7.「12連快特」を再現 1500形+600形(V)
ここで紹介する車両は「京浜急行」と言うより「京急」といった方が良いかもしれない。いつしか駅名が「京浜○○」から「京急○○」に代わり、逗子線の終点は逗子海岸ではなく新逗子になり、青物横丁で終わりだった高架は平和島の高架橋と繋がって都心側でのスピードアップが実現し、「快速特急」が「快特」に変わり、「京浜急行」が「京急」へとイメージを変えつつあった頃に私が乗った列車を再現したのがこの模型である。 それは当時はまだ新車で「ツイングルシート」を装備していた三代目の600形に1500形4連を繋げた12両編成であった。私が京浜急行にはまっていた小中学生の頃は12両編成は朝ラッシュにしか無かったが、いつしか平日だけでなく土休日の夕方などにも12両編成の電車が走り回るようになっていたのだ。その朝ラッシュ以外で始めて12両編成に乗った時の編成がこんなだった。別形式で塗装も違う電車が連結して走っている光景に驚いて模型で再現してしまった。 1500形は1000形の後継となる地下鉄乗り入れ前提の通勤電車である。1000形(T)の生産を打ち切っても地下鉄乗り入れ車が不足しなかったのは1000形(T)の数があまりにも多かったためで、それ故に800形(U)や2000形など、地下鉄乗り入れを行わない車両を充実させることができた。 しかし時は流れ、1000形(T)初期車両の老朽化が始まり、その置き換えを視野に入れた通勤電車の製造が必要となった。そこで昭和60年に登場したのが1500形である。そしてこの車両は最初は僅かに残っていた釣り掛け駆動の旧型車を置き換えたが、それが一段落つくと1000形(T)の初期車を置き換えることになる。そして1000形(T)に変わって地下鉄乗り入れ運用に入り、1000形(T)と同じ汎用性を持つ車両として勢力を拡大する。 そして1500形がこのまま数を増やしていくかに見えた平成5年、京急は地下鉄乗り入れ用の新しい新型車を発表した。その内容は地下鉄乗り入れ用の3扉通勤車としつつも、ボックスシートを採用するという大胆なものであった。混雑対策に一部の座席は自動的に折りたたんで立ち席に早変わりという「ツイングルシート」を開発して導入した。この頃、関東地方の鉄道はJR私鉄問わず通勤電車はロングシート一辺倒だったこともあり、600形(V)の登場は人々をあっと言わせた。 そして外観も大きく変えてきた。800形(U)から1500形まで「額縁スタイル」で通してきたが、これをやめて流線型スタイルとなり、フロントガラスのワイパーを収容するワイパーカバーをデザインの中心に据えた大胆な「顔」となった。当時はワイパーカバーはブラウン形の色となっていたが、後にこの部分を白く塗り替えている。この「顔」はその後続く2100形、1000形(V)にも少しアレンジされながら引き継がれて行く。 大手私鉄の純通勤電車をボックスシートにするという試みはアイデアとしては良かったが、地下鉄乗り入れするような過密な混雑ではやはり無謀だったようで、現在は全てロングシートに替えられてしまっている。前面部も前述したようにワイパーカバーが白く塗り替えられ、さらに似たような顔の他形式と識別するために「600」という抜き打ちが加えられている。 両方とも模型はグリーンマックスが塗装済みキットとして出したのが最初だ。最初に1500形が出て、あまり間を置かずに600形(V)が発売されたと記憶している。私は600形(V)が出た時に喜んで、こちらの8両編成と1500形の4両編成のキットを製作して、我が家のラインナップに加えた。 キットは巣組で始めたが、双方を連結するために最初は先頭部に密連形のKATOカプラーを設置した。ところがこれでは連結器が車体から大きく突出してしまうことと、連結器下部がスカートに支障して脱線が多発したため、しばらくしてTNカプラーに変更した。この変更は正解で連結が確実になっただけでなく見栄えが大変良くなったので満足である。連結する側は勿論、普段連結しない側にも装備してしまった。 こうして、我が家で唯一「京急の12連」を編成できる模型として君臨している。このレイアウトでも12連となれば、京急電車も短く見えないのでとても楽しい。
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8.都営地下鉄5000形
最後に紹介する車両は京浜急行の車両ではないが、この車両の記憶は京浜急行の記憶と一体であるので、京浜急行の車両と一緒に紹介する。
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