東北・北海道方面1.JR北海道キハ400系・急行「宗谷」(マイクロエース・カトー製Nゲージ)
学生時代最後の北海道旅行


酷寒の中を走るキハ400(写真はもっと最近のものだが)

1.キハ400について
2.私とキハ400
3.模型について
4.自由席を増結


 同じ形式なのに模型は違う列車名で出てしまう、以前はなかったが最近こんなケースが増えてきた
 特に最近、マイクロエースが進出してからそんな例が多くなった。ある車輌が出ても自分が再現したい時代や編成、列車名など僅かにズレが生じる。すると欲しい車輌でも購入を悩む事になる。
 これから紹介する私のキハ400系もそんな模型のひとつだ。でも私の「どうしてもこの時代のこの列車を再現したい」という執念と、発売された模型側の「商品」を見ているともう私が欲しい時代設定と編成内容まで同じで列車名だけが違うのはいいがその私が欲しい列車名での商品は出ないと断定出来るだけの材料が揃っていたこと。この2点が今回ムリヤリ製品とは違う列車に仕立てる決断となった。
 さらに発売された時期が悪く、再現するにも予算的な問題がある。なるべく手持ちのものを再利用してリーズナブルにその列車の雰囲気を掴もうという努力もしているのでそれも合わせて紹介したい。

1.キハ400について

 キハ400とは1988年秋から2000年春まで宗谷本線を走った急行用気動車である。

 1988年の札幌駅高架化完成のダイヤ改正の時に、スピードアップ・接客体質改善・コスト削減の一石三鳥(って言い方あるのか?)を狙ってそれまで客車で運行されていた宗谷本線の急行「宗谷」(その後の「サロベツ」)と「天北」(その後の「宗谷」)を気動車化することになった。ところが当時JR北海道の手持ちの気動車に定期急行運用に耐えられる気動車はかつての急行用キハ56系しかなく、これも当時の時代背景、つまり高速バスや航空機との競争という面を考えると接客面で問題がある上に老朽化が激しく、新規の気動車急行列車に採用しがたいとの結論になった。
 そこで目を向けられたのが一般型気動車である。当時地方交通線の廃止や列車の単行化などで一般型気動車は余剰気味だった。そこでJR北海道は当時は比較的新しい部類であった一般型気動車キハ40系を急行用に改造して宗谷本線急行に投入する事となった。


一般型キハ40系(左)と急行用に改造されたキハ400系(右)

 こうして1988年11月ダイヤ改正までに13両のキハ40系が急行用に改造され、キハ400・キハ480という新しい形式名をもらった。これがキハ400系である。
 改造内容は、一般用にボックスシートだった座席を特急用と同じリクライニングシートに交換、洗面台の整備、冷房装置の取り付けと冷房用発電機の設置、走行用エンジンを強馬力のものに交換というのが主な所である。そして朱色一色の塗装もグレーを基調にした重厚な色に改められ、まるで別の車輌のようになった。余談ではあるが当時、一般型気動車が余剰気味と言っても単行用の馬力の強い一般型気動車は逆に不足していた。そこで同時にエンジンだけをキハ400系と同じものに交換し、車体や車内はそのままで一般型となったキハ40が1両だけ存在した。朱色一色の塗装のまま宗谷北線で活躍し、急行「利尻」の増結車として大きなヘッドマークを掲げて急行運用にも入ったことがある。

 こうして1988年11月にデビューしたキハ400系による宗谷本線の気動車急行は、客車に比べて大幅なスピードアップと接客設備の向上、そして機関車付け替えが不要となったために運用効率も上がってコスト削減にも役だった。
 翌1989年春に音威子府〜南稚内間でオホーツク海側を経由していた天北線が廃止になった。同時にキハ400系天北線経由の急行「天北」が宗谷本線経由の「宗谷」に統合され、急行「宗谷」は2往復体勢となる。キハ400系による急行「天北」は僅か半年の運転であった。この辺りは今回の記事のキーポイントになる。

 90年代にはいるとJR北海道では客車で運行されている夜行急行の気動車化を検討するようになった。そして1991年3月改正で札幌〜稚内間の夜行急行「利尻」が気動車化される事になり、これにもキハ400系が投入される事となった。キハ400は夜になると寝台客車を中間に挟み込んで夜行列車としても活躍するようになった。

