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第21話「ジグロ・ムサ」
名台詞 「私は近いうちに王に最後の毒を盛ることになっている。それで王が死んだ後、自分は罰を受けなくてはならない。しかし、娘には何の罪もない。こんなことを頼めるのはお前しかいないんだ…。無理な頼みとは分かっている、だが女房が死んでからはバルサが俺の全てなんだ。頼む、娘を連れて逃げてくれ。」
(カルナ)
名台詞度
★★★★★
 バルサが語る自らの過去の話、そこでまず話されたのはバルサの父であり、バルサの故郷カンバル国王宮の医師であったカルナのことだ。カルナはカンバルで王の暗殺計画に巻き込まれて、一人娘もろとも生命を狙われる立場にある。その事実を王宮警護の短槍使いであり親友のジグロに語り、娘を託した台詞がこれだ。
 この台詞は短いけど様々な意味が込められていて強く印象に残った。自分が王の生命を奪うことになってしまった後悔、だけどどうにもならなかった悔しさ、それによって決めた覚悟…だがこの台詞の中で最も大桑閉めている彼の思いは、「娘だけはなんとしても守りたい」という父親としての強い思いだ。彼はこんなことに一人娘を巻き込んでしまうことは元から本意ではなかったが、その逃れられぬ運命から回避することも叶わなかった。そこで彼なりに「娘を託せる人物」としてジグロを選び、そのジグロになんとかしてその「思い」を伝えようとするこの台詞は、子を持つ父親なら誰でも共感出来るはずだし、その生命を賭した思いに感情移入出来るってもんだ。
 しかしカルナのジグロに対する「この男なら娘を守ってくれる」という信頼は凄いと思う。いくら自分の生命が危機にあってもう自分で娘を守れないことが分かっていても、娘という「最大の宝物」を託せる人物というの並大抵の信頼じゃ出来ないはずだ。私だってこのカルナの立場になったら、娘を託せる人が周囲にいるとは思えない。頼めるのは実家の家族くらいだよー。
 このカルナを演じるのは野原ひろし(クレヨンしんちゃん)でおなじみで、現在病気療養中の藤原啓治さんだ。彼はこんなところでも野原ひろしとは違う「父親」を上手く演じていて、今話の活躍(といっても台詞らしい台詞は2つしかないが)では野原ひろしを思い出して笑う必要のないところで笑うことはなかった。この場を借りて藤原啓治さんの1日も早い復帰をお祈りします。
名場面 二番目の追っ手 名場面度
★★★
 バルサが語る過去のジグロとの逃避行、いよいよある雨の日に二番目のカンバル王室からの追っ手が2人の前に立ちふさがる。ジグロはバルサを下がらせるとその相手と対峙する…ここまで見た者は気付くだろう、これが3話のバルサの回想に出てきた格闘シーンであることは分かるだろう(私の展開の予想は外れているけど)。二番手はジグロとも親しかったタグルという短槍使い、ジグロはタグルに「王を毒殺した医師の仲間を殺せと言われたか?」と語りかけるが、「耳なし口なしの誓い」を立てていたタグルは黙っている。「お前が戦いを好まない男だと言うことは、誰よりもよく知っている。妻子を人質に取られたんだな…」とジグロが聞くと、タグルは無言で襲いかかってくる。そして始まる激しい戦い、どちらも大事な者を守るために死力を尽くしての激闘。そしてこれを黙って見守る幼き日のバルサ。そしてこの戦いは、タグルの一瞬の隙を突いたジグロが槍をひと突きしてタグルを倒す。「お前にも…守るべきものが…できたか…」と言い残して絶命するタグル、その魂を失ったタグルを見て涙するジグロと、その様子を見守る困惑した様子の幼い日のバルサ。
 もちろん、この戦いは第3話で発生した伏線回収という面が大きいが、この戦いが現在のバルサの出発点であることも上手く示していると思う。カンバル王室の冷酷さは「妻子を人質に取ってまで親友暗殺を命じる」という点だけで明確だし、その上でお互いに「守るべきもの」のために死闘を繰り広げるという展開がバルサに「何か」を伝えたのは確かだ。そしてこの戦いこそが現在のバルサの「チャグムを守る」という一貫した姿勢に繋がっていることは、想像するのは難しくない。
 だが何よりもこのシーンの戦いは何度見ても迫力がある。第3話では「無駄な回想シーンや解説を流さずにバルサの過去を示唆する」という点でこのシーンが上手く使われ、今回は「バルサの現在の思いの出発点」をうまく示唆するために使われている。同じシーンが二度使われるのはある意味御法度だが、本作ではそれぞれ物語の違う要素を見せるために再生されているのが興味深い。3話のシーンと同じシーンなのに、全く別ものに見えたのは私だけで無いと思う。
感想  いよいよバルサの過去が明らかになる…と思って正座してみていると、今回の話はその中でも前半の話だけで、後半の話は次回に回される。もう物語も終盤に入っているというのに、主人公の過去だけで2話も費やすことになるとはのんびりした作品だなぁ。
