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2010年2月28日 東海道本線菊川駅近くにて

 500系「のぞみ」最終日、私は初めて東海道新幹線で著名な撮影地に足を運んで500系を撮ることにした。今まで新幹線の写真を撮るのは駅と相場が決まっていた。というのも新幹線では線路が防音壁や侵入防止柵に囲まれている上、そうでないところも目線の位置にLCXケーブルが通っているので、著名な撮影地でも構図に限界があるからだ。対して駅ならば色んな角度を選ぶことが出来る。
 私がやってきた場所は東海道本線菊川駅近く、茶畑の中を突っ切る東海道新幹線の写真で有名な場所だ。
 「雨か…」
 私は空を見て呟いてしまった。しかもチリで大地震があったせいで津波の恐れがあり、帰る時間を誤ると自宅に戻るのに名古屋経由という大迂回を強いられる可能性もあって心は晴れなかった。菊川で「のぞみ」6号を撮影したら浜名湖へ移動して「のぞみ」29号を撮るというプランを考えていたが、どうやらそれはやめた方が良さそうだと現地に着く頃には考えていた。

 やはり本命の500系が来る前に、色々と他の車両も押さえていた。
 もちろん300初期車はキチンと押さえた。本当はこの写真の上り列車だけでなく下りでも通っていたのだが…その写真は大失敗。
 だが下り列車の後部を追いかける事になったとはいえ、この写真は我ながら決まったと思う。そして300系初期車の美しさが最もよく表れている写真だと思う。
 300系初期車だと大騒ぎしてレンズを向けていたのは、この撮影地では私だけのようだ。次はこの車両を目当てにここに来ようかと思っている。
 ここまで700系の写真が1枚も無かったが、別にそれは嫌いだから撮っていなかったわけでなく、700系についてはどういう訳か上手く行った写真が少ないのが原因だ。
 かろうじて人にお見せできる今回撮った700系の写真はこれくらいしかない。ちなみにこれは700系の中でも初期車にあたる車両だ。
 もちろんN700系も撮っておかないと罰が当たる。
 この車両の特徴は新幹線としては珍しく、ヘッドライトが小さいこと。これはHIDによって小型化が可能になってデザインの自由度が増したことを意味している。空力性の上でもヘッドライトのレンズを入れる平滑部分を小さくできるのだから有利だ。
 500系の時刻が迫った頃には雨が上がった。
 そして500系「のぞみ」6号登場。
 最終日である今日は、500系の記念すべき第一編成で、かつ私が乗った回数が最も多いW1編成。
 1997年に日本で最初に300km/h営業運転を開始した記念すべき車両だ。しかも運行開始から数ヶ月にわたり1編成のみの予備車なしという状況で、一度も故障による運休を起こさなかったという名誉を持つ。
 W1編成の特徴は、先頭側面部の「JR500」と書かれている前の部分に丸い小さな窓があること。これは営業開始前の試運転時に、すれ違い実験用の光学センサが入っていた窓だと言われている。
 走り去る500系、その側面デザインはこれまでの東海道新幹線にはない斬新で、かつスピード感溢れるものだ。
 そしてこの先頭部は斜め後ろから見てもカッコイイ。
 前で撮影していた人の頭が悔しい写真だなぁ。先着の人だから「どいて」とは言えなかったし。
 この撮影地では、隣で撮影していた鉄道少年と仲良くなった。いや〜、「国鉄を知らない子供たち」だったよ、マジで。14系で寝泊まりした回数が数えられるなんて…世代の違いを感じた。向こうから見れば「北海道へ行くのに船に乗るのが当たり前だった」私の時代が信じられないのだろうけど。
 その少年は富士市の「富士山バック」の撮影地に行きたいが時間がないと悩んでいた。私も浜名湖が本命であったが、午後に津波警報が出れば東名道も国道一号も封鎖されて帰れなくなる可能性がある、だから折り返しの撮影では少しでも東京に近付きたいと考えていた。その中で今から間に合う撮影地点は…「富士山バック」しかない。そこでこの鉄道少年をインサイトの助手席に乗せて富士市へ急ぐことにした。もちろん急いだ理由は「のぞみ」29号の通過に間に合わせるというものもあったが、それより津波警報が出る前の通れるうちに由比付近の難所を通過してしまうという企みの方が、私にとっては大きかった。


