さらに「撮り鉄」しながら南リアス線を南下する。
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これは震災直後の一昨年5月の陸前赤崎駅。峠を越えてきた線路がカーブしながら駅に侵入するロケーションがとてもよく、復旧したらこのカットで列車の写真を撮りたかった。
だが、この写真の陸前赤崎駅は復旧に際して撤去され、駅自体も釜石方向へ移転してしまった。よってこのカットの撮影は不可能に。
そして、移転した新駅は向こうに見える切り通しが近く、このような雰囲気の写真になる場所がなかった。 |
よって、考えたカットは築堤の下からの写真だ。三陸の半島を構成する山々を背景に、まったり走る列車の様子の構図にした。
震災前にはこの前に住宅があり、私が撮影した道路から線路は見えなかったはずだ。
奥の築堤の構造が違う場所が、かつて陸前赤崎駅があった場所だ。 |
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上記列車をファインダーの中でさらに追いかける。私が立っている道路と、それに併走する川を跨ぐ橋梁に差し掛かったところを、真横のカットで押さえた。
桜のラッピングがとても美しい。 |
この列車で日が高い時間帯の列車は終わり。「撮り鉄」は一度切り上げ、再度「道の駅さんりく」で夜を明かして翌朝の始発列車の「撮り鉄」とした。
次の日は雨、その雨の中で私がやってきたのは三陸駅から吉浜駅方向にあるカーブした築堤。列車が半島付け根の長大トンネルに吸い込まれて行くポイントだ。雨の峠越えの緊張感がうまく出ていると思う。 |
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さらに望遠で列車を後追いする。この朝の一往復はどちら方向もほぼ空っぽだった。折り返し列車は盛に近付くと通勤・通学ラッシュで人が多くなるのかな? |
そして峠を越え、吉浜駅近くの海を背景としたポイントで折り返し列車を待つ。雨で水平線が見えないなど「海がバック」の撮影をするにはかなりコンディションが悪かった。でも三陸を走る列車の雰囲気は強く出ている写真で、この一枚を最後に南リアス線を後にした。 |
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三陸海岸を北上する旅行に移行したが、その途中で唐丹の崩壊した橋梁を見に行ってみた。今年は橋梁上のレールやバラストも撤去され、復旧工事の重機がうごめいていた。
写真は残せなかったが、釜石市内の座屈橋脚も仮橋脚が建てられるなど復旧工事が始まっていた。 |
三陸海岸北上しながら、今回立ち寄ってみたのは大槌町の町役場だ。ここで町長以下、多くの市職員などが犠牲になったという。
役場の前には祭壇が用意されていて、私もこの役場に向けて手を合わせた。 |
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建物の中はまだ瓦礫が散らかったままだ。ここは何らかの受付カウンターであったのだろうか? |
役場の正面に取り付けられている時計は、「3時26分」頃を指したまま止まっていた。地震発生時刻を考えると、これはこの役場が、大槌町が、津波に襲われた時刻なのだろうか? |
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