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第11話「花酒をタンダに」
名台詞 「大丈夫、間違いなくサヤの魂を呼び戻す。万が一俺だけ帰ってこれなかったときは、お前の枕元に立ってやるよ。」
(タンダ)
名台詞度
★★★★
 サヤが倒れたのは魂が抜けてしまったから、魂が抜けた理由は騙されて望まない見合いをさせられることになったからだと言うことが判明する。この対策としてタンダが「魂よばい」という術でサヤを救うことになったが、バルサはタンダがこの術はトロガイに禁じられていたことを告げ「井戸に潜るなら助けられる自身はあるが、魂に縄は付けられない」と不安を口にする。これに対してタンダは「トロガイがいないなら自分がやるしか無い」とした上で、こう返したのだ。
 いやーっ、良い台詞だわと聞いた瞬間に感じた。タンダのバルサに対する想いというのがうまく込められているのはそうだけど、この台詞にたどり着くまでのバルサの台詞と照らし合わせると、これまでどっちかというとタンダの片思いに描かれていた二人の関係が、実は相思相愛であることがハッキリする。バルサの「タンダを失いたくない思い」というのがこのピンチに本人の自覚がないままにじみ出てきて、タンダもこれを明確に感じ取るのでなく「もしもの時は化けて出る」=「いつまでも見守る」という告白を、これも告白になっていることが無自覚であるままに自然に伝えるのだ。
 この二人のやりとりが無自覚かつ思いを通じ合わせているという点、そしてその関係を完成させたという点でこの台詞がとても印象に残った。さらに言うとここまで、タンダのバルサへの思いをずっと積み重ねたことでこの台詞が、この台詞に至るバルサの台詞が上手く活きてきたのも注目点だと思う。
名場面 2年前 名場面度
★★★★
 「魂よばい」という術によりタンダは幽体離脱して、同じく幽体離脱したサヤを救う。だがサヤの魂はその肉体に戻り意識を取り戻したが、タンダの魂は自分の肉体に戻れずそのまま部屋の中にあった。バルサが「あんた、帰れないんだね」というとタンダは「帰り方が解らない」と返す、どうやら「タンダにはバルサの声は聞こえているがバルサにはタンダの声は聞こえない」という設定であることはここで判明するだろう。7秒の沈黙を置いたあと、タンダは2年前のことを語り出す。それは血だらけで帰ってきたバルサに「人を助けるのに人を殺しては意味が無い、結局殺している方が多いんじゃないか」と突きつけた過去で、本当はそんなことはいうつもりでは無かったと言いかける。そこでバルサが口を開く、彼女が語ったのも同じ2年前のことで、「2年前にあんたのところを飛び出したけど、今思うとつまらない意地を張ったもんだと思う」とした上で「あれから一人も斬らずに来られたのは、あんたの言葉があったからだ」と告白して、「ありがとうよ」と結ぶ。だがこのやりとりはタンダの言葉はバルサに届いていなかったが、バルサの言葉はタンダには届いたのだ。タンダは立ち上がり、バルサには姿が見えず声が聞こえないのも忘れた様子で「今だからバルサの焦りは解る」とした上で、「人の生命を救うことは自分の生命を削ることなんだ」として「すまなかった」と頭を下げる。もちろんその姿も見えず声も聞こえていないバルサは、微動だにせずタンダの肉体を見守っている。ここで自分の声がバルサに届いていないことに気付いたタンダが、「くそ、何やってんだ」と頭を抱える。
 これでひとつ物語が繋がったと思って良いかもしれない。二人が持つ過去、その中でも喧嘩別れした過去だ。タンダは日に日に強くなり、目的があるとは言え多くの人達を殺めてしまったバルサにその間違いを指摘し、バルサはその言葉には反抗したもののそのおかげで真の強さを得ることが出来たという関係だ。この経験を通じてタンダは「言い過ぎ」をずっと反省していて、バルサに恋心を抱いているのにそれほ告白できないというここまでの展開に説得力が出る。そしてバルサの側もタンダの言葉によって救われた事実があり、密かにタンダを慕っているからこそことある毎にタンダの元を訪れるという展開に説得力が出るのだ。こうして二人の相思相愛は明確になるが、何とももどかしいのはタンダが自分の言い過ぎに苦しみバルサに謝ったその想いだけがバルサに伝わっていないことだ。こうすることで二人の関係は「現状維持」のまま続くことになるから面白いといえば面白いし、しつこいといえばしつこいだろう。だがこの件は二人の関係が一歩前進するきっかけであることも確かだ。
感想  えーっ!? トーヤとサヤって兄妹じゃなかったの!? てっきり親を失ったみなしごの兄妹かと思っていたのに…。原作ではどうなのか知らないが、少なくとも実写版では完璧な兄妹として描かれていたぞー。つまり家族を失い一人で生きていたトーヤが、何処かで全く無関係だけどやはり家族を失った女児であるサヤと出会って兄妹を装って一緒に生活していたってことか。しかも今話でいきなりハッキリするけど、サヤがトーヤに恋心を持っていたなんて…こーゆーのはしっかりと伏線を張っておこうよ、ここまでの二人はどう見ても「貧しいながらも懸命に生きる幼い兄妹」にしか見えなかったぞ、サヤがトーヤを想っている素振りなんかひとつも描かれなかったから、正直「そんなんありかよー」と思ってしまった。
 恐らくトーヤが15歳位で、サヤが10歳位という設定だと思うけど…トーヤもサヤに明確な恋心を描いているのでなく完全に妹としてしか見ていないけど、サヤがあんなんじゃまず他に嫁に行くことはないだろうから二人は将来結婚という既定路線で考えちゃっていいんだよね? でもそれじゃ周囲の人はみんな二人が兄妹だと思っているだろうから、実際には問題は無くてもヤバいんじゃないかな…。
 いずれにしても、今話は前半でトーヤとサヤの話になると見せかけておいて、本題は名台詞欄や名場面欄に書いた通りバルサとタンダの話なんだと思う。だからサブタイトルもタンダが主役みたいに書かれているんだと思う。いや、トーヤとサヤの話も重要だが、それとバルサとタンダの話が同時並行でさらに大きく描かれているという認識が正しいかも知れない。そしてその流れの中でチャグムが蚊帳の外に置かれるわけではなく、キチンとチャグムに憑いている水妖の卵が物語で重要な役を持っていて、これにより結果的にチャグムがタンダを救う役を担うという複雑な展開だ。おかげで前半ではあんなに存在感の強かった見合いの仲人のおばはんの存在を、後半ではすっかり忘れていたもんなー。
 その見合いの仲人のおばさん、何処かで聞いた声だなーと思っていたけど、トーヤがご馳走を食べ終えた後のシーンで片岡富枝さんの声だと気付いた。世界名作劇場シリーズでいろんなオバサンを演じていたあの人だ。

第12話「夏至祭」
名台詞 「祭りってのは大勢の人が集まる、夜店も出ればテキ屋もやってくる。ってことは、いつもは太陽に下に出てこられないような、裏の人間があちこちから集まってくるってことだろ? 私たちは本来、ここにいないはずの人間だ。普段通り暮らしている分には何ともないが、祭りとなるとどんな人間が見ているか解らない。だから、大人しく家の中にいなくちゃならないのさ。」
(バルサ)
名台詞度
★★★
 物語の発端は、夏至祭でチャグムと余興の格闘術士の息子ヤーサムが決闘をすることが決まった事だ。この話をチャグムがバルサにすると、バルサは「自分たちは祭には行けない」とチャグムに突きつける。「何故だ?」と問うチャグムに、バルサが応えた台詞がこれだ。
 この台詞には「祭」という行事の特殊性が上手く説明されていると感心した。人が大勢集まるからこそ、そこに沢山の人が集まるという事実。その大勢の人は全部が全部善人ではないという悲しい事実。だがこの台詞は「そんな祭の会場だからこそ悪人が混じっている」ことが主題ではないことは、この物語を初回から追っている人なら言うまでもなく解る事だろう。その大勢の人にバルサやチャグムを追う王室側の人間やそれに繋がる者が交じっている可能性、そして大勢の人がいるからこそそういう者がいても自分たちは気付かない危険性…つまり自分たちが知らないうちに自分たちの所在がバレるリスクが高いことを、バルサはチャグムと視聴者に突きつけているのだ。