 今回はバルサがチャグムに「自らの過去を語る」というかたちで、バルサの生い立ちが語られる。正直言って実写版で最も分かりにくかった展開はこの「バルサの過去」、あちらではたまに本筋に回想シーンとして突然割り込んでくるだけで何の説明もないので本当に分かりにくかった。今回はバルサがその辺りをキチンと解説してくれる。本筋から見ると「余計な話」かも知れないが、これがキチンと視聴者を引き込むよう手を掛けて作ってあるだけに見ていて興味深いし本当に面白い。そしてバルサの過去を淡々と流すだけでなく、合間にバルサとチャグムの会話やその時のトロガイやタンダの様子をキチンと描くことで「バルサがチャグムに語っている」という設定を忘れさせないように作ってるのは感心だ。
 しかし、ジグロの武術のモノマネをやって他人におだてられ、有頂天になっている若き日のバルサって意外なシーンで良かったぞ。もちろん、ジグロはそんなバルサを見てキレるわけだが。若い日の武術を習得する前のバルサは「普通の少女」とされているようで、驚いた。

第22話「目覚めの季」
名台詞 「バルサ、人助けは殺すより難しいぞ。お前、英雄にでもなるつもりか? 人は往々にして英雄という名の生け贄を欲しがるものだ。人助けなんてのは、思い立ってするもんじゃない。そんなに気張るな。」
(ジグロ)
名台詞度
★★★★
 前話から続くバルサの回想によるジグロの話は、今話前半でジグロの臨終まで話が進む。ジグロが病に倒れいよいよというとき、バルサはジグロに「約束する、必ず(ジグロに倒された)8人の魂を救う。全員を弔うために必ず。だから安心して眠って」と手を握りながら声を掛ける。これに対して病床にあるジグロが応えた台詞がこれだ。
 この男が言うことはもっともであるし、凄く深いとこの台詞を聞いた瞬間に感じた。そう、人助けって凄く難しいものだ。まず助けて欲しい人間がいなければ実行そのものが出来ないし、見つけたとしても的確な対処が出来るかどうかはさらに難しい話になってくる。本来「人助け」というのは見も知らぬ不特定多数を相手に「さーやるぞー」と向かっていくものではない、そこに助けが必要な人がいることが分かっているときに全霊を込めて行うものだ。この作品内で言えばまさにバルサとチャグムの関係で、チャグムという「助けねばならない相手」がいるからこそバルサはこれを助ける行動が出来るのだ。
 だから「人助けをしなきゃならない」と気がはやっているバルサに、ジグロは最期の時までそうじゃないことを伝える。「目的のない人助け」は結局は軍人のような存在になって暴走し、多くの人を無意味に殺めてしまって名を挙げる「英雄」という怪物になってしまうことは、世界中の歴史が教えてくれる真実だ。バルサにはそうなって欲しくない、だから「助けが必要な人間」が目の前に現れるまで待っていろという最後の忠告だ。
 もちろんこの台詞は劇中のバルサだけでなく、視聴者に向けた台詞でもあるのは間違いない。人助けなんてしようと思って出来るものではない、だからそれを必要とする人がいないなら人助けなんて無理にする必要は無いんだと。この台詞には「人を助ける」ということがどういうことか、上手く込められていると感じた。
 もちろん、音楽家や小説家などのエンターテイメント性の高い仕事をしている人は、その内容を通じて人助けをしているのは事実で、この人達は不特定多数を相手に人助けをしているようにもみえる。だがそれだってその不特定多数の中に救いを求めている人物が混じっているからこそ、結果的に人を助けたということになるだけだ。そして普通の人が普段の何気ない行動や発した言葉から、ある特定の人を助けてしまう結果が出てしまうのだって結局はその相手が「救いを求めている」からであり、結果として人が救われたという話になるのだ。最近そういう経験をした私は、この台詞が言いたいことが妙に胸に染みた。
名場面 バルサとタンダ 名場面度
★★★★
 トロガイが湯治場へ去った後の狩穴での越冬生活は、バルサがチャグムに武術を教えることになって充実した日々が過ぎて行く。ところがその充実から一人取り残されているのがタンダだったことだろう。いよいよ冬も終わりに近付いたある夜、特訓に疲れて眠るチャグムを見守るバルサにタンダが声を掛ける。それは「懐かしい」とした上で「昔、稽古が終えたお前の寝顔を、ジグロがそうやって見ていたことがあった」というものであった。自分が知らなかった事実を伝えられたバルサは一度立ち上がり、火の前に座ってこれまでに無かった優しい表情をする。それを見たタンダは何かを決意したかのように頷くが、すぐに何かを言えない。少し時が流れバルサはチャグムの練習用の槍の手入れに、タンダは何かを煎じる作業に掛かる。すると突然タンダが口を開く「この冬は良い冬だったな。チャグムと三人、この冬だけはずっと続いてくれればいいと思ったよ…でももうすぐ春が来る」と語ったところで、バルサが「静かな日々ともお別れだね。ラルンガも目覚めるだろうし」と槍の手入れをしながら返すと「そうだな、これから生命掛けの修羅場になる」とタンダが付け加えて会話が終わってしまいそうになる。しばらく黙々と作業を続ける二人だが、タンダの手がふと止まる。「バルサ、この修羅場を生き延びたら、ずっと3人でこの冬みたいに暮らさないか?」と突然のタンダの告白に、バルサの手も止まる。「俺は言うのをずっと躊躇っていた、お前が誓いを果たすまでと思ってさ。でも待っていてもお前はいつまで経っても気付きはしない。