前ページ「あにめの記憶」トップへ次ページ

第1話「女用心棒バルサ」
名台詞 「だが金を持っていると、何処にいっても同じ生き方をしてしまう。けど金がなければ、その場に合った生き方が出来る。それはそれで悪くない。」
(バルサ)
名台詞度
★★★
 本話冒頭、ヨゴに帰ってきたバルサに声を掛けた商人がいた。その商人はヨゴでは金があれば何でも出来るとバルサに告げると、バルサが返した返事がこれだ。
 いきなり深い台詞が出てきて驚いた。そしてこの台詞の通りだと思う、金持ちになれば誰もが大きな家を建てるなど豪華な暮らしをしようとするだろう。だが金がなかったら…いま自分が置かれた状況に応じて生きなければならない。それは画一的なものではなく、誰もが同じようにするものではないのはバルサが言う通りだ。そしてこんな生き方の方が良いとこの主人公が視聴者にも訴える。
 この台詞を聞いて、多くの人は「自分はどっちだ」と感じたことだろう。もちろん前者の「金がある人」にとってはこの台詞は響かないかも知れない。だが後者の金がない人は「はたして、自分はその場に合った生き方をしているのだろうか?」と疑問に感じることだろう。この台詞を聞いた私は「では、今の自分に合った生き方って?」と思わず考え込んでしまった。本当に深い台詞だ。
 主人公バルサは、後者だが前者にぶれないようにして生きていることが、本話が進んでいくと解るようになっているから面白い。
名場面 チャグムの事故 名場面度
★★
 この物語の発端は、本話前半で描かれるチャグムの事故だ。名台詞欄シーンが終わると、バルサは街道に掛かる吊り橋を渡る。すると並んで架かる橋に王族の一行が通ると言うことで周囲の人々はひれ伏すが、バルサは「この国の住民ではない」としてそのまま通過しようとする。そこで一行の中の牛車の牛が突然暴走を始め、乗っていた王子もろとも牛車が川に転落する。これを見たバルサは川岸の木に槍を固定し、これにルパン三世ばりにロープをくくった状態で川に飛び込んで王子を救う。その直後に破壊された牛車に巻き込まれるが、何らかの不思議な力で二人が助けられる風に描かれる。
 前述したように、本作はチャグムが事故で川に落ちてこれをバルサに救われるこのシーンが全ての発端である。この事件を機にバルサが妃から王室に生命を狙われているチャグムを守るよう要請され、バルサとチャグムの逃避行が描かれるというのが本作の基本ストーリーである。そしてその発端をどれだけ印象的に、どれだけ迫力を持って描くかは本作を映像化する上で最も重要な点と言えよう。そしてその通り、水の流れの強く描いて迫力を出し、その上でのバルサの救助活動と「見えない力」にチャグムが守られている様を上手く描きだして視聴者の印象に残すことに成功していると思う。
感想  この春、NHKが力を入れて製作したファンタジードラマ「精霊の守り人」。綾瀬はるかさん主演の実写ドラマながらも、無国籍風な設定と背景を上手く描き込んだ作品だと感心していた。その第一部が4月に全4話放映が終わったのを追うように、今度は2007年製作のテレビアニメ版の「精霊の守り人」の再放送が始まったので本コーナーで「リアルタイム視聴」における感想と考察を書くこととした。なお本作は実写版を先に見ているので、それを踏まえての感想や考察になる事を先にお断りしておこう。
 アニメ版では冒頭でバルサが何のためにヨゴにやってきたのかが明示され、名台詞欄シーンのような台詞まで入れられているのは好印象だ。実写版はいきなりチャグムの水難事故からスタート、そこでバルサを印象付けるというかたちだ。
 そのチャグムの水難事故だが、やはり実写版の「あの絶対に落ちたら死ぬ高さの橋」は、アニメ版では現実的な橋の高さになっていたなー。だって、実写のチャグムはどう見ても100メートルは落ちてる。あれじゃ「見えない力」に助けられたとしても、死んじゃうよ…。
 バルサがチャグムを助けてから、妃にチャグムを託されるまでの展開も大きく違う。実写ではチャグムを助けたバルサは王室に捉えられて投獄されるが、アニメではチャグムの事故現場から姿を消したバルサを王室が探しているという形に描かれている。これは実写の流れの方が自然だと思ったけど…「処刑されると思ったら目の前にご馳走が…」ってあの実写版のシーン好きだったんだよなー。その辺りを全部飛ばして、バルサの入浴シーンまで行くとは…おいっ、綾瀬はるかはちゃんと上半身裸で風呂に入ってたぞ!
 でも妃が服を着たまま風呂に現れるのでなく、ちゃんと現れるべきところで現れた風になっていたのは好印象。実写版を見たとき綾瀬はるかの入浴シーンで「おおっ!!」って思った後は白けたからね。まぁ、実写版の設定である「風呂場でなければ女二人きりになれない」というのは自然で良いんだけど、あれはやりすぎ。
 まぁ、そんな感じで実写版第一話の途中までが今話だ。たのまれ屋の兄妹はアニメでは本話で出てきているが、次話でここに転がり込むのかな? 先回りして展開を知っていると別の意味で楽しいな。

第2話「逃げる者 追う者」
名台詞 「光と闇、ふたつが相まってこの世を形作ると教わって参りました。いかに暗く曲がりくねった道であれ、それが天に通じているならば、私は歩いて参る所存にございます。」
(シュガ)
名台詞度
★★★
 チャグムがいた王宮の「二宮」の火災を受けて、星読みのシュガが聖導師のヒビトナンの元を訪ねる。そして王宮でチャグムの暗殺計画が進んでいることを問い詰め、これを認めさせる。この際、ヒビトナンが「これから先の政の裏側に関われば、もはや後戻りは出来ない道に足を踏み入れることになる」と忠告、これに対するシュガの返答がこれだ。
 カッコイイ、というかこの台詞一つでこのシュガというキャラに「信念の人」というキャラクター性を見事に植え付けたと思う。自分の信じた道、自分を育てた師、このを信じて邁進する若者像をこの短い台詞に見事に込めた。そしてその道を信じて驀進するからこそ、才能が芽生えただけでなく他の者達からも一目置かれているであろう、このキャラクターの「立場」というものが上手く出ている。
 ちなみに実写版では、このシュガのキャラクター性を確立する台詞はない。事実を知ったシュガは聖導師に「他言したら生命はない」と脅されるだけである。実写版のシュガかキャラクター性がよく分からないまま幽閉されてしまい、印象に残らないキャラになってしまったのはこのような彼のキャラクター性を殺してしまったからだと思う。うん、このアニメのシュガは好きになれそうだ。
名場面 襲撃 名場面度
★★★
 今話のラストからバルサとチャグムの逃避行が始まる。夕刻にたのまれ屋の兄妹と別れて街を出て、二人は月夜の田んぼの中に伸びる一本道を歩く。この日は二つも月が出ているとても明るい夜で、バルサは「まずいね、身を隠すところもないのに…」と呟く。そこで振り返ると二人の後方に4人の人影があった、チャグムの生命を狙う王宮からの追っ手だ。「チャグム、走れ!」バルサが叫ぶと、追っ手達は着用していた被り傘を取って派手に中へ投げ上げ、これを合図に二人を追う。今回はここでエンドだ。
 多分1分にも満たないシーンだが、二人を襲う最初のピンチが上手く示唆されている。まだ戦いには入らずにその直前で本話は終わりを迎えるが、その「戦いの前の緊迫感」や二人に訪れる大きなピンチの予感というのも上手く感じるように出来ていて、ここまで見たら視聴者は次を見ないわけに行かないよう上手く出来ている。
 時にここで追っ手達がわざわざ被り笠を派手に投げ上げるシーンは、実際の戦いなら相手に見つかりやすくするだけの無駄な行為であるだけで慎むべき行為なのだが、ここではこうやって敵がわざわざかっこつけるのが「強さ」「大きさ」「チームワーク」を上手く誇示していて、話を上手く盛り上げると思う。ここは現実の戦いのように敵が忍び足でやってきて突然襲撃したら…さぞかし盛り上がらなかっただろう。
 ちなみに、実写版ではこのシーンは昼間、しかも森の中のシーンとして描かれる。実写の場合は第1話終盤での出来事でそのまま戦いに入るため、視聴者を次話まで焦らす必要がないので描かれ方も変わってきて当然だから単純比較をしてはいけないのだが、「襲ってくるならこの辺りだろう」と判断したバルサがチャグムの手を引いて突然走り出す。そこでいつの間にかに追っ手が迫っているという形で描かれている。これは話数をまたがない実写版の場合は、即戦いの盛り上がりに入らねばならないので正しい描き方だと思う。特に次話まで視聴者を引きつけるために、自然な動きよりも印象に残す動きをわざわざさせる必要も無い。ここのシーンのアニメと実写の違いこそが、「1エピソードのどの位置にあるかにおける同じシーンの描かれ方の違い」の言い見本になるだろう。
