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第31話 「峠へつづく道」
名台詞 「おいぼうず、結局お前は学校から逃げ出してきたんじゃろ? どうした? 誰かにいじめられたか? わしもお前くらいのときはよくいじめられた。学校へ行くのが嫌でしょっちゅうサボっていたもんだ。ああ、だが今は違うぞ、今は一人前の男だ。男はどんなに辛いことがあっても逃げ出してはいかんのだ。お前にも事情はあるじゃろうが、くよくよしても始まらんぞ。無理をしても男らしく勇気を持つこと、そうすりゃ何とかなる。」
(馬車の男)
名台詞度
★★★★★
 この欄に名もないキャラクターが出てくるのは初めてだ、しかもいきなり★を5つ。たった一度しか出てこないキャラクターがこんな名台詞を吐くのは、旅行系の物語を除けばあまりないのではないかな?
 この男は居眠りしたままのルシエンを乗せた馬車の御者だ。荷台に寝転ぶルシエンを見つけると、一度は叱るがあとは優しくルシエンに接し、昼食まで分けるのだ。そしてルシエンとの別れ際、この男はルシエンに何か辛いことがあるに違いないと察したのであろう、このような台詞でルシエンを勇気づける。
 この言葉は今回の再視聴で一番じ〜んと来た台詞だ。いや、涙出たよ。男なら何があっても逃げ出してはいけない、どんなときも胸を張って男らしくしていれば何とかなると言うことを再確認させてくれたし、この言葉の通りに実行しようと思ったけどその難しさも何度も味わってきた。今の私くらいの人生経験がある人ならばこの言葉に感じるところはたくさんあるはずで、現在の少年少女に聞かせたい台詞だ。
 この台詞にルシエンは明るく頷く。そう、一人で苦悩していても何も始まらないと分かったのだ。だからこそこの男と一度は別れるがまた後を追いかけて全てを打ち明けようと考えたのだろう。
名場面 ペギンとアンネット 名場面度
★★★★
 ルシエンを探すため学校の仲間達と森で待ち合わせたアンネット、だが森で友人達と合流できずに一人で森を彷徨うことになった。仲間達を探しながら森の中を歩くアンネットは滑って転びそうになったところを誰かに支えられる。誰かと思ったらペギンであった。
 ペギンは助けた相手がアンネットだと分かると、アンネットからルシエンのことを聞き出そうとする。ペギンは最近ルシエンが自分のところに姿を見せないこと、それと展覧会の日に会ったときのルシエンの様子がおかしかったことをアンネットに告げるのだ。その展覧会当日のルシエンの様子を聞いたアンネットは表情を曇らせる。
 ルシエンの馬が展覧会に出品する前に壊れてしまったことをアンネットが語ると、ペギンは心の底から残念がる。そしてアンネットに木彫りが壊れた理由を問うが、アンネットは必死になって知らないと誤魔化すのだ。そのアンネットの表情の変化を知ってか知らずかペギンは「それが分かればルシエンがなんでああなったのかがわかるのになぁ」と続ける、この時のアンネットの困惑した表情は秀逸だ。
 ペギンがルシエンの木彫りの出来の良さを誉め、心を込めて作ったとアンネットに語る。その上でその馬の木彫りを展覧会のために作ったのではなくアンネットとダニーのために作ったのだというルシエンの本心を言い切るのだ。さらにルシエンの償いの日々のことを語り続けるペギンの台詞を聞いて、アンネットは目に涙を浮かべて固まるのだ。
 ペギンとの出会いを通じて、アンネットはルシエンが木彫りの馬に込めた思いを知って驚愕する。そしてここまでただ「木彫りの馬を壊してルシエンの一等賞を自分が横取りした」という苦悩だけでなく、ルシエンのダニーや自分への償いの気持ちをぶち壊して仲直りする全ての道を自分が塞いでしまったという事実を知るのだ。そしてこの事実を知ったアンネットは、苦悩から償いへとコマを進める決心をする転換点であるのだ。
 だが立ち去るペギンに、アンネットは木彫りの馬を破壊したのは自分であると打ち明けようとしたが結局は言い出せず、求めるべき結論である「ルシエンとの仲直り」の宣言するに留めてしまった。結局これが原因で自分の罪をまた誰にも語ることが出来なくなり、アンネットはやはり償いへとコマを進めることが出来なくなってまた苦悩へと逆戻りするのである。そんなアンネットの揺れる気持ちを描いた重要なシーンだ。
  
今回の
アンネット
VS
ジャン
  
 授業中に今日もルシエンが休みだと語るジャンとアントン、その横で石版に何かを必死に書くアンネット。その様子を見たマリアンが石版を見せてもらおうとする。「何書いてるの? アンネット」「何でもないわ、ただの悪戯書きよ」その二人の様子に気がつくジャンだが、それに気付かずマリアンは続ける。「でも熱心に書いてたじゃない、見せてよ」「ダメよ、何でもないんだから」「気になるなぁ、見せてよ」「ダ〜メ」…そこへ伸びてきたのはジャンの手だった。「おっと」「えっ?」「なんだ、ルシエンの名前が書いてあるだけじゃないか」「返してよ、ジャン」「おい、アントン見てみろよ」「うわ〜っ」「返してよ!」席を立って石版を奪い返すアンネット。「どうしたのかねアンネット? いきなり大声を出したりして」思わず先生が声を上げる。「何でもありません先生どうもすみませーん」と憮然とした表情で棒読みで謝罪するアンネット。「どうしたんだね? ジャン」「あ、ちょっとふざけただけなんです。アンネットがあんなに怒るとは思ってなかったんです」…ジャンの言い訳に相変わらず憮然とするアンネット。先生の裁決が下る、「そうか、わかった。アンネットとジャンは明日までに38ページの文章を50回書き取りしてくること」「ええ〜っ? そんなに? ひどいよ先生」「それが嫌なら、授業中にふざけたりしないことだ」「は〜い」授業を続ける先生。「ごめんねアンネット。こんな事になるなんて思ってもみなかったの」このマリアンの一言で憮然とした表情のままであったアンネットは我に返り、表情を崩す「いいのよ、気にしないでマリアン」…そして石版に書いたルシエンの文字を見つめるのだ。
感想  ルシエンのショックは大きい。まずこれを感じさせる内容であるが、ルシエンが学校をサボった事で人の良い男と知り合い、男らしくいることの大切さを学ぶ。そしてそのまま家に帰らずに峠まで歩いてしまうのは、ルシエンの心の傷の大きさを物語ると共に、ルシエンが今の自分から脱しようとしていることも同時に描かれているように感じた。ここでルシエンは様々な困難に当たりつつもしっかり成長をしているのである。
 一方のアンネットは苦悩の度合いがどんどん増してくる。最初はルシエンの木彫りを壊しただけの苦悩だったが、それが一等賞を奪い取った苦悩へ、それを誰にも話せないことが苦悩を膨らまして行くことが描かれている。そう、苦悩なんて誰かに話してしまうだけで楽になれるということをここでは言いたいのであろう。そしてアンネットはルシエンが木彫りの馬に託した思いを知り、これにショックを受けることになるがとりあえず償いへとコマを進めようとするのだ。しかしアンネットはコマを進める決心とは裏腹に、それに必要な行動に踏み出せずになおも苦悩を深めてしまうのは次の展開である。
 このふたつの物語を同時進行で上手くまとめたと思う。それぞれのシーンへの移行も時系列的に整理され、不自然さは全くない。たとえばルシエンのシーンは昼食なのに学校のシーンでは午前中に戻るような不自然さが一度でも出てきたらこの話は台無しだっただろう。ふたつの物語を同時進行するのに「時系列的な関連」というのがどれだけ大切かよく分かる1話だ。
研究 ・峠へつづく道
 木彫りの馬が破壊され、その犯人がアンネットであると知り、そのアンネットが展覧会で一等賞を取って自分の償いの気持ちをも破壊したルシエンのショックは大きく、2話に渡り学校をサボるなどの彼の心の傷を描くことになった。無論この展開は原作には無く、原作ルシエンは木彫りの馬を壊したのはアンネットだとは知らないので苦悩の次元は違う。原作ルシエンはアンネットだけでなく、自分を嫌うみんなに対して自分でも得意な事があると見返すために馬を作ったのであって、その行為がむなしいと知ったこの段階ではルシエンの苦悩は無い。原作ではここはルシエンを殆ど登場させず、アンネットの苦悩をじっくりと描いているのである。
 ルシエンが向かった峠は間違いなくロシニエールとモントルーの間にある峠だろう。この峠道の詳細ルートなどは後の話に譲るとして、今回はその距離感だけを研究してみたい。今回の研究と後の峠道の研究結果が合致するかどうかはその時のお楽しみに。
 今回のルシエンの行動を推理すると、「学校へ行く」と称して家を出たのは7時頃であろう。なぜなら原作によると当時のスイスでは小学校の始業時間は7時半だったと書かれているからである。ルシエンが学校をサボって問題の馬車に乗ったのは8時頃と考えられるだろう。馬車が動き出すまでにルシエンが熟睡に入った事を考えれば、馬車の出発はルシエンが乗り込んだ1時間後の9時頃かも知れない。
 次に馬車の速度を考えよう。これはルシエンと馬車の男の別れのシーンをから導き出せる。ルシエンが時速4キロで歩き、時速8キロで走ると考えよう。ルシエンが馬車を見送って1分、反対方向に一度歩き出してから立ち止まって振り返るのにもう1分、振り返ってから馬車を追うまでにもう1分あったと別れシーンを仮定するのだ。そこからルシエンが1分走れば130メートル、2分走れば260メートルである。ルシエンが一度村へ帰ろうとして歩いた距離を50メートルとすれば、この3〜5分の間におおよそ別れた地点から200メートル程度峠方向へ向かったところから見えないところまで馬車が行ってしまったことになる。森の中の道ということを考えれば、直線でも300メートルも離れればもう馬車は見えないだろう。つまりこの5分間で馬車は200+300で500メートルばかり走ったことになる。1分で100メートルだから、馬車のスピードは時速6キロと考えられるだろう。
 これが正しいとすると、午前9時にロシニエールを出発した馬車は、昼食時を正午とすれば18キロばかり走ったことになる。
 さらにルシエンが峠に着くのは午後と言ってもまだ日が傾かない時間内だ。季節が秋ということを考慮すればこれは14時半〜遅くても15時頃までだろう。12時半に馬車と別れたルシエンが峠に15時に着いたとすれば、10キロ歩いたことになる。つまりロシニエールから峠まで28キロと言うことになろう。
 この距離の推測が今後の話と合致するかどうかは、今後の研究欄に期待していただきたい。