 もちろん、今話は夏至祭でチャグムの決闘が描かれないことには誰も納得しないし、話も終われないことは誰の目にも明白だ。だからこそこの台詞は視聴者の不安もかき立てる…チャグムが祭に行けず「卑怯者」のレッテルを貼られておしまいではないかという不安だ。現実を突きつけ不安を煽る、そういう意味でとても印象深い台詞だ。
名場面 決着 名場面度
★★★
 バルサに内緒で家をコッソリ抜け出したチャグムと、ヤーサムの決闘はあっけなく決着が付いた。チャグムは土俵際に立ってヤーサムを煽り、それに冷静さを失って猪突猛進するヤーサムを軽く交わしただけで、ヤーサムが「場外」となってチャグムが勝利したのだ。もちろんこんな負け方ではヤーサムは納得しないが、チャグムはルールだからとヤーサムによる新ヨゴ国皇帝への中傷発言を取り消せと迫る。そこへヤーサムの父がやってきてヤーサムの負けを認めて引き揚げるよう説得するが、そこにチャグムが求める「皇帝への中傷発言取り消し」の実行はなかった。これを隠れて見ていたバルサが出てきて「約束を守れ」と迫ると、親子揃ってそんな約束は知らないとの発言に至り、対にバルサとヤーサムの父親の決闘へと事態は発展する。勇猛果敢にバルサに攻撃を加えるヤーサムの父だが、彼が高速技でバルサを投げようとしたその時、バルサは相手の懐に潜り込み、相手の突進の勢いを上手く使って投げ飛ばしてしまう。ヤーサムの父はその場に倒れ、決着が付く。
 ここでチャグムとバルサの二人の戦いを見ることが出来た。チャグムはバルサの「相手の勢いを使う」というヒントから、土俵際に立って相手を挑発し、怒り狂って突進してきたところを交わすだけで済ませた。もちろんこれはバルサのヒントをチャグムなりに考え、考えた末での一撃必勝法だっただろう。とにかくルールがあるスポーツである以上、相手をぶちのめすのが目的でなく、戦術面で勝てば良いんだから力のないチャグムにはこれしかないのは事実だ。
 だが、このやり方にはヤーサムだけでなく視聴者も納得が行かないだろう。相手をぶちのめすまでは行かなくても、「場外」で勝つのではなく「一本勝ち」をして欲しいのが人情ってもんだ。だから物語はこれで済まさず、バルサとヤーサムの父の戦いにしてしまう。そしてバルサは自らの「相手の勢いを使う」という発言通りの戦いで、見事な背負い投げで「一本勝ち」を決める。こうなれば劇中の相手だけでなく、視聴者も納得だ。
感想  まだまだ続く平和な日々。でも話を見ていると、やっぱりこの「夏至祭」での騒ぎがバルサとチャグムが発見されるきっかけになるのかなぁ? いや、現在の物語の舞台は新ヨゴ国でも首都から離れた地方とみられるから、そう簡単に王室の追っ手がいるとも思えないけどなー。
 いずれにしても、この「夏至祭」から劇中の色んな側面が見えてきて面白い。この物語世界は衛星(月)がふたつあることから地球外であることは確定していたが、劇中世界にも「夏至」「秋分」「春分」があることがハッキリしたため(今回は語られていないが「冬至」がある事も確定)、彼らが住んでいる惑星は地球と同じように公転軌道面と自転軸がズレている事が確かだ。地球と同様にこれが季節を生み出しているのだ。
 語りどころはそんな所だけではなく、この世界の「文化」も見えてくる。つまり農耕を中心とした文化が深く根付いていて、宗教的には「春分」や「秋分」の方が大切とされているのに、実際に祭が夏至に行われるというのは、農耕が最も大切であるという文化が農民や町民だけでなく、皇帝や宗教者にも行き渡っていることの証だ。この祭は王室内では秋分に行われるだけでなく、王室の人間は庶民が夏至に祭をやっているのを遠くから眺めて楽しむという文化があり、ここにこの国が日本の皇室のように「国民と王室が共にある」という文化が見えてくるから面白い。
 ヤーサムによる新ヨゴ国皇帝中傷発言時のチャグムを見れば、彼が父親に対してどんな感情を抱いていようが皇帝に対して誇りを持っていることは確かだ。これはチャグムが逃亡者の身になっても、父や母を思い続けていることを示しているだけでなく、彼の王室の一人としての誇りや責任もキチンと描いている。
 そしてバルサのチャグムへの思いもキチンと描かれ、本来なら出て行けないところにコッソリ探しに行って様子を見守る姿だけでなく、チャグムが誇りとしている王室をバカにされたらどう出るかと言うのを理解し、それに適切に対処しているのも見どころだ。
 それにしても、バルサが焼いている魚が美味そうだったぞ。あれはウナギじゃなくてドジョウだよね?

第13話「人でなく 虎でなく」
名台詞 「何故あの時、お前を斬らなかったか教えてやろう。私は奪ってしまった生命と同じ数だけ、人を救おうと誓っていた。だが、生命の重さが全て平等ってことは、あの時既に悟っていた。だから、人を助けるたびにお前みたいなちっぽけな男を斬るのが、バカバカしくなったのさ。だが、私にはまだやらなきゃいけないことがあるんだ。邪魔する奴は!」
(バルサ)
名台詞度
★★★★
 バルサに果たし合いを挑んだカルボは、度重なる挑発の末にバルサを戦わせることに成功する。そしてその斬り合いが最高潮に達したとき、バルサを追いつめているように見えたカルボにバルサが力強く語った台詞がこれだ。
 さんざん人を斬ったバルサが今持っている「思い」は、「人を斬った分だけ人を救う」という思いだ。バルサはどんな理由があろうと斬られる人間にも生命が有り、それをむやみやたらに斬り捨ててはならないという考えを持つに至っていたのは、物語を初回から追ってきた者には説明するまでもなく解っている事だ。だがそんなバルサの思いは、無関係な第三者を巻き込んで自分と果たし合いをしようとする小さい男を前に完全に揺らぐ。生命の重みがみんな同じだからこそ、こんな下らない戦いに第三者を巻き込んで、果ては相手の思い通りになったのにそれでも無関係な第三者の生命を奪おうとするこの男を、放っておけなかったのだ。
 だからこの台詞を吐いたときのバルサの境地は、「バカバカしい」なのである。あまりにもバカバカしくて下らなくて、それが許せないのである。しかもそれが、いま自分がやろうとしている「人を助ける」行為の邪魔になっている…だから斬るしかない、そんなバルサのやりきれない思いが上手く込められた台詞だ。
 だが本話冒頭でバルサは「殺さずの誓いに従って、殺生は避ける」とタンダに言い残して出てきているが、その事実すらも忘れてしまう迫力がこの台詞にある。だからこそ視聴者に「やべー、バルサはこいつを斬るぞ」「こいつを斬ったらバルサはバルサじゃなくなるぞ」という不安に陥れることが出来る。そういう意味でもといも印象に残った台詞だ。
名場面 決着 名場面度
★★★★
 バルサとカルボの戦いは、上記名台詞の後に程なく決着を迎える。全く無関係なのにカルボに生命を狙われたセーナが制止に入ろうとした目前で、バルサがカルボを斬ってしまう。「あなた…なぜ」と声を上げるセーナに、バルサは「うるせー! 私は虎だ! 近寄ると食い殺すぞ!」と怒鳴ったと思うと、足早に立ち去る。だが次の瞬間、斬られたはずのカルボが起き上がり「俺はなんてちっぽけなんだ…」と呟き出す。セーナが「確かにあの女人はこの男を斬った」とした上で、馬子に「バルサを呼んできてこの男が斬られていないことを伝えるよう」指示をして、カルボには「あの女人の名をご存じ?」と問う。カルボは呆けたようにセーナの顔を見ると「知らぬ。いや、忘れてしまった」と返し、力なく立ち上がってその場を立ち去る。
 壮絶な果たし合い、そしてその戦いは誰が見てもバルサの勝ちである。それもただ勝ったのではない、バルサは自分が持つ「思い」を全て崩壊させることがなく、完勝したと言える。
