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……………………………………………………ん!?
 いよいよ万を持してという感じてやってきた大沢橋梁。並んで掛かる国道の橋かられだけ立派なアーチ橋を見下ろすことができるという凄いロケーションだ。
 言うまでもなく、北リアス線の最も象徴的な光景である。
 列車の撮影を終えてやってみたのは、橋を下から見上げること。
 コンクリートアーチの鉄道橋と、鉄製アーチの道路橋が並ぶこの光景はとても美しい。橋などに興味がある人は是非とも下から見て欲しい。
 「キットずっと号」が田野畑から帰ってきた。
 ここは堀内駅近くの国道から一瞬見える景色、車でここを通過するたびに「ここを通過する列車を見たい」と思った場所。
 この写真を撮って、「レトロ調車両」のうち1枚はここで撮ろうと決めた。
 本日の北リアス線北側区間で撮影する最後の1往復が、この「レトロ調車両」だ。
 この写真は本来撮る写真の超望遠カットである。本来の構図は下写真である。
 堀内駅で三陸の漁村を背景に行くこの光景は、三陸鉄道の「らしい」光景の1つだ。こんなのどかな景色の中を行く三陸鉄道列車をこんなに早く見られるとは…今度はこの光景を南リアス線で見たい。
 田野畑へ行った「レトロ調車両」が戻るまでに前の場所に戻り、この写真となった。
 何だかんだで、今日は「レトロ調車両」の撮影が最も上手く決まったなぁ。
 「レトロ調車両」の撮影を終えると、急いで国道45号を南下。その理由は小本を17時代に出る南側区間の列車の撮影に間に合わせるためであった。
 だがやっぱり行程には無理があり、田老でギリギリ列車に追い付くというタイミングであった。

 田老駅は立派な駅舎であったが、津波の直撃を受けて破壊して廃墟と化した。10年前、仕事で来たときはこの駅前が現地担当者との待ち合わせ場所だったのだけど…。
 そんな感慨に浸る間も殆どないうちに、宮古行きの列車がやってきた。撮影地なども捜す暇すらなかった。
 田老駅に停車した列車、1両は通常塗装でもう1両は「てをつな号」だ。
 南区間は昨年乗った。この時、まだ津波の爪痕も生々しい田老の街を見て背筋に冷たいものが走ったのは今も忘れない。私が始めて見た津波の被災地はここだったのだ。
 宮古行きの2両編成が走り去る。もう日もすっかり傾いて、車内灯の明かりがほのぼのと感じられるほどだ。
 今度は南リアス線が再開したら、乗り鉄と撮り鉄で楽しむと心に誓って、三陸鉄道沿線を離れた。
 以上が今年の大型連休の三陸鉄道訪問の記録である。
 そしてこの後、東京への帰り道となるわけだが、昨年同様に石巻まで国道45号線を南下した。この中で見た震災被災地の光景を、次ページからは紹介していきたい。
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