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西武新宿線
赤電のページ

 私が中学生に上がる頃まで、西武新宿線には黄色い電車でけでなく赤い旧型電車の活躍が見られた。ここで私が模型で再現している赤い電車…しかも私の記憶にあるその末期の姿をご覧に入れよう。

451系
私が小さい頃の西武新宿線
 451系は1959年に登場した通勤電車であるが、当時の大手私鉄は高性能電車の時代であったにもかかわらず、吊り掛け駆動の旧型電車として登場した。だが車体は国鉄101系を手本とした正面3枚窓スタイル、両開き扉などを採用した近代的な物で、この時代の西武鉄道の「顔」となった車両だ。
 私が西武新宿線沿線に越してきた1977年、西武新宿線はこの451系であふれかえっていた。本線用基本編成の4連や6連、それに増結用の2連など様々な編成が様々な組み合わせで走っていた記憶が残っている。だがそこから少しずつ数を減らしていったのが、私の451系の記憶である。
 その私の451系の記憶で最も強く残っているのは、西武新宿線の車両のことを理解できてきた小学校高学年以降、451系が新宿線で最後の活躍をしていた頃である。残された編成の殆どが2連で、これを組み合わせての限られた運用(特に国分寺線などの支線区)に就いていた時代だ。一部には相棒が中間車を701系に召し上げられた601系先頭車となった物もいた。休日には4両で行楽臨と呼ばれる快速急行運用に就いていた記憶は印象的だ。
 この車両の模型は、1980年代からグリーンマックス製の板キットがあった。これを作って451系を再現しようと実は購入してあるのだが、作る暇がなくて後回しにしている間に月日が流れてしまっていた。そんなこんなの2008年、トミーテックの「鉄道コレクション」シリーズで451系が完成品として登場した。これで2×2の4連を組もうと購入したら、クハの1箱はシークレットのクハ1651(元601系)が出てきてビックリした。この4両に走行化などの加工をして走れるように整備した物だ。
 この451系も私が気に入っている模型の一つで、たまに編成を組んでは走らせている。現在は後述の551系の増結用として6連を組んで楽しんだりしている。だんだん80年代の西武新宿線が充実してきて嬉しい限りだ。
後述する551系と451形用のクハ1651(手前)を並べてみた
このクハ1651は製品ままだとワイパーがエラーなので修正してある
レイアウトの川を渡る
この角度で見ると451系の特徴が上手く出るなぁ
6連の先頭に立つ451系
子供の頃によく見た光景だ

351系
「多摩湖線の主」351系
平成の世まで生きた最後の「赤電」
 1954年に西武所沢工場が送り出した名車として有名な車両だ。正面2枚窓に平滑な車体側面というスタイルは当時最先端の電車スタイルであったことはあちらこちらで語られている。だが手堅い西武はこの電車を当時開発が始まっていた高性能電車とはせず、戦災国電などのパーツを使用した旧型電車として作った。
 もちろん、ここで語るべきはその351系の末期の姿だ。1980年代までの多摩湖線国分寺駅は敷地に余裕がなく、ホーム長さが50メートル程度しかとれなかった。かといって2連では輸送力が足りず、輸送力確保のためにギリギリまで列車編成を伸ばすために17メートル車3連で運用されることになったのだ。その17メートル車3連として選ばれたのが、351系と17メートル級旧型国電に端を発する311系改造のサハ車の編成であった。この3連が組まれたことで351系は多摩湖線に封じ込められ、ここで昭和が終わり平成という時代を迎えて長生きすることになったのだ。
 この時代の351系が2009年に「鉄道コレクション」シリーズとして発売された。私もこれを購入してすぐに走行化の整備をして我が家のラインナップに加えたのだ。動力は中間のサハ車に入れ、行き先は多摩湖線の一大ジャンクションである「萩山」を差した。他編成との併結を考えないので、先頭部のTNカプラーへの改造は省略した。こうして多摩湖線で最後まで生きながらえた「赤電」を再現したのだ。
 1990年6月、多摩湖線国分寺駅の移転改良により20メートル車4両の入線が可能となったことで、351系はその役目を終える。351系の引退は当時の西武鉄道では異例の1週間に及ぶ引退イベント運行が行われ、多くの人々がこの最後の「赤電」を見送った。そしてその最後まで活躍した351系のうち1両は、西武鉄道の手で保存されている(ちなみに別のもう1両が石神井公園近くに住む医師に引き去られ自宅の庭に保存していたが、現在は解体されたとのことである)。
 3両という手頃の編成もあって、私はこの351系をたまに出してはあの頃を思い出している。「赤電」では唯一、新2000系と並んだんだぞー。
後述する551系と並べた
気分は萩山駅だ
レイアウトの名所の橋を渡る
サハ車の動力が目立つなぁ