 この戦い、バルサは確かにカルボを斬ったが、面白いことにカルボに傷一つ追わせずに斬ったのだ。だがこれはカルボにとっては致命的な一打だった、自分は誰よりも強いと虚勢を張って生きることしか出来なかった男が、自分より強い女に見せられたのは「真の気迫」と「強い思い」だ。それが殺気となって相手に伝わり、カルボに「死ぬ直前の恐怖」を見せただけでカルボが倒されたのだ。そうして斬られたのは彼の魂だけであり、肉体ではなかった。だから彼は斬られたけど死んでいない、傷一つ追っていないが廃人同様になって生命だけは助かった。これがバルサの「殺さずの誓い」の結果ということだ。
 そしてこの対決の結果を見たセーナは、バルサが虎のような野獣と化してしまうことが最も怖かったはずだ。彼女はバルサを救おうと行動に出たわけだが…結局はバルサの方がカルボだけでなくセーナよりも一枚上手だったと言うことだ。セーナは「実は斬られた男は斬られていなかった」と判断したわけだが、バルサに言わせれば「確かに相手を斬った、だが生命は奪っていない」のである。バルサはそこまで計算してやったことを、セーナが気付いていないというギャップを演じることで、この戦いの結果のすさまじさを上手く表現しているのだ。
感想  今話はゲストキャラを中心に物語が進む。バルサの商売敵の用心棒でありバルサの温情で斬られなかったことを屈辱と感じていたカルボとの戦いを軸に、そこにその戦いに巻き込まれたセーナという「先生」と呼ばれる女性が加わる。この三つどもえから、これまで明確にされてきたバルサの「思い」を形にしたのが本話だ。
 そしてこの中で出てきたのは、セーナが語った「虎」に関する逸話だ。「虎のように強くなりたいという武人が、本当に虎になってしまった」という劇中神話を通じて、バルサが野獣ではなく人であるということをキチンと浮き彫りにするが、同時に野獣としての強さを持っていることも忘れずに描いている。セーナが決闘を見た時に、バルサが虎として描かれているのは「第三者から見たバルサの強さ」をうまく表現したと思う。対してカルボがそこで人として描かれているのは、彼が「凡人」でしかないことを示している。つまらない恨みにいつまでもこだわり、それを精算して自己満足を得るために他人の迷惑を顧みずに自分勝手な行動をする…どんな聖人君子でも一度はこんな行動に出たことがあるはずだ。そんな「人間の本質」というのも本話ではカルボを通じてしっかり演じている。こういう視線で見ると実に深い話で、これは原作にも描かれていた事なんだと考えられる。
 また、冒頭の穏やかな表情のバルサが、決闘シーンに向けて徐々に怖い顔になっていくのも見物だと思う。これは決闘に向けてバルサの怒りのバロメーターが上昇していることを上手く表現している上手い演出だ。
 同時にカルボを小さい男として描くこともキチンと忘れない。バルサを決闘に引っ張り出すために無関係な第三者を巻き込んだだけでなく、バルサに対する攻撃がバルサがやってきたことのコピーというのもこの男の小ささを上手く示している。そしてならず者を一人雇って事実上2対1での攻撃であり、しかもそのならず者の雇い金をケチっているところもこの男の小さい点だ。こんな奴と戦わされたらバルサでなくてもバカバカしくなると感じるよう、上手く描いている。
 そして本話の豪華なゲストキャラとそれを演じる役者さん。セーナの声は「どっかで聞いた声だ」と思っていたら、スタッフロールで確認したら森雪でビックリした。あの声で「古代君」とか言ったら、「おばさんになった森雪」になりそうで面白かったぞ。

第14話「結び目」
名台詞 「荒れ狂う大海原を越え、緑なすナヨロの地に降臨せし聖祖トルガルは『100年に一度現れ、渇きをもたらす水の魔物を倒してくれ』とその地に棲まう民ヤクーに頼まれた。そこでトルガルは、大聖導師ナナイと8人の武人と共に青霧山脈の奥地へと分け入った。鬱蒼と霧に煙る木立の奥、こんこんと沸く泉の傍らに一人の幼子が座っていた。幼子は泉を指してトルガルに言った『我を崇めよ、我はこの地の水を司る者。もし我を崇めるならば、其方らの地に豊かな実りをもたらせてやろう』と。しかしトルガルは、魔物の言葉には惑わされなかった。彼が『星心ノ剣』をすらりと抜き放つと、幼子はたちまちにしてぬらぬらとした水妖に変化し襲いかかってきた。トルガルと8人の武人は三日三晩水妖と戦い続け遂にその首を斬り落とし、その胴から吹き出した青い血を泉に流した。途端に天を割って稲妻が走り、泉を打った。青い光が泉に満ち、清らかな雨となって地を満たした。この地に水の恵みを取り戻したトルガルは、天の加護を受けた天子として帝を名乗り、新ヨゴ王国を起こしたのであった。」
(シュガ)
名台詞度
★★
 本話の冒頭、トロガイと水の民の会話シーンに続く2番目のシーンがこの台詞そのものである。シュガが語るこの台詞は、物語の舞台である新ヨゴ国創世の物語…つまり「建国正史」というものだ。新ヨゴ国の帝が帝であることを世に知らしめる証の歴史と言って良いだろう。
 上手く出来た劇中物語と思った。いくら物語の世界がファンタシーの世界であっても、「そりゃないだろー」と思うように上手く作られている。これは劇中世界で実際に起きた出来事ではなく、「帝が帝を名乗ることの正当性を示す神話」でしかないように上手く考えられているのだ。こういうところの物語がしっかり出来ているからこそ、ファンタジーであっても物語に現実性と奥行きが生まれ、面白く興味深い話になる。この台詞にある物語はそれを上手く示している。
 そしてこれは「シュガが建国正史を読んでいる」という設定の元の台詞だが、そのシュガは物語のナレーター的な役割でもってあくまでも無感情にこれを読み上げるのが面白い。こうすることで視聴者はこの物語の小説を読んでいるような感触を味わうことになるだろう。
 この物語を聞いて想像力を働かせる人も多いだろうなぁ。これが作り話だとしたらトルガルは何処からやって来たどんな人で、どういう風に国を興したのかと…私はトルガルというのは農村の大地主みたいな人だったと直感した。大聖導師ナナイはその大地主に取り入って国を興させた張本人で、8人の武人は大地主の下で働く農民…彼らが圧政に苦しむ民を見るに見かねて旧政府に戦いを挑み、勝ったというところが正しい歴史なのだろう。
名場面 トロガイ再登場 名場面度
★★★
 本話はまず、トロガイと水の民との会話と、シュガによる新ヨゴ国の「建国正史」の朗読と2つのシーンで始まるが、これが終わると前話の戦いを終えて帰宅の途につくバルサへとシーンが切り替わる。前話での戦いを振り返りながら歩くバルサは、唐突に貴方の音を聞く。それは街道沿いの畑の一角から炭油が沸き立つ音であった。ところが見ているうちにその炭油が盛り上がり、その炭油の盛り上がりの中に2つの目が浮き上がるとそれが人である事が解る。その人が「バルサ…」と呟いて気を失おうとしたところで、バルサはそれがトロガイである事に気付いて走り、炭油からトロガイを救出する。
 今話では前述した2つのシーンで、ここまでの数話と様相を異にする物語であることに視聴者は気付いているはずだ。それが決定的になるのはこのシーンであると言って良いだろう。バルサ一行とトロガイの合流は、新たな事実がバルサ一行と視聴者にもたらされることであり、ここまでずっと止まっていた物語の本筋の方がいよいよ再開するきっかけであることが明確になる。
 だがその大事なシーンを、この物語ではただのトロガイが帰ってくるシーンで済ませることをしなかった。ここは冷静に考えると、戦いを終えて帰宅するバルサとトロガイが街道でバッタリ出会ったり、またはバルサが帰宅した後に突然トロガイが尋ねてきても全く不自然ではない。だが敢えてこのようなシーンに描いたのは、この物語の再開という重大局面をいかに視聴者の印象に残すかという面が大きいだろう。
 もちろん、人が出てきそうもない炭油の中からトロガイが突然現れるだけで強印象だが、そのトロガイが自力で炭油から這い上がって「大変だったわい」とか語り出すのでなく、バルサに助けられて気を失うという事実でもって「トロガイが困難な旅をしていた」という印象が視聴者の中に強く残ることになり、これは彼女が長期間物語に出てこなかった説得力にもなろう。同時に、なんでトロガイがこんな所から現れたのかという謎解きの話を視聴者が期待し、見ているとその通りに話が進むから本話全体が気持ちいい1話として印象に残る仕掛けだ。
