今回のサブタイトルが「運命の日」で無ければなんてことの無いシーンのはず。しかし今回はサブタイトルだけでなく、ここまでに「何か」が起きる異変がたくさん出てきた後でのこのシーンである。単なるお使いが永遠の別れになりうる事は容易に想像できるわけで、恐らくこのシーンがポルフィと母の永遠の別れになって今後回想シーンで何度も繰り返される事になると思われる。「世界名作劇場」シリーズでこのような「ちょっとそこまでお使いに行ってくる」程度の別れがそのまま親子の永遠の別れになってしまったものは無いのではないか? ひとときの別れになるはずがそのまま永遠の別れになってしまったものとしては「小公女セーラ」のセーラと父の別れが挙げられるが、あれもちょっとそこまでお使いではなく、次の夏休みまで数ヶ月単位の別れだったはずであって、それなりの悲しいシーンとして描かれている。
 ところがこの別れはポルフィがお使いに行くだけであって、母と子は数十分後にはまた普通に会えるはずの別れだったのだ。だからポルフィは「別れ」など気にせずに家を出て行こうとする。しかし母はそこまでに起きている異変を感じ取って嫌な予感を感じたからだろうか、ただ「行ってらっしゃい」では済ませずにポルフィに向き直って襟を正してから子供を送り出す。
 さすがにポルフィも「なんか変だぞ」と思って家を振り返るのがこれまた良い。その時に家の正面の全景が画面に入り込む。そう、そのシーンはポルフィと家の最後の別れでもあるのだ。それはポルフィが見る最後の母と妹なのだ。
 妹とはどれ位の別れになるのだろう? この後の災害でそのままポルフィとミーナが生き別れるというのが私の予想であるが、それを裏付けるかのようにこのシーンではポルフィとミーナの「並び」や言い合いも強調されている気がする。この当たりはずれは如何に?
感想  異変その1、BGMがやたら大仰になった。異変その2、ポルフィとザイミスの両親がやたら印象的な台詞を残すようになった。異変その3、アポロが変。異変その4、井戸の水が出ない。異変その5、ガソリンタンクの穴だけで無く村中のセメント壁に亀裂が入る。異変その6、山羊たちに落ち着きがない。異変その7、ダモンという謎の老人が登場して深い台詞を吐く。異変その8、ミーナの「かわいさ」がやたら印象強くなった。
 この回に発生した異変をランダムに書いた、これだけ見てもこの回に何かが起きるのは確かだとわかる。前回放映の次回予告って、今回の前半分だけだったし。後半入ってすぐの山羊がざわめくシーンでのアネークなんか、あまりの驚きに口調がセーラになってるし(「ううん、なんでもないわ。」)…その直後、名場面で紹介のポルフィとアネークの別れは母と子の最後の別れであると予想させるに十分だ。
 さらに謎の老人ダモンが初登場でいきなり意味深の台詞を吐く。もうダメだ、見てられない。そう思うと、シミトラ村に地響きが轟き、地震が…いよいよ村の裏山がドカンと来るか…と思いきや、「そこで終わるか!?」。

 以上。では一緒にリアルタイム視聴している皆さん、次回までご一緒に…
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  ∧_∧  +
 (0゜・∀・)   ワクワクテカテカ
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 と__)__) +

