第44話「ギベット家のひとびと」 |
名台詞 |
「じゃあ言うわ。あなたがうちへ来るってお母さんから聞いたとき、私はそれほど賛成じゃなかったの。でもお父さんが決めたことだし、可哀想だと思って黙っていたのよ。あなたがとても大人しくっていい子だっていうから。確かにその通りだわ、でもお利口で世話好きなのは結構だけどやり過ぎないでね。そうでないと私、本当に嫌いになっちゃうから。」
(エリザベス) |
名台詞度
★★★★ |
「今回のアンネットVSエリザベス」欄のシーンを受け、帰宅したアンネットにエリザベスが辛く当たる。「アンネット」「はい、何でしょう?
エリザベスさん」「私にやたらと声を掛けないでよ、迷惑だわ」「えっ?」「だいいち、私の友達に説明のしようがないじゃないの。これからは、私にあまり関わらないでちょうだい。いいこと?
分かったわね」あまりの言葉にアンネットは目を見開いて驚く、そして立ち去るエリザベスを追いかけ「待って下さい。エリザベスさん、私が嫌いなんですか?
そうならそうとハッキリ言って下さい」と言う。その返答がこれだ。
この台詞にエリザベスの性格が出ている。どんな性格だって? それはこの後ウェルナーが言う「根はとても優しい子」という部分だ。それはどの部分かというとこの台詞の最後、「嫌いになっちゃう」と言っているのであって「嫌いだ」と言い切っていない部分だ。つまりこの段階のエリザベスはアンネットを信用しているわけでも拒否しているわけでもなく、距離を置いた上でアンネットが自分の友として相応しい人物かどうかを見極めようとしている段階なのだ。ただその過程で意地悪な言葉や態度が出てしまい、いやそれは距離を置くためにわざと言っているのかも知れない。さらに自分が威張ることで相手には絶対に屈しないという事を先に誇示している…どっかで見たような性格の娘だな、アメリカの石油王の一人娘の…。
無論アンネットにはエリザベスがそのような考えで自分に接しているとは考えられない、純粋に自分の何処かが気に入らないと思い込んでいるようだ。アンネットはこういう接し方をしてくる人間が一番苦手のようで、アンネットの性格から見てもこのタイプはそりがあわない可能性があると思う。それでも心の中に神を宿しているアンネットは何とかエリザベスと仲良くやろうという点に於いては挫けないのだ。次点欄も参照のこと。
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(次点)「アンネット、お嬢さんのことを悪く思わんでほしい。根はとても優しい子なんだから。」(ウェルナー)
…上記名場面本欄の台詞を受けたアンネットに執事のウェルナーが上手にフォローを入れる。この男が良いヤツだと確定するはこの台詞だろう。アンネットもそんなウェルナーの言葉に明るくなり、エリザベスと仲良くなれると信じるようになる。 |
名場面 |
アンネットのホームシック。 |
名場面度
★★★ |
夜、寝室で一人になって家へ手紙を書くアンネット。手紙を書いているうちに急に父やクロードが恋しくなる。それだけではない、ダニーと一緒でない夜もアンネットにとって初めてなのだ。そしてロシニエール村の風景がまぶたに浮かび…アンネットはベッドに突っ伏して泣き始めるのだ。村へ帰りたい、みんなに逢いたいと。
その泣き声を偶然部屋の前を通りかかったギベットの夫人であるエレナが聞きつける、アンネットがホームシックにかかっていることを理解した彼女は、まだ赤ん坊の末っ子クレーヌを連れてアンネットの部屋に入り、アンネットの前にその赤子を寝かせるのだ。エレナはアンネットがダニーを育ててきたという事実を確認し、アンネットはエレナが自分の母に似ていることを打ち明ける。そしてエレナはここにいる間は自分を母と思って欲しいと言うのだ。
この優しい言葉にアンネットの表情は明るくなる、そしてクレーヌを抱いたアンネットは勇気が湧いてホームシックから解放されるのだ。
いやぁ、なんて優しい奥様なんだろう。アンネットには自分に対して優しくしてくれる人、何よりも勇気を与えてくれる人が必要だったのだ。この夜の段階ではアンネットに親身になってくれそうな人はローザンヌには見あたらない…それらをエレナは瞬間で感じ取ったのだろう。そしてこのような優しい行為でもってアンネットに勇気を与えたのだ。アンネットが赤ん坊を抱けば、ダニーが赤ん坊だった頃…つまり母を失いつつもダニーを育てるために必死だったあの頃を思い出して勇気が湧くに違いないと判断したのだろう。
さらにエレナの母と思って欲しいと言う言葉は、エレナがアンネットに親身になると言う宣言である。こうしてアンネットは何よりもローザンヌで生きて行くための自信が湧いたに違いない。ホームシックとそこから短時間で立ち直るアンネット、そしてそのためにどうすればいいかを的確に判断してその通りに行動したエレナ、これがこの名場面を演じたのである。
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今回の
アンネット VS
エリザベス |
ウェルナーに連れられて病院から帰るアンネット、橋のところでエリザベスが友達の会話しながら歩いているのを見つける。「エリザベスさん。今お帰りですか?
