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釜石に到着したらまず見てみたのは、三陸鉄道南リアス線の様子だ。相変わらず市街の高架橋は座屈破壊したままであった。 |
去年じっくり見たはずなのだが、多くの橋脚がやられてしまっているのは驚きだ。この辺りは津波だけでなく、地震の揺れも酷かったということだ。 |
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続いてやってきたのは唐丹駅付近のこの橋だ。流されて転落した橋桁は撤去され、周囲の家も無くなってしまっている。
(画像にマウスポインタを合わせると去年の写真になります) |
次は甫嶺駅、津波に耐えた築堤はそのままで、レールは一部撤去されている。NTTの通信線を固定しているまくらぎだけ残されたかたちだ。
(画像にマウスポインタを合わせると去年の写真になります) |
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去年来たとき、実は甫嶺駅のホームに上がるには築堤をよじ登って流され掛かったレールの上を歩くしかなかった。というのはホームに上がる唯一の階段に津波で流れてきた瓦礫が積み重なり、通行ができなかったのだ。
今年はその瓦礫が撤去され、ホームに上がれるようになった。そのせいか、この小さな駅はきれいに清掃され、いつでも列車を迎えられるようになっている。
そして駅のホームら被さるように満開の桜、来年はこの桜を列車から見たいものだ。 |
昨年、私の身長より高い瓦礫に囲まれていた陸前赤崎駅付近だが、あれだけあった瓦礫は全て撤去され、この写真ではわかりにくいが、今は地上からも海が見える。
だがホームが傾くなど危険な状況の陸前赤崎駅は、立ち入り禁止を示すロープが張られていた。私もそれに従い駅には立ち入っていない。
(画像にマウスポインタを合わせると去年の写真になります) |
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大船渡の市街地を越え、陸前高田の市街地に車を停めてみた。
ここはJR大船渡線の陸前高田駅。大槌駅と同じようにホームしか残っていない。駅舎の跡地、かつて切符売り場の窓口があったと思われる辺りに花が添えてあったので、手を合わせた。 |
陸前高田駅から駅前の通りを見る。
ここは歩道にアーケードが設置されていた賑やかな商店街だったのだが…。
この駅に私が訪れた時、他県ナンバーの車がロータリーに沢山駐車されていた。遠いものは福岡ナンバーも、みんなこの被災地の様子を見に来ているようだった。 |
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陸前高田市役所。ここでの悲劇は今年の3月にNHKで放映された。ここで働く多くの人が生命を落としたという。
そして向かいには、ここで働く人の避難所に指定されていた公会堂があるが、これも見る影もなく破壊されていた。
どちらの建物にも正面玄関には犠牲者の霊を慰める祭壇があり、撮影を前に手を合わせた。 |
市役所の中をおそるおそる覗いてみた。破壊された内装、そこにあるはずがない自動車。
建物が我らが武蔵村山市役所と同じ頃に出来たのだろうか、それとも役所が持つ空気によるものだろうか、どことなく地元の市役所に通じるものがある。被災していなければそっくりな内装だったと思う。 |
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岩手や宮城の沿岸部を中心に店舗を展開する大型スーパー「マイヤ」、三陸を旅したことある人はこの看板に見覚えがあることだろう。
この高田店は陸前高田の商業のシンボル的な施設だったが、このように津波で破壊されてしまった。
この巨大なスーパーは、陸前高田の市街地の何処にいても見える。 |
その店内の様子。破壊されたエスカレータが印象的だ。
このスーパー「マイヤ」も力強く立ち上がり、営業可能な店舗だけではなく、青空スーパーの実施などで被災地域住民を支えてきたという。 |
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このスーパー「マイヤ」高田店を中心とした、陸前高田市街地の様子は去年も遠景で写真を残している。陸前高田を去る前に、去年と同じポイントに立ってみた。
(画像にマウスポインタを合わせると去年の写真になります) |
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