北海道方面 4.キハ183系特急気動車(その1)
(トミックス・マイクロエース Nゲージスケール)
北の大地の特急列車!

模型写真・我が家のキハ183系 今回は「その1」なのでまだまだ足りない

今回撮影に使った貸しレイアウト
埼玉県所沢市「所沢市電気鉄道」さんです。
(西武新宿線航空公園徒歩2分)

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1.私が大好きな特急形気動車 キハ183系

 十代後半から二十代前半に掛けて、私はよく北海道へ旅行に行っていた。その頃に北海道の鉄道で主役だったのはローカル列車ならキハ40系、特急列車ならキハ183系であった。

 「ワイド周遊券」などで北海道を回る場合、地域間の移動は必ずといって良いほど夜行列車や特急列車であった。その特急列車は一部の例外を除き必ずやってきたのが、様々な形状の先頭車が編成を従えるキハ183系であった。その迫力のあるエンジンの音や走りなど、若い頃の私を虜にした。この183系気動車が私は大好きだった。

 キハ183系特急気動車は、北海道で活躍するキハ80系気動車の代替として1979年に試作車が誕生、営業運転をしながらの試験運行を経て1981年から0番台車が量産され、北海道の各特急に導入されている。
 キハ183系は年を追って数を増やした。1985年には北海道の特急列車の短編成化に伴い、中間電源車を先頭車に改造した100番台(先頭車のみ)が登場。1986年にはハイデッカーグリーン車などを目玉にした500番台にモデルチェンジされた増備車によってキハ80系の置き換えを完了。1987年にはJR北海道に継承された。この頃、国鉄標準塗装だった0番台車は500番台と同じ「新塗装」(本コーナーでは「国鉄新塗装」とする)に塗り替えられた。
 1988年の青函トンネル開業時には函館方面の「北斗」増発用に550番台が増備され、さらにリゾートトレインなどもキハ183系をベースにした車両となった。
 さらに1992年にはダブルデッカーグリーン車の増備と在来車の改造による「スーパーとかち」用の車両が、1992〜1994年には14系寝台車を組み込んで夜行列車への進出、1995年からは500番台や550番台を130km/h走行対応した車両が登場、同時期に「オホーツク」や「おおぞら」用車両の専用塗装への変更や一部車両の急行格下げ(「宗谷」「サロベツ」「利尻」)、2000年にはこれまで特急がなかった宗谷本線への投入(「サロベツ」「利尻」)などといった歴史を歩み、21世紀に入った頃から0番台を中心に淘汰が進んでいる状況である。聞くところによると、東京オリンピックの頃までに残ったキハ183系は全て引退するとのことだ。

 また、これとは別に九州にもキハ183系1000番台が1編成4両投入されている。当初は門司港と佐世保を結ぶ観光特急「オランダ村特急」に投入され、その後は紆余曲折の歴史を歩んで現在は豊肥本線で活躍している。