感想  今回までが春に放映された実写版の第一話と言うことになろう。この辺りからアニメと実写の解釈の違いが目立ってきたなー。
 たとえばバルサとチャグムがたのまれ屋の兄妹の家に着いたシーンだ。兄妹の家が「橋の下にあり、橋を荷車が通るたびに揺れてホコリが散る」という設定は同じだが、そこから始まる制作者の解釈や描き方の違いは面白い。このアニメではチャグムが寝るシーンで上を荷車が通ってホコリが散り「チャグムが振動とホコリで眠れない」とむ言うことでこれを表現しているが、実写では食事シーンでチャグムの食事にホコリが入るという事でこれを表現している。この兄妹の家は実写版の方が現実的、貧しい子供だけで暮らしているという前提でうまくウェザリングがされているし、また照明を持っていない事による「暗さ」も上手く表現している。このような表現は現在のデジタル画像だから出来るのだろう、昔のアナログ画面だったら暗くて何も見えなくなっちゃうからね。アニメではこの家はこぎれいにされており、兄妹の貧しさがいまいち伝わってこないんだよな。でも実写のチャグムが兄妹の様子を見て「この者どもはなぜこんなところになぜ閉じ込められているのだ?」と問うのはやり過ぎ。そこまでやらなくても伝わるものは十分に伝わっている。
 あと星読みのシュガと聖導師もキャラクター性が違うなぁ。もっとも実写では名台詞欄に書いた通り、シュガのキャラクター設定に失敗している。これにより視聴者から見れば実写のシュガは「たんなる暴走する若者」にしか見えない。シュガの話は名台詞欄に書いたからともかく、聖導師も描かれ方が大きく違う。実写の聖導師なんか、二宮の妃と不倫関係にあるように見えるもんなー…いずれにしても実写の聖導師はエロ男的な面があり、アニメの聖導師のような聖人君子には見えない。
 しかし、たのまれ屋の兄であるトーヤの出っ歯が気になるなー、もうちょっと自然に描けなかったのかな?

第3話「死闘」
名台詞 「このままチャグム皇子を連れて帰れば、帝ご自身の手で皇子を殺さねばならない。そのような酷いことは断じて許されるべきではない。もし、ここで俺が己の手を汚せば、少なくともチャグム皇子はご自分の父君に殺されずとも済む。それで俺は確実に死罪になるであろうが、この身一つ消えたとて、むしろ本望…。」
(ジン)
名台詞度
★★★
 チャグムを暗殺するために王室から派遣された刺客の一人であるジンは、バルサに深手を負わせてチャグムを捕らえると自分がチャグムを連れ帰る旨を宣言して仲間の刺客たちには後処理を頼んで一人立ち去ってしまう。そして麻酔を掛けられ寝ているチャグムを誰も見ていない河原へ連れて行くと、ジンはチャグムから受けた優しさを思い出して一人涙する。そしてこの台詞のように呟いてチャグムに刃を立てようとするのだ。
 この男が「チャグム暗殺」に加わっている理由が明示された。劇中でも流されたように彼はチャグムに恩があり、チャグムを救おうとしていたのだ。ただその救い方は生命を助けるのでなく、「父親に殺される」という悲劇を味合わせずに死なせてやりたいというやり方であるだけのことだ。だがそれが彼がチャグムにしてやれる精一杯のことであり、そうすることでしか恩返しが出来ない彼の「不器用な性格」と「立場」をこの台詞が上手く再現していると思った。
 そしてチャグムに刃を立てたジンだったが、そこにバルサが現れてジンを倒し、チャグムを連れ去る。ジンはチャグムを自分の手で救うことが出来なくなってしまったのだ。
名場面 過去 名場面度
★★★
 王室からの追っ手との戦いで負傷し、バルサは森の中に倒れる。バルサはチャグムに森の中に住むタンダという男に助けを求めるように頼むと意識を失う。チャグムは風雨をついてタンダに助けを求めていたその頃、倒れたバルサ傍らでは二人の男が戦っている。その一人はバルサの育ての親であるジグロという男だ。そしてジグロと戦う相手が倒されてバルサの隣に倒れる、その倒れた男を見て泣き崩れるジグロと、その様子を見守る少女の姿という構図だ。バルサが「あれは…」と呟くと少女の姿が大写しになり、またバルサは気を失う。そこにタンダが走ってきてバルサの名を連呼するシーンで、物語の中はバルサの妄想から「現実」に戻る。
 バルサの過去を示唆するシーンとしては実に上手いと思った。途中まではこの一連のシーンがバルサの妄想ではなく、実際にバルサが倒れている傍らで起きているように描かれたことで「物語に割り込んでいる回想」であることを視聴者に感じさせないので嫌味がないし、何よりも話の流れをぶった切らずに済む。ジグロに倒された男は恐らくはバルサの父、様子を見守る少女は幼き日のバルサなのだろう。こうしてバルサの父が何らかの理由でジグロに倒され、ジグロがバルサを引き取って育てたという物語の「前提」とこれに伴う「バルサの物語」が上手く転がり始める。
 このシーンを見てどうしても比較してしまうのは、実写版のそれだ。実写版では物語の流れも読まずに、突然回想シーンとしてバルサとジグロの生活が物語に割り込み、視ていて疲れること疲れること…実写版では基本設定部分について登場人物に解説めいた不自然な台詞を吐かせないように回想シーンで処理しているのだろうけど、その回想シーンの入れ方が悪くてテンポ良く流れていた物語の流れを止めてしまい、折角の良い物語を台無しにしてしまっているのは否めない。一昨年に公開された実写映画版「ガッチャマン」と同じ欠点があり、見ていてとにかく疲れるのだ。
 その実写版を先に見せられているから、このシーンはとても出来が良いと感じてしまうのは否めない。確かに実写と同じくバルサによる回想と言えば回想なのだが、それが実際にバルサの脳内に映し出されているかのように上手く処理されている。それは回想に過去の人物が出てきても、世界観まで時間を巻き戻すことはせず「現実の世界の中で昔を思い出している」というシーンとして説得力を持たせたからだ。
 この物語において、過去に縛られているバルサを表現するために「バルサの過去」をどうしても流さなきゃならないし、その手段としてナレーターの解説で済ませるのでなく回想シーンで流した方が効果的なのは認めるし、それが物語の魅力である事も確かだ。だけど回想シーンの入れ方については、実写の方はもうちょっと上手く考えて欲しかったなー。
感想  前回のラストシーンを受けて、今話では最初の戦いの結果が描かれる。もちろんここはバルサが深手を負って倒されなきゃならないが…実写のバルサはあんな死にそうな大怪我はしていなかったような。それにチャグムがタンダに助けを求めるために山の中を歩くシーンはとても印象的だ、あの「熊の背のような岩」は思ったより小さいみたいだが、「甘やかされて育ったチャグムでも登れる高さ」「落ちたら死ぬ高さ」を両立して上手く描いたと感心した。だがこのシーンでオオカミが出てきた理由がよく分からない、チャグムがオオカミに襲われたピンチを描いたところで満を持してタンダが出てくるのかと思ったら、そんなシーンがないままオオカミはいつの間にか「なかったこと」にされているし。だいたいオオカミって群れで行動するもんであってブツブツ…って、ありゃ群れをつまみ出された「一匹狼」ってやつか。
 また同時並行で進む「たのまれ屋」のトーヤとサヤの物語も印象的だ。結局彼らは「自分たちの働きガムになる」ことだけを演じ、これが「バルサの危機」を盛り上げる要素になっているのだが、ここではこの兄妹がうまくキャラクター性を出していると思う。実写版ではこの兄妹はあまり目立たなかったから、予想外の活躍に驚いたぞ。

第4話「トロガイの文」
名台詞 「弟の母君の心配をすることが些事だと申すか? だとすれば帝とはそれほどに心冷たくあらねばならぬのだな? であればこそ、チャグムにはそのような冷たさとは無縁の世界に生きて欲しかった。チャグムが元気に走る回る姿を見ているだけで、世は幸せな気分になれたのに。」
(サグム)
名台詞度
★★★
 王宮ではチャグムが死んだ事にして「御舟入り」という葬儀が執り行われることになった。これを見たチャグムの異母兄であるサグムはチャグムの遺体が見つかっていないことを根拠にして「本当にチャグムは死んだのか?」と教育係のガカイに問い、チャグムの母である二の妃に対する扱いなどを批判する。ガカイは遺体はなくてもチャグムの姿が王宮から消えた事は確かだとした上で、「ゆくゆくは帝になられるお方が、そのような些事にとらわれてはならない」と言う。これに対するサグムの返答がこれだ。