 しかし、物語が進んでいくと、この炭油がトロガイを喰った魔物のウンコだったと解るとは…この謎解きが進んだ後でさらに印象に残るという二重構造になっているのも凄い。このシーンは高島礼子さん演じる実写のトロガイにはやって欲しくないなぁ。いくらそれが架空の魔物の物とは言え、ウンコまみれの高島礼子さんって想像したくない。
感想  いよいよ本筋が再開する。ここまで1話完結のサブストーリーばかりを数話続けてきたが、ここからはチャグムの体内にある水妖の卵の物語がまた再開すると言って良いだろう。そして物語は二元中継で、バルサがトロガイを救出したところで始まるバルサ側のストーリーと、シュガが古典を読みあさって真実にたどり着こうとする王室側の物語が並行する展開は、本筋が止まる9話以前と同じ構造だ。
 バルサ側ではまずトロガイが「水の民」から話を聞くことで、早くも一つの真実にたどり着く。それはチャグムの中にある卵は害ではないが、放っておくと「卵食い」というやつに殺されてしまうという内容と考えて良いだろう。その卵食いから卵を守るために、チャグムがいた王宮というのは格好の場所だったのだが…という理解で私は考えている。
 またこちらの展開では、トロガイの回想シーンも面白い。題して「トロガイの大ぼうけん」。火の民に追われて洞窟の中を彷徨い逃げ、地下水流に流されたりするのは何でも知っている老女らしくなくて良かったぞ。ウォータースライダー状態だったり、滝壺に飛び込んで助かるとか…ここだけは正直笑うしかなかった、ここは火の民と戦わせて欲しかったなー。
 対してシュガはなかなか真実に行き当たらない。彼の中にあるのは「チャグムが無駄に殺された」と「チャグムは死んでいない」という双方の思いだ。いずれにしても彼の「真実を突き止める」という思いは今回もしつこく描かれている。だからこそ彼は地下室に閉じ込められる、その顛末については次回と。
 しかし、前回のバルサは「カルボを斬った」はずだったのか…てっきりあれは解っててやったんだと思ったけどなー。でもカルボが廃人になってしまった事も、バルサは知ったんだろうなぁ。

第15話「妖折」
名台詞 「贈り物とは、受け取る側の気配りによって成就するもの。大切なのは双方の気持ちなのだ。」
(サグム)
名台詞度
★★★★
 成人を迎えたサグムは王宮内での帯刀を許されることとなり、同時に父である帝から刀を贈られる。だがその刀はサグムの好みに合わない派手な装飾のある物であった。これを見たガカイは「帝より賜れた刀は、殿下のお好みとは少し違うのではありませんか?」と問うたサグムの返答がこれだ。
 いやぁ、良い台詞だと感じた。贈り物というものをどう考えるか、好みに合わない贈り物が来たときの対応を上手く語ったと思う。本来贈り物というのは贈る側の「気持ち」であるが、その気持ちが伝わるかどうかは受け取る側に掛かっていることが上手く語られている。このシーンのケースでもそれが受け取る側の好みに合わないとはいえ、受取手のサグムがその贈り物をキチンと受け止めたことで「父の思い」が息子に伝わったのであり、サグムは刀はなく父親の気持ちそのものを受け取ったのだ。もしこれがサグムが好みに合わないからとそれなりの態度を見せていれば、贈った側は不快な思いになったり間違った物を贈ったと後悔の念にさいなまれるだけではなく、受け取り側がそのような態度を取ることで「思い」が伝わらなくなってしまう。だから贈り物というのはそれがどんな物であっても「まずはキチンと受け取り、贈ってくれた事に対して感謝する」こと、こうして受け取り側が感謝すれば贈る側も喜び、双方が喜び合うことで気持ちが通じるのだとこの台詞は説いているのだ。
 物語の本筋とは全く無関係な台詞だが、本話ではこれを超える台詞は無かったと思う。
名場面 商談 名場面度
★★★★
 夕立の午後、この夕立にチャグムが生きていてる証があることを伝えるためシュガはサグムの元を訪ねる。居室で机に向かっていたサグムは足音だけで気付き、「そなたがここへ来るのは久しぶりじゃな、シュガよ」とシュガに告げる。「なぜ私とお気づきに」「忙しいときほど、感覚は研ぎ澄まされるものだ」とやりとりした後、サグムはシュガに「少し心がくたびれている」「皇太子サグムを演じるのはかなり堪える」と正直に告げる。これにシュガは「少し役割を他の者に変わり、肩の荷を降ろされたらいかがでしょう?」と進言するが、サグムは自分を助ける人の数が足りない上に自分自身に人心をひとつにまとめる才能がないと返し、「それをチャグムが持っておった、自然と人を魅する力をな」と続ける。ここでシュガは自分が伝えるべきことを思いだし「殿下、チャグム皇子は…」と言いかけるが、サグムは「そうじゃな、チャグムはもうこの世には居らぬ」とシュガの言葉を遮る。「だがチャグムが居らぬからこそ、余は折れずに頑張れるのじゃ、チャグムの分までな」とサグムが続けると、険しかったシュガの表情が緩む。それを知ってか知らずか「すまんな、つまらぬ話を聞かせてしまった」と続けたサグムに、「私と語らうことで気分が晴れるのなら、いつでも参ります」とシュガが返す。「そうか、少し心が晴れた。シュガよ、今後とも良きともであってくれ」とサグムが続け、「もちろんです」とシュガが返す。そしてサグムは「して、そなたの用件はなんじゃ?」と問うと、シュガは「恐れながら、私の思慮が足りなかったようでございます。今一度出直して参ります」と返して部屋を立ち去る。「そうか…」と呟いて立ち去るシュガを、寂しそうな目で見送るサグム。
 サグムが「チャグムを失う」という事実にどう対処したか、上手く再現された。腹違いとはいえ大事な弟を失ったサグムは、慣れないだけでなく自分には向いていない皇太子としての仕事をこなすためにチャグムを「心の支え」にしていた事実だ。支えがあるからこそどんなに辛くてもやっていける…あの世で弟が見ていると思うからこそ、彼は自分には向いていない仕事をこなしてゆくことが出来たのだ。
 そしてそんな思いを語られたシュガは瞬時に「今は伝えるべきではない」と判断したことがよく分かる。ここでチャグムの生存をこの兄に伝えても、そのチャグムをすぐに連れて帰れる状況ではなく、また現時点ではチャグムを連れ帰れば王宮でどういう扱いを受けるかわかり切っているからだ。そんな状況下でチャグムが生きていると伝えても、この今を必死に生きる皇太子を苦しめるだけだ。それが解っているからこそシュガは、その大事な用件を伝えずにサグムの前から立ち去るしかなくなるのだし、チャグムを守るという彼の思いが強化される伏線となっていくことに説得力が生まれるのだ。
 同時にこのシーンでは皇太子サグムの「疲弊」も上手く描いていて、今話で明確にしているサグムの「死亡フラグ」を明確にしたと言って良いだろう。このシーンのサグムは以前のサグムとはほど遠い病人のような表情で描かれ、いつ倒れてもおかしくない状況だ。だからこそ本話のラストで彼が倒れることに説得力も生まれよう。こうして物語は実写版でも描かれたサグム崩御へと話が突き進んでゆくのだろう。
感想  今回も本題が突き進むが、今度は主は王宮側の話と言って良いだろう。バルサやチャグム一行の話は出てくると言えば出てくるが、こちらは王宮の物語の合間に描かれるだけ。トロガイが掴んだ謎は前話の繰り返しだし、まだ謎となっている部分を説くために旅に出ることが決まる位しかバルサ側の物語は進んでいない。
 対して王宮側の物語は忙しく動く。本筋はシュガがトロガイがえた情報とはまた少し違う形の情報を得て、チャグムはしんでいないことを明確にして王室側の物語を一気に進める。同時にサグムの疲弊を印象的に描くことで、彼に「死亡フラグ」を建てるのも今話だ。だが今話のラストシーンはサグムが倒れただけなのか、それともあれがサグムの臨終なのかはよく分からないように描かれている。どっちにしてももっとハッキリ描いて良かったと思うけどなぁ、実写版通りの展開であれば「サグムの死」は王室側にとって「これまで邪魔者だったチャグムが、一転してどうしても必要な存在になる」という大展開点なんだから。次話が始まってどっちに転んでいるかでその物語展開は大きく変わるはずなんだから。
