…シロと別れたしんのすけは、単身ハイグレ魔王の宇宙船に乗り込む。 |
名台詞 |
「どっちへ行けばいいのかわかんない。困ったなぁ。困ったゾ。誰かいないとどうしていいかわかんないじゃない…」
(しんのすけ) |
名台詞度
★★★ |
単身でハイグレ魔王の宇宙船に乗り込んだしんのすけだったが、広い宇宙船の中で道に迷う迷子になってしまう。その状況下で独り言として吐いた台詞がこれだ。
前にも書いたが、「野原しんのすけ」というキャラクターの魅力のひとつは、普段はギャグばかりで多少生意気でも、ちゃんと子供らしい一面を持っている点である。この台詞もそんなしんのすけの一面が良く出ている台詞だ。
しんのすけは本来、こういうところで強大な悪と戦うべき人物ではないはずなのだ。一人になればこはり怖くて不安で、本当は両親の名前を大声で呼びたいところだがこれをぐっと堪える「男の子らしさ」は持っている普通の男児でしかないのだ。しんのすけのこういう要素は、彼が持つ生意気な部分と特に「下品」を売りにしたギャグ部分と合わせて、この作品を見る少年少女と等身大の主人公の姿を見せつけることになる。
そしてその見ている子供達にとって等身大のキャラクター、しかもテレビの中ではいつも日常生活を送っているこの主人公が、そのキャラクター性を変えないまま大冒険の上で強大な悪と戦う…こんな夢は多くの少年少女が持っているはずだ。このしんのすけのキャラクターこそがこの映画シリーズが20年近くも続いている理由であり、また劇場版「ドラえもん」でのび太に通じるところでもあると思う。
よく考えたらアニメの「ドラえもん」と「クレヨンしんちゃん」は同じシンエイ動画の制作で、本作を含めた劇場版「クレヨンしんちゃん」の製作手法に劇場版「ドラえもん」でやって成功したことはふんだんに取り入れられていると思う。テレビアニメ版では基本的に日常生活中心でストーリーを組み立て、劇場版では冒険やスリルやサスペンス要素を強くしてこれをひっくり返す手法はどちらも共通点であることはここまでに書いた通りだ。 |
(次点)「悪い? 私はオカマよ!」(ハイグレ魔王)
…ついにハイグレ魔王の正体が明らかに。その正体は「オカマ」、「オカマ」と「SM嬢」は臼井儀人作品の「おやくそく」であることを考えれば、臼井儀人さんの作品を以前から知っている人にはこのオチは簡単に見えたはずだが。
この台詞をきっかけに、ハイグレ魔王担当の野沢那智さんの演技が瞬時に「女性」から「オカマ」に変わるのも見逃せない。本来なら最初から「オカマ」を演じるべきなのだが、それでは面白くないって事だ。ここからのハイグレ魔王の口調は女性口調でも、明らかに「男」なのだ。DVDを借りるなりして聞いてみると、この役者さんの凄さが解る。 |
名場面 |
アクション仮面登場! |
名場面度
★★★★ |
やっとハイグレ魔法がいる部屋にたどり着いたしんのすけは、ハイグレ魔王が「きれいなおねいさん」に見えてしまったために駆け寄ったために捕まってしまう。自分を捕まえているのが「きれいなおねいさん」でなく「オカマ」だと知ったしんのすけはジタバタ暴れて逃げようとするが叶わず、ハイグレ魔王は超能力を使用してしんのすけの体内にあるアクションストーンを取り出して破壊する。
この行為に「アクションストーンがないとアクション仮面を呼べないんだゾ」「おバカおバカ! ハイグレ魔王のおバカ!」と叫びながら暴れる。するとしんのすけの足がハイグレ魔王のイヤリングに当たり、その中からハイグレ魔王が冒頭シーンでアクション仮面から奪ったアクションストーンが落ちる。そこでしんのすけが例の「99番のカード」をかざすと、これに反射した光でハイグレ魔王が怯む。その隙にしんのすけは落ちたアクションストーンを拾い、カードと共にズボンにの中に隠して逃げようとするがハイグレ魔王に見つかり「何処へ行くつもり?」と聞かれる。「おトイレ…」と答えるとハイグレ魔王「嘘を吐くんじゃねーや!」と凄み、これに怯んだしんのすけがアクション仮面の名を叫ぶと…しんのすけの股間が輝き、こともあろうに「社会の窓」からアクション仮面が現れる。