 1992年夏のダイヤ改正では千歳空港ターミナルビルの移転を機に大規模なダイヤ改正が行われた。この時に急行「宗谷」2往復のうち、昔から「宗谷」を名乗っていた2号(稚内早朝発)と3号(札幌夕方発)が「サロベツ」と名を改める事になった。かつては「天北」だった1号(札幌午前発)と4号(稚内午後発)が「宗谷」の名で残る事になる。

 1997年年末に車輌運用上のひとつの転機を迎える。国鉄時代から活躍していたお座敷気動車の老朽化に伴い、その代替となるお座敷気動車が計画された。JR北海道は単行運転が可能な事などを理由にキハ400を新お座敷気動車へ改造する事となり、3両が宗谷本線に別れを告げてお座敷気動車に改造された。
 その代わりに「スーパー北斗」「スーパーおおぞら」の投入で余剰気味のキハ183系気動車の中間車が3両宗谷本線にやってきた。キハ400系と同じ色になり、キハ400系連結対応改造とキハ400系用の冷房電源を搭載して宗谷本線急行の中間に組み込まれた。この183系の転用はピンチヒッターとしての位置づけで改造も最小限、発電装置などは市販のものを使った。

 そして同じ頃には宗谷本線の高速化事業がスタートしていた。宗谷本線に高速特急を走らせる計画で、これがキハ400系の急行を廃止に追い込むことになる。工事は順調に完了し、2000年3月ダイヤ改正で急行「宗谷」とキハ54系の急行「礼文」は新型特急による「スーパー宗谷」に置き換えられた。急行「サロベツ」と夜行の「利尻」は在来のキハ183系による特急に置き換えられ、宗谷本線からキハ400系の急行は11年半の活躍で姿を消した。
 余剰となったキハ400系は順次元の一般型気動車に再改造され、形式もキハ40系に戻って、現在も札幌近郊の通勤輸送に活躍している。

2.私とキハ400

 私は高校時代から20代前半にかけて何度も北海道旅行へ行っていた。その中で気に入った街のひとつに稚内がある。この稚内への足として宗谷本線の急行を利用する事が多かった。
 特にキハ400系が登場したばかりで、私にとって始めての乗車となった高校時代最後の北海道旅行(1988年末〜1989年始)で急行宗谷をめぐる印象深い思い出がある。その時以来、宗谷本線の急行を模型で再現するならこの時代の「宗谷」がいいと決めていた(詳しくはここをクリック)。
 その後も1990年夏に行った2週間に及ぶ北海道旅行ではキハ400系で宗谷本線を行ったり来たりした。1992年夏の日本一周旅行では夜行の「利尻」でお世話になった。1995年夏の深名線惜別旅行では、夕刻の名寄から「サロベツ」で北へ向かい、深夜の豊富で下車して上りの「利尻」に乗り換えて深川まで寝るという「宿代わり」としてキハ400系を使った。
 最後にキハ400系に乗ったのは1998年1月の北海道旅行。妻と「いい夫婦の日きっぷ」で北海道を回った。往路に使った「利尻」は寝台車を利用したが、復路に乗った「サロベツ」ではキハ400系の自由席車で名寄までの旅を楽しんだ。その時は宗谷本線急行への乗車がこれが最後になるとは思わずに、暖冬で雪の少ないサロベツ原野の景色を楽しんだ。
 次に北海道を訪れたのは2001年3月、既に宗谷本線の急行は過去のものとなっており、私は特急「スーパー宗谷」の客となっていた。思い出したのはやはりキハ400系の勇姿であった。
 特に冬の雪化粧したキハ400系による力強い走りは今でも忘れない。重厚なカラーリングが雪景色に見事にマッチし、厳寒の中で心強い存在にも見えた。私はそんなキハ400が大好きだった。


雪煙を上げて宗谷本線を爆走するキハ400系「サロベツ」


3.模型について

 Nゲージキハ400系の模型については、数年前まではカトー製のキハ40系を改造するしか手はなかった。これに挑みたかったが、台車がどうにもならないという難点が見送った記憶がある。
 2001年秋、破竹の商品展開で勢いをつけ始めたマイクロエースからキハ400系がリリースされる。私もこれを手に入れたかったが、出張が多かった時期でもあって発売日近辺に仕事で九州や北海道を回っていた。その上このキハ400系は生産数が少なかったせいもあって足が早く、あっという間に店頭から姿が消えた。出張中の私が模型屋を訪ねる暇もなく、マイクロエースのキハ400系初回生産分については店で売られているのを見た事がないまま、手に入れる事が出来なかった。