 しかし、今回のトロガイの動きはいちいち面白い。あの何とかって紫色の木の実を食べるトロガイは見ていて楽しかったぞ、なんか「縁側でスイカ」みたいな感じでね。あれを高島礼子さん演じるトロガイがやらなくて良かったよ、がさつな高島礼子さんって想像したくない。

第16話「ただひたすらに」
名台詞 「狩人は腕の立つ武人であれば務まる、という訳ではありません。諜報こそが、むしろ我らの本懐。」
(ジン)
名台詞度
★★★
 王宮のチャグム奪還計画はシュガの主導で進められる。これに従ってかつてバルサやチャグムを追った王宮の狩人たちは、たった5日でトーヤの「たのまれ屋」を見つけ出し、3日でそこに手の者を潜り込ませてトーヤの警戒心を解いてしまう。この事実にシュガが感心すると、狩人の一人であるジンがこう返す。
 これはもう仰る通りだが、この手の格闘戦が入り交じる物語では忘れがちな要素である。確かに敵と味方の力による戦いは面白いが、実際の戦いはそうではない。相手を確実に倒すための「情報戦」がものを言うのは、かつての太平洋戦争や最近ではスポーツの例を挙げるまでもないだろう。そしてこの暗殺などを仕事としている狩人にとっての情報戦は、「行方をくらませた相手を探し出す」ことと「その相手を誘い出す」ことにあるはずだ。それが出来なければ折角の腕力も使い道がないという事実をこの台詞が如実に示している。
 そしてこの台詞があるからこそ、ここまでの彼らの情報戦によってトーヤが発見されたことに説得力が生まれるだけでなく、この台詞の次に描かれる彼らの情報を巡る戦いが非常に盛り上がる。そしてそのような情報戦をする余裕などなく、力業で対抗するしかないバルサやチャグムに対する不安がわき出てくることで、物語が盛り上がる。そういう意味で印象に残り気に入った台詞だ。
名場面 情報戦 名場面度
★★
 名台詞シーンを受けて、シュガが「次はどうする? (バルサが)直に姿を現すとは思えんが」と指摘する。ジンが「黙って見ていてくだされば、すぐに片が付きます」と返すと、シュガが見ている前で作戦が起きる。街の大工の棟梁に化けてトーヤの店に入ったモンが、トーヤに物品調達を依頼するとトーヤは伝票を切るために一度店の奥に下がる。するとモンはトーヤの机にあった台帳を持ち出して店の外に出る、店の外には狩人の仲間のユンがいてモンから伝票を受け取ると、これを速読術を使って目を通す。そして次の瞬間、店内にサヤが茶を持って現れるがモンは何事もなかったかのように店内に座っていて、伝票も元あったようにトーヤの机の上に置かれている。裏から戻ったトーヤがモンと挨拶としているその時、ユンは狩人達が潜んでいるアジトに戻ってトーヤの伝票にあった内容を正確に書き出す。「あの短時間に全てを暗記したというのか?」とシュガが驚くのにも構わず、ユンは一心不乱に暗記した内容を書き出す。
 名台詞欄で話が出てきた「情報戦」について、説得力を増したシーンがこれだ。短期間でトーヤを発見して警戒を解かせた件は、視聴者の誰も見ていない。それだけでなく劇中のシュガ同様「このまま黙って見張っているだけか?」とツッコミを入れたくなる所だ。だってどう考えても、見張っていてもバルサやチャグムが直接来るはずがないのは明白だし、客としてやってきたタンダに尾行をつけるようなこともしていない。だが見ていると彼らはすぐ動く、大工の棟梁に化けたモンに対するトーヤの信頼が確かだと解ったところで、モンを使ってトーヤの店の情報を盗み出すのだ。その方法は速読と速記、それに暗記術を組み合わせたもので短時間に住ませてしまう様を視聴者が見せられると、いよいよバルサやチャグムにも追っ手が迫っていると明確になり、その不安感が物語を盛り上げることになる。
 さらにこのシーンの描写の中で、ユンがトーヤの台帳を速読するシーンが不気味でなかなか良かった。目をかっちり見開いて瞬きもせずに台帳を読むこのユンの不気味な表情も、そのままこの狩人達の不気味さに繋がっている。こういう細かい部分で物語を盛り上げる事を忘れないこのアニメの「つくり」に感心するところだ。
感想  前話を受けて、いよいよシュガや王室の狩人達がバルサに迫ってくる様を描く。だが今回は前のように暴力的に一気に押し進んでくるのではない、知的手段でじわじわと迫ってくるように描かれるのだから見ていて気持ちよいものではない。物語の大半は王宮側の物語で、前話のラストシーンはサグムの臨終だったことが明確にされ、その上でシュガの立場が「チャグム奪還の責任者」でありこの動きは帝公認というものになっていくのだから怖い。正直彼らが出くわして戦いになり、バルサが勝ってチャグムが守られてもこれじゃ逃げ場がないとまた不安になる。
 そして名場面欄の後に、狩人達はトーヤの顧客を見張るだけでなく、自ら頼まれた品目の配達に出るトーヤにも尾行が着く。これで次回予告と組み合わせれば、トーヤが尻尾を出してしまいバルサが危機に陥るという展開が見えてくる。
 一方のバルサらは、ヘソクリを出すことで金銭面での不安を解消し、チャグムが街中で一人放り出される展開となる。こっちもチャグムが狩人に見つかるとかそういう展開がありそうで…でもそうしたら物語展開的にトーヤが一人で出て行く必要なんかないんだよな、都で一人でいるチャグムを狩人の誰かが発見すれば、そこにシュガを呼び出してチャグムを保護して「完」だ。わざわざ次話でバルサとチャグムが生活していた水車小屋を燃やす必要も無いだろう。バルサとチャグムが別々に襲われるような展開ではやっぱり意味がないし…ちょっと次の展開の予測が難しくなってきたぞ。

第17話「水車燃ゆ」
名台詞 「すまん、トーヤ。この恩は一生忘れないよ。」
(バルサ)
名台詞度
★★★
 トーヤは王室の狩人達に付けられていることも知らず、バルサ達が住んでいる水車小屋まで納品に来てしまう。そこで自分が付けられていたことと、水車小屋が既に狩人達に包囲されていることを知ったトーヤは、水車小屋に放火することでバルサに「水車小屋へ近付いてはならない」旨を伝える。この作戦は上手く行き、トーヤは狩人達に囲まれはしたものの生命を奪われることもなく、また火災により村人達の騒ぎになってことで水車小屋にバルサがやってくることもなかった。だが自分の無警戒に行動からバルサが追いつめられたことを思い知ったトーヤは、「恩を仇で返してしまった」と地面を叩いて号泣する。その光景を隠れ見てバルサが呟いた台詞がこれだ。
 今話の見どころは名場面欄を発端に始まるチャグムとシュガの再会劇と、もうひとつはトーヤが尾行されたことで狩人達にバルサの居所が知られた件がどのように解決するかだろう。結局はトーヤの機転によりバルサはギリギリのところで発見されずに済んだわけだが、その過程でトーヤは水車小屋に追いつめられるというあわや殺される危機を味わうことになった。この台詞はバルサに恩があるトーヤがまさに生命を賭けてバルサを守ったこと、これがバルサにキチンと伝わったことを上手く表現している。バルサは水車小屋が燃えたことと、そこで狩人達に囲まれて脅されているトーヤを見た事で何が起きたかを正しく理解していたのだろう。その行動にはトーヤの「何とかしてバルサの役に立ちたい」という思いがキチンと込められていた…それをバルサが受け取ったのだ。
 こうしてバルサは、トーヤの恩を背負って次の旅に出ることになる。これがなんかの伏線なのか解らないが、彼女が「自分は様々な人に支えられてチャグムを守っている」と感じているのは確かだろう。こういう「ひとつの事を為すために、様々な人々に支えられる」というテーマがこの物語にあるんじゃないかと、そんな深いことを考えてしまった台詞でもあるのだ。
名場面 突然の再会 名場面度
★★★★