第32話 「伝えたい真実」
名台詞 「アンネット、君は僕の友達だったよね。僕たちは小さい頃から本当に仲良しだったよね。でも、僕はダニーに取り返しのつかない怪我をさせてしまった。君は君で僕の木彫りを壊してしまった。アンネット、僕はもう何もかもが嫌になってしまったんだ。」
(ルシエン)
名台詞度
★★★★
 峠へ向かうルシエンの心の中の声である。ここにルシエンの全ての気持ちが語られているのは言うまでもないだろう、そしてこれはルシエンがここからしばらくの間取る方法の暗示させる台詞でもある。
 今のルシエンは「何もかも忘れてしまいたい」のである。その思いがこの台詞の一番最後に強く表れているのは言うまでもないだろう。何もかも忘れたいから衝動的に峠へ向かって歩いているのであり、峠の向こうにある誰も自分を知らない希望の土地に自然に足が向いてしまったのである。
 そして峠へたどり着くと、ルシエンは母のことを思い出して帰ることにする。でも帰れば誰も知らないところで何もかも忘れてやり直すなど当然不可能だ、そこで取ることとなったルシエンの手段は「もうそのことには触れない」「触れないことによって全て忘れよう」という手段である。誰がなんと言っても、アンネットがそのことで謝ってきても無視して忘れしまおうというのである。つまりこの台詞は名場面欄に書いた今回のラストシーンへの伏線でもあるのだ。
名場面 アンネットが木彫りの馬破壊を告白しようとする 名場面度
★★★★★
 学校の休み時間、校庭へ出て行くルシエンにアンネットが声を掛ける。「ルシエ〜ン」無言で振り返るルシエン、表情は険しい。「あの、ルシエン。私…私、あなたに話さなきゃならないことがあるの」なおも険しい表情でアンネットを見つめるルシエン。「ルシエンの木彫りの馬のことなんだけど…あれは…私が…」「いいんだ、もう」予想外のルシエンの反応にアンネットは一瞬驚きの表情を見せる。だがまだルシエンの表情は険しい。「その話は二度としたくないんだ。思い出すのも嫌だ!」ルシエンは一気に吐き捨てると、走って校庭の仲間達のところへ向かう。
 一人取り残されたアンネットは直立不動のまま立ち尽くすが、すぐに何が起きたのかを悟って涙を流す。BGMは何も無く、仲間達が遊ぶ声だけが響き渡る。
 そう、今度はアンネットがルシエンに拒絶されたのだ。自分が苦悩から立ち直るためにルシエンが取った道、それは何もかも忘れるという方法だった。そのためにアンネットの罪を償うための謝罪の言葉までもが拒絶されてしまう結果となってしまったのだ。罪を償うことでルシエンと和解し、自分の苦悩からも解放されたいと願うアンネットの気持ちそのものがルシエンに拒絶されてしまったことを、アンネットも思い知ることになる。
 ルシエン派として見ている私としては、ここは20話と同じ事をやっているのだと感じてしまう。ただアンネットとルシエンの立場が入れ替わっただけ。ルシエンは物を破壊するような行為はしていないが、拒絶された側の気持ちで考えればこの時のルシエンの態度はアンネットがノアの方舟を放り投げたのと同じレベルなのだ。
 そして自分そのものを拒絶されてさらに苦悩するアンネットがどう救われるのか…、これを次回に持ち越したのも興味深い。ルシエンとは違い、自分を拒絶されたアンネットは頼る先が無いのだ。20話のルシエンはペギンのところに駆け込むという展開が読めたからすぐ次のシーンに入ったが、誰にも頼る先のないアンネットがこの苦悩をどう克服するのか、これは視聴者を強烈に次回に引き込む要素となるのだ。
 
今回の
アンネット
VS
ルシエン
  
(名場面欄参照)
感想  私は11〜27話までを「ノアの方舟編」、28話から先を「木彫りの馬」編と勝手に命名しているが、それは「ノアの方舟」「木彫りの馬」というルシエンが作った物をアンネットが破壊するという展開を軸に、アンネットとルシエンが立場が入れ替わるからだ。相手に許してもらおうとして心を込めた償いを、その相手に拒絶されるという展開を、二人が立場を入れ替えて繰り返すのであり、その20話と立場を入れ替えたシーンがこの32話ラストシーンとなるのである。20話とは違ってアンネットが派手に木彫りを放り投げるわけでもなく、また派手な言い争いも無いので印象に残りにくいシーンかも知れないが、これは「わたしのアンネット」という物語を語る上で重要な部分だ。
 特に展覧会からここまでの展開は非常に早く、なんだか気がついたらアンネットとルシエンの立場が逆になっていたと驚くのだ。これまでずっとルシエンがアンネットの許しを乞うための物語で進んできたが、いつの間にかにルシエンの苦悩はアンネットの許しを乞うのでなくアンネットとの関係そのものに移行していて、その間にアンネットがルシエンに謝らなければならないという展開にすっかり物語が変わってしまったのだ。この物語の変わり様は大人が見れば面白いが、子供が見たらもう理解の範囲外だろう。私もこの立場の入れ替わりが当時はよく理解できないままだった。やっぱ子供に難しすぎるから視聴率で苦戦したんだ、このアニメは。
 だがアンネットがルシエンにしたことを、今度はアンネットがされてしまったことは理解できたし、それを相談相手のないアンネットがどのように解決してくぐり抜けて行くのかは大変興味深かった。また冒頭のルシエンの心の中の台詞が思い返すとこの回のラストシーンに関連していることも感心した。そんな意味でこの回は私の印象に残っていた回なのだ。
 最後にもう一つ、↓このマリーが妙に印象に残ってる。
研究 ・ 
 

第33話「勇気ある告白」
名台詞 「私、自分をそんな嫌な人間だと思いたくないけど、本当は心が狭くて、意地悪で、意固地で、とっても嫉妬深いのね。だからあんな事をしてしまったんだわ。おばあちゃんは私みたいな子供嫌いでしょ? 許さないでしょ?」
(アンネット)
名台詞度
★★★★
 私はアンネットのこの台詞こそが「勇気ある告白」だと考えている。苦悩の果てに遂に全てをクロードに告白したアンネットが、これまで自分が認めたくなかった自分の短所を認め、それが苦悩のきっかけとなる事件を起こしてしまったことを認めたのだ。
 アンネットの苦悩は木彫りの馬破壊を通じて自分でその短所を思い知り、その短所が自分の全てと勘違いしてしまったことにも理由はあったに違いない。だからこの台詞の後半部分のようにクロードに自分みたいな人間は嫌いだろう?と問うのである。恐らく自分のこんな面を知った人間は、自分のことなど嫌いになってしまうに違いない…アンネットの思いはここなのだ。
 これに対しクロードは首を横に振ったかと思うとアンネットを抱きしめる、そして次点欄の台詞を吐くのだ。こちらも名台詞であるが、物語展開としてはアンネットの台詞の方が大事だし、かつ印象にも残るのだ。ここまで自分の欠点や短所を認めず、それがためにルシエンの木彫りを壊した事を誰にも言えなくなって一人で苦悩していたアンネットが、ここでひとつ扉を開けてなんとかルシエンに謝罪しようとコマを進めようとするのである。
 しかし、それは神の力を借りずには出来ないことだった。それが描かれるのはまだ次々回の話。
(次点)「もうお前は自分のしたことをとても後悔しているわ、だからするべき事は一つしかないわ。ルシエンと話し合う機会を作る事よ。分かるでしょう? そしてルシエンによく謝るんだね。お前にその気があるなら神様は必ず力と勇気を与えて下さる。それを信じることだよ、アンネット。お前は賢い子だ、私はお前に会ったときから好きだったし、今だって大好きだよ、アンネット」(クロード)
…(上記参照)。
名場面 アンネットの告白 名場面度
★★★★
 「今回のアンネットVSルシエン」欄に書いた事件によってアンネットの心はズタズタにされ、アンネットの苦悩は頂点に達する。いや、アンネットが壊れたと言っても過言ではない状況だろう。アンネットは家の暖炉の前にあるベンチに腰掛け、虚ろな表情で体育座りをしてぼんやりしている。クロードが声を掛けても何も答えない。
 アンネットの異変に気付いたクロードが「どうしたの? アンネット」が声を掛けると、虚ろな表情のまま「どうしたらいいのかしら?」と答える。不思議そうな表情をするクロードに「どうしたらいいのか分からないわ。いつも息が詰まりそうで胸が痛くて苦しいの。だから忘れようと思うけど、ダメね。油断しているとすぐにあの時のことが頭に浮かんできて、私を苦しめるの。本当にどうしたらいいのかしら…?」この台詞にクロードが表情を変え、アンネットの隣に腰掛け、「アンネット、しっかりおし。いったいどうしたんだね?」と声を掛ける。「私はルシエンに謝ろうって思ってるの。ごめんなさいって。心の底からごめんなさいって言おうと思っているわ。でも、ルシエンは私の言うことを聞こうともしないわ」…クロードはここに来てアンネットの肩を掴み、アンネットを問いただす。「アンネット、私を見なさい。さあ、ちゃんと見て。言ってごらん。お前は何をしたんだね? 言ってごらん」その声は力強さと優しさに溢れていた。「私、私…こっそりルシエンの作った木彫りを壊してしまったの」「何ですって?」「ルシエンが展覧会に出す木彫りの馬をわざと壊してしまったの」…そして名台詞欄シーンへと進む。
 心が壊れてしまったアンネットは、それに気付いて自分を問いただすクロードにやっと全てを言えたシーンである。これまで自分が誰にも言えず一人で苦悩してきた木彫りの馬破壊の話、これをやっと他人に告白できたのだ。
 詳しい解説は名台詞欄で済ませてしまっている。
 
