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 三陸鉄道での「鉄」活動を終えた私は、国道の走り潰しを兼ねて葛巻の「道の駅」で夜を明かした後、岩泉線の様子を見てから帰途につくことになる。今回の岩泉線探訪については別途機会を設けて紹介したい。
 茂市から宮古に出た私は、海岸伝いに石巻を目指すが、その前に三陸鉄道での「鉄」活動中に見た光景も紹介しよう。
 三陸鉄道北リアス線田野畑駅付近から、斜面の住宅地の光景。実は今年の三陸探訪で、何度となく見たような光景だ。
 というのは、ある「高さ」で線を引いたかのように家が土台だけになって消えている。その「線」の高さは地域によって違うが、「ここまで津波がきた」という事を突き付けてる。その標高の高さは見上げるほどで、改めて津波の恐ろしさを感じた。
 田野畑駅から島越駅へ移動する途中で、津波によって破壊された防潮堤を見つけた。
 写真ではわかりにくいが、高さが5メートルはあったと思う。現在の三陸海岸には、このように壊れた防潮堤があちこちにある。
 こちらには5月1日の夕方、田老の近くの真崎漁港の様子である。漁港を守っていた強固な堤防もズレてしまった。これも写真ではわかりにくいが、かなり巨大なコンクリートブロックである。
 では、ここからが5月2日の帰路に見た光景となる。
 まず立ち寄ったのはJR山田線津軽石駅。この駅には昨年も立ち寄り、津波で破壊された鉄道というものをまざまざと見せつけられた。
 今年は運転再開の見通しが立っていないこともあって、駅舎は板で封鎖されていた。
(画像にマウスポインタを合わせると昨年の写真になります)
 鉄道施設はそのままで、こうして見ていると今にも列車がやってきそうに思う。だが消灯している信号機がこの路線の現実を示している。
 今はこんな何ともないように見えるが、実は昨年ここから見た風景は鉄道好きな人にはショッキングな光景だった。
(画像にマウスポインタを合わせると去年の写真になります)
 国道45号線を南下し、私は大槌町に差し掛かろうとしていた。このあたりに屋根の上に観光船が載っかってしまった建物があったが、今は家1つ残っていない。この場所は去年、一面の瓦礫の山だった。
 大槌町の市街地に入ってきた。今年ここへ来て感じた事はその「広さ」である。去年はまだ片付けも進んでおらず、一面瓦礫だらけだった。
(画像にマウスポインタを合わせると去年の写真になります)
 今回はJR山田線の大槌駅に立ち寄ってみた。平原の真ん中にホームがふたつ、それだけであった。駅舎も、駅前の家や商店も何もない。そして…レールもない。
 駅のホームから市街地を見る。正面でカーブしている小径にはきれいなタイルが敷き詰められていて、ここが横町的な商店街だった事が分かる。賑やかだったんだろうなぁ。
 でも今は、誰もいなくて冷たい風が吹き抜けるだけ。
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