 この台詞を聞いて、チャグムとサグムの間にある兄弟愛というものを誰もが感じたはずだ。母は違っても同じ場所で同じ場所で育てば、それに応じた絆で結ばれるという事実がこの台詞にキチンと込められていて、かつこれが本作でのサグムのキャラクター設定を瞬時のうちに打ち立ててしまった事にもなろう。サグムには「弟を愛するからこそ弟を守りたいと思う人」という本作内での必要な役割と立場が与えられる。そのキャラクター設定に対してものすごい説得力を持つ台詞として印象に残った。
 ちなみに実写版のサグムはこんな印象的な台詞を吐かない。出てきたかと思ったらすぐに病死した印象しか残ってないもんなー。
名場面 トロガイ登場 名場面度
★★★
 本話冒頭ではこの物語で重要な役割を持つ呪術師の師匠トロガイが万を侍して登場する。森の中の泉のほとりに佇むトロガイの姿で始まり、続いて泉に顔を突っ込んで中にいる魚のような生物と何か会話をしている。その生物が何を言っているのか解らないことはポイントで、これによって瞬時に「こいつはただ者ではない」と視聴者が理解するはずだ。そしてその会話の結果を基にした独り言が続いたと思うと、唐突に何者かが自分を襲いに来たことに気付く。「おい、下りてきな!」と叫ぶと森の中から王宮からの刺客が現れる。相手は男二人、すぐに傘を投げてその素顔を見せる。「陰気くさい犬っころだねぇ…」とトロガイが言うと、もう刺客達はトロガイに襲いかかっている。最初は刺客の鎖の攻撃を上手く交わしていたトロガイだが、すぐに左足が鎖に掴まれてしまう。岩から墜落したトロガイに、もう一人の男が刀で切りつけてトロガイの悲鳴が聞こえる。だがトロガイは「変わり身の術」で姿をくらませており、男が斬ったはずのトロガイの身体はすぐに土に変化する。と思うと鎖を使った方の男が急に苦しみ始めて倒れ意識不明となり、すぐにもう一人の刀を使った男も苦しみに喘ぐ。その傍にトロガイが立ち「覚えておきな、きれいな花には毒香があるってことをね。良い夢ばかりは見せちゃくれないよ」と決め台詞を吐くとその男も意識を失う。トロガイがその男に王宮に宛てた手紙を持たせたことでこのシーンが終わって、本話の物語が本格始動する。
 ものすごい印象的なシーンだ。今回初登場のはずのトロガイが、もう何話も前からずっと出続けているような錯覚をするほどの印象的な登場だ。このシーンではトロガイが持つ物語進行に必要な「呪術力」、敵を倒すための「戦闘力」が上手く示唆されてこのキャラクターが「頼れるキャラクター」であることを上手く描きだした上で、強い敵を倒して決め台詞まで決めるという印象的な登場だ。これらの要素のうち一つでも欠けたら、こんな印象的な登場にならなかったかも知れない。
 そして印象度を高めるだけでなく、トロガイが王宮への手紙を刺客に託すという「物語の進展」もちゃんとあるんだから恐れ入る。こうしてこのキャラクターも立場と役割が決まって行くのだ。
 実写版のトロガイなんか、確か初登場は突然シュガのところにワープして現れる形で「うげっ」と思ったからこの登場は本当に印象的だ。是非とも高島礼子さん演じるトロガイにも、このシーンをそのまんま演じて欲しかったなー。
感想  本話ではここまでまるでもったいぶるように、その存在が語られただけで本人が姿を現さなかったトロガイが満を持して当時要した形だ。その最初の登場は名場面シーンに記した通り強烈だったが、本話のラストのトロガイも印象的だ。タンダの家に「たまごー、たまごー」と呟きながら一方的に乗り込んで来て、チャグムを見ると「たまご!」と叫ぶトロガイもサイコー。これも高島礼子さん演じる実写のトロガイにやって欲しかったなー。高島礼子さんって、今だとまず思い出すのは実写の「宇宙戦艦ヤマト」の佐渡先生だ。女ながらに佐渡酒造をあそこまで見事に演じた彼女の演技は、批判点の多いあの映画の最大の見どころだったと思う。そりゃともかく。
 今話はトロガイ登場も含め、前半は王宮での話、後半はバルサたちの動きと話が完全に分かれている。確か前話もこんな構図だった記憶が。その中で実写版では影が薄かったサグムが、チャグムを想う印象的な台詞を吐いているのは名場面欄に記した通りだ。
 実写版を先に見たせいもあってどうしても比較してしまうが、やはり実写版はキャラクターの設定付けや役割の確立がどうも上手く行ってなかったように見える。シュガが過去の碑文を読むに当たっての展開なんかその典型で、実写のシュガを見ると「国のため」というより「自分の知識欲を満たすため」にやっているようにしか見えない。その上で幽閉されて強要されても碑文を読み続けるというシーンに全く説得力を感じない。本作のシュガは碑文にはまだ手を触れていないので実写同様に幽閉されるかどうかは解らないが、本作のシュガなら幽閉されて碑文解読を強要されてもそれをやり続けるであろうという性格付けがもう出来上がっている。なんかだんだん本作の考察が「実写版の批判」になってきたなー。
 しかし本作のバルサって、案外胸が大きいんだね。バルサが服を脱いだシーンでチャグムが自ら回れ右をしなかったシーンは花丸を付けても良いシーンだと思う。ただここで私の解釈を言えば、皇子として育ってきたチャグムは「女性の身体は男が見てはいけない物」と思っていなかったはずで、その上で服を脱ぐバルサに興奮していたって所だろう。でも服を脱いでもバルサはタンダに完全に心を許しているのは、本作も実写も共通していると思う。しかしタンダよ、まだ30歳の女性を「おばさん」だの「中年女」だのと…事実なのは確かだがもうちょっと言葉を選べよ。私に言わせればその年齢の女性なら十分に若いけどね。

第5話「秘策、青い手」
名台詞 「いや、相変わらず大したもんだと思ってさ。お前は昔から何でも一人で出来ちまう。でも、こんな時くらい俺を頼れよ。」
(タンダ)
名台詞度
★★★★
 バルサは王宮からの追求を逃れるべく、これまで敵対関係にあった奴隷商人「青い手」が扱う全奴隷を買い取りそれを解放するという「商談」を成立させた上、「青い手」が移動用に使っている脚の速い馬の譲渡交渉も成立させてしまう。その様子を見て喜ぶトーヤとは違い、タンダは面白くない表情をしている。「何か言いたそうな顔だね?」とバルサが問うと、タンダは水を飲みながらこう答えた。
 いよいよタンダの本音が出てきた。これまでタンダがバルサを想う台詞はいくつかあったが、それは全て「建前」だったと言える。バルサと幼い頃から付き合いがあり、バルサという人物の良いところも悪いところも知っていての対外的な言葉を選び、そこに「個人的な想い」という私情を挟まないようにバルサに対してだけでなく、子供であるトーヤやサヤやチャグムにも話をしていたのは確かだ。
 だがこの台詞はそれらとは明らかに異質だ。タンダが始めて感情的になってバルサにぶつけたこの台詞、これはタンダの「男として」のプライドそのものと言って良いだろう。その上でバルサに「自分だって出来る人間なんだ」と見せつけて、バルサに頼ってもらいたいというタンダの想いだ。そしてそのタンダの想いの下敷きにあるのは、もちろんバルサに対する恋心だ。
 だが同時に、この台詞とは裏腹にタンダはバルサに絶対に敵わないことも知っている。知力・体力共にバルサが自分を上回っていて、バルサが自分に甘える存在でない事も知っている。この件を通じてタンダが面白くなかったのは、バルサが何でもかんでも自分で物事を解決している事実ではなく、自分の力のなさを痛感したからだ。そしてそんなバルサが自分を男として想ってくれるはずがない…情けなくて恥ずかしいのがこのタンダの想いであり、その想いが巧くにじみ出ていると感心した台詞だ。
名場面 商談 名場面度
★★★★