第13話「失ったもの残ったもの」
名台詞 「泣いたっていいんだぞ。これからはお前とミーナ二人きりで生きて行かなきゃならない。ミーナを守れるのはお前だけなんだからな。だから今は泣いたっていい。」
(バーンズ)
名台詞度
 母の懐中時計を渡された事で両親の死を受け入れようとしているポルフィに、バーンズが優しく声をかける。かけがえのない両親を亡くしたポルフィに同情すると共に、ポルフィとミーナに待ち受けているこれからの人生のことを思ったのだろう。ポルフィはミーナを支えて生きなきゃならないから、これから泣いている暇なんて無いという意味も含んでいるだろう。両親を失ったポルフィに対し、今だけは自分が父親の代わりになって彼を受け止めようと言う気持ちもあることだろう。バーンズは色んな思いを込めてこの台詞を吐いたに違いない。家族と離れて暮らすバーンズにとってポルフィは息子のような存在だっただろうし、その息子のようなポルフィが人生で一番辛いであろう瞬間を迎えているのを黙って見ているわけに行かなかったのだろう。そのバーンズの「父性」がにじみ出ている台詞で、この物語の中でも1・2を争う名台詞になると思う。
 この台詞に対しポルフィは泣かなかった、涙を堪えて妹の看病に戻ると告げてその場を立ち去った。視聴者はポルフィが大泣きすると予想していただろうが、彼はこの言葉で力を与えられたのかも知れない。ミーナの両親の死を知った後のショックがかなり大きかったことを考えると、このポルフィの「強さ」は元来のものではなく、ここでバーンズに与えられたものかも知れない。
 それと、バーンズの3話での名台詞を思い出した。
(次点)「だから、父さんも母さんも死んじゃったんだ。」(ポルフィ)
…ミーナが両親の死を始めて知る。状況を理解しようとしないミーナに、ポルフィは思わずこの台詞を大声で言う。まるで怖い夜道を一気に走り抜ける子供のように。これを聞いたミーナは手に持っていた母の懐中時計を落とす。この間が秀逸なシーンである。この台詞以降、ミーナから表情と声が消える。
名場面 バーンズがポルフィに両親の死を告げる 名場面度
 バーンズはポルフィを外に連れ出す、そこは遺体安置所…まさか、セーラもジョンも…。と思ったら、CMを挟んでポルフィとバーンズは海辺に出る(丘の上にあるはずの教会の隣がなぜ海岸なのか?というツッコミはしてはならない)。「あれほどのことがあったというのに、海はちっとも変わらないんだな。」と神妙な声でバーンズが言う、それでも妹を気遣い、両親が迎えに来ると信じているポルフィだが、バーンズはそんなポルフィを呼び止めて正直に話す。ポルフィの両親をこの救護所に運んだのが自分であること、その二人が助からなかったと。
 最初は信じたくなかった、ポルフィの最初の返答は力無く「…バーンズさん、何言ってるの?」である。バーンズはさらに経緯を説明する、この時のバーンズの声をよく聞くと涙声なのだ。地震が起きてすぐにシミトラ村のポルフィの家に駆け付けたこと、倒れているポルフィを見つけて瓦礫を掘ったこと、ミーナがすぐに見つかったこと、だが発見した両親は残念ながら…「嘘だ!嘘だ嘘だ!」ポルフィは叫ぶ、ミンチンに父の死を知らされたセーラと同じ反応だ。無論あの時と同じように視聴者も一緒になって「嘘だ!」と叫びたくなる。
 だがバーンズは静かに「辛いだろうがこれは現実なんだ」と言うと、ポケットからアネーク愛用の懐中時計を取り出してポルフィに渡す。それを受け取ったポルフィの身体が小刻みに震える、この懐中時計を渡されたことによってポルフィは両親の死を現実として受け入れざるを得ないことを悟ったのだ。これは見ている視聴者もそうであっただろう。そして両親の死を受け入れたポルフィはミーナを気遣い、看病のためテントへ戻る。
 ポルフィが親の死を知らされ、その死を現実として受け止めるこのシーンは間違いなくこの物語の名場面の一つとなるだろう。恐らく、「ポルフィの長い旅」という物語そのものがここから動き出すのだから…。
 私もこのシーンで涙が出た。始めて「ポルフィの長い旅」で泣かされたシーンである。
(次点)妹の無事を知ってミーナに抱きつくポルフィ。
…両親を失ったと分かった今、ミーナがたった一人の家族。家族が一人でも生き残ったというポルフィの安堵がきっちり表現されている。
感想 …大地震って事はあれだ、火山の噴火が近いと父は判断し、モートンさんに相談を持ちかけるんだな。できっとモートンさんの指示で家族みんなが船を造って島を脱出sur(ry…なんてボケてる場合じゃない!
 つまりポルフィの家庭の幸せを破壊する「何か」は大地震だった訳だ。当時のギリシャの歴史とか調べたら、この地震がすぐヒットしてネタバレしてしまった訳だ。ちなみに「世界名作劇場」シリーズで「地震」が起きたのは「ふしぎな島のフローネ」以外に私は知らない。
 家族の名前を叫びながら走るポルフィ、やがて彼は一軒の家が無惨にも瓦礫の山と化しているのを見つける。村長の家だ、瓦礫の中にボロボロになったエミリー(勝手に命名)が…私は「コリーナ死んだのか?」とテレビに向かって叫んでしまった、子供達は全員生き残ると思っていたのに…。
 さすがにポルフィと家族の夢が詰まった工場とポンプが変わり果てた姿になり、ポルフィの家が瓦礫の山になっているのは予想通りとは言え心が痛かった。瓦礫を掘るポルフィを見て心が痛んだ。痛い、痛い。
 救護所に場面が移り、村長一家全滅を聞かされて「ダメだったか…」と視聴者が言ってしまうよ、あの作りじゃ。でもミーナは生きていた、頭に包帯が巻かれているが生命には別状がないと。良かった、この災害でそのまま生き別れという私の予想は大外れだったが、ミーナの安否が分かったのは物語を見る上で大きい。
 しかしポルフィの両親の死をバーンズから告げられてしまう。ポルフィはなんとか涙を堪えたが、テレビの前の私が…予想通りとは言え、あのシーンが一番辛かった。この物語では人の死を淡々と描き、それに意味を持たせて無理に感動させるような作りにはなっていない。だから視ている側も白けることが無く、むしろそれでもって登場人物の悲しみが強調されて見ている方が涙してしまうのだ。
 そしてミーナが意識を取り戻し、ベッドから起きて両親を捜すシーンに心が痛んだ。ポルフィは他に手段が思い浮かばず、ミーナに両親の死を告げる。それ以降、ミーナが表情を失うのを見てまた心が痛む。
 こんなシーンでも「救い」があるのが「世界名作劇場」だったのを、ポルフィを視聴する上でずっと忘れていた。そう、どんなに酷いシーンでも必ず「救い」のシーンがあるのが「世界名作劇場」なのだ。「ふしぎな島のフローネ」ではあの海難事故で海に流されて死んだと思ったフランツの無事が確認されたし、「わたしのアンネット」ではダニーがメルクルとともに谷に落ちてもメルクルが無事だったことがそれに該当するだろう、「小公女セーラ」でもセーラが父の死を知った晩にベッキーの温かい励ましがある。その歴代の「救い」シーン以上のものとして、この状況下でザイミスに妹が誕生するのだ。私の予想ではこの赤ん坊は災害で母と運命を共にすると思っていたのに、まさか無事だったとは…今まで辛いシーンばかりが続いたこの話で、唯一救われたシーンだった。
 しかしザイミスも父を失っている。素直に喜んでいいのかどうか分からない。そんな状況の横で表情を失って人形のようになっているミーナ…前々回までの幸せな物語が嘘のような展開に引き込まれ、今後が不安のような楽しみのような私であった。
研究 ・劇中の地震について
 1953年8月12日、ギリシャ西部でマグニチュード7.1の地震が発生。死者およそ800人…2001年にアメリカで制作された「コレリ大尉のマンドリン」という映画にもこの地震は描写されているそうだ。ギリシャ西部のイオニア諸島で大きな被害が出たようで、まだ私の調査では場所が確認できていない「シミトラ村」や「ヤニーナ」(どちらもたぶん架空)は西ギリシャ地方にあると思われる(アレッシアの存在を考えれば離島で構成されるイオニア地方とは思えない)。震源地はギリシャ西方沖、ギリシャ西海岸とイオニア諸島の中間付近と思われる…以上、この地震について番組終了直後に調べた結果分かったことだ。
 シミトラ村の震度は劇中の様子から確認できる。地震発生時にポルフィは立ってられずに転倒していること、倒木や崖崩れの発生、木造および石造りの家屋の倒壊、地割れの発生、さらにミーナはあまりの揺れで全然歩けなかったと証言している。これらの状況を現在の日本の震度階級と照らし合わせると震度6であることが分かる。ただし家屋の倒壊率を考えると1996年以前の規程で行けば震度7ということになり、日本で言えば阪神淡路大震災レベルの大地震であることがわかる。
 津波は発生していないようなので、おそらくは活断層タイプの地震ではないかと推測される。津波が無いことについては劇中でポルフィとバーンズが何の警戒もなく海岸へ出ていることと、バーンズの台詞「あれほどのことがあったというのに、海はちっとも変わらないんだな。」から判断できる。
 余震については劇中では描かれていないが、実は描かれていない場所で発生している確率が高い。
 以上、劇中で発生した地震について推理してみたが、他にもご意見等あったら遠慮無く頂きたい。
・さて、本日の考察の最後に10話研究欄(それ以外含む)での私の予測がどうだったのか、箇条書きしてみよう。
・出来事が史実にある自然災害等 当たり 1953年8月12日発生の地震と思われる。
・出来事による村の壊滅 当たり シミトラ村は地震発生により壊滅状態に。
・火山の噴火 ハズレ 日本で言うところの阪神淡路大震災クラスの大地震だった。
・多量のガソリンに引火してポルフィの家大爆発 ハズレ ガソリンスタンド開業前にそれは起こったので引火のしようがなかった。
・ポルフィの両親の死去 当たり 地震発生時に瓦礫の下敷きになって死去。
・他の村人も家が破壊されたりして多くの死者が出る 当たり 村の家という家は殆ど倒壊したくさんの死者が出た。
・出来事は学校の授業中に発生する ハズレ 学校は夏休みのようだ。
・上記によって子供達は助かる ハズレ コリーナが自宅の下敷きになって死去。ポルフィはお使いにでていて難を逃れた。ザイミスが助かった理由は不明。
・救護所が複数できて分断される ハズレ 救護所は村の教会に一カ所。
・ポルフィとミーナが生き別れになる ハズレ ポルフィは頭に怪我をして意識を失っているミーナを見つける。
・ザイミスの母はお腹の子もろとも死亡する ハズレ 生存し地震翌日に教会で女の子を無事出産、この物語の「救い」となる。ただしザイミスの父は死去。
・コリーナがポルフィに助けられて改心 ハズレ コリーナは死んでしまった。
・米軍が災害派遣で村へ来たためにバーンズやジョンの父が物語に絡む 当たり 災害派遣か救助隊なのかは分からないが、米軍が救護活動を行っている。バーンズはミーナを救出、ポルフィの両親の遺体を収容する。
・アレッシアが父と一緒に救援物資を届けに来る 不明 13話ではこのような場面が描かれることはなかった。
・サチェル・ペイジの話題並びにダモンの台詞より舞台は1947年以降で1955年頃 当たり 地震が1953年のものと思われる。