ここはいよいよ始まるクライマックスシーン、映画のタイトルにもなっているアクション仮面とハイグレ魔王による戦いへの重要な切り替わりのシーンだ。それに向けてアクション仮面をどのように登場させるか、これはこの映画の「面白さ」と「原作のクレヨンしんちゃんらしさの表現」の重要なポイントとなる。もちろん面白くすることや迫力を付けることは大事だがそれだけではダメで、「クレヨンしんちゃん」という原作が存在する以上はその路線にも縛られるという難しいシーンであるのは確かだ。
これをいつも通りの「クレヨンしんちゃん」らしさ、つまり「野原しんのすけ」というキャラクターをその行動パターンの通りに演じさせ臼井儀人作品の「おやくそく」を加味することで「クレヨンしんちゃん」らしさを強調し、その上でどれだけ迫力を持たせるかという点が考え抜かれていると思う。
「野原しんのすけ」のいつもの行動パターンとして、「きれいなおねいさん」に飛び込んで行く習性を利用し、臼井儀人作品のお約束として「そのおねいさんは実はオカマ」という「おやくそく」を用意し、「クレヨンしんちゃん」らしいオチとして「アクション仮面が『社会の窓』から登場する」という点を用意した。そしてその間は、野沢那智さんの迫力の演技に寄るところが多かったと思う。ハイグレ魔王がキチンと「悪役」に徹し、相手が主人公で幼児だからと手抜きはなく、「オカマ」というギャグ要素はありつつも冷酷な悪が演じられているからこそ、「らしさ」を追求した笑える要素の連続なのにこれだけの迫力で仕上がっているのだ。
この迫力は文章で伝えるのは不可能だ。シーン説明もかなり端折って書いているので、これが誰だけの迫力なのか興味がおありの方は是非ともDVDを買うなり借りるなりしてご自身の目でご確認頂きたい。 |
研究 |
・地球征服とは 今回の部分では、ハイグレ魔王が地球征服に成功した気になって「私は地球の支配者!」と言い切るシーンがある。では地球を征服して支配すると言うことはどういうことか? そこまでしていいことはあるのかを考えてみたい。
まずハイグレ魔王が地球を侵略した理由が不明である点は問題だ。例えば地球資源などが目当てであれば「征服」した後の「支配」はお金の掛け次第というところだと思う。正規の手続きで資源を「買う」という方法を採れば、それで被征服側の地球人も経済的に潤うので潤沢な予算を投入すれば…と思いきやそうはならない。それはその資源を搾取して地球を植民地のように扱うのと結果的には大差は無い、理由は後述することになる。
だがハイグレ魔王が地球を侵略したのはそういう意図はなさそうだ。恐らく彼は銀河系単位でのもっと広い地域の支配を野望としており、その一環として地球を襲ったというところと考えられる。彼には彼なりの思想を持っていて、これで全宇宙を安定的に支配できるという確固たる自信があるのだろう。要は前時代形の独裁者であると考えられる。
資源の搾取にしろ、単に全世界支配を野望にしているにしろ、結果的にはその土地を占領して植民地支配をするわけだ。これが上手く行かないことは地球上の歴史が証明しているのは言うまでもないだろう。欧米による植民地支配は被支配地域の恨みを買い、反対勢力の抑えるためだけに多大な労力を必要とした。日本のように支配地域に資金を投入してある程度温情的に支配しても、例えそれが支配地域側から懇願されたことであってもその地域から無限大の恨みを買ってそれが今も続いているのは日本と近隣国の外交ニュースを見ているとよくわかる。
つまりよその国に支配されるというだけで、その過程がどうであっても絶対にそれを受け入れない人々はいるし、その結果その支配地域が豊かになっても支配する側が全面的に感謝されることはまずはない。支配する側はつねに反乱分子の存在に怯え、その討伐に躍起にならねばならず、安定的に支配するなど夢のまた夢になるはずだ。
現にこの劇中でも、ハイグレ魔王が地球に来て日本を侵略しても、「北春日部博士とアクション仮面一味」という反乱分子が現れていてハイグレ魔王の支配体制に暗い影を落としているではないか。もしハイグレ魔王の地球侵略が上手く行っても、ハイグレ魔王はこれらの人々の反乱に怯えなきゃならないのだ。
にしても、なんで地球を征服するなら「世界の警察」を自称するアメリカでなくて日本なんだろう? まぁそれを言ったら日本のヒーローものは全てが成り立たなくなるのでこの当たりでやめておこう。 |