2010年2月28日 静岡県富士市の「富士山バック」の撮影地

 さてここに無事到着したが、午前中の雨の影響が残っていて富士山が見えるわけがない。でも富士山は見えなくてもいい、ここには間違いなくLCXケーブルに遮られないポイントがあるのを雑誌などで見た写真で知っていた。間に合ったとはいえ時間的余裕もそれほどなく、前の列車による構図の確認が殆ど出来ていないまま通過予想時刻を迎えていた。
 この撮影地でも300系初期車の通過を1本見送った。まだカメラを構えてない段階で、慌てて追っかけて撮ったのがこの写真。
 だが300系初期車の特徴と美しさがよく分かる写真になったので気に入っている。
 そして私の前を最後に通ることになった500系「のぞみ」、W1編成「のぞみ」29号が来る。
 工事用の柵など邪魔な物が多く、時間がない撮影を悔やんだ。またカメラを上を向きすぎたのも失敗。私にとって最後の500系「のぞみ」はこんな失敗作で終わるのかとちょっと悔しくなった。
 その悔しさに負けずに最後の最後に望遠を効かせて振り返りの撮影をしてみた。
 LCXケーブルがかぶってしまったとはいえ、500系のかっこよさとその迫力を余すところなく伝える写真になって嬉しかった。
 またW1編成の特徴である、先頭部側面の小さな窓もキチンと写っている。最初のスピードホルダー、無故障記録、そして私が乗った回数が最も多い500系、こんな公的な記録にも私の記憶にも強く残るその1編成を、それとハッキリ分かる写真が残ったのは本当に嬉しい。

 こうして私と500系「のぞみ」の付き合いは全て終わった。今度は「こだま」として山陽区間で頑張る8両編成の500系も見に行きたい。
 近くの東海道本線の駅まで先の少年を送り、私は愛車を自宅へ向けて走らせた。やはり500系撮影中の数十分の間に東名道と国道1号は通行止めとなり、清水から向こうにいたら真っ直ぐ帰れないという事態に陥るところだった。だが帰宅してから知ったのだが、東海道本線もJR東日本区間で運転見合わせということではないか、あの鉄道少年は無事に家に帰れただろうか、帰ったら試験勉強をキチンとやるとの約束で親に出してもらえたという中学生である、心配なので心当たりの方がいたら是非ともご一報を。

エピローグ〜「記録にも記憶にも残る新幹線車両」〜

 1997年から13年にわたり東海道・山陽新幹線を走り続けた500系は、こうして檜舞台から降りていった。
 新幹線がフランスTGVから「世界最速営業列車」の称号を奪還した事実と、その印象的なデザインで常に新幹線のスーパースターでありここまでの道のりは栄光に満ちたものであったことは誰も否定しないであろう。後に新車である700系やN700系が出ても、やはり「のぞみ」号のイメージリーダーとして君臨し続けてきたのだ。

 こんな道のりを歩んできた500系の「老朽化」はやむを得ないとして、「陳腐化」は誰も思っていないことだ。登場から10年以上経ってもこのスタイルはまだ新車のように強烈で印象的である。500系は0系と同じく、「記録にも記憶にも残る」新幹線車両であり、これからもそうであり続けるだろう。
 ただし「技術的な陳腐化」は時代の流れの上ではやむを得ない。スピードに特化した500系とはいえ、東海道区間をN700系と同じ速度で走れる能力は持ち合わせていない。車体傾斜システムなどを用いてカーブで速度を上げるN700系による現在の車両技術と比べれば「直線番長」的な存在になってしまって、扉配置の違いなど旅客案内上の問題もあって東海道区間で扱いづらい車両になってしまう「時代の流れ」にはやはり500系といえども勝つことは出来なかった。
 この500系の「のぞみ」としての活躍と東海道区間からの撤退は、我々の記憶に強烈に残り忘れられることはないだろう。

…そして500系の歴史はまだ続く。
 今後は山陽区間において、スピードホルダーとしても翼を剥がされた(「こだま」格下げ改造と同時に300km/h走行可能な装備は失った)としても「こだま」号の速度と体質を改善する救世主としての活躍が期待される。その500系の「これから」を、これまでのスーパースターとしての活躍の記憶と重ね合わせて見守って行きたい。
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