 バルサに頼まれて街へ行ったタンダが行った先は、奴隷商人の「青い手」だ。バルサと敵対関係にある「青い手」だが、タンダがバルサの使いで来たことを知るとすぐにバルサの元に出向く。「これは一体どういう訳だ?」と叫びながら、「青い手」の主人がバルサがタンダ経由で差し出した王室の宝物を投げ渡すところから商談は始まる。落ち着き払って「まぁ、お上がりよ」と返すバルサに「今までの仮をここで返してもいい」と語りながら、家に上がってバルサの前に座る主人。「じゃあ、商談と行こうか」とバルサが切り出して現在の「青い手」が持っている「手持ち」を聞き出す。主人が殆どが外国人で30人位だと返すと、バルサは不気味に笑って「いいねぇ、みんなまとめて買い取るよ」と即決する。主人が「本気か?」と問うと「代金はそのお宝で、あんたのところならさばけるだろ?」とバルサが告げると、タンダが「この宝には子を想う母親の気持ちが託されている」と割り込んでくる。「そんなことは承知の上、だからこそ今が使いどきなんだ」とバルサが即答すると、「で、どうする? 全員をここへ連れてくるのか?」と主人が問う。「その必要は無い、あんたはアジトの鍵を開けるだけでいいんだ。明日の朝、囚われている人達を自由にしてやってくれ。それであんたの役目は終わり、楽な仕事だろ?」とバルサは相変わらず不気味な笑みを浮かべつつ言う。「そういうことか…読めたぜ、お前の腹が。こいつは面白い、山狩り隊の奴らには迷惑な話だろうが」と返す主人、「少しは利口になったようだね」とバルサが返すと解放した奴隷達をまた捕まえてはならないと釘を刺す。「信用しろ、これは商売だ」と主人が返して商談成立。「何をやらかしたかは詮索せんが、ほとぼりが冷めたら戻って来いよ。今度こそ俺と組んで一山当てよう」と主人が付け加えると「やめとくれ、冗談じゃないよ」と返すが、今度はバルサが「話は違うけどあんたの馬、あの蹄の音からすると三国を一夜にして駆け抜けると謳われる、黒蝗馬じゃないかい?」と付け加える。「良い耳してるな」と返す主人に「じゃあ、あれももらおうか」と突きつけるバルサ。「あれはダメだ、それは聞けねえ注文だ」と返す主人を笑みを浮かべて睨むバルサ…次のシーンでは馬もバルサのものになっていた。
 実に印象的な商談だ。何が印象的って、これまで槍での戦いで強さを主張してきたバルサが、突然にしてこの買い物での「やりとり上手」な面を前面に出してくるからだ。商売人で商売が巧いはずの「青い手」主人より強気に出ることで、商談の間中ずっと優位を保ったまま話を進めてゆく。最初は相手が強気でもそれに挫けることはなく、また自分が有利でも不利(不利はなかったけど)でも表情一つ変えずにポーカーフェイスを貫く冷静さ。その冷静さを商談が成立しても崩さず、本来は商品ではない馬までも自分の物にしてしまう狡賢さ…こんな女性と買い物をしたら面白いけど金が掛かりそうだ。特に馬の話が出た後、商談の間中ずっと一貫していたバルサの表情「笑みを浮かべた睨み」が大写しになる事が良い。その後にどんな話になったのかは解らないが、馬がバルサの物になった事に対して説得力をうまく持たせている。
 このシーンのバルサの表情が、今話で一番印象に残ったと言っても過言でない。
感想  今話辺りから物語は、春に放映された実写版にはない展開に入ってゆくようだ。実写版の続きではチャグムが10代後半に成長するまで話が飛ぶようなので、この辺りの展開は大分違う。ちょっとだけ調べてみたが、原作小説に沿っているのはこのアニメの方だということは解った。
 前半はトロガイがチャグムの前に現れ、どういうことかを説明してくれる。実はこのシーンにおけるバルサとトロガイのやりとりもものすごく印象に残っているのだが、後半で名場面欄に書いたバルサの「笑みを浮かべた睨み」を見てしまうとその印象が消えてしまう。ここで物語の世界観、ヤクーとかサグとかナユグとか水妖といったものがトロガイによって明らかにされるが、そんなものを書いていたら長くなるし、アニメでも実写でも細かく語られているのでここで再掲する必要は無いだろう。
 そして後半は王室の動きを挟んで、バルサ側の襲撃対策が描かれる。王室の側が企画している「山狩り」がバルサ側にも明確になるが、これでバルサは作戦を変えることはなく冷静だったのも印象的だ。だがバルサが「青い手」から高速馬の譲渡を申し出たことだけは、バルサの当初計画になかった「山狩り対策」と見て良いだろう。
 「青い手」が保有している奴隷が国にとってどんな存在なのかは知らないが、恐らくこの奴隷解放をすると街に混乱が生じるのだろう。たとえば彼らが街へ出て難民的行動を取れば、30人であっても街に混乱が生じて山狩りも含むバルサの追撃行為が遅れるのだろう。難民が一気に30人も街に出れば、治安維持のため王室の警察組織が動かざるを得なくなる…そんな作戦なんだろうなぁ。しかしあの奴隷はどんな存在なんだろう? 素直に考えれば年貢などの税が払えないなど貧困に喘ぐ者達が売った人達なんだろうけど、こういう制度があることは現代的でないのは確かだし、無国籍物語としてうまく盛り上げていると思う。

第6話「青霧に死す」
名台詞 「すまなかったね。ただ、今は少し眠りたいんだ。」
(バルサ)
名台詞度
★★★★
 名場面欄シーンの中で、「薬はあるかい?」と声を掛けた女を見てタンダは驚愕する。青霧峠を越えてカンバル王国へ逃亡したはずのバルサだったからだ。だがタンダはその姿を見て喜ぶのではなく、悔しさをかみしめる表情で「追えば突き殺すとまで言われて、俺は待つしかなかった。これじゃまるで武人の女房だ…無事だったんだな、バルサ」と舌打ちしながら語る。これに対するバルサの返事がこれだ。
 こうして文字にして見るとどってことのない内容の台詞だが、これがこのシーンの物語の一部となるとこの言葉に厚みが出てくるから不思議だ。この台詞から出てくるのは本話で描かれたバルサとチャグムのカンバル王国への逃避行の結果、つまり青霧峠を越える前に王室の追っ手に追いつかれ、何とか逃亡しつつも最後は事故という形でその逃避行が失敗した現実を「バルサの言葉」で上手く伝えている。
 もちろん劇中ではこの過程が再現されているため、ここでバルサがタンダにそれを説明したら話がしつこくなってしまうし何よりも物語を重複させることになってしまう。最近のアニメではこの間で次回に回し、次の回で回想シーンなどの手法で他のキャラクターに説明を兼ねつつ視聴者におさらいをさせるという手法を採るだろう。だが本作では名台詞欄に書いた本話の主題を流していない、だからここはバルサがタンダに「何が起きたか」一言で説明する必要があり、それを上手く再現した台詞としてとても印象に残った。
 そしてそのもう一つの結果…これはバルサの身体に掛かった負担についてで、この逃避行によるバルサの疲労を巧く示している。この原因は敵にやられたバルサが傷が完治しないまま峠越えをするという「無茶」が原因であり、本話の随所にキチンとそれが「無茶」であったことを描いているからこそ「今は少し眠りたい」の一言だけで説得力が出てしまうから凄い。
 そしてたったこれだけの言葉で状況を全部説明してしまう点にこそ、このバルサというキャラクターの魅力が詰まっていると思う。そういう意味でも印象に残った台詞だ。
名場面 葬儀 名場面度
★★★★★
 新ヨゴ王国の都では、チャグムの葬儀が王室を挙げて壮大に執り行われていた。タンダも都へ出て、葬送の土下座して葬送の行列を見送る。そのタンダに「薬はあるかい?」と声を掛けながら隣に腰を下ろす女がいた、それは青霧峠の街道で崖下に転落したはずのバルサだった。名台詞欄シーンのやりとりを置いてシーンはバルサと共に現れたチャグムへと移る、チャグムは悲しそうな表情で自分の葬式を、自分が入っているはずの棺が乗った舟を見送る。葬送行列の足音が響く。
 本話ラストのこのシーンが妙に印象的だった。バルサとタンダの件については名台詞欄で語った通りなので、ここで書くのはチャグムについてだ。チャグムがこの光景を見て様々な思いにとらわれていることを台詞無しで上手く再現したと思う。自分の葬式を見ている不思議、自分の「亡骸」にひれ伏す庶民、自分の葬儀のために動員されている多くの王室関係者…恐らくこの一件に巻き込まれる前のチャグムなら、これを見ても当たり前としか思わなかったかも知れない。だがチャグムはもう見ている、王室の外に出て普通の人々の普通の暮らしを…目の前に繰り広げられている光景は、チャグムにとって「自分の普通の人ではない」と迫ってくるものだったに違いない。
 ここでチャグムは決意したに違いないのだ、これまでの自分と決別して新しい生き方をすることを。だからこれはチャグムにとっては「今までの自分の葬式」に映ったのかも知れない。自分は生きているが、これまでの自分は死んだ…チャグムはこの葬式を見てそんな思いにとらわれていることが、無言で上手く再現されたと思う。
 ちなみにアニメの登場人物で、「自分の葬式を見た」ってキャラクターは何人位いるんだろう? 私がまず思い浮かぶのは世界名作劇場「トムソーヤーの冒険」のトムとその仲間達くらいのものだが…こういう「葬式に当人が参列している」という不思議な光景としても、このシーンはとても印象的だと思う。サブタイトル「青霧に死す」とは、うまく名付けたもんだとこのシーンを見て感心した。