修羅場が人生になっちまっているんだろうな」と続けてバルサを見つめるタンダ、バルサは少しだけ悲しそうな表情になって作業の手を止め黙っている、しばらく続く沈黙。やっとバルサが「どうしたらいいんだろうね、あんた、良い薬持っているかい?」とタンダに問うが、表情は相変わらず少し悲しそうだ。この返答にタンダの表情も悲しそうになり「俺がその薬だと思えないなら、待っていても仕方がないってことだな」と静かに返すと、立ち上がって外へ出て行く。悲しい表情のままのバルサは、タンダが出て行くまで固まったままだったが「馬鹿野郎、今こんなことで悩ませるんじゃないよ」と呟いて頭を抱える。そして同じ部屋で寝ていたように見えて実は目を覚ましていたチャグムの様子が映し出され、外に出て星空を見上げてため息をつくタンダの姿でこのシーンが終わる。
 この物語の主軸から離れる展開のひとつに、このバルサとタンダの切ない関係というのがあるのは事実だ。お互いに思い合っているのにそれを言えない若い2人、その関係を少しでも縮めようとタンダが口火を切ろうとしたのがこのシーンだ。この2人は実は相思相愛であることは物語を見ている人間にしか分からず、バルサはその思いに自覚がないように、タンダは片思いしているように描かれてきた。もちろんタンダの告白はバルサと結婚してチャグムを息子として迎え入れたいという「願望」で、彼にとってバルサやチャグムとの生活は何事にも変えがたい充実した日々だったに違いない。そしてこの告白を聞いたバルサも、自分にその願望がある事に気付いたのだろう。だがバルサは「そういうことを考えるのはこの仕事が終わってから」と感じているはずで、バルサの最後の呟きはまさにそれを示唆している。だからこのタイミングに告白されたことに戸惑うし、「今は明確な返事が出来ない」と切なくなるのである。一方のタンダはこの仕事が終わる前にバルサの返事が欲しい、だから彼も切ないのだ。ここで見せる2人の悲しそうな表情は「切ない」そのもののはずで、この男女が見せる切ない「すれ違い」というのをテレビドラマよりも何倍も上手く、しかも短時間で物語に差し込んできて印象を与えて来たのは凄いと感じた。このシーンだけを唐突に見せられたとしても、この2人の関係や感情や考えというのは明白に分かるであろう素晴らしいシーンだ。
感想  前半は前話から引き続き「バルサとジグロの物語」の続きであるが、後半はいよいよ春へとコマを進めようとしているのが分かってくる。その間には狩穴から湯治場へ去るトロガイの様子を差し込むことで、狩穴での暮らしを「バルサとタンダの新婚生活」にしてしまってから名場面欄シーンへと回したのは、2人の中にある恋心を名場面欄シーンで際立たせる役割があったはずだ。正直、後半に入ってから名場面欄シーンまでは、ちょっと横道に逸れた展開。名場面欄の後でいよいよ、チャグムに異変が生じる。これをバルサとタンダが力を合わせて救うことで、チャグムが救われるのはなんかガチな展開だなぁ。
 そしてヨゴの王宮の様子も差し込まれ、シュガらも少しずつ真実に近付いていることが明確に示唆される。こうしていよいよ、万を侍して最終盤へと話を盛り上げていくといったところだろう。
 しかし、名場面欄シーンは見ているこっちまで照れてしまいそうな若い恋愛シーンだったな。こういう切ないのは好きよ、なんかお互いに思いが上手く伝えられなくてもどかしい関係というのはこの手の恋愛ものを差し込むときに最も印象的だ。相手が好きだからって言っても、簡単に言えるもんじゃないんだよ。この時のタンダは、彼にとっては一世一代の勝負だったはずだけどタイミング間違っちゃったね。上手く行くにはタイミングが重要で、これを外したら良い関係でも上手く行かないもんです、これは私の人生経験。
 順番が滅茶苦茶だけど、ジグロの話は名台詞以外は今回はあまり印象に残らなかったです。でもそれは当然、ジグロというキャラは本人が心の内を全部語る前に死んじゃったっていうある意味可哀想なキャラだから…。だからこそバルサはジグロの影に引きずられて生きているのだし、タンダもその影を意識してバルサを見守るしかないのだが…タンダはその辺り分かっているのかよとツッコみたくなるのを堪えるしかない。
 よく考えたらあと4話でこれ終わりなんですよね、てーか本当にふと4話で終わるの?って感じになってきたぞ。春が来て物語がどう転ぶか、それが明白になる次話は本作のキーポイントであることは間違いないだろう。

第23話「シグ・サルアを追って」
名台詞 「分かったんだ。もし自分が死んだとしても、必ず何かを残せるから大丈夫だって。バルサにジグロの話を聞かせてもらってから、そう思えるようになったんだ。」
(チャグム)
名台詞度
★★★★★
 名台詞次点欄シーンの続きだが、バルサとの関係にハッキリ決着を付けようとしないタンダに、チャグムは「俺が(バルサの気持ちを)聞こうか?」と言い出す。これを聞いたタンダは「チャグムはどうしてそこまで思い切れるようになったのか?」と問い返す。そのチャグムの返答がこれだ。
