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4.2000系
カーブを行く2000系、平成の17メートル通勤電車。
 ここからは南海電鉄の現役車両の模型を紹介しよう。その一番手は南海電鉄の17メートル通勤電車である2000系だ。
 2000系は高野線山岳区間の急カーブと急曲線に対応した通勤電車として1990年に登場した。急カーブに対応するため20001系や21001系などから17メートル車体を受け継ぎつつも、ステンレス車体やインバータ制御などの新しい要素が取り入れられた独特の車体となった。当時は高野線山岳区間で専用されていた「ズームカー」こと21001系の老朽化が進んでいて、この置き換えは急務だった。さらに21001系の増結用の22001系なども置き換えることとなり、64両が製造されてなんばから高野線の山岳区間に乗り入れる列車を中心に運用された。
 ところが短い17メートル車体が災いとなってこの車両の波乱の人生が始まる。その発端は高野線沿線の人口が増えると山岳線に乗り入れる17メートル車による急行が高野線の輸送力増強の足を引っ張ることとなる。2005年のダイヤ改正で高野線は山岳区間に乗り入れる昼間の急行を廃止、これらは平野部だけで折り返す20メートル車で運用される急行となる。山岳区間では2300系というローカル専用車が存在することで山岳区間での区間運用に活路を見いだすことも出来ず、僅かに残ったラッシュ時運用や山岳区間乗り入れの快速急行用として残った車両を除く半数近い2000系がの使い道がなくなってしまったのだ。
 いっぽう、南海本線では7000系などの老朽化が問題になっていた。この置き換えを推し進めるために高野線で使い道がなくなった2000系が活用されることになる。2007年1月から順次、使い道がなく休車になっていた2000系が南海本線に転属するが、車体が短く定員が少ないこともあって普通列車専用となり、ラッシュピークなどを避けて運用されている。車体長さが違うためドア位置も違うので、フロントガラスに「2扉車」という大きなステッカーが貼られ、南海本線普通列車の名物として定着しつつある感じがする。

 私はこの車両が高野線で活躍していたのを、ほとんど見た事が無い。私がこの車両と出会ったのは2011年秋に泉佐野へ出張で行ったとき、南海本線に転属して普通電車専用として活躍している2000系に偶然乗ったのだ。最初は前面にでかでかと書かれている「2扉車」の意味が分からず、列車に乗り込んで車体の短さやドアの少なさをみて「これが2000系ってやつか…」と納得したのを覚えている。その後も泉佐野や泉大津への出張の度に南海本線で普通列車として活躍する2000系を見かけたり乗ったりして、私としてはこの2000系は「南海本線の普通列車用の電車」として完全に定着してしまっている。

 Nゲージ鉄道模型でも最近まで製品がなく、少し前にマイクロエースから突然出てきて驚いた記憶がある。発表の後少し悩んだけど、南海本線の普通電車を再現しようと思って購入を決めた。購入後は中間連結器をTNカプラーに交換しただけで他はまだ手を入れていない。フロントガラスの内側に「2扉車」のバカでかいステッカーを貼りたいところだけど、内側にどうやって貼るかという難題で引っかかっていて、未だそのままだ。

 このステンレスボディの17メートル車体という変わり種の車両は、実物もそうだけど模型でも見ても楽しいものだ。たまに貸しレで走らせては愉しんでいる。
和歌山方の先頭車
塗装変更によるマスクが上手く再現されているのも、良い感じ。
なんば方の先頭車
17メートル車体に後位側にパンタ、ローカル電車らしくて好きだ。
編成で見てみる
コンパクトな17メートル4両編成、関東大手私鉄では見られないタイプの電車だ。
川を渡る
こうやって見ると、シティコミューターでなくローカル線みたいだね。
17メートル車同士の並び
片や高野線のクイーン、片や高野線を追われた身。
こちらは通勤電車同士で
では次、7000系へ行ってみましょう。

5.7000系
私が一番好きな南海通勤電車
 私が最も好きな南海通勤電車は、なんと言ってもここで紹介する7000系だ。
 7000系は1963年に登場した南海本線用の高性能大型通勤電車である。高野線に投入された6000系に準じた電車で、南海本線車両は鋼製とされたため形式を改めて7000系とされた。南海本線にステンレス車が回避された理由は、当時南海本線で踏切事故が多く、破損時の修復が困難なステンレス車は不向きと判断されたためと言われている。
 最初は5両編成で登場し、後に4+2の6両編成に組成変更される。1983年には冷房装置が取り付けられ、同時期に行き先表示器を設置して外観が少し変わった。これらの改造時に4両編成の器機構成が補機類にバックアップがない状況となり、4両編成単独運用がされないようになった。1990年代に入ると、かつての南海電鉄の塗色だったグリーンのツートンから、現在の塗装に塗り替えられてイメージを一新した。

 私がこの車両と出会ったのはこの塗装変更の後である、1994年に空港線の初乗りに行った際に当たった車両がこれだった。20メートルの大型通勤電車の車体に片開きの扉…この配置の電車は関東大手私鉄には見られないもので、また1960年代の基本設計のままの電機器類の音を聴いて「いい音出しているなー」と感じて気に入った車両だ。
 その後、2005年に堺へ出張した際にこの7000系に当たり、「まだ残ってたのかー」と驚く。その後2011年以降に泉佐野や泉大津への出張の際も7000系に当たったことがあり、特に片開きの通勤電車が京急800形位しか残っていない時にこれに当たって嬉しかったものだ。さらに特急「サザン」の自由席車として第一線で活躍しているのを見て、嬉しくなった記憶もある。

 7000系は新型車両の投入や、前述した2000系の転属によってその活躍の場を徐々に失い。2015年に遂に全車引退となった。この報せを聞いたときに「もう一度乗りたかったなー」と悔やんだのは言うまでも無い。

 模型の方は、7000系引退時に鉄道コレクションの事業者限定バージョンとして発売されたものだ。私もこれをなんとか手に入れて、時間を掛けて走行化対応したものだ。先頭部の連結器はTNカプラーに変更、中間部は鉄道コレクションのカプラーアダプターを上手く調整して、アーノルトカプラーのままでも連結面距離が短くなるよう工夫した。こうして低予算で見栄えを良くしてやっと走れるようになったというのが正解だ。
 ちなみに新塗装を購入した理由は、私にとっての7000系はこの新塗装のイメージが強いからだ。古くさい車体にこの新時代的な塗装のミスマッチがなんとも楽しい電車だ。旧塗装も悪くはないけど、私が知っている7000系はほとんど新塗装になった後だからなー。

 この7000系は私の南海電車の思い出の中でも中心を占める存在と言っていいだろう。でもこうなると他の南海通勤電車が欲しくなるなー、1000系とか出てきたら欲しくなるぞー。
7000系を編成で見る
4+2の6両編成、この組合せで使われることが多い。
先頭車をズームアップ
先頭車にダブルパンタ、分散冷房、片開き…西武線にはない新鮮さだ。
さらにズームアップ
こういう無骨な電車、最近どんどん無くなっているなー。
先頭車同士の連結部
通勤電車の固定編成化が進み、こういう光景はなかなか見られなくなった。
鉄橋を渡る
良い感じだ。
鉄橋上の7000系をアップで
この模型も大事にしていきたいね。

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