第14話「ぼくはミーナを守る」
名台詞 「父さん、母さん、なんで死んじゃったんだ? もうすぐスタンドができるとこだったのに、みんなで旅行に行こうって言ってたのに。ダモンさんが言ってた、会えなくなってもここ(胸の中)にいるって、話しかければいいって、一人じゃないって。父さん、母さん、本当にそうなの?」
(ポルフィ)
名台詞度
         .。::+。゚:゜゚。・::。.        .。::・。゚:゜゚。*::。.
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ウワ━.:・゚:。:*゚:+゚・。*:゚━━━━゚(ノД`)゚━━━━゚:*。・゚+:゚*:。:゚・:.━ン!!
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 誰もいないポルフィの両親の葬式、その弔辞に聞こえた。
 この台詞の後、まるでこの疑問の返事かのように風が吹き抜ける。これが亡き両親が何かを訴えているかのようで、涙が出た。
名場面 ポルフィとミーナが、家へ帰る 名場面度
 ポルフィとミーナが地震後始めて家へ帰る。両親が死んだ場所なのに、というザイミスにポルフィは「僕らの家だ」と力強く言って自分の家を目指す。ポルフィは「自動車修理工場で働く」という決意のもとにどうしても取りに行きたい物があったのは、見て行くと分かる。
 二人が家へ向かうシーンの多くが、動画ではなく静止画として描かれているのが、災害によって人の動きが無くなって静まりかえってしまった村の様子を再現する手法として秀逸である。そして二人は瓦礫を避け、崩れた道路に気を遣いながら歩いていよいよ自宅に着く。破壊された修理工場を見たポルフィは思わず息をのむが、早速修理工場の残骸を掘り父が愛用していた工具を発掘する。ポルフィが取りに来た物はこれだったのだ、まず視聴者はこれにグッとこみ上げてくる物があるだろう。
 その間にミーナは足音もなく家の方へ向かう。そしてミーナの誕生日に記念植樹した夾竹桃が花をつけているのを見つけるのだ。ポルフィがその花の一つをミーナの髪に刺すと、やっとミーナに少しだけ表情が戻る。それもつかの間、ミーナは家の残骸を見て「お母さん…」と呟く。ダメだ、涙腺が…。
 ポルフィが家の残骸を集めてギリシャの街道沿いにあるという死者の魂を弔う箱と同じ物を作る。そしてダモンから貰ったお守りをその中に入れ、ミーナは夾竹桃の花をここに捧げる。これは地震の混乱の中で他界した二人の両親のささやかな葬式と考えても良いだろう。先ほどこの街道沿いでこの箱を見たときも、その台詞から言ってポルフィは両親の死を正面から受け止めて強く生きていこうとしているように見えた、しかし…ポルフィはついに「僕、どうしたらいい?」と泣きながら地面に手をつく。これを見た私の目には涙が…。
 それもつかの間、ミーナが「あ」と短い声を上げる。アポロが現れたのだ。アポロがミーナの肩に止まると、やっとミーナに笑顔がよみがえる。
 しかし残骸の中にある家族4人の手形、これがこの地に起きた事実、そしてこの兄妹を襲った現実を視聴者に無言でぶつけてくる。家から立ち去り救護所へ戻るポルフィとミーナ、ポルフィは振り返らずに真っ直ぐ前を向き、ミーナはずっと家の方を見ているのが印象的だ。この二人の対比にまた涙が出る。この対照的なこのシーンのラストの二人の違いこそが、恐らく今後この兄妹が生き別れ、ポルフィが妹を求めて旅をすることになるきっかけになるのだろう。
 ちなみにこのシーンの後、赤ん坊の名前「エルピーダ」の意味が明かされたところで、画面が涙で見えなくなった。
感想  痛い、痛い、前半はひたすら心が痛かった。赤ん坊の顔が父親似と言われ、ザイミスが死んだ父を思い出して泣くシーンが痛かった。その隣で無表情のミーナを見て心が痛んだ。あんな大地震の後でもポルフィとザイミスの会話は相変わらずなのか、と安心した矢先のザイミスの泣き声というつくりは余計に心が痛んだ。赤ん坊の名前は「エルピーダ」、向こうの言葉で「希望」を指すらしい。日本でも神戸や新潟でそんな風に名付けられた赤ん坊がいたことはニュースになっていた。
 両親の死を知って表情を失ったミーナを力付けようと必死のポルフィにまた心が痛む。ポルフィは妹と離ればなれにならないこと、そして自分も働くことを決意する。ここまでの決意が出来るポルフィは両親の死という傷を乗り越えたようにも見えるが、ミーナのために必死になって悲しむどころではないというのが真実だろう。
 後半の兄妹が自分の家を訪れるシーンは涙無しで見られなかった。それは名場面欄で解説したとおりだ。そして最後、ギリシャ神話の「オルペウス」が最初の方で話題になっていたけど、こんな伏線があったなんて…。
 前回が災害発生で「動」の物語だったが、今回はそれに対抗するかのごとく荒らしの後の静けさのような「静」を描いたのだと思う。BGMも静かな曲ばかりで、人が減ってしまった静けさが如実に表れていると思う。そして無理に人を泣かせるのでなく、自然な流れで思わず涙がこぼれる、そんな秀逸な物語に仕上がったと思う。
 いよいよ次回、ポルフィとミーナが生き別れるのか?
研究 ・シミトラ村の位置
 今回の話では「シミトラ村」の位置がハッキリする。前半でダモンが地面にギリシャの地図を書き、アテネとシミトラ村の位置関係を説明するのだ。
 それによって示されたシミトラ村の位置はこちらをご覧頂きたい。ダモンが描いたエリアについての根拠は、ダモンがこの地図を描くに当たって「これはギリシャの全体だ」と言っている事が根拠である。大きな湾や島を省略しているようだ。
 前回の研究欄で1953年8月12日の地震で被害が大きかった地域がイオニア地方と西ギリシャ地方だが、アレッシアがトラックでやって来た事を考えれば離島で構成されるイオニア地方(リンク先地図の左側の島々がイオニア地方)はあり得ず、西ギリシャ地方のどこかであると書いたが。この予想が大正解のようで、実は私が前回の研究で「シミトラ村の位置はここら辺だろうな」と思った場所がドンピシャだった。
 「シミトラ村」は西ギリシャ地方のエトリア=アカルナニア県に所属、この県の県都は「メソロンギ」という街で劇中に出てくる都市「ヤニーナ」ではなかった。
 ただ困ったことに、都市名が全てギリシャ語で書いてあるので読めない…したがって「シミトラ村」がここに本当に存在するのか、「ヤニーナ」という都市が実在するのかはまだ確認できないでいる。
 さらにダモンが地面に書いた地図を指して「被害が大きかったのはこの辺だ」とシミトラ村の周囲を指すが、これも1953年8月12日の地震被害と一致している模様である。ただイオニア諸島については触れられていないが。
(地図出典… 「白地図、世界地図、日本地図など、地図が無料」http://www.freemap.jp/