 「死」の確率が高いという自らの運命を知って一度は絶望したチャグムが、狩穴の越冬生活を通じてその運命に立ち向かう考え方をキチンと持つに至った大事な台詞だ。彼は「死」に向き合うことで、「何のために死ぬのか」「死んだら自分がどうなるのか」を彼なりに深く考え、その結果「自分が生きた証を残せれば良い」と考えるように至ったことで絶望から抜け出したのだ。そのためには自分の思いを親友に残して逝ったバルサの父や、その思いを全うしてバルサに生きる力を残して逝ったジグロの話はどうしても必要だったことはここまで来るとよく分かる。人は死ねば身体と魂はなくなるが、自分が持っていた思いは残すことが出来ることを理解し、それが生きた証として残ることが「永遠の生命」であることを彼は12歳にして知った深い台詞だ。
 そしてチャグムがバルサとタンダの恋愛が成就するのを願っているのは、この二人が今くっつくとすればそれはやはり自分が生きた証として残せるものだと感じているからだ。もちろんそんなのはバルサもタンダも気付いていないかも知れない、だけどもしそうなれば二人は死ぬまで自分を忘れない→自分は死ぬわけではないという事にも気付いているのだ。
 この台詞で「自分が死んだら何が残るのか」ってことを考えちゃったじゃないか、本当に深くて印象に残る台詞で、このり台詞は本作で1・2を争う名台詞だと私は思う。
(次点)「昔は夏の日差しみたいな燃える想いもあったけど、時が経つにつれ、秋の風みたいな穏やかな想いに変わってきたんだよ。だから、まだこのままでいいんだ。」(タンダ)
…前話名場面欄で、タンダにバルサに「3人で一緒に暮らそう」と申し出たが、チャグムはこの返事がどうなったのかをタンダに聞いてみる。するとタンダは「お互いにいろいろある」と誤魔化そうとするので、チャグムは「娶っちゃえばいいのに」とタンダに突きつける。そのタンダの返答がこれなのだが、歳を重ねてくるとこのタンダの気持ちはよく分かる。好きな人への想いというのは一気に燃え上がるときと静かにくすぶるときが交互にやってくる。今のタンダはくすぶりつつもその炎を燃やしている状態で、その彼の気持ちが上手く伝わってくる台詞でとても印象に残った。
名場面 シュガの命令 名場面度
★★
 王室の狩人や兵隊達を連れて約束の地である「青池」を向かうシュガ、その途中の森で狩人達に「あの者達と利害は一致している」「チャグム皇子の想い」という理由で「短槍使いに件を交えてはならぬ」と命じる。これに狩人達は「分かりました」と了解すると、足早にその場を立ち去るのだが…。このシーンの印象的なのはここからだ。シュガが一人になったと思ったところで、後ろから「シュガ様」と声が飛んでくる。声の主は「指示通り選りすぐりの弓取り三名を帰りの参道に忍ばせました」と続ける。その台詞が終わってやっと、シュガの背後で忍びの者が跪いてこの報告をしていることが分かるように出来ている。シュガは振り返らずに「そうか」と答えると、忍びは「ですが、本当によろしいのですか?」と確認を取る。するとシュガは表情ひとつ崩さずに「仕方あるまい、帝の命だ」と答える。
 うっわー、この男は何を考えているんだ!と叫び返したくなるシーンだ。つまりこのシーンから解る事は、チャグムが精霊の卵を無事に孵して事が済んだ後にシュガが主犯となって誰かを暗殺することに他ならない。その対象で考えられる人物は3人、チャグムかバルサかトロガイの誰かと言うことだ。つまり最後の最後で「どんでん返し」的な物語が生まれそうな伏線で、このやりとりにどんな展開が隠されているか気になってしまうパンチ力のあるシーンだ。
 しかもこのシュガが誰かの暗殺を命じていることが分かるシーンでは、その直前まで狩人達にバルサとの先頭を禁じる命令を出しているのも怖い。「帝の命令」であれば極悪非道にもなれるこの男の「裏」を垣間見てしまったような、それとも仕事に忠実な真面目な男という面を強調したのか…いずれにしてもシュガに対する評価がガラリと変わりそうなシーンで驚いた。
感想  いよいよ精霊の卵が孵るにあたっての重大局面の物語が回り出す。その割には前半はずっと穏やかな物語が続いていたが…前話名場面欄シーンを引きずることで示唆されたのはやはり「バルサ達の今後」のことだ。ここでタンダだけではなく、バルサやチャグムもこの「3人での生活」を欲していることが痛いほど分かるように上手くつくってある。しかしトロガイって、ああ見えても子持ちだったというのは意外だったなぁ。そりゃともかく、名台詞はどうしてもどっちの台詞も紹介したかったのでこのような形にした。あのタンダの台詞もとても印象深いが、その後のチャグムの台詞は「物語の流れ」というのも上手く表現している点で逃すわけに行かない台詞だったからだ。
 そして後半はいよいよ「約束の地」に到着、バルサらとシュガらが合流していよいよ「卵食い」との対峙が始まる。そして「卵食い」が現れてバルサだけでなく、シュガが連れてきた兵隊達も火炎放射器で応戦して、「盛り上がってまいりました!」ってところでガカイが「事実が違う」という事に気付いて話がひっくり返るまでが今話だ。何をどう間違っていて何が起きるのか、という大事な点は次回に持ち越しというもどかしい物語だ。
 しかし、「卵食い」がなんかカニみたいな腕が出てきて「気持ち悪い」のでなく、「捕まえて喰ったらうまそう」に描いたのはどうかなーと思った。もっとグロテスクな凄いのが出てくると思って期待していたところなんだけどな、アレじゃどう見たって「かに道楽」の看板だ。