 しかし、この初回については「不満」もあった。
 細かい仕様が私が欲しいキハ400系と違う事である。この時セットされた編成はキハ400系末期の「利尻」であって、キハ183系中間車や14系寝台客車も入っている。キハ400の両数が足りず、自分が作りたい編成が出来ない。
 しかも、末期仕様なので側面のエンブレムをはじめとする形状が私が欲しいキハ400とかなり違っていた。それでも改造すれば何とかなると考えたし、何よりも他にキハ400系が出ていないことを考えると手に出来なかったのが非常に悔しかった。
 ただ、このキハ400。仕上がりに難があってツッコミどころ満載という噂も聞いていた。ネットでも某巨大掲示板で「ポリバケツ」と称されるなどさんざんな言われ方であった。詳細は後述する。

 そして、今年の春になってマイクロエースからキハ400系の再生産が予告された。無論これを逃す手はないと考えた。例えポリバケツ呼ばわりされている模型でもいい、あの高校時代最後の北海道旅行を思い出せればそれでいい、雰囲気が出ていればいいんだと思った。
 情報を収集するにつれ、キハ400系再販の詳細が分かってきた。ひとつは1998年に登場したお座敷列車であり、こちらには全く思い入れはないので無視する事ができた。同時発売が急行「天北」4両セットと宣伝されていた。もうこの文句だけで購入決定である、間違いなくキハ400初期の姿…最初の赤いエンブレムに天北線対策のタブレットキャッチャー等を装備した最初の姿で出てくる。私がキハ400系で模型にしたいのは「天北」があった頃の「宗谷」である、「天北」仕様なら間違いなく私が欲しいキハ400となるはずである。
 ただ大問題があった。わざわざ「天北」セットとうたっているということは「宗谷」にならないのか?と言う疑問である。事実どちらにも出来るのであれば「天北」「宗谷」セットとすればいい。初回時もそうであったようにヘッドマークやサボ類が「天北」用のものしか入らないという事が想像された。しかしどう考えても同じ仕様で「宗谷」として後日再販される可能性はほぼゼロと考えられた。従って購入は決意したものの、「天北」として作られたものを「宗谷」に改装する必要が生じるのである。だが「宗谷」のヘッドマークくらいセットしてくれると一縷の望みをかけ、まずは買って箱を開けてから検討する事になった。

 さらに、年末年始の繁忙期輸送の姿を再現しなければならない。そうするとキハ400系基本編成に増結用のキハ56系を増結したシーンにしなければならない。基本の4両に増結車を付けた6両編成にしなければ「あの時」は再現出来ないのである。取り敢えず増結のキハ56系については製品を手にしてグレードを見ない事にはどのメーカーの車輌にするかも決められない、と言う事で事前には改造などはしなかった。


繁忙期に増結されたキハ56系、奥にキハ400系も見える

 9月中旬、ついに再販のキハ400系が店頭に並んだ。早速立川の行きつけの模型屋さんで購入、実際に家で並べて色々見てみる事にした。
 まず箱を開けて愕然としたのは「天北セット」の名の通り、ヘッドマークは「天北」しかセットされていなかった事である。車体その物は「天北」なのだから私が再現したい「昭和63年末」の姿になっている。ところがヘッドマークだけがどうしても「その姿」に出来ない、ヘッドマークを省略したら「天北」でも「宗谷」でもなく「ちとせ」になってしまう(笑)。
 という訳で購入した日は箱から出さず、翌日改めてパーツ類の品揃えが良い立川の別の店に行ってみた。「宗谷」のヘッドマークが何処からか出ているのでないか?と期待したのである。ステッカー類のコーナーを見ると労せず「宗谷」のヘッドマークを発見した。グリーンマックスが90年代初頭に当時の話題の列車のヘッドマークやサボをステッカーにして発売した「スペシャルステッカー」に宗谷本線急行列車全てのヘッドマークがセットされていたのである。しかも1枚200円というリーズナブルな価格でヘッドマークは2枚入っていた。迷わずこれを買い、家に帰って我が家のキハ400系の顔に付けてみた。ヘッドマークはまず大雑把に切り出した後パーツ類が入っていた塩ビケースに貼り付け、塩ビケースごと丸くきりだしたものを両面テープで貼り付けた。宗谷本線気動車急行のヘッドマークはかなり薄い、機関車に付くようなマンホールのように分厚いヘッドマークではイメージを損ねると判断したのだ。
 同時に各車にトミックスのボディーマウントタイプのTNカプラーを取り付け、正面連結器廻りのディティールアップを行った。