第15話「想い出を抱きしめて」
名台詞 「ザイミス! 僕たち、ずっと友達だよな?」
(ポルフィ)
名台詞度
 妹を連れて救護所の脱走を決意したポルフィ、その瞬間をザイミスに見つかるが上手くごまかして何とかやり過ごすことが出来た。だが今までずっと友人として共に過ごしてきたザイミスとの永遠の別れになるかも知れない、と感じたポルフィはこんな言葉でザイミスとの友情を確認しようとする。
 「当たり前じゃないか、一生友達に決まってるだろ?」とザイミスが返事をすると、ポルフィは「じゃあまた合おう!」と笑顔で走り去って行く。このシーンは二人の友情を再確認するとともに、ポルフィが旅に出ることになってもザイミスはずっと「心の友」として支え続けて行くであろう事を予感させる。いよいよ台詞の端々に「長い旅」を直接予感させるものも出てくるようになったのだ。
(次点)「(前略)…二人の距離は今はまだ近いのです、今はまだ…」(次回予告ナレーション)
…いよいよポルフィが旅に出るための新展開へと物語が突き進む。これから二人の距離が徐々に離れて行くことを暗示させるこのナレーションに、視聴者は物語が既に次の展開に入ってしまっていることを悟り、さらに物語に引き込まれて次回を見落とすわけに行かなくなるだろう。
名場面 ポルフィがミーナに救護所脱出を訴える 名場面度
 「ぼくがミーナを守る」という思いは部屋の中から聞こえてきたバーンズの声によって危機に陥る。そう、ミーナ一人なら引き取るという人が現れたのだ。しかもその人はミーナを引き取ったら遠いアメリカの地に行ってしまうと…無論ポルフィが取る手段はひとつ、視聴者もそう予測したであろう「脱走」である。
 話を聞いてしまったポルフィはミーナの元に走る。そしてポルフィはミーナの肩を掴んで力説する、もうこの救護所に居られなくなること、ミーナがアメリカに行かされて二度と会えなくなるであろう事…この話を聞いたミーナは驚きの声を上げる。どんなに心に傷ついてもミーナにとってポルフィは最後の家族であり、唯一頼れる人間でもあるのだ。
 「だから逃げよう、いいな?」と説くポルフィに、ミーナも驚きの表情のまま頷く。さらにポルフィが「作戦」を告げると、ミーナはそれしかないというような感じで頷く。
 この脱走劇こそがこの兄妹を引き裂き、ポルフィが妹を捜して長い旅に出るという方向へと物語を導く重要なシーンである。いよいよ序盤から中盤へと切り替わる物語において、物語の転換点として重要なシーンとなって行くことだろう。
感想  唐突に物語が新展開を迎えた。考えてみれば最初のBGMが災害モードでない普段のBGMだったことでそれに気づけたはずなのだが…つまり前回の第14話で第一部終了、今回から第二部の物語が幕を開いたことが物語の最後、いや次回予告まで全部見終わったところで気付かされるのである。前回までが幸せな家庭が大地震によって徹底的に破壊されて兄妹が孤児になるまでの話、今回からは明らかにそれと違う新展開でとりあえずポルフィが「長い旅」に出発するまでのストーリーに変わったのである。確かに地震か発生し、それで亡くなったポルフィの両親の死の余韻となる話は前回で終わっているし、何よりもこの辺りで何らかの形で兄妹が生き別れにならないと話が冗長になる。もう生き別れ前の話はこの程度でいいのだ、私だって災害そのものが生き別れのきっかけになると予測していたし(そうでないと物語の半分が「旅立ち前」で費やされることになる)。
 それにしても予告編でもそこが重要な言い方だったので、今回の話は自動車修理に夢中になるポルフィがミーナをすっぽかすことが問題になる程度の話だと思っていた。そういう軽い気持ちで見たらそのまま別の理由で兄妹が生き別れてしまうという展開にはとにかく驚くと共に感心した。これは前回の次回予告のすばらしさも理由の一つにあると思う。話の核心をうまく隠し次回の物語へ上手に視聴者を引き込んでおきながら、実際のポイントとなる部分とは違うところに視聴者の目をひきつけて予想外の驚きの展開へ物語を運ぶという今回の手法には本当に感心させられた。こんな手の込んだアニメは、初めて見た。
 しかしチャリンコの持ち主があそこで現れなかったら、この物語は成立しなかっただろうな。この兄妹から言わせれば、みんなこいつのせいだってところだ。
余談 ・「ポルフィの長い旅」オリジナルタンブラー
 9〜10話の次回予告時に豊前との告知があった「ポルフィの長い旅」オリジナルタンブラー、半分冗談で葉書を出してみたら当選したので報告する。といってもプレゼント告知の時に画面に出ていたその通りだが。届いたカレーも同じ、しかも甘口。9話の感想が「フルーチェ食いたい」で終わっていたのは、散々フルーチェをCMで見せられた上に予告の最後で見せられたからであって、それが応募のきっかけとなったという話はここだけの秘密である。
 なお10話放映時にはこのタンブラーが既にネットオークションで出回っていた。どうやらBSフジ番組内のプレゼントの前に、某幼児雑誌で先行してプレゼントがあった模様である。

こんなんが届いた。
ミーナの顔がちょっと…

一緒に届いたハウスの食品。
やったー、フルーチェが入ってる!

ちなみにプレゼント告知
画面の見本と同じものが届いたわけだ。

第16話「海の向こうへ」
名台詞 「何だよアポロ、泣いたりするもんか。大丈夫、絶対にミーナを見つける。」
(ポルフィ)
名台詞度
 パトラの港まで来てミーナの足取りがプッツリと途絶える。ここまでは誰かに写真を見せて聞けば目撃者がいたのだが、その足取りを追って港まで来ると誰もミーナを見た者がいないのだ。ポルフィは愕然として辺りを見回すと、家族揃って海を眺める一家の姿が目に入る。両親が死に、唯一の家族である妹もどこかに消えてしまった孤独を強く感じたポルフィの目から涙がこぼれかかる。地震以降初めて見るポルフィの涙だ。
 その時にアポロがくちばしでポルフィの頬を突く、この時の台詞がこれだ。
 この台詞にはポルフィの焦りと哀しみも出ているが、何よりもその場で感じた孤独が強く表れているような気がする。そして「泣かない」という決意もにじみ出ていて、視聴者はポルフィの健気さにじーんと来るのだ。
名場面 ミーナがイザベラと合流する 名場面度
 船で何度か会話があったミーナとイザベラ、イザベラは死んだ自分の娘にそっくりなミーナが気になって仕方がない。恐らく彼女は一人で甲板に立って海を見つめるミーナに自分の娘の姿を重ね合わせてしまったのだろう。
 ん? 「世界名作劇場」で以前にも似たような話があったぞ。そうだ、怪我をして記憶喪失になった少女に死んだ自分の娘の姿を重ね合わせ、死んだ娘と同じ「エミリー」と名前を付けて可愛がる話だ。偶然にもこの「ポルフィの長い旅」16話放映の翌日からNHK−BSの「南の虹のルーシー」再放送がこの展開になる。これでミーナが記憶喪失だったら完璧だったが、凄い偶然だ。
 そりゃ置いておいて、イザベラは一緒に来ている父と夫に死んだ娘にそっくりな少女を見つけた話をしたのだろう。甲板で一人で歌を歌うミーナを見つけて、彼らも失った娘の姿に、または孫の姿に重ね合わせる。イザベラは娘を失ったときの哀しみが強い模様で、父がかなり気にかけた台詞を吐いているように見える。
 ミーナもこの船に乗ったそもそものきっかけが母にそっくりな女性を追いかけてのことだった。このミーナとイザベラの対比がよい。
 船が港に着き、いざ下船と言うときになってイザベラ達はミーナが一人で船に乗ったことを知る。そしてミーナが地震で両親を失ったことを知ると、「一緒に来るかい?」とミーナを誘う。
 この間にパトラの港で海を見つめるポルフィにシーンが切り替わる。そしてラストシーンでミーナはイザベラに手を引かれて船を下りて行く。
 ミーナはイザベラに拾われる形でイタリアに入り、ミーナの旅がここに始まったのだ。ポルフィがこれからどう追うのか見物である。
感想  「ミーナの長い旅」始まる。以上。
 それじゃあんまりだからちゃんと書くけど(今日は頭痛が酷くてダウンしそうだけど)、まずミーナが船に乗る直前に出てきた乞食の老婆は後でポルフィに絡むだろうと思って楽しみに見ていたら、今回の中でそれはなくて次回予告で出てきて「やっぱりね…」って感じ。イザベラ一座も初登場からずっとミーナを拾う気まんまんで、今後の物語で登場頻度が高いだろう事を予想させる印象度の高い初登場だった。
 しかし「世界名作劇場」で船っていうと、蒸気船や帆船ばっかりなのに…ディーゼル船が出てくるとすごい違和感を感じる。あの煙突の形状や、そこから吐き出される煙は間違いなく石油燃料で動く船のものだ。ひょっとすると「カーフェリー」が出てきたのは「世界名作劇場」では初めてじゃないか(ディーゼル船は私が見てない作品で出てきた疑いはある)? ただし、煙突から出る煙の量からいうとディーゼル(軽油内燃機関)ではなく、重油炊きの蒸気タービン船の可能性もある(ただしこの場合煙突が低すぎる)。ちなみに凄く雰囲気の似てる船が日本にあるが、無関係なのは明白だ。
研究 ・シミトラ村の位置再考
 14話の研究欄でシミトラ村の位置がほぼ断定できた旨を書いたが、早くもその位置を修正する必要が出てきた。
 今回の話では「パトラ」という実在の街が出てくる。この街はペロポネソス半島北部に位置する西ギリシャ地方アカイヤ県に所属する街で、人口およそ16万人。3000年もの歴史を持つ古い町で、昔からアドリア海を挟んだイタリアとは船便で結ばれていたようである。
 問題はその位置である。この地図を見て頂きたい。アルファベットが書かれたのピンがたくさん刺さっているところがパトラなのだが、14話研究欄で示したシミトラ村の位置とここがあまりにも離れすぎているのである。ダモンが書いた地図を疑うのは簡単だが、この時の根拠にシミトラ村を襲った地震が1953年8月12日の地震であってその震源を考慮に入れた。ひょっとすると西ギリシャ地方のペロポネソス半島側も地震被害が大きかった可能性は考えられ、14話で示したシミトラ村の位置を再検討する必要がある。
 ただし、こうなるとシミトラ村の位置はパトラの街から子供でも徒歩数時間で行ける範囲に限定される。地震の救護所になった教会がシミトラ村とは違う村の教会だった可能性も視野に入れねばならない(シミトラ村の教会は丘の上にあったが、救護所となった教会は海辺にあるという描写の違いも存在する)。
 まずシミトラ村から救護所の教会までどれくらい距離があるかという問題だ。14話でポルフィとミーナが徒歩で家に帰るが、この時に往路は徒歩、復路は自動車で半日かかっているという点から推測可能である。二人が朝皆が起きる前に救護所を抜け出したことから出発は朝6時と見るべきだろう、逆に帰りは自動車だがいろいろと雑談する余裕はあったようだが、疲れたミーナが居眠りする程の時間でもなかった事を考えると20分〜30分。救護所に帰り着いたのが昼食前だから11時頃と考える。家で二人が工具を探したり両親を悼んだりしている時間は1時間程度だろう。9時に家に到着、10時過ぎに家を出発、しばらく歩いたところで自動車に拾われたと考えられる。従って子供の足で徒歩3時間…これはちょっと現実味に欠けそうだが、休みながら歩けば10キロ程度の道のりだろう。
 次に救護所からパトラの街である。ポルフィとミーナが救護所を脱走したのが昼食直後だから13時、二人がパトラの街に入って程なく日が傾いて空は夕焼け色になった。季節を考えると18時頃には日がかなり落ちると思うので、16時頃にパトラの街に着いたと考えるべきだろう。するとここも徒歩3時間で休みながら歩けば10キロ。つまりシミトラ村はパトラから西へ20キロ離れた地点ということになる。
 14話で前掲した地図に16話で導き出されたシミトラ村の位置を追加してみた。ダモンが描いた地図とかなり矛盾があるが、この位置でないと15話後半以降の話が成り立たなくなってしまう。あまり深く追求するとヤボになるのでこの辺で。

