前のページに戻る


本記事の模型車両撮影に使った貸しレイアウト
東京都西多摩郡瑞穂町「ファインクラフト」さんです。
(JR八高線箱根ヶ崎駅徒歩20分・駐車場完備)

追加1.20000系・RSE車
「バブル・エクスプレス」の筆頭格と思われる1990年代初頭の名車

 1989年代末期、世間がバブルに浮いていた今からは信じられない好景気の時代。小田急電鉄では御殿場直通特急に使用していたSE車の老朽化という問題に直面していた。新車に代えたくても国鉄改革の問題もあって御殿場直通特急自体の未来が見えない中、すっかり古くなったSE車をそのまま使い続けていたのだ。
 だが1990年代に入ると事態は展開する。小田急電鉄は好景気に乗って箱根から当時はまだ観光開発が手薄だった西伊豆への送客を目論んだ。同時期には東海道新幹線がパンク寸前だったこともあってJR東海が東海道新幹線以外で東京に乗り入れるルートの模索もしていた時期であり、ここで小田急とJR東海の思惑が一致する。小田急の御殿場特急「あさぎり」は御殿場から沼津へと足を伸ばし、同時にこれまでの小田急による「片乗り入れ」の運行体制から、統一規格の車両を互いに製作して相互乗り入れ運転へと変化させることになった。
 こうして運行体制が大きく変わる「あさぎり」用に1991年に登場したのが20000系RSE車(Resort Super Express)である。7両編成で中間2両がダブルデッカー、ダブルデッカーの2階席は特別車として2クラス制となり、1階席は静かな環境の普通席やコンパートメントを備えることとした。車体はバブルの華やかな時代を反映するようなパステルカラーに彩られ、小田急ではその前の10000系HiSE車に続いて普通車はオールハイデッカースタイルとした。前頭部はJR東海との取り決めで前面展望スタイルの採用は諦めざるを得なかったが、それでもフロントガラスや運転席仕切り窓の形状を工夫して、運転席越しに前面展望が可能なスタイルとした。
 同時にJR東海も、このRSE車に仕様を合わせた371系を開発する。編成構成は同じだが、ダブルデッカーの1階はすべて普通席でコンパートメントはなく、また普通車のハイデッカー化も見送っている。
 RSE車は2編成が製作され、普段は1編成は「あさぎり」として沼津への往復運用に入り、もう1編成は他のロマンスカーと一緒に箱根特急の運用に就いた。だがRSE車の検査時は箱根特急運用は別の車両が代走して「あさぎり」専属となり、またJR371系が1編成しかないためにこちらが検査などで欠けると2編成とも「あさぎり」運用に引っ張り出された。その他、「あさぎり」としての運用開始前にはJR東海の静岡まで乗務員訓練で乗り入れており、その後も団体列車として身延線に入線したことがあるという。
 私はRSE車も371系も一度ずつ乗っている。RSE車は御殿場からの帰りに普通車の旅を楽しんでおり、371系では一度沼津へ行くのに利用したことがある。371系は偶然先頭車の最前列の座席が確保でき、前面展望を楽しみながらの旅となった。
 「あさぎり」はその後、JR東海が新幹線のスピードアップや品川駅開業で輸送力に余裕が出来たことで「あさぎり」に頼る必要性がなくなり、小田急も西伊豆方面での観光輸送に積極的でなくなったことで、特に2000年代に入ってからは「あさぎり」が積極的に宣伝されることはなくなった。また世のバリアフリー化の波により、RSE車のハイデッカー構造が問題となる。バリアフリー対応させるためには大改造が必要となり、2000年代後半になるとRSE車退役とJR東海の「あさぎり」からの撤退などの話が漏れ聞こえてくるようになる。
 そして2012年3月ダイヤ改正で、「あさぎり」は1980年代の運行スタイルに戻ることとなった。つまり御殿場特急は新宿〜御殿場間の運転で小田急の片乗り入れに戻ったのだ。同時にバリアフリー化が困難なRSE車は退役、「あさぎり」は60000系MSE車基本編成での運行となった。
 その後、退役したRSE車は2編成のうち1編成が富士急行に売却され、彼の地で二代目の「フジサン特急」として活躍中である。