 それと名台詞欄に書いた通り、チャグムがキチンと成長を見ているのは好感度な設定だ。やはり「死の恐怖」を乗り越えた人間というのは言うことが違う、そこを上手く再現したのは面白い。今話のチャグムはトロガイが言う通り、顔つきなども成長している。実車ドラマ版ではこういうのが無かったんだよなーって、子役にそこまで強いるのは無理か。
 いよいよ次話が、チャグムに最大の危機が訪れる展開だと思う。残りあと3話、どんな展開になるか目が離せなくなってきたぞ。

第24話「最後の希望」
名台詞 「別に、大した理由はないよ。ただ、これから人を助けようって時に他人の生命を奪っていたんじゃ、人助けの意味がないって思っただけさ。」
(バルサ)
名台詞度
★★★
 バルサとタンダ、それに王室の狩人達が森の中に消えたチャグムを追う。かつては敵対していた関係の彼らが森の中で協力してチャグムの姿を探していたかに見えたが、やがて狩人達は主要メンバーを集結させてバルサとタンダを取り囲む。「短槍使い! 俺はお前と会ったら、どうしても聞いてみたいことがひとつあった」と声を上げたのは狩人のリーダーであるモンであった、彼は「始めて険を交えたとき、我らは4人がかりでお前一人を仕留め損ねた。決して数の利を過信していたつもりはないが、あの時お前は何故俺たちを殺さなかった? その気になれば全員を殺せたはずだ」と質問を続けて険に手を掛ける。同時に狩人のメンバー達も険に手が掛かる。そのモンの質問に対するバルサの回答がこれだ。
 バルサが敵を倒そうと思えば倒せたときに、敢えてこれをしなかった理由がこんな単純な理由だったのは恐れ入った。つまりこれはバルサが一貫して訴え続けていた思いである、「殺した分だけ人を助けたい」「余計な殺生はしない」という思いの上での行動だったこともここで上手く裏が取れるというものだ。対して狩人達はこのバルサの行動が本人に説明されるまでよく解っていなかったのも印象的で、「自分たちはこいつにコケにされたのかも知れない」という思いをずっと引きずっていたことも明確になった。これは前話で狩人達がシュガに「短槍使いと戦ってはならぬ」と命じられたときの、一瞬の反抗的な態度が良い伏線となっている。
 そしてこの台詞でバルサの思いを単純明快に説明したことで、狩人達は自分たちの「敗北」を知る。つまりチャグムを守りたいという「思い」の強さにおいて、狩人達は敗北を認めたのだ。バルサは自分たちを倒すことよりもチャグムを守ることを何よりも優先していて、その上で「してはならないこと」をキチンと理解して行動していたことを突きつけられたのだ。これを知った狩人達は険に掛けていた手を放し、モンが「そうか…もし我らを見下してのことなら面子に賭けてここでケリを付けようと思ったが、初めから乾杯だったようだ…」と狩人達が気付いた思いを告げ、「この先、想像を超える戦いになった時、我らは迷わずお前に付き従う」と続ける。この言葉に続いて狩人達が頭を下げると、「やめな、こそばゆいよ」とバルサが続けるが…この名台詞の後のやりとりは狩人達は彼ららしく、バルサはバルサらしい対応で好きなシーンだ。
名場面 ラルンガとの戦い 名場面度
★★★★
 名台詞欄シーンを受けて、いよいよバルサとタンダ、それに狩人達は本当に協力してチャグムの姿を追う。その途中でトロガイの呪術がタンダに届いたことで、彼らは「宴の地」が「青池」ではなくその水源である事実を掴む。「時間がない」と水源に向かって走る一行は、途中の森の中の池が干上がったらしい広場でチャグムの足跡を見つけると同時に、2匹のラルンガに追いつかれた。火炎放射や火矢で応戦する狩人、それに短槍で勝負を挑むバルサであったが、この時のラルンガは姿は見えるが実体がなく彼らの攻撃は全く効かない。タンダが「ダメだ、ラルンガが干渉したときでないと」と制止するが、バルサはこの制止を聞いて止まるが狩人達は猪突猛進する。タンダは思い出したように鞄の中に詰めていた花を出す、これはチャグムがラルンガに追われて走り出す直前に食べていた花で、タンダはこれを一つ口にし、自らの槍を突き上げてラルンガに向かって走る。するとラルンガは突如実体化、タンダの槍がそのラルンガの身体に突き刺さる。この光景に驚くバルサと狩人達。だが今度はラルンガが槍を突き刺された痛みに苦しんで暴れて、槍を突き刺したタンダがこれに振り回されてピンチに陥る。それだけでなくラルンガは大きな口を開いてタンダをひと呑みにしようとする勢いだ。「タンダーっ!」と叫んでラルンガに槍を突き立てるバルサ、これが有効だったようでタンダはさらに苦しんだラルンガに振り回されて飛ばされるかたちになって地面に倒れる。「タンダーっ!」と叫んでタンダに走り寄るバルサ、その背後では狩人達が火炎放射を放ってラルンガにとどめを刺す。モンがラルンガの口の中に火炎放射を放つと、これが決定打になりラルンガは絶命する。「一体何をどうしたんだい?」とタンダに問うバルサに、タンダは青池での戦いの際、持ってきた花によってラルンガが実体化していた事に気付いたことを説明して「こいつを食べればラルンガに触れることが出来る」「こっちも奴らに殺される危険があるが、この花が俺たちの最後の希望だ…これでチャグムを救えるか?」とこの戦いで負った負傷に苦しみながら語る。バルサが力強く「ああ」と答えると今話が終わる。