第17話「真っ白な旅立ち」
名台詞 「人はみんな、気持ちという名前の衣をまとっているんだよ。それは目に見えない衣だがね、なまじ目に見える洋服なんかよりも、よっぽど色んな事を語っている。私には見えるのさ、昨日の女の子はあんたと同じ色の衣をまとっていたよ。同じ色の運命をね、まとっていたんだよ。愛する人と別れる悲しみ、何もかも失う悲しみ、人生という長い旅には付き物さ。だがね、こんな私だって、生きることを呪っちゃいないよ。どんなに悲しいことも、長い旅の終わりには思い出が癒してくれるはずさ。そうでなくちゃ、生きているって事があまりにも辛すぎるじゃないか。こんな私だってね、楽しい思い出はちゃんとあるんだよ。だからそれを忘れないで、悲しいことだって忘れないで、生きていくしかないのさ。」
(港の老婆)
名台詞度
 この台詞、辛いことが昇華できていないポルフィにとってはきつかったと思う。それだけではない、悲しみや辛さを胸に押し込んでおく必要はないと思い知らされたのだ。何てったって、その悲しみは忘れられるわけではないと思い知り、また胸に押し込んでいてもそれを見抜く人間もいるのだ。
 それをこの老婆は「人が服と同じようにまとう気持ち」という点で説く、そして悲しみを前面に押し出していたミーナも、悲しみを胸に押し込んでいるポルフィも目を閉じてみれば同じに見えると言い切るのだ。そしてその悲しみは生きて行く以上は誰にも避けられないし、悲しみを癒してくれるのは…時間しかないということだ。
 この台詞を聞いたポルフィは自分の中にあった「悲しみ」を痛感し、自分が失ったものを再認識したと思われる。そして唯一残った妹が、今はそこにいない…。
 この老婆の過去に何があったのか知らないが、ポルフィの気持ちの転換という点で重要な台詞だろう。この台詞が無かったら旅に出たかどうかも怪しいと思う。ポルフィは悲しみを隠すことを辞めた時点で妹を追って何処までもという決意をしたのであって、その理由は自分に残されたものが妹だけと思い知ったからである。
(次点)「お前さんとミーナは同じ運命を背負っているんだ、考えも一緒さ。ミーナも亡くなった両親のこと、そしてポルフィ、お前さんのことを思い続けている。ただそれだけを思い続けているはずだ。不思議なものでな、互いの思いが同じだと人間ていうのは引き合うものなんだ。互いの気持ちがな、磁石のように引き寄せ合っていつしかひとつになるだろう。そう考えていれば、一見回り道に見えることでも、決して無駄ではないと分かってくるものだ。」(アンゲロプロス)
…ミーナとポルフィの思いは同じ、だから自然に引き寄せられていつしか一緒になると言うこの彼の言葉に、これからポルフィは何度も勇気づけられることだろう。現に旅立ちの不安もあるこのシーンでは、その不安を払拭するのに十分な台詞である。
名場面 ポルフィの号泣 名場面度
 老婆にあの長い台詞を浴びせられ、自分に素直になったのだろう。胸に押し込んでいた悲しみが一気にこみ上げ、海辺の道を走り出す。走っている間に蘇る記憶はミーナの悲しみの表情だ。そして建物のすき間に潜り込むと、大声を上げて泣く。母を、父を、そして妹の名を呼びながら号泣するのだ。
 ここまでのポルフィは涙を浮かべることはあっても、ハッキリと声を出して泣くことはなかった。名台詞欄での通り失ったものと残ったものを再認識し、その上で唯一残されたミーナが手元にいない悲しみを痛感するのだ。そしてポルフィは泣きながら、ミーナを追わねばならない、探し出さねばならないと決意したと考えられる。
 今回はこの名台詞シーン〜名場面シーンが旅へと物語を転換させる重要なシーンである。ここが無ければ、ポルフィは救護所の教会へ帰るなど別の手段を取っていたと私は思うのだ。自分の中の悲しみ、失ったもの、残されたもの…これらの再認識と自分が置かれた立場の認識があったからこそ、彼は旅立ちの決意をしたと考えられる。
 この号泣以降、ポルフィは涙を隠さなくなる。アンゲロプロスの前でも平然と泣くようになった。
感想 「ポルフィはリュックサックをてにいれた」
「ポルフィは300ドラクマをてにいれた」
 ポルフィが遂に泣いた。号泣した。私もまた泣いた、号泣した。
 あの老婆の一言で遂に耐えきれず大声を出して泣くポルフィ、遂に父と母と妹の名を呼びながら豪快に泣いた。そのポルフィには物語序盤の車ヲタの面影は何処にもない。ああ、どうなっちまうんだ?
 その老婆も良い役を取ったと思う。この老婆の存在そのものがポルフィを旅へと誘うわけで、いよいよ物語のタイトルの通り「長い旅」へと突入するきっかけになるのだ。
 後半のアンゲロプロスとの話もいい。ポルフィが旅費を稼ぎ出すために働き、その中で一人の人物と交流をする…もうすっかり旅モードである。オープニングでも「また出会いと別れ」という歌詞があるとおり、このアニメでこれから何度となく出てくる「旅先での出会いと別れ」の最初のものである。ポルフィのことを全て知った上で彼を使うことにしたアンゲロプロスは、彼に若さについてや目的を持って働くことの意味も教える。アンゲロプロスは「船賃を貸そうと思えば貸せた」としながらも、働いたことに対する賃金として船賃より100ドラクマも高い300ドラクマと与えた上、息子の形見であるリュックサックも譲る。最後にポルフィに向けて乾杯するアンゲロプロスがまた良い。
 仕事中にはしごを見てミーナを思い出すシーンも、彼が何のために働いているかを強調していていい。
 そう言えば今回の話、初めてポルフィの本名が出てきた。あるブログでポルフィラス・パタゴスという原作での本名は知っていたが、本当に何も調べないで見ている人は初めて知ったのではないだろうか?
 ついにエンディングのスタッフロールからミーナの名前まで消えてしまった。今回はミーナは回想シーンのみの登場で台詞無し、寂しくなったという声があちらこちらから聞こえそうだ。