 今話冒頭、チャグムの行き先を案じながら町を歩くシュガは突然信じられないものを見て立ち止まる。それは町人の服装をして出店で菓子を購入するチャグムの姿だった。「あれは…」と呟いて絶句したシュガはしばしフリーズし、次の瞬間何故かチャグムに見つからぬよう灯籠の裏に隠れる。「皇子が一人で買い物など…」と呟いてはみるが、チャグムが自分が隠れている灯籠の前に来るとその前に立ちふさがり「チャグム皇子…」と声を掛ける。突然の予想外の展開に、次はチャグムが「え!?…シュガ?」と声を上げてフリーズする番だ。チャグムを連れていたバルサは、そんなことが起きていることに気付かず買い物を続けている。「何というお姿を…」と語りながらシュガはチャグムに手を伸ばすが、チャグムは後ずさる形でこれを拒否する。「人の目がございます、あちらへ」とシュガが声を掛けると、チャグムはシュガと共に路地裏に消える。
 とても印象的な再会劇だ。前話感想欄で「チャグムが街中に一人で放り出される展開」について何かありそうだと記したが、これがその答えだったわけだ。チャグムが狩人に見つかるのではなく、シュガに直接発見されるとは完全に予想外、これで狩人がトーヤを追って水車小屋に迫っているシーンが並行して描かれているのも納得と思った。もちろんチャグムがシュガに発見されたところで、チャグムはシュガの話を聞いて「ハイそうですか」とそのまま着いていくはずがないし、バルサが飛んできてシュガとチャグムを引き離す展開になってもおかしくない(現にそうなる)。
 そしてこの再会劇がとて印象的なのは、そのシーンが非常に言葉少なに演じられているからだ。人は「ここにいるはずのない人」にバッタリ出会ったとき、驚きで言葉が出ないものだ。その突然「いるはずがない人が現れた」ショックから覚めて始めて言葉を掛けることが出来る、私もそんな経験は何度もしている。そんな二人の衝撃を時間を掛けてストップモーションのように描いたこのシーンは、物語がすっかり「本題」に戻って語りどころが多い本話においてとても印象的なシーンだ。特に二人が立ち尽くして向かい合っているシーンでは、シュガの「やっと見つけた」という思いと、チャグムの「見つけられてはならない人に見つかってしまった」という思いがキチンと込められている。その上で互いに「あまりにも突然なのでどう続けたら良いのか解らない」というショックと困惑も上手く込められている。こうして二人の劇的な再会を印象付けたところから、今話の物語が始まるのだ。
感想  一気に本題が動いた1話で、語りどころも多い1話でもあると言って良いだろう。冒頭では名場面欄シーンをきっかけにチャグムとシュガが突如再会するという予想外の展開を迎え、正直私もそんな展開は予想していなかっただけに驚いた。だってどう考えても狩人達の動きとは別にシュガがチャグムを見つけてしまえば「終了」だからだ。だがバルサやトロガイが掴んでいるチャグムの憑き物の謎を考えれば、二人が再会したところで「ハイそうですか」とはならないのも事実。憑き物の秘密についてトロガイの方が一歩先行して知っている以上は、この再会をどう切り抜けるかという新しい要素が今話の見どころに加わってくる。もちろんチャグムはサグムの死を知ってショックを受け気持ちが揺らぐが、バルサは全く揺るがない。「卵」を喰らう別の憑き物の存在が想定される以上、その謎を解かない限りシュガが何を言おうがチャグムを返せないのは当然だ。シュガは王室の資料だけで判断しているから、チャグムの憑き物についてさらなる問題がある事実を知らない。知っていたらまた別の対応を取るはずだ。それはともかく、結局は揺らがないバルサの力業でシュガは深手を負わない程度に倒される。
 そして狩人達はトーヤを尾行することでバルサとチャグムが住んでいた水車小屋を突き止め、いよいよここに襲撃を掛けようとする。そこにバルサが忘れ物に気付いて水車小屋へ一度帰るという展開を挟んだことは上手く出来ていると思う。こうすることで水車小屋ごと狩人達に囲まれたトーヤのピンチだけでなく、バルサのピンチも同時に描かれて物語は大いに盛り上がるわけだ。そしてトーヤがバルサのために「今自分が出来ること」を忠実に実行することで、ピンチから逃れられたのは名台詞欄に書いた通りだ。
 次話ではもう次の旅の目的地に着くようだが、そこでまたどんな謎が生まれるのかも楽しみだ。同時にシュガと狩人達がどんな追求をし、それをどう回避するのか…急に物語が盛り上がってきたなぁ。数話前の本題から外れたあののんびり感が今となっては信じられない勢いだ。

第18話「いにしえの村」
名台詞 「分かった、自分で歩く。だから、歩きながらでいいから、俺の中に宿っている卵の事情というのを話してくれ。兄上が死んだ事よりも、大事な事情というものを。」
(チャグム)
名台詞度
★★
 前話の水車小屋炎上の件を受け、バルサら一行はヤクーの古い伝承が残るトウミ村へ急ぐべく夜の街道を進んでいた。その険しい道のりに息を切らせたチャグムの足が止まる。これを見たタンダはチャグムを背負おうとするが、これをバルサが険しい口調で制止する。この言葉に対してチャグムが返した台詞がこれだ。
 この台詞にはチャグムが感じた理不尽と不安が上手く込められていて、一度本話を最後まで見るとこの台詞の重要性が浮かび上がってくるように感じた。本話は「チャグムの運命」が明らかになる展開なのは確かで、その運命がチャグムにとってとても重いことは前話までの展開で多くの視聴者がそれを感じていることだろう。もちろん前話までの展開であれば黙ってチャグムを連れ出せば何も問題ない話で済むところだが、前話でシュガがチャグムに「サグムの死」という情報を入れてしまったのが問題だ。チャグムは最愛の兄が死んだという重大な事実に対して自分の中でこれを処理したいところだが、それが敵わない理不尽を味わうことになると共に、この理不尽を通じて今は「自分の運命を知る旅」であることを察し、今度は自分自身に対する不安がわき上がってくる。
 その様を山道を歩くチャグムの姿にダブらせて、この台詞に上手く込めたと思う。チャグムにある険しい道のり、自分の身内の死を見舞うことも出来ない険しい道に遂に歩くことを拒否しようとするが、自分の運命のために自分で歩かねばならないとバルサに告げられとにかく歩く。そんなチャグムの心境が上手く出ている。
名場面 チャグムの運命 名場面度
★★★
 トウミ村に到着したバルサら一行は、村長の家に案内されてそこでチャグムに憑いた精霊ニュンガロイムの卵についての伝承を聞く。ヤクーの少女ニムカが語ったその伝承の内容は、ニュンガロイムの卵を宿した者は「卵食いのラルンガ」に引き裂かれてしまうというものであった。これを聞いたチャグムは、これが自分の運命であることを知り激しく動揺する「俺はそうやって死ぬのか?」とバルサに力なく聞いたチャグムは、そのままバルサの元に倒れ込む。村長が「いったいその子は…?」と問うとBGMが止まり、「実はこの子が今度のニュンガロチャガ(精霊の卵を宿した者)なのです」とバルサが静かに答える。驚く村長とニムカ、あとは料理を焼く火の音だけで無言で本話が終わる。
 いよいよ「チャグムの運命」というものが明確になってきた。チャグムに精霊の卵が憑いただけでなく、その卵を狙う妖怪ラルンガにも狙われる存在であったのだ。そして精霊の卵を孵そうとしたときに、そのラルンガに襲われて死ぬというのがチャグムに待ち受けている運命なのだ。もちろん物語は皇室の狩人達との駆け引きと同時に、チャグムをどうやってラルンガから守るかという方向に進展して行くのだろう。
 そしてその事実…つまり自らの死に様を知ったチャグムの動揺の描写は見事だ。激しい動悸に見舞われたと思ったら、続いてチャグム視点で村長の家の天井が揺らめいている様子が映し出される。もちろんこれは実際に天井が揺れているのでなく、チャグムの身体が揺らいでいることを示している。このような形でチャグムの精神的動揺をキチンと描き、「死」という自分の運命を年端のいかぬ少年のうちに知ってしまった人物の強いショックと、これを目の当たりにしてしまった者達の驚きを上手く演じる。
