心象鉄道17.南海電鉄の車両たち
(マイクロエース・トミーテック・トミックス・グリーンマックス Nゲージスケール)
大阪から南へ!!

模型写真・私が子供の頃に憧れた車両たち

本記事の模型車両撮影に使った貸しレイアウト
東京都西多摩郡瑞穂町「ファインクラフト」さんです。
(JR八高線箱根ヶ崎駅徒歩20分・駐車場完備)

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1.私と南海電鉄
南へ向かう路線網を持つ鉄道であることはいうまでもない。大阪の南のターミナルであるなんば(難波)を起点に、海沿いに和歌山を目指す南海本線と大阪平野南部を横切って高野山を目指す高野線というふたつの幹線を軸に路線網を拡げている。どちらの路線も大阪より南側において通勤通学や観光客を輸送する大動脈として機能していることは言うまでも無い。

 東京で生まれ育ち、関西方面に親戚がいるわけでもなかった私が鉄道少年だった頃、関西の私鉄について始めて興味を持ったのは小学3年生の時に親に買ってもらった「私鉄特急全百科」という本がきっかけだったことは京阪電鉄を取り上げたときに語った。この本を通じて関東とは違う文化と地理のもとで独特の車両を走らせている関西大手私鉄の電車たちに強い興味を持ち、特に特急専用車を走らせている近鉄・京阪・南海の各電鉄への興味を強くしたのは確かだ。
 私がこの本を通じて南海電鉄に興味を持ったのは、20001系「こうや」号の記事だった。幾重の曲面を重ねた美しい前面デザインの20001系を見て、「カッコイイ」のでなく「美しい」と子供ながらに感じたのは事実だ。そして同じ本に出ていて興味を引かれたのは南海本線の「きのくに」号、私鉄なのにどう見ても「国鉄の急行気動車そのまんま」の車両が掲載されていて「なんだこりゃ?」と思うと同時に「なんでこんなことをしているんだろう?」と興味を持ったのは事実だ。そしてどちらの車両も「一度乗ってみたい」と憧れを強くしたのは事実だ。
 だが20001系「こうや」号は私が中学生になった1984年に、新型の30000系「こうや」号に置き換わって引退してしまう…このニュースを聞いてショックだったのは今でも覚えている。そしてその翌年にはキハ5501系も引退…「一度乗ってみたい」と思っていた南海電鉄の車両は、どちらも間に合わなかったことになる。

 私が始めて大阪の地を踏んだのは1989年3月、高校卒業式の翌日であった。「青春18きっぷ」での四国・九州旅行を計画した私は、大垣夜行を名古屋で下車して関西本線経由で奈良に出ると、近鉄奈良から始めて近鉄特急で難波に入ったのだ。そして大阪から四国を目指すルートとして選んだのが、南海電鉄と南海フェリーを乗り継いで「鉄道連絡船」的な旅を愉しんで徳島県の小松島に上陸するというプランであった。
 この時に始めて南海なんば駅の改札口をくぐり、私は特急「サザン」指定席の客となった。当時は「サザン」の10000系はまだ登場間もなく、緑の濃淡の旧塗装で2両だった時代で10000系の均整の取れたデザインに魅了されたものだ。記憶に間違いが無ければ、自由席車として後ろに繋がっていたのは7100系だったと思う。そしてその快適な座席と乗り心地は、関西大手私鉄初体験の記憶を私の脳裏に強く印象付いた。でも当時驚いたのは、大阪と和歌山の間にあんな峠越えがあったことだなー、関東に住んでいるとあの地図を見れば、大阪と和歌山の間って東京と千葉の間みたいな感じだと思っていたもんなー。