 ここでは我が家にあるキハ183系の模型をアルバム形式で紹介し、同時に名車キハ183系のことや私の思い出を語っていこう。

2.0番台・100番台

キハ183系のオリジナル、0番台車はこの迫力あるスタイルが好きだ。
  0番台は1981年から北海道各地で活躍する、キハ183系のオリジナル車だ。特徴はなんと言ってもその前面スタイルで、直線を基調にした大胆な「スラントノーズ」となっている。私はこの0番台の前面デザインがとても大好きだ。
 当初は国鉄特急色だった塗装も、時代に合わせて様々な塗り分けに変化している。私が一番好きなのは登場時の500番台に合わせたカラーリングである「国鉄新塗装」、白い車体にオレンジと赤のストライプを大胆に配し、先頭部は国鉄特急色時代に準じて下半分を赤くするという大胆な塗装が、北海道の雄大な景色によく似合って大好きだった。
 模型の方は1982年にはトミックスから販売されていたと思う。私が入手したのは運転台上のライトが点くようになった1987年の再生産品と「国鉄新塗装」の最初の製品である。これは今でも保管しているが、今回は紹介対象としていない。その後1996年だったかに、一度だけ国鉄特急色がセット再販され、これも入手している(こちらも今回の紹介対象としていない)。2000年代に入って2010年頃に一部仕様を変更して再販。この時には100番台もラインナップされ、私は再度購入した。100番台の登場時塗装も入手している。直後にこの仕様変更品の国鉄新塗装も登場。バラ売りの中間車と合わせて、特に固定的に編成を組ませず、以前に550番台旧製品から抜いたハイデッカーグリーン車と一緒に様々な編成を組めるようにしている。
 ここでは我が家のキハ183系0番台の模型のうち、国鉄特急色と国鉄新塗装の編成を紹介しよう。また0番台と共に活躍した100番台もここで紹介する。これらのキハ183系は時代設定を1987年にしているが、100番台のうちの1両は国鉄時代の姿としている。
橋梁を渡る0番台国鉄特急色編成、分割民営前後に見られた国鉄特急色の0番台で、グリーン車だけ500番台車という編成を再現してみた。始めて北海道に上陸した日、こんな編成のキハ183系を見てあまりのアンバランスさに感動したものだ。
こちらは国鉄新塗装編成、0番台車も1986年に登場した500番台車に準じた塗装に塗り替えられた。キハ183系で私が最も好きなカラーリングだ。
角度を変えてみる。先頭部は旧塗装を意識したもので、ただ単に帯を全面に回すのでなく、前面のライトや愛称板の配置を活かした「ヒゲ塗装」となっている。
国鉄新塗装編成を反対から見る、1両だけ旧塗装を混ぜているのは、1987年夏休みに見た編成を再現したから。
私がキハ183系0番台を模型で楽しむとき、こんな感じで混色編成にすることが多い。
これまでの国鉄新塗装編成を全体が分かるように撮ってみた。
高校2年の夏の思い出がよみがえってくるようだ。イメージは7両編成で一般グリーン車の「北斗」「オホーツク」「おおとり」だ。
国鉄新塗装の0番台と、国鉄特急色の100番台を並べてみた。100番台は中間電源車キハ184に運転台を付けた「ゲテモノ先頭車」で、4両だけの存在だった。
100番台の国鉄特急色は二種類が存在する。左は1985年春の100番台登場時、右はその後短期間で塗り替えられた姿。
登場時塗装は模型の方でも限定品で、今や入手困難だ。
100番台登場時塗装は0番台の塗り分けを100番台に適用したものだ。なんか「サザエさん」に出てくる一時代前の泥棒みたいな顔で、間が抜けている。
その後、前述のように短期間で塗装変更された。その塗装はキハ82系に準じたもので、軽快感があって良い。
実現しなかった並び、100番台の登場時塗装と後述する550番台先頭車。
同じ貫通先頭車同士でも全くイメージが違い、誰が同一形式だと思うだろう?
最初に示した0番台編成の片側に、100番台の国鉄特急色通常塗装車を組み込んでいる。イメージは0番台基本の7両編成、ダブルデッカーグリーン組み込みの「北斗」「おおぞら」「オホーツク」だ。
グリーン車だけ色違い、車体構造も違う…こういう凹凸編成も見ていて楽しい。賛否両論はあると思うが。
今度は100番台の国鉄新塗装。こちらは後から出てくる500番台とも違い、斜めに上がるオレンジ色の帯が省略された。
先ほどの国鉄新塗装編成の先頭車を、片側だけ100番台に変えてみた。
ちなみに100番台は先頭車でありながら、繁忙期は増結中間車として使われることもあった。
続いて100番台登場時塗装を編成に組み込んでみた。やっぱり鈍重な感じがするなぁ。
でもこの塗装は、角度によってはカッコイイと思うときもある。たとえばこんな風景だ。
100番台登場時塗装は、1985年の「北海」をイメージしたモノクラス6両編成の先頭に立たせている。当時の「鉄道ジャーナル」誌にこんな編成の写真が出ていた。実際に見たことはないけどね。
我が家の100番台勢揃い。登場時塗装、国鉄特急色、国鉄新塗装、「オホーツク」用塗装の4両。
「オホーツク」仕様のキハ183系0番台については、回を改めて紹介予定です。
100番台4種類、この他に「HET塗装」があって5種類あるのだが、基本的に模型であっても実物より多く揃えてはならないというマイルールにより、「HET塗装」は購入を見送った。

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