今回の
アンネット
VS
ルシエン
  
 ズッコケ三人組、いや違った。ルシエンとジャンとアントンが次なる悪戯をしようと木の上に隠れる。そこに通りかかろうとしていたのはアンネットだった。「ご覧くださいまし、アンネットさんがいらっしゃいました」「まずいなぁ、アンネットはまずいよ、後が大変だから」ジャンはアンネットが相手だと完全に逃げ腰だ。「そうでございますねぇ、あの御方が本気でお怒りになりますとちょっと…」ここでルシエンがジャンから釣り竿を取り上げる、「おい、ルシエン…」「貸せ、俺がやるよ。貸せったら」「知らないぞ、俺」「ふん、アンネットの何処が怖いんだ? 僕はちっとも怖くなんか無いぞ。二人とも気が進まないなら、どっか他に行ってもいいんだぜ。さあ、どけよ…そらっ!」…そうとは知らず気に近付くアンネット、ルシエンが仕掛けた蛙はアンネットの頭の上に乗る。「うん?」「ああっ」「う〜ん?」アンネットが頭に手を伸ばし帽子を取ると、絶妙なタイミングで蛙を待避させるルシエン。「あらぁ、変ねぇ…? 何かしら?」「ウフフフフフっ」「でも確か上の方から…キャァァァァァッ!」大爆笑の3人。「誰? そこにいるのは!」「私だと知っててやったのね」「降りてらっしゃい。降りてこないと承知しないわよ、降りてらっしゃい」アンネットの声が凜と響く、無言を決め込む3人。「よ〜しっ、自分で降りる勇気が無いなら私が下ろしてあげる。そこでじ〜っとしてるといいわ!」アンネットから怖い宣言が出される、「アンネットのやつ何するんだろ?」「存じません」ジャンとアントンが悩んでいる間にアンネットは投石を始める、そしてそれでも降りてこない3人に業を煮やし、自ら木に登って3人を引きずり下ろす。
 「あんたたち! 弱い女の子ばっかり脅して遊んでたのね、悪いことばかりして。そんなの人間のクズだわ! 卑怯者よ!」アンネットの言葉の応酬は凄いが、この言葉にルシエンが素早く反応する。「なんだって! 僕たちが卑怯者だって? じゃあアンネットは卑怯者じゃないっていうのかい? 自分は悪いことなんかやったこと無いっていうのかい? そうなのか?」突然の言葉に今までの勢いが止まるアンネット、ルシエンはさらに続ける。「どうなんだよ? アンネット。アンネットは悪いことなんか一度もやったことないかい?」「そんな…そんな事…」「そうか、やっぱり…やっぱりそうなんだ! 僕の思ってたとおりだ。やっぱりそうだったんだ。やっぱりあの木彫りはアンネットが…」「やめてぇ!」…ルシエンにここまで問い詰められたアンネットは荷物を持って立ち去ってしまう。
 このシーンで一人で苦悩していたアンネットの心はズタズタに破壊される。あんなかたちで自分の行為をバラされそうになったのだから…そして名場面シーンへと向かうのだ。
感想  いよいよアンネットの苦悩の頂点。ルシエンとジャンとアントンが突然ズッコケ三人組になって悪戯しまくるのに不自然さを感じてはいたが、これがあのようなシーン(今回のアンネットVSルシエン欄参照)を引き起こし、そして今回のメインであるアンネットがクロードに全てを告白するシーンへと繋がるという、起承転結が上手くできた話だと感心した。
 でも「勇気ある告白」というには自分の意志で勇気を持って誰かに話をするのかと思ったら、クロードに問い詰められてだもんなぁ。でも大人になって見ると「勇気ある告白」は、アンネットがクロードに事実を告白したのでなく、自分の短所や欠点を認めてそれがおそろしい事件を引き起こしてしまったという名台詞欄にあげたとおりの事実の方だろう。自分の欠点や短所を認め、それを他人に話して見つめ直すことこそ勇気が必要なのだ。だからこそそんなアンネットを見たクロードはアンネットは十分に今回していると感じたに違いないのだ。だからこそアンネットの欠点を認め、そんなアンネットが大好きだと語るのである。
 最後に付け加えられたようにルシエンがまた木彫りをやろうと決心するシーンを入れたのはちょっと展開を急ぎすぎたんじゃないかと思う。だって全てを忘れるために木彫りを封印したルシエンの心の変化や、またやり直そうと決心するに至るきっかけというものが何も無いのだ。そのきっかけは次話で嫌でもやってくるんだから、そこでじっくりと描いて欲しかったなぁと当時から感じてた。
研究 ・ 
 

第34話「さようならフランツ」
名台詞 「でも、私はルシエンか一生懸命作ったものを全部捨ててしまったわ。ノアの方舟もあの馬も。こんな酷いことをしたんですもの、私が正直に話しても絶対許してなんかくれないわ。きっと私のことを憎んでるわ。」
(アンネット)
名台詞度
★★★
 マリアンがフランツに贈るために心を込めて作った刺繍を見て、アンネットは自分がしてきたことを改めて思い知る。自分がルシエンに拒絶されたことで、自分がルシエンを拒絶するためにやって来た数々の所行がどれだけ酷いことだったのか改めて思い知ったのだ。そしてその気持ちをクロードに語る。そしてルシエンは絶対に許してくれないとするのだ。
 そこでそんなアンネットに助け船を出すクロードだが、その台詞はもう難し過ぎて子供には理解できない内容だっただろう。心の扉を開いて神を心の中に入れる、と口で言うと難しいが簡単に言えばダニーのように心の中に神を住まわせるべきだというのである。そして何もかもを神の試練として受け止めて許すことが大事なのだが、残念ながらこの時点のアンネットは神を信じるきっかけとなる出来事を経験していないので、理解できなかっただろう。
 そんな事よりもアンネットが自分がルシエンに対してしてきたことに向き合ったという点がここでは重要なのだ、だからこそ神を信じるに十分な事象を経験すると何のためらいもなくルシエンに謝罪が出来るのである。この台詞はその段階へはいる入り口として重要だ。
名場面 栗の実を投げ捨てるルシエン 名場面度
★★
 まず苗字に「栗」の字が入る人間を代表して言わせてもらおう。栗を川に捨てるな!
 じゃなくて、このシーンにはルシエンの「仲直りしたかった」という思いが見て取れる。32話でアンネットを拒絶したことを心から反省し、33話では勢いでアンネットの所行をバラしかかった事を大いに反省したのだろう。ならばその反省したシーンをキチンと描いて欲しかったような気がするけどな。
 アンネットが謝り、ルシエンも謝ってその仲直りの印にこの栗の実を贈ろうにしたに違いない。その栗の実も今は無駄になってしまって残念だという思いの表現が切なくて好きなシーンだ。
 それにしても何か壊したり投げ捨てたりというのが好きなアニメだ。
 
今回の
アンネット
VS
ルシエン
 
 登校中のアンネットは橋のところでルシエンの鞄を見つける。辺りを見回すと…ルシエンが木に登って栗の実を取ろうとしていたのだ。木から落ちそうになりつつも栗の実を取ったルシエンにアンネットが声を掛ける。「ルシエン」「アンネットぉ?」「なにしてるの?」「見ればわかるだろ? 栗を取ってるのさ」「そ、そうよね。見れば分かるわね」…二人の雰囲気はどことなくぎこちない。6秒の沈黙を置いて二人が同時に「あの…」と声を上げる、「え、なぁに? ルシエン」「あ、この栗いらないかい?」「ええ、ありがとう…」「あのルシエン、私この間、ルシエンに言ったわね。話さなきゃならないことがあるって。そのことなんだけど…」「あ、あの時は僕も悪かったよ。よく話を聞こうともしないで…」「ううん、悪いのは私だわ。私はルシエンに謝らなきゃいけないんだわ」「もういいよ、アンネット。その先は聞きたくないんだ」「よくないわ、私はルシエンの大切な…」とここまで声が出たところでストーリークラッシャー、ジャンがアントンと共に相変わらず空気を読まずに参上。二人の仲直りムードに水を差す。
 冷やかしなのか真面目に心配しているのか分からない二人にアンネットは大声で言う。「やめてよ! あんたたち二人は鈍感でどうしようもない大ばか者よ!」…言う言う。いずれにしろ仲直りは次回以降に持ち越しになりましたとさ。
感想  今も昔も感想はひとつ、前半と後半を入れ替えればすごくスッキリする話だと思うのだ。まずこれまで何もかも忘れようモードでアンネットにも辛く当たっていたルシエンが突然元のルシエンに戻っているのが解せない、前話の感想でも話したがルシエンの心が転換する理由もきっかけも何も存在していないのだ。それで唐突に二人がバッタリ出会い、あのような展開をするのはちょっと不自然だと思う。アンネットはもっとルシエンを怖がっても良いはずだし、ルシエンはもっとアンネットを警戒すべきなのが前話までの流れから考えれば自然なはずだ。
 ここで今回の前半と後半を入れ替えてみよう。たとえば物語冒頭にいきなり教室が出てきて、ニコラス先生がフランツの転校を告げる告げるシーンから始める。それを受けてフランツと語り合うシーンを挟んで、フランツが橋の上にアンネットとルシエンを呼び出して仲直りを乞うシーンを先にやってしまうのだ。それはルシエンが木彫りを再開するのに十分なきっかけとなり、またアンネットへの償いの日々を思いだし、自分がアンネットを拒絶したことにも気付いて後悔し反省する材料として十分だろう。で前半ラストにフランツは汽車に乗って旅立ってしまい、後半の冒頭に「今回のアンネットVSルシエン」欄の話を持ってくればアンネットはともかくルシエンもアンネットに対してぎこちなく会話に応じる理由が出来る。それだけではない、ジャンやアントンに邪魔されて仲直りに至らなかった事に対して怒ったり残念がる理由がどちらにも出来るのだ。その方が話の展開としては自然なはずだ。
 だいたいフランツというキャラがこれまで二人の仲直りのために何をしてきたというのだ? ハッキリいってしまえば何もしていないのでここまで大げさに別れを演じる理由に乏しいのだ。12話や26〜27話で活躍していないフランツは、アンネットの同級生キャラとしてはジャンやアントンやマリアンやクリスチーネよりずっと格下のはずで、初登場で印象に残ったに過ぎないキャラである。フランツの転校を二人の雪解けムードに誘うために使いたかったのなら、それこそこの話の前半と後半を逆にすべきだったと思う。少なくともこのストーリーでは仲直りした後で「フランツのおかげ」とは誰も思わないであろう。
 この話を十分に活かすために、やっぱ12話のメンバーにキチンとフランツを入れて活躍させるべきだったし、26〜27話でも何か適当な理由を付けてフランツを出しておくべきだったと思う。その上で今回の前後半を逆にして、特にルシエンが木彫りを再開して再び心を入れ替えて元のルシエンに戻るきっかけとして使うべきだったはずだ。この回は「わたしのアンネット」全話中最も脚本が甘い展開だと私は思うのだ。
研究 ・ 
 