マイクロエースのキハ400系「天北」にグリーンマックスの「宗谷」のヘッドマークを付けた


車輌全体の印象…鬱だ氏のう(思わず某掲示板用語)

 模型の出来は…もう見ての通りである。一瞬買ったのを後悔したほどだ。しかしキットに頼らず気楽にキハ400系をNゲージで再現しようとするとこれしか手がないのだから仕方がない、「あの時」を思い出させてくれるのは間違いないから。
 具体的に何がおかしいか言うと、側面の窓やドアの配置が絶対的におかしいのである。戸袋にあたる部分に平気で窓があったりするから。窓のサイズが少し大きいのか?
 しかし、この出来の悪さが私にある「決断」をさせて、今回の「宗谷」編成を作るために必要な「予算削減」というテーマに大きく貢献する事になる。
 まぁマイクロエースがNゲージに本格再参入を開始して初期の作品でもあるので取り敢えず許す事にする、その後出てきた製品はクオリティは高く、私が手にしたマイクロエース製品ではJR北海道キハ281系・JR九州783系・JR東日本715系の三品については文句の付けようが無く、順調に成長している事を伺わせてくれるからだ。


側面のエンブレム、私にとってのキハ400系はこのマークですよ!

 時代考証は間違いなく私が欲していたキハ400系である。目立つところでは機器室横に付いている赤いエンブレム、「宗谷」「天北」の共通ロゴで1年としないうちに「天北」の廃止で「TENPOKU」の文字が削られてバランスの悪いマークに代わってしまい、1991年の「利尻」運用進出を機に新しいデザインのものに変更、それも1年ちょっとで「サロベツ」の文字をムリヤリ入れられてまたバランスの悪いマークになってしまった。
 私は最初のマークがデザイン的に優れていて好きだった、模型でキハ400系を再現するなら絶対にこの時代の姿と思ったのはこのマークにも理由がある。他も天北線対策のタブレットキャッチャーなどキハ400系登場時の姿を的確に再現している。
 ここまでやられると多少出来が悪くても我慢するしかない。そして今後同仕様が「宗谷」として発売される事もないと判断、他社製ヘッドマークを用意してムリヤリ「宗谷」にする決断も出来たのである。


4.自由席を増結

 さて、模型の出来や仕様が判明した事で次のテーマは「季節増結のキハ56系」になる。
 キハ56系はトミックスから発売されているが、動力抜きでも1両4000円近くするため必要数の2両買うとなると確実に予算オーバーとなる。カトーからも限定品で「キハ56タイプ」というのが発売されたことがあって、これが我が家の鉄道では過剰配置になっている。ただこの「キハ56タイプ」はあくまでも「タイプ」でしかなく、元々カトーが製品として出していた本州仕様の「キハ58」に若干の手を加えてそれらしく見えるようにしただけである。キハ58とキハ56の最大の違いである「側面客用窓の大きさの違い」は再現されていない。
 当初は妻に頭を下げてなんとか8000円を捻出するつもりであったが、マイクロエースのキハ400系を実際に見て、その一部の出来の悪さを見てふっと思った…キハ400系の出来がこの程度なら、増結のキハ56も「タイプ」で充分ではないか?

 異メーカー混合で1つの編成を作る時、一番問題になるのはクオリティを一定レベルに合わせる事である。トミックスのキハ56系は自ら「HG(ハイグレード)仕様」とうたっているだけに仕上がりのクオリティは高く(価格もHGだが)、他のカトーやマイクロエースのキハ58系やキハ40系と混結すると妙に浮いてしまうという話もある。今回、「宗谷」増結にトミックスのキハ56を選べば、編成とした時にそこだけ妙に浮いてしまい、主役のキハ400系より増結でいわばおまけのキハ56の方が目立ってしまう恐れがある。クオリティを合わせるというのはそれを防ぐ事である。
 このような考えのもと、私は「宗谷」増結車はカトーの「キハ56タイプ」にするべきとの結論を出した。これで基本編成と増結編成の仕上がりのバランスがちょうどいいと判断したのだ。
 しかも「キハ56タイプ」なら前述したとおり、私は必要以上の数を持っている。販売された当時、何か使い道があるだろうと1箱(2両セット)あれば充分なのに3箱も買ってしまったのだ。ちなみにうち1箱分は実物通りの改造をして「ニコイチ」でキハ53−500(キハ56系の単行車)にした。私の中ではキハ56系はせいぜい2両だから、自分のこだわりの列車にするなら1箱で充分、従って1箱は余っているのだ。
 そこで増結車もその手持ちの「キハ56タイプ」を小加工して使う事にした。これで予算的には大幅に助かる事になった。