 この四国への往路で始めて南海電鉄を利用した後、次に南海電鉄を利用するまで少し間が開いた。その最大の理由は関西私鉄については京阪電鉄に興味の軸足が移っていったことであろう。続いて南海電鉄を利用したのは1994年、空港線開業直後のことだ。しかもその時はまだ空港がオープンして無くて鉄道だけが先に開通していた頃だ。この時に始めて乗ったのが7000系で、20メートル4扉車体で片開き扉というそのスタイルに驚いたものだ。
 直後の関西空港オープン後に再度空港線を訪れ、南海電鉄が世界に誇る50000系「ラピート」に乗った。その独特なデザインは賛否両論だったが、実際に乗ってみて「奇抜なデザインだけの電車」などではない質の高さを感じた。あのデザインに度肝を抜かれたのは事実だが、私が好きな電車のひとつになったのは事実。
 その後はしばらく南海電鉄に乗る機会に恵まれなかったが、2005年になると当時の仕事の都合で大阪の堺へ頻繁に出張するようになる。現場の最寄り駅が南海電鉄堺市駅だったこともあって、仕事で堺へ行くたびに南海電鉄の客となった。そしてその後、泉佐野や泉大津へ仕事で頻繁に出張するようになり、2000年代以降前の会社にいた間は南海本線はなじみの路線のひとつになっていたのは事実だ。この時代に7000系や2000系と言った通勤電車に強く惹かれたのは言うまでも無い。

 今回は、こんな思い出がある南海電鉄の車両達を、模型を通じて私の視線で紹介しよう。まずは私が憧れつつも、見ることすら叶わなかった車両達を先に紹介しよう。

2.20001系「こうや」号

南海電鉄一の名車「こうや」号
  恐らく私鉄にある程度興味がある鉄道好きの方なら、南海電鉄と言えばまず思いつくのは現役車両なら50000系「ラピート」、そして過去の車両ならこの20001系「こうや」号だろう。
 20001系「こうや」号は1961年に高野山への観光客輸送用として登場したロマンスカーだ。高野線の一般車として1958年から投入された高性能電車21001系を基に、吟味した材料を使って当時最高の車両を目指して作られたのがこの20001系だと言われている。その贅沢な設計から制作費が高騰し、予備編成を投入することが出来ず1編成のみの製造に留まった。従ってこの「こうや」号は冬期は車両検査のため全面運休、冬期以外も車両検査の都合で運休することがあり、この時は21001系のクロスシート車が「こうや」号の代走をしたとのことだ。
 この「虎の子」的な20001系は南海電鉄のフラッグシップとして活躍を続ける。1973年には昇圧改造を受けて直流1500Vに対応し、1977年には高野山で行われた植樹祭に際して昭和天皇の御乗用列車…つまりお召し列車としても活躍した。
 だが1編成しかないことで酷使されたこともあり老朽化も早く、1980年代に入ると「更新か新車へ置き換えか」の検討が始まっていたという。結局は1983年の弘法大師ご入定1150年の法要を機に「こうや」号を新車である30000系に置き換えることになった。後継の30000系「こうや」号は1983年切るに登場し、弘法大師ご入定1150年の法要が行われていた間は高野山参拝者が激増するため20001系も臨時用として残った。そしてこの法要が終わった後の1985年1月、20001系は引退して南海高野線の鉄路から去った。

 もちろん、1989年に始めて大阪を訪れた私はこの20001系の活躍を直接見ていない。それどころかみさき公園に保存されていた20001系を見に行ってもいないのだ。まさか保存車もあんなあっけなく解体されるなんてなぁ…ホント、一度見たかったのに。
 幾重もの曲線を重ねて作られた前面デザイン、そしてシートピッチの広いリクライニングシートと窓上に並んだ蛍光灯による明るい車内は、この車両の特徴して語られていたことは良く覚えている。写真で見る限りどちらも特徴的な豪華な装備で、本当に乗ってみたいと思ったものだ。

 実物に乗るのが叶わなかったならせめて模型でも…と思っていたが、これは南海電鉄全般に言えることなのだがNゲージ鉄道模型での製品化にも恵まれなかった。破竹の勢いでこれまで模型に恵まれなかった車両を製品化してきたマイクロエースから本車がラインナップされたのは2012年春、私もこれを購入して我が家のラインナップに加えた。購入と同時に中間部の連結器は全てTNカプラーに交換して、見栄えを良くした。
 ちなみにこの車両の購入をきっかけに我が家には南海電車が増えていくことになる。

