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 久慈の「道の駅」で夜を明かし、早朝は少しだけ国道乗り潰しを進めたあと。朝ラッシュの終わり頃に北リアス線沿線に戻って来た。朝の列車の撮影を避けたのは、撮りたい列車が夕方の「レトロ調列車」でありこれに合わせての行動だったからである。
 まずは野田村の被災区間を走る列車の姿を押さえることから始めた。
 最初にカメラを向けた列車は、チョコレート菓子「キットカット」とのタイアップ「キットずっと号」。車体に描かれた桜の花びらが、復興への思いを示している。
 列車の接近に伴い、広角でもう一枚。
 しかしこのラッピングは春らしくていいや、写真には撮っていないけど、ちょうど桜は見頃でお花見日和だった。
 そのままその場所にいると、陸中野田駅ですれ違った田野畑行きがやってくる。
 何だかんだ言っても三陸鉄道はこの色の車両だな。
 走り去る後ろ姿を望遠レンズで追う、ここのポイントは土盛り補強のコンクリートがまだ新しく、これが白く反射してとても眩しい。露出合わせに苦労した。
 そしてトンネルへ消えて行く。「トンネル」というのも三陸鉄道の旅情の1つであることは否めない事実であろう。
 上記の列車が田野畑へ言って戻って来る間に、撮影ポイントを移動した。去年も訪れた野田村の中心街に近いところである。
 この低い築堤の上を、トコトコと単行の列車が走ってくる。三陸鉄道らしい光景だ。
 さらに同じ列車を広角で追う、この日はとても空がきれいな春の日、というより初夏に近いほどの日差しだった。
 でも風は冷たくて、ちょうど心地がよい。大型連休期の東北らしい空気だった。
 振り返って望遠で。真新しい軌道が、この区間の線路が一度津波で失われたことを伝えてくる。
 だけど、三陸鉄道の列車はその上を力強く走る。
 次の田野畑行き列車は事前情報で2両編成だと知っていた。
 その間に国道の跨線橋に移動し、被災区間全体が見渡せるポジションを陣取る。そして津波で破壊された防波堤をバックに、2両編成が現れた。
 この場所で広角だと、ご覧のように瓦礫置き場を背景に走る列車を見る事になる。その向こうには破壊された防波堤、まだまだ被災地の状況が厳しいことを訴えてくる写真となった。
 その被災地の「現実」の中を力強く走る列車の姿に、復興の牽引役となることを願わずにいられない。

 車両は後は前述の「キットずっと号」、前は被災地の子供達のために様々なキャラクターの著作者達が手を組んで実現した「てをつな号」。世界名作劇場からミッフィーまで、車体に様々な既存のキャラクターが描かれている。
 「キットずっと号」と「てをつな号」の2両編成が田野畑へ行って帰ってくるまでの間に移動したのは、野田玉川駅近くの玉川橋梁。以前、仕事で訪れたときにこの橋梁の情景が気に入り「撮り鉄してみたい」と感じた場所だ。10年の歳月を経てやっと実現した。
 海を背景に行く三陸鉄道列車という写真を撮れる場所は、ありそうで思ったよりないというのは意外な発見だ。

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