 だが、ここでまた問題にぶち当たる。
 「キハ56タイプ」のセット内容はエンジン2台タイプのキハ56(タイプ)と、エンジン1台タイプのキハ27(タイプ)が1両ずつ入った2両セットである。急行「宗谷」の増結車はエンジン2台タイプのキハ56で統一されており、キハ27が連結される事はない。つまりどうしてもキハ56が1両足りないのである。
 しかもキハ56にはもれなく動力が付いている。今回はキハ56は「増結車」としてしか使わないので、動力はない方がいい。この辺りの問題がどうしても頭の中では解決せず、取り敢えず私は棚から余っている「キハ56タイプ」を引っ張り出してきた。

 悩みながら車体を見ていると、あるひとつの事を思い出した。
 それはカトーのキハ58は、2台エンジンのキハ58も1大エンジンのキハ28も車体は全く共通という事実である。つまりどっちにしても車体はキハ58に合わせて作ってあって、細かい違いを無視して車体をそのままキハ28に流用しているのである。つまりキハ58の2台エンジンの床下と屋根の手当が付けば、簡単にキハ28をキハ58に改造出来るのである。それは北海道仕様の「キハ56タイプ」でも同じであった。
 手持ちのキハ58系で余剰はないかと探した、見つけたのはこれもなぜか1箱余計に買っていた限定品「キハ58東北色」である、しかもこれはキハ58ばかり2両のセットで、キハ28はない。

…ふと気が付くと、目の前に製品として存在しない「キハ28東北色」が1両出来上がり、「東北色」キハ58が1両とキハ56タイプが1両増えて、キハ27タイプが1両減っていた。
 内訳は「東北色」から2台エンジン仕様の床下機器板(動力無し)と屋根板を2両分捻出し、ひとつはそのままキハ27タイプの床板と屋根板を差し替えてキハ56タイプ非動力へ改造、もうひとつはキハ56タイプ動力車の非動力化に利用した。無論余った動力はキハ58「東北色」の床下に吸い込まれた。結果として我が家の「キハ56タイプ」はキハ56タイプの動力1両と非動力2両にキハ27タイプ1両の計4両に。「キハ58東北色」はキハ58動力車が3両とキハ28が1両の計4両と言う事になった。

急行「宗谷」増結車組成の課程で誕生した、我が家オリジナルの「キハ28東北色」!

 後はこうやって出来たキハ56増結車をマイクロエースのキハ400系に連結できるようにするだけである。キハ400系にボディマウントタイプのTNカプラーを付けたため、これに連結させるためついていたKATOカプラーを撤去して台車カプラー用のTNカプラーに換装した、KATOカプラーを小加工すれば密自連形TNカプラーとの連結は可能になるが、実際にやった事がないし走行安定性等性能面の情報が無いため、今回はこの方法を見送りにした。
 本当は車体マウントタイプのTNカプラーを付けたかったが、そのためには台車のカプラーポケットごと取り去らねばならず、キハ56タイプ最大の特徴の単線用スノープラウの取り付けが出来なくなってしまうので台車にTNカプラーを付けざるを得なかった。カプラーの車体マウント化はこれからの課題となる。
 最後にキハ400と同じ手法で、グリーンマックスの「宗谷」のヘッドマークを増結した時に編成端になる側のキハ56のみに取り付けた。ちなみに中間に入るキハ56はヘッドマーク省略しただけでなく、前照灯ユニットも取り外してある。「宗谷」増結以外への使用を考慮しないためである。


「宗谷」増結用仕様として完成したキハ56タイプ


キハ56タイプの前面をクローズアップ、正面だけは完全に「宗谷」である。


 以上が我が「石神井急行」に在籍する急行「宗谷」です。
 製品とは本来とは違う列車に仕上げるというひねくれた行為に、予算難による車輌のやりくり、これらをじっくり見て頂けたと思います。
 北海道や東北の模型は、基本的に「思い入れがあってその当時を再現する」ものでもあります。こんな課程で私にとっての急行「宗谷」が復活したのです。
 同時にはいじまの鉄道写真コーナー「はいじま写真館」でも宗谷本線急行列車を取り上げています。こちらもご覧になって頂ければ幸いです。

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