551系
待ちに待った551系
洗練された正面2枚窓スタイルが好きだった
 私が西武の「赤電」と呼ばれる車両で最も美しいと思っている車両は、ここで紹介する551系である。
 前述の451系の後継形式として1961年に登場した。基本的には451系と同じであるが、編成を4連で両先頭車が動力車となるようにしたことが大きく違う。他にも細かい設計変更はあるものの、最も最大の違いは前面デザインを3枚窓スタイルから2枚窓スタイルに戻したことだ。そのスタイルも351系や旧501系のようにそのまま引き継いだのでなく、中間の柱を細くして窓を大きく取るなど洗練されたデザインに改良されている。子供の時、電車の形式などあまり知らなかった時代でも最も好きな顔は551系のこの顔であった。これに純正の4両編成を組むと均整が取れていて本当に美しいと思ったものだ。
 もちろん、この551系もいつかは模型で再現したいと考えていた。グリーンマックスの451系キットから改造して作ろうとしたが、乗務員室扉周りの再現が難しくどうしたもんかと悩んでいたのも事実。そんな折りに前述の451系が「鉄道コレクション」として発売され、そのシークレットとして551系と同じ車体のクハ1651がラインナップされる。こうなると「鉄道コレクションから551系が出るのは時間の問題」と、西武ファンなら誰でも判断することだろう。「すぐに出るはず」と思いつつ451系発売から6年を経た2014年、やっと「鉄道コレクション」シリーズから551系発売の報せが入った。もちろんこれは有無を問わさず購入することになる。
 だが551系セットの内容は私が欲しい551系とは違った。「鉄道コレクション」の551系は末期の末期、多摩川線で601系先頭車クハ1651と2連を組んだ姿であった。私が再現したい551系はサハ車2両を中間に挟んだ4両編成であり、早速「鉄道コレクション」の2連の551系をどうやって4連にするか悩むことになった。
 そこで決まった改造計画はこうだ、私は後に551系を作る際の台車確保用として、2010年に「鉄道コレクション」シリーズで発売された571系を4両分(2箱)購入してあった。これは台車が欲しいだけで買ったので何も使っていなかったので、このセットのクハを実物と逆にサハに改造することを思いついたのだ。その手順はクハ1571の運転台を切り取り、そこにクモハ571の非運転側車端部を切り出した車体を取り付けるという「ニコイチ」改造であった。こうして現在入手困難な571系が、我が家では何の未練もなく車体を切り刻まれることになったのである。
 2015年正月休みにこの車体工事を完了、だが予算の都合で走行化などの整備は後回しになっていた。動力や車輪を購入する予算がついたのはこの夏、やっと走れるように改造して子供の頃の私を魅了した551系4連が我が家の模型にラインナップされた。
 もちろん、再現した時代設定は551系4連の末期の姿である。先頭をTNカプラーに変えて前述の451系と併結出来るようにしてある。ただ、まだ行き先が多摩川線のままであり次の改造点はここの予定だ。まずどうやって印刷済みの行き先を消すかだ。
 しかし、この4連を眺めていると551系の最期の姿を思い出す。玉川上水駅の片隅で「お昼寝」していたあの姿や、車両不足の時に「行楽臨」の快速急行運用に就いた姿を思い出すのだ。
 そしてもう一つ、この改造で今度はクハ1651が2両余ってしまった。こいつをどう料理するか考えなきゃなぁ。
551系4連の端正な姿
この車両は4連でこそと思う
レイアウトの名所を行く
実物も秩父の山から副都心までどんな風景にも溶け込んでいた
切り接ぎ改造で自作のサハ1551
切り接ぎ部分を工夫して塗装を省略した「お手軽改造」
あとはナンバーの書き換えだけだ
2008年発売の451系と繋いでみた
「鉄コレ」6年の進化をご覧あれ

・2015年12月19日追加写真
 印刷済みの行き先表示を変更しました。
551系前面の行き先表示を変更しました。
既製の印刷済みの行き先の上に、自作のステッカーを貼りました
これで多摩川線でなくなった
ちょっとボケた写真だけど、上石神井行きになった。