私も病院の帰りなんです」その言葉に横を向くエリザベス「誰? エリザベス」と尋ねる友人、それに答えるように「昨日からギベット先生のお宅にお世話になっているアンネットです」とアンネット。「親戚の子?」と聞く友人に「そうじゃないわ。さ、行きましょ」とだけ言うとエリザベスは走り去ってしまう。慌てて追いかける友人達。取り残されるアンネット。「エリザベスさんはなんであんなに私を嫌うのだろう?
アンネットにはエリザベスの気持ちがよく分かりませんでした」とアメリア先生の解説が入る。エリザベスは町中で出会ったアンネットを完全無視、アンネットはこのエリザベスの態度にショックを受ける(名台詞欄につづく)。 |
感想 |
ダニーが入院し、アンネットのローザンヌでの日常生活がスタートする。前半はダニーが入院して病院でいろいろとあり、今まで離れたことがなかった姉弟が離れるというシーンを描いた。そして後半はアンネットとエリザベスというアニメ版ローザンヌ編の本編とも言える展開と、アンネットのホームシックを描いた。なんか1話に色々詰めすぎた感はあるが、これだけ詰め込んでもひとつも次話に持ち越していないのが「愛の若草物語」との違いだろう。「愛の若草物語」だったら、アンネットがベッドに突っ伏したところで「つづく」だっただろうなぁ。
あ〜、それにしてもルシエンが出てこない! とルシエン派の人々が叫びそうになったところでバルニエル家のシーンになるのはタイミングが良すぎる。しかもルシエン、家族の一員みたいな顔で家に出入りしちゃっているし。
どうでもいいが、今回の物語のどの辺りが「ギベット家のひとびと」なんだろう?
このサブタイトルは前回の方が合っているような。私なら今回のサブタイトル「入院」とかにするなぁ、「わたしのアンネット」はたまにサブタイトルと物語がズレている回があるように感じる。 |
研究 |
・ダニー入院
いよいよダニーが入院する。この辺りの展開は原作を踏襲しているが、原作ダニーはローザンヌに着いたらギベット病院に直行してすぐ検査を受けて入院となっており、ギベット家に泊まっていない点が相違点である。またダニーが病室で松葉杖を使って跳ねただけで子供達から歓声が上がり、それだけで同室の子供達と仲良しになってしまった点もアニメと原作では若干異なる。入院して一週間後に手術という点も原作から引き継いでいる。
アンネットがホームシックとなるシーンも原作を踏襲しているが、原作アンネットは窓の外の景色があまりにも違うことでロシニエールが恋しくなったとある。ギベット夫人(原作ではマーセという名前である)が赤ん坊を連れてくることで慰める展開は同じ。だが自分を母親と思って欲しいというシーンはアニメだけであるが、こちらの方がなんでアンネットが慰められたのかという点が上手に画かれていると思うが。
原作ではエリザベスが関わる展開は全て無い、エリザベスそのものがアニメオリジナルで、原作にはエリザベスに該当する少女は出てこないのだ。こうして「わたしのアンネット」ではローザンヌ編という展開こそは原作と同じ物の、そのテーマが原作とは全く違う物になっているのだ。 |