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7.8000系30番台「テレビカー」
この精悍な表情が京阪電鉄の「顔」だ

 今回の追加記事は、本記事を執筆直後に入手した京阪電車についてだ。
 その新たにわが「石神井急行」に入線した京阪電車は、8000系30番台である。形式は8000系を名乗ってはいるがその実は先代の3000系、「テレビカー」の名で京阪特急ここにありと長年に渡って印象付けていたこの車両である。そして京阪本線で私が始めて乗った京阪電車も、この車両のかつての姿であった3000系である。私は子供の頃に見た本の中でこの車両を見て大阪の鉄道への憧れを強くし、いつか京阪電車に乗って京都と大阪わ往来したいと思っていたものだ。中学校時代の修学旅行で見た、鴨川のほとりを走るこの車両の姿は今でも目に焼き付いて離れない。
 先代3000系は当時計画された特急列車の増発と、一部列車の7両編成化による特急車両不足を補うために1971年に登場した。1900系登場から時が流れていたこともあって、当時最新のサービスとして冷房化が行われると同時に、車両も少し大きくなってゆったりとした車内空間を提供した。また全編成にテレビが取り付けられた。これによって夏場を中心に在来の1900系を見送ってこの3000系を狙って乗る客が増え、京阪電鉄は特急を3000系で統一して在来の1900系を一般車に格下げ使用する方針に変更、1973年までに3000系は全編成出そろい、京阪電鉄の顔として君臨することになる。
 1989年に鴨東線が開通した際、一部6両編成だった3000系は全列車7両編成へと編成が伸ばされた。その際に不足する中間車1両は8000系の中間車とされ、編成で見ると奇妙な凹凸編成となる。この際にこれまで3両+4両で7両編成を組んでいたものを、中間の運転台は使わないという理由で撤去されて跡地に公衆電話室が設けられる改造が行われた。同時に前面貫通扉を縁取る幌枠が外され、これまでの精悍な顔つきがありきたりの表情に変化した。
 だが新車である8000系好評を受けて特急が8000系で統一されることとなり、3000系の淘汰が開始された。廃車された車両は富山地方鉄道と大井川鉄道に売却され、この地で現在も活躍中である。
 本来は全編成が8000系に置き換えられて廃車の予定であったが、その後の見直しで1編成だけ3000系が残されることになった。この1編成は1995年に車体改修工事を受け、運転台や客室のイメージを8000系に合わせたものに変更し、前面のハトマークは電動式行き先表示装置の上に看板をかぶせるタイプに替えた。中間車のうち1両は、通常の車体から二階建て車に大改造されて新たな「京阪特急」の顔となった。この二階建て車は好評で、その後の特急8連化の際に8000系に組み込まれることになる。
 その後、2008年の中之島線開業と同時に3000系という別の車両が登場することとなり、この3000系は新車に番号を譲って自らは8000系の一部として8030番台を名乗ることとなった。そして現在もまだ新塗色化されないまま、現在に至っている。
 この先代3000系→8000系30番台であるが、模型ではかつてエンドウから金属製の製品が出ていたことがある。その後になって破竹の勢いのマイクロエースからまず3000系の80年代頃の姿と、1995年以降の車体改修後の2種類が生産された。この時に欲しかったけどちょうど他の欲しいものと重なってしまい諦めた記憶がある。この車体改修後のほうは現在でも売れ残りを見かけるが、これは上半分のオレンジの色合いがどうにも気に入らず購入を見送ってきた。そして最近になって現在の姿…つまり8000系30番台としての姿で再生産された。これもまた他の欲しいものと重なってしまい発売時は諦めたが、先月になって先頭車の列車無線アンテナが破損という条件のものが格安にオークションに出ているのを発見、これを仕入れてアンテナを直して我が家のラインナップに加えた。
 アンテナが破損といってもほんのちょっと曲がっているだけだったので、これを真っ直ぐに伸ばし直してやるだけで治った。次に8000系と比べると連結面間距離が長いのでカプラーの交換等をと思っている。先代3000系の雰囲気は良く掴んでいて、マイクロエースの中でも好きなモデルの内うちのひとつだ。また出てくるたびにおかしいマイクロエースの京阪特急の色だが、これは上半分のオレンジが一番きれいに決まっていると思う。
駅に入線する8000系30番台
独特の車体断面をよく掴んでいると思う
斜め上から大阪方先頭車を見る
購入時に破損していたアンテナはこちら側

カーブを行く
偶然にも光線具合が良くて迫力のある写真になった
二階建てが行く
重厚な二階建て車がカーブを豪快に飛ばすのが京阪特急の魅力


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