 さて、RSE車の模型については人気車両ではあるがなかなか製品化に恵まれてこなかった。2000年代半ばになってやっとRSE車の模型販売がされた。しかも発売したのはKATOやトミックスやマイクロエースといった既存メーカーではなく、当時Nゲージ鉄道模型に参入したばかりのモデモであった。私がこれを購入したのは2012年頃である、初版品ではなく前照灯のLED化などの改良がなされた再版品が中古で安く売られていたのを発見した形だ。
 購入して気になったのは昼間部の連結面間距離、最初はマイクロエース車両から外した短いアーノルトカプラーを採用する予定でいたが、これがカプラーカバーのサイズが悪くてどうしてもうまく取り付かない。KATOカプラーでは思ったより連結面間が縮まず、結局はボディマウントタイプのTNカプラーを設置するという紆余曲折ぶりだった。
 我が家では路面電車関係以外で唯一のモデモ車両なので、特に動力のトラブルが起きたら…と思っていたが、どうもこいつは車輪が汚れるのが他の車両よりも速いように感じる。そして少しでも車輪が汚れるともう走らない、そんなデリケートな車両で持って行った先で突然走らなくなったことも。もちろん車輪を掃除すると復活するのだが。あと動力車の振動が大きいのが難点。
 それでも我が家では、「あさぎり」の一時代を再現するために大事にしている模型の一つだ。レイアウトを走らせるとこの華やかなパステルカラーが眩しく、おもちゃ箱みたいで面白いと思う。

RSE車の先頭部
黒くてのっぺりな顔とパステルカラーのコントラストが面白い
先頭車を斜めから
「カッコイイ」というより「美しい」というか 「かわいい」とも言える車両だ
編成の華はダブルデッカー
現役時代はこれが目立つ存在だった
ダブルデッカー車をアップで
これが代々木八幡のカーブを行く迫力は今でも忘れられない

追加2.30000系・EXE
これまでの「ロマンスカー」とは違う魅力を持つ車両

 1990年代に入っても、「ロマンスカー」の象徴とも言えるNSE車が箱根特急を中心に多数活躍していた。LSE車やHiSE車という後続に主役は移ったとは言え、更新修繕などの手直しを受けて第一線で活躍していたとはいえ、1990年代中頃には老朽化が深刻な問題となっていた。
 同時に小田急「ロマンスカー」の利用実態が大きく変わっていた。1980年代までは利用客の多くが箱根への観光客であったが、時代を経るにつれて夕方ラッシュ時を中心に沿線住民への足と変わってきたのである。ロングシートの通勤電車の客に「多少高くてもゆったり座りたい」という需要があることから、箱根への観光輸送から新宿に帰った車両を折り返し下り列車とすることで通勤特急輸送が始まり。この頃にはその旅客が大幅に増えていて、これまでの「ロマンスカー」であるSE車ファミリーではこの実態に向かないという問題が発生した。
 そこでNSE車の代替となる「ロマンスカー」はこれまでにない新しい「ロマンスカー」として企画された。短い連接車はやめて通勤電車と同じ20メートル車体の10両編成として、収容力を大幅にアップすることになった。また6両と4両に編成を分けるようにし、ラッシュ時は10両編成で大きな収容力を活かし、昼間の観光特急使用時は小田原で4両を切り落として6両だけが箱根湯本へ向かったり、途中で箱根方面と江ノ島方面を分割して運転するという使い方をすることとした。エクステリア・インテリアのデザインは観光特急としての派手なものではなく、日常使用を意識した落ち着いたものをすることとなり、これまでの赤や白やパステルカラーといった派手な「ロマンスカー」とは一線を画すものとなった。
 こうして1996年に誕生したのが30000系EXEである。EXEは「Excellent Express」を略したものであり、SE車以降の小田急「ロマンスカー」において初めて「SE」の名を冠さないものとなった。車体は落ち着いたメタリックの銅色となり、各所に「EXE」のレタリングと「ロマンスカー」のシンボルカラーである朱を入れられた。だがこれまでと違う「ロマンスカー」の登場に鉄道好きを中心に大きく戸惑ったのも事実。落ち着いた塗装や内装は「地味」と受け止められてしまい、また前面展望のような明確な「売り」もない。こうしてEXEはSE車以降の「ロマンスカー」で初めてブルーリボンを逃すが、私はこれに今でも納得がいかない。この車両に乗ったときに感じた落ち着き感は高級感すらも感じるものであり、この時代としては材料を吟味してとても良いものを作ったと感じたからだ。
 だけど6+4の10両編成は理解するにしても、非貫通先頭車だけでも前面展望に出来なかったのか?と感じたことはあったのも事実。EXEは高運転台構造であり着席での前面展望が望めないことは、実物を見てよくわかったことでもあるからだ。
 EXEが観光特急車として懐疑的たっだのは鉄道好き以外にもそうであったのも確かだ。EXEが新車だった時代、小田急「ロマンスカー」を利用した箱根への観光客の数は激減しており、箱根への観光客について調査すると小田急の箱根への観光客輸送シェアが大きく低下していた。私はEXEは箱根観光列車に使わず、「さがみ」などの途中停車列車に使えば良いのにと思っていた。やはり観光特急には日常の落ち着きなど必要は無く、短時間でも非日常への誘いでなければならないのだ。
 だがEXEのデザインは飽きが来ないのは確かであり、私が好きな車両の一つなのは確かだ。