601系
待ちに待った551系から601系を作った
これが西武鉄道最初の高性能電車!
 前述の551系を改造で作った際、セットに入っていたクハ1651が2両余った旨は書いた通りである。この余ったクハ1651の有効活用法を検討した結果、やはり601系を作るのが良いと判断して作ったのが今回使用回する模型だ。
 601系は551系に引き続いて、1962年に西武鉄道に登場した電車である。車体は551系とほぼ同じだが、601系では始めてカルダン駆動などの当時の新技術を導入した「高性能電車」となった。「高性能電車」き各私鉄で1950年代に出そろっていたことを考えると、西武鉄道での登場は遅かったと言わざるを得ない。しかも独自技術はほとんどなく、国鉄との取引でその技術を転用したものであった。走り装置は高性能であったが、ブレーキを551系以前の旧型電車に合わせたことで旧型車と混用できるのが特徴であった。よってブレーキ面は旧性能、台車も先頭車は旧型車から流用のイコライザ台車で、高性能になりきれなかった高性能電車として知られる。
 601系は4両編成が7本作られ、主に新宿線で活躍したと記録されている。私の1977年以降の記憶にも、上石神井駅に出入りする601系の記憶はハッキリ残っている。551系と同じ顔なのに先頭にパンタグラフがないとか、551系と違い静かな音で発車(ツリカケではない)するなど、その違いには気付いていた。小学校中学年頃になるとそれが601系という別形式であることを知るが、その頃には601系は池袋線へ転属して新宿線から姿を消していたことを知るのは後になってからだ。
 601系は1975年以降は編成を解かれて散り散りになる。
 中間車は冷房改造とブレーキの高性能化がされて、701系の6両編成化用に召し上げられてしまった。701系の一員として新宿線で活躍し、701系に合わせて1988年から淘汰が始まる。最後まで701系中間車として残った601系は、モハ701-13・モハ701-14(旧モハ613・モハ614)で、1992年夏に廃車となった。この中間車を最後に追いかけた記憶はハッキリ覚えている。
 余った先頭車は貫通扉などの改造を行って、クハ1651と形式変更して451系の老朽化クハの置き換えに転用される。その後、551系2連化のためのクハに転用され、551系と組んで主に多摩川線で活躍。1988年まで西武鉄道で活躍してから、さらに地方私鉄に売却されて中でも総武流山電鉄へ渡った車両は21世紀初頭まで長生きした。

 模型の方は601系として出たものはない。グリーンマックスの451系を改造すれば作れる程度のものであった。601系としての初登場は、2008年の「鉄道コレクション」第7弾のシークレットとしてクハ1651がラインナップされたのが初めてだ。これも入手して451系と編成を組んでいるのは、451系の欄で前述した通りだ。
 そして去年の「鉄道コレクション」551系発売、これはクモハ551とクハ1651の2両編成で、551系の欄で書いた通り我が家では551系を4連化し、クハ1651が余る格好となった。
 そこで今年の夏、この551系セットを2箱追加購入。今度はクモハ551系を中間車化する改造を行った。パンタ付き車の屋根はサハ1551のタネ車になって消えたクモハ571の屋根を改造転用、パンタ無し車の屋根と先頭車の台車は「鉄道コレクション」第7弾の三岐鉄道の車両から転用、動力は「鉄道コレクション」動力の「TM08-R」にDT21台車グレーの台車枠があるのでこれをこのまま利用、非動力車の中間車台車はグリーンマックスのDT21台車グレーに「鉄道コレクション」用走行用車輪を履かせて使用…と、551系の時よりも改造は多岐にわたった。同時に車輪やカプラーなどを走行対応に整備して、この12月に完成して「ファインクラフト」で試運転した。
 601系は551系と同じようにも見えるが、先頭パンタの有無などからまた表情が違って面白い。601系の顔も551系とほぼ同じなので、子供の頃好きだったことを思い出しつつ、この模型も大事にしたい。
601系4連の編成写真
確かに高性能電車らしい編成だが、先頭台車が…
改造した中間車
西武で最初の高性能電車、国電ファンは台車を見て「どこかで見たような…」と。
駅ホーム視点で見る
我が家の西武線だから行き先は「上石神井」、
印刷済みの行き先に自作ステッカーを上貼り。
カーブを行く
上から見るとおでこの継ぎが痛いなぁ。
パンタがないと余計に目立つから、601系では悲しい。
西武鉄道最初の高性能電車
「お手軽改造」でここまで出来たのは、「鉄道コレクション」のおかげ

701系(赤電)
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