第35話「心の扉をひらいて」
名台詞 「イエス様…イエス様、私は今、私の心の扉を開きます。今まで心の扉を閉めたままでいたことをお許し下さい。どうぞ、私の心の中にお入り下さい。そして…そして、私があの木彫りの馬を壊した事をルシエンに正直に話すことが出来るよう、勇気をお与え下さい。ルシエンを私のところにお送り下さったことを感謝します。」
(アンネット)
名台詞度
★★★★★
 足を怪我した上、橋から落ちて水没したアンネットは凍死の危機に瀕していた。その時にアンネットの近くを通りすがり、アンネットを救助することになったのはルシエンであった。アンネットはこの偶然により神の存在を心から信じ、神を心の中に迎え入れることにしたのだ。
 これまでのアンネットは神というものを大人達から聞いただけで、その存在を信じるような出来事を経験したことがなかったに違いない。これがクラウスを通じて神の存在を信じることになったダニーとの違いで、兄妹でも物事に対する当たり方が違うのは当然である。ダニーは神様が見ていると思うからこそ誰にでも優しくしなきゃならないと考えるのだが、アンネットは神の存在というものを心の底からは信じていなかったので恨んだり憎んだりという行為をいとも簡単にできるのだろう。性格だけでは語れない面なのだ。
 そんなアンネットが体験した偶然…死にかかったところを大喧嘩中で仲直りをしたいと思い続けていた相手に救われるという事実を経験し、アンネットはこれは神が自分にくれたチャンスと考えたのだろう。この出来事によりアンネットはルシエンに全てを告白する勇気を得て、今こそ全て話して謝罪をして和解をしようと決心するのだ。それが神が自分に与えた道だと考えたのだ。
 そしてこの場にルシエンが来たことを、神様が送ってくれたのだと感じ感謝する。こうしてアンネットは神の存在を心の底から信じ、全ては神の思し召しだと悟るようになったのである。つまりアンネットはこの瞬間から「自分の心の中に神が宿った」と自覚したのだろう。それが「心の扉を開く」という事だと私は理解している。
(次点)「これなら少しは暖かいだろ? 僕は家に帰ってソリを持ってくる。それまでここで待っててよ、すぐ戻ってくるから。15分、いや10分で戻ってくるよ。今から30分後には君を家に連れて行ってあげる。だから僕が帰ってくるまで絶対に眠るんじゃないよ。わかったね?」(ルシエン)
…木のうろにアンネットを座らせ、自分が着ている上着やマフラーをアンネットに着せながらこの台詞を吐くルシエンかっこよすぎ。
名場面 和解 名場面度
★★★★★
 ソリを持って戻ってきたルシエンに、早速ルシエンはアンネットをソリに乗せて家を連れていこうとする。「ちょっと待って、ルシエン」「どうしたの?」「私、あなたに話しておきたいことがあるの」「話なら後だ。それより早く…」「いやダメ、どうしても話さなければいけないわ」「うん?」「私、あなたの木彫りの馬をわざと壊したわ。あなたが展覧会に出すはずだった木彫りは私が壊したのよ。私、あなたがご褒美をもらうのが悔しかったからわざとやったの」アンネットの告白にルシエンの表情は明るくなる「話ってそれだけ?」「それだけよ。どうして笑ってるの? ルシエン」「嬉しいからさ、アンネットがそのことを僕に言ってくれたのが嬉しいんだよ」「ルシエンは怒らないの? 私が木彫りを壊したこと怒ってないの?」「怒ったさ、さんざん怒って、もう怒り飽きちゃった」「私、本当に悪いことをしたと思ってる。あなたに心から謝りたいと思ってる。ごめんなさいね、ルシエン」「もういいんだアンネット。僕たちは友達じゃないか」「…ルシエン」アンネットは涙を流しながら、遂に和解に至ったことを喜ぶのだ。
 いよいよ「世界名作劇場」シリーズ最大の大喧嘩が集結するときが来たのだ。名台詞欄のシーンを受けて神を信じ、ルシエンに全てを正直に話して謝罪する決心をしたアンネット、それに対してのルシエンの返答はあまりにもあっけない許しの言葉で、このシーンでもって二人の長い長い喧嘩に決着がついたのである。しかしルシエンはただ許したのでない、アンネットの仕打ちに対して自分が凄く怒ったと言うことも認めているのだ。そして一度はアンネットを拒絶したものの、フランツとの別れなどを通じてルシエンもアンネットの告白を受け入れる準備は出来ていたはずなのだ。問題はきっかけであって、前回の栗の木のシーンのようにタイミングがずれればどちらも上手く言えないしうまく受け取れない。ルシエンもこのアンネット救助を絶好のチャンスと捉えたはずで、しかもアンネットが全てを正直に打ち明けたことで心の中にあった怒りが全て氷解したのだと考えられる。
 そしてお互いにこのチャンスを活かすことが出来たのは、アンネットが神を信じて素直になれたことと、ルシエンの怒りが氷解していたからに違いないのだ。二人は互いに許し合い、認め合い、また元の友人同士に戻って行くのである。
  
今回の
アンネット
VS
ルシエン
  
 スキーでの帰宅途中、声が聞こえたような気がして戻るルシエン。ルシエンが見たものは雪の中に倒れている少女の姿だ。「誰? そこにいるの誰だい? 何してるの?」…だが倒れている少女からの反応はない。「君、そんなところで寝ていると死んじゃうよ…えっ、死んじゃう?」ルシエンはスキーで少女の側まで滑り、慌ててスキーを脱ぐ。そして少女を抱き上げる、「君、起きるんだ! 起きろ! 眠っちゃいけないよ! おい…ああっ」「…痛、痛いわ」なんとその少女はアンネットだった。「アンネット!?」「ルシエン、あなただったの?」「あ、眠っちゃいけない、アンネット! 目を開けるんだ、アンネット!」「戻ってきてくれたのね、ありがとうルシエン」「長い間雪の中にいたんだね、身体の震えが止まらないじゃないか」「足をくじいてしまって、ずっと這って歩いていたの。あなたが来てくれなかったらきっと…」「話は後でいいよ、このままじゃ凍えてしまう。さあ、元気を出して!」アンネットを立たせるルシエンだが、アンネットはどうしても歩けない。「ダメだわ、やっぱり歩けない」困り果てたルシエンだが、いいところに大きな木があるのを見つける、その木のうろにアンネットを連れて行く、そしてアンネットに自分のマフラーとコートを着せるのだ。「(名台詞欄次点の台詞)」「ありがとうルシエン。あなたが来るまでここで待ってるわ」「じゃ、行ってくるよ!」…こうしてルシエンのアンネット救出劇が始まるのだ。
感想  本放送時、サブタイトルを見た時にはまたアンネットの苦悩が続く展開なのかと思ったら、あれよあれよと言う間にアンネットが遭難し、都合良くルシエンが現れて和解したのには驚いた。ただこの偶然にはキチンと意味を持たせてあり、単なるご都合主義ではない描かれたかをしていると感じたのは今回の再視聴によるものである。アンネットはこの偶然を通じてしっかりと「神」というものを認識して信じ、ルシエンもこの偶然により怒りを完全に捨ててシリーズ最大の大喧嘩の幕は閉じるのである。この和解は「わたしのアンネット」最大のヤマ場であるとも言えるだろう。
 本放送時は仲直りが意外に早いと驚いた。まだ最終回まで10話以上も残しており、喧嘩の終結が最終回直前と当時は予測していたのでこれが大きく外れて驚いたのだ。でもこの物語はダニーの足が元通りにならないことにはハッピーエンドにならないと気付いたのはこの回を見終えた直後である。アンネットとルシエンが仲直りしました、めでたしめでたし…だけではダニーが救われず、ハッピーエンドとして成立しないのだ。ダニーの足を治すのに10話もいるのか?と当時は考えたけど、この期にもうひとヤマあるとは予測できなかったからなぁ。
 いずれにせよ「わたしのアンネット」の辛い展開はここまで、後はまた序盤のような楽しい物語になるのだろうか? それとも和解した後にまた喧嘩がぶり返すのか、本放送時はこの先の展開の予測が付かず楽しみだった記憶があるのだ。
研究 ・助け出されたアンネット
 このアンネットとルシエンの和解も原作を踏襲した展開だ。ただアニメでは1話で収まってしまったこの物語が、原作ではなんと4章にも及んでいるのは「雪のたから」を読んで驚いた点だ。そのうちの1章「閉ざされた戸」では原作ではあっさりと流したクリスマスのミサについての詳細が描かれており、その席でダニーが我が儘を言いたい放題だったり、アニメ同様の説教があったことが描かれている。その時にアンネットが「心の扉を開く」と言うことがどういう事か悩むが、ルシエンの姿を見てそれは出来ないと念じる展開となっているのだ。続いては「雨戸を開けると」という章で、クラウスが行方不明になってそれを捜しに行くまでが描かれている。この中でアニメでは前話に当たる「心の闇」についてのクロードの説教がある。クラウス行方不明については、ダニーの台詞回しまで原作とアニメは共通している。アニメではクラウスが雌のオコジョを見つけて森の中へ消えるシーンが描かれているが、原作クラウスも同じ理由でしばらく行方不明になったことがわかる。
 そして「助け出されたアンネット」という章と、「答えられた二つの祈り」という章の冒頭まででアンネットの遭難と、それを助けるルシエンが描かれるのだ。これを通じてアンネットが神の存在を信じて心の扉を開くのも同じである。ただしルシエンは木彫りの馬を破壊したのはアンネットだったという事実をこの時点まで知らず、最初はアンネットの告白に驚く。続いて嬉しくなったとあるのだが、その理由は「アンネットも悪いことをしたんだ…だからここでアンネットを許せば、アンネットが自分を許してくれるに違いない」という考えからである。他は原作とアニメの内容は全く同じで、名台詞欄に挙げた心の扉を開くアンネットの台詞と、馬破壊を告白する台詞はほぼ同じである。
 この二人の和解というシーンは、原作ではこれまでずっと仲が悪かった(ダニー転落事故の有無は問わない)二人が初めて認め合うシーンで、アンネットはルシエンを愛さなければならないと感じるし、ルシエンはこれがアンネットと仲良くなるチャンスと考えて行動するのである。その二人の行動が実を結んでこれまで反目し合っていた二人が仲良くなると言うアニメ以上のものが原作には描かれている。アニメはこのシーンを忠実に再現することで、長い喧嘩をしていた二人の和解という場面として使用した。そして長い喧嘩が終わって二人の仲が元通りになるのに相応しい名シーンに仕上がったのだ。