 このEXEであるが、模型では製品化に恵まれたのかどうか判断は難しい。新車として登場して数年という早い段階で、既にテクストというメーカーから発売予定がされていたのである。だがこのテクストというメーカーが問題だった、EXEの前に発売の予定だった模型はいつまで経っても発売されず、やっと1アイテム出たかと思ったところでEXEも含む他の発売予定がぜんぶ「なかったこと」にされてしまった。あるメーカーから発売予定があるしかも私鉄特急車となれば、大手も含めた他メーカーはリスクが高くなるので手を出しづらくなる。こうしてこのテクストというメーカーがEXEの発売予定を予告していた数年間、この車両の模型はずっと塩漬けにされてしまった。このテクストというメーカーは今ではすっかり「なかったこと」になっている。事実上の倒産とか夜逃げしたとか、様々な説があるが1つのメーカーが消えたのは確かだ。
 そしてこのメーカーが消えてEXEの発売予定も他社との競合はないと判断したのか、2010年になってマイクロエースから発売予定が掛かった。これが発売されたのは東日本大震災直後の2011年5月。このときは私は別の模型を買った直後で資金不足で、涙を呑んでEXEを見送った記憶がある。それから約1年で早くも再販予定が掛かり、2013年夏に再販品を購入した。
 模型を買って箱を開けて…独特の銅色が美しくて感動した。マイクロエースもついにここまでになったかと素直に感じ、すぐに気に入った模型となった。標準装備のカプラーを他車(西武30000系)に転用するためにTNカプラー化を行い、中間先頭車もTNカプラーにしたことで切り離してそのまま使えるようになって満足だ。ヘッドサインは全ての運転台に「はこね」を入れたが、車体を組み立てるとステッカーがズレるのが難点。この教訓は今後のMSE購入時に活きている。
 この模型は10両編成で使うことが多い。たまに6両だけを走らせて「小田原から先〜」って言い張っているけど。でも大好きな模型でちょくちょく貸しレへ運んで走らせている。

非貫通先頭車
独特の流線型が美しい
貫通型先頭車
実用的な美しさがあり 個人的にはこっちの顔の方が好きだ
貫通型を先頭とした6両編成
この6両で走らせるのもいいね
中間運転台の連結部
TNカプラーの威力でこの連結間隔だ
非貫通先頭車を拡大
車体の大きさと長さの関係が秀逸
鉄橋を渡る
四十八瀬川の渓谷風景にも生える落ち着いたデザインだ

おまけ.キハ5000系
大手私鉄で数少ない優等気動車

 現在も続く御殿場特急の始祖と言えるのが、このキハ5000系気動車だ。小田急電鉄には東急からの分離直後から、御殿場に乗り入れて箱根へ裏から入るルートを確保する構想があったといわれている。戦時中に小田急と御殿場線を結ぶ短絡線を建設しかけた事実を発端に、これを完成させて御殿場ルートを確保することで箱根観光において周遊ルートが多様化し、小田急による箱根観光の価値を上げようというのだ。これが実現したのは1955年(昭和30年)、御殿場線の急勾配に対応すべくエンジン2台搭載の気動車製造の目処が立ったからであった。こうして生まれてのがキハ5000系で、長くて細い車体が特徴であった。
 小田急線内は特急、御殿場線内は準急と言うことで「特別準急」と呼ばれることとなり、最初に登場したのは「銀嶺」「芙蓉」であった。1959年には改良型のキハ5100系の増備により増発がなされ、ここで初めて「朝霧」という名が生まれた。同時にもう1往復「長尾」が登場している。この増備時にキハ5000系はシートピッチを広げるなどの改造が行われる。
 だが1968年、御殿場線の電化工事が完成すると御殿場直通列車はSE車を改造したSSE車でまかなわれることとなり、列車名も「あさぎり」に統一した。キハ5000系はキハ5100系と共に関東鉄道に売却され、ロングシート化と扉増設の改造を受けて常総線の通勤輸送に使用された。関東鉄道では1988年まで活躍した後、廃車解体された。

 模型では数年前に「鉄道コレクション」シリーズとして小田急電鉄直販のかたちで発売された。私もこれを購入し、動力化などの手入れを行って我が家の模型の「あさぎり」コレクションに入れている。ヘットマークは「銀嶺」と「朝霧」を入れてあり、編成順序を入れ替えることで列車名が変わるような配置にしている。
 たまにロマンスカーに混ぜて貸しレで走らせている。

キハ5000系のズームアップ
実車は見たことがないけど 均整が取れた小田急らしい車両だ
橋梁を行く
四十八瀬川を行くとこんな感じだったんだろうな

次のページへ