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 時代が国鉄時代に遡ったところで、今度は特急列車ではなく、急行列車が登場する。
 1980年代中頃まで、特急「あずさ」とともに中央本線の輸送を支えていたのは急行「アルプス」の165系だ。
 そして急行「アルプス」は、途中で分割して飯田線に乗り入れる急行「こまがね」を連結していた。
 小学生の頃に仲の良かった友人のひとりが、親の実家が長野県の駒ヶ根市だった。だから夏休みや冬休みが明けると、彼に急行「こまがね」で駒ヶ根へ行った話をよく聞かされたものだ。
 「あずさ」と並ぶ急行「アルプス」「こまがね」。中央本線の急行列車の特徴は、このように先頭車が立て続けに2両続いていることだ。まぁ、165系で4両編成(急行「こまがね」)を組むと、どうしてもこうなってしまうのだけど…子供の頃はそんなことは知らず、西荻窪駅を通過して行く急行電車を見て「なんであんな編成を組んでいるんだ」と疑問に思ったものだ。
 先頭車が立て続けに2両、実はこの光景を見たのは荻窪・西荻窪・吉祥寺といった私が生まれ育った地だけでない。
 小学6年生の時のボーイスカウトのキャンプで行ったのは小淵沢、その帰りに小淵沢駅で見た急行列車もこんな編成だったのをハッキリと覚えている。
 当時の中央本線の急行にはこんな車両が連結されていた。これはサハシ165という軽食堂「ビュフェ」車だ。
 私もこのサハシが連結されている急行列車を、荻窪・西荻窪・吉祥寺といった駅で何度か見ている。
 ただ当時はそれが軽食堂車であることや、その軽食堂が営業しておらず、走行器機の都合でやむなく連結されているだけだとは知る由もなかった。
 そしてこの軽食堂車が連結されている姿は、いつのまにかに見なくなっていた。
 そして急行列車の華とも言うべき、グリーン車は2両も連結されていた。子供の頃に見た緑色の帯を締めたこの姿は「特別感」があって好きだった。この緑帯もいつの間にか見なくなっていた。
 この模型は165系の厳つい表情を上手く再現していて好きだ。
 これはKATOが最近になって新金型でリニューアル発売した165系で、編成内容も「アルプス」「こまがね」そのものとしてセットされている。その内容はここまで見てきたとおり、往年の「急行列車」を上手く再現した内容だ。
 すれ違うのは中央本線の普通列車である115系初期車に連結されている、郵便荷物車だ。
 この115系初期車編成は中央夜行のページで紹介済みだが、その後郵便室付きのクモユニを購入して、つごう10両編成とした。
 115系初期車とすれ違う、大目玉の東海顔が見られなくなってもう何年経つだろう?
 そしてこれが1970年代半ばまでの中央本線だったはずで、幼少時代の私の記憶にうっすら残っているものだ。
 橋を渡る急行列車と普通列車。もうどちらも現役ではない。
 私があちらこちら旅行できるようになった時には、165系を使うべき急行列車は日本の鉄道からほとんど消えていた。一部に残っていた165系の急行列車も、3〜4両の短編成で全車普通車でローカル線をのんびり走るだけ、その姿は主要幹線をゆく本当の意味での「急行列車」とは違っていた。
 そして165系の多くは、地方都市でのフリーケンシーサービスのため、普通列車に格下げされていた。
 急行「アルプス」があると、今度は169系で信越線急行を再現したくなるなぁ。急行「信州」とか「妙高」とか…KATOさん、お願いしますよ〜。

…と勝手な要望をしたところで、今回はここまで。

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