感想  面白い一話だった。前半では厳しい旅に出るバルサとチャグムから始まり、続いてバルサと王室の追っ手達の駆け引きが演じられる。この前半は追う者と追われる者の緊張感が上手く再現していて迫力がある。王室の追っ手達のやっていることはよく見ると下らないけど、彼らがそれを真剣にやっているから誰も下らないなんて思わないよう巧く描いている。そして前話の「青い手」から解放された奴隷達が自然に歩いているだけで、彼らがバルサの動きを撹乱して王室側が混乱する様が描かれると共に、追っ手達の精鋭部隊がこれを見抜いてバルサに迫るという展開に説得力を持たせている。
 そして後半、タンダの元に王室の山狩り舞台が訪れて退散するシーンが挟まれるが、ここのタンダの台詞もとても印象的で、名台詞欄に挙げた台詞とどっちを名台詞欄に挙げるかで散々迷った。だがタンダの台詞は悪く言えば前回と同じ内容、名台詞欄の台詞は「バルサというキャラクターの魅力」がキチンと出ているという私の解釈でこうなった。
 そして満を持してという感じで、馬で峠を目指すバルサとチャグムに追っ手達が迫る。すぐにこれは追いかけっこの様相を見せるが…あの街道はどういう構造なんだ? あんな感じで道が二手に分かれてあとになって合流するのなら、片方は山の斜面にへばりつくような直線的急勾配ルート、もう片方は川に沿う勾配は緩くてもカーブの多い狭隘路となるはずだから、バルサと追っ手が勾配に難儀したとしても、先回りした追っ手が走る距離が長いはずだから簡単に追いつけるはずがない。だいたいこの二手のルートは高低差があるはずだから先回りした追っ手は見えないはず…ツッコミどころはそれくらいにしておこう。そのツッコミどころを別にすればこの追いかけっこも迫力満点なのは事実で、しかもバルサがどうやってこのピンチを切り抜けるのかと思ったら巨大な猛獣に襲われて突き飛ばされて崖下に転落とは…しかもその猛獣をトロガイが操っていたんだから驚きの展開だ。
 もちろんこれで崖下に転落したバルサとチャグムが死んでしまったら物語もここで最終回だから、サブタイトル「青霧に死す」がこのシーンを示唆したものでないことは見ていればすぐ解る。てっきり崖下に転落した二人にシーンが映るのかと思ったら名場面欄シーンになってさらに驚くと共に、サブタイトルにマッチしたオチがキチンとついて終わるという、本当に面白い1話だった
 本話が迫力満点なのは、本話のラストに向けて物語が一直線で切れ目がないからだろう。つまりノンストップストーリーで息つく暇も無い、もちろん画面上穏やかなシーンは存在するが話は全く切れていない。余計な物語も入らないし、今話においての語り残しもない。だからこの1話は今後物語が進んでも印象的な1話として印象に残ることは間違いないと思った。

第7話「チャグムの決意」
名台詞 「バカだね、お前はずっとここにいていいんだよ。お前の母親と会ったときそう約束しただろう? それにこの世にはね、金なんかもらわなくたってあんたみたいな子供を放っておけないヤツが、けっこういるもんなのさ。」
(バルサ)
名台詞度
★★★★
 詳細は名場面欄を参照して頂きたいが、これは名場面欄に書いたチャグムの決意に対して、バルサが先回りして心に決めていた決意である。
 この台詞が印象的なのは内容が二段構えになっていて、それぞれが「バルサの立場」と「バルサの思い」をキチンと説明している点だ。もちろん台詞前半の「母親との約束」は「バルサの立場」であり、大金と引き替えにバルサを託されただけでなく、チャグムの件について真実を全部知る立場として匿い続けなければならないという立場。まずこの「バルサの立場」がチャグムを引き取って共に生活しなければならない理由の一つだ。
 そしてこの台詞の後半こそが「バルサの思い」であり、バルサは回りくどく言っているが要は「チャグムを放っておけない」という事である。この意味には自分も足を突っ込んだ事件によって家庭を奪われたチャグムを放っておけない点であり、そうでなくても自分が関わった年端もいかない子供を放置できないという女としての母性、さらに言えば王室からの追っ手の追求から逃れるために共に苦しみ共に戦った小さいながらも同士としてのチャグムを放っておけないという点も含まれている。
 それを全部台詞に出して説明したら長いし、何よりもバルサというキャラはそんな長々とおしゃべりするような設定にもなっていない。その上で愛情表現について淡泊でもあるから、そういう性格設定の上でうまく台詞を選んだなーと感心した台詞だ。
名場面 チャグムの決意 名場面度
★★★★
 バルサとチャグムが新居である水車小屋に落ち着いた最初の夜、タンダ手製の鍋料理を囲んでの夕食のひとときであった。その席でチャグムが神妙な表情で「二人に話があるのだ」と切り出して、首に提げていた母の耳飾りを差し出して頭を下げる。「今まで世話になった、この耳飾りは余の感謝の印だ。受けた恩義の数々は一生忘れぬ。これ以上そなた達に苦労を掛けられぬ。余はこれから一人で生きていこうと決めた」と一気に語ると、バルサとタンダは目を丸くしてチャグムを見つめた後、堪えきれぬ様子で笑い出す。「あんなそんなこと考えていたのかい?」「さすがというか何というか」と笑い合う二人にチャグムは「おかしいか?」と問うと、バルサが「あんたここを出てどうやって生きていくんだい?」と問い返す。チャグムは多子葉の薬や動物の知識があるからそれで何とかする旨を返答すると、「(名台詞欄の台詞)」とバルサが返す。それでもチャグムは「でも生きていくためには金が掛かるのだろ?」と追求すると、「安心をし、そんなことは小間右派一切考えなくて良いんだから」とバルサが決めると、チャグムはその場で涙を流して号泣する。
 今回のテーマはチャグムが持つ一つの悩み、王室の追っ手からの追求を逃れてバルサとチャグムの二人に平和が訪れた時に彼が思ったのは、「このままバルサやタンダの厄介になっていて良いのだろうか?」という自問自答であったはずだ。彼はバルサが自分との生活を立てる上で、衣食住の面でどれだけ金が掛かるかをつぶさに見てしまっている。いくら王室という温室で育ったとは言え、一般庶民が汗水流して働いて金を稼ぎ、それで生活を立てていることは彼も知っていたはずで、その現場を始めて生々しく目撃したと言ったところだろう。だからこそ彼は負い目を感じ、「自分の力で生きていかねばならない」という事をその体験を通じて知って決意したのだ。
 だがチャグムがこれを打ち明けて驚いたのは、バルサもタンダもそんなことは何一つ気に掛けていない事実だ。二人は理由はどうあれチャグムが「王室」という彼にとって家庭であった場を失い、天涯孤独になってしまった事を知っているし、バルサについてはチャグムを母から託されたという関係者であり逃げられない立場だ。だがそんな立場的なこととは無関係に、バルサはそんな「家庭」を失った子供を放置できない、純粋にそう思いチャグムと生活を共にする決意を済ませていたのだ。チャグムにとっては先手を取られていたかたちではあるが、こんなバルサの思いが心底嬉しかったに違いない、そんなバルサとチャグムの間にあるものをキチンと描いていて印象的なシーンだ。
 そして今話はまさに、この場面に行くためにあったと言って良いだろう。
感想   これまで毎回のようにバルサとチャグムの逃避行や、追っ手との戦いを迫力を持って描いてきた本作であったが、本話ではやっと平和な日々が訪れる。青霧峠は越えられなかったものの、何とか新ヨゴ国の都に引き返してきたバルサとチャグムに訪れた「平和」な日を、戦いなどのシーンは一切無しでのんびりと描く。さして平和が訪れたからこそ「バルサという一人の大人が子供を連れて生活する」のがどれだけ大変かという面をキチンと描き、名台詞欄に書いた「本題」へとうまく話を回す。バルサがチャグムを連れて生活を立てる事については、ここまでは王室からの追求でそれどころでなかったため、こういう話を1つ置かないと物語のリアリティが失われるのは確かだ。
 そのバルサとチャグムに訪れた平和の裏で、王室側の動きをキチンと描くことも忘れない。「チャグムの棺」が墓所に安置され、同時にシュガなどの動きを追うことで王室側でも「チャグムの件については終わった」ことを明確にする。その中でサグムがやたら咳き込んでいたのは、実写版同様に彼が崩御する物語が描かれる前触れなのかな?