 長い戦いシーンであるが、この戦いは迫力があってとても印象的だ。前半の実体ではないラルンガの不気味さも、タンダが花を食べたことで実体化したラルンガの気持ち悪さも、ラルンガの強さと怖さを上手く描いていて嫌でも話が盛り上がる。同時にラルンガを実体化させてしまえば、ラルンガそのものには大した戦闘能力がないこと、そして狩人達が「火」というラルンガの弱点を持っていることで「なんとかなりそう」と描かれているがこの戦いの注目点で、この「実体化させれば何とかなりそう」だからこそタンダが持ってきた花が「最後の希望」と説明されることに説得力が生まれるし、今話のサブタイトルにうまく話がオチる。色んな内容がてんこ盛りのとても印象的な戦いだ。
 そしてここまで描かれていた「バルサとタンダの関係」もこのシーンでは上手く使っている。タンダのピンチにバルサが一時冷静さを失うが、こうしてバルサが突っ込んだことでラルンガに勝てるというのは上手く描いたと思う。これまでのバルサのようにあるところで理性がブレーキを踏んでいたら、このラルンガという強敵には勝てなかっただろう。もちろんこのバルサの瞬発的な強さは「タンダに対する想い」から生まれているのは言うまでもないだろう。今後のバルサとタンダの関係がどう変化するかは知らないが、二人の間に普通の関係でない絆があることだけは、このシーンで上手く描きだしたと思う。
感想  いよいよ今話からクライマックスに入ったと思って良いだろう。「精霊の卵」ら導かれるようにして森の中へ走るチャグム、そこから生まれる物語と戦い…その物語のひとつは名台詞欄に書いたバルサと狩人達の関係で、彼らの戦いに決着が付かないことには一致団結はあり得ないと思って見ていた私にとっては好印象なシーンだ。正直、どっちを名場面欄にするか悩んだほどだから。てっきりバルサと狩人達の決着を付けないまま話を展開させるんじゃないかという不安を感じていただけに、あのようなシーンを置いてくれたことは本当に良かった。
 そして同時中継でシュガとトロガイの会話…つまり彼らが持つ「知識の共有化」という点は、ここまで端折ってきた物語の設定部分などを再整理するのに上手く役立っていると思う。そこへ前話ラストで描かれた、ガカイが「宴の地は違う場所である」ことを発見した旨を知らせる早馬が着くことで、同時並行の物語として動き出すのだから恐れ入った構造だ。トロガイがこの事実をタンダにどうやって伝えるのかと思ったら…あの半漁人みたいなのを使って交信する術がこんなところで役に立つとは…。
 その合間で少しだけ描かれるチャグムの姿、彼は卵に導かれて自分の意思のない行動をしていること、同時にそれでいつつも意識があることを描いた点は、視聴者の「チャグムはどうなってしまったんだ?」という思いに上手く応えた描写をしていると思う。今話は語りどころが多く、本当に面白い1話だ。
 そしてあと2話、恐らく次で最大のヤマ場を見せて決着は次々話の中盤辺りで着くんじゃないかと睨んでいる。最終話の後ろの方は「オチ」を描くんじゃないかと…恐らくバルサとタンダの関係がどう変化するかはそこで語られるはずだ、個人的には二人が一緒に暮らしたりするような展開ではなく、「思い合いつつも袂を分かつ」ような決着をするんじゃないかと思うんだけどなぁ。いずれにしても終盤のクライマックス、目が離せません。

第25話「宴」
名台詞 「終わったんだ…運命との闘いが。」
(チャグム)
名台詞度
★★★★★
 精霊の卵が無事に孵り「宴」が終わる。その今話のラストにチャグムが「決め台詞」として吐くのがこの台詞だ。
 この物語の本筋と、その決着を上手く示したと感心した。精霊の卵を巡るこの作品の本筋は、まだ年端のいかない少年が思い運命を背負わされ、これに対峙して闘うこと。同時にこの闘いに周囲にある者が愛情を持って接して守ることである。チャグムという少年は自分の好む好まざるにかかわらず「精霊の卵」を背負わされ、その背負った荷物によって「死」も視野に入れねばならないという過酷な経験をする。そして彼はその運命に翻弄され、一度は絶望するがこの「運命」を受け入れて卵を守り孵すことが自分の役割に認識する。背景にはその役割を果たさねば国の者達が困るという背景を入れること、さらにチャグムが皇子であるという設定がこの「役割の認識」という点に説得力を持たせる。これが普通の子供だったらそうはいかないだろう。
 今回の闘いでも、チャグムは一度は運命と「闘う」ことを拒否する。だが彼は逃げるのではなく、その運命を無抵抗に受け入れることにしただけだ。運命を無抵抗に受け入れるのは「闘う」ことではない、逃げる訳でもないがそれは一番楽な選択をしているに過ぎないのだ。本作はこれらの要素を通じて「運命と闘う」ということは「新しい運命を切り開く」ことだとしているに違いない。
 このチャグムの台詞は、そんな「運命」をテーマにした本筋が終わったことを告げるものだ。チャグムが本話のラストに一番良い台詞を取った形だが、彼がこり台詞を吐かないことには本物語は終われない。そんな印象的な台詞だ。