第36話「よみがえった友情」
名台詞 「神様、どうか、どうかアンネットをお守り下さい。僕とアンネットはやっと仲直りが出来たんです。だからお願いします。もうこれ以上、僕からアンネットを奪わないで下さい。お願いします。」
(ルシエン)
名台詞度
★★★★
 遭難したアンネットを助けたが、濡れた身体の上に足をくじいて動けないアンネットをつれての帰り道は激しい吹雪になった。その道中で身体が冷え切っているアンネットは何度も気を失いかける。吹雪の中をソリを引いて歩きながら、ルシエンがこう呟くのだ。
 せっかくアンネットと仲直りが出来たというのに、またアンネットが手元からいなくなってしまうのかというルシエンの必死さが伝わってくる。木彫りの馬事件以前、ルシエンはアンネットに許してもらうためだけに頑張ってきた、この思いが今やっと叶ったばかりなのにまたアンネットがいなくなってしまうことに耐えられないのは言うまでもない。だからこそ必死になって吹雪の中でアンネットを励まし、吹雪の中をフラフラになりながらも進んで行くのである。そんなルシエンの思いが伝わってくる台詞だ。
名場面 握手 名場面度
★★
 遭難したアンネットを無事に送り届けたルシエン、アンネットの手当が済むとバルニエル家で楽しいひとときを過ごす。そして帰ろうとしたところでアンネットはルシエンを呼び止めて手を差し出すのだ。
 「本当にありがとう、今夜のこと私一生忘れないわ」と言いながら手を差し出すアンネットにルシエンは応え、二人はがっちりと和解の握手を交わす。大喧嘩が幕を閉じたことは夢でも幻でもなかったのだ。
 この握手をしているときの二人の表情には。これまでの喧嘩で苦しんできたことの全てが表現されているように見える。そして長い長いトンネルを抜けて二人の物語が新しいステップに入ることを示しているのだ。でも物語そのものが新展開に入るのはまだちょっと先だ。
  
今回の
アンネット
VS
ルシエン
  
 遭難したアンネットを家へ運ぶルシエンに猛烈な吹雪が襲いかかる。「アンネット、もうすぐ君の家だからな。服が濡れたままだから辛いだろうけれど、頑張ってくれよ」「ルシエン…私、寒いわ。それにとっても眠い…」「アンネット! 眠っちゃダメだ! アンネット!」ルシエンはソリを止め、アンネットの肩を揺らす。「アンネット、しっかりしろ。アンネット、眠っちゃダメだ」「ルシエン、私は本当にバカだったわ。でもルシエンは私を許してくれた。私、とっても嬉しかった。ルシエン…本当にありがとう…」「アンネット! しっかりしろ、アンネット!」「眠いわ…とっても嬉しいのに、どうしてこんな眠いのかしら? お願いルシエン、もう眠らせて…」「アンネット、眠っちゃダメだ。眠ると凍え死んじゃうぞ。アンネット、しっかりしろ!」叫びながらアンネットの手をさするルシエン。「眠っちゃダメだ、アンネット。目を覚ましてくれよ!」…必死の呼びかけにアンネットが目を覚ます。「アンネット!」「ルシエン、あんたどうして泣いてるの?」「ハハハハッ、雪が…雪が眼の中に入ったのさ」「…おかしな人ね」「アンネット、僕が必ず家に連れて帰ってあげるからな!」力強い言葉に頷くアンネット。ルシエンの必死さが伝わってくる。
感想  前回を引きずった話で前半が終わるが、前回の和解というヤマ場の余韻を悪くない形で感じさせてくれる展開となった。対して後半ではルシエンとの和解を果たしたアンネットがニコラス先生のところへ向かう。アンネットがしなければならないことはルシエンから奪い取ることになってしまった一等賞の返上と、その賞品をルシエンに渡してもらうことだった。ここまでしないとアンネットの罪悪感は拭いきれず、償いも中途半端になってしまうのだ。こうして木彫りの馬について全て精算するところまでが「木彫りの馬編」に当たるのだ。
 でも「木彫りの馬編」のきっかけとなる木彫りの馬破壊事件は、確かにアンネットが起こしたものだがこれはルシエンによるダニー転落事故が無ければあり得ない事件だっただろう。ダニーを転落させた事によるアンネットの怒り、そこから派生した妬みというものがこの事件を引き起こしたのであってダニー転落事故と連動しているのだ。つまり遠因をたどればこの事件は結局ルシエンに行き着くのであって、やはりこの物語はルシエンが自分が蒔いた種を自分で拾う物語なのだ。木彫りの馬事件も根っこは同じなのだ。
研究 ・やみが消えて光が
 今回も原作踏襲の話。アニメではこの1話分を原作では2章使って物語を進めている。「答えられた二つの祈り」という章の冒頭部分以外と、「やみが消えて光が」という章丸々が今回に当たる部分だ。
 そのなかで原作とアニメが大きく違うのはアンネットがニコラス先生宅に向かうまでの経緯である。それはルシエンがアンネットの見舞いに来た日に、クロードが二人に「全き愛」について説教をするのである。アンネットはルシエンのした悪いことを他の人たちはみんな知っているのに、自分がしたことは誰も知らないという理由で、自分が木彫りの馬を破壊した事実を先生に語らねばならないと考え出していたことをルシエンに語るのだ。それを聞いていたクロードは、アンネットにそれを実行する勇気がまだ無いと見抜いたのか、突然口を挟んで「全き愛」について説明するのだ。その日、アンネットは神に祈りを捧げてから床に入る。そして翌朝一番に先生の家へ行くと言い出したのだ。
 さらにニコラス先生との会話も少し違う。アンネットはルシエンへの賞品として男子で一等賞を貰った生徒の分をルシエンにあげるように主張する。ところがニコラス先生はそれは出来ないと言い切り、アンネットが本気なら自分の賞品を返上してルシエンに渡すしかないと迫るのだ。アンネットは3分ほど考えて、先生の言うとおりにすると返答したのだ。
 原作アンネットは自分の賞品を渡したくないという思いと、自分がルシエンの一等賞を奪ったのだからそれを返上すべきという思いが交錯し、このふたつの思いが心の中で戦って後者の方が勝ったという展開なのだ。こういうシーンにした方が自然だと思うので、アニメのアンネットにもこの心の戦いを演じて欲しかったなぁと思う。また年相応の少女の行動として、このような心の戦いがある方が自然だろう。この辺りは原作の方が優れているように見えた。

