心象鉄道16.国鉄(JR東日本)・中央本線115系
「わが青春の中央夜行」

(KATO Nゲージスケール)


私の旅の思い出の列車は模型では永遠に不滅!

本記事の模型車両撮影に使った貸しレイアウト
東京都西多摩郡瑞穂町「ファインクラフト」さんです。
(JR八高線箱根ヶ崎駅徒歩20分・駐車場完備)

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1.「中央夜行」とは

 深夜23時代の新宿駅、残業のサラリーマンや酔い客でごった返す駅の片隅にシーズンともなれば行列が出来る。大菩薩や八ヶ岳を目指す重厚な登山客、中部地方の鉄道旅行へと迎う18きっぷを片手にした軽装の鉄道好きの人々、そして普通の帰省客や一般客などその様相は様々だ。そしてその人々は、日付が変わる頃になると白と青のツートンに塗られた電車に乗り込んで、未明の甲斐路、そして信州へ向けて旅立ってゆく。
 これが中央本線でかつて運行されていた夜行普通列車の様子だ。私は「中央夜行」と呼んでいたが、人によって「山岳夜行」「上諏訪夜行」などと、呼び方も違っていた。
 かつては日本中で見られた夜行の普通列車であったが、1980年代までに数を減らし、私が各地へ鉄道旅行するようになると東海道本線、中央本線、紀勢本線といった限られた路線に残るだけとなっていた。

 私がこの中央本線の夜行列車と出会ったのは1987年1月。生まれて始めて手にした「青春18きっぷ」で、当時一度乗ってみたかった飯田線に乗りに行く旅を決行したときだ。土曜日の夜に新宿駅へ行き、アルプス広場に設置された「夜行列車待ち合わせ場所」に行列し、始めて乗り込んだ夜行普通列車であった。その内容は115系の6両編成、昼間の列車と全く同じであった。当時は国鉄分割民営が間近で、既に郵便荷物車の連結はなかった。

 以来、この夜行列車に私は何度も乗ることになる。「青春18きっぷ」が手元にある休日のたびに乗っていた記憶もある。「中央夜行」の利用は信州方面への旅のみならず、この列車を起点とする旅として北は北海道、西は広島まで行ったこともある。18きっぷ1シーズンにつき3回も4回も乗った年もある。

 私が「中央夜行」に出会った1987年年始まこの列車は、新宿発0時01分発の上諏訪行きになったばかりの頃だ。新宿駅発が0時を過ぎたことで、新宿までの乗車券があれば18きっぷだけで乗れる点が手軽であった。途中大月で30分以上、甲府で約1時間、小淵沢で20分程度の停車時間を挟み、上諏訪には朝の5時58分に到着していた。上諏訪では20分程度の接続で長野行き普通列車(169系)に接続、この長野行きが岡谷で飯田線に、塩尻で中央西線に、松本で大糸線に接続するというまさに信州日帰り鉄道旅行に便利なダイヤだった。
 車両は国鉄時代末期からJR化後直後までは115系新製冷房車の6連だったが、1988年3月改正で同じ115系新製冷房車6両でも3連×2の編成に変わる。さらに1989年夏頃からは新製冷房車の限定でなくなり、冷房改造された115系初期車も運用に入るようになる。

 1992年3月改正で「中央夜行」の運行形態に変化が起きる。時刻表上では新宿発0時01分発の中距離電車は甲府止まりとなり、甲府以西では改正前の「中央夜行」のそのまんまのスジで始発の松本行き普通電車が運行される形となった。だがこれはあくまでも時刻表上の話であって、実際には新宿0時01発甲府行きと甲府市発松本行き普通列車は同一車両で、甲府駅で車内待機が可能という形態であった。同時に大月駅の30分近い停車時間はなくなり、甲府での車内待機時間が90分となった。
 私はこのダイヤ改正が「中央夜行」の廃止と勘違いし、ダイヤ改正前日新宿発の列車にわざわざ乗りに行った事を覚えている。しかもその日から北海道へ飛び急行「大雪」の最終便に乗りに行く旅行があるというのにだ。上諏訪から朝一番の上り「あずさ」でとんぼ返りして羽田空港へ向かったのは、いま考えるとアホだと思う。

 そしてこの1992年3月改正の形態が、そのまま「中央夜行」の最終運行形態となる。1993年になっても「中央夜行」の運行は変わらなかったが、この頃になると登山利用者が大幅に減ってシーズンでも車内が寂しいことが多かった。
 そして悪夢の1993年12月ダイヤ改正、このダイヤ改正が「悪夢」であるのは「八甲田」「津軽」といった東北の夜行急行の廃止、寝台特急「ゆうづる」廃止、上野発で昼行の東北特急の全滅、奥羽本線系統での客車列車全廃…それまでの旅情を彩ってきた様々な列車が消えたダイヤ改正であった。
 そんな名列車達が消えた影で、この「中央夜行」も廃止となったのである。厳密には新宿〜大月間は通勤電車(201系)で運行の終電車に置き換えられ、甲府以西は列車自体が廃止になった。もちろんこのダイヤ改正前の最終列車にも私は乗っている。多くの惜しむ人々に見送られた「八甲田」「津軽」と違い、見送る人もなく、わざわざ乗りに来た鉄道好きの数も少なく、寂しい最終列車だったのをハッキリ覚えている。



 このたび、鉄道模型でKATOから115系の中央本線仕様が発売された。まず2013年に非冷房の初期車が発売され、2年の間を置いて新製冷房車である300番台車がラインナップされた。このうち300番台車は3連も組成可能で、3連×2の6連を組めば1988年3月以降の「中央夜行」を再現できる内容であった。
 そして、その通りに模型で「中央夜行」を再現したので、ここで紹介しよう。

2.115系初期車

 KATOから発売された中央本線115系だが、私も発売順と同時に初期車から購入している。この初期車にクモニ83を連結して、子供の頃に荻窪駅や吉祥寺駅でその通過を眺めていた中央本線を再現したのだ。これは何の気なしに「中央線の再現」用として購入したが、当時から「300番台車が出てくれれば中央夜行を再現できるのに…」と考えていた。

 115系初期車の特徴は、その巨大なヘッドライトであろう。そして冷房のないスッキリした屋根、写真はないパンタグラフ周囲が一段低い「低屋根」タイプのモハ114−800番台が連結されている点だ。
 我が家ではこの中央本線における115系初期車全盛期を再現している。でもなぜか並ぶ電車は、JR化後の「グレードアップあずさ」だ。
 荷物電車のクモニ83を先頭に走る。この荷物電車のために当時は新宿まで乗り入れていたようにものだ。
 行き先は「新宿」を差し、私が子供の頃に見送った光景を再現している。荻窪駅に響くクモニのツリカケ音は、今でもハッキリ覚えてる。
 クモニを先頭にした編成を横から見てみる。こんな編成を吉祥寺通りから見上げたことも覚えてる。
 我が家では115系初期車は、中央本線での8両編成を再現している。3両編成がサハ2両を挟んでいるこの編成は他では見られない独特のものだ。
 これは無人駅が多く、編成中間に車掌を乗せて集改札を円滑にするための策だったとか。

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