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南リアス線
(乗車ルート:釜石→盛→釜石)



 2014年4月29日朝、前日に東京の我が家を出発した私は、北関東地方で未走国道を乗りつぶす旅ののち、東北道と釜石道へと愛車を進めて三陸鉄道釜石駅前に立った。 そして釜石駅で最初に見た光景がこの三陸鉄道全線復旧を告げるポスターと、東日本大震災による津波到達地点を示す表示である。震災による爪痕と、そこから立ち上がろうとする力との双方が示されている印象的な光景だ。
 今回の旅では三陸鉄道の南リアス線と北リアス線の双方に全線乗る予定であり、今回は一つのルールをつけて行程を組んだ。それは最後まで未開通で残った区間から乗りつぶすというものだ。このルールに従って、今回の南リアス線の旅は釜石から単純な一往復とした。

この日の南リアスはとても天気がよく抜けるような青空であったが、風は冷たく上着を持つのを忘れたことを悔やんだ。
 釜石駅に到着してから程なく、盛からの列車が到着。今回の旅行最初の「撮り鉄」は釜石駅そばの築堤上を走る36-700型の写真となった。
上記で「撮り鉄」した列車の折り返しで盛へ向けて旅を開始する。釜石市内のこの高架橋は大地震の揺れによって橋脚が座屈し、列車が通れなくなっていたとこだ。去年見たところ、座屈した橋脚に仮受けをして新しく橋脚を建てたようだ。
津波ではなく地震の揺れで大被害を受けた高架上を、軽やかに走る列車に乗っている事実に、しばし感動した。
 釜石駅から二つ目の駅が唐丹駅だ。この駅に到着する直前のリアス式海岸の景色が素晴らしい。
この駅は築堤上にありながらも、軌道上まで津波が達した駅である。軌道バラストが流出した光景は私も見ているが、その後聞いた話では津波に流されてきた自動車などの瓦礫が軌道上に溜まっていたそうだ。
唐丹駅を出発して短いトンネルを一つくぐると、真新しいコンクリートの橋梁を渡る。ここが荒川に掛かる橋梁で、あの津波によって巨大なPC橋桁が流出したところだ。
 列車から荒川の流れを見る。下に見える道路をたどると、この荒川の源流近くで峠を越えて、岩手開発鉄道の日頃市駅近くに出るらしい。今回は途中まで遡ってみたけど、荒川上流部の渓谷風景は美しい。
復旧なったばかりの荒川の橋梁を渡ると、列車は長いトンネルに入る。このトンネルはリアス式海岸をなす半島の一つを短絡する長いトンネルで、その名を鍬台トンネルと言う。
3年前の大地震発生時、このトンネル内を釜石へ向け走っていた列車があった。列車はトンネル内で緊急停止、運転士一人と乗客2人が閉じ込められたという。
3人は列車をトンネル内に置き去りにして歩いて脱出したと言うが、よくぞこの闇の中を歩いたものだと驚きつつトンネルを抜けた。
 トンネルを抜けると半島に挟まれた三陸独特の海岸線が車窓に広がる。昨年に開通した吉浜駅はもうすぐだ。
吉浜駅からは昨年の旅行で乗った区間だ。もう一駅、三陸駅では対向列車とすれ違い。向こうからやってきたのは全線復旧に合わせて南リアス線に投入された新型のレトロ調気動車だ。
 三陸駅ではホタテのバター焼きが列車に積み込まれ、ボランティアガイドによって車内販売された。このホタテに舌鼓を打ちながら列車は盛へ向け走る。
こんな旅の末に、列車は無事に盛駅に到着。釜石は天気が良かったが、大船渡は薄い雲が掛かっていた。
震災により被災した車両の代替車である36-700型は、クウェートからの支援により作られた。前面にはクウェートの国章が、側面にはこのようにクウェート国に対する感謝の言葉が刻まれている。
盛での折り返し待ち時間を利用して、JR大船渡線の「仮復旧」の姿であるこいつの試乗をしてみることにした。

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