 模型としての仕上がりはとても良いと思う。南海電鉄の監修も入っているせいか、少なくとも写真などと見比べる限りは「おかしい」と思うところは見当たらない。ただ実物を知っている人がどう思うかは解らないが…。前頭部の美しい曲面デザインは、何度見てもうっとりする。
 この車両の模型も少年時代に憧れつつ、結局会えなかった思い出と共に大事にしたいと思う。
いきなり流し撮り
優雅な曲面美とスピード感の両面を持つ美しい顔だ。
トンネルら顔を出す
この角度から見るのが一番美しいと思うが。
編成で見てみる
コンパクトな17メートル車体の4両編成は「ズームカー」一族の証。
先頭車をクローズアップ
ほんとうに美しいデザインだなぁ。
いつもの鉄橋を渡る
高野線ってこんな景色あるのかな?
角度を変えてみてみよう
どこから見てもきれいな電車だ。

3.5501系「きのくに」号

和歌山からさらに南へ
  少年時代の私が憧れていた南海電鉄の車両は、「こうや」号の次はこの「きのくに」号だ。他にも21001系「ズームカー」や1001系「四国」号なども「私鉄特急全百科」で紹介されていたが、それ以上に「どう見ても国鉄の気動車にしか見えない気動車が何故…」という思いでその紹介記事を見たのが最初だ。

 南海電鉄では戦前から国鉄客車を借用しての紀勢本線直通列車が運行されていた。戦後も1951年からこの乗り入れ運行が開始され、1952年には南海電鉄が国鉄スハ43形に準じた客車であるサハ4801を用意するに至る。1959年になるとこの南海電鉄から紀勢本線に乗り入れ列車の国鉄での併結相手が客車列車から気動車に変わったため、南海電鉄が投入した気動車がこの5501系だ。
 これは国鉄のキハ55系気動車を基本に南海独自の設計が入れられたもので、国鉄キハ55系と同様に片運転台タイプの5501形と、国鉄同系にはない両運転形の5551形の2形式があった。これは本来は片運転台車2両背中合わせで使用し、片運転台車が検査で欠けたときに両運転台車が穴埋めするという使い方を想定していたようだ。両運転台車の有無以外の国鉄仕様との違いは、前位側デッキ近くに南海電鉄の社章が入れられたこと、デッキに近い窓下に「南海」という行灯式の社名表示を設置したこと、屋根の肩部を水色に塗装したことなどが挙げられる。
 こうして5501系は1959年夏から南海〜国鉄乗り入れ列車として、南海電鉄のなんばと当時非電化だった紀勢本線の白浜や新宮を結んだ。だが1970年代に入ると冷房改造が困難な車体が災いし、紀勢本線が電化されて特急「くろしお」の運行が始まると、南海電鉄から乗り入れる「きのくに」号は徐々に運転本数を減らしてゆく事になる。私がこの車両の存在を知ったのは、そんな斜陽の時代だったことは当時知らなかった。そして国鉄は1985年3月ダイヤ改正で紀勢本線に残っていた気動車急行を全廃して特急「くろしお」を増発する…これは南海電鉄から乗り入れていた「きのくに」号の廃止を意味しており、この国鉄ダイヤ改正と同時に南海電鉄は「きのくに」号の南海本線区間を廃止としたことで「きのくに」号は姿を消した。

 模型についてはトミックスがキハ55系気動車を製品化していたことから、「いつかあるかも知れない」と思っていたら本当にトミックスから出るもんなぁ。これも少年時代の憧れを大事にする意味で購入した。大人になって鉄道の歴史を知ればなんでこんな車両が存在するのか理解出来るが、子供の時は本当に疑問だったのよー。

 しかし、かつてはNゲージ鉄道模型での製品化に全く恵まれていなかった南海電鉄の車両が、今やグリーンマックスやマイクロエースだけでなくトミックスからもラインナップがあるんだからすごいよなー。後は老舗KATOだけだぞ。
両運転台の5551形
両運転台は南海オリジナル。
片運転台の5501形
国鉄キハ55系まんま、でも窓下の表示器や屋根肩部の塗装などに違いがある。
5501形と5551形で編成を組む
こんな国鉄じみた列車が、南海本線をかっ飛んでいたなんて…楽しそうな時代だな。
電鉄会社による気動車の並び 西の南海 東の小田急
どっちも5000番台の形式がついているのは偶然か? 名鉄は別の機会に。
いつもの鉄橋を行く
本当はこれに併結する国鉄気動車が欲しいけど…
同じくん橋を行く
紀勢本線にこんな橋があったような。

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