心象鉄道15.小田急電鉄の通勤車 2200形・2400形・5000形・9000形・4000形(U)
(マイクロエース・トミーテック・トミックス Nゲージスケール)
小田急はロマンスカーだけじゃないっ!!!!

模型写真・私の青春時代の小田急電鉄の主役

本記事の模型車両撮影に使った貸しレイアウト
東京都西多摩郡瑞穂町「ファインクラフト」さんです。
(JR八高線箱根ヶ崎駅徒歩20分・駐車場完備)

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1.小田急といえば…

 小田急電鉄と言えば、新宿と箱根や江ノ島を結ぶロマンスカーを想像する方が多いだろう。もちろん小田急電鉄の沿線外の人への最大の売りであり、ロマンスカーにはとても魅力的な車両を揃えている。
 だが小田急電鉄はそれだけではない。沿線の多くの住民がいる以上、多くのローカル列車が走っているのも事実だ。新宿から小田原までの奥行きのある路線に、終戦直後まで殆ど開発がされていなかった平地の多い沿線。時代と共にこれら通勤電車の旅客が急激に増え、それに対応すべく魅力的な通勤電車が沢山生み出されてきたのも事実だ。

 小学生から中学生の頃、小田急線沿線に親戚がいたためこのような通勤電車もよく利用した。中学生から高校生の頃はロマンスカーでなく、これらの通勤電車に乗って箱根や江ノ島を目指した経験もある。その都度、西武線とは違うシロにブルーのラインをしめた通勤電車が走る姿にも魅了された。

 ここでは我が家にある小田急通勤電車の模型を通じて、これら小田急線の通勤電車の魅力を伝えていきたい。ここでは電車は古い順に解説していこう。

2.2200形・2220形

高性能電車第一世代の名車
  小田急電鉄で高性能電車と言えば、SE車3000形を思い浮かべる方も多いだろう。だが通勤電車ではそれ以前から高性能電車が完成し、多くの通勤客に愛用されていた。これが小田急電鉄で最初の高性能通勤電車である2200形/2220形である。
 1950年代になると国鉄・私鉄問わず高性能通勤電車の開発がスタートしていた。この中でも小田急電鉄などは開発をリードする側にあり、1954年夏にはこの2200形をデビューさせている。1954年と言えば、地元の西武電車が同じ年に完成させた351系なんか、戦災国電の足回りを利用した旧性能電車、高性能電車の登場なんてまだまだ先の話だった時代だ。
 2200形は典型的な第一世代高性能通勤電車、2両1ユニットの全電動車方式を採用している。正面デザインは当時流行の正面二枚窓「湘南スタイル」であるが、デザインの元となった国鉄80系とは違い後退角は付けられていない。編成は2両編成で、2本繋いで4連などでも使用されていたようだ。
 1958年にモデルチェンジを行い、2220形と形式も変更となる。前面デザインが「小田急顔」といえる正面貫通スタイルに変更となり、編成も4両に伸ばされ中間車にはトイレもついていたという。その後、後述する2400形が登場すると2220形は2両編成に改造されて同時にトイレも撤去、増結用に回されることになる。
 その後、2200形を元にSE車登場までの「つなぎ」の特急車2300形、準特急として観光輸送に対応したセミクロスシートの2320形とシリーズ展開して行くことになる。これら2300番台の形式も後に2320形と同じ正面貫通デザイン+2両編成の通勤電車に改造されて、1970〜1980年代の小田急通勤電車の一勢力を確保する。
 だが17メートル車体に全電動車という効率の悪さもあり、旧性能電車(車体更新車を除く)の淘汰が終わった翌年の1982年から淘汰が始まる。末期は多摩線の折り返し電車に集められ、私も小田急線で最後にこの電車に乗ったのは多摩線だ。
 1984年までに全車引退、一部の車両は富士急行と新潟交通に払い下げられた。私は1992年に富士急行で2220形に乗っている。富士急行は後に京王5000系の導入で旧小田急車を一掃し、新潟交通は路線の廃止により、小田急から購入した2200形や2220形を引退させることになる。

 さて、模型の方だがかつてはグリーンマックスの京急1000形キットに前面パーツが付属し、京急1000形を改造して無理矢理作るという方式から始まっている。後にグリーンマックスが本形式のキットを発売、時代による扉の変化などを再現できるよう扉が別パーツになっているなど特徴のあるキットだったが、私は欲しかったけどこれに手を出すことはなかった。
 2006年、当時立ち上がったばかりのトミーテック「鉄道コレクション」シリーズの第三弾に、この小田急2200形がラインナップされた。同時に新潟交通の2220形もラインナップされたが、これは小田急から譲渡された当時の姿とされたため社紋など無視すればそのまま小田急2220形になるというものであった。
 我が家でも小田急2200形2両と新潟交通2220形2両を手に入れ、2200形2両+2220形2両とした。同時に走行化を行い、2200形のパンタ無し車を動力車とした。連結器は全てTNカプラーにした。
 我が家ではこの車両を、80年代のあの頃を思い出すアイテムとして2400形とセットで走らせる事が多い。この4両だけだと思い出すのはやっぱり多摩線だなー。
カーブを行く2200形
小田急らしくない正面二枚窓と真ん中の方向幕、「顔」みたいなデザインだ。
同じく2220形
こちらは典型的な「小田急顔」、銀河パーツの手すりを取り付けた。
5000形と並ぶ2200形
この顔が来ると「編成が短い」と思ってホームの中程へ…。
5000形と並ぶ2220形
2220形の方向幕周りの違いも上手く再現している。
2220形と2400形の連結部
この手すりの接近具合がいいんだ!
鉄橋を渡る2200形
なんか四十八瀬川、というよりローカル私鉄に見える…。

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