陸中野田駅付近

 ここからは日が変わって次の日となる。
 三陸鉄道北リアス線は、鉄道路線図で見ると海岸沿いを走っているように見えるが決してそうではない。
 現在の運転再開区間で「海が見える」のは田老駅付近だけ、しかもここでは一段高いところを走っているため津波の影響は少なかったのだろう。そして島越駅付近で一度海に近付くが、田野畑駅からまた山側に進路を取り、長いトンネルを経て普代駅に出る(この駅に車両が1両閉じ込められている)。
 普代駅からは海から「高さ」があるところを走り、「海に手が届くような」という感じではなく「海を見下ろす」かたちの景観が続くことになる。よってここも津波の被害は最小限で、この区間で線路があるといつ列車が来てもおかしくないような景色が広がっているのだ。
 だがあるところまで来ると、線路は高台を走るのを諦めて徐々に高度を下げて行く。そして次に海岸沿いを走る地点が、久慈側の運転再開区間を目前にした陸中野田駅の手前と言うことになる。ここは宮古から久慈へ向かっていると右に海、左に野田村の中心街という光景が広がるのだが…今回の震災で野田村の中心街が、津波によって壊滅的な被害を受けていることはニュースで散々流れたので多くの方がご存じだろう。その野田村から見れば波がやってくる方向に三陸鉄道と国道45号が並んで走っていたのだ。もちろんここで三陸鉄道も壊滅的に被害を受けた。

津波の被害を受けて壊滅状態の野田村に、三陸鉄道のレールが延びる。しかしここには線路用地と思われる場所はなく、この光景を見たときは「線路用地もわからないほど酷くやられたのか?」と考えた。
レールとまくらぎはまるで人為的にそうしたかのようなカーブを描いている。だがここも線路を敷くような整地された土地はない。このレールの位置と、実際の景色の「ズレ」に気付くのにすこし時間が掛かった。
やっとの思いで見つけた本来線路があるべき三陸鉄道の軌道敷はここ。なんかの作業用通路に見えるがここに線路があったのだ。最初は自信が無くて通りすがりの地元の人に確認して断定。

上の写真を見ると、堤防の上に自動車が走っているのが見えるだろう。それがこの写真の右側の道路である。
つまり津波に襲われた軌道は、波に乗って山側を並行する国道を乗り越え、その反対側にある市街地まで流されてしまったのだ。
軌道敷を久慈駅側方向に向かって歩くと、しばらくして線路のバラストが復活し、もうしばらく行くとこのように線路も元に戻った。このカーブを抜けるともう運行再開区間である陸中野田駅が見える、そんな地点でこの惨状である。
今度は軌道敷を宮古側方向へ歩いてみた。じきに並行している国道は山側に離れる。まるで行く手を塞ぐかのように冷蔵庫が落ちていた。
(この写真は宮古側から久慈方向を見ています)
国道が山側へ離れると、流されたレールは軌道敷のすぐ横で寄り添うように鎮座する。復旧するとしたらこのレールを本来の位置まで移動させるのだろうか?
山側に離れた国道が高度を稼ぎ、軌道敷の上を乗り越えるところでレールは元の軌道敷に戻ってきた。
この先のトンネルまで行こうと思ったが、ここからは堆く積もった瓦礫に道を阻まれ進むことが出来なかった。勿論線路も完全に埋没している。

久慈側運転再開区間に進む
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