 そしてこの展開は、間違いなく次回へ続くことになるはずだ。この衝撃の事実が隠されていたことでチャグムとバルサの信頼に亀裂が入るであろうし、同時に前述したように物語の新しい展開は「いかにしてチャグムを守るか」という方向性に絞られてくるだろう。物語の本題は「チャグムに憑いた卵の謎」であったが、それが「その脅威からチャグムを守る」というものに変わり、このシーンはその新展開に入って行くきっかけだと考えられる。
感想  正直、今話はシュガや狩人達の展開が邪魔だと思った。もう水車小屋炎上の一件で狩人達がバルサの動きを掴むのはわざわざ見せられなくても当然として理解出来るし、狩人達が迫ってもシュガ当人がいなければ手出しが出来ないことは前話や前々話の展開からしてわざわざ確認されなくても分かってる。ここはバルサらの旅に話を絞った方が良かったんじゃないかと今話を見て感じた。おかげで今話は今までと違って話がダラダラと間延びしているような印象が残ってしまい、精霊の卵についての真実がチャグム本人の前で明確になるという大事な展開なのに、その最も大事な部分がどうにも印象に残りづらい展開となってしまった。
 例えばシュガや狩人側の話をカットすれば、バルサがチャグムにこの大事な話を分かる範囲でしておかなかったことでチャグムに生じた「不信」というのをもっと明確に描くことが出来たと思う。そうすると名場面シーンではもっと違う展開を作ることも出来たと思う。卵が取り憑いたことはチャグムに死ぬ確率の高い運命を背負わされたいる事なんか、視聴者にとって十分予測可能なことなんだからあのシーンはもっと別の処理があっても良かったんじゃないかと思う。ニムカとの出会いもあんな唐突な形でなく、もっとじっくりと描いて欲しかったなぁ。
 その上でトウミ村やそこへ通じる街道の描写がいちいち美しく、見ている者を圧倒するのは面白いなぁ。実はバルサらの旅をもっと丁寧にと思ったのはこういう要素を見たからというのもある。誰もが田舎の方へ旅に行って、素朴な景色をみると安心するというものを持っているはずだが、そんな気持ちを刺激する美しい背景描写があったのは事実。そういう描写にこだわりすぎて話を盛り上げることを置き去りにしてしまった…残念ながら本話はそんな1話に見えてしまった。ちょっと辛口の感想になったけど、今話は描写が良かっただけに展開面が残念というのは偽らざる考えだ。

第19話「逃亡」
名台詞 「親に刃物を向けるとはどういう了見だ。チャグム、みんながお前を守ろうと頑張っているのに、自分一人逃げ出してどうするんだ? 私はお前を必ず守る。そして、お前は精霊の守り人なんだ。だから、怖くても最後まで卵を守って戦うんだよ。私の生命に代えてもお前を死なせはしない。だから、私を信じておくれ!」
(バルサ)
名台詞度
★★★★★
 (名場面欄参照)
名場面 バルサvsチャグム 名場面度
★★★★★
 「自分の運命」が隠されたことでバルサに対する不信が頂点に達したチャグムは、バルサ一行からの逃亡を決意する。これを知ったニムカはチャグムを村民しか知らない裏道へと案内するが、峠が近いところでバルサが追いつく。槍を持ってチャグムに近付きながら「村へ戻るよ」と告げるバルサに、チャグムは自らが持つ不信突きつける。「確実なことが分からなかったから、お前を苦しめたくなかった」と返すバルサに、「嘘だ、バルサは俺より卵の方が大事なんだ」と叫び返すチャグム。「それは違う、私にとっちゃチャグムも卵も大事な守るべきものなんだよ」というバルサの訴えは心を閉ざしたチャグムに伝わらない。「もう俺のことは良いんだ、俺は宮に帰る。バルサは俺のお母さんじゃないから、俺の苦しみなんか分からないから…」と泣き出すチャグム。しばらく黙ってこれを見つめていたバルサだが、「そうか、そこまで帰りたいっていうんなら…」と言いかけたと思うと、槍をチャグムに投げ渡し「そいつで私を倒していきな」と続ける。驚いて後ずさるチャグムだが、「私はこうと決めたらてこでも動かないからね、お前を宮へは行かせない。それでも行くって言うんならねそいつを取りな」とバルサが力強く告げる。チャグムは槍とバルサを交互に見た後、遂に槍を取って「さあ、そいつで私を突いてみろ」と叫ぶバルサに立ち向かう。「バルサがいくら強くても、巨大な爪の怪物には敵わない。俺は宮へ帰ってシュガと母君に守ってもらうんだ」と叫びながら突進するチャグムだったが、バルサはその槍を手で掴んで止めていた。おそるおそるバルサを見上げるチャグムを表情ひとつ変えずに睨み付けるバルサは、チャグムから槍を取り上げるとチャグムの頬を殴る。「(名台詞欄の台詞)」とチャグムに言い聞かせる。チャグムはバルサの胸の中で「なんで…なんで俺なんだ…」と泣く。
 良いシーンだ。チャグムに生じた「不信」に、バルサが正面から立ち向かう。そんな逃げないバルサだからこそ、不信から逃げへと心境が流れたチャグムに対する説得力というものが生まれる。
 チャグムが自分の運命を知って感じたのは単なる恐怖ではなく、これに一人で立ち向かわねばならない孤独と、このシーンに最後に彼自身が漏らした「何で自分なんだ」という思いだ。このチャグムの不信や恐怖というものを余すところなく描写すると共に、チャグムが「本当に信頼出来る人」というのもキチンと織り込まれていて、ここに前話でチャグムがシュガと唐突に再会したことが効いてくるのも事実である。
 だがバルサとしては、この件に首を突っ込んだ以上は手を引くわけにはいかないし、何よりもこれが自分やチャグムだけの問題ではなく、これに協力しているトロガイやタンダの問題でもあるし、ひいては国全体の問題である事も知っている。だからチャグムを宮へ返して王室がチャグムの取り扱いを間違えれば、チャグムの生命が失われるだけでなく国の存亡の危機になる重大な問題である事も知っている。そうならないように関係者が努力しているのに、当人のチャグムが逃亡では納得も行かないのが道理ってもんだ。だからバルサはチャグムにまず「精霊の卵」に対峙しているのはチャグム一人ではないことを告げ、だからこそチャグムがしっかりしなければならないとキチンと突きつけ、その上で自分が何が何でもチャグムを死なせないと言い切る。この台詞カッコいいなー。これは事実であり嘘偽りがないことは、本作をずっと追ってきた人には説明するまでもなく解っている事だし、実はチャグムにも解っている事だ。
 とくにこのシーンは名台詞も含めて、バルサとチャグムを演じている二人の迫力のある演技にも注目だ。バルサの声は絶叫で「何が何でもこいつを守る」という気迫がちゃんと込められているし、チャグムの声には全てを知って何もかもが信じられなくなった「絶望」というのもキチンと込めている。こんな迫真の演技があるからこそ、このシーンは本作の中盤最期の名場面として忘れがたい場面であり、最も印象に残る台詞であることは確かだ。このシーンと台詞は切り離せないので、同時解説として書かせて頂いた。
感想  前話から今話の流れを見ていて、ここが物語の中盤から後半の切り替わりであることがよく分かった。様々なサブストーリーを織り込みながら、チャグムの中にある「卵」の秘密に迫って行く中盤展開はまさにここで終わり、ここからはチャグムと卵を守る「精霊の守り人」というタイトルに相応しい終盤展開が繰り広げられるのだろう。その前にキチンとチャグムの揺れる心を描くと共に、バルサの「想い」もキチンと置いておいたのが今回の名場面欄シーンってことだ。
 チャグムの逃亡劇は名場面欄で収まっているから良いとして、これに加わる今話の展開は王宮の狩人達の動きがひとつだ。彼らは今までと同様に「じわじわ」とトウミ村に迫るよう緊張感を持って描かれ、その「冷酷さ」が変わらないのは良い感じだ。シュガが加わったからと手加減したりしないのが、彼らの良いところだなぁ。そして通りかかったトウミ村の農夫の慌てようや、狩人達が乗り込んだ際の村長の対応も細かいところだが見ていると面白い。今話のラストは別にトロガイが出てきて演説する必要も無かったと思う、あれは次回に回してもいいシーンだと思うけど…でもそうすればそうしたで今話が「しまらない」まま終わることになるんだよね。