第18話「さよならギリシャ」
名台詞 「アポロ、去年の誕生日、父さんも母さんもミーナもいて、母さんがケーキを焼いてくれたんだ。こーんな大っきいやつ。父さんはこれ(ナイフ)をくれた。最初は上手く使えなくて手切ってばっかりだったけど、今なら何でも彫れるようになった。ミーナにあげたペンダントあっただろ? 今でも持っててくれてるよな? 今日は僕の13歳の誕生日なんだ。バカ、泣いてなんかいないよ。でも今年は、一緒にいてくれるのは、お前だけだ。」
(ポルフィ)
名台詞度
 マリカと家族の姿を見て、マリカの母が焼いたチーズパイを食べて、ポルフィはある事実に気が付く。それを思い出すと家族で楽しい時を過ごしているマリカたちのところにいてられなくなったのだろう、席を外すとポルフィは甲板で一人海に沈む夕日を見つめる。
 そしてポルフィは肩に止まったアポロにこう話しかけたのだ。災害の前の幸せと現状、これを「自分の誕生日」というキーワードで思い知ることになったのだ。もう遠い過去になってしまった一家での幸せな風景と家族、去年の誕生日はそれが当たり前のように全て揃っていた。母手作りのケーキの味は今でも舌に残っていて、父からのプレゼントは形見として手元にある。それて作り、ミーナにプレゼントしたアポロのペンダントはミーナが大事に持っているのかという思い…これらが交錯することで、今一緒にいるのはアポロだけという事を改めて思い知ったのだ。
 こんな思いのポルフィを、雄大な海に沈む夕景と、波の音と風の音が優しく包み込む。海を見ているだけで彼は落ち着いた事だろう。泣くこともせず、淡々とこの台詞を語るポルフィが「自然」に癒されたのではないかと私は思った。オープニングテーマの歌詞のように。
名場面 ギリシャとの別れ 名場面度
 出航後、ポルフィは甲板に一人立って遠ざかるギリシャを見つめる。父、母、妹…今は隣にいない家族を思い出し、思わず涙が出るポルフィ。涙声で「きっと帰ってくる、ミーナと一緒に…」と呟くこのシーンからいよいよ「長い旅」が始まるのである。
 すぐにポルフィと仲良くなった女の子、マリカの登場で余韻も何も残らないシーンであるが、物語の展開上ではついに主人公が祖国を離れた瞬間と言うことで強く心に残るシーンになるはずである。
 船での旅立ち、そしてある土地との別れという情景をものの見事に表現していると言っても過言ではないだろう。そのゆっくりした速度がその土地への未練をなかなか断ち切らせてくれず、乗る者の郷愁を誘うという「船」という乗り物での旅の醍醐味も描かれているように見える。ミーナの旅立ちでは本人がその気がないまま乗ってしまった船が出てしまったという点に目が行ってしまいがちでそんなところまで見る余裕が無かった。
 ポルフィもこのように郷愁の中にあったと思われる。ゆっくり遠ざかる故郷との別れは失った家族のことを考えさせられるには十分すぎる時間だ。そしてミーナを探し出すという決意に至るのに時間はたくさんある、マリカが出てこなかったら彼は日が沈むまでそこにいただろう。
感想 …ったく、16話以降の「船旅の描写」がとても秀逸なので船に乗りたくなって、GWの娘との二人旅は久里浜から東京湾フェリーに乗って房総へ行ってしまったじゃないか。確かに時間的には早かったけど、往復で7000円近くもかかっちゃったぞ(愛車も載せたから)、おい。まさか「世界名作劇場」にフェリーが出てくるなんて意外だった上にその描写があんなにいいなんて…「ポルフィ」のおかげで東京湾フェリーに1往復、アホな客が増えました。めでたしめでたし。娘もミーナの気分に浸っているし…。
 じゃなくて、やっぱミーナとポルフィが乗ったあの船、間違いなくモデルはこの船だな。ギリシャとはな〜んも関係ない船だけど。真横から見たこの船の写真を煙突の後、後部煙突兼マストの辺りでちょん切ったら…あら不思議、ポルフィとミーナが乗った船のできあがり。特にパトラを出航して灯台をかすめて横切るシーンで真横から見た船が前半分だけ出てきた時、マジでこの船が出てきたかと思った。つまりあの兄妹は青函連絡船でイタリアへ…じゃなくて。
 今回はダメ、私のような乗り物ヲタ(特に旅客船・フェリー好きはそうだろう)は物語をまともに見てらんなかった。それほど船旅の雰囲気や旅情を上手に表現しているのである、いや上手すぎて私のような乗り物バカに対しては逆効果だろう。物語が頭に入らない。物語の展開を理解するのに2回見てやっとだから(←バカ)。
 まず切符売り場のおばちゃんからやってくれる。「イタリアまで!」と元気に言うポルフィに対し冷静に対岸の港の名前を言う辺りがいい。そりゃそうだ、我々が北海道へ青森港から船で渡ろうとしている時に、青森の船着き場の切符売り場の窓口の人に「北海道まで!」なんて言ったら「函館でいいかい?」と同じ反応をされるだろう。次に冷静に船室の等級を確認するのもいい。ポルフィの「一番安いの」という返事も良すぎる。ああ、これが船旅なんだよ…一番安い船室ってことは三等だ。欧米だから日本のフェリーのように桟敷席なんて風習はなくて無条件で寝台、しかも相部屋ありの個室。乗ってみたら相部屋のオッサン達が子供から見たら怖そうな人ばかりというのも立派な旅情だ。夕方の食堂の様子も統一性のない船客達の盛り上がりが何とも言えない。甲板を風が吹き付けてくる様子もポルフィの神のユルでキチンと再現されている。波の音や風の音の再現も良くて、CM明けの船の舳先が波を蹴立てているシーンのアップなんか出てきた瞬間、「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」と叫んだ。だいたい船が起こす波の表現が良すぎるのに…。
…ダメだ、また船に乗りたくなってきた。この放送があった5月4日に乗ってきたばかりなのに。
 つまり、この1話は船好きの人間に見せたらダメだ。違うところばっかみてしまって物語どころじゃなくなる。これまでの「世界名作劇場」シリーズで主人公が乗った乗り物の描写がこんなにすごかったのは今まで無かったと思う。だって、乗るところとか降りるところだけしか出てこないのが多かったから。フローネが乗るオーストラリア行きの船に「船旅」の描写はあるが、あの船は沈む運命だし、何しろ昔の話だから現代人の我々が旅情を感じちゃうシーンではない。でもポルフィの時代位になれば…現在人でも旅情を感じてしまう要素は存在するのだ。
 なんか余計なことばかりで感想欄が長くなってきた。本題の感想に入れない。今から書いたらアップがいつになるか分からなくなるが…そうそう、恐らくミーナが乗った船もポルフィが乗った船も同じ船なんだろう。夜ミーナが寝た場所とポルフィが寝た場所が同じなのがよくできてるるな〜とも感じた。
 またその日がポルフィの誕生日だったという設定はありがちだが上手く考えたと思う。単なる日に出航をさせたのでなく、その当人にとって特別な日の旅立ちというのはまた特別な印象で残るものだ。それに彩りを添える船から見る夕景、遠ざかるギリシャの地、船のゆっくりした速度が…(以下ループ)