 個人的に好きなシーンは前半、街の飲食店でタンダが「街はバルサの話題で持ちきり」と言えばバルサがそれについて近くに居た男に聞くシーンだ。相手の男は声を掛けたのがバルサとは知らず、「自分もバルサと剣を交えた」と嘯くから面白い。このシーンだけで「そう嘯いている男がこの街には沢山いる」という想像力がかき立てられるから面白い。それを意に介さず「あんた、すごいんだね」とだけ返すバルサも性格が出ていて面白い。こういうシーンを通じてバルサってキャラクターが見ている者の中でどんどん大きくなるのはこの作品の特徴で、原作もそのように出来ているなら凄い小説なんだと思う。実写版の綾瀬はるかさんのバルサは、こういう特徴が無いんだよなー…これは演じている人の問題でなく、脚本の問題。
 実写版ついでに言うと、実写版では出てくる料理がいちいち美味しそうに描かれていたのが特徴だったが、本作でも料理がいちいち美味しそうに描かれていて面白い。上記シーンでバルサ・タンダ・チャグムの3人が食べていた「川魚が載った丼料理」なんか食べてみたいと本当に思ったもん。それと名場面欄に出てくるタンダ手製の鍋料理も美味しそう。
 そして本話では徹底的に平和に流しておいて、最後の最後の残り僅か1分位のところでシュガが星を読んでいるシーンとなる。そして王室ではチャグムの死去が確認され、バルサとチャグムは死んだ事になって逃亡に成功したことでこの「事件」に着いては終わったように見えていたが、最後のシュガのシーンは「何一つ問題は解決していない」という事を再確認させられる。星を読んだ結果が「乾きの相」が消えていないとシュガが気付くだけでそれは十分であり、既に王室側での物語は一足先に次の段階へと突入しようとしていることがうまく示唆されている。だが次回予告を見れば、また次も平和な一話になりそうだと視聴者に感じさせるが、果たして…。。

第8話「刀鍛冶」
名台詞 「実は、偶然ながらその武人によく似た人物を私も一人知っているのだ。その者は自分に一切関わりが無い他人の子を、ある日突然託されて追っ手から逃げた。そして一度は奪い返されたその子供を、自らの生命を危険に晒しながらも取り返して行ったのだ。しかも驚くべき事に自分を殺そうと迫り来る幾人もの追っ手を、その者はただの一人として殺しはしなかった。その者が何故他人の子供を預かる気になったのか、その心持ちは私などには察するべくもない。奴はただ、目の前で散りゆこうとしているか弱い生命を黙って見過ごすことが出来なかっただけなのかも知れん。それ故に誰をも殺めることのない、至高の剣を振るった。」
(モン)
名台詞度
★★★
 バルサが槍の修理を依頼しに来た刀鍛冶の元に、バルサを追う王室の追っ手のモンとジンが現れる。バルサの真意を図りかねた刀鍛冶はバルサを物置に匿った上で、王室の側の話を聞こうとして自分が理想とする刀の話をし、そのような刀を作るに相応しかった相手としたバルサを育てたジグロの話をする。かつて国王暗殺の陰謀に巻き込まれた友人から子供を引き取り、その子を守るためにかつての友人達と戦うことになったというジグロの話を聞いたモンが返した台詞がこれで、これはまさにここまでのバルサと王室の戦いを示唆しているのは誰もが認めるところだろう。
 もちろん、この台詞によって刀鍛冶がバルサの「思い」を知ることによって槍の修理を引き受けるきっかけになる台詞であるという点での重要性はもちろんだが、バルサの敵とも言える王室の追っ手の一人が敵味方関係なくバルサについて公平に語ったという点でこの台詞はとても印象深い。もちろん刀鍛冶から聞いたジグロの話に彼なりに思うところがあったわけで、それがここまでのバルサの行動だったわけだ。このようなときに彼がバルサを思い出すに至ったのは、彼はバルサを「暗殺対象」どだけではなく一人の人間としても見つめていたことの裏返しであり、彼なりにバルサの行動理由を理解していたという事である。それが伝わるように言葉が選ばれているからこそ、この台詞をきっかけに刀鍛冶がバルサの思いを理解することに至るというここの展開に説得力が生まれたのは言うまでもない。
 私がこの台詞を聞いたとき、もしこのシーンでモンがバルサを見つけたらどういう行動に出たかという点に興味を持った。もちろんそれが彼の職務である以上はバルサを見つけたら襲いかかるだろうが、果たしてこんな思いがある相手に対して本気で刀を振るうことが出来るかどうかと言う意味だ。いずれにしてももしこのシーンでモンがバルサを見つけたとしても、彼らはモンは刀を刀鍛冶に預けてあって丸腰だからなにも起きないのは確かだけど。
名場面 刀鍛冶 名場面度
★★★★
 正直、今話はそのストーリーの殆どを占める刀鍛冶のもとにバルサがいるシーン全てが名場面と言って良いだろう。そのシーンの中から「特にここが良かった」と特定のシーンだけ抜き出すことは出来ないし、かといって刀鍛冶のシーン全部が平凡とも思えずそのシーン全てがとても巧く出来ていて、視聴者を物語に引き込むようさが多いと感じたからだ。
 特にバルサの真意を図りかねた刀鍛冶が、「別の客が来る」とした上で「双方から話を伺ってみることにします」とバルサに告げるシーンや、モンがバルサが匿われている部屋の扉を開こうとするシーンの緊張度は素晴らしいと思う。その上で刀鍛冶とバルサの「駆け引き」というのも上手く描かれ、本来はモンとジンはそこにたまたまいただけという関係も一貫していて、かつ刀鍛冶に決断をさせるのは「たまたまいただけ」のはずのモンの台詞という面白い構図によってモンやジンが「たまたまいただけ」なのに蚊帳の外になっていないのも面白い。
 それよりも刀鍛冶を演じる堀勝之祐さんの落ち着いた口調がとても良い。彼が本サイト考察作品に出てくるのは3回目だが、どれも味のある演技をしているのが印象的だ。最近はNHKスペシャル「映像の世紀」で彼の声をよく聞いたな…。
感想  名場面欄に本話の感想を殆ど書いちゃった。だって本話の8割に近い長いシーンを全部名場面にしちゃったからなぁ。それ以外と言えば、冒頭のバルサとチャグムが早起きするシーン、刀鍛冶の元に向かうバルサとチャグムのシーン、刀鍛冶から新品の槍が届いてバルサがこれを振るうラストシーンだけ。登場人物も6人だが、タンダは出てくるだけで台詞がないので実質5人だけの単純な物語だ。登場人物が少ないから単純になるのはあくまでもストーリーで、登場人物を演じる側は登場人物が少ないからこそそれぞれの味をキチンと出さなきゃならないので大変だろう。
 物語そのものは前話と同様、表向きはバルサとチャグムが死んだ事になっているままで話が進むので平和と言えば平和だ。ハッキリ言って「戦いの緊張感」にあったのは刀鍛冶の倉庫に匿われていたバルサとチャグムの二人だけ。これ以外はここで戦いが起きるなんて誰も思ってはいないし、それで実際に戦いは起きないんだから平和な話だ。なのに視聴者はバルサやチャグムと一緒に戦いに備えた緊張をしなきゃならないという話だから、面白い一話に仕上がっているのは確かだ。
 でもこの平和も何処まで続くんだろう? 続けるとしたらあと1〜2話が限界だろうなぁ。

第9話「渇きのシュガ」
名台詞 「今の私がやるべきことはただ空を見上げて皇子の死を嘆くのではなく、皇子の尊い犠牲にもかかわらず乾きの相が晴れぬ原因を突き止めることだったのだ。」
(シュガ)
名台詞度
★★