 次のバルサ一行が向かう先は「狩穴」だそうだが、トロガイやタンダがあんな感じで狩人達に囲まれて大丈夫なのか? あ、でも肝心なバルサとチャグムがそこにいないんだからその辺りで何とかなるのか。いよいよ「盛り上がって参りました!」って感じの展開ですね。

第20話「狩穴へ」
名台詞 「当然じゃ。だからこそ短槍使いは皇子を既に秘密の場所に連れて行ったんだからね。嘘だと思うんなら、村中を探してみるがいいさ。だが短槍使いも皇子を返さないと言っているわけじゃない。皇子も卵も守りたいと言っているだけさ。お前らも皇子を助けたいと思うなら、その碑文とやらをさっさと読み解いて春の等しき日に宴の地に来るが良い。我らはそこで待っておる。」
(トロガイ)
名台詞度
★★★
 バルサが家出をしたチャグムを追っている間に、王室の狩人達がトウミ村に踏み込んできて「短槍使いを出せ」と騒ぎを起こす。そこにトロガイとタンダが現れ、王室の狩人達の先頭に星読みのシュガがいる事から「すこしはまともな話が出来そうだ」とトロガイとシュガの話し合いとなる。シュガはトロガイがヤクーの伝承によりチャグムの運命を寄り詳しく知っている事を認めるが、狩人達はなかなか納得せず「ヤクーなら皇子を守れるというのか?」という声が上がる。このトロガイの返答がこれだ。
 この台詞はトロガイがシュガや王室の狩人達を追い払うための狂言であることがひとつだ。トロガイにはまだヤクーの伝承などをひもといてもチャグムを守る確かな方法にたどり着いていないのは、前話の流れを見ていれば解る事だろう。その上でバルサがチャグムを連れ出したと言うのも事実ではなく、単に家出したチャグムをバルサが追っているだけの話であることを前話を見た視聴者は知っているはずだ。バルサもチャグムも村に不在なのは確かだが、その事実を使って上手く場を切り抜ける台詞として機能し、結果的にシュガや狩人達を回れ右させることに成功した台詞であることがまず一つ。
 そしてもう一点は、この台詞にはトロガイの「バルサを筆頭に自分たちがやるべきこと」を明示した上で、シュガに対して「王室がやるべきこと」をキチンと伝えている。トロガイはバルサを筆頭にしてとにかくチャグムを様々なことから守り、その上でチャグムが死なずに済む方法を考えて行動しなければならない。そのために行く場所も決まっている現段階では次の行き場も決まっているのは事実だし、何よりもそれが上手く行かない限りはチャグムを手放すことは出来ない。チャグムを手放すとすれば王室の側で「チャグムが助かる方法」を明示し、それを実行すると言い出さない限りは無理な相談だ。だからシュガに「お前らがやるべくことをやれ」と告げるのがこの台詞で、この台詞は「自分がやるべきこと」をまだ全う出来ていないことに気付いたシュガにとってはとても説得力がある台詞だったはずだ。こうして敵味方の「やるべきこと」を上手く明示し、今後の物語の方向性を上手く印象付けたなとこの台詞を聞いて感じた。
名場面 バルサの過去 名場面度
★★
 バルサはチャグムを使って「狩穴」での冬ごもりの支度を続ける。冷酷にチャグムを準備作業に使うバルサであったが、チャグムが手にあかぎれを作って痛そうにしていると表情が変わり、「待ちな、薬を塗ってやる」と優しく声を掛けてチャグムのあかぎれた手に薬を塗る。薬で手が染みたチャグムが顔をしかめると、「我慢しな、この薬はしみるけど、ちゃんと効くからね」とバルサの言葉は優しい。「私もお前位の時は、よくあかぎれをこさえたもんさ。そのたびにジグロがこの薬を塗ってくれた。普段は厳しかったけど、不思議とあかぎれになったときだけは優しかったね」とバルサが思い出話を始めると、これまで心を閉ざしていたチャグムの表情に変化が現れる。「ジグロというのは、バルサを育ててくれた人のことか?」とチャグムが問うと、2人は向かい合っての会話が続く。「ああ、育ての親で生命の恩人さ」「生命の恩人…」「そういえば、お前にちゃんと話したことがなかったね。ジグロがいなかったら、私は今頃ここにいなかったようよ。間違いなく6歳の時に殺されていたからね」「その人の話、聞かせてくれないか?」「そうか、今が話すときかも知れないね」…こうしてバルサは、チャグムに自分の過去を語り出す。その内容は次話だ。
 自分の過酷な運命に心を閉ざしていたチャグムに変化があったのはこのシーンだ。チャグムが見たのはバルサにも何かの時に頼りになる誰かがいたという事実であり、今もその誰かに支えられているというその姿であろう。だからこそ自分の絶望から抜け出すためにもチャグムはそのバルサの過去に触れてみたいと感じたという彼の「変化」が見えてくるやりとりだ。そのきっかけは自分が傷つけば優し優しくなるバルサの姿と、バルサもそう育てられた事実だ。
 そしてバルサの側もいよいよ「チャグムになら自分の過去をキチンと知ってもらいたい」と感じたはずだ。バルサの側にあったのは今はチャグムの信頼を取り戻す必要に迫られているところだし、何よりも自分の生き様からチャグムが何かヒントを得るに違いないと感じたはずだ。だからバルサから見れば自分の過去について「今が話すとき」なのだ。もちろんその中にはバルサにとって触れられたくない傷や悲しみもあるはずだが、それが「チャグムが生き延びるため」であれば堂々と見せられるという境地に達していたはずだ。
 こうしてバルサの過去がいよいよ明らかにされるが、そこに至るまでキチンと「その過去がチャグムにとって必要な段階」まで話を作ったのだから恐れ入った。ただ単にバルサが過去を語るだけでは次話が「単なる謎解き回」で終わってしまう可能性があり、そうなってはバルサの過去で話が盛り上がらなくなってしまう。次話の導入として印象的なシーンを置いたことは、2人の関係がまた元に戻るためにも必要だったということだ。
感想  本話は前話を受けて、王室の狩人達がトウミ村に踏み込んだところから始まる。この時のシュガとトロガイの会話も印象的だが、名場面シーンにするにはちょっと長すぎたと感じた。トントン拍子に王室の狩人達が納得すると見せかけて、ジンが刀を抜いて1人で反抗するのは話を盛り上げる意味では言い。ジンが彼方を抜いた後のトロガイの台詞も良かったなー…だが最終的にシュガが納得している以上はジンだって納得するしかなく、一行は「自分たちは王宮へ帰って碑文の解読をしなければならない」という「自分たちの役割」に気付いて引き返す。そしてシュガがガカイに碑文解読の仕事を頼むと…解読が進むまで王室側の話はいったん休止かな…?
 一方ではシュガ達が帰った後にバルサがチャグムを村に連れ戻した。このシーンは無言で演じられているが、人々がどんな会話をしているか容易に想像出来るようになっていて面白い。そして村の人々の静かで盛大な見送りを受け、バルサ達は「狩穴」に到着する。「狩穴」というが地下の巨大空間であり、冬ごもりの場であるという展開にただ驚かされた。てっきり単なる洞穴だと思っていたのに…だけどここにも伏線になりそうな設備がいろいろある。タンダが語っていた迷路のようになっているから入ってはならない穴は、今後の展開でチャグムが入り込んで迷うんだろうな…。そして本話ラストで名場面欄シーンが演じられ、ここでスポットが浴びせられた「バルサの過去」は次話に回されて終了という分かりやすい流れだ。
 しかし、本話でトウミ村から「狩穴」までの道中の描写はきれいだったなぁ。紅葉の山々の風景がきれいに描かれていて、この描写に力を入れられていることがよく分かった。またバルサとチャグムが罠に掛かった獲物を掴まえに行くシーンでは、足下にできた霜柱の再現がとてもきれいだ。なんか今回は本ストーリーよりもこのような「季節の変化の描写」に引き込まれることが多かった、それもこれもこの再放送のシーズンと一致しているからに違いない。う〜ん、本物の紅葉が見たくなったぞ。

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