名場面 名場面度
★★
 「約束の地」に朝が来る、これまでチャグムを襲おうと迫っていたラルンガ達が急に静かになる。すると「宴」の始まりだ。このシーンは説明すると長くなるし、何より私の文章力でシーンを再現するのは困難なので、本作を見ていない人にはDVDを買うなり借りるなりして実際に見て欲しいシーンだ。
 この「宴」は本作の本筋の決着シーンであり、このシーンでもって本筋部分は終わりだ。チャグムに棲み着いた精霊の卵、これが孵るときにどうなるか、どんな光景なのか…これらがとても良い感じに描かれている。
 特にこの「宴」が「夜明けに始まる」という設定にしたのはとても良い、おかげでこのシーンを夜明けの静かなシーンとして描くことが出来た。激しい戦いや人々の交錯がいくつも描かれ、まさに波乱の物語といえる作品の本筋最終部分が穏やかに描かれたことは、ここから登場人物達だけではなく物語に出てこない民の「安心」が約束されているようだ。
 またBGMの童歌調の歌もなんか良い味出している。色んな要素が混じってとにかく神々しいシーンだ。
感想  今話で「精霊の卵」について決着する。例の花を食べることでラルンガと戦えるようになったバルサと狩人達、それに一足遅れて「宴の地」に到達するトロガイとタンダとシュガ…まさに本作のオールスターで「宴」という本作のクライマックスを迎える。この「宴」は神々しく描かれ、物語が終わった安堵というものを見せつけてくるのでまるで今回が最終回のように感じてしまう。まだ1話残っているんだぞ、恐らくここで「オチ」としてバルサやチャグムやタンダの「今後」が描かれるのであろう。実写ドラマで見た通り、チャグムは王宮に戻って王子になる道を取ると思われる、そしてバルサとチャグムの「別れ」が描かれるのであろう。
 それにしても前々話では「カニみたい」だったラルンガだが、あれが1匹2匹なら「喰ったらうまそう」で済んだ。けれど今話ではあれが大挙して押し寄せてくるんだから怖い、「宴」の直前のシーンでは画面中にラルンガの大群が描かれるシーンがあって「おえーっ」となったよ、でもサブ主人公を喰おうとしている怪物だから本来はあれほどグロテスクに描くのは正解だと思う。
 それに今回驚いたのは、精霊の卵が憑くのは人間だけが対象ではない事実だ。本話中盤で精霊の卵に憑かれた小熊が出てくるのは驚いた、しかもあっけなくラルンガに喰われるし…。恐らくこの精霊の卵は複数あって、そのうち1つでも孵すために様々な動物に憑いているのだと考えられる。今話では人間(チャグム)とこのシーンの小熊だけであったが、他にも精霊の卵が憑いた子鹿とか子犬とか子猫とかいるんだろうなー。さすがに哺乳類以外には憑かないと考えたい、精霊の卵を宿した鳥の雛だったらまだ良いとして、アオムシとかケムシとかカブトムシの幼虫とかが胸を青く光らせながらウロウロしていたらやだぞー。
 いよいよ次話最終回、どんなオチが演じられるのか楽しみだぞ。

第26話「旅立ち」
名台詞 「右の小径を行け、その道こそお前達に相応しい。」
(モン)
名台詞度
★★★★
 チャグムを無事生還させたバルサ・タンダ・トロガイの3人は、帝より莫大な謝礼品を受け取ることになる。その授与式典の帰り、3人が王宮の正門から外へ出ようとすると衛兵として警備の任に付いていた「狩人」のジンに「待て、ここは下々の民草が通って良い場所ではない」と制止される。「どういうことだ?」「いくらなんでも」と反応するタンダやトロガイの言葉をよそに、「狩人」の頭であるモンがジンの言葉に続ける台詞がこれだ。
 これほど「言葉選び」が上手い台詞というのは凄いと感じた。勘の良い人はこの台詞がモンや狩人達、はたまた王宮側の意地悪などではないことが瞬時に解るように出来ている。彼はこの後、その「道」で何が起きるかを全て理解した上で、その指し示した「道」に3人の望むものがあることを上手く示している。その表現に「相応しい」という言葉を選んだのは、直接何が起きるのかを示唆するよりとても印象に残る。またこの後に起きることが帝らに内緒で行われるという点に対しての「説得力」にもなる。
 そしてこの「小径に逸れろ」というのは、このシーンに対してだけの言葉でもない。「この後どうするか?」と考えるバルサに対して、「真っ直ぐ突き進むだけが能ではない、たまには横道に逸れて自分が置き忘れたことがないか見つめ直せ」と言っているようにも感じた。この台詞はそういう側面で見れば、本話ラストシーンへの伏線と捉えることも出来る。タンダと結ばれて幸せに一直線、または旅をしながら用心棒を続けて仕事一直線、そのバルサにありがちな「一直線」の人生とは違う選択をバルサが選択したことが、ラストシーンで描かれるからである。それはまさにこの台詞が含まれるこのシーン、正門を通らず横道に逸れれば何かがあるということであり、この物語が見る者に対して残した教訓のひとつであると言えるだろう。
名場面 別離 名場面度
★★★★★