 チャグムが死んだという報せを受けて、シュガは自分が為すべきことを見失っていた。そしてチャグムが遺した遺品を没収されるが、この時にそれを誰がどんな理由で仕組んだかを見抜くことが出来ずに反抗してしまい、失意のうちに処罰を受けることとなった。そんなときにシュガは皇太子のサグムに呼び出され、チャグムが幼かった日の思い出とその時のシュガの言動を振り返ることで、シュガがどれほどチャグムに忠実だったかを突きつけ、チャグムの遺品を回収しているのは自分がチャグムの思い出を守るためだとバラした上で、「帝となったチャグム、それに使える聖導師シュガの姿というのを見てみたかった」と語る。これを受けてのシュガの心の中の呟きがこれだ。
 本話はサブタイトルからしてシュガの話であることは誰もが容易に想像が付くだろう。チャグムが死んだと聞いたことで自分を見失っていたシュガであったが、彼は前々話で「チャグムが死んだはずなのに乾きの相が消えていない」ことに気付いている。これを見て多くの視聴者は「これまでのシュガならその原因を突き止めるのに躍起になっているはず」と感じていただろうし、私も前話の物語の裏側でシュガがそのように動いていると信じていた。
 だがチャグムの死を事務的に流して仕事を続けるようでは、シュガのチャグムに対する「想い」というのも無くなってしまう。だからやっぱりここはシュガには一度力を落としてもらい、そこから復活するという展開はどうしても必要だ。この展開は本話の前半分でコンパクトに描かれ、この台詞は復活したシュガの想いであってこの想いを背に後半の物語が回り出すという意味で重要だ。
 そう、シュガがチャグムを愛しているからこそ為すべきことがあるとすれば、「チャグムの死の意味」を突き止めることだ。チャグムは国に災いを起こす「乾きの相」の原因としてこの世から葬られたはずなのに、チャグムが死んだはずなのにその「乾きの相」が消えていないのはおかしいはずだ。だからこそその意味を調べることがチャグムへの供養であり、または「実はチャグムが生きている」という二の妃の話を証明する事になるかも知れないことだ。これらの謎を突き止めることがシュガは自分の使命だったことを思い出し、物語が後半に回るのだ。
名場面 シュガVSタンダ 名場面度
★★
 乾きの相の原因を求めて川沿いを旅をしていたシュガは、今は豊漁であり豊作であることから「乾きの相が遠ざかっている。チャグムの死は無駄ではなかった」と判断する。その思案をしながら渡し船の乗り場で夕方のひとときをしているシュガの元に、薬草を採りに来たタンダが現れる。シュガはタンダに何をしているかを問い、タンダは薬草を採っている旨を答えるとシュガが持っている道具に興味を持ちこれをじっくりと見せてもらう。そのタンダがシュガに「これを使って何をしていたんです?」と問うと、シュガは「この先水の量に変化が無いか」ということを調べていたことを返す。これを聞いたタンダは河原の草むらへ行き、シュガにカマキリの卵を見せ「カマキリの卵の高さによって来年の水量を知ることが出来る」として、低い位置に卵を産み付けると冬の雪の量が少ないと言われているとする。これを見てハッとしたシュガは「本当か?」と震えた声で問う。「あまくでヤクーの言い伝えだけど、当たると思うよ」と返すタンダに、シュガは「実は私は近く水不足が起こるのではないかと危惧していた」と調査目的を正直に語り、豊漁と豊作である事を考えると話が矛盾するとタンダに突きつける。だがタンダは「獣は冬眠する前に餌を沢山食べて肥える」ことを引き合いにして、生き物や植物がこれから起きようとしている状況に備えていると考えれば辻褄が合うとする。「つまりこういうことか、一年以内にこの地に干魃が訪れる可能性がある」とシュガが返すと、タンダは驚愕の表情を見せる。シュガはタンダの表情の変化に気付くが、タンダはどんな訳でこのような調査をしているかを問う。だがシュガがこれに返答する前に、渡し船の渡し守がシュガに早く乗るように促したためシュガは退散せざるを得なくなる。「それじゃ、私はこれで…」と立ち去るタンダにシュガが「そなたこそ、どういった仕事を?」と問うと、タンダは「薬草師です」とだけ返して立ち去る。
 この二人のやりとりが良い感じだなーと思った。最初はタンダもシュガを見て単に「役人が何かを調べに来た」程度にしか思っていなかったはずだ。だが話を進めているうちにタンダは気付いただろう、「これはチャグムに関わる調査だ」と。タンダもトロガイからチャグムと水妖の卵や干魃との関連の話を知っているのであり、また公には死んだ事になっているチャグムが実は生きている事も知っている。そして王室が「乾きの相」という干魃の前兆が消えていないことに気付けば、チャグムが死んでいないことに気付くであろうことも予測していたに違いない。タンダの側から見れば、これは再びチャグムに王室の手が伸びてくる予兆に見えているはずだ。だからタンダは途中から必要以上のことを語ろうとせず、足早にその場を立ち去ろうとする態度に変わっている。
 だがシュガは出会った相手がそこまで重要な人物…つまりチャグムが生きていて何処で暮らしているかを知っている人物だとは思っていない。あくまでもシュガから見たタンダは「この地に何が起きようとしているか的確に判断できる者」の一人でしかなく、自分に「干魃が訪れる」ことを的確に予測してくれた人物に過ぎないのだ。だが彼が導き出す答えは「乾きの相が消えていない」=「チャグムがどこかで生きているかも知れない」と言うことであり、だからといって武力の訴えるのでなく「1から調べ直す」ことを決意するのみである。
 この二人の立場の違いが、お互いに相手がどんな立場なのかを知らないまま演じられた点においてこのシーンはとても印象に残った。そして双方とも自らの立場に応じて、反応すべきところでキチンと反応している。かといってまだ腹の探り合いにも至っていない、こんな微妙なシーンを細かく描いたところで印象に残ったシーンだ。
 そして、本シーンが本話の最も重要なシーンと言って良いだろう。これでバルサ側が「王室がチャグムが生きているかも知れないと気付いている」可能性がある事を知り、王室側はシュガ一人であるとはいえ「チャグムが生きているかも知れない」という前提で動き出す。物語がいよいよ次のステップに進むのだ。
感想  バルサとチャグムが済む水車小屋を訪れた子供達が出てきた時、一瞬「ドラえもん」を見ているかと思ったよ。だって「わさびドラ」の声が本当にしたんだもん。この放映の録画を見る前の日に、実家のCSでアニメ「ドラえもん」を見たのがいけなかったなー。見た話は「どくさいスイッチ」のリメイク版だったけど、原作漫画の「怖さ」が削がれていたから面白くなかったなーって…。エンディングのスタッフロール確認したら、確かに水田わさびさんの名があった。
 それは置いておいて、今話はシュガの話だ。実写版のシュガはすぐに牢獄に入れられてしまい印象に残らなかったが、このアニメでは本当に信念を持った人として印象的に動いてくれる。その信念があるからこそ「チャグムの死」という悲しみの前に一時は自分を見失うのだし、信念があるからこそチャグムの兄サグムの信頼も厚くて立ち直るきっかけも与えられる。こんな構図が上手く描かれている。
 そして今話では、バルサらの物語は殆ど無い。あるとすればチャグムが農民の子供達に混じって遊ぶこと位だが、これはサグムの思い出話に出てきたチャグムの姿を補強するためと、次回以降への伏線と考えて良いだろう。