第19話「イタリアの港で」
名台詞 「便利だぜ、嵐の中や星の見えない夜でも方角を見失わない。決して自分の立ち位置を見失うな。迷ったら、立ち止まってよく考えろ。」
(レオン)
名台詞度
 仕事を終えたレオンは、ポルフィが持っている工具を整理し、無い物は自分の工具箱から分けてやることでポルフィに自動車整理に困らないだけの工具を揃えてやるのだ。恐らく地震の時に瓦礫の下敷きになって回収できなかった工具や、壊れた工具などもあって欠けている物もいくつかあったのだろう。ポルフィの父クリストフォールが工具を全部揃えていないなんてあり得ないだろうから。
 「喧嘩で絶対ナイフは使うな、ヤバイと思ったら迷わず逃げろ。」というのは本人の教訓だろう。ここでポルフィはなぜレオンが自分に親切にしてくれるのかを聞き出す。レオンの返事は自分がモンテカッシアーノの生まれで、戦災で家族を全部失ったということであった。それから自分の生い立ちを語り…「悪い奴に金をだまし取られたり、空腹で食い物を盗んで警察に捕まったり、物乞いになったり、冬の寒さで凍え死にそうになったり、何処かでのたれ死ぬってことさ。」という昼間に話した「酷いこと」のうち「野垂れ死に」以外の全てを経験したとも告白する。
 そんなレオンにポルフィはこの町でミーナが見つからなかった次は何処へ行けば良いかと聞く。レオンは北だと言うが、ポルフィは初めての土地で方角が分からない。そこでレオンから方位磁針を渡される、その時の台詞がこれだ。
 レオンはポルフィとの共通点を認識し、その上で過去の自分の姿とポルフィの姿を重ね合わせていたのである。恐らくレオンには自分が経験してきた辛いことはポルフィに体験させたくない、この想いが強かったと思われる。

「ポルフィはコンパスをてにいれた」
名場面 修理工場でのレオンとポルフィの会話 名場面度
 預けられた自動車の故障原因が、自分の手が及ばない場所と知ってポルフィは落胆する。そして「父から全部教わって何でも出来ると言われたのに…」とレオンに言われると、ポルフィは「そうでも言わないとここを出てミーナを探しに行かせてもらえないと思った」と言う。
 レオンは「俺の目を見ろ」とポルフィに向き合う、しかしポルフィはレオンの目をまともに見ることが出来ない。「職人が自分の腕に嘘をついて良いのか?」と厳しくポルフィに言うレオン、「ごめんなさい」と謝りながらポルフィはミーナを想い泣き始めるのだ。そこにレオンは「お前の話だとミーナがここへ着いてから随分経つ、その間ミーナが一人で彷徨っていたならとっくに…」その噂は俺の耳に入っているはずだとレオンは言いたかったはずだ、そこへポルフィが「そんな…」と絶叫で遮る。そこへレオンがポルフィにミーナは絶対に生きていて、「髪の長い女」に拾われたから大丈夫だと言い聞かせる。
 レオンはポルフィを景気付かせるためと、ここで躓かせないようにミーナの無事を説くのだ。言われてみればその通りで11歳の少女が一人でふらついていたり物乞いをしていたらそれはもう大事件だろう。そのような話が無い以上、ミーナは自然な形で誰かに保護されていると言うことになる。目撃者がいないからこそ、ミーナは無事と考えるべきなのだ。
 さらにこの台詞の最後が印象的だ。ポルフィにテスターを渡したかと思うと、敢えてポルフィのいない方向へ「俺なら…まずバッテリーから調べるけどな…」を言う。レオンという男の人の良さだけでなく、ポルフィに「何か」を感じて放っておけないと考えている事が分かるシーンだ。この男が戦争で両親を失っていることは、少し後で分かる話。
 で、この時の会話を見たマリオが、影でこっそり笑っているのもいい。
感想  屋台のフライドポテト売りの旦那に金は盗られかかるわ、いかにも人相が悪そうな二人組に追われるわ、なんかマルコの旅を彷彿とさせたが、ポルフィはマルコと違って寸前のところで助けられる。よかったよかった。でもこのレオンという男もなんだか怖そう、いきなり作業服を脱ぎながら「やらな(ry」(←このネタ分からない人はスルーしてください)とか言いそうで怖かった…そうじゃなくて、あのレオンが人相の悪そうな二人組と喧嘩でもして大変なことになると思った。
 で連れて行かれたのは自動車整備工場、そこにいる人の良い経営者夫婦。このレオンもポルフィと同じく突然の出来事で両親を失っている…何処かであるだろうという展開がいきなり来た。
 さて、私がこの回を見終えた後に考えたのは「この先」であった。レオンの登場で物語の展開で考えさせられる点が出てきたのだ。
 それはこの物語の最後である。まだ全52話予定のうち19話、レビュー執筆中の「南の虹のルーシー」だったらまだリトルすら出てこない段階である。前半も終わって無くて「長い旅」もやっと最初の訪問地。そんな段階で最終回のことを考えてどうするのだ?と言われそうだが。
 物語自体はミーナと再会できれば終わるだろう。でもよく考えればこの物語は「長い旅」を終えて探している人物と出会えれただけではハッピーエンドにならないことに気付いたのだ。同じ旅物でも「母をたずねて三千里」はマルコが母を見つけたら連れて帰ればいいだけの話である。だからこそ長い旅路の末の母子の対面がそのままハッピーエンドで良いのだ。
 しかし「ポルフィの長い旅」ではどうだろう? ポルフィがミーナを見つけ出しても二人には「帰る場所」が無いのである。その二人の落ち着き場所が得られていない限りは、せっかく出会った兄妹もすぐに野垂れ死にしかねない状況で、ハッピーエンドとは言い難いのだ。
 それは今回の最後の方でレオンが自分の生い立ちを語った時に気付いた。そう、彼はイタリアを放浪してブリンディシにたどり着き、そこでこの自動車工場の夫婦に拾われたから仕事も得て何不自由なく暮らせるのだ。でも現状のポルフィがこのままミーナと出会って旅を終えたら…。
 つまり何処かで「ポルフィの落ち着き先」のエピソードが出てくるはずである。それはミーナとの再会の前なのか後なのか、それとも同時なのかは分からない。いずれにしろイザベラとポルフィが一緒に旅芸人をしながら生きて行くというのはちょっと考えにくい。自然な展開で言えば「長い旅」の途中でポルフィを拾う人に出会うのだろう。その人が自動車修理工場やガソリンスタンドを経営している人であれば…ポルフィの夢も叶うというオチで物語が終わるわけだ。
 この長い旅での注目すべき点に気が付かせてくれたレオンというキャラクターの存在は、私にとってはちょっと忘れられないかも知れない。まさか最終回は、ポルフィとミーナはここで拾われて終わるんじゃ…。