 名台詞シーンを受けて、正門を通らずに横道に逸れたバルサ・タンダ・トロガイの3人だが、その横道にはシュガが密かに連れ出したチャグムの姿があった。チャグムは皇太子の姿に正装し、バルサが王宮に入る際にシュガが預かった短槍を持っている。3人は息を呑んでチャグムのその姿を見る。チャグムの目には涙が溢れ、「バルサーっ」と叫んでバルサに抱きつく。そしてバルサとチャグムの感動の抱擁が演じられるが、私が名場面だと思ったのはこの抱擁の後だ。抱擁の後に笑い合うといよいよ別れの時、王宮へ向けて歩き出したチャグムと、門外へ向けて歩き出したバルサらがすれ違ったところでチャグムが立ち止まる。「バルサ、俺のことチャグムって呼んで、さよならチャグムって言って」とバルサに背を向けたまま言う。バルサはこれに深く頷くと、やはりチャグムに背を向けたまま「ああ! さよなら、チャグム」と言う。思わず涙がこぼれて振り返りそうになるチャグムは、振り返るのを堪えて「ありがとう、バルサ、タンダ、トロガイ師…さよなら」と語るとそのまま王宮へ向けて歩き出す。この光景にタンダとトロガイは思わず振り返るが、バルサはチャグムの方へ振り返ることをせずに真っ直ぐ前を見据えて門外へ歩く。
 バルサとチャグム、物語の主人公として活躍した二人の「別離」はこの最終回では避けて通れないもののはずだ。チャグムはバルサやタンダと暮らしたいとどんなに強く願っても、彼が王位継承者である以上はシュガに見つけられた時点で王宮に戻る以外の選択肢はないからだ。そしてその別れを印象的に描くことは、この最終回の印象を左右しかねない…ひいては物語全体の印象を左右しかねない重要な点だ。もちろんこのシーンの直前に描かれたチャグムが叶わない思いを吐露し、バルサがそのために一暴れしようかとけしかける抱擁シーンはそのひとつとして重要だ。だがその抱擁で終わらせなかったのがこの作品の良いところだと私は感じた。
 つまり二人が抱擁して本音を吐露し合うだけでは物語が締まらないということは、この物語を作った人はキチンと解っているのだ。そのためには本音を超えた別れのシーンと言うのがどうしても必要なのは、こういう物語を多く見ている人は理解出来ていると思う。別れは悲しいものだが「悲しい」一辺倒ではダメで、その別れる二人が信頼を確かめ合い希望を持ったまま笑顔で分かれることこそが、本来の別れシーンに必要なのだ。
 その要素をこのシーンでは上手く描いている。そしてバルサとチャグムを「背中合わせ」で別れさせたことは、二人の「顔を見たら自分が崩壊しそう」という悲しい思いをキチンと示す材料のはずだ。その上で二人がこれまで通りの言葉で別れようとする。この絶対王政のこの場において皇太子を呼び捨てで呼ぶなど不敬で許されない行為だという前提の上で、チャグムがバルサに自分を呼び捨てさせるのはチャグムが示した「信頼」であり、これに明るくいつもの口調で返答するというかたちでバルサがその「信頼」に答える。こうして二人が信頼を確認し合ったからこそ、この二人は背中合わせのまま別れられる。そしてこの背中合わせのまま、互いが正面を真っ直ぐ見据えているのは、「別れの向こうに良きことがある」という前向きな姿勢が描かれているのだ。
 この別れのシーンは間違いなく本作全体を通しての名場面のひとつで、とても印象深い。この別れがなかったら…この作品は終われなかっただろうな。
感想  前話までに本編部分が終わり、最終回は予想通り「オチ」が演じられた。その「オチ」は3編構成で、ひとつは「王宮に戻ったチャグムの物語」、ひとつは名台詞欄シーンや名場面欄シーンを含む「バルサとチャグムの別離」、そしてもう1編はトーヤとサヤまで引っ張り出しての「物語の世界観の上での終結」である。中者は名場面欄と名台詞欄で語っているので改めて語らない。
 「王宮に戻ったチャグムの物語」はチャグムと母の再会という感動シーンよりも、チャグムが父に交代しになる事を突きつけられるシーンの方が印象的だったな。なんかこう「やっぱり運命に逆らえない」という…前回まで必死に「運命との闘い」を演じ、それに勝ったチャグムが描かれ続けていただけにこういう形で「運命に負ける」という結末はとても印象深かった。
 そしてバルサとチャグムの別れが演じられると、最後に「物語の世界観の上での終結」という要素が描かれる。もちろんこれはチャグムが生命を賭して孵した「精霊の卵」が、この物語世界の設定に沿って国に恵みをもたらすというものだ。もちろんこれがないと物語は終われないが、この要素の部分にバルサが取った道を同時に描く。こうして最終回で全ての伏線を回収し終え、食べ残しもなくキッチリと話が終わるのである。
 伏線と言えば23話名場面欄シーンの「全てが終わった後、シュガが誰かを暗殺する」という伏線は、本話冒頭で意外にあっさりと処理されたのには驚いた。シュガが暗殺しようとしていたのはバルサだったことは多くの視聴者が予測していたと思うが、それが狩人達のたった一言で片付いちゃうなんて…放送時間の制約なんかもあるんだろうけど、やはりあそこはバルサをピンチに陥れた方が盛り上がったと思う。暗殺者が弓を放とうとした寸前に狩人達が制止するとか、もっと緊張感を持って描いても良かったと思う。
 いずれにしろ、これで26話全部終わりました。この連載を毎回見て戴いた皆さん、半年間のお付き合いお疲れ様でした。

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