 そして今話は名場面欄シーンが本題であり、そこについては名場面欄に記した通りだ。そこを見て「いよいよ次辺りからまた王室の手が伸びてくるのかな」と思ったら、次回予告を見たら次もまだ平和なまま話が進むようだし。確かに農民の子供達の中にあんな高貴な言葉遣いをする子供が混じったら、目立つな。

第10話「土と英雄」
名台詞 「でもあの人達だって商売だから、仕方が無いよ。それにここにいる人達の大半は駆け引きを楽しんでいるんでしょ? お金を稼ぐことが目的ならこんな遊びに興じるのは酔狂に過ぎるよ。一人一人だと勝敗がバラバラだからわかりにくいけど、親対子で見たら仮にインチキをしていなくても、あの人達には確率的に勝つことができないようになっているんだ。」
(チャグム)
名台詞度
★★★★
 チャグムは平民の子らしく振る舞えるようにと、トーヤからたのまれ屋の仕事を仕込まれることになって街に出た。そこで見つけたのはコインを使ったギャンブルで、トーヤはこれに有り金全部つぎ込んで挙げ句負けてしまう。これを見たチャグムがこのゲームのシステムを見破ってそれをトーヤに語ると、トーヤは「それじゃイカサマだ」とチャグムに返す。その指摘に対してのチャグムの返事がこれだ。
 この台詞を聞いてゾッとした人は、過去でも現在でも関係なくギャンブルというものの本質がよく分からないままギャンブルに手を出した経験がある人だろう。この台詞はそれほどまでにギャンブルというものの本質をうまく説いていると思う。本来、ギャンブルというのは主催者にとっては商売であり、客は必ず勝てないように出来ている物なのだ。チャグムはこの年齢でそれを知っているし、だからこそ目の前に繰り広げられているイカサマを「彼らの商売」と認めて見過ごすことだって出来る。そしてギャンブルは客から見ればあくまでも駆け引きを楽しむゲームであって、金儲けをしたいなら地道に稼ぐ方が何倍も効率が良いことまで知っている。そしてその上で、数学的な話でもってギャンブルというのは胴元が勝つようにできていることをキチンと理解している。そり数学的な話はこの台詞でなく、この前のトーヤへの説明で出てくるのだが…。
 つまり、この1話を通じて描かれていることは「チャグムの頭の良さ」である事がこの台詞で明確になるわけだ。彼はだてに王室で皇子をやっていたわけでは無い、王位の第二継承者として社会の仕組みや数学的なことなど、様々に学んでいたことが明確になるわけだ。もちろん武術も彼は学んでいたはずで、そこから「駆け引き」も学んだはずだ。そう考えると彼はこのような勝負事において「相手の動きをよく観察する」という行為によってイカサマを見破るという展開にも説得力が出てくる。
 そしてこの台詞をきっかけに、今話はチャグムの一人舞台の物語へと変わって行くのだ。今話後半は登場人物全員がチャグムに振り回されるだけだもんなー。
名場面 因縁 名場面度
★★★★
 名台詞欄シーンを受け、一度はトーヤが因縁を付けるがすぐにつまみ返される。トーヤはチャグムを連れて立ち去る際に「せめてみんなが金を巻き上げられるのを止めようと思った」とした上で、自分が負けた分については「あれは次自業自得」とする。これを聞いたチャグムは「止めよう、トーヤがみんなを助けたいなら俺が代わりに行ってくる」とトーヤに言い残して、またギャンブルゲームの場に戻る。そして「これだから民草はバカだと言うんだ。あらかじめ負けると決まった勝負を、対等の駆け引きだと思い込んでいるんだからね。全くおめでたいよ」と胴元と客の双方に語る。そして胴元に目を据えて「分からないかな、この人は出したい目が出せるんだ」と突きつけて、今後は客の三人が次々に負けると言い切り、「みんなは今は勝たせてもらっているだけ、あっという間に一文無しになる。こんな簡単なことが見抜けないから、あんた達はみんないつまで経っても愚民なんだ」と、いつものチャグムらしくない力強い調子で啖呵を切る。もちろんこの啖呵を、客も見物人も全く相手にしない。そして胴元は「こいつがで目を出せるってこと証明できるんだろうな」と返すのは当然だ。これに対して「いいよ、証明してみせる」とチャグムは返し、物語はこのギャンブルのイカサマ暴きへと話が進んで行く。
 チャグムの今までに無い一面だ。こんな強いチャグムを見たのは、劇中では初めてだぞ。実写のチャグムじゃ絶対にこんなことはしないだろうな…でなくて、これは凄い話の盛り上げ方だ。ここまでの展開を見ているとチャグムの頭の良さを使ってトーヤが物事を解決していくのかと思ったら、なんとチャグムがイカサマギャンブルの胴元にケチを付けるという予想外の展開で視聴者を物語に引き込む。
 しかもこの時の台詞の選び方が凄い、チャグムは「平民の子に化けている」事も忘れて完全に「皇子」に戻った物の言い方をしているのだ。もちろんチャグムは平民をバカにはしていないが、皇子として平民に威光を示してその疾序を守るために偉そうにしなきゃならないことは知っている。そのために民を「民草」「愚民」と呼称することも仕方が無いことを彼は知っているのだ。だがこれはケチを付けられた胴元側から見れば、生意気なガキが喧嘩を売っているに過ぎない。その構図が互いの言動に上手く出ていて、物語の緊張度を上げて否応なしに盛り上がる印象的なシーンに仕上がったと思う。だって、普通のアニメならチャグム達はこういうおっさん達に因縁を付けられる側であって、それが逆に進んでいるんだからなー。
感想  面白い1話だった、どんなアニメでも全話見通したと絶対に「もう一度見たい1話」と言うのがあるんだけど、今話はそんな1話になりそうだ。最初はトーヤがチャグムに平民の言動をたたき込むだけのつまらない話になりそうに見せかけておいて、そこへコインを使ったギャンブルゲームが出てくる。一度は「大人の遊び」としてスルーしかかるが、よせば良いのに「社会勉強」と称してトーヤがこのギャンブルに興じて負けた辺りから物語の雰囲気は変わる。トーヤが参加したときにもうチャグムはこの胴元達の動きを注意深く観察しているシーンが演じられるからだ。そしてトーヤが負けて悔しがっているシーンで、チャグムが突然種明かしを始めるともうチャグムの物語に変化している。
 そして名台詞欄シーン、名場面欄シーンを挟んで物語はチャグムの思いのままに進んでしまう。胴元とチャグムの勝負はチャグムが勝ち、イカサマの詳細を暴く。それでは話を終わらせずにイカサマ抜きでの正々堂々勝負まで演じられてチャグムが勝つ。ホント、チャグムの一人芝居だ。
 でもイカサマを暴いたときのチャグムの台詞も好きだ、胴元達が商売でやっていることについては理解を示すことだ。こういう台詞の端々に「こいつが王になったら良い王になるだろうな」と感じさせてくれるのも心憎い。
 でも今話を見ているとギャンブルについて考えさせられたなぁ。大昔、二十歳前後の頃に少しだけパチンコをかじっていたけど…私は臆病だから最初の「勝たせてもらっている間」だけでやめて帰っちゃうんだよね、だから大負けしたことはないし大勝ちしたこともない。パチンコ屋に長居したこともない…というより「長居しない」と決めていたからね。だからパチンコ屋から見れば嫌な客だったろうな、「勝たせてもらっている」時に店員のお兄さんが「これから来ますよ」みたいなことをささやいてくると、そのまま逃げちゃうんだから…パチンコについては今のところ「3000円位の勝ち逃げ」のままです。

前ページ「あにめの記憶」トップへ次ページ