 次回予告見て思わず叫んだ。「次は鉄道かよ!」。

 ちなみに連休中、妹に「今やっている世界名作劇場の内容は、母をたずねて三千里の探す相手が母じゃなくて妹を捜す版」と言ったら、「そこまでゃってくれる兄が欲しいねぇ」と言われた。トホホ…。
研究 ・イタリアの港町「ブリンディシ」について
 今回ポルフィが渡った町は「ブリンディシ」というところである。アドリア海に面する人口9万人の港湾都市である。こんな能書きは他のポルフィ紹介サイトで出てきているからいいだろう。私が注目しているのは「ポルフィの長い旅」と青函連絡船の奇妙な関係だ。こんなテーマで「ポルフィの長い旅」を語るのは世の中で私一人に違いないのでハッキリ書いておこう。
 このサイトを見て頂きたい。「Google Map」でブリンディシを引くと関連画像サイトとして上がるサイトなのだが、このページにブリンディシの港の様子として一隻のカーフェリーが写っている。船の名前は「ARIELLE」といってギリシャのキングストン港船籍の船であるが…実はこの写真でブリンディシ港に停泊しているこの船に、私は乗ったことがあるのだ。さらに現在、この船は解体されてスクラップとなり現存しないことまで知っている。
 実はこの船、1977年に日本で建造された船なのだ。最初の船主は「日本国有鉄道」、次の船主の名前は「北海道旅客鉄道株式会社(JR北海道)」であった。そしてその名前は「石狩丸」と呼ばれていたのだ。このブリンティシという港は、青函連絡船廃止によって日本で職を失い、ギリシャに売却されて地中海を点々とする運命をたどった私にとって思い入れの深い船の一隻が、一時的とはいえ定期便として寄港していた港なのである。
 前回までポルフィ達が乗ったフェリーは青函連絡船「羊蹄丸」をモデルとして描かれたに違いないと書いた。根拠は船影が非常に似ていて、さらに実物の「羊蹄丸」の煙突付近から後部を切り取ったら、まさに劇中に出てくる船そのものになってしまうという点である。煙突の形状が同じというのも見どころだが、何よりもその煙突の位置が不自然である。あんな後に煙突があったらエンジンが船の後部に偏っているので船首が持ち上がるようになってしまう。そうでなくとも煙路確保のため自動車甲板を劇中に出てくるあの位置にあの形で設置できなくなる。つまり、あの船は実在のギリシャのフェリーを描いたのでなく、フジテレビの近くに常時係留されている船で最も建造時期が劇中の時代に近い物を選んだと想像できるのだ。
 まさか「ポルフィの長い旅」の考察で青函連絡船が出てくるとは思わなかった。しかも二隻も。
 ちなみにあの船の航路はこの地図を見て欲しい。航海距離は566キロ、ざっと306海里と言ったところだろう。当時の民間船の速力は20ノット(37km/h)前後であろうから、片道16時間程度の後悔であろう。夕方、18時にパトラを出たとすれば時差とかを考慮しなければブリンディシに翌朝10時に到着したことになり、劇中の描写とほぼ一致する。

第20話「洞窟の街」
名台詞 「旅立つお前に、この言葉を贈ろう。まずは自分を助けろ、そうすれば神が助けてくれる。」
(レオン)
名台詞度
 駅まで見送りに来たレオンがポルフィにこの言葉を贈る。つまりは困ったことがあったら自分で自分を助けろ…人に頼るなって事だろう。旅先で困った時と言うのは案外、他人っていうのはあてにならないもんだ。「世界名作劇場」シリーズではマルコが何度も他人に助けられているが、それはそれなりのきっかけがあったからであり普通はそうは行かない。この物語ではそういう「旅の厳しさ」を描くという予兆のような気がしてならないのだ。
 どうでもいいが、レオンって美味しすぎ。桜塚やっくんって誰だ?
名場面 ポルフィがミノタウロスを思い出す 名場面度
 マテーラのサッシで人気を感じず、やっと見つけた子供にも逃げられて不気味に思ったポルフィはここを出ようと決意する。が道に迷ってしまい何度も同じところを歩き回ることになる。街の雰囲気は不気味で、ここでポルフィはミーナが話していたギリシャ神話の迷宮の話を思い出す。
 それはかつて頭が牛で身体が人の姿をした怪物、ミノタウロスを閉じこめるために迷宮が作られたというものだ。ミノタウロスの餌にするため、アテネからたくさんの子供がその迷宮に連れて行かれたというものであった。ポルフィはその時こそ「全然怖くないよ」と答えたが…。
 この目の前の風景はまさに迷宮そのものではないかと気付くと、ポルフィは恐怖感に包まれて走り出す。「ミノタウロスが僕を…」と呟きながら、必死に走る。
 このシーンには不気味なところに足を踏み入れてしまったポルフィの焦り、そして恐怖が的確に表現されている。13歳の子ならまだ怪談などを真剣に怖がる年齢から脱していないだろう。ギリシャ神話に出てくるミノタウロスも架空のものとはわかっていながら、やっぱ怖いのである。だから逃げるように走る。
 このシーンで久々にミーナの声を聞いたな。エンディングのスタッフロールでも久しぶりにミーナが復活してた。
感想  青函連絡船の次はロマンスカーかよ!
 いや、小田急のロマンスカーの方がイタリアのあの電車のパクリなんだが。だいたい「世界名作劇場」で電車ってはじめてじゃないか? このシリーズに出てくる鉄道は蒸気機関車ばかりで電車はなかった気がするぞ。考えてみれば多くの作品の時代設定は19世紀末期から20世紀初頭だから、電車なんて限られた地域にしかなかったはずだ。セーラの時代のロンドンなんか、地下鉄ですら蒸気機関車って時代なんだから。しかもポルフィ、思いつくままに途中下車しちゃうし…「おやおやポルフィさん、今日はどちらへ…」(←ドクロベェ様の声で読もう)って違う。切符は何処まで買ったんだよ? なのに方角が違うとか言って降りるなよ…。
 もういい、劇中の鉄道については研究欄に回そう。前々回の感想のように感想文で無くなってしまう。
 で、なんか怪しい街が出てきたと思ったら見るからに怪しいばあさんが出てきてポルフィを泊める事にするんだが…物語冒頭でレオンがあんな事(名台詞欄参照)言っているのに、こんなトントン拍子に宿泊させてもらえるというのは意外なんだ。そしたらばあさん、ポルフィの荷物を持って何処へとも行ってしまうし…今度こそ全財産根こそぎやられるのか? あのばあさんはマルコやペリーヌの怨霊なのか?
 物語の核心部分を次回に回したので、この回は前半の鉄道旅行シーン以外は印象に残らなそう。
研究 ・今回ポルフィが乗った列車
 今回、ポルフィはイタリア上陸地点であるブリンディシから内陸のマテーラまで列車の旅をする。列車の中では相席の人と会話をするなどほのぼのした展開が繰り広げられて鉄道旅行の旅情を誘うのである。
 まずは車ヲタのポルフィがカッコイイと言ったあの電車についてだ。画面で見ると小田急ロマンスカーや名鉄パノラマカーのように運転席が2階にあり、客室が最前部まで続いているパノラマカータイプの車両であることが分かる。しかも台車が連結部にある「連接車」と呼ばれる構造だ。色はグレーとグリーンのツートン。この車両はポルフィの舞台になっている1950年代のイタリアに実在した車両である。
 この電車は当時のイタリア国鉄が誇る最新鋭電車で形式は「ETR-300」といい、車両の愛称は「セッテベロ(Settebello)」と呼ばれていた。1952年からミラノ〜ローマ間等で運行を開始し、最高速度は200km/hを誇った。車体の特徴は劇中の描写にもあった通りパノラマカータイプの展望室を持つことで、この構造は日本の小田急電鉄や名古屋鉄道より先で、両鉄道がこの電車を手本にロマンスカーやパノラマカーを製作している。ちなみに先頭の展望室は普通客室ではなくラウンジとなっている。車内は全席1等で、全てコンパートメントになっている…だんだん劇中に出てきた描写から離れてきたのでこの位にしておこう。詳細はこのサイト(イタリア語)またはこのサイト(日本語)も見て頂きたい(勝手にリンクしているので苦情があればすぐ消します)。
 次にポルフィが乗った路線だ。文章で説明するのが面倒なのでこの地図をご覧頂きたい。ブリンディシから約190キロの道のりだ。当時はこの辺りに高速路線は無かったようなので現在の日本の在来線特急とほぼ同じ位のスピードと考えられるだろう。つまり平均速度は70〜80km/h程度、劇中ではあまり長時間乗っていたようには見えなかったがたっぷり2時間半は乗っていたことになる。また劇中の描写では各駅停車のように頻繁に駅に止まったように見えたが、車両が特急専用車両なので実は主要駅以外は全部通過していた可能性が高い。いずれにしろ相席の男が「この路線は西へ向かう」と言っていたのは大まか当たっているが、この台詞が出てきた頃は南へ向かっていたんじゃないか…ヤボなツッコミはやめよう。
 「ポルフィの長い旅」の感想を扱っているサイトやブログは数あるが、ここまで乗り物にこだわったのは他にないだろう。マテーラとかサッシとか調べて発表する人は多いだろうけど…よ〜し、今後乗り物が出てくるようならこの路線で行っちゃうぞ〜。

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