第37話「二人のたからもの」
名台詞 「アンネット、私は嬉しいよ。よくそこまで決心してくれたね、これも神様のご加護があったからだよ。イエス様はお前の心の中にも、ルシエンの心の中にも同時に入っておいでになった。本当にありがたいことだよ。でもアンネット、大事なのはこれからだよ。お前達は真剣にお互いのことを考えて、何が大切かを一生懸命に考えるようになった。そして、その結果お前達は仲直りすることが出来ました。でもそのうちにまた醜い心、怒りの心、自分勝手な心がお前の心の中に起こるかも知れない。そうなったとき、お前は今の素直な心を忘れないでいることが大切なんだよ。イエス様が深い愛をお持ちになってお前をお守り下さったように、お前も深い愛で答えなくてはならないよ。このことを忘れないようにね。」
(クロード)
名台詞度
★★★★
 「木彫りの馬編」の最後に、賞品の本をルシエンと分け合うと知ったクロードがアンネットにとても大事な事を語る。神のご加護に感謝し、神がアンネットの心だけでなくルシエンの心の中にもいると感じて感謝するのだ。その上でアンネットにこれから起きることを言い聞かせるのだ。
 今のアンネットはルシエンと仲直りできたことだけでなく、ルシエンに救助されたことによって神の存在を体験した記憶が新しく、常に素直な気持ちでいられるのだ。しかしいつ何時、どんなきっかけでそれを忘れてしまうか分からない。そうなったときでも今の心を持ち続けられるかと言うことが問題なのだ。
 この台詞はこの時点のアンネットに対してだけでなく、無論ルシエンにとっても頭の中に入れとかなきゃならないことだし、何よりも視聴者に訴える部分が大北と思う。どんな時でも素直な気持ちを忘れずに優しくいられるか、どんな時にも愛を持って様々な事に接していけるか、これが生きて行く上でとても大切なのだ。もちろんこの台詞も現在の子供達に聞かせたい台詞の一つだ。
名場面 暗雲 名場面度
★★★
 仲直りした二人にまた暗雲が立ちこめる。アンネットを迎えに来たダニーの足の具合がまた悪くなるのだ。そこで仲直りしたばかりの二人は最初のきっかけはダニーの転落事故だったことを思い出す。仲直りしてもダニーの足は変わらないという事実を思い知るのだ。これが二人の間に暗雲として立ちこめる。ルシエンはダニー転落の瞬間を思い出してその場で震える。
 そして一言も口を利かずに家路につく3人、ルシエンはダニーを背負っていたがそのダニーの重さを何倍にも感じていたはずだ。アンネットは空気の重さに「何故黙ってるの?」とルシエンに聞くが、その返答は「別に…」とそれだけだった。ここでまた黒アンネット登場、ダニーの転落事故を思い出させるが名台詞欄に挙げたクロードの言葉がアンネットの脳内によみがえるのである。「忘れないわ、私絶対に忘れないわ」と心の中で呟くアンネットだが、その時のアンネットは心の中の闇に光を入れて黒アンネットを追い払ったのであった。
 その時、ルシエンが無言のうちに考えていたことは物語の最後にアメリア先生が解説してくれる。「ダニーの足が一生治らないのなら、僕は一生ダニーのために償いをしよう。ダニーのためなら何だってやろう、それが僕の義務なのだ」…ダニーの重さを背に受けていたルシエンは考えていたに違いない、自分がどうすればいいかを。そして以前ペギンから聞かされた言葉を思い出したのだろう、ダニーのためを考えて行動すればいつかダニーの役に立つ日が来るはずだと。自分はダニーの役に立つべく償いをしなきゃならない運命の上で生きて行くことを、ダニーに、アンネットに、心の中で誓っていたのだ。
 そして今回のラストシーンで印象に残るように31〜32話でルシエンが向かった峠が出てくる。そういえば以前、アメリア先生がこの峠の向こうにルシエンだけでなくアンネットやダニーにとっての希望の光があると言っていたなぁと勘の良い視聴者は思い出すことだろう。これからこの峠を舞台にしての物語があるに違いないと察することが出来るのだ。やっぱ子供には難しいよ、このつくり。
  
今回の
アンネット
VS
ルシエン
  
 下校中に語り合う二人、「アンネット、君なんだろう? ノアの方舟を先生に見せたのは」「ごめんねルシエン。でも私、どうしてもそうしたかったの」「ありがとう、アンネット。僕とっても嬉しかったよ」「本当? ルシエン」「ああ」「よかった。私、もしかしたらルシエンが余計な事するなって怒るんじゃないかと思って心配だったの」…このように語り合いながら歩いていた二人は、橋の上で立ち止まる。そしてルシエンは一等賞賞品の本をアンネットに差し出す。「アンネット、これ」「ん?」「僕、褒美をもらえて嬉しかったけど、この本を持っていたくないんだ」「ルシエン」「本当に持っていたくないんだ。アンネット、君の本を取り上げるなんてどうしても嫌なんだ…アンネットの気持ちは分かるけど、やっぱりこの本返すよ」「いいえ、ルシエン。その本はあなたが持っていなきゃいけなないわ。先生がそう仰ったんだもの。この本はもうルシエンの物になったのよ」「いいや、アンネットの物だよ」「ううん、ルシエンの物よ」「いや、君のだよ」「ううん、あんたのよ」「(語気を荒げて)君のだよ!」「あんたの」ルシエンが手を引っ込めてアンネットがよろけける。「意地っ張り!」「分からず屋!…ふんっ」「ふんっ」…互いにそっぽ向いて10秒間の沈黙、その沈黙を破ってルシエンが笑う。釣られてアンネットも笑い出す…喧嘩しているのに仲直りを象徴するという面白いシーンだ。こういう言い合いがあってこそ仲の良い二人だと思わされる。
感想  ようやくアンネットの「木彫りの馬」破壊に決着が着く。アンネットが展覧会の一等賞を辞退し、その賞品をルシエンに譲渡するという方法を決着を見るのだ。そしてルシエンとアンネットが話し合った上でこの賞品を分け合い共有することとしたところで、28話から続いていた「木彫りの馬編」はこの37話前半で幕を閉じる。この「木彫りの馬編」の最後にクロードがアンネットに説教するシーンは次へのアプローチと考えて良いだろう。この決着は本放送当時、感心して見ていた記憶がある。木彫りの馬破壊によってアンネットが得た一等賞を共有することでこの事件に対する責任をキチンと取っただけでなく、アンネットにとっても納得がいくようにオチをつけた辺りもしてもいい。さらに本の共有を決定するに当たって、二人が以前のように面白おかしく対決してくれるのも仲直りを感じさせてくれて良い。
 そしてCMを挟んで後半から突然新展開に入る。いよいよ画面に何度も出てきたあの峠を巡る物語であり、かつ「わたしのアンネット」最終局面となるローザンヌ編となるのだ。ただ原作を知らない人が見れば、この半話では漠然とあの峠とその向こう側が物語に絡んでくると想像が出来るだけで、この新展開の半分がロシニエール村の外での物語になるとは想像も付かないはずだ。その冒頭で出てくるのは「木彫りの馬」編ではその描写を最小限に止められていたダニーの足に関する事実である。ダニーの足がもう一生治らないという現実を、改めてアンネットとルシエン、そして視聴者に突きつけたところから新しい物語に入るのだ。最後のハッピーエンドではダニーの足が治ることは必須だと視聴者も感じるところだろう、その一生治らないと突きつけられたダニーの足がどのようにして元に戻るのか…ここでの視聴者の見どころはその点になっているはずだ。
研究 ・「わたしのアンネット」第三部完
 原作でもここで意図区切り付けられるところだ。アンネットとルシエンの諍いはひとまず終わり、最後に物語の展開上一生治らない怪我をしてしまったダニーが元に戻る物語へと入って行くのである。ただし原作ではルシエンが先生から賞品を受け取るシーンは回想にされていて、その回想も含めて「遠くの町へ」という新展開の章に入っている。冒頭ですっかり仲良くなったアンネットとルシエンが並んで下校するシーンから始まるが、原作の場合はこの二人が並んで下校するのは初めてだったことが明記され、そしてルシエンが褒美を貰うシーンの回想となるのだ。アンネットとルシエンは二人仲良く賞品の本を読んでいたのだが、そこにダニーが迎えに来たことで二人はダニーの足の事実を再度思い知らされる。
 ダニーが迎えに来た理由もアニメと原作では違う。アニメのダニーは遊び相手がいなくて寂しいからとアンネットを迎えに行くのだが、原作では晩ご飯が近いから呼んでくるようにクロードに命じられてアンネットを迎えに来たのだ。次の角を曲がればすぐに姉に会えるかも知れないと思っているうちにどんどん遠くへ来てしまったと言う点は原作を踏襲しており、ルシエンがダニーを背負って帰宅するのも同じである。
 だが原作ではその帰宅シーンに大きな意味を持たせていない。原作では帰宅後にアンネットかダニーが足を痛がるのを見てまたルシエンを恨んでしまいそうだとクロードに告白するという展開になる。そしてクロードが名台詞欄の台詞に該当する言葉でもってアンネットを諭すのだ。またその頃、ルシエンもアンネットと仲直りしたのにダニーの足を元通りに出来ないと悩んでおり、それをきっかけに何でアンネットが自分を許したのかと考えるようになる。そのアンネットの姿とペギンに聞かされた神や愛という話が重なって見え、ルシエンも神の存在をこの辺りから意識し始めるのである。そして家に帰って聖書を読み出すのだ。
 さらに原作の場合、ここでルシエンが帰宅すると程なくマリーが帰宅してくる。そしてアニメでは39話に当たる展開となるのだ。

第38話「ルシエンの誓い」
名台詞 「父さん、ソリに乗せて。ソリに乗せて、僕最後までやりたいんだ。(中略)嫌だよ、父さん。僕、途中でやめるの嫌だよ。」
(ダニー)
名台詞度
★★
 ソリ大会に初出場のダニー、最初は順調でトップを独走していたが転倒してしまう。そこへピエールが駆け付けてレースをリタイヤするように説得するが、ダニーは何としても完走したいと懇願するのがこの台詞だ。
 ダニーがソリ大会に参加したかった理由は、足が不自由だからこそソリに乗って他の子供達と同じように滑り回りたいという希望があったからだろう。さらに言うとレースに出てみて初めて、他の健常な子供達と同様に最後まで滑ってみたいという欲も出てきたに違いない。これまでの我が儘なダニーだったら父と共にコースアウトする道を取っただろうが、こんな思いがあったからこそ例え優勝できなくても最後まで滑りたいと感じたのだ。それが自分の足の不自由を乗り越え、少しでも健常な子供達に自分の力で追いつく術だと感じていたのだろう。
 ダニー本人にとっても、ダニーの気持ちを知ったアンネットやピエール、そしてルシエンとクロードにとっても、このレースはダニーが優勝することに意味があったのではなく、参加して最後まで完走することに意義があったのだ。
名場面 ルシエンがダニーのソリを製作 名場面度
 ルシエンはペギンの山小屋で、はたまた自分の家の自分の部屋で朝から晩までダニーのソリ作りに励む。ルシエンの思いはもちろん「ダニーの役に立ちたい」それだけである。ダニーのためにならなんでもやるという償いの心と、あの事故の反省の心がダニーの雪上における足代わりになるソリ製作に、強力にルシエンを突き動かしたのである。そのルシエンの気持ちや思いがよく表現されているシーンだと思う。
 
今回の
アンネット
VS
ルシエン
 
 ソリの練習に励むアンネットをはじめとする女の子達、そこへルシエン、ジャン、アントンというズッコケ三人組が現れる。「イヤッホー!」「邪魔だ邪魔だ! どたいどたい!」「ああっ」「そんなもたもたした滑り方じゃ、ソリ競争には勝てないぞ! それいっ!」…得意のソリ捌きで次々に女の子達を追い抜いて行くルシエン、それで足止めされた女の子達を調子に乗って追い抜くジャンとアントン。「見てらっしゃい、思い知らせてやるから!」アンネットは怒りにまかせてソリに乗り込む。「うわぉ〜、アンネットさんがいらっしゃいました、凄くおっかない顔をしてらっしゃますぅ」「邪魔よ、邪魔だわ、どきなさいアントン!」「は、はいっ! うわ〜っ」アントン転倒、「うわっ、きた〜っ」「どきなさいジャン」「は、はいっ」ジャンは何とかアンネットをかわすが、やはり転倒。最後はアンネットとルシエンのデットヒート、「なかなかやるじゃないか、アンネット」「ルシエンこそ」「ようし、このまま麓まで競争だ」「ええ、負けるもんですか!」…そのまま競争しながら滑り去ってしまう二人。それを他の仲間達が見送る。「あ〜あ、この分だと今年の優勝はルシエンかアンネットで決まりみたいね」「悔しいけど、そうみたいね」「何言ってるんだよ、俺は必ず勝つぞ」「でもあのお二人を見ていると、自信が無くなってしまいますですね」…そろそろアントンのベッキーモードはやめとくか。。
感想  ダニーがソリ大会を通じて、自分の足の不自由を乗り越えようとするからダニーの話に見えるこの展開、私は実はこの話もルシエンの話に見えて仕方がない。ダニーのソリ大会への参加を通じ、ルシエンがまた償いへと奔走するのである。それだけではない、これが上手くいけばダニーがソリに乗って他の子供達と同じように動けるはずだという事実はルシエンの心を強烈に後押ししたのだろう。こうしてルシエンがダニーの役に立つという物語でもあるのだ。
 そのダニーだが、これで簡単に優勝なんかしたら凄く白けたと思う。途中で転倒してかつダニーが完走を懇願するという展開は、ダニーが何かを乗り越えようと努力している点が描かれ、ダニーが単なる我が儘から大会参加を望んだのでないことが理解できるだろう。またダニーが優勝できなかったことで、ダニーは最後まで一生懸命にやると言うことを覚え、ひとつ成長するのだ。今回は物語の展開とは無縁の番外編とも言える話ではあるが、私は嫌いではない。
研究 ・(一言だけ…)
 やっぱみんなのソリの速度、いくら何でも早すぎだよな…。新幹線並みのスピードが出ているシーンがあったぞ…。

第39話「吹雪の峠をこえて」
名台詞 「でも、やらなきゃならないんだ。ダニーのためにやらなきゃならないんだ。僕は、ギベット先生に会いに行くぞ。」
(ルシエン)
名台詞度
★★★★
 姉からモントルーに骨折の名医が来ていると知らされたルシエン。マリーに言られるまでもなくこの先生にダニーを診てもらうには様々な困難があり、ルシエンもそれをよく分かっていた。しかし自分の努力しだいで何とかなるかも知れない。いや、なんとかならなくても、例え失敗しても、ルシエンはやらねばならないのだ。それがダニーに対する義務なのであって、例え上手くいかなくともそれで自分が後悔することも他人に責められることもないであろう。
 ルシエンはダニーの足を元通りに治すチャンスがそこまで来ているのに、それを見過ごすわけには行かないのだ。例え誰がどんな言葉で止めても止めることは出来ないのだ。ここで見過ごせば他の誰もが責めなくても、自分が深く後悔することになるだろう。ルシエンは自分がダニーの足を治すために生命を掛けねばならない、少なくとも自分は自分にそう誓ったのだ。その再確認と、困難な行為への決断の言葉としてこの台詞を吐いたのだ。
 ルシエンはペギンにスポンサーになってもらい、自分の足で峠を越え、キベットのところへ行ってみようという決断を下していたのだが、まさか原作を知らない視聴者は彼がこんな決意をしていたとは夢にも思わないだろう。ルシエンは自分の罪の精算と、何よりも「足が治る」というダニーにとって最高の形で役に立つべく家を出て行くのだ。
(次点)「ルシエン、あんたダニーのために…? (中略)ありがとうルシエン、でも無茶よ。無茶だわ。神様、ルシエンが無事に戻れるよう、お力をお貸し下さい。どうかルシエンをお守り下さい。」(アンネット)
…ルシエンが吹雪の中、ダニーを直して欲しいと医者に懇願するために峠へ向かったのだと知ったアンネットは神に祈りを捧げる。このシーンはルシエンとの和解を通じてアンネットの心に神が宿った事を示す重要な台詞でもある。こうも素直に神に祈れるというのは純粋に神を信じないと出来ないことだ。
名場面 ルシエンの出発 名場面度
★★
 名台詞欄の決意に従ってルシエンはコートの上にマントとマフラーを着用してコッソリと家を出る。まずは自室の机の上に置き手紙をして、コッソリと階段を下りたところで母が姉を呼ぶ声がして慌てて引き返す。二人が台所に消えた隙を見てさっと玄関へ、「ルシエンはもう寝たのかしら?」姉の声が聞こえると慌てて外に出るが、この時にマントが扉に挟まる。そのタイミングで母が居間に戻ってくるが…鈍い母親は玄関の扉にマントが挟まっていてそれがスッと出て行くのに気付かない。
 そして玄関の外でスキーを装着して出発なのだが、その際に家の中から母と姉の笑い声が漏れてくる。これに一度後ろ髪を引かれるが、それを振り払うようにスキーとストックで雪を蹴って前進を始める。
 ここにはルシエンの決意に満ちた表情も見物ではあるが、それよりも一度ルシエンが家の中から漏れる笑い声に引かれかかるのが、ルシエンの心の底にある恐怖や不安を示していて秀逸なシーンだ。ただ出て行くのでなくちょっと後ろ髪を引かれて出て行くからこそ、必ずそこへ戻りたいという意欲が湧いてくるのだ。
 ちなみに、「わたしのアンネット」を90分にまとめたDVD完結版では、このルシエンの出発シーンから物語が始まる。そしてここまでの展開を全て吹雪の中を困難な峠越えに挑もうとするルシエンの回想シーンとして編集されているのだ。この編集じゃだれがどう見ても主人公はルシエンだわ。
 
今回の
ルシエン
VS
ペギン
  
 静かな夜、煙草を吸いながらくつろぐペギンの家を叩く者がいた。ペギンが返事をするとルシエンの声が聞こえる。ペギンが扉を開くとそこにルシエンの姿があったが、今夜のルシエンは何か決意に満ちたような鋭い表情をしている。「ルシエン、どうしたんじゃ? こんな時間に」「僕、ペギン爺さんにどうしてもお願いしたいことがあって来たんです」「お願い? とにかく入りなさい」二人は家の中に入る。そして家の中に入るとルシエンは単刀直入でペギンのお金を自分のために使ってくれないかと頼む。「ルシエン、それはいったいどういうことなんじゃ?」「僕の姉さんが働いているモントルーのホテルにお医者さんが泊まっているんです。その人は折れた骨を治すことが出来る腕のいいお医者様なんだそうです。僕はこれからそのお医者様のところへ行って、ダニーを診察して下さるようにお願いしようと思っているんです」「こんな雪の夜道を行くつもりなのかね? とても無理じゃ、峠を越えることは出来ない」「僕は行きます! でも、そのお医者様に診察していただくにはたくさんのお金がかかるんです。だから、ペギン爺さんのところへ来たんです。お願いします、僕にお金を下さい」ペギンは椅子に座って、静かにルシエンに言う。「その医者が信用のできる人なら、お前に金をやろう。しかしわしは金を無駄にしたり、無くしたりしたくはないんじゃ。その人が正直な人だと言うことがどうして分かるんだね? ルシエン」「僕には分かりません。でも、姉さんがとても親切な人だと言ってました」「医者の名前はなんというのかね?」「キベット先生です」ここで明らかにペギンの表情が変わる。「…ルシエン? いまなんと言った…?」ペギンは言葉が詰まっていた、ルシエンはペギンの変化に気付かない。「キベット先生です」「ギベット…ギベット…キベット…」ペギンがルシエンが口にした医師の名前を繰り返し、5秒間の沈黙を置いて立ち上がる。そして金庫の中から靴下に入れた大金を取り出し「とうとう…わしの夢が叶えられる」と呟く。「ルシエン、ルシエン、この中に金が入っている。これをみんな持って行ってギベットさんに渡しなさい。そしてダニーの足を治してくれるように頼みなさい」「ありがとうございます、ペギン爺さん」「それとギベットさんに、借りていた金を返すんだと言って欲しいんだ」「借りたお金を返す?」ルシエンは疑問に思うが、ダニーの足を治すことで頭が一杯で深くは追求しなかった。こうして最初の難関である「金」の問題はクリアされ、ルシエンは峠を越えてモントルーへの困難な旅を始めるのである。
感想  今回と次回はルシエン最高の見せ場である吹雪の峠越えである。ダニーの足が治る物語であるローザンヌ編であるが、ダニーの足がどうやって治るという方向へ行くかの鍵であり謎解きであり、さらに全話中ルシエンが最もカッコイイ展開がこのエピソードである。最初はてっきりルシエンに説き伏せられたマリーが何とかホテルに連絡を付けてキベット先生を足止めさせるような、そんな甘い展開を想像していたのだが、よく考えたらこの物語は「わたしのアンネット」である。ここまであんな殺伐とした展開だったのに甘い展開に持って行ったら視聴者は納得しないのは目に見えている(この辺りの論理はローザンヌ編の総括研究で行う予定だが)。また「ルシエンがダニーの足を治す」という自分が蒔いた種を自分で拾い決着を付けるのに、簡単で甘い行為で済んでしまうのでは物語のメリハリもないし、何よりもルシエンが本気でダニーへの償いをしているという説得力に欠ける結果となるだろう。そのために「ダニーの足を治す名医が峠の向こうにいる」という物理的困難、「明日の朝にはその先生が帰ってしまう」という時間的困難、「吹雪」という自然が与える非情、「金」という現実的な困難全てのトラップをここに仕掛け、ルシエンが本気でダニーの足を治したいと努力していたこと、劇中で「ダニーのためなら何だってやる」と誓った事に対して説得力を持たせるのだ。その上でないとダニーの足は治せないのだ。
 本格的なヤマ場は次回で、今回はルシエンが吹雪の峠へ向かうまでの経緯が中心である。いいタイミングで帰って来るマリーと、アンネットの家へ出かけ損なうルシエン。この絶妙なタイミングには不自然さがあるとはいえ物語を盛り上げる要素だろう。さらに名場面に書いたシーンはルシエンの迷いが心の奥底にあることが示され、年相応の少年らしいリアルな描かれ方がされていると思った。最後の神に祈るアンネットは、それこそ神を心の中に宿してルシエンの行為に心より感謝しているものとして、ルシエンとの和解を通じて明らかに変わったアンネットの姿として記憶に残るだろう。
 さて次回、ルシエンに待っているのは生か死か? 当時はハラハラドキドキで一週間待ったものだ。
研究 ・遠くの町へ
 ダニーの足を治してもらおうと、ルシエンが吹雪の峠を越えて名医に会いに行く話も当然のことながら原作を踏襲している。この物語も原作では2章にまたがっていて、ルシエンが部屋に戻って決断するまでが「遠くの町へ」という章で、以降は「吹雪の中を」という章に入る。
 原作ではアニメの37話の展開の直後にマリーがチップをくれた客について語る場面となり、アニメにもあったとおりルシエンがマリーやモレルに止められる展開となる。しかし原作マリー、「ダニーは松葉杖で飛び回ったり、おばあちゃんに甘やかされて楽しそう」はないだろう…。
 原作のルシエンはアニメ以上の重装備で出かけている。マントとマフラーだけでなく、帽子は耳まですっぽりと入るものだったし、足にはゲートルという姿であった。さらに出かける前に台所に忍び込んで食料までも持ち出す。
 ペギンの家での事は原作とアニメは全く同じ。だが家を抜け出してきたときのルシエンはスキーを用意しておらず、ペギンの家を出た辺りから吹雪が酷くなったので必要と判断して家へ取りに戻ったという設定になっている。ルシエンがスキーを取りに家に戻ったときには、既にマリーもモレルもルシエンがいなくなったことに気付いていて、家中を探し回っているところだったがなんとかルシエンは見つからずにスキーを持ち出せる。ちなみに原作ではアンネットがルシエンを訪ねて家へ来るシーンは無く、行方不明になったルシエンの捜索はマリーの提案でピエールに依頼されている。
 原作ではアニメ以上に見どころも多いが、ルシエンがスキーを取りに一度家へ帰るという不自然さも孕んでいる。ところがこれが見つかりはしないかとハラハラが一つ増えて読み応えがあるのは確かだ。そして物語に途切れが無くルシエンは峠へとばく進して行くのである。

第40話「立ち上がれルシエン」
名台詞 「もう僕は怖くてこれ以上進めない。これ以上進むと、僕は死んでしまう。僕は一生懸命やりました、でもどうしても峠は越えられなかったんだ。ごめんよ、アンネット。ごめんよ、ダニー……眠っちゃ、眠っちゃダメだ。眠ると…死んで…しまう…。」
(ルシエン)
名台詞度
★★★★
 森を抜けていよいよ峠の核心部分に迫ったルシエンだが、そこは想像を絶する厳しい世界だった。ルシエンは岩陰に隠れて吹雪をやり過ごそうとしたのだろうが、そこに座って動きを止めたとたんに恐怖心が沸き上がってきたのだろう。そのまま動く勇気を失ってしまうのだ。そしてこの台詞を吐きながら雪の上に倒れてしまう。
 峠を前にしてルシエンが感じた絶望、どうにもできないという悔しさ、これらとともにルシエンのアンネットやダニーへの償いの気持ちが良く現れている。それだけでない、視聴者はルシエンがこんな雪の中で倒れてしまって大丈夫なのだろうかと不安になる。
 さらにこのシーンでは声優さんの名演技も凄い、ルシエンの寒さと恐怖心、それにアンネットやダニーに申し訳ないという気持ちを上手に演じて迫力のある絶望シーンに仕上がっているので見る者を圧倒するだろう。迫力は峠越えシーン全体に言えることだが。
 ちなみにこの直後、意識を失いかけたルシエンの脳裏にダニーの事故から今までの事がフラッシュバックする。すると自分がした行為、それによる色々な人の思い、それらを全部思い出してまた立ち上がるのだ。
(次点)「ええ、そうよダニー。ルシエンは峠を越えるわ。そして必ず、ダニーのためにお医者様を連れてきてくれるわ。」(アンネット)
…ダニーに「ルシエンは峠を越えるよね?」と聞かれたときのアンネットの台詞。アンネットがここで信じているものはルシエンだけではなく神なのだと言うことを教えてくれる。心に神が宿っているからこそ信じて待てるのだろう。
名場面 峠を越えたルシエン 名場面度
★★★★
 雪が止んだ峠道を黙々と歩くルシエンは、近くの木の枝から雪が落ちた音でハッと辺りを見回す。いつの間にか自分が歩いてきた道は下り坂に変わっていて、前を見ればいつか学校をサボって来た峠からの景色が広がっていた。
 そう、ルシエンは無事に峠を越えていたのである。「越えた、峠を越えたんだ」ルシエンはそう言いながらその場に座り込む、「やった、とうとうやったぞ」叫びながらその辺りにある雪を投げ上げて喜ぶルシエン。視聴者もルシエンが無事だったことで安堵するだろう、同じようにルシエンの安堵と喜びが上手く表現されている。
 笑顔で喜んだ後は、ルシエンの顔は泣き顔になる。そしてルシエンはその場に倒れ込んで今度は泣き出すのだ。この涙は自分の目的のひとつが達せられただけではなく、ダニーの足を治すという自分の目標に向けてまた一歩、それも最も困難な前進したことを感じた涙だろう。ここまで来ればギベットに会うのはもう時間との戦いだけだ。
 こうして二つ目の難関である「峠を越える」という問題をクリアしたルシエン、その道のりは決して楽なものではなかったことがこの回全体を通じて描かれている。それを乗り越えての峠越え達成は、「わたしのアンネット」で感動するシーンのうちの一つだ。
  
今回の
ルシエン
VS
吹雪の峠
  
 実は、○○VS○○シリーズではこれが一番迫力があると思う。吹雪の峠へ向かうルシエンのシーンは何度見てもその迫力に圧倒される。「世界名作劇場」シリーズ一の大迫力シーンだろう。
感想  「立てぇ、立つんだ! ルシエン!」(「あしたのジョー」の丹下のおっさんの声で読もう)と何度もテレビに向かって叫びそうになった記憶が…。
 とにかく吹雪の峠の迫力ある描写が凄い。「世界名作劇場」シリーズの大迫力シーンと言えば、「わたしのアンネット」のこの吹雪シーンと「ふしぎな島のフローネ」の難破シーンを思いつく。それに続くのは「小公女セーラ」の嵐のロンドンかな。どちらかというと気象条件についてはあまり変化のない(季節の変化以外はせいぜい晴れか雨程度)「世界名作劇場」であるが、これら物語の進行に直接影響がある荒天の描写は感心するものがある。今回の吹雪は突然止むという不自然さはあるものの、吹雪にルシエンが吹き戻されたりする辺りは風の強さを上手く画いていると思うし、何よりも雪や風の冷たさが伝わってくるような雪の白と、峠道の暗黒の描写は本当にすごい。この回は画面の暗さが印象に残るほどだし。
 その中を必死になって進むルシエンの思いも伝わってくる。何度か倒れつつもすぐに立ち上がって先へ先へと進むシーンに見ている方も圧倒されるだろう。そしていよいよ迎えた峠ではこれと言って何があるわけではないのだが、視聴者もルシエンと一緒になって安堵して喜べてしまうのがまたいい。それほどにこの峠道の描写はその険しさを視聴者に訴えてくるのだ。
研究 ・吹雪の中を
 今回も原作を踏襲した物語であるが、原作ではルシエンが吹雪の峠と対峙することのみが描かれていて、ルシエンが峠に挑んでいる間のアンネットやペギンやマリーやモレルの様子は描かれていない。次の章(つまりルシエンがキベットに出会えてから)になってからマリーがモレルと一緒におそろしい夜を過ごしたこと、ピエールは徹夜でルシエンを探したが森の方ばかり探して峠道の方を探さなかったので見つけられなかったことが説明されているだけだ。
 原作ではこの峠越えについてアニメ以上の意味が持たされている。展開としてはアニメと原作でほぼ同じで、道中でルシエンが二度倒れる事も原作から引き継いだ点だ。ただ原作の場合は名台詞欄に当たる時にルシエンはクロードに聞かされた「全き愛」について思い出すのである、そして自分が何者かに手を引かれるように立ち上がり、さらに前進する勇気が湧くのである。二度目に倒れたときも同様の展開で、こうしてルシエンは常に神が隣にいて自分を良い道へ導こうとしていると考えるようになる。峠を越えてモントルーに着いたルシエンは、自分は神に愛されているのだから神は理由も無しに自分をここまで連れてくるとは思えないと考えるに達する。つまり原作ルシエンはこの峠越えを通じて神というものの存在を体感し、心の底から神を信じて神を心の中に迎え入れることになるのだ。前述しているが、原作ルシエンがアンネットと和解の際に木彫りの馬破壊について許したのは、ここでアンネットを許せば自分の罪も許してもらえるに違いないと考えただけであり、アンネットのようにここの中に神を住まわせて素直な気持ちになったからではない。このように原作ではアニメ以上にルシエンの峠越えは大事なシーンなのだ。
 アニメのルシエンはこの峠越えでそこまで考えたかどうかは分からないままだ。アニメのルシエンは苦悩しながら「償い」という行為をしているうちに性格が変わっていったように描かれている。アニメのルシエンが神を信じているかどうかは分からないままだし、だからといって心の中に神が宿っていないと